プロが教えるわが家の防犯対策術!

第二次世界大戦時~冷戦までの流れについてしりたいです。

第二次世界大戦でアメリカとソビエトは連合国であったのに
第二次世界大戦後に朝鮮半島へ両国が入り代理戦争状態になったということはあってますよね?

これは第二次世界大戦中も連合国とは名ばかりで、戦争してもおかしくない関係だったのでしょうか?
それとも第二次世界大戦が終わって敗戦国などの力が弱まってアメリカとソビエトの力が強くなったことで両者が世界を取りに来たという感じなんでしょうか?

A 回答 (5件)

ナチは反民主主義、反共産主義、米ソどちらも敵、そしてソビエトと戦う。



アメリカは、イギリスフランスの友好国の為軍事物資を支援して後ほどナチに喧嘩を売られる。

アメリカはソビエトを嫌っていたが、当時はさほど脅威を感じておらず、「敵の敵は味方」の論理でソビエトにも軍事物資を支援する。

戦争が終わりナチが消滅した後、ソビエトはアメリカからの軍事物資と連れてきたドイツ人技術者のお陰で軍事技術が高まり、アメリカは「敵に塩を送り過ぎてしまった」と後悔。

そして1948年朝鮮戦争勃発、政権が毛沢東に変わった中国とソビエトの支援を受けた北朝鮮が南下、「ナチを潰したと思ったら今度は共産主義の脅威か!」とアメリカ。

この時アメリカは半島を防衛ラインに含んでおらず予想外の展開、慌てて軍を動員なんとか押し返して元の約束通り38度戦で休戦。

その後ソビエトはヨーロッパの隣国を社会主義国に仕立て上げて同盟国を作り、気が付けば自由主義陣営と社会主義陣営が対立する(冷戦)と呼ばれる時代になったと言う事です。

先に行った様に「敵の敵は味方」と言うだけでソビエトと結託しただけで連合国とは言い難いです、ヤルタ会談では病弱のルーズベルト大統領は威勢の良いスターリンの言いなりになってしまい、チャーチル首相はその姿を見て軽蔑した目線で見ていた様です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうごさいます。
読んでいて楽しく勉強になりました

お礼日時:2018/12/09 14:49

帝国主義は、第二次大戦で消滅しました。

帝国主義と全体主義(ファシズム)対その他との戦いが第二次大戦でしたが、別の面から見ればそんな面ばかりではありません。第二次大戦の根本的な発生原因は、第一次大戦です。つまり世界恐慌が最大の原因です。ドイツの賠償問題もその大きな要因ですが、やはり世界恐慌が大きなインパクトです。

①世界恐慌の元である米国に、ニューディール政策を行うルーズベルト大統領が当選した。からは本質的にはコミュニストであり、その政策のブレーンのニューディーラーも、同様であった。
②ヒットラーは、反共主義者であったため、独ソ戦を開始した。
③勿論日本も反共国家なので、ドイツに近づき、同盟国となってしまった。
④ニューディール政策は、成功したとはとても言えず、米国の経済は、不況を克服できなかった。戦後の日本では成功と称賛されているが、経済的指標は、景気の浮揚とは程遠かった事は、事実です。
⑤この為米国は、ナチスが始めた戦争に参戦したくて、あらゆる努力を行う。ハルノートもその一環です。
⑥日本が開戦するや、計画通り戦時予算を組み、大軍拡を行います。カールビンソンが予算編成の中心人物で、空母の名前となっているので、米国の周到さが理解できます。日本が参戦する前には、世論の盛り上がりがないため、ソ連を有償で援助します。隠れ共産主義のルーズベルトには、ソ連と同盟する事に苦痛は有りません。ソ連は米国の援助と日ソ不可侵条約により、シベリア軍団を移動でき、ドイツ軍を阻止します。
⑦米国は赤字予算を組みますが、其の為好景気となり、益々生産力があがり、しかも失敗したと思われたニューディールの成果の水力発電の充実で、航空機産業が爆発的に生産を伸ばします。
⑧かくして連合軍は勝利しましたが、ルーズベルト亡き後は、やはり共産主義対資本主義の対立がとなり冷戦となったのです。あのパットン将軍は戦う相手を間違っていたと嘆くのです。

 因みにヒットラーのユダや政策をバチカンは容認していました。そしてチャーチルも、ソ連援助は戦争遂行の手段と考えていたのですが、ルーズベルトは隠れコミュニストなるが故、ソ連の対日参戦を許したのです。北方領土や樺太の消失が、何が第二次大戦の結果ですか。ニューディラーは、レッドパージで全て追放されました。蛇足ですが、ニューディラーの原案が日本国憲法なのです。米国も出来てしまった日本国憲法には、後に大いに悔やんだそうですが、本当かどうかそう伝わっているだけで不明です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうごさいます。

お礼日時:2018/12/11 21:40

> これは第二次世界大戦中も連合国とは名ばかりで、戦争してもおかしくない関係だったのでしょうか?


> それとも第二次世界大戦が終わって敗戦国などの力が弱まってアメリカとソビエトの力が強くなった

どっちも違います。いずれの国も政治体制は相容れないほど違ってたけど、お互いに反目し合うよりはドイツと日本と言う共通の敵を何とかしなきゃってことでは一致してたので、とりあえず反目は表には出てきませんでした(ってかそんな余裕はなかった)。でも終戦したことによって反目が一気に表面化して勢力争いになった。その最初の大規模な舞台になったのが朝鮮半島です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうごさいます。
勉強になります

お礼日時:2018/12/09 13:53

ソ連は連合国であって連合国ではない。


そもそも第二次大戦のきっかけとなったポーランド侵攻はドイツとソ連の共同作戦だったし、
日本の降伏に対する対応も連合国とは別行動。
そのときの都合次第で「連合国」という看板を利用しただけ。

戦争中でさえ、ソ連とアメリカが追々ケンカするだろう事は予想できていました。
アメリカが共産(社会)主義国と仲良くするはずもないので。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうごさいます。
わかりやすいです

お礼日時:2018/12/09 13:49

wikiの「ヤルタ会談」のページが詳しいです。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうごさいます。
見てみます

お礼日時:2018/12/09 13:33

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!