出産前後の痔にはご注意!

親の実家には江戸時代の書類みたいのが残っていて、それには、江戸時代になってからぐらいの代々、苗字名前世襲のご先祖様が何代もと奥さんの名前と、それと親が言ってましたが武士身分であることも書かれてるんじゃないかなと、おっしゃってましたね(ただ、郷士とも藩士とも書かれておらず武士とだけ書かれてるみたいですが・・)
それと、ご先祖の時代、家がどういうふうな暮らしをしてたかを書かれた書類もあるそうです
でも家系図はないんです
こうゆう書類をなんと言うんですか?それと庶民もみんな、こうゆう書類が残されているんでしょうか?
親は、なんの書類なのか憶えてないみたいです
私のご先祖は農村で武士をしていて、途中から藩勤めもしてたそうです

A 回答 (2件)

ざっくりと「**家文書」と呼ばれて博物館のバックヤードに未整理で置かれていることがありそうな類いですね。


郷士など呼び名は様々ですが、純然たる農民ではないがお城勤めも仕官もしていない苗字帯刀の家はいくつもあったようです。

おそらく、由緒書きとか、日記とか、勤務記録みたいなものとか、雑多な書類の集合体ではないでしょうか。

詳しくは、古文書の読み方を知っている方(地元の高校の日本史の先生や博物館の方におられることがあります。由緒が面白そうなので、江戸時代の研究をしている教授がおられる大学の文学部にある日本史の研究室に問い合わせると協力していただけるかもしれません)に鑑定してもらった方がよろしいかと。

庶民と言っても千差万別でして、ゆとりがあって和歌や俳句・漢籍までかじるような家だと、そのような文書が残されていたりします。
生活に余裕のない階層(江戸などの都会で長屋に住んでいたり、農村でいわゆる水呑百姓をしていたり)には、当然文書を残すようなスペースもありません。お寺の過去帳にはしっかり記録が残っていることも多いのですが……
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この回答へのお礼

書類は親の実家にあるんですが、簡単には貸してくれそうにないですね、調べたいんですけどね

お礼日時:2018/11/28 07:29

系図が、古い家には、残されていて、苗字帯刀を許された、(武士や、名主など)の家にあった見たいでした。


私の叔父(本家)の家にも系図らしきものが有った様に記憶がありますが、叔父の話しでは、清和源氏の流れを汲むとのこと。
本当のところは、古道具屋から、古い系図を買い取り、それに叔父の親や祖父母などを書き足した、怪しげなものと、父から、聞いたものでした。
昔は、庶民には、字が読めず、当然、系図は、不在で、武家や、僧侶、神官、苗字帯刀を許された、地主や、名主にのみ、系図が許されたものでした。
後年、金のある庶民が系図を買い、先祖は、武士で有ったなどと、ホラを吹いたものでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2018/11/28 07:24

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ーーーー ラルフ・タウンゼンド及びF・ヴィンセント・ウィリアムズ ----

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