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黒冬→ →灼夏→白秋
は覚えているんですが、春の部分がなんだったか意味はどんなのだったか覚えていません。
分かる方いたら解説して下さると助かります(>人<;)

質問者からの補足コメント

  • 季節を表してるのでは無く人生についてだったと思います(一。一;;)
    生まれた時から20歳までは黒い冬で~の様な感じだったと思います。
    そちらも知っている方がいたら教えて下さい!!;;

      補足日時:2018/11/21 20:13

A 回答 (7件)

青春


朱夏
白秋
玄冬

では?
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この回答へのお礼

そうでしたか!ありがとうございます!( *´꒳`*)

お礼日時:2018/11/20 23:15

青春 朱夏 白秋 玄冬 色と季節の組み合わせ。

年代も。
青龍 朱雀 白虎 玄武 色と神獣の組み合わせ。
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・青春


・朱夏
・白秋
・玄冬

中国の五行説で、「青色・朱(赤)色・白色・玄(黒)色」は、それぞれ「春・夏・秋・冬」の季節に対応した色とされていることから、こうした表現がある。
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玄冬→青春→朱夏→白秋


意味は見た通り。万物みな萌えいずる春、青は緑ですね。
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#3です。


補足拝見。

>季節を表してるのでは無く人生についてだったと思います(一。一;;)

季節の移り変わりを人生変転の比喩として使うのは、よくあることです。
玄=黒という意味ですから、玄冬は黒で象徴される感情、つまり鬱屈として押し込められた不遇の時期を意味する。
その後で、雪が解け春が来て草花が芽吹くように、心が伸びていく予感を覚えるのが春。
青春の青は草芽の色を意味し、つまり、若さやこれからの希望や期待に満ちた時代を象徴している。
「青春」じゃなければ、「萌春」などでも同じような意味になるかもしれない。
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>季節を表してるのでは無く人生についてだったと思います(一。

一;;)
生まれた時から20歳までは黒い冬で~の様な感じだったと思います。
そちらも知っている方がいたら教えて下さい!!;;

だれがそんなことを言ったのですか。
 玄冬から始まるのではなく、やはり青春から始まります。人生で言えば玄冬は晩年です。中国での使い方ですが。日本独自の使い方など聞いたことがありません。すべて中国に習ったもので、二十四節季なども、立春に始まり、大寒で終わっています。太陽暦だとかなりずれるので、太陰暦(旧暦)で考えてください。「立春」は「節分」の前で春の初めになります。その頃が旧暦のお正月です。(二月正月ということも行われます。)

 もっとも、戊辰戦争における会津藩の武士の隊名は独特のもので、参考にはなりません。
白虎隊 16歳から17歳までの武家の男子
朱雀隊 18歳から35歳までの武家の男子
青龍隊 36歳から49歳までの武家の男子
玄武隊 50歳から56歳までの武家の男子
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春は、青春ですね。

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それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

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長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
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漢字は中国で発明されて、中国語として使われて、後に朝鮮に渡って、日本人に漢字の書き方や読み方を教えたのは当時の朝鮮人ですか?回答をお願いします、

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まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着した人も多いと思います。また、新羅による朝鮮半島統一の頃に大量の朝鮮人が移民として日本に流入して土着しており、日本史では渡来人と言う表現に変化しています。
これが、私の仮説で、根拠は以下のとおりです。

・現代日本の話し言葉と100年前の話し言葉はかなり違う。
・現代日本の話し言葉でも東北や鹿児島のお年寄りが方言で話している内容は、我々にはほとんど理解できない。
・中国語の文法は英語とほぼ同じであり、韓国語と日本語の文法もまたほとんど同じである。
・発音の特徴でみると、中国語と韓国では似たような発音もあるが日本語の発音は全く違っていて、日本語にはsとsh、rとLなどの発音の違いはない。
・古代中国の船は黄河や揚子江をさかのぼったり、渡河することが主な目的のため、古代ヨーロッパのような外洋船の造船技術や航海技術は有していなかった。
・このことから、古代における中国と日本の航海ルートは朝鮮半島経由のルートしかなく、他のルートについては漂着レベルである。
・古代における朝鮮半島と日本の航海ルートは、壱岐・対馬経由で、昼間の見通し航海が通常の方法。
・663年の白村江の戦いにより、日本と朝鮮半島との国交が途絶え、これ以後の遣唐使は、東シナ海経由による中国と日本の直接ルートになったが、遭難確率が異常に上昇する。
・また、日本に外洋船の造船技術や航海技術がないことが遣唐使の廃止に繋がり、遣唐使廃止により中国との公式な国交も途絶え、これ以後、日本語は独自の発展を遂げる。
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・李氏朝鮮時代の1446年にハングル文字が出来上がったことで、韓国は漢字を捨てハングル文字になっているが、これは全ての文章をひらがな文字のみにしているのと同じこと。現代日本人には到底考えられないことです。
・漢字は世界的に見て、非常に不思議な文字であり、日本人は漢字による多大な恩恵を受けています。それは、漢字を見ると意味だけではなくイメージすることができる。いわゆる漢字脳が出来上がっています。

以上長くなりましたが、とってもとっても素敵な質問、ありがとうございました。

まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
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私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
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明日会議があったんだ。
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は、「明日会議がある」という内容を「の」で捉え直し、それを過去に確認したことを「た」で思い出し、これを「の」で捉え直し「だ」と肯定判断しています。

昨日会議があったんだった。
は、「明日会議があった」という内容を「の」で捉え直し、「だ」と肯定判断し、その後さらにその判断を過去のこととして捉え直し「た」と表現しています。

言語は、話者の認識の表現なので、その話者の認識の観念的な運動が背後にあり、これを正しく捉えなければなりません。■

「のだ」の「の」は形式(抽象)名詞で、「だ」は肯定判断を表す助動詞の「だ」です。

明日会議があるんだ。
は、「明日会議がある」と言う内容を媒介的に実体として「の」で捉え直し、「だ」と肯定判断しています。つまり、内容を実体的に「の」で捉え直し、自分の判断を相手、聞き手に明確に打ち出しています。

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は、「明日会議がある」を「の」で捉え直し、それを過去に確認したことを「た」で思い出し、「だ」と判断をしています。

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