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義経の舟隠しという場所があちこちにありますが、この物語が載っている書を教えてください。よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

 興味があったので調べてみました。


 私が調べた範囲の結論としては、「義経の舟隠」は地域の伝承であって、物語には見つからないということです。

 『石川県の地名』(平凡社 日本地名大系17)羽咋郡富来町、「能登金剛」の項には、
『能登名跡志』に「前浜村の中に、関野とて義経の暫く住給へる所とてふしぎなる石窟あり。七八町海へさし出たる岩屋の内に種々の所ありて、広き事不案内にては元入し口へ出ることならず」とみえ、義経舟隠しとよばれる狭い入江や奇岩が連なる。
とあります。あちこちにあるとありますが、私はここしか見つけられませんでした。

 さて、義経が奥州に逃げる際に加賀に立ち寄ったのかという根本的な問題があります。
 以下、『石川県史』第一巻第七章第三節 源義経の潜行 を参考としました。
 まず、義経が奥州へ逃げたことが記載されている歴史的な文献は、『吾妻鏡』『玉葉』『愚管抄』『百錬抄』『保暦間記』『平家物語』『源平盛衰記』等があげられます。
 その中、北陸を経由したことが書かれる文献は、『保暦間記』です。
「義経は、吉野の奥、又奈良辺に忍で有けるが、入洛し給ひて、文治二(三)年春の末に、北陸道に懸て奥州へ下向して、秀衡を頼みて明し暮せしが、」とあります。ただしこれ以上の記述は見られません。
 物語である『義経記』には、加賀国附近の道程があらわされていますが、「船隠し」の記述は見られません。また、『義経記』の記述には相当の地理的錯誤があり、信憑性に欠けるとのことです。
歌舞伎の勧進帳で有名な「安宅の関」は、『盛長私記』に見られます。ここにも、「船隠し」の記述は見られません。『盛長私記』も史実に則って記載された訳ではないようです。
 以上のことから、推測するに、奥州逃亡→北陸道を通過(『保暦間記』)→加賀の道程(『義経記』)→安宅の関での弁慶の勧進(『盛長私記』)→鳴者の瀧・舟隠し等の義経に関わる史跡
というように、次第に成立したものだと考えられます。その地域の人が、特殊な地形を、義経の伝説になぞらえて、義経と関わりある場所と仕立て上げたのでしょう。
 もう一つの連想として、「平家の舟隠し」と呼ばれる場所があることから、この伝承を真似して、義経に仮託したのではないかとも考えられます
 『石川県史』では、古来の地方人が伝えている舟隠というのは、「いずれの世いかなる閑人のなしし戯嘘ぞや。」とあります。
 以上、私の管見の範囲では、地域の伝承として伝わっている以外には、物語等に「義経の舟隠」なる場所が記載されている例を見つけることは出来ませんでした。
 どなたか、わかる方がいらっしゃると良いのですが。
 義経の北陸伝説の地をまとめたホームページがありましたので、参考としてURLを載せます。
 他の「義経舟隠」の場所がわかれば、調べ方はあるかもしれません。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989 …
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この回答へのお礼

gyo1234さん 詳細にわたるご解説、大変参考になりました。
源平のことは、昔、少年講談で読んだぐらいでしたが、あらためてぼつぼつ読んでみようかと思っています。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/19 09:02

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