マンガでよめる痔のこと・薬のこと

人生なにが起こるかわからない

と思った経験や聞いた話など

ありますか?

A 回答 (8件)

あるよ。

911でのこと。当時、NYCのハーレムに住んでたの。
結果はご存知の通り。不幸な方も多くいた事件。
あの時、あのビルが崩れ落ちるちょっと前まで地下にストップしていた地下鉄に乗っていた人の話。
皆で MOVE!MOVE!と叫んだそう。動いて、ホッとして、タイムズスクエアに到着して、ホテルに入った時にやっと体温を感じたらしく
、血の気が引いていたんだろうねって。その後、真っ白にほこりをかぶった人たちが、Uptownに戻ってきたのを見て、一瞬の判断で、ほこりをかぶることもなくホテルに戻れたけど、あの時に地下鉄が動いてなかったら、、、と。
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・同級生が落雷で亡くなりました。



・息子がぼったくりバーでお金を巻き上げられましたが、その店のオーナーが殺されました。ニュース報道で知りました。金銭上のトラブルが原因と思われる、と言ってました。

・昔、仕事上の接待の席でお酌をしているときに聞いた、役員さんの身の上話です。
ニコニコと笑いながら、
「あはは、僕はそのうち殺されて死ぬから」。
え、何の悪い冗談?と思って尋ねてみると、
「僕の家は過去4代位に渡ってろくな死に方をしていないんだよ」。誰々が他殺、誰それも他殺、誰とかは焼死、更に誰とかは…と聞かされました。だから自分もそうなる可能性は高い、との話でした。
一寸返答に困ったのを覚えています。
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副社長に昇格したら社長にいじめられて3年で退社した。

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転職した先で、10年のうちに副社長まで昇進した。

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足に慢性的な痛みが走り生活が困難になってた時のことですが…。


どうも攣るような痛みだったのですが、急に雨が降り出したら雨音と共に足の痛みも激化しました。
天気が悪いと傷が痛むといった話を聞きますが、まさかわが身に起こるとは。
それにしても振り出したとたんに痛み出すとはわかりやすすぎる。

この痛みは、障害者の社会参加を少々批判的に扱う小説を発表してから痛み出すようになったんです。
障害者のことを悪しざまに言う人に対して、『そういうこという奴が障害者になる』なんて揶揄する人がいますが、そういう意味でもわが身に起こるとは思ってもいませんでした。

まあ、偶然でしょうけどね。
悪しざまに描いてるのではなく、シビアに描いただけでしたし。
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近年及び、最近の地震は誰でもそう思うのではないのでしょうか?

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鬱病が原因で会社やめて死のうかな、と思っていたら電話がかかってきました。


個人経営の喫茶店に飾ってもらっていた私の作品を気に入った人がいて、その人から絵を描いてくれないかとお願いされました。
もう死ぬからどうでもいいやと思ってタダで絵を描いてプレゼントしたら、数日後に現金で150万円を頂いてしまいました。びっくりですね。
人生なにがあるかわかりません。今はフリーランスで仕事していて収入も会社員時代より多いです。
あの人がいなかったら死んでいたかもしれませんね。
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>ありますか?


山ほどある・・けれど
こんなところでご披露はできまへんな
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Q評価

人より神の評価を気にする人いますか。

Aベストアンサー

はーい。

Q仏教にも、キリスト教にも、イスラムにも、おみくじはありませんが、なぜ、神道には、おみくじがあるのでし

仏教にも、キリスト教にも、イスラムにも、おみくじはありませんが、
なぜ、神道には、おみくじがあるのでしょうか?

Aベストアンサー

他の宗教では、たいてい代表取締役的なリーダーは1人ですが、神道は、八百万の神という言葉にあるように数多くのリーダーが存在します。

他の宗教ではリーダーが明確なため、お願いごとをリーダーに届けるのが比較的容易ですが、八百万の神々にお願いしたところで、その願いが叶うか否かは不確定です。

不確定なことなので、願いが叶うか否かを判断する占いのような仕組みが発達したのだろうと推測されます。

神道では、願いが叶うか否かはわからない。でも叶うか否かを知りたい。そんな方々のために、おみくじがあるのでしょう。

Q心から信じていれば命さえも懸けられる

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命綱が切れないと心から信じているから命を懸けているではありませんか。この事実があるのに何故、皆さんこの事実を否定されるのか。事実判断を皆さんの価値判断で否定することなどできませんよ。事実そうなのですから。

「本当に信じていれば、全財産や命さえも懸けられる」というフレーズは色んな難しい社会的問題を解決できる魔法の言葉なのです。
例えば 従軍慰安婦問題も「本当に韓国政府が従軍慰安婦問題(少女二十万人拉致、性奴隷)があったと心から信じているなら、もし間違っていたら竹島を無条件で返してもらうぞ」と言えばそれで片が付くのです。何故なら韓国政府は本当は慰安婦の証言など信じていないのですからです。

このようにこのフレーズで多くの難問は解決できるのです。皆さんも「本当に、心から信じていれば命さえ懸けられるだろう」という言葉に嫌悪感を示さずにどんどん使いましよう。あらゆる難しい問題もすぐに解決できるのですから。

「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命...続きを読む

Aベストアンサー

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越されね荒海のおかげで、他の文化とは遮断され、縄文時代から現在に至るまで数千年かけて世界的にも類を見ない特異で独特な文化、すなわち価値観を築き上げてきました。外国で生活してみるとへーって思うことばかり。日本人の考え方ってこの国の人とそんなに違うのかって思い知らされることばかりです。例えば、日本人てこの地球上で性善説を信じている唯一の文化を持った国民なんですよ。そして、話し合えば解ってもらえると信じている人が態勢を占めている。

でも、日本以外の国では陸続きだったために互いに侵略しあい、戦に負ければ男どもは殺され、女どもとその子供は奴隷にされてきた。長い歴史の中でそんなことを繰り返してきた人々に性善説を信じよといっても無理です。

もちろん、日本人の作り上げてきた価値観の中には、外国の一部の世界で作り上げてきた価値観と共通した部分がないわけではなく、その共通項の部分のために、日本人が尊敬されている部分もあります。例えば正直であるとか、約束を守るとか、名誉を重んじ恥づべきことをするなという価値観です。このような価値観は、昔のギリシャや中世の西欧や日本のように、常態が群雄割拠で、いつも小国同士が小競り合いの戦さをしていた歴史を持った国に共通した価値観です。そしてこれは、基本的に武人たちが国を支配してきた世界に生じた価値観です。武人は基本的に理系人間で、技術と合理性を重んじる文化を作り上げてきた。しかしこのような小国による群雄割拠が常態であった地域は世界史的には例外に属しています。

世界史的には、圧倒的に大多数の民族は常態が群雄割拠ではなくて、強大な力を持つ政府による中央集権でした。中央集権国家では、小国同士ような小競り合いもほとんどなく長期にわたって安定して平和が保たれていました。そしてこの安定した中央集権国家の支配者は官僚と呼ばれる文系人間でした。戦さもなく社会が安定しているゆえに官僚が世襲化されるようになる。この世襲化された官僚のことを貴族とも呼んでいました。このような安定した社会の支配層を維持するために必要なのは、技術でも合理性でもなく、前例という伝統を重んじる固定化された価値観です。そのように合理的な根拠もなく支配されている一般民衆の中に、性善説など生じる余地がない。

しかし、安定した社会の内部の発展による富の蓄積や外部の予期せぬ環境の変化によって、この伝統による支配の説得力は徐々に失われて行きます。だから、歴史的に見て腐敗しなかった官僚は存在していません。時代と共に官僚は必ず腐敗します。その腐敗に我慢ができなくなった時に短期間の大混乱が起こって、新たな連中によってまた新しい長期の中央集権の安定期に移行して、そのうちにまた腐敗して短期の混乱が起こって、、、とこれを繰り返してきたのが、上記の古代のギリシャ、西欧、日本という群雄割拠地域を除いた地球上の圧倒的に大多数の民族の歴史です。

上に述べたように、このような文民支配による中央集権制度では、合理性よりも前例に基づいた伝統が重んじられる。もちろん、その伝統は偶然の成り行きで出来てきたために、各民族で全然違っています。そのようなそれぞれ違った根拠で出来上がってきた彼らのそれぞれ違った価値観を、合理的な論拠に基づいて話し合えば解り合えて一つの価値観に統一できるはずがありません。唯一できることは、互いに価値観の違いがあることを認識し、それを認め合って、一方の価値観を相手に押し付けずに、それぞれのやり方に任せることです。

真木さんの言う、死の覚悟を持って、とか、名誉を重んじ恥じた行為をしない、とか、公に尽くす、と言う価値観は古代のギリシャ人や群雄割拠で戦争に明け暮れた西洋人や源平以降戦国時代を経験した日本人には理解できるでしょう。しかし、このような武人支配を長年続けてこず、文系の官僚支配を続けてきたにこの地球上のほとんどの国の人には理解できない価値観だと思います。そのような国とうまくやってゆくためには、日本人独特な価値観を相手に強要するのではなくて、某元防衛省大臣がおっしゃったように「丁寧に無視」しながらお付き合いが最善の方法だと思いあますが、どうでしょうか。

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越...続きを読む

Qクリスチャンではない日本人の意識について 私はクリスチャンではないのですが、よくさまざまな教会へ行き

クリスチャンではない日本人の意識について

私はクリスチャンではないのですが、よくさまざまな教会へ行きます。
教会によって違った特徴があるのでそれを目的に見に行っているといってもいいかもしれません。

今回は旅行先の沖縄で日曜礼拝に参加しました。
そこは観光地なので、会う人達に「今日はどこへ行ったの?」と聞かれるので、普通に礼拝に行ってきました。と伝えると、ワンテンポおいてから「へぇ、、、」みたいな返事になってました。(その後で、クリスチャンだったんか…と影で言われました)また、その教会の道中、道を聞いたりすると地元民でも「ちょっとそこはよくわからないかな」といって濁されてる感がありました。

私は宗教関係は特に何も意識することはないのですが、日本人的には気にしちゃうのでしょうか?地域差とかあるのでしょうか?もしかして、タブーだったりするのでしょうか?

沖縄は教会が多いイメージがあって、他の県より抵抗みたいなのが少ないと思っていたのですが、そんなことはなかったみたいです。

詳しい方教えていただきたいです。

Aベストアンサー

私は沖縄県民ですがキリスト教だけが偏見があるのでは無く、布教活動のある宗教に良い印象が無いと思います
私は歴史的な寺社仏閣を巡る事は私も好きですし、遺産的な価値のあるイタリアの教会には憧れもあるので貴女の気持ちはわかります。
しかし信仰心もマナーも無くパワースポットと呼ばれる場所へ行けばご利益があると勘違いした有象無象の観光客と一括りにされると嫌だなとも思っています。
日本だと人の信仰は自由だけど関わりたくないと思うのが大多数かと思いますが、そ
私は沖縄県民ですがキリスト教だけに偏見があるのでは無く、布教活動のある宗教に良い印象が無いのだと思います
日本では他人の信仰は否定しないけど勧誘してくる宗教には関わり合いたくないのが一般的ではないでしょうか?
単純に沖縄は戦争で死体がゴロゴロあったので死体置き場の後にアメリカ人が建てた教会が結果的にゴロゴロあるだけだと思います。
なので慰霊碑的な宗教施設だと思うんですね。礼拝は洗礼を受けた家族が習慣で通うようなイメージです。

Qなぜ神様は恵まれない人たちを救済しないのですか?

なぜ神様は恵まれない人たちを救済しないのですか?

Aベストアンサー

人の幸不幸は、神に原因があるのではなく、自分自身にあるのです。

神に原因であれば救っていただける場合もあるでしょうけれど、人間(本人)に
原因があるのであれば、自分で何とかしなければならないし、自分でしか救えない
ものなのです。
逆に、自分に原因がある事を自覚して、真剣に努力すればその不幸な原因からも
幸福へと転換出来るという事です。これを『宿命転換』と言います。

Q女性美、に付いて。

女性の肉体的な美に付いての質問です。
精神的な内面の美ではありません。

男目線、女目線のどちらでもいいです。
女性の美にセクシーの度合いはどの位ありますか。
何パーセントぐらいだと思いますか。

セクシーさがなければ美とは云えないですか。

安室奈美恵のファンを長い事やってきたので、彼女の体躯をみての質問です。
ご意見聞かせてください。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

女性の美にセクシーの度合いはどの位ありますか。
何パーセントぐらいだと思いますか。
 ↑
30%ぐらいですかね。

ワタシは、美しさと、性的魅力は
別だと考えています。

百%別とは思いません。
ある程度影響し合っています。

キレイな女性でも、性的魅力が乏しい人が
おります。

性的魅力があっても、それほどキレイではない
人もおります。

しかし、キレイで性的魅力があるひとも
おります。

だから、別だけど、お互いに干渉し合っている
というように考えています。

安室奈美恵ちゃんは、キレイだけど、
性的な魅力には乏しいですね。

Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Q誰かに影響を受けたことはありますか?

今日は、上野の森美術館に、念願のフェルメール展を観に行きました。
そしたら、来年、開催予定の、ゴッホ展のチラシが置いてありました。
ゴッホも好きな画家なので楽しみです。
特に、ゴッホが様々な他の画家から与えらた影響をうかがうのが楽しいです。

例えば、オランダ出身のゴッホは、フランスのミレーに大きな影響を与えられ、デッサンなどかなり真似て身につけたようです。また、ゴッホは、日本の広重などの浮世絵の構図などにも影響を受けただけでなく、浮世絵の背景にある日本の精神性にも影響を受けたようです。ゴッホが太陽が降り注ぐ南フランスに移住したのも、日出ずる国に憧れたのが原因です。ゴッホが南フランスという環境に身を移したことにより、「ひまわり」など、多数の代表的な名作も生まれました。

私達も、色々な人から影響を受けて、それにより形成されて行くものですよね。
もちろん、両親や家族などの影響が大抵一番大きいと思いますが、
それ以外で、誰かに影響を受けたことはありますか?
それはどんな影響でしたか?
(身近な方でも、有名人でも、本や映画などでもOKです。)


上の画像:ゴッホの《種まく人》
左下の画像:ミレーの《種まく人》
右下の画像:歌川広重の《名所江戸百景/亀戸梅屋舗》

今日は、上野の森美術館に、念願のフェルメール展を観に行きました。
そしたら、来年、開催予定の、ゴッホ展のチラシが置いてありました。
ゴッホも好きな画家なので楽しみです。
特に、ゴッホが様々な他の画家から与えらた影響をうかがうのが楽しいです。

例えば、オランダ出身のゴッホは、フランスのミレーに大きな影響を与えられ、デッサンなどかなり真似て身につけたようです。また、ゴッホは、日本の広重などの浮世絵の構図などにも影響を受けただけでなく、浮世絵の背景にある日本の精神性にも影響を...続きを読む

Aベストアンサー

★何度も投稿していますが、やはり高校時代に白血病で亡くなったクラスメイトです。

【生きているんだもん 幸せにならなくちゃ 生きてゆくんだもん 不幸になんかなるもんですか】

と「生きたかった無念の思い」を刻んだ墓詩は、私がピンチの時に背中を押してくれました。
「生きている」ということが、どれほど幸せなことであるか。
平凡な日常を過ごせることに、感謝の気持ちが生まれました。
試練を乗り越えるときに、彼女のこととこの墓詩を思い、力をもらいます。


★11年在籍した「教えて!goo」の仲間たちです。

自分の考え方がどれくらい世間に通用するかを知りたくて始めたのですが、アンカテでベストアンサーをもらえたことが自信になりました。
自分のことが、より好きになった気がします。
リアルで実際に、教えて!goo仲間にお会いしても「文は人なり」と思えましたし、
なにより「やり過ごし力」が身につきました。

最初の頃の「仲間割れ騒動」にはかなり落ち込みました…。
双方の主から「どっちが正しいと思う?」と聞かれて、「いいかげんにしろ」と思えた私は、どちらにも関わらずに自分の道を1から歩き始めたのです。
お互いの悪口合戦に辟易していたからです。
きつかったですが、そんな私に気づいた人がいました。
例の「織姫様」です。
励ましのコメントを最初にいただきました。
以来、丸9年のお付き合いをしています。(LINE、電話、プレゼント交換など)
お互いによきパートナーに恵まれて、お互いの幸せを願いあえる「兄妹」のような関係です。
「教えて!goo」に在籍したおかげで、ピンチを乗り越えられましたし、一生涯お付き合いできる友達が出来ました。
嬉しい限りです。

レベルは、落ちたかもしれませんが、ここで繰り広げられる人間模様が、テレビよりも楽しい私です。

★何度も投稿していますが、やはり高校時代に白血病で亡くなったクラスメイトです。

【生きているんだもん 幸せにならなくちゃ 生きてゆくんだもん 不幸になんかなるもんですか】

と「生きたかった無念の思い」を刻んだ墓詩は、私がピンチの時に背中を押してくれました。
「生きている」ということが、どれほど幸せなことであるか。
平凡な日常を過ごせることに、感謝の気持ちが生まれました。
試練を乗り越えるときに、彼女のこととこの墓詩を思い、力をもらいます。


★11年在籍した「教えて!goo」の仲間...続きを読む

Q「日本は・・・」、「日本人は・・・」”という言葉を使用できるには、どの位の外国人と交わらねばならない

このカテで、「日本は・・・」、「日本は・・・」”という言葉が使用されています。(一般的には、否定的な内容が多いようですが)
ところで、このような言葉を使えるには、外国へどの位訪問(見物・居住)したり、どの位の外国人と交わらねばならない、のでしょう?(もちろん、その軽重や深浅があり、一律はいえませんが)

Aベストアンサー

当人が希望して別の土地に赴く場合、土地や風土、文化、人に期待しているので、得てして「痘痕も笑窪」になりがちです。相手からしても、一過性のお客さんなので地は隠して笑顔で振舞うでしょう。
行った人が飽きて、その土地の人も来訪者に気を遣わなくなってから、初めて一過性でない気候や、風土慣習、文化、価値観などに触れるわけです。最初の期待は裏切られ、互いに地金が見え隠れし、上っ面でない会話になり、それでもその土地や人が好きか嫌いか段々と分かってきます。そこで諦めずに更に滞在すると、妥協できるかどうか互いに距離を測り始めます。

イメージ的には、「憧れ」→「真実が見えてガッカリ」→「でも、意外と良いところもあるね」 or 「あー、やっぱ駄目だわ、ここ」という流れです。ここまで行けば、さすがに自分が生まれ育った土地や文化、風習、価値観と、やっと比較ができるようになります。もちろん憧れからだけ始まるわけではないでしょう。仕事での赴任だから仕方なくということもあるでしょう。そうなると最初は「不安」だとか「疑念」から始まり、「でも、意外と良いところもあるね」とか「やっぱ、思った通りだわ」になり、「それでも・・・」という流れになるのではないでしょうか。

何にせよ、こういう比較ができるまでには、最短で半年、最長で5年ぐらい、下手をすると、子供が地元の学校に通うようになって初めて知ったとかもあるでしょう。時間もかかりますし、その土地での関わり方も関係します。

それでも「日本は・・・」、「日本人は・・・」とまともな比較論を語るには、そういう経験が一箇所とか一カ国では不足しています。個人的にはそういう対象は3つ以上あるべきだと思います(日本を含め4つで比較)。同じような文化風習のところではなく、例えば経済という視点で語るにしても、ニューヨークや上海などの動きが激しいところ、インドやマレーシアのように独特な地域性があるところ、アラブ地域のような特殊な価値観で動くところ、発展途上国というより後進国といった方が適切なところぐらいのパターンを経験しないと、本質的な会話にはなりません。よって、ほんの一部の分野に絞ったとしても、多分、最低で3年、可能であれば20年ぐらいの時間は見た方が良い気がします。

もちろん、ニューヨーク、ロンドン、フランクフルト、香港のように敏感で動きが早いところと比較すれば、日本が敏感であるか、日本の動きが早いかという比較論はできるとは思います。

「日本は・・・」、「日本人は・・・」に限らず、「アラブ地域は・・・」、「アラブ人の思考は・・・」なんて騙るジャーナリストもいますが、原理主義的な地域と世俗主義的な地域では全く違いますし、宗派によっても、近隣の国との友好度合いによっても、呆れる程、幅があります。それとて表の顔で、外国人や異教徒には見せない顔もありますから、一括りにしている時点で「うーん、底が浅い」と看過されます。いえ、別にアラブじゃなくて、「アングロサクソンは」とか「インド系の民族は」とか「東南アジアでは」とかに置き換えても良いんですよ。

>(一般的には、否定的な内容が多いようですが)

否定、批判をするには、より多くのサンプル、より多くの経験、より長期スパンでの比較ができないと難しいでしょう。それができていない癖に批判ぶったり、挙句、自分の足元である日本の知識、理解が不足していたりすると、識者のみならず敏感な人にそれを直感的に察知され「こいつw、浅いな」と見透かされる訳です。
また、こういう言い方をする人は「インドネシアと比べて日本は」とか「パナマ人と比べて日本人は」とは言いません。仮にスペインと比較する人がいればキーワードは「情熱」だったり、イタリアと比較する人がいればキーワードは「デザインセンス」だったり「享楽性」とかだったりしますが、そもそもそういうステレオタイプな捉え方から抜け出せずに無分別に批判しているようですと、「うーん、こいつwww」と思われたりします。思われている人はそんなこと想像だにしていないでしょうけど。
ドイツの職人的工業製品と日本の大量生産工業製品の比較で批判しているような人は、実は日本人には多いような気がしますが(しまった、私自身も「日本人は・・・」を言ってしまったw)、単に工業そのものの考え方の根底に根ざしたアプローチの違いであって、どっちが好きか嫌いかはともかく、実はどっちが優れているという結論には至らない方向違いの議論だったりします。

当人が希望して別の土地に赴く場合、土地や風土、文化、人に期待しているので、得てして「痘痕も笑窪」になりがちです。相手からしても、一過性のお客さんなので地は隠して笑顔で振舞うでしょう。
行った人が飽きて、その土地の人も来訪者に気を遣わなくなってから、初めて一過性でない気候や、風土慣習、文化、価値観などに触れるわけです。最初の期待は裏切られ、互いに地金が見え隠れし、上っ面でない会話になり、それでもその土地や人が好きか嫌いか段々と分かってきます。そこで諦めずに更に滞在すると、妥協...続きを読む

Qキリスト教について

本場の欧米で教会に行かれた人、もしくはキリスト教を学問として勉強した人に聞きます。客観的に見てキリスト教や聖書、そこで働く人たちについてどう思いますか?信じておられる方でなく、出来るだけ冷静に見られる方に聞きます。キリスト教や教会についての実態について、いい面も悪い面も含めて知ってる人、しゃべってもいい人いませんか?

Aベストアンサー

部外者の立場で見ていて、教会建築や音楽は素晴らしいですし、まったく勧誘の下心なしに、いろいろ参加をさせてくれますし、人々のマナーもとても好もしいですし、私が個人的に関わってきた範囲では、至って好感があります。

でも、信者として育てられた人たちの中に、罪の意識を植えつけられて、仏教に憧れるという人が多いようですね。教え自体によるところが大きいのだと思いますけど、事実を知った人たちはキリスト教が一番、残虐だと彼ら自身が思っているのですよね。これが決定打になって信じる気が失せてしまうのでしょうね。(つまり、現実を知ってる人はキリスト教に限らず宗教というものを信じない方向性があるように思いますが…)

キリストはシッダールタなどとともに賢人だったろうと思っています。しかし、宗教となると…人が集まるところ、とかく問題なしには済まないですね。とくに、昔は未知のものが今よりずっと多かったわけですから。

たまたま最近、読んでいたんですが、1906年に書かれた小説(ヘッセ『車輪の下』〔ドイツ〕)でもすでに、牧師は聖書には間違いや嘘があると言うことになっていて、庶民に敬虔な信者を貫こうとしている人が根強くいるという風に描かれています。

こういう背景がもうとっくの昔からあるわけで、教会関係者はもちろん組織存続のために在り方を見直して、求められる存在になろうと努力をしてきているのでしょう。

部外者の立場で見ていて、教会建築や音楽は素晴らしいですし、まったく勧誘の下心なしに、いろいろ参加をさせてくれますし、人々のマナーもとても好もしいですし、私が個人的に関わってきた範囲では、至って好感があります。

でも、信者として育てられた人たちの中に、罪の意識を植えつけられて、仏教に憧れるという人が多いようですね。教え自体によるところが大きいのだと思いますけど、事実を知った人たちはキリスト教が一番、残虐だと彼ら自身が思っているのですよね。これが決定打になって信じる気が失せて...続きを読む


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