出産前後の痔にはご注意!

高校一年です。
現代文の授業で、石川啄木の短歌

①春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ
②碓氷嶺の南おもてとなりにけりくだりつつ思ふ春のふかきを

の2句を組み合わせて劇(短くて良い 3分程度で十分)をしなければなりません。(。ŏ﹏ŏ)

この2句の訳と表現技法、
そして、劇の大まかな流れのアドバイス
をいただけると嬉しいです。

発表は、2018/12/18(火)なので急いでいます。
お忙しいと思いますなが、皆さんどうか宜しくお願いします。ちなみに教科書は、東京書籍の国語総合 現代文編です。(145ページ)

A 回答 (5件)

白秋の歌にこだわるのなら、碓井峠を舞台にする。

上州(群馬県)から信州(長野県)へ通じる峠で、昔の中山道(なかせんどう=現国道18号線)の名所です。下るとすぐ軽井沢に入ります。役者は坂道を上ってきた風情で登場します。そこで効果音としてウグイスの鳴き声を入れてもらいます。(そこで話す言葉は適当に)現在は近くを「北陸新幹線が通っているので、それに触れると「タイムトラベル」的な効果があります。一休みしたあと、道を下る風情でウグイスの声を聞きながら舞台を下ります。まあ、こんなところでしょう。
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高校一年生にやらせるのは気が狂っている。

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これ啄木の歌ではありません。

啄木の歌なら三分程度の寸劇はいつでも作れます。
  戯れに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩歩まず
 いたく錆びしピストル出でぬ  砂山の 砂を 指もて掘りてありしに
No。1の方がおっしゃるように、白秋の歌です。 教科書ではなく質問者が間違えたのでしょう。
 それに、
①春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ
②碓氷嶺の南おもてとなりにけりくだりつつ思ふ春のふかきを
から、寸劇を組み立てるのは大変でしょう。二種の共通点は「春の太陽」だけですから。
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#1です。



>URL間違っていると思います

上から何番目の URL ?
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北原白秋ですね。


口語訳は以下のとおり。
https://archives.mag2.com/0000233611/20120522080 …
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/767258.html
最初のURLの意味を主体にして、場面を碓氷峠にすれば恰好はつくでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございます
URL間違っていると思います
確認お願いします。
お手を煩わしてすいません

お礼日時:2018/12/15 13:35

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Q北原白秋のうた

白秋の「碓氷嶺の南おもてとなりにけりくだりつつ思ふ春のふかきを」の訳をできるだけ具体的に教えて下さい!お願いします!

Aベストアンサー

いい歌ですね。
下のページ見てきました!
直接は行けないみたいなので、上のディレクトリから行ってみました。

 - - - - - - - - - - - - - - -

(うすひね)
碓氷嶺の南おもてとなりにけりくだりつつ思ふ春のふかきを

晩春の碓氷嶺の南面を一人で下りながら、あたりの景色を眺めやり、しみじみと春の深まりを感じて
いる作者の姿が目に浮かぶ。

- - - - - - - - - - - - - - - -

「南おもてとなりにけり」とあるところから、
作者は碓氷峠を北面?から越えたのだと思います。
碓氷峠を越えて南側に出て、そこを下って行くわけですね。
そうすると、山国のことですから、標高が下がるにつれて春の気配が濃くなっていく、
ということではないのでしょうか。

Q日本語についての質問ですけど… ここの文書の意味はよくわからないので、簡単な日本語で説明してくれれば

日本語についての質問ですけど…

ここの文書の意味はよくわからないので、簡単な日本語で説明してくれれば助かります_(:3」z)_
苗半作のことです…
『定植前の苗の揃いは収穫期の穂そろいに比例するということである。』
ここの 揃い の具体的な意味は分からないので、文書の意味もわからないです…
よろしくお願いしまーす(>人<;)

Aベストアンサー

わかりやすく簡単に書き直します。
長さが同じものが多いほど、成長して、収穫するときに、同じ長さなのものが、多くなる。(=^x^=)

Q「を」か「が」

すみません、これを教えていただけますでしょうか。

下記の文章について「を」を使った方がいいですか。「が」を使った方がいいですか。

1)日本語の新聞が読めます。
  日本語の新聞を読めます。

2)私は英語が少し話せます。
  私は英語を少し話せます。

それかどちらでも日本語的に大丈夫でしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>下記の文章について「を」を使った方がいいですか。「が」を使った方がいいですか。
 どちらも同じように使えます。どちらを使っても構いません。

>どちらでも日本語的に大丈夫でしょうか。
 大丈夫です。

 時々同じような問題があります。
 いろいろ違いを説明する人がいますが、多くの場合、微妙な違いしかありません(厳密に考えればほんの少し違う気もしますが、他者に押し付ける気はありません。無視してよい程度のことです)。
 個人的には、こういう可能を表わすときはガを使うようにしていますが、それは個人の趣味の問題です。他者に押し付ける気はありません。
 ただし、近くに同じ助詞がある場合は別です。
 この点は、No.7のかたのコメントに賛成です。

1)日本語の新聞ヲ読むことガできます。
2)私は英語ヲ少し話すことガできます。

 どちらも、すぐ後ろにガがあるので、ヲを使うほうがよいでしょう。
 下記の例でも同様です。

1)A(中国にあるこの喫茶店は)日本語の新聞ヲ読める点ガ セールスポイントです。
 すぐ後ろにガがあるので、ヲを使うほうがよいでしょう。
1)B(中国にあるこの喫茶店は)日本語の新聞ガ読めることヲ セールスポイントにしています。
 すぐ後ろにヲがあるので、ガを使うほうがよいでしょう。

 近くに同じ助詞がある場合は、避けるべきです。
 こういう書き分けができるのは、ヲとガが同じように使えるからです。仮に「ヲとガでは意味が違う」と考えるなら、こういう自由な書き分けができなくなります。

 詳しくは下記をご参照ください。同じ質問でよくわからないやり取りになったときに書いたものです。
【自動詞と他動詞〈6〉 ヲガ交替(←オイ!)〈1〉〈2〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12359746188.html

>下記の文章について「を」を使った方がいいですか。「が」を使った方がいいですか。
 どちらも同じように使えます。どちらを使っても構いません。

>どちらでも日本語的に大丈夫でしょうか。
 大丈夫です。

 時々同じような問題があります。
 いろいろ違いを説明する人がいますが、多くの場合、微妙な違いしかありません(厳密に考えればほんの少し違う気もしますが、他者に押し付ける気はありません。無視してよい程度のことです)。
 個人的には、こういう可能を表わすときはガを使うようにしています...続きを読む

Qいつもお世話になっています。 開く(あく)と いう動詞についての質問ですが、 ※泥棒が人の家に入り込

いつもお世話になっています。

開く(あく)と いう動詞についての質問ですが、

※泥棒が人の家に入り込もうとしています。
A:どう、開けられそう?
B:ちょっと待って。
1)あ、開(あ)けた。(他動詞-自分の行為)
2)あ、開けられた。

-ほかに使える言葉はありませんか。
開く(あく) 開ける(あける)

※ドアが開かなくてずっと前で待っています。ドアが開き始めるのを見て、
( ) 》》》 何と言いますか。


1)開いた(あいた) を使ったら何の意味ですか。
2)開けた(あくは可能形ではつかえないと覚えていますが、絶対使ってはなりませんか。) 自分の意思ではないですが、可能の状態になったことを使いたい時はどんな言葉を使ったらいいでしょうか。

Aベストアンサー

>)あ、開(あ)けた。(他動詞-自分の行為)
それは他動詞。自分の行為でも他動詞。「釘を打つ」と同じ。

Q【が】についての質問です。 外国人の友人からこのような質問があり、答えられずに悩んでおります。 ☆質

【が】についての質問です。
外国人の友人からこのような質問があり、答えられずに悩んでおります。

☆質問
1.〔答えは、100円ですよ〕と〔100円が、答えですよ〕とは言えますが〔答えが、100円ですよ〕とは言えま…すか?
〔もし、次の標的が自分だったらどうしよう〕とかは言えますが、何ででしょう…?
【が】が使える理由についてご教示ください。

〔答えが100円ですよ〕
〔明日の天気が雨だったらどうしよう〕

Aベストアンサー

■1■
「〇〇が△△」は、△△という述部の主格が〇〇であることを示している。
つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。
「直接的な関係」なので、

【「〇〇が△△」は、あるひとつの状態を表したいとき に使う】

と定義することができる。

A.
〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何(円)が答えですか?
という設問に対応している。

B.
〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに使う。
・100円は何ですか?
という設問に対応している。

A と B はどちらもあり得るシチュエーションなので、どちらも間違ってはいません。
ただ、B のように「100円は何ですか?」と問われるようなシチュエーションは稀であるため不自然に感じられるだけです。
稀なシチュエーションとは、たとえば、
・100円を私にくれると言ったのですか?
・いえ違いますよ。〔答えが、100円ですよ〕と言ったのです。
といった会話の場合など。

■2■
「は」の基本的用法は「主題提示」です。
「〇〇は△△」は、〇〇という主題を提示した上で、それに関して△△であると述べている。
「〇〇についてコメントを述べる」という構造なので、

【「〇〇は△△」は、〇〇について△△という コメントを表明したいとき に使う】

C.
〔答えは、100円ですよ〕は、答えについて「それは100円だ、というコメント」を表明したいときに使う。
・「答え」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか?
という設問に対応している。

■3■
〔明日の天気が雨だったらどうしよう〕
〔明日の天気が雨〕(+条件)という構文。

「明日の天気が雨という状態であること」を表わしている。
・いつ(何日)が雨ですか?
という設問に対応している。

■4■
以下の比較がわかりやすいかも。

[ 桜がきれいだ ]
「桜がきれいという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何がきれいですか?
という設問に対応している。

[ 桜はきれいだ ]
桜について「それはきれいだ、というコメント」を表明したいときに使う。
・「桜」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか?
という設問に対応している。

因みに、以上で申し上げてきた「設問」は「暗黙的な設問」の場合も多い。
特に聞かれなくても、そういう設問があったという前提で答える形になる場合も多い、という意味です。
あくまで、構造をわかりやすくするために想定された「設問」、というふうに捉えていただければ。

■1■
「〇〇が△△」は、△△という述部の主格が〇〇であることを示している。
つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。
「直接的な関係」なので、

【「〇〇が△△」は、あるひとつの状態を表したいとき に使う】

と定義することができる。

A.
〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何(円)が答えですか?
という設問に対応している。

B.
〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに...続きを読む

Qお言葉がすぎる?とお口がすぎる?違うんですか? お口が過ぎるって言葉ありますか?

お言葉がすぎる?とお口がすぎる?違うんですか?
お口が過ぎるって言葉ありますか?

Aベストアンサー

両方とも使いますが、現代文語では無く過去上流階級で用いられた言葉です。訳せば「言い過ぎだ」「黙れ」になります。

Q漢字は中国で発明されて、

漢字は中国で発明されて、中国語として使われて、後に朝鮮に渡って、日本人に漢字の書き方や読み方を教えたのは当時の朝鮮人ですか?回答をお願いします、

Aベストアンサー

まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着した人も多いと思います。また、新羅による朝鮮半島統一の頃に大量の朝鮮人が移民として日本に流入して土着しており、日本史では渡来人と言う表現に変化しています。
これが、私の仮説で、根拠は以下のとおりです。

・現代日本の話し言葉と100年前の話し言葉はかなり違う。
・現代日本の話し言葉でも東北や鹿児島のお年寄りが方言で話している内容は、我々にはほとんど理解できない。
・中国語の文法は英語とほぼ同じであり、韓国語と日本語の文法もまたほとんど同じである。
・発音の特徴でみると、中国語と韓国では似たような発音もあるが日本語の発音は全く違っていて、日本語にはsとsh、rとLなどの発音の違いはない。
・古代中国の船は黄河や揚子江をさかのぼったり、渡河することが主な目的のため、古代ヨーロッパのような外洋船の造船技術や航海技術は有していなかった。
・このことから、古代における中国と日本の航海ルートは朝鮮半島経由のルートしかなく、他のルートについては漂着レベルである。
・古代における朝鮮半島と日本の航海ルートは、壱岐・対馬経由で、昼間の見通し航海が通常の方法。
・663年の白村江の戦いにより、日本と朝鮮半島との国交が途絶え、これ以後の遣唐使は、東シナ海経由による中国と日本の直接ルートになったが、遭難確率が異常に上昇する。
・また、日本に外洋船の造船技術や航海技術がないことが遣唐使の廃止に繋がり、遣唐使廃止により中国との公式な国交も途絶え、これ以後、日本語は独自の発展を遂げる。
・日本語による漢詩読破技術として、一、二点やレ点が生まれており、平安時代には漢字一文字を日本語の五十音にあてはめることにより、ひらがなが出来上がり、漢字かな混じり文の確立により日本語が飛躍的に進化する。
・李氏朝鮮時代の1446年にハングル文字が出来上がったことで、韓国は漢字を捨てハングル文字になっているが、これは全ての文章をひらがな文字のみにしているのと同じこと。現代日本人には到底考えられないことです。
・漢字は世界的に見て、非常に不思議な文字であり、日本人は漢字による多大な恩恵を受けています。それは、漢字を見ると意味だけではなくイメージすることができる。いわゆる漢字脳が出来上がっています。

以上長くなりましたが、とってもとっても素敵な質問、ありがとうございました。

まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着し...続きを読む

Q「<定員割れ>が2割以上、とは大きい気がしますが。」の”大きい”は不適切で、やはり”多い”と書くべき

他のカテのお礼に次の文を書きました。
「<定員割れ>が2割以上、とは大きい気がしますが。」
”多い気がしますが”と綴れば無難だったのでしょうが、少し茶目っ気が出て、“大きい”と書きました。
ところで”大きい”は不適切ですか?.

Aベストアンサー

「率」は、「高い」が一番素直ですかね。
 ただ、「大きい」が×とも言い切れないような。先行コメントにあるように「インパィト大きい」、「影響が大きい」などの解釈もあるでしょうし。
 このテのことはあまり決めつけずに、ゆる〜く考えるほうがいい気がします。
 たとえば、「可能性」ならどうでしょう。
「(おおいに)ある」「高い」「大きい」「強い」……どれもアリでは。変化球では「可能性に富む」なんてのもあります。
 考え始めると迷路に入ります。詳しくは下記をご参照ください。
【ある/ない 高い/低い 大きい/小さい 強い/弱い 多い/少ない 富む/乏しい】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1325.html

Q「こと」について、形式名詞と実質名詞(普通名詞)をどのように区別するのでしょうか。

「英語を勉強したことがあります。」「留学することになりました。」などの「こと」は形式名詞と呼ばれています。
では、「あなたのことは覚えています。」「彼のことはよく知りません。」「日本のことが忘れられない」「それは素敵なことです。」などの「こと」はそれぞれ形式名詞でしょうか、実質名詞(普通名詞)でしょうか。
「こと」に関しての形式名詞と実質名詞(普通名詞)をどのように定義しているのでしょうか。

Aベストアンサー

#14です。

1.
補足欄を中心に読み直していたのですが、少し述べさせていただきます。
まずですが、大辞泉の分類は、次のように考えてよいのではないかと思います。
「こと」=【「もの」が一般に具象性をもつのに対して、思考・意識の対象となるものや、現象・行為・性質など抽象的なものをさす語。】である。
つまり、「こと」はすべて抽象名詞。
そのうち、【他の語句をうけて、その語句の表す行為や事態を体言化する「こと」】は形式名詞にあたる。
つまり、形式名詞以外の「こと」が実質名詞。
「こと」という抽象名詞には実質名詞と形式名詞がある。


2.
何かのご参考になるやもしれず、#10、アスナロウさんの下記ご見解について、若干の反論を述べさせていただきます。
同時に、「形式名詞」の定義に関して、大辞泉及び大辞林に対し異議を申し立ててみます。

>『大阪でのことは忘れないでください。』の『こと』も同じ<抽象(形式)名詞>です。<この「こと」は出来事の意味だ>というのは、「大阪でのこと」という個別の具体的な話者の認識を表す句、または文での【意味】をいっており、辞書で規定している語の意義ではありません。語の意義と文での意味を混同した混乱です。意義とは辞書に示す語の規範としての概念のことです。

「こと」が抽象名詞であるのはすでに述べたとおりですが、形式名詞ではないと思います。
「形式名詞」の定義については、大辞泉も大辞林も似たり寄ったりですが、【それ自身では実質的意味を表さない語】だけで語釈として十分ではないかと思います。
【連体修飾語を受けて名詞としての機能を果たす】という要素も併記されている点が極めて不満ですね。
なぜなら、「連体修飾語を受けていても、それ自身で実質的意味を表す語」は存在すると思うからです。

『大阪でのことは忘れないでください。』は、
『大阪での [ 出来事 ] は忘れないでください。』という実質的意味を表わしているので実質名詞である、というのが私の考え。
<この「こと」は出来事の意味だ>に関して誤解があるようです。
『語の意義と文での意味を混同した混乱』でもありません。
私が申し上げたのは、<この「こと」は、出来事を意味する語として使われている>ということです。
つまり、文での意味のみならず、語義も「出来事」だ、ということ。
少なくとも、文での意味で [ 出来事 ] という実質的意味を持ち得ているなら、それは実質名詞と呼ばれるべきではないか、ということでもあります。

『大阪のことは忘れないでください。』という文での「こと」は、大阪の内容・様子・風景など「大阪の属性に関する事柄」を(一般的には)意味しています。
何か具体的な「出来事」を指しているわけではない。
つまり、「大阪」という語が無ければ実質的意味を持ち得ない語として使われている。
それゆえ「形式(名詞)」なわけです。
『大阪でのことは忘れないでください。』とは明らかに異なる「こと」の用法でしょう。
『大阪のことは忘れてもいいけど、大阪でのことは忘れないでください』といった文についてもご検証いただければ幸いです。
以上、若干独断が入り過ぎたかもしれませんが。

#14です。

1.
補足欄を中心に読み直していたのですが、少し述べさせていただきます。
まずですが、大辞泉の分類は、次のように考えてよいのではないかと思います。
「こと」=【「もの」が一般に具象性をもつのに対して、思考・意識の対象となるものや、現象・行為・性質など抽象的なものをさす語。】である。
つまり、「こと」はすべて抽象名詞。
そのうち、【他の語句をうけて、その語句の表す行為や事態を体言化する「こと」】は形式名詞にあたる。
つまり、形式名詞以外の「こと」が実質名詞。
「こと」...続きを読む

Q品詞

先生みたい
行ってみたい

この2つのみたいな違いについて教えてください。

Aベストアンサー

「先生みたい」の「みたい」は類似の様態の認識を表す接尾語で、先生のように見えるという意味です。

「行ってみたい」の「みたい」は、試みるという意味の動詞「みる」の連用形「み」+希望を表す接尾語「たい」で、「行く」ということを試すのを希望するという意味になります。■


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