【無料配信♪】Renta !全タテコミ作品第1話

「日清戦争の講和条約(下関条約)の交渉期間中に清国側の李鴻章が暴漢に襲われたので、欧州列強が条約内容への介入を強めてくるのではないかと日本側は危惧した」
というような説明を聞いたのですが、
李鴻章がいなくなることと欧州列強の介入の間にどのような関係があるのでしょうか?
清国側には、李鴻章以外には交渉の場に立てる人がいなかったということですか。

A 回答 (2件)

李鴻章が襲われたことが、もともとあった列強の干渉を更に強めた事は事実かもしれませんが、


当時の日本政府は、講和条約について列強国から干渉を受けるのは免れられないだろうと考えていました。
そして、それへの対応も検討していました。
(結局干渉を受け入れる事になりましたが、その前に様々な各国と交渉をしています)


清国も、事件前に各国にそれを要請していました。

「在英国加藤公使からの電信」(3月20日)
《「ルウタル」の電信に依れば、清国政府は英、仏、独、露に駐箚する其公使に訓令して、日本国より支那大陸に於ける土地の割与を要求したるときは、支那大陸の完全を保たん為め、右諸国の干渉を乞うべしと命じたるよし。又、在露国「タイムス」新聞通信者の報告に依れば、露国は其地中艦隊を挙げて尽く太平洋に送ることに決し、其準備中なりと。》

李鴻章が襲われたのは3月24日、下関条約の調印は4月17日です。



A:>李鴻章がいなくなることと欧州列強の介入の間にどのような関係があるのでしょうか?

回答A:「いなくなる」の意味が不明ですが、関係はないと思います。
理由:そもそも、李鴻章はいなくなっていません。(下関条約は李鴻章が調印しています)


B:>~というような説明を聞いたのですが、

「説明をした方」は「彼がいなくなった」と言っていたのでしょうか。
「「日清戦争の講和条約(下関条約)の交渉期」の回答画像2
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

李鴻章の怪我は重傷で、日本側が最初にその情報を聞いた時点では彼の命が助かるかどうかも分からなかったので上記のようなことを危惧したが、一命はとりとめたので何とかなった、というような説明でした。

死ぬことを「いなくなる」と書いたのは私です。

お礼日時:2018/12/24 17:10

李鴻章がいなくなることと欧州列強の介入の間に


どのような関係があるのでしょうか?
  ↑
日本が遼東半島を領有してしまうと、列強、
特に国境が近いロシアは、権益を脅かされると
思っていました。

それで、戦争によって日本が得られる権益を制限しようと、
介入する口実を探していました。

そうしたところに、李鴻章が襲われた、という
ことで、介入する絶好の口実が出来たわけです。

だから、李鴻章がいなくなるから、という
ことではありません。
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西郷隆盛が中央政府に戻った明治4年から明治6年に中央政府を去るまでの
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人間だったにも関わらず、
弟から海外視察の内容を聞いただけで世界的な動きを直感的に感じ、
日本の進むべき方向性を理解し、
今やるべきことをわかっていた人のように感じます。
  ↑
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一方で、戦前といえども、民間人が自由にけん銃を所持することは原則的には出来なかった。
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その辺は闇の中です。
というより、そういう核心を簡単に世間に漏らしてしまう人物に政治はできません。
なので真相に迫る客観的資料は皆無です。

前後の状況から、薩摩藩は第二次長州征伐で幕府に愛想を尽かし、薩英戦争で攘夷を捨てたと思われます。
しかし黒船以来の外国の脅威は変わらず存在し続けています。
ならば厳しい国際情勢の中で日本の独立を守るためには、思想や主義の隔たりは捨てて討幕勢力を大同団結し、革命を起こして新たな日本を作るしかない、
という結論には達していたようです。
ただしその後どちらが主導権を握って長州と仲直りし同盟を結ぶところまでこぎつけたか、それは資料がないため学問上の結論は得られていません。

学者はこういう場合「根拠が不十分なので推定不可能」というしかありません。
しかし作家には想像が許されています。
資料が語ってくれない闇の部分を自分のイマジネーションを生かして補う。
歴史小説はそうして作られます。

なお竜馬自体は勝の指示で動いていた節があり、そうであれば討幕派からすれば当然面白くありません。
当時流行した「天誅」の対象になるのは当然です。
しかしこれも確証がないため想像の範囲を超えません。

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江戸時代初期の、一人当たりGDPは5百ドルぐらいです。

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だから、1,5倍程度の技術進歩があった
のでしょう。




2008年と2018年の10年間の進化くらいらでしょうか?
  ↑
これだと10%にも満たないです。

一人当たりGDPで1,5倍を計算すれば
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(緊張が解け、両者共に鞘から抜刀して人振り。スパンッ。相討ち)

みたいな。

歴史に詳しい方お願いします。

Aベストアンサー

戦争ではなく、一対一の決闘形式の斬り合い
ですね。

実際の記録をいくつか紹介します。


永遠に続くかと思われていたにらみ合いを
やって、その後双方が突進した、と思ったら
片方が倒れた。

エイヤ、と斬り込んだが、間合いが遠すぎて
届かず。
それどころが、自分の膝に斬りこんでしまった。

さあ、斬り合いだ、と思った瞬間、意識が遠のき、
相手がはるか遠くにいるように感じた。
気がついたら相手が倒れていた。

誰かが侵入したらしい。
刀を持って待ち伏せしていたが、無性に喉が
乾き、雑巾を入れたバケツの水を飲み干した。
相手はそのまま姿を見せず、逃走。

たかが試合だって、極度に緊張するのが現実です。
それが刃物を持った殺し合いですよ。
緊張は極限状態に達します。
通常の精神状態で殺し合いなど出来ません。





久しぶりにるろうに剣心の実写版を観ましてですね、
「やっぱりアクションは凝っていて、大迫力やなあ」と感心しました。
 ↑
あんなアクロバット剣術など存在しません。
あれは映画用のただの見世物です。

下半身をしっかり大地に踏ん張っていなければ、
作用反作用の法則からいって、人を斬ることなど
不可能です。

戦争ではなく、一対一の決闘形式の斬り合い
ですね。

実際の記録をいくつか紹介します。


永遠に続くかと思われていたにらみ合いを
やって、その後双方が突進した、と思ったら
片方が倒れた。

エイヤ、と斬り込んだが、間合いが遠すぎて
届かず。
それどころが、自分の膝に斬りこんでしまった。

さあ、斬り合いだ、と思った瞬間、意識が遠のき、
相手がはるか遠くにいるように感じた。
気がついたら相手が倒れていた。

誰かが侵入したらしい。
刀を持って待ち伏せしていたが、無性に喉が
乾き、雑巾を入れた...続きを読む

Q日清戦争と鉄道

日清戦争前に、東京と広島間に鉄道が作られました。
そのおかげで日清戦争のときに物資が運ばれたそうです。
(漫画日本の歴史にそう書いてありました)

ここで疑問です。
なぜ瀬戸内の広島だったのでしょう。
清に物資を運ぶなら、島根や鳥取の方がはるかに近いでしょう。
海をぐるっと回ったり、中国山地を越える意味が分かりません。

詳しい方の解説をお願いしたいです。

Aベストアンサー

広島までの鉄道は、日清戦争のために作られたという訳ではありません。
そもそも、当時の神戸~広島は山陽鉄道という民間会社です。
このため、物流や人の流れを勘案して広島まで敷かれていました。
つまり、日清戦争では広島まで鉄道があったから
物資を運ぶのに有利だったということです。

逆に、鳥取・島根には鉄道がなく、
新たに敷設するのが大変なのです。

ちなみに、広島と呉が近いと思う方が多いのですが、
行ってみればわかるけど全線単線で片道1時間弱、
しかも、呉線の開通は1903年(日露戦争直前)です。
日清戦争では、ほぼ関係ありません。


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