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No.10
- 回答日時:
あのー。
。。「参戦してなかったら」って意味がわからんですよ。
参戦というのは途中から首突っ込むことですよ。
日本とアメリカと始めた戦争に参戦もへったくれもないでしょ。
あなたの言いたいのは「戦争を回避していたら」ということでしょ?
それを前提に回答します。
あの時戦争を回避していたら日本は亡国、
つまり現在日本という国はなかったはずです。
では説明しましょう。
あの戦争にいたった理由は細かいことまで含めるといろいろあります。
複合的な問題による国家間の軋轢からなのですが
柱としては日本のアジアへの進出に対しアメリカが脅威に感じこれを封じんがために起きたものです。
日本は当時中国(満州)、朝鮮半島(日韓併合)などへの進出をしていました。
もちろん資源がほしいということもありましたし富国強兵という主義もありました。
これをアメリカは脅威に感じ、武力と経済圧力(石油の禁輸)で阻止にかかったのです。
中国から手を引け、朝鮮半島から手を引け、という要求です。
では、もしこの要求に応じて手を引くとどうなると思いますか?
当然それだけで済まされるはずないですよね。
次の要求をしてくるでしょ?
日本は石油で抑え込めば何でも言うことを聞く、というレッテルを世界に貼られてしまいます。
次には、沖縄よこせ、北海道よこせ、アメリカの属国となれ!とやってきます。
アメリカは傷一つ負うことなくソ連や中国の喉元の日本を手に入れることができるのです。
そうなっては日本はもう日本ではなくなります。
そこで、石油の備蓄があるうちに戦う道を選んだのです。
戦争を決めた戦争突入前最後の御前会議において、
軍の最高幹部の一人が天皇に進言します。
「アメリカの要求をのめば我が国は亡国となりましょう、
しかし負けても戦えばその歴史が必ずや日本を燦輝させることでしょう」
とね。
言った通りになったじゃん!
次の要求を考えると戦争は回避できなかったんですよ。
回避=アメリカの要求を呑む
ということですから、日本は亡国となったわけです。
無条件で負けた日本をアメリカが支配しなかったのは
アメリカがこの戦争で思い知らされた日本人の気質のため
内に入れるのをやめたんです。やがて厄介な存在になると考えたからなんです。
この戦争で負けた、ことについては非常に大きな犠牲を払いましたが
一方で大きなものを日本は獲得したんです。
それは「国民主権」
それまで天皇主権でした。
もし戦争がなければあのまま天皇主権だったはず。
軍隊は天皇の軍隊だったんです。
いくら天皇でも軍隊の端々まで目が届きませんから
天皇の威を借る軍隊は威張り散らし国内ではやりたい放題だったことでしょう。
なのでもう一つ、戦争をしなったら、を考えると
今でも軍国主義で
軍隊が一番偉く、強兵にの部分に金を使い開発途上国だったかもしれませんね。
No.7
- 回答日時:
実を言うと、大東亜戦争は回避できました。
この質問はもし回避されたらと言う事ですが、今の日本の国際問題は一切なくなっています。
間違いなく今より良い日本になっています。
これだけですと暴論に聞こえると思いますので説明します。
大東亜戦争を回避する最後のターニングポイントは、国際連盟脱退といわれています。
国際連盟脱退は、「日本が脱退せざる終えない状況に追いやられた」と思っている人も多いのですが、実は違います。そう思っていたのは、内田康哉と内田の意見を鵜呑みにした当時の首相と、当時の世論です。そして、その当時の世論の空気を鵜呑みにしている現在の多くの人です。
リットン調査隊の提言は、「満州の主権は中華民国。自治権は日本。」というものです。これを額面通りに受け取ったのが内田です。
しかしこれはブルガリア式と呼ばれ、露土戦争の時のブルガリアの統治案を満州にも採用したものです。
露土戦争では、ブルガリアの主権はトルコ。自治権はロシアですが、この主権とははっきり言って意味はないです。ブルガリアはロシアのものと同じ意味です。
体裁上、「主権はトルコ」と言う事にしないと、国際情勢が納まりが効かないからその様にしました。
満州もこれと同じで、日本側の主張は殆ど通った事になります。蒋介石はこれの提案を聞いて怒り狂ったそうです。リットン調査隊が行った事は、「中華民国に華を。日本に実を。」というものです。
日本側のヨーロッパの外交官は一人を除いて、リットン調査隊の意図を理解しました。その意図を理解できていない唯一の人物が、内田康哉です。
もしも、内田康哉が「まともなヨーロッパの外交官」であったら、日本は石油を絶たれる事もなく、追い詰められてナチスと手を結ぶと言う汚点も残さず、イギリスやアメリカやオランダと戦争をする事無く、「第二次世界大戦」は、「ヨーロッパ大戦」となっていたでしょう。
それら友好を維持していれば、戦争など起こるはずもありませんでした。
本来は友好国であったイギリスやアメリカと戦争する羽目になったのは、コミンテルンなどの工作があったのも事実ですが、全ての原因がコミンテルンではありません。内田康哉のようなものを盲信するようなバカな言論が日本中に蔓延していました。コミンテルンはそれに付け込んだにすぎません。
回避できた戦争を、頭が良いはずの日本人が、正しい言論が通じない時代になったために、自ら滅びの道を選択して行った末路なのです。
通州事件などが原因でシナ事変に発展しましたが、当時のチャイナは現在のシリアのような状況で、チャイナ人通しで殺し合いをしていた状態です。
通州事件が起きても蒋介石が日本人の保護を行わないならば、日本自ら日本人の保護(チャイナに軍事侵攻)しても当時の国際法では合法ですが、その当時では「そんなに日本人が嫌われているならば、チャイナから日本人を全員撤退させた方が安上がりである」と言う意見もありました。
しかし、正しい言論が通じないほどバカになっていました。(とはいえ、イギリスとアメリカとの戦争が回避されていれば、シナ事変は問題なかったでしょう。)
イギリスとアメリカの友好を維持し、常任理事国だった国際連盟を脱退せず、ナチスと手を組む事無く、通集事件では国際社会に中華民国の蛮行を公言するだけで、素直にチャイナから日本人を撤退させているという正しい選択が出来れば戦争にもなっていませんし、現在の日本の国際問題である、「北朝鮮の拉致問題」「北朝鮮の核の脅威の問題」「尖閣の問題」「北方四島・竹島の領土問題」などは起こっていません。
たぶん、イアンフ問題や中国の歴史問題も、敗戦を経験していないので起こりえないでしょう。(イアンフ問題は、吉田証言などの日本人が自ら問題化したもので韓国はそれを利用しているにすぎません。しかも、イアンフと言う売春婦の存在の告発が、いつの間にか性奴隷の問題に摩り替わりました。このすり替えも、イアンフをセックススレイブと訳した日本人が原因です。「ナンキン大虐殺」の問題も、毛沢東時代の中華人民共和国ではそんな問題は起きていません。政治利用されただけです。しかもそれを一番広めているのは日本の歴史学界です。敗戦を経験しなければ、その様な日本を貶めたがっている日本人が日本を支配する事はないので、その問題も起こっていないでしょう。)
No.3
- 回答日時:
日本はどこかの国の植民地になっていたでしょう。
また、アフリカ、アジア、南米も欧米主要国の植民地状態のままでしょうね。
皮膚の色による人種差別政策も継続していて、男女差別ももっと酷いまま続いていたはず。
No.2
- 回答日時:
内田樹先生の随筆の受け売り(誤解してるかも)ですが,大正と昭和初期の文化人・芸術家がきちんとした文化・芸術活動ができていれば,現在の日本の文化・芸術もかなり違った発展をしていたかもしれない,だったかな。
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