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歴史の勉強?について。


最近司馬遼太郎の小説にハマって読み始めました。

読んでいるうちに学生の時勉強した日本史をすっかり忘れている事に気づき、改めて勉強し直したいなと思うようになりました。


大人でも気軽に日本史を勉強できる本があったら教えて頂きたいです。(^^)


できれば電車の中でも読めるような手軽な物ありますでしょうか??


またお勧めの歴史小説があったら教えてください!

A 回答 (8件)

歴史『小説』ではありませんが、



日本の国の歴史の流れ、本当の歴史の流れをお知りになりたいのでしたら、

現在、50万部というとてつもない売れ行きをしている

百田尚樹氏の「日本国紀」がお薦めです。

私も、どちらかというと「歴女」に入ると自負していますが、

この「日本国紀」を読んでいて、目から鱗でした。

「歴史の流れ」がよく掴めました。

縄文時代から現在までの「事実の流れ」が理解できますよ。

若い方たちにお薦めの一冊です。
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冲方丁『天地明察』『光圀伝』はよかったですねぇ。


渋川春海の暦算、水戸光圀の史伝に対する、それぞれの生い立ちや立場からくる屈折と事業に対する情熱を鮮やかに描いていたと思います。

日本史全体の勉強しなおしでしたら、お手軽コースだと『もう一度読む山川日本史』がおすすめでしょうか。
全国進学校御用達の『詳説日本史B』を一般成人向けにした感のある本ですが、スタンダードな日本史を学びなおすなら是非。
入手できれば『詳説日本史B』そのものもよいです。が、ちょっと厚くて重いけど『詳説日本史研究』の方が手に入れやすくて更に詳しいです。
エッジのきいた日本史本や歴史小説を読んで、あれ?歴史の通説ではどうなんだろう?と思ったときに立ち返る原点になります。

じっくり学びたければ中公文庫『日本の歴史』全26巻を是非。上記各書の26倍は詳しく丁寧に書いてありますので、読んでいる途中でのモヤっと感が格段に少ないです。厚手の文庫本ですから通勤のお供にも向いている、かな?
日本史全体を本格的に勉強しなおすのでなければ、特に第1巻(古代)から順番に読む必要はありません。お好きな時代から始めても全く問題ないですし、例えば幕末明治とか、戦国~安土桃山~江戸初期までとか、興味のある時代だけ読んでもよいでしょう。
(小生の大学同期生で歴史学専攻の人は、たいてい中公文庫の『日本の歴史』『世界の歴史』を高校時代に読破していました)

石ノ森章太郎『マンガ日本の歴史』(中公文庫、全55巻)でもOK。文字が続くのが辛いという方は、こちらのほうがとっつきやすいと思います。
おそらく、多くの公立図書館に置いてあると思います。
図録など、絵画や写真を別個に用意しなくてもよいというのはマンガの大きな利点ですね(とはいえ多くの場合本物ではないので、実際には後で写真や実物を見る必要がありますけれど)

そのほか、色々な日本史本が書店や図書館に置いてありますが、基本を押さえたいならこの辺が鉄板だと思います。

以上、ご参考までに。
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司馬遼太郎先生の作品良いですよね。

私は「燃えよ剣」で新選組の土方歳三に嵌りました。だから、幕末は新選組押しなので官軍側の話は読みめません。私の一押しは「上杉鷹山」こんな人の下で働きたいと思いましたし、感動で泣けました。フィクションで良ければ「鬼平犯科帳」も長谷川平蔵のカッコ良さと、文章の素晴らしさに感動です。中村吉右衛門さんのシリーズを想像しながら読むと最高です。
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最近のテレビで、東進ハイスクールの名物社会科教師が、「まんが日本歴史」を読んで、後はちょこっと参考書の問題を解けば、「東大に受かる!」って言ってましたよ。



また、その教師自身は、学校での勉強などほとんどせず、「歴史の本を読み漁っただけ」と言ってましたが。
私もそんな感じで、日本史の成績は抜群に良かったです。
司馬遼太郎さんの作品は、ほぼ全読してるんじゃないかな?
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No.2の方に禿同。


例えば『国盗り物語』は読まれましたか?史実の中にはお万阿のかわいらしさ、美しさ、切なさは多分ないと思いますよ。
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澤地久枝先生の「滄海(うみ)よ眠れ」。

ミッドウェイ海戦の経過を史実をもとに調べ上げたものです。読み物としても優れていますし資料としても一定の価値があると思います。
 他の方もおっしゃっておられますが、司馬先生の著作は小説であって歴史資料的価値が高いとは言えません。「司馬史観」という言葉もあるくらい、司馬先生独自の視点にたって書かれています。物語としては抜群に面白いですけれど日本史の勉強にはならない、むしろ誤った価値観が芽生える可能性があると思います。
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司馬遼太郎は小説家です。

某新聞に以下のことを書いています。
『 歴史小説を書いていてよく質問されるのはその史実性のことである。
 「あれは、本当にあったことですか」
 創作的立場にある者としては、これは返答しなくていい質問であるとおもっている。小説はそういう質問をうける性質のものではないからである。 (以下略) 』 (「司馬遼太郎が考えたこと」新潮社 2001年 に掲載)

つまり司馬は史実を重要視していません。司馬の小説から史実を知ることは無理です。
もし貴殿が史実を重要視したいのなら司馬は読まない方が良いです。一般に小説として書かれたものは史実はデタラメなものが多いので注意しましょう。

小生は松本清張の「昭和史発掘」を推薦します。大正から昭和初期の不可思議な事件をとりあげたノンフィクションです。昭和45年頃に週刊誌に連載、その後13巻構成の単行本と文庫本になり現在は9巻に再構成されたものが市販されています。一話読切りになっているのでどこから読んでも構いません。圧巻なのは二二六事件。よくぞここまで調べたな、と史料の多さには唖然とさせられます。
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社会人に成ってるなら


学校教育の歴史に拘らず

色々と読んだ方が良いと思いました

歴史の解釈ってね
右寄りや
左寄り

勝者の歴史
敗者の歴史

解釈は千差万別やからね

調べれば、調べる程
謎が深まりますよ

回答、お薦めは特にありません
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Q織田信長の小性 森蘭丸は 有名ですが。 今で言うと 代議士の有能な秘書。 身の回りの 職務をこなす

織田信長の小性 森蘭丸は 有名ですが。

今で言うと 代議士の有能な秘書。
身の回りの 職務をこなす 頭のキレる 信頼できる人間。

この時代だと 性の相手になる事も 普通らしく
寧ろ 現代とは 全く 認識も違い。
強く有名な武将の関係を 自慢すらする。

そこで質問

豊臣秀吉の右腕
石田三成も そのような 感じだったのでしょうか??

Aベストアンサー

後世の伝説として、石田三成と秀吉が愛人関係であったと『石田軍記』には書かれています。 また、織田信忠(信長の嫡子、本能寺の変で横死)と秀吉が男色関係にあったという話がまことしやかに語られていた記録もあります。 当時の武将であれば男色趣味がないはずがない、という通念によるものと思われます。 実際は、豊臣秀吉は男色に興味を持たず女色一筋だった事が良く知られています。 有名な逸話としては、『老人雑話』に、以下のような記載があります。

羽柴長吉は太閤の小姓、比類なき美少年也。太閤、或時、人なき所にて近く召す。日頃男色を好み給はぬに故に、人々皆奇特の思ひをなす。太閤問ひ給ふは、『汝が姉か妹ありや』と。長吉顔色好き故也。
(羽柴長吉は太閤秀吉の小姓で、比類ない美少年であった。太閤は、ある時、長吉を人のいない場所で近くにさし招かれた。常日頃、太閤は男色をお好みではないので、人々はこれを知ってみな珍しいことだと思ったのである。さて太閤が長吉に御問いになった内容はといえば、『お前に姉か妹はいないか?』という事であった。長吉の顔が美しいため姉妹がいればさぞ美人だろうと思ったためである。)

羽柴長吉は池田信輝の三男で、秀吉の近臣として「羽柴」姓を名乗るのを許可された人物です。 秀吉が、美少年を目の前にしながら、本人には興味を持たずその姉妹が美人だろうと考えるあたり、筋金入りの女好きであると共に男色には縁がなかったことを如実に表しています。

後世の伝説として、石田三成と秀吉が愛人関係であったと『石田軍記』には書かれています。 また、織田信忠(信長の嫡子、本能寺の変で横死)と秀吉が男色関係にあったという話がまことしやかに語られていた記録もあります。 当時の武将であれば男色趣味がないはずがない、という通念によるものと思われます。 実際は、豊臣秀吉は男色に興味を持たず女色一筋だった事が良く知られています。 有名な逸話としては、『老人雑話』に、以下のような記載があります。

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Aベストアンサー

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Q侍の勝負

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西部劇のガンマンのような感じの。

「ゆくぞ!」
「かかってこい!」
(緊張が解け、両者共に鞘から抜刀して人振り。スパンッ。相討ち)

みたいな。

歴史に詳しい方お願いします。

Aベストアンサー

戦争ではなく、一対一の決闘形式の斬り合い
ですね。

実際の記録をいくつか紹介します。


永遠に続くかと思われていたにらみ合いを
やって、その後双方が突進した、と思ったら
片方が倒れた。

エイヤ、と斬り込んだが、間合いが遠すぎて
届かず。
それどころが、自分の膝に斬りこんでしまった。

さあ、斬り合いだ、と思った瞬間、意識が遠のき、
相手がはるか遠くにいるように感じた。
気がついたら相手が倒れていた。

誰かが侵入したらしい。
刀を持って待ち伏せしていたが、無性に喉が
乾き、雑巾を入れたバケツの水を飲み干した。
相手はそのまま姿を見せず、逃走。

たかが試合だって、極度に緊張するのが現実です。
それが刃物を持った殺し合いですよ。
緊張は極限状態に達します。
通常の精神状態で殺し合いなど出来ません。





久しぶりにるろうに剣心の実写版を観ましてですね、
「やっぱりアクションは凝っていて、大迫力やなあ」と感心しました。
 ↑
あんなアクロバット剣術など存在しません。
あれは映画用のただの見世物です。

下半身をしっかり大地に踏ん張っていなければ、
作用反作用の法則からいって、人を斬ることなど
不可能です。

戦争ではなく、一対一の決闘形式の斬り合い
ですね。

実際の記録をいくつか紹介します。


永遠に続くかと思われていたにらみ合いを
やって、その後双方が突進した、と思ったら
片方が倒れた。

エイヤ、と斬り込んだが、間合いが遠すぎて
届かず。
それどころが、自分の膝に斬りこんでしまった。

さあ、斬り合いだ、と思った瞬間、意識が遠のき、
相手がはるか遠くにいるように感じた。
気がついたら相手が倒れていた。

誰かが侵入したらしい。
刀を持って待ち伏せしていたが、無性に喉が
乾き、雑巾を入れた...続きを読む

Q太平洋戦争時には米軍は日本人を猿と見ていましたね?

それはもっと前から白人が黄色人種をそう見ていた思いますが戦争勃発後の米軍は日本人を猿と見ていたのでかなり残酷な方法で殺すことができたのではないかと色々な本を読むと見えてきます。B29による無差別爆撃は焼夷弾による焼き殺しですから害獣を駆除しているがごときに思えてなりません。白人から見ると有色人種は人間とは見なしていないので日本人だけが猿扱いではないと思いますが、

Aベストアンサー

ハルノートのハルは、兵士達に檄文を
送っています。

ドイツやイタリアに対しては、あいつらは
米国に来られなかった臆病者だ。

日本に対しては、あいつらは猿だ。人間ではない。
だからどんどん殺しても構わない。

これに比べれば、ルーズベルトの人種差別は
マシなほうです。

フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、「有色人種への差別が格別に強かった」と、ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」

Q1600年関ヶ原の戦いで宮本武蔵は本当に戦に参戦したんですか? もし参戦したのならどのくらいの活躍し

1600年関ヶ原の戦いで宮本武蔵は本当に戦に参戦したんですか?
もし参戦したのならどのくらいの活躍したのか詳細まで知ってればなによりです。

Aベストアンサー

はじめまして、

No3さんの内容にほぼ同意なのですが、宮本武蔵が関ヶ原合戦に参加しただろうというのはほぼ定説です。
16歳でしたら元服をしている可能性が高いので、当時でしたら一人前、戦争に参加するのはあたりまえでしょう。

規模のおおきい戦場では多数の軍勢がぶつかりますので、剣豪とはいえ活躍するチャンスはありませんし、実際記録もありません。
島原の乱にも幕府軍の一員として参加していますが、一揆軍の投石により負傷しているぐらいです。
剣豪といえども一対一ならともかく団体戦や乱戦になればたいしたことはないんですね。

以下ウィキから2カ所を引用します

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは父の新免無二が関ヶ原の戦い以前に東軍の黒田家に仕官していたことを証明する黒田家の文書が存在することから、父と共に当時豊前国を領していた黒田如水に従い東軍として九州で戦った可能性が高い。

島原の乱では、小倉藩主となっていた小笠原忠真に従い伊織も出陣、武蔵も忠真の甥である中津藩主・小笠原長次の後見として出陣している。乱後に延岡藩主の有馬直純に宛てた武蔵の書状に一揆軍の投石によって負傷したことを伝えている。また、小倉滞在中に忠真の命で宝蔵院流槍術の高田又兵衛と試合したことが伝えられている。

宮本武蔵(ウィキ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/宮本武蔵
(URLはコピペしてください)

はじめまして、

No3さんの内容にほぼ同意なのですが、宮本武蔵が関ヶ原合戦に参加しただろうというのはほぼ定説です。
16歳でしたら元服をしている可能性が高いので、当時でしたら一人前、戦争に参加するのはあたりまえでしょう。

規模のおおきい戦場では多数の軍勢がぶつかりますので、剣豪とはいえ活躍するチャンスはありませんし、実際記録もありません。
島原の乱にも幕府軍の一員として参加していますが、一揆軍の投石により負傷しているぐらいです。
剣豪といえども一対一ならともかく団体戦や乱戦にな...続きを読む

Q西郷隆盛は天才だったのでは?

西郷隆盛が中央政府に戻った明治4年から明治6年に中央政府を去るまでの日本の歴史を見ると、西郷隆盛は、写真嫌いという古い時代の人間だったにも関わらず、弟から海外視察の内容を聞いただけで世界的な動きを直感的に感じ、日本の進むべき方向性を理解し、今やるべきことをわかっていた人のように感じます。

 そのうえで、驚くほど権力欲がなく、人の能力を見極め適材適所で人を活用する能力に著しく秀でていたように思います。

以上から、西郷隆盛が稀代まれな天賦の才能を有していたのではないかと思うようになりました。
この考えは正しいのでしょうか?

Aベストアンサー

西郷隆盛が中央政府に戻った明治4年から明治6年に中央政府を去るまでの
日本の歴史を見ると、西郷隆盛は、写真嫌いという古い時代の
人間だったにも関わらず、
弟から海外視察の内容を聞いただけで世界的な動きを直感的に感じ、
日本の進むべき方向性を理解し、
今やるべきことをわかっていた人のように感じます。
  ↑
ハイ、ワタシもそう感じました。




そのうえで、驚くほど権力欲がなく、人の能力を見極め適材適所で
人を活用する能力に著しく秀でていたように思います。
  ↑
ここがポイントです。
西鄕さんが解りにくいのは、私欲に乏しい
からだと思います。
私欲に乏しいから、どういう人間像なのか
把握しにくいのです。
彼ほど解りにくい人物はおりません。



以上から、西郷隆盛が稀代まれな天賦の才能
を有していたのではないかと思うようになりました。
この考えは正しいのでしょうか?
 ↑
特別な才能を持っていたのではなく、私欲に乏しかった
ということだと思います。

彼は一度死んでいますね。
あれで私欲を無くしたのでしょう。
私欲が無くなれば、適格な判断が出来るように
なるのです。

西郷隆盛が中央政府に戻った明治4年から明治6年に中央政府を去るまでの
日本の歴史を見ると、西郷隆盛は、写真嫌いという古い時代の
人間だったにも関わらず、
弟から海外視察の内容を聞いただけで世界的な動きを直感的に感じ、
日本の進むべき方向性を理解し、
今やるべきことをわかっていた人のように感じます。
  ↑
ハイ、ワタシもそう感じました。




そのうえで、驚くほど権力欲がなく、人の能力を見極め適材適所で
人を活用する能力に著しく秀でていたように思います。
  ↑
ここがポイントです。
西鄕...続きを読む

Q江戸時代 江戸幕府はキリスト教を迫害、弾圧したのは一体何故でしょうか。

江戸時代 江戸幕府はキリスト教を迫害、弾圧したのは一体何故でしょうか。

Aベストアンサー

簡単に言うと、キリスト教を布教する人たちが
幕府に逆らうことが多かったからと
世界征服の先兵と考えられたから。



信長の時代はかなり自由な交易と共に布教も自由でした。
秀吉の時代になって、1587年にはバテレン追放令が出されます。
この理由には諸説あり、
 ・外交権を掌握してキリスト教の権限をそぐ。
 ・九州での奴隷売買
 ・キリスト教による神社仏閣への迫害
等が考えられています。
この時は布教の制限が目的で、信者への弾圧が目的ではありません。

この後、遭難したスペイン船が日本側の取り調べに
キリスト教を使って世界を征服している旨の発言をしたとされ、
(サン=フェリペ号事件、諸説あります)
秀吉が激怒して1596年に禁教令が出されます。
ただし、この時も改宗を強制するなどの処置は取られていません。

江戸時代に入り、それまでと同様の政策でした。
しかし、日本の政治体制に組み込まれることを拒み、
独自の活動を行うことで周囲と軋轢を生じ、
対抗する神社仏閣やイギリス・オランダの讒言で
どんどん印象を悪くしていました。

1609年にはポルトガルのノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号
(マードレ・デ・デウス号)事件が起こり、
(注 この事件自体はキリスト教とは関係ありません)
それに連座したキリシタン大名有馬晴信の処刑と共に
本格的な禁教令に移行します。

それでも布教しようと、スペイン商人に偽装して
日本に入国した宣教師が捕らえられ(平山常陳事件)、
幕府側は激怒し、元和の大殉教と言われる(55名を死刑にしました)
強硬策に出て以後は本格的な禁教となり、迫害・弾圧していきます。

簡単に言うと、キリスト教を布教する人たちが
幕府に逆らうことが多かったからと
世界征服の先兵と考えられたから。



信長の時代はかなり自由な交易と共に布教も自由でした。
秀吉の時代になって、1587年にはバテレン追放令が出されます。
この理由には諸説あり、
 ・外交権を掌握してキリスト教の権限をそぐ。
 ・九州での奴隷売買
 ・キリスト教による神社仏閣への迫害
等が考えられています。
この時は布教の制限が目的で、信者への弾圧が目的ではありません。

この後、遭難したスペイン船が日本側の取り...続きを読む

QNHK大河ドラマ『西郷どん』は本当?

西南戦争の最中に、西郷隆盛と奥さんが戦場で対面したという話は本当ですか。信じられない。

Aベストアンサー

島流しから戻った後、1度再会したと記憶していますが、西南戦争のときではなかったのでは。
ドラマだから現代の人のウケが良いように脚色してあるのは当然のことです。
もし真実をそのままドラマ化すれば、西郷さんに対するイメージが悪くなってしまうかもしれませんからね。
まあ、今と時代が違うんだから、何が善で何が悪かなどなど、価値観も違うのだから
もしタイムテレビのようなものがあってそれで西郷さんとその周辺を見たら、ショックを受けるかもね。

Q日本軍が中国国民党軍を追いかけ南京で虐殺を起こす。これは日本国が認めているのに、無関係の中国八路軍(

日本軍が中国国民党軍を追いかけ南京で虐殺を起こす。これは日本国が認めているのに、無関係の中国八路軍(中国赤軍)と支持者の子供が靖国神社放火て、放火は重罪て知らないの?

Aベストアンサー

戦争というのはどちらも都合の良い解釈をしますが事実を冷静に見れば解る事です。
しかし、21世紀に放火が正しいという国は無いと思います。
国内法に従って裁けばよい事です。どこの国にも変なのが居る。

Q歴史上で、世界で、一番勇気のある人物は誰だと思いますか? 又は、皆さんが知っている人物の中で、一番勇

歴史上で、世界で、一番勇気のある人物は誰だと思いますか?

又は、皆さんが知っている人物の中で、一番勇気がある人は誰だと思いますか?

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「地球は青かった」の名言で有名な、ユーリィ・ガガーリンですかね。人類史上で初めて、大気圏外へ突出して宇宙飛行した人なので。その後不幸にして事故死されましたが、やはり勇敢ならではだったからだろうと。しかしそれ以前に宇宙圏まで、勝手に放り出された実験動物たちの方がよっぽど可哀そうですけどね。


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