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三連に出てくる「ぐみわら」とは、あの果物の「グミ」のことなのでしょうか。違うとすれば、どういうものなのか、お分かりの方、教えてください。
また、もしあれが私の思っているグミなら、ぐみの木は低木とはいえ、人の背丈以上はある、と思うのですが、「砂山」に読まれているグミはもっと小さいのでしょうか。
それと、グミの季節は六月頃だと思うのですが、それだとあの歌は、やはり夏の歌、なのでしょうか。
以上、よろしくお願いします。どんなところですずめや子供たちが遊んでいるのか、想像してみたいんです。

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A 回答 (2件)

グミのことだと思います。


私も歌を歌うときに以前ちょっと調べてみたのですが
砂防のために海岸に林のように植えられていたのだろうということです。
そこが子ども達の格好の遊び場になっていたらしいです。

あの歌は子どもの歌のなかでは「秋」の歌になっていました。
北原白秋は大正11年9月に新潟へ行きその時に郷土について教える童謡を作るように頼まれます。
そして帰りに浜の方へいくと見渡す限りの砂山はグミの原っぱでそこにすずめがたくさん啼いたり飛んだりしていました。
海の方を見ると海は荒れていて向こうを見渡すと佐渡が見える。
灰色の雲が低く垂れて日が暮れてきて、そんな中で子ども達は砂を掘ったり鬼ごっこをして遊んでいたそうです。

それにしても同じ詩でありながら中山晋平と山田耕作の二人の曲は曲想が全然ちがって面白いですね。
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この回答へのお礼

砂防林ですか。それですごく納得しました。「松原」のように、「原」を使うのは、そういうことだったのですね。それと、秋の歌だというのも、初めて知りました。(私が調べたのでは、夏か、冬か、どちらでしょうね、みたいなあいまいなのしか分からなかったので…)
松原より、ぐみわらのほうがいいなぁ。グミの実は大好きなので…
ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/14 02:38

こんばんは



「砂山」の歌詞の中に以下の注釈がありましたよ。

※ ぐみわら ・・・ぐみは、赤い小さな実をつけるかん木。
  (茱萸原)  ぐみの茂っている原っぱのこと。


http://www.hana300.com/natugu.html

参考URL:http://mweb.jrscomware.com/tie/data/kyouzaidb/be …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
このページはチェックしておりませんでした。

お礼日時:2004/11/14 02:35

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Q「砂山」という童謡の歌詞

 日本語を勉強中の中国人です。「砂山」という童謡の歌詞を読んでいますが、理解できないところがありますので、お伺いします。

 歌詞の参考ページは次のようになります。http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html

1.「暮れりゃ砂山、汐鳴(しおなり)ばかり」

「暮れりゃ」とはどういう意味でしょうか。

2.「かえろかえろよ、茱萸原(ぐみわら)わけて」

 中国には、「茱萸」という植物がありますが、茱萸原という植物がないようです。ここの「茱萸原」とはどのような植物でしょうか。「茱萸」の別称ですか。

 また、「茱萸原をわける」とはどのようなことを指すのでしょうか。

3.「すずめさよなら、さよならあした 海よさよなら、さよならあした」

「さよならあした」は「さよなら、またあした」の省略なのでしょうか。

 また、質問文に不自然な日本語がありましたら、それについてもご指摘いただければ嬉しく思います。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

awayuki_ch さん、こんにちは。
童謡は、作詞家がイメージする世界がありますので、時代が移り変わり、世の中が変わり、文化が進歩し、目にする風景、言葉、習慣などあらゆるものが大きく変動してしまいますと、ある意味で説明を加えることが難しいと思います。

この歌は大正11年(今から85年前)に作詞家・北原白秋という人が新潟の地で郷土について歌える歌を作って欲しいという生徒たちの頼みで作って詩なのです。

そして新潟の地を訪れたのは9月、夏も終わりそろそろ涼しい風から寒い風に変わろうとする季節です。
【新潟の浜辺、目の前には佐渡という島が見えています。寒くなり始めた季節、時は夕暮れ、空は灰色で雲は低く垂れ込め、今にも雨が降り出しそうな空模様でした。
砂浜には子供たちが砂を掘ったり、鬼ごっこをしたりして遊んでいました。
日がとっぷりと暮れかけてから私たちは帰りかけましたが、暗くなった砂山の窪みでは、まだ2~3人の子供たちが残っていて、赤い火を焚いていました。それはそれは淋しいものでした。】
これは作詞をした白秋がこの詩を作った時の心情を述べた記事の一部です。
このような景色、情景の中でこの歌は作られたのです。

1.「暮れりゃ砂山、汐鳴(しおなり)ばかり」
「暮れりゃ」とはどういう意味でしょうか。
⇒ここは、「暮れりゃ、砂山、汐鳴りばかり」
⇒「暮れりゃ、砂山には汐鳴りばかり」という感じです。
⇒「暮れりゃ」とは、「暮れてくれば」「暮れれば」「暮れたら」ということですが、意味としては「日が落ちて夕闇が迫ってくる時間になれば」夕暮れになれば」
ということです。
⇒「そうすりゃいい」「食べりゃいい」「我慢すりゃいい」などと、「○○すればいいのに」と言うときに、「○○すりゃいいのに」として使うことが多い言葉です。
⇒「タクシーなんか乗らないで、歩きゃいいのに」
「遠慮しないで食べりゃいいのに」
「いまそんなもの食べないで、もう少し我慢すりゃいいのに」などなど。

2.「かえろかえろよ、茱萸原(ぐみわら)わけて」
⇒白秋は生徒たちと新潟の浜辺に出てみて一番驚いたのが一面に広がる「グミの原っぱ」だったと書いています。彼は小田原という太平洋側の町に住んでいましたから、その小田原と新潟の景色の違いがとても印象的だったのです。
⇒見渡すばかりの「グミの原っぱ」のことが「茱萸原」と記されているのです。

 中国には、「茱萸」という植物がありますが、茱萸原という植物がないようです。ここの「茱萸原」とはどのような植物でしょうか。「茱萸」の別称ですか。
⇒ごめんなさい、これはよく分かりません。
夏茱萸 唐茱萸(白い花、夏に赤い実がつき食べられる)
⇒http://www.hana300.com/natugu.html
山茱萸(中国、朝鮮から江戸時代に渡来。黄色い花、秋口に赤い実がつき食べられる)
http://www.hana300.com/sansyu.html

「茱萸原をわける」とはどのようなことを指すのでしょうか。
⇒浜辺で遊んでいた子供たちが帰るとき、砂浜から帰る方向をふり返って見ると、目の前には見渡すばかりの茱萸の原っぱが見えるのです。その「茱萸の原っぱ」をかき分け、かき分け歩くことを言っています。

3.「すずめさよなら、さよならあした 海よさよなら、さよならあした」
⇒白秋が新潟の浜辺で驚かされたものは、「茱萸の原っぱ」だけではなく、その浜辺に群れ飛ぶ「スズメ」にも驚かされたのです。「スズメ」は歌詞の1番、2番、3番全てに出てきていることからも、如何に白秋にとって雀が印象的だったか判ると思います。

「さよならあした」は「さよなら、またあした」の省略なのでしょうか。
⇒その通りです。ここでは、「また明日も会える」という希望と明るさが歌われているとのことで、「動物愛」「人間愛」「自然愛」がここに込められているとのことです。

awayuki_ch さん、こんにちは。
童謡は、作詞家がイメージする世界がありますので、時代が移り変わり、世の中が変わり、文化が進歩し、目にする風景、言葉、習慣などあらゆるものが大きく変動してしまいますと、ある意味で説明を加えることが難しいと思います。

この歌は大正11年(今から85年前)に作詞家・北原白秋という人が新潟の地で郷土について歌える歌を作って欲しいという生徒たちの頼みで作って詩なのです。

そして新潟の地を訪れたのは9月、夏も終わりそろそろ涼しい風から寒い風に変わろう...続きを読む

Q「早春賦」の歌詞について

 日本語を勉強中の中国人です。「早春賦」の歌詞を読んでいますが、古典文法が入っているので、理解できなくて困っています。特に理解に苦しんでいるところは次の三箇所です。この歌をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。

 歌詞の参考ページです。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/sousyunfu.htm

1.「歌は思えど」
2.「さては時ぞと 思うあやにく」
3.「春と聞かねば 知らでありしを
  聞けばせかるる 胸の思いを
  いかにせよとの この頃か」

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

1.春は名のみの 風の寒さや  
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど  
時にあらずと 声も立てず 
時にあらずと 声も立てず
  
暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。
谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。

2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ 
さては時ぞと思う
あやにく今日もきのうも 雪の空  
今日もきのうも 雪の空
 
川や池に張っていた氷は解け始め、そこに生えている葦も芽をふき始めてきています。
さあ、いよいよ春が来たと思いきや、そんな思いとは裏腹に現実は厳しく、昨日も今日もまだ空はどんよりして雪が舞っています。

3.春と聞かねば 知らでありしを  
聞けば急かるる(せかるる)胸の思(おもい)を  いかにせよとの この頃か 
いかにせよとの この頃か

暦の上ではもう春になったのですと聞かされてなければ、まだ春だとは思わなかったのに、聞いてしまったので、もう、春が待ち遠しくなってしまい、季節の移り変わりさえ遅く感じ、春よ早く来いという待ち焦がれる思いをどう晴らしたらいいか判らないくらいである。

1)歌は思えど
⇒歌おうと思ったけれど。

2)さては時ぞと 思うあやにく
⇒さては時(春が来た)と思うが、その気持ちを打ち消すかのように、(まだまだ雪が降っている。)
⇒いよいよ春が来たと思ったのだが、折悪しくまた今日も雪が舞って来てしまった。(春はまだなのか~)

★あや‐にく【▽生憎】
《感動詞「あや」+形容詞「にくし」の語幹から》

1.[副]意に反して不都合なことが起こるさま。
あいにく。
折悪しく。

2.[形動ナリ]目の前の事柄が、予想や期待に反していて好ましくないさま。

意地が悪い。
不都合だ。間(ま)が悪い。
予想以上に厳しい。過酷だ。

この歌は難しい歌ですよ。
全体に伝わってくるイメージは明瞭ですが、字句の説明は非常に難解です。自信ありません。

1.春は名のみの 風の寒さや  
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど  
時にあらずと 声も立てず 
時にあらずと 声も立てず
  
暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。
谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。

2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ 
さては時ぞと思う
あやにく今日もき...続きを読む

Q童謡「花嫁人形」の歌詞の解釈

1.きんらんどんすの 帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ
2.文金島田に 髪結いながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ
3.あねさんごっこの 花嫁人形は 赤い鹿の子の 振袖着てる
4.泣けば鹿の子の たもとがきれる 涙で鹿の子の 赤い紅にじむ
5.泣くに泣かれぬ 花嫁人形は 赤い鹿の子の 千代紙衣装

1と2で泣いているのは人間の花嫁でしょうか?「帯しめながら泣く」は人間にしかできませんよね。
4で泣くのは、人形遊び(あねさんごっと)をしている子供でしょうか?
それとも全て主体は「花嫁人形」なのでしょうか?題名がそうですし。それにしては5で「泣くに泣かれぬ花嫁人形」とあるので混乱してしまいます。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 NO1です。訂正(笑)

1・2が今まさに結婚式を迎えようとしている人間の花嫁ですね。

3・4・5がその花嫁を模した花嫁人形です。

 結婚という最高の幸せのはずなのに、どうして花嫁さんは泣くのだろう。
この結婚式ごっこをしている花嫁人形も本当は泣きたいんだろうなぁ。。。
しかし、衣装が紙で出来てるので、泣けば衣装は汚れるし、破れてしまう。
本当は泣きたいはずなのに(人形だからってことではなく)紙の衣装だから泣くのを我慢してるんだろうなぁ。。。


 ってことではないでしょうか。
 

Q合唱曲落葉松の歌詞の意味が知りたい

小林秀雄作曲、野上彰作詞
合唱曲 ”落葉松”の歌詞の意味を教えてください

Aベストアンサー

この歌は、「雨」と「ぬれる」がキーワードになっています。
「からまつ林を雨の日に歩く。」
これは、すべての歌詞に共通したことで、場面によって、「ぬれる物」が変わるということです。

全体の意味としては、
「手が冷たい雨にぬれ、寂しい気持ちになり、忘れていた悲しい思い出がよみがえり、涙が出てくる。気がつけば、冷たい雨に身も心も濡れて涙が出ていた。」
こういう状況・気持ちの変化を、から松林に降る色々な雨にイメージとして乗せたものです。


秋の雨のときには「手」がぬれる
 ただ物理的に手がぬれるだけです。だれでも雨の日に歩けば手がぬれます。秋の雨ですから「冷たい雨」です。

夜の雨のときには「心」がぬれる
 「心がぬれる」とは、「寂しくなる」「悲しくなる」など、つめたい雨に手がぬれたことで心が湿っぽくなることを言っています。

ひのある雨のときには「思い出」がぬれる
 「思い出がぬれる」とは、「寂しい」「悲しい」湿っぽい思い出を想い出す、ということです。
思い出には、楽しい思い出もあるのですが、冷たい雨に手がぬれて思い出すのは、やはり寂しい思い出です。

*「ひのある雨」とは、俗に「きつねの嫁入り」といって、弱い日差しがあるのに小雨の降っている状態を指しているのだと思います。

小鳥の雨のときには「目」がぬれる
 「目がぬれる」とは、涙が出てくるということです。
寂しいことを思い出すと涙が出てくるということで、目が雨にぬれたわけではありません。

*「小鳥の雨」とは、雨の日に遠く小鳥の声が聞こえるという状況です。

この歌は、「雨」と「ぬれる」がキーワードになっています。
「からまつ林を雨の日に歩く。」
これは、すべての歌詞に共通したことで、場面によって、「ぬれる物」が変わるということです。

全体の意味としては、
「手が冷たい雨にぬれ、寂しい気持ちになり、忘れていた悲しい思い出がよみがえり、涙が出てくる。気がつけば、冷たい雨に身も心も濡れて涙が出ていた。」
こういう状況・気持ちの変化を、から松林に降る色々な雨にイメージとして乗せたものです。


秋の雨のときには「手」がぬれる
 た...続きを読む

Q唱歌「椰子の実」の現代語訳・解説について

唱歌「椰子の実」の現代語訳や解釈などついてインターネットでいろいろ調べてたのですが、見つかりませんでした。全文について、どなたかご存知の方かおられたら教えていただけませんでしょうか。
参考HPもあれば助かります。

Aベストアンサー

現代語訳と仰っても、もとの詩の格調を保って訳すなんて事は出来ませんが
おおよその雰囲気を掴んで戴ければ幸いです

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何処か遠くの島から(ここに)流れ着いた椰子の実1つ

(その島の)岸を離れて、お前は何ヶ月波に揺られてたどりついたのか

(お前が実っていた)樹は立派に茂って、その枝は影を落としている(というのに)

私もお前と同じ、(優しい故郷を離れて)一人放浪の浮草暮らしなんだよ

その椰子の実を胸に当ると、思えば遠くへ来たもんだと寂しい気持ちになる

夕日が海に落ちるのを見ると、故郷を想って泣けて来る

打ち重なる波を見て故郷のことを懐かしく思い出す、いつか必ず故郷に帰ろうと誓った
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Q歌「知床旅情」歌詞、ピリカの意味?

歌「知床旅情」の歌詞、ピリカの意味についてお尋ねします。
カラオケで外国人に<ピリカが笑う>のピリカって何?と質問を受け、「アイヌ語で海鳥のことと思う」と答えると、近くの知人が「違うと、美しいということだよ」と訂正しました。
でも<美しいが笑う>という意味は変だと思いませんか。歌詞の正確な意味をご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

非常にいい加減な私の記憶によると
昔々、森繁久弥さんが何かの番組で詩の解説をされていて、
その時は、「美しい娘」だと仰っていました。
幼い時にアイヌのコロポックルに興味を持った私は、
「美しい娘」は「ピリカメノコ」という事くらいは知っていましたが、
なにせ日本の歌詞って、結構違う読ませ方してますから、そういう類かと思っていました。

<参考・アイヌ語>
ピリカ=美しい・良い
ピリカオッカイ=美男子
ピリカクル=善人
ピリカメノコ=美少女
ピリカルアンペ=きれいな者

<参考・歌詞などの違う読ませ方>
生命=いのち、女=ひと、男=あなた・・・・結構ありますよね。

Q言葉の意味  語源

古い歌の歌詞に (はろけさ...)と言う言葉がありました
使用例(山の峠のはろけさよ、、、)この言葉の意味や語源を知りたいのですが、どなたか教えて下さい。

Aベストアンサー

「静けさ」を例にします。

静(しづ)けし ⇒ 静けさ…「静かさ」の度合い、もしくは、「静か」という意味

遥(はろ・はる)けし ⇒ 遥けさ…「遠さ」の度合い、もしくは「遠い」という意味

「はろ」と読むのは、奈良時代以前か、それが現代まで残った地方方言ではないか感じます。

万葉集に、
・夏山の木末の茂に霍公鳥鳴き響むなる声の遥けさ(1494)
・秋萩の散りの乱ひに呼びたてて鳴くなる鹿の声の遥けさ(1550)
・ほととぎす鳴く音遥けし里遠みかも(3988)
などの例があります。

Q浜辺の歌の意味がわからない

浜辺の歌の1題目、2題目までは意味がわかるのですが、3題目の意味がわかりません。教えてくださいませんか?

はやちたちまち 波を吹き
赤裳のすそぞ ぬれもせじ
やみし我は すべていえて
浜辺の真砂 まなごいまは

西東社刊 「童謡・唱歌 こころの歌」より

Aベストアンサー

はやちたちまち 波を吹き
赤裳のすそぞ ぬれもせじ
やみし我は すべていえて
浜辺の真砂 まなごいまは

東風が波の上を吹き、
着ていた赤い服がすっかりと濡れてしまったことだ
病んだ自分は癒えてきたが、
浜辺の砂,いや,私の子どもはどうしているのだろうか
http://www7a.biglobe.ne.jp/~hnet/haturatu/hamabenouta/hamabe.html


「はやち」は疾風(はやて)で、
「ち」は東風(こち)の「ち」と同様、古い日本語で風を意味します。

「赤裳」は赤い着物。
「ぬれもひじし」は「濡れ漬つ」という複合動詞の間に、
意味を強める係助詞「も」を挟んだもの。

「漬つ(ひつ)」は、「沾つ」とも書き、水につかる、濡れるという意味。
末尾の「し」は、過去を示す助動詞「き「の連体形。
「すそぞ ぬれもひぢし」で、
裾がすっかり濡れてしまったという意味の係り結び。

「真砂」は、一般にはマサゴと読み、細かい砂を示します。
次の「まなご」も同じ意味。
「まなご」には愛子という意味もあります。
4番が消失してしまったのでわかりませんが、
古渓は「まなご」に真砂と愛子の2つの意味を、
掛けていた可能性があります。


だそうです。
なんか、どこを見ても、この歌の3番はイワクツキのようですね。

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/01/post_e4b4.html

はやちたちまち 波を吹き
赤裳のすそぞ ぬれもせじ
やみし我は すべていえて
浜辺の真砂 まなごいまは

東風が波の上を吹き、
着ていた赤い服がすっかりと濡れてしまったことだ
病んだ自分は癒えてきたが、
浜辺の砂,いや,私の子どもはどうしているのだろうか
http://www7a.biglobe.ne.jp/~hnet/haturatu/hamabenouta/hamabe.html


「はやち」は疾風(はやて)で、
「ち」は東風(こち)の「ち」と同様、古い日本語で風を意味します。

「赤裳」は赤い着物。
「ぬれもひじし」は「濡れ漬つ...続きを読む

Q70歳代から80歳代 知っている歌

グループホームで働いていますが、歌が好きな方が何人かいらっしゃいます。

70歳以上の方は、どんな曲をご存知ですか?また、介護職をされている方は、レクの時間でどんな曲を歌いますか?童謡、歌謡曲なんでもいいので教えてください。また、無料、安価でCDや歌詞が載っている本など教えていただければありがたいです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://takurou.co-site.jp/ikoi/

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/warabe.html#top

上記のサイトを参考にしてみてください。

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)


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