マンガでよめる痔のこと・薬のこと

良く此の様な表現が見受けられますが、此は日本語として正しく無いのでは?

質問者からの補足コメント

A 回答 (4件)

外国語を直訳するから変な解釈が出るのじゃないですかね


文化の違いは翻訳の際に置換しないとね

日本語で表現するなら
「寿司は大好きな食べ物のうちの一つ」
とかでいいですし
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この回答へのお礼

同感です、私の質問の意味をかみ砕いてご回答頂感謝致します。

お礼日時:2018/11/28 09:06

英語でよく見られる表現ですね。


たとえば「最も好きな食べ物」に関して
食べ物すべての中で好きなものは一つ。
和食の中で好きなもの一つ、中華でも一つ、洋食で一つ…と細かいジャンルで区切ったとき
または肉料理、魚料理、野菜系、デザート系とか
一つに絞れないくらい色々好きなとき、悩むじゃないですか。
「寿司は最も好きな食べ物たち(複数形)のうちの一つ」という言い方をしても通じませんか?
この回答への補足あり
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これは私も少し気になっていました。



でも、dmk33さんの言う「最もが複数ある場合」を考えてみると、この言い方はありかなと思いました。

例えば、「クラスで最も足が早い内の一人」の場合は対象は1人なので、この表現は変です。
でも、「クラスで算数のテストの点数が最も高かった内の一人」だと、100点の人が複数いた場合は、変ではありません。

使い方によって、変だったり、変じゃなかったりする言葉ということでしょうか。
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最もが複数有る場合がもあります



この表現は英語でも頻繁に使われます
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まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着した人も多いと思います。また、新羅による朝鮮半島統一の頃に大量の朝鮮人が移民として日本に流入して土着しており、日本史では渡来人と言う表現に変化しています。
これが、私の仮説で、根拠は以下のとおりです。

・現代日本の話し言葉と100年前の話し言葉はかなり違う。
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・また、日本に外洋船の造船技術や航海技術がないことが遣唐使の廃止に繋がり、遣唐使廃止により中国との公式な国交も途絶え、これ以後、日本語は独自の発展を遂げる。
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・漢字は世界的に見て、非常に不思議な文字であり、日本人は漢字による多大な恩恵を受けています。それは、漢字を見ると意味だけではなくイメージすることができる。いわゆる漢字脳が出来上がっています。

以上長くなりましたが、とってもとっても素敵な質問、ありがとうございました。

まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着し...続きを読む

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ちなみに、人事部からのメールはどちらも使わず
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まだ入社前なので「お疲れ様です」は使わないほうがいいでしょう。
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Aベストアンサー

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやすく、私も勉強になりました。(私は、意味がほぼ同じで活用などが同じなら、品詞をごちゃごちゃ議論することもないだろう、という怠惰な考えだったので、あまりまじめに考えたことがありませんでした。要は、同じ語形が「多少」違った使い方をされるだけで、「基本的な」ところは一緒だろう、と思っているのです。)

皆さんが触れられていない点で、私が重要だと思うのは、「です」にも2種類ある、という考え方です。
これは、たぶん私の学生時代(ン十年前です)から言語学のほうではそうだったと思うのですが、確証はありません。私はずっとそう考えてきました。
今回、改めて国語辞書の記述を見、辞書の付録の「助動詞活用表」などを見て、「です」が一つしかない(「丁寧な断定」という用法)ことにちょっと驚いたくらいです。まあ、国文法の分析が言語学(少し前の「日本語学」)と違うのはよくあることですが。

かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

上に書いたとおり、「です(1)」のほうは、「だ」の丁寧な形、です。「断定」(この用語は好きではありませんが)の助動詞で、丁寧さによって形が分化します。
   学生 だ/です   まじめ だ/です

それに対して、「です(2)」のほうは、「だ」とは対立しません。
   美しいです (×美しいだ)
この「です(2)」は、「断定」の機能を持たず、「美しい」という、すでに「断定」の機能を持った言い切りの形に「丁寧さ」を加えているだけです。つまり、「断定」の助動詞ではなく、「丁寧」の助動詞です。(動詞文の「ます」に対応します)

また、「です(1)」は活用を持ち、「でした/でしたら」という形になります。
   学生でした   紅葉の名所でしたら、例えば、、、
(「でしょう」を活用形とは考えません。「だろう/でしょう」は一語の助動詞と考えます。)

それに対して、「です(2)」は活用を持ちません。
   ×美しいでした (美しかったです)  ×美しいでしたら (美しかったら)

(ここで、「美しいなら」の「なら」を、「だ」の活用と見るか、という問題も関係するかもしれませんが、まあ、これは「なら」をどう考えるかという、もっと複雑な問題になります。私は、「だ」と「なら」は、少なくとも現代語では、別物と考えます。)

ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。

ちょっと話の流れを変えます。
日本語の文の分析法として、文を「命題+モダリティ」という形で考えるということがあり、かなり一般的になっています。(国語学では「叙述+陳述」という、似た考え方が昔からあります。)

これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。
これは、用言のいわゆる「活用形」や助動詞によって表されるわけです。「ね」や「よ」などの終助詞もモダリティを表すとされます。

ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。
前からの呼び方では「文体」の一つの要素なのでしょうが、それは文を文として成り立たせる必須の要素、つまり「文法」の一部なのか。

で、私の考えでは、「形容詞+です」の不安定さは、この、「丁寧さ」が文を終結させるためのモダリティとしては不十分だ、というところにあるのではないか、となります。

「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」は、「断定の助動詞」に丁寧さが加わったもので、立派な(文を終結させる「力」を持った)モダリティですが、
   学生/まじめ です(断定+丁寧)
「形容詞+です」の「です(2)」のほうは、「丁寧さ」だけの機能しかないので、
   美しい(断定?)+です(丁寧)
という形が、文の終わり方としてどうも安定しない、と感じられるのではないか。

「美しいです」が不自然だという人も、「美しいですか/ね/よ」などにすると安定するように感じる、というのはなぜか。これに対するうまい説明は今のところないように思うのですが、どうでしょうか。(単に私が知らないだけかも)
終助詞「か/ね/よ」が文終結のモダリティとしての機能を持つからだ、と考えるとうまく説明できます。
   美しい+です(丁寧)+ね/よ/か(確認/主張/質問など)
もちろん、「でしょう」をつけても、「でしょう」の持つ「推量(あるいは確認)」というモダリティによって文として安定します。
   (たぶん)美しいでしょう。
   (どうですか?)美しいでしょう?

これは、世代が違ってもあまり変わらないようで、今の若い人も「形容詞+です」には何らかの不安定さを感じるようですが、どうでしょうか。
「「ね」や「よ」をつければ自然だから、変じゃないよ」というのは、上に述べたように「形容詞+です」の弁護にはなりません。

以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。
(さらに、「文が終わる」とはどういうことなのか、「文成立の要件」となると、もう、根本的な議論になり、わけがわからなくなります。「文とは何か」ですから。)

この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。

   「どうですか?」「いやあ、なかなかがんばってますねえ。面白いです!」

などと、ある種の強調を込めた言い方をすると、それなりに自然な文として成り立つように(私には)思われます。
(語調が(文終結の)モダリティの機能を肩代わりする? 語調が文の意味を変えることは、「ある。」「ある?」など、ごくふつうのことです。単に「歩く。」と言うと描写あるいは意志に過ぎませんが、「(さっさと)歩く!」とある語調で言うと「命令」になります。)

なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。

「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやす...続きを読む

Q日本語の中で、繰り返す表現はなんですか

日本語の中で、繰り返す表現はなんですか

Aベストアンサー

>でも、形容詞、形容動詞、動詞、名詞,全部繰り返すことができますか?

はやばや(早々 「早い」という形容詞の語幹を、繰り返して副詞として使う)
いやいや(厭々 「いやだ」という形容動詞の語幹を、繰り返して副詞として使う)
時々  (「時」という名詞を、繰り返して副詞として使う)
みるみる(「見る」という動詞を、繰り返して副詞として使う)
がたがた(擬態語ー副詞)
ピーピー(擬声語ー副詞)
 このように「副詞」としての用法がほとんどです。

「おいでおいで」は名詞です。
「ヤレヤレ」「これこれ」は感動詞です。
また、思いついたら解答します。

Qこの人はいい人かもしれないと思ったら 「この人はいい人そうだ」といいます。 この人は賢いかもしれない

この人はいい人かもしれないと思ったら
「この人はいい人そうだ」といいます。
この人は賢いかもしれないと思ったら
「この人は賢そうだ」といいます。
しかし、
この人は可愛いかもしれないと思ったら
「可愛そうな人だ」というと失礼になります。
この時なんと言えばいいのですか?
何かちょうどいい言葉はありませんか?

Aベストアンサー

いい人らしい。
賢そうだ。
きっと可愛い(だろう)。(1311tobiさん提案)

Q姿見の発音は?

姿見の発音は?

Aベストアンサー

アクセントないですね

すがたみ
→→→→

Qアドバイスの「ましょう」

外国人に教える日本語文法の質問です。
ダイエットについて、医者が「昼はたくさん、夜は少し食べましょう」と言う部分があります。この「ましょう」は勧誘のましょうでもなく、申し出のましょうでもありません。
アドバイスの「ましょう」という説明ではだめですか?文法的にどういう説明をしたらいいのでしょうか。

Aベストアンサー

以下の辞書([日本国語大辞典])よりの引用の(3)の用法 「勧誘・命令」の「う」の前に「ます」「です」などの「丁寧語」がついて「ましょう」「でしょう」になっただけで、「う」が勧誘・命令であることに変わりはありません。
「語誌」の(5)にあるように、「でしょう(です)」「ましょう(ます)」丁寧語に付いた形です。「日本語文法」では「勧誘」「命令」「申し出」などに細分化しているようですが、勧誘の発展と考えていいと想います。さらに「アドバイス」まで付け加えるのは好みかもしれませんが、そこまで話を面倒にする必要はないと思います。

う〔助動〕
(活用は「◯・◯・う・う・◯・◯」。助動詞「む」の変化したもの。古くは、「む」と同様、すべての活用語の未然形に付いたが、現代では五段活用の動詞、形容詞「…かろ」、形容動詞「…だろ」、助動詞「ます」「です」「た」「だ」の未然形に付く。⇔よう)

(1)話し手の意志、決意を表わす。…しよう。
(2)現在、または未来の事柄について、話し手の推量を表わす。…だろう。
(3)相手に対する勧誘、または命令的な意を表わす。…しよう。…しろ。       ←〇
(4)当然、適当の意を表わす。…のはずだ。…して当然だ。…のがよい。
(5)(連体修飾または準体法として)未来のこと、仮説について一種婉曲の心持ちを加える。
(6)(「…うか」の形で)疑問、質問、反語の意味を表わす。「こんなものが役に立つだろうか」
(7)(「…うとす(る)」の形で)動作、作用の行なわれる直前の状態であることを表わす。「会はもう終るだろう」
(8)条件を仮定し、それに逆接的な動作、作用が続く。「だれが何をいおうと私は行く」
(9)(「も…うに」「…うものを」などの形で)ほかの可能性も考えられるのに、とある事柄を非難する前置き的用法。「事もあろうに、教師が盗みを働くとは」


語誌
(1)(2)(3)→省略
(4)一八世紀の後半頃から、終止連体形に接続した「だろう」が推量表現に用いられるようになると、「う」「よう」は意志を表わす用法に偏るようになった。
(5)佐伯哲夫氏の国定国語読本(第一〜六期=明治三七〜昭和二四年)を対象とした調査によれば、おおむね期を追って推量の「う」「よう」は「だろう」「でしょう」等に交替している。ちなみに、天気予報の「晴れましょう」を「晴れるでしょう」に変えることを決めたのは、NHKでは、昭和三八年一二月の放送用語委員会であったという。

以下の辞書([日本国語大辞典])よりの引用の(3)の用法 「勧誘・命令」の「う」の前に「ます」「です」などの「丁寧語」がついて「ましょう」「でしょう」になっただけで、「う」が勧誘・命令であることに変わりはありません。
「語誌」の(5)にあるように、「でしょう(です)」「ましょう(ます)」丁寧語に付いた形です。「日本語文法」では「勧誘」「命令」「申し出」などに細分化しているようですが、勧誘の発展と考えていいと想います。さらに「アドバイス」まで付け加えるのは好みかもしれませんが、そこま...続きを読む

Qこんにちは、皆さま、私は日本語を勉強中の中国人です。いくつかの日本語の質問は理解できません。「おはよ

こんにちは、皆さま、私は日本語を勉強中の中国人です。いくつかの日本語の質問は理解できません。「おはようございます」このセンテンスは何のとき使用しますか?
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「おはようございます」を使う時は他にありますか?
私はGoogleで検索しました、たくさんの違い答えがあります。そして、ここで日本の本地人を聞くます。
私の質問文は不自然の表現の可能があります。どぞよろしくを願いします。

Aベストアンサー

質問文について、なるべく原文を残す形で添削しました。参考にして下さい。

こんにちは、皆さま、私は日本語を勉強中の中国人です。いくつか理解できない日本語があります。例えば「おはようございます」です。このセンテンスはどのような時に使用しますか?
毎朝のお互いの挨拶であることは知っています。
「おはようございます」を使う時は他にありますか?
私はGoogleで検索しました、たくさんの違う答えがあります。そこで、日本人の方に聞きます。
私の質問文は不自然な表現の可能性があります。どぞよろしくお願いします。

ご質問について
おはようございます、は基本的に朝の挨拶です。Good morning です。特殊な職域や状況では使われることもありますが、生きている間に遭遇することは滅多にありませんから気にすることはありません。枝葉末節に捕らわれず基本事項の学習にお励み下さい。

Q「する」の可能形

「される」は「する」の受身、尊敬形だと思いますが、可能、自発形でもあるのでしょうか。

Aベストアンサー

>される には可能の意味もある(あるいは、あった)ということですね。
「勉強さ・れる」は「サ変動詞」の未然形に「れる」(「れる・られる」の「れる」の方)が付いたものです。これが今でも正しい形と考えられています。しかし、実際使うと「受身・尊敬・可能・自発」の意味を兼ねているため、分かりにくいのは確かです。
そこで、「勉強+できる」(勉強ができる)という「複合動詞」の方が分かりやすいことが理由で使われます。
 なお、「れる・られる」(せる・させるも同様)は、「れる」は五段活用に付き、それ以外の(上一・下一・カ変・サ変)活用には「られる」付くという分類が分かりやすいのですが、「サ変」だけは「五段」と同じように「れる・せる」がつきます。
 勉強さ・れる(勉強さ・せる)

>できる が する の可能動詞と言えると思いますが語源的には する と できる は全く別のものでしょうね。「できる」は可能の意味を持った動詞です。(上一段活用)


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