人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

日本語について聞きたい


背景はグラフ他人に見せながら説明しているところ。

①実施可能な件数が6件あるが、実施済みなのが5件で、全体の83%を占めている。

②実施可能な件数は6件あるが、実施済みなのは5件で、全体の83%を占めている。

③実施可能な件数は6件あるが、実施済みなのが5件で、全体の83%を占めている。


はとがについてちょっと迷ってる。

A 回答 (8件)

グラフを使う位ですから、実際の数字はもっと大きなものでしょう。

だから実施済みの比率が必要なのでしょう。
 例文のどれを使っても、聞く人が分からないことはないでしょう。
しかし、改めて聞かれると、論理的に答えることになります。
実施可能件数は〇〇〇件です。内〇〇〇件は実施済みです。実施率(?)は〇〇%です。
この三つを一続きでいおうとすると、少々厄介になり「は」と「が」の迷いも起きるわけです。
 実施可能な件数は(が)〇〇〇件ですが、内〇〇〇件は(が)実施済みです。その実施率は(が)〇〇%です。
 この三つを対等の資格で並べるなら、「が」「は」どちらでもかまいません。普通は「が」。しかし、「は」をどれか一つに付けるのなら、「は」は主題化されるものにつけます。いわば一番強調したいものにつけます。私の受けた感じでは「率」が主題ではないかと思います。グラフを使う意味もそこにあると考えるのですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どうも

お礼日時:2018/12/21 03:28

「あるが」はちょっと変、「あったが」じゃない?


可能な件数があるなら、普通は実施済みは除く

個人的には3が普通かな

実施可能な件数は6件あったが、実施済みが5件なので、全体の83%は完了している。
    • good
    • 0

③が、もっとも自然な日本語です。



実施可能な件数は6件あるが、実施済みが5件で、全体の83%を占めている。

のようにすればベター。
    • good
    • 0

既に過去の事なので差はありません。

可能性だけなら差があります。
    • good
    • 0

条件節(修飾節)で「が」を使い、主節で「は」使うのが普通。


実施可能な件数<が>6件あるが、実施済みなの<は>5件で、全体の83%を占めている。
(私が帰ったとき、家族のものはみな寝ていた。)
    • good
    • 0

わざわざ難しく言おうとしているように思いますよ。


「が」や「の」を続けて使うのは聞き苦しくなります。
私なら、次のように言います。

実施可能件数は6件あるが、83%に当たる5件が実施済みです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

さすが。

お礼日時:2018/12/20 16:06

なんか難しいね。

 若干のニュアンスの違いはあるものの、どれでも通じます。
結局、何を強調したいかで少し変わってくるのかもしれません。

バナナが4本あるが、2つがまだ青い。  
There are 4 bananas, and two of them are still green.
バナナは4本あるが、2つはまだ青い。  
There are 4 bananas, but 2 of them are still green.
バナナは4本あるが、2つがまだ青い。  
Although there are 4 bananas, two of them are still green.

位の感じかなぁ。
    • good
    • 0

②ですかね。


同じ接続詞を連続して使わないので。
あと、『なのは』ではなく、『実施済みは5件で』の方がいいと思います。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「記憶力が乏しい」ことを、へりくだって述べるには、どういう表現をすればよいでしょうか。

「記憶力が乏しい」ことを、へりくだって述べるには、どういう表現をすればよいでしょうか。
たとえば「〇△」ですので(記憶力が乏しいので)、(口頭、通話などではなく)書面でもってお知らせ願えませんでしょうか、といった場合の「〇△」にあたるものです。
ご教示よろしくお願いします。

Aベストアンサー

書面をもって知らせくださいーと念を押す言い方をするのであれば、「記憶力が乏しいので」、でなくても言い訳(敢えて言えば)として通じます。
このような場合は記憶力云々の問題ではなく、記録された文言が大事だと言うことを強調してもいいと思いますよ、念のため。

お互いの認識にずれを生じないように、
情報の誤認があると困りますので、
耳で聞いた情報だけではあやふやですから、

Q「辞める」の言い方

ソフトな言い替え方を教えて下さい。

状況は、
ボランティアを辞めます。
ケンカ別れではなく、団体の方針と
私の考えにどうしても違いがあり、
今まで沢山お世話になったけれど、
別の道を歩く事にしたのです。

「辞めさせていただきます」より
他のソフトな言い方はないかと。

Aベストアンサー

「自分が本当にやりたいことが何か考え直したいと思うので、一度本会の活動から離れたいと思います」

Q「良さそう」を「良さげ」と言うのはずっとどこかの方言だと思ってたんだけど、標準語なんですか?最近よく

「良さそう」を「良さげ」と言うのはずっとどこかの方言だと思ってたんだけど、標準語なんですか?最近よく聞くので。(自分は東京です。)

Aベストアンサー

辞書には「関東方言」として「…そう」の意、と出ています。

Q「良かったです」「素晴らしいです」はもう世の中に認められたのでしょうか。

「歌わないです」について、間違った文だという質問が出ています。
(回答しようとしたらこの人からブロックされています。どうしてブロックされたか全く心当たりがありません。仕方なく、質問の形で話に加わります)

 形容詞「素晴らしい」に「です」をつける言い方は、一部の人にあり得ないと判断されています。これは本来、「素晴らしゅうございました」といったものです。ところが「ございます」を使う人があまりいなくなって、「形容詞」を丁寧形で表現することが出来なくなりました。そこで登場したのが「素晴らしいです」です。ところがこれに対する賛成者は<少ないです>。
そして、それに加えて「過去形」までもが加わってきました。「素晴らしっかったです」「よかったです」「楽しかったです」。否定的な人々には、一層違和感が加わりました。ではどう言えばいいのか。「素晴らしゅうございました」「楽しゅうございました」
 いくら何でも、そんな古めかしい言い方に戻れるものかという否定派は今もあります。ところがここでまた、「素晴らしかったです」「よかったです」を、「素晴らしかったでしょう」「良かったでしょう」と、「う」をつければスラスラ通じてしまいます。こんな話がこのサイトでも続けられてきました。
 さて、今度の質問は「歌わないです」が間違っているという話。これが、「美しくないです」だったらどうなるのでしょう。「歌わない」の「ない」は打消の助動詞。「美しくない」の「ない」は形容詞。「形容詞」+「です」は間違いという人がいても不思議ではありませんが、「助動詞(ない)」+「です」はあっても、また不思議ではない。(「ません」が普通ですが)
 皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。

「歌わないです」について、間違った文だという質問が出ています。
(回答しようとしたらこの人からブロックされています。どうしてブロックされたか全く心当たりがありません。仕方なく、質問の形で話に加わります)

 形容詞「素晴らしい」に「です」をつける言い方は、一部の人にあり得ないと判断されています。これは本来、「素晴らしゅうございました」といったものです。ところが「ございます」を使う人があまりいなくなって、「形容詞」を丁寧形で表現することが出来なくなりました。そこで登場したの...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやすく、私も勉強になりました。(私は、意味がほぼ同じで活用などが同じなら、品詞をごちゃごちゃ議論することもないだろう、という怠惰な考えだったので、あまりまじめに考えたことがありませんでした。要は、同じ語形が「多少」違った使い方をされるだけで、「基本的な」ところは一緒だろう、と思っているのです。)

皆さんが触れられていない点で、私が重要だと思うのは、「です」にも2種類ある、という考え方です。
これは、たぶん私の学生時代(ン十年前です)から言語学のほうではそうだったと思うのですが、確証はありません。私はずっとそう考えてきました。
今回、改めて国語辞書の記述を見、辞書の付録の「助動詞活用表」などを見て、「です」が一つしかない(「丁寧な断定」という用法)ことにちょっと驚いたくらいです。まあ、国文法の分析が言語学(少し前の「日本語学」)と違うのはよくあることですが。

かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

上に書いたとおり、「です(1)」のほうは、「だ」の丁寧な形、です。「断定」(この用語は好きではありませんが)の助動詞で、丁寧さによって形が分化します。
   学生 だ/です   まじめ だ/です

それに対して、「です(2)」のほうは、「だ」とは対立しません。
   美しいです (×美しいだ)
この「です(2)」は、「断定」の機能を持たず、「美しい」という、すでに「断定」の機能を持った言い切りの形に「丁寧さ」を加えているだけです。つまり、「断定」の助動詞ではなく、「丁寧」の助動詞です。(動詞文の「ます」に対応します)

また、「です(1)」は活用を持ち、「でした/でしたら」という形になります。
   学生でした   紅葉の名所でしたら、例えば、、、
(「でしょう」を活用形とは考えません。「だろう/でしょう」は一語の助動詞と考えます。)

それに対して、「です(2)」は活用を持ちません。
   ×美しいでした (美しかったです)  ×美しいでしたら (美しかったら)

(ここで、「美しいなら」の「なら」を、「だ」の活用と見るか、という問題も関係するかもしれませんが、まあ、これは「なら」をどう考えるかという、もっと複雑な問題になります。私は、「だ」と「なら」は、少なくとも現代語では、別物と考えます。)

ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。

ちょっと話の流れを変えます。
日本語の文の分析法として、文を「命題+モダリティ」という形で考えるということがあり、かなり一般的になっています。(国語学では「叙述+陳述」という、似た考え方が昔からあります。)

これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。
これは、用言のいわゆる「活用形」や助動詞によって表されるわけです。「ね」や「よ」などの終助詞もモダリティを表すとされます。

ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。
前からの呼び方では「文体」の一つの要素なのでしょうが、それは文を文として成り立たせる必須の要素、つまり「文法」の一部なのか。

で、私の考えでは、「形容詞+です」の不安定さは、この、「丁寧さ」が文を終結させるためのモダリティとしては不十分だ、というところにあるのではないか、となります。

「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」は、「断定の助動詞」に丁寧さが加わったもので、立派な(文を終結させる「力」を持った)モダリティですが、
   学生/まじめ です(断定+丁寧)
「形容詞+です」の「です(2)」のほうは、「丁寧さ」だけの機能しかないので、
   美しい(断定?)+です(丁寧)
という形が、文の終わり方としてどうも安定しない、と感じられるのではないか。

「美しいです」が不自然だという人も、「美しいですか/ね/よ」などにすると安定するように感じる、というのはなぜか。これに対するうまい説明は今のところないように思うのですが、どうでしょうか。(単に私が知らないだけかも)
終助詞「か/ね/よ」が文終結のモダリティとしての機能を持つからだ、と考えるとうまく説明できます。
   美しい+です(丁寧)+ね/よ/か(確認/主張/質問など)
もちろん、「でしょう」をつけても、「でしょう」の持つ「推量(あるいは確認)」というモダリティによって文として安定します。
   (たぶん)美しいでしょう。
   (どうですか?)美しいでしょう?

これは、世代が違ってもあまり変わらないようで、今の若い人も「形容詞+です」には何らかの不安定さを感じるようですが、どうでしょうか。
「「ね」や「よ」をつければ自然だから、変じゃないよ」というのは、上に述べたように「形容詞+です」の弁護にはなりません。

以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。
(さらに、「文が終わる」とはどういうことなのか、「文成立の要件」となると、もう、根本的な議論になり、わけがわからなくなります。「文とは何か」ですから。)

この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。

   「どうですか?」「いやあ、なかなかがんばってますねえ。面白いです!」

などと、ある種の強調を込めた言い方をすると、それなりに自然な文として成り立つように(私には)思われます。
(語調が(文終結の)モダリティの機能を肩代わりする? 語調が文の意味を変えることは、「ある。」「ある?」など、ごくふつうのことです。単に「歩く。」と言うと描写あるいは意志に過ぎませんが、「(さっさと)歩く!」とある語調で言うと「命令」になります。)

なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。

「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやす...続きを読む

Q7、これは昨日お父さんが( )たものですよ。 Aいただい Bさしあげ Cくださっ Dもらっ 8、母に

7、これは昨日お父さんが(  )たものですよ。
Aいただい  Bさしあげ  Cくださっ  Dもらっ
8、母にすばらしい腕時計をプレゼントとして(  )てとてもうれしかったです。
Aもらっ  Bいただい  Cくださっ  D差し上げた
この二つの質問の答えはなんでしょうか。家族の間で敬語の使うことに困惑しています。教えていただけませんか。

Aベストアンサー

一つを除いて、他はすべて正解です。


7、
〇A.これは昨日お父さんが( いただい )たものですよ。(謙譲語1)
⇒お父さんが他人(目上の人)からいただいたもの。

〇B.これは昨日お父さんが( さしあげ )たものですよ。(謙譲語1)
⇒お父さんが他人(目上の人)にさし上げたもの。

〇C.これは昨日お父さんが( くださっ )たものですよ。(尊敬語)
⇒お父さんがあなた(子供など)にくださったもの。
「父親に対しては尊敬の念を持つべき」という考えの場合、家族内であっても父親は尊敬の対象となる。

〇D.これは昨日お父さんが( もらっ )たものですよ。
⇒お父さんが他人(同輩、または目下の者)からもらったもの。


8、
〇A.母にすばらしい腕時計をプレゼントとして( もらっ )てとてもうれしかったです。

(ア)母が他人(同輩、または目下の者)からもらった。
(イ)私が母からもらった。

〇B.母にすばらしい腕時計をプレゼントとして( いただい )てとてもうれしかったです。(謙譲語1)

(ア)母が他人(目上の人)からいただいた。
(イ)私が母からいただいた。
「(子供は)母親に対しては尊敬の念を持つべき」という考えの場合、家族内であっても母親は尊敬の対象となる。

〇C.母にすばらしい腕時計をプレゼントとして( くださっ )てとてもうれしかったです。
⇒他人(目上の人)が母にくださった。(尊敬語)

×D.母にすばらしい腕時計をプレゼントとして( 差し上げ )てとてもうれしかったです。
⇒間違い。

一つを除いて、他はすべて正解です。


7、
〇A.これは昨日お父さんが( いただい )たものですよ。(謙譲語1)
⇒お父さんが他人(目上の人)からいただいたもの。

〇B.これは昨日お父さんが( さしあげ )たものですよ。(謙譲語1)
⇒お父さんが他人(目上の人)にさし上げたもの。

〇C.これは昨日お父さんが( くださっ )たものですよ。(尊敬語)
⇒お父さんがあなた(子供など)にくださったもの。
「父親に対しては尊敬の念を持つべき」という考えの場合、家族内であっても父親は尊敬の対象となる...続きを読む

Q日本語について聞きたいです

下記は、ネットで見つかった文です。なんか読みやすくて分かりやすい。では、それは、参考になれる?
ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3380)

 「は」と「が」の違い
 -述語を強調する「は」、主語を強調する「が」-

 「空は青い」と「空が青い」の違いがわかるだろうか。また、その違いを言葉で説明できるだろうか。

 何となくわかっても、言語化できる人は、案外、少ないのではないだろうか。

 結論から言えば、「空は青い」と「空が青い」では、強調している箇所が違う。「空は青い」の方は「青い」、「空が青い」の方は「空」を、それぞれ強調している。

 「は」と「が」の違いは、述語を強調するのが「は」、主語を強調するのが「が」だ。

 例えば、「彼は犯人です」と「彼が犯人です」を比較すれば、理解できるだろう。

 「象は鼻が長い」という応用問題についても、触れておこう。

 まず、主語は「象」、述語は「鼻が長い」に分けられる。「は」なので、述語が強調されている。

 更に述語部分の「鼻が長い」も、入れ子構造で「主語+述語」になっており、分解すると、「が」なので、「鼻」が強調されている。

 この文の強調順位は、「鼻」「長い」「象」の順となる。

 山田詠美の作品に『ぼくは勉強ができない』という小説があるが、同様にこのタイトルも、強調順位は「勉強」「できない」「ぼく」の順になっている。

 ところで、日本人は、"This is a pen."を条件反射で「これはペンです」と訳している。だが、僕は「これがペンです」の方が適訳のことも多いと思う。

 強調すべきが、手に持つなりした「これ」なら、当然、「これがペンです」となるべきだ。

 手品をやる際、後ろの方の人に説明するなら、「これはペンです」。どう見ても、消しゴムにしか見えない物体が実はペンなら、「これがペンです」だろう。

 また、「彼が犯人です」を「は」を使って書くと、「犯人は彼です」となる。

 話の聴き手は、「既知の情報→新情報」という言葉の流れの方が、「新情報→既知の情報」という言葉の流れより、自然と頭に入りやすい。耳で聞くなら、従って、「彼が犯人です」より「犯人は彼です」の方が、理解しやすい。

 「彼が犯人です」と「犯人は彼です」は同じ意味だが、新情報を先に出すか、後に出すかによって、若干、ニュアンスは違っている。

 要するに、「は」と「が」の軸、「既知の情報」と「新情報」の軸の組み合わせで、同じ意味でも、表現に「味付け」をすることができるわけだ。

 「は」と「が」の使い分けは、日本語文法の根幹部分だ。「主語を強調するか、述語を強調するかで使い分ける」という話は、小学校の国語で教えるべきレベルだろう。

 しかし、僕自身は、学校で教わった覚えはない。大人であっても、明確に言葉で説明できる人は、おそらく少ないだろう。

 「主語を強調するか、述語を強調するかで使い分ける」という話は、あくまで僕自身のノウハウを言語化したものだ。

 日本の学校教育の現場では、「は」と「が」の使い分けという、日本語にとって、最も大事な話が抜け落ちているのではないか。

 山田宏哉記

下記は、ネットで見つかった文です。なんか読みやすくて分かりやすい。では、それは、参考になれる?
ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3380)

 「は」と「が」の違い
 -述語を強調する「は」、主語を強調する「が」-

 「空は青い」と「空が青い」の違いがわかるだろうか。また、その違いを言葉で説明できるだろうか。

 何となくわかっても、言語化できる人は、案外、少ないのではないだろうか。

 結論から言えば、「空は青い」と「空が青い」では、強調している箇所が違う。...続きを読む

Aベストアンサー

1.
>-述語を強調する「は」、主語を強調する「が」-

この箇所は正しい。
a.「は」は主題提示の係助詞です。
「彼は犯人です」は「彼について言うなら・・・」という意図の文。
「は」以降の述部の内容を伝えるのが主要な意図なので、『述語を強調する「は」』という見解は正しい。
b.「が」は主格の特定、及び希望・好悪・能力などの対象を特定する格助詞です。
「彼が犯人です」は「犯人です」の主格を特定しようとする意図の文。
主格が「彼」であると特定することが主要な意図になるので、『主語を強調する「が」』という表現は正しい。

2.
> 強調すべきが、手に持つなりした「これ」なら、当然、「これがペンです」となるべきだ。
 手品をやる際、後ろの方の人に説明するなら、「これはペンです」。

この箇所は正しい。

3.
>どう見ても、消しゴムにしか見えない物体が実はペンなら、「これがペンです」だろう。

この箇所は誤り。
a.『どう見ても、消しゴムにしか見えない物体が実はペン』だとしても、その物体について説明したい場合には「これは(消しゴムにしか見えませんが実は)ペンです」と表現する。
b.『どう見ても、消しゴムにしか見えない物体』が複数個示されていて、その中のひとつだけがペンの場合は「これがペンです」と特定して表現する。

4.
> 話の聴き手は、「既知の情報→新情報」という言葉の流れの方が、「新情報→既知の情報」という言葉の流れより、自然と頭に入りやすい。耳で聞くなら、従って、「彼が犯人です」より「犯人は彼です」の方が、理解しやすい。
 「彼が犯人です」と「犯人は彼です」は同じ意味だが、新情報を先に出すか、後に出すかによって、若干、ニュアンスは違っている。

この箇所は誤り。
『同じ意味』になることはあり得ない。
「同じような意味」に見えることはあるが、『ニュアンス』ではなく【意図】が異なるので、文の本質的意味も異なる。
「彼が犯人です」と「犯人は彼です」はシチュエーション次第で使い分けるべき表現。
理解しやすいか否かという問題ではない。
また、異なるのは意図・意味であって、ニュアンスという曖昧なものではない。

a.たとえば、捜査本部の一室。
複数の刑事が血だらけの男を部屋に連れてくる。
それを見た部長刑事が「なんだ?どうした?」と刑事たちに尋ねる。
一人の刑事が報告する。「彼が犯人です」
このシチュエーションで「犯人は彼です」と言う刑事は稀です。
なぜなら、部長刑事が知りたいのは「血だらけの男について」であって、「犯人について」ではないからです。
刑事は「血だらけの男」が犯人であることを特定する意図で、「彼が(我々が探している)犯人です」と表現するのが妥当。

b.2人の男が揉み合っているところに警官が駆けつけた。
「お前が犯人だな?コンビニ強盗の容疑で逮捕する」と言って男 A に手錠をかける。
男 A は「違う違う!」「犯人は彼です」と男 B のほうを見る。
このシチュエーションで、「彼が犯人です」と言う人は稀です。
なぜなら、警官が知りたいのは「犯人について」であって、「彼(男 B )について」ではないからです。
男 A は、「犯人について言うなら、それは男 Bです」という意図で「犯人は彼です」と表現するのが妥当。

5.
> 要するに、「は」と「が」の軸、「既知の情報」と「新情報」の軸の組み合わせで、同じ意味でも、表現に「味付け」をすることができるわけだ。

この箇所も誤り。
『同じ意味』になることはあり得ない。
意味の違いは4で述べたとおり。
残る『軸の組み合わせ』についても一応検証してみよう。
a.「彼は犯人です」
彼について言うなら・・・という意図。
「彼が犯人です」よりも冷静な、あるいはのんびりした表現と言える。
b.「犯人が彼です」
これは特殊なシチュエーションと言える。
「犯人(役)が彼です」など。

6.
この山田氏の記述は、以上述べてきた内容とは別に、もうひとつの問題を抱えている。
・「が」の前は新情報(「が」の後は既知の情報)。
・「は」の前は既知の情報(「は」の後は新情報)。
ということを前提に論を進めている点だ。
「彼が犯人です」
「犯人は彼です」
「彼は犯人です」
という文にあたっては、確かにそういうことは言える。
しかし、たとえば次のような場合はどうか。

※むかし、むかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川で洗濯をしていると大きな桃が流れてきました。※

おばあさんは新情報ではなく既知の情報ですが、『おばあさん [が ] 川で洗濯をしていると~』のような表現が成立しています。
このように従属節においては、「が」の前は新情報という公式は適用できないのです。
なので、「新情報・既知の情報」という捉え方は基本的に推奨しません。
ただ、従属節などの例外を考慮できるのであれば、そういう理解の仕方があっても良いでしょう。

この文は、個人的には以下のように考えたいところです。

・おばあさんについて言うなら⇒⇒川で洗濯をしていると大きな桃が流れてきた。

という意図ではなく、

・川で洗濯をしていると大きな桃が流れてきました。⇒「川で洗濯していたのは(おじいさんではなくて)おばあさんです」と(補足的にですが)特定している。

という意図。
重要なのは、「おばあさんは何をしていたのか?」ではなく「大きな桃が流れてきたこと」が、この文の骨子だ、という点に気づくことです。
外国語学習者の方々にとって、こうした理解の仕方のほうが汎用性が利くのではないかという気もするわけです。

1.
>-述語を強調する「は」、主語を強調する「が」-

この箇所は正しい。
a.「は」は主題提示の係助詞です。
「彼は犯人です」は「彼について言うなら・・・」という意図の文。
「は」以降の述部の内容を伝えるのが主要な意図なので、『述語を強調する「は」』という見解は正しい。
b.「が」は主格の特定、及び希望・好悪・能力などの対象を特定する格助詞です。
「彼が犯人です」は「犯人です」の主格を特定しようとする意図の文。
主格が「彼」であると特定することが主要な意図になるので、『主語を強調す...続きを読む

Qすみません 日本語について聞きたい ①このテーブルはハンドルが付いてて持ち運びやすい。 ②このテーブ

すみません 日本語について聞きたい


①このテーブルはハンドルが付いてて持ち運びやすい。
②このテーブルにはハンドルがついてて持ち運びやすい。

は は主題を表す助詞でしょう

それでも、には の場合はどうですか。

私の考えによると、一応ある言葉が「は」の前置かれて、いくらどんな長い文でも、最初から最後までのいずれの部分はみんなこの言葉を巡って説明するだろう。
①の場合、このテーブルは(ハンドルが付いてて)持ち運びやすい。
括弧の部分がなくても、 このテーブルは持ち運びやすい 「は」は役割を果たしているね


じゃ②場合はどうですか

このテーブルには 持ち運びやすい?

Aベストアンサー

この「は」は特殊性の認識を表わす副助詞です。

①このテーブルはハンドルが付いてて持ち運びやすい。

は、他のテーブルではなく、このテーブルというテーブルの特殊性の認識を表わします。

②このテーブルにはハンドルがついてて持ち運びやすい。

では、格助詞「に」が「このテーブル」の空間的な位置付けの認識を表わし、さらに副助詞「は」で、この位置付けの特殊性の認識を表わし、「このテーブル」の位置付けを強調しています。

このような、「は」は、

君がいくら探してもそこに【は】ない。
あの男だけ【は】信用できる。
博多まで【は】新幹線で行くことにする。

のように使用されます。

「は」が主題を表わすというのは、「水は酸素と水素の化合物である。」「月は地球の衛星である。」のような普遍性を表わす係助詞の「は」の場合、そのように解釈される文があるというに過ぎません。

このように、「は」には、特殊性の認識を表わす副助詞の「は」と、普遍性の認識を表わす係助詞の「は」の二種類があります。

これを一纏めにして混同し、主題を表わす、新情報を表わす、取立てを表わすなどと個別の文での機能を取り上げても混乱するばかりです。■

この「は」は特殊性の認識を表わす副助詞です。

①このテーブルはハンドルが付いてて持ち運びやすい。

は、他のテーブルではなく、このテーブルというテーブルの特殊性の認識を表わします。

②このテーブルにはハンドルがついてて持ち運びやすい。

では、格助詞「に」が「このテーブル」の空間的な位置付けの認識を表わし、さらに副助詞「は」で、この位置付けの特殊性の認識を表わし、「このテーブル」の位置付けを強調しています。

このような、「は」は、

君がいくら探してもそこに【は】ない。
あの男だけ...続きを読む

Q「こと」と「事」の使い分けがどうしても分かりません。

色々調べたのですが、どうしても、「こと」と「事」の違いが分かりません。

①「面倒な(事)になる前」=これは「事件」が代入でき、「出来事」のことなので漢字でしょうか? ですが、抽象的で断定されていなく、漠然としているので、ひらがなのようにも思えます。
 「面倒な」が修飾語ですから、ひらがなのように思えます。
 「面倒な事」というひとつの塊にも見え、それだと主語にはならないので、ひらがなのように思えます。

教えてgooの過去の答えも見たのですが、さっぱり分かりません。
もっと簡単で確実に間違えがない判別方法はないでしょうか?
サルでも分かるように、すっごく詳しい説明をお願いします。><

※「こと」も「事」も、ひらがなで書くというのは最終手段で、できれば使い分けたいです。
※「もの」「とき」「ところ」は分かります。

Aベストアンサー

>①「面倒な(事)になる前」=これは「事件」が代入でき、「出来事」のことなので漢字でしょうか? ですが、抽象的で断定されていなく、漠然としているので、ひらがなのようにも思えます。

おっしゃるとおりで、「出来事」を意図する場合と、『抽象的で断定されていなく、漠然としている』場合の両方があるでしょう。
前者は「面倒な事になる前」
後者は「面倒なことになる前」
と表現するほうが自然な印象になると私も思います。
後者は「面倒な事柄」という意味ではなく、あくまで「面倒と判断されるような状態」といった意味だからです。
この「こと」は、あくまで「面倒」という状態を体言化するためだけに用いられている語であり、形式名詞です。
体言化する必要を感じなければ「面倒が起きる前」などと言い換えても構わない。
「事」と漢字にする必然性は薄いと言えるでしょう。


ただ、厳密な区別がされているわけではなく、また、その必要もないと思われます。
とはいえ、大辞泉にある下記のような例文。
「事の真相」「事の起こり」
「失敗したら事だ」「ここで事を起こしたら苦労が水の泡だ」
「事をなしとげる」
「事を見守る」「事と次第によっては許さないでもない」
などは、形式名詞ではありません。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/80340/meaning/m1u/%E3%81%93%E3%81%A8/
このように連体修飾語の無いものは基本的に形式名詞ではないと判断できると思うので、この場合は「事」のほうが適していそうです。
逆に、連体修飾語があれば形式名詞である可能性も高いので「こと」と考えておけば大過ないでしょう。

>①「面倒な(事)になる前」=これは「事件」が代入でき、「出来事」のことなので漢字でしょうか? ですが、抽象的で断定されていなく、漠然としているので、ひらがなのようにも思えます。

おっしゃるとおりで、「出来事」を意図する場合と、『抽象的で断定されていなく、漠然としている』場合の両方があるでしょう。
前者は「面倒な事になる前」
後者は「面倒なことになる前」
と表現するほうが自然な印象になると私も思います。
後者は「面倒な事柄」という意味ではなく、あくまで「面倒と判断されるような...続きを読む

Q日本語の質問です。

日本語を勉強している外国人です。
「テンション上がってこの通り」の「この通り」とはどういう意味でしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

具体的な状況を説明する事を省略して、対話の相手に見えている様子、聞こえている様子そのままの状態ですよ
と言う意味

別の言葉に置き換えるとすれば

『テンション上がって、このような感じ・様子です』
とか

『テンション上がって、ご覧のように大騒ぎしてます』
とか

Q引き続きの質問です。 「ふみ」と自分のスマホで入力したら予測変換で「道」が出てきたのですが、道という

引き続きの質問です。

「ふみ」と自分のスマホで入力したら予測変換で「道」が出てきたのですが、道という漢字はふみとは読まないんですか??

でも確かに、どこ調べても「道」は「ふみ」と読まないみたいで混乱しています。

シメジというキーボードアプリで「ふみ」と入力すると予測変換でずーーっと下の方に「道」が出てきました。

僕のスマホがおかしいのでしょうか?
それとも、「道」を「ふみ」と読める可能性があるのでしょうか?

Aベストアンサー

「道」は確かに歩く時、「踏む」ものですから、誰かがそう読み始めたら使う人があるかもしれません。今まで目立たなかっただけかもしれません。そう読んで不思議というものでもありません。


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング