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卒論の位置付け。

大学院も視野に入れています。(国内&海外)
卒論の内容は大学院で修論とリンクしていた方が良いですか?

学部の卒論をしていますが、研究したかった内容が倫理の観点も含め、出来ないことがわかり、その時に少し興味があった内容を研究することになりましたが、院に行ってもその研究をすることは自分自身無さそうで。大きく研究内容を変えるかそのまま続行するか悩んでいます。

大学院も視野に入れていますが、確定ではなく、願望です。まず、留学して語学力をつけて、その後ビジネスの道に進むか、学び直しで大学院に進学するという考えです。ある程度自分の金銭の基盤が出来てからになるかも知れません。

何か自分の知らなかったことを発見することや、学ぶことが楽しいので、研究機関、教育機関に興味があります。また、メーカーだったり、商社だったり、ビジネス、マネジメントにも興味があります。

自分のキャリアプランと結婚、出産と含めて考えると難しいなあと思います、、。

質問者からの補足コメント

  • 皆さん沢山の回答ありがとうございます。

    研究機関、教育機関というのは、研究職や大学教授だったりを考えていますが、そう簡単になれるものではないと理解していますので、研究機関、教育機関というふうに記しました。何かを発見することや、学ぶことが楽しい瞬間の1つなので、本当は研究職や大学教授になりたいです。

    実際の学部は文系で、健康スポーツ学部です。教育、スポーツ科学(バイオメカニクスや生理学、医学、心理学など)、スポーツマネジメント、社会学を学んできました。最初に興味があったのは、生理学、医学の分野でした。この分野の最先端の研究で飯を食べて行くには、高校からずっと文系の私に出来るのかと疑問に思ってます。そして、学校で使える機械などが限られているのと、倫理的な観点で学部の卒論では研究できないと分かり、こちらの内容は辞めました。(ちなみに、遺伝学などが含まった内容でした。)

      補足日時:2018/11/14 00:11
  • そして私の人生の目標というか、こうなって行けたらいいのでは無いかと思うことがあります。それは、日本のスポーツ環境がもっと気軽にスポーツ・運動を行える環境にすることです。
    私が海外に何回か行ったときに感じたことです。海外はプールが無料で使えて、市民がアクアズンバを楽しんだり、ビーチバレーコート、サッカーコートが無料で使用でき、毎日仕事終わりに老若男女が楽しむ環境がありました。海外と日本のスポーツ環境の差に驚きました。日本も平均寿命が高いことから、衛生面的にも先進国で、国民は健康志向で、スポーツ環境が整っていないというわけではないと思います。ですが、日本でスポーツ・運動をするには、必ずお金がかかります。私は病気になってしまった人の多くの医療費を負担することも大切ですが、病気にならないようにするために気軽に運動が行える環境設備も大切だと考えています。

      補足日時:2018/11/14 00:12
  • もっと国民がスポーツ・運動が気軽に行える環境作りが大切であると考えているので、それを一歩でも前進するようにしていきたいと思っています。
    平均寿命と健康寿命の差を縮め、国民が健康に生活できるように尽力したいと考えています。

    上記のことをするには、上記の研究もそうですが、スポーツ界において発言力のある立場まである程度登らないと、微々たる前進もしないと思っています。
    なので、研究職や教育機関、ビジネスで成功していきたいと思っています。

      補足日時:2018/11/14 00:13
  • ビジネスは戦略を立てて工夫することで、売り上げが上がったりすることは楽しいだろうと思っているのと、現在の学歴や思考力で、ある程度の金銭の基盤ができるだけの研究職や教育機関につけるのかどうか読めないのが不安なので、企業に就職(メーカーか商社)するのも選択肢に入っています。

    人生なんて、何が起こるかわからないので、自分の考えるキャリアプランのまま行くとは思っていないのですが、キャリアプランを踏まえて、卒論の内容に悩んでいます、、。
    長々とすみません。

      補足日時:2018/11/14 00:14

A 回答 (5件)

修論は卒論とリンクしている方が楽ですし、深い分析ができると思います。

ただし学位論文を書いたことのある者としては、直にリンクさせる他に、似たような現象が起きている世界が無いか探すという方法論はどうかとお薦めしてみたいと思います。世界は人間が作っていることが多いので様々な類似の事象が方々の分野で起きることがあるので、そこをつつくと面白い研究になります。
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ご質問者がやりたいこと・興味があることを読む限り,ほぼ何でもいいように思えます。

が,まず卒論と修士テーマとの関係から。僕は工学系なのであくまでも参考まで。
 僕ら工学系だと,テーマを自分で決めることはほぼ不可能です。なぜなら,今学会で何が問題になっているかという専門知識がほぼ無いからです。ですから,ほぼすべての卒論テーマは配属された研究室(そこは学生が希望して決めますから,学部で学ぶ知識の範囲ではその研究テーマの傾向や内容はほぼ知っています)の教授・准教授・助教が提示したテーマから学生が選びます。その研究はもしかしたらあと一年で完成すると先生は考えているかもしれませんし,まだ5年くらいは続けないと結論は出ないかもなぁというものもあります。前者であれば修士では違うテーマを提示されるでしょうが,後者なら継続して欲しいと先生に言われるでしょう。工学系だとそういう風になっています。特に大規模な実験や数年にわたる現場の経過観察を対象とする場合には,複数の学生が複数年続けています。一方,工学系でも,東大のある学科・専攻の場合は,学部の研究室とは異なる研究室を修士では選ばないといけないらしく,他の大学でもそういったところもあるようです。広く知識を深めるためでしょうね。ということで,何が言いたいかわからなくなってきましたが,テーマは先生と相談しましょう。一般論というのはあり得ません。そのテーマの発展性や現在の達成レベルは他人の僕らにはわかりません。
 さて院に行くかどうか。建設系の民間企業から見たら,学卒と修士卒に区別・差別はしません。初任給は後者が若干高いですけども。最終的には人柄と意欲で採用を決めます。ただし,30年以上前よりは,修士で学ぶ知識も重要だという認識を多くの企業は持ってくれています。しかし,研究をしたかどうかはあまり重要視されていないと思います。最近は社会人入学で博士を欲しがる企業(ま,大学側も大人の事情で社会人博士課程学生が欲しい)が,実は大学の博士課程までを修了した博士は採用してくれません。ということで,少なくとも工学系なら修士課程までなら就職のチャンスに学卒との違いはほとんど無いと思います。博士課程まで行っちゃうと・・・
 次に海外か日本か。大昔ですが僕が米国に留学したときは,英語はできなくても指導教員はインテリですから,また工学系ですから式と図表で間違いなく意思は通じました。でも就職は難しいでしょうねぇ。後輩には米国でそのまま研究所などに就職したのもいますが,日本の大学院時代の指導教員やその回りの方々とのつながり・推薦などが無いと,なかなか日本の民間には就職できませんでしたね。当時はたくさん日本人留学生がいて,学位取得後はたいていが日本の大学や研究所に就職できていましたが,今はほとんど日本人留学生そのものがいないらしいです。また奨学金も留学生にはなかなか出してくれなくなった(当時の僕らは全員ボスから授業料と生活費を貸与奨学金としてもらっていました。いわゆる RA ってやつです)という噂もあります。しかも米国の場合は PhD のためのプログラムが原則だという印象を持っています(ただ MBA は当時から日本人留学生は大勢いました,今もいると思います)ので,修士をとるのが容易かどうかは知りません。ある意味,修士号は不名誉な(PhD がとれなかった)学位という位置付けをする大学もありますし,僕らが留学していたとき,修士だけの学生はほとんどいませんでしたね。今は知りません。おっと,文系特に MBA の場合は,留学して英語を身につけるのでは手遅れです。入学時に英語で自由にディベートができる能力が必須です。
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リンクしていなくても大丈夫です。


私、私立大から国公立大大学院修士に行ったので、全然、リンクしていませんでした。
博士コースまで行って、学位取りましたけど、大学でやったことと違う大手企業で働いています。
(景気の悪い時だったので、研究に絡んだ就職先は全然、ダメでした)

研究内容が変わると、研究室が代わるのか、変わるのであれば、受け入れてくれる先生がいるか。
あるいは卒研の先生のところで、異なる研究テーマになるのか、先生と相談してみてはどうでしょうか?。

人生、レールを引いた通りには行きませんよ。
色々と考えている様なので、人生のことを真剣に考えていて、良いことだと思いました。
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将来、研究者や教育者として給料を取ろうと考えているのでなければ気にする必要なし。

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現実に根差して考えているようなので、こちらからアドバイスできることはあまりありません。



一つ言えることは
「人間確たるものがなくとも決断しなければならない時があり、むしろことが重大になるほどそういう傾向が強くなる」
ということです。
もう子どもの時のように大人がレールを敷いてくれるわけでないのですから。

あとは、あなたがどれだけ
「人事を尽くして天命を待つ」
の意味をかみしめ、実行できるかです。

余談ですが、ユリウス=カエサルでさえルビコンを渡るとき
「賽は投げられた」と言いました。
(それを将兵の面前であけすけに言ってしまうところがこの人物の非凡なところですが)
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