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日本の有識者もほぼ受け入れているようですが、私の認識していることと違う。

時折TVで報道されるのは、時の李朝政府と日本政府との併合文書(?)に李朝側の押印に国を代表す押印がなかったと。

この件がわかる人いますか?
日本の言っていることに無理があるから、侵略表現を受け入れているのでしょうか?

A 回答 (26件中1~10件)

> 合意及び条約等に沿って双方が国内調整をする。


> それが出来ないのが、韓国政府だと思いましたので、どこにそれがあるのかを知りたかった。

結局、ご質問者が知りたいのはこれということですね。それではお答えしましょう。
まず、法学の基本として「後法優越の原理」(後法は前法を破る)があります。1965年の日韓基本条約で、「千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効である」と定められました。ご質問文中の「時の李朝政府と日本政府との併合文書」とやらも、これに含まれるので、もはや無効です。条約等は、いつまでも有効ではないのです。
ただし、1965年の条約は今も有効です。ご質問者が「1965年の条約に沿って双方が……」とおっしゃりたいのなら、話は分かりますが。

その1965年条約ですが、第2条の「もはや無効」は玉虫色条項として有名です。いつの時点から無効なのか、決着を付けず棚上げしたまま、条約は結ばれました。条約交渉において韓国側は、最初から無効だったと主張しました。1910年の併合条約も含めて、最初から無効だったというのです。したがって、併合条約に基く日本の韓国統治(1910~1945)は、不法な強占(かんちょむ)であったというのです。強占すなわち侵略です。
これに対し、日本政府は反論しました。しかし、とどのつまり韓国側の言うような解釈もできる、日本側の言うような解釈もできる、「もはや無効」という文言が採用されました。

ということで、日本は韓国に対し、「1910年の併合条約は、1945年までは有効だった」と認めさせることさえできないのです。どうも、ご質問者は分かっていらっしゃらないようですが。併合は45年に終わったが、それまでは有効だったというのが日本政府の主張ですが、韓国政府によれば、そもそも最初から無効です。
その食い違う主張のどちらもが成り立つように、1965年条約は結ばれました。
もし、「1965年の条約に沿って双方が……」とおっしゃりたいのなら、新たに質問を立ててはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

有り難うございます。
はい、知りたかったところに迫っていると思います。

>1965年の日韓基本条約で、「千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効である」
1965年の日韓基本条約締結後は、締結前まで有効だった併合条約内容は新たな締結内容に置き換わり、今後無効になると理解しますが。

>1910年の併合条約も含めて、最初から無効だったというのです。
この合意を元に歩んできた歴史をなかったことには出来ない。
これは私レベルでも、理解力がないと判断しますが・・・。

仮に韓国の主張を受け入れるなら、双方の資産管理の再確認くらいは出来るかも知れないが・・。
その資産管理で、当時日本が日本国民の税金をどのくらい投入してたという数字を持っていうのか?
未開の地が文明国家に向かう基礎を造ったと言うことも、表現できる事と出来ない事とある。
それらを含めてお互い白紙に戻し賠償問題とするのか?

こういう事が出来ることではないと思いますが・・・。

お礼日時:2019/01/14 08:54

(4) ネトウヨは史料批判など知ったことではない



ネトウヨネトウヨと不浄の名を連呼するのも何なので、以下、ネと略すことにしよう。
さて、歴史とはコンテクストである。史料はいわばテクストである。従前からネがおこなっていることはテクストのチェリーピッキングに過ぎず、肝心のコンテクストについては読み誤ってばかりだ。教科書を理解できないのもそのためである。

試みに、ネの書き込みから史料の引用を消してみよう。するとネの主張は、高宗がまったく皇帝の器ではなかったので(伊藤統監が圧力をかけるまでもなく)退位するのが当たり前、というようなことだろう。また、朝鮮の宮廷や官僚たちの腐敗というようなことだろう。しかし、皇帝の器ではないとする史料は、高宗の大臣(李完用)が伊藤に語ったことを、伊藤が東京に報告したものである。
ここで史料批判が当然必要とされる。まず、これは伊藤の捏造ではない(捏造報告したら、日本本国の枢機が混乱するから)と思われる。李完用は確かにそう言ったと思われる。外形的には偽ではない、略して外真としておこう。
しかし、内容的にも真だろうか? 李完用は、もとは親露派(さらに親米の要素もあった)にもかかわらず、日露戦争における日本の勝利を境に、親日派へ鞍替えした変節漢ではないか。変節漢が外国人(伊藤)に阿(おもね)った発言を、そのまま信用できるか? これは自分の主君を讒言(ざんげん)したものと考えるべきではないか。すなわち、内容的には疑問符が付く。こうして史料批判の結果、外真・内疑となる。

そしてこのようなテクスト批判が、コンテクストの理解につながっていくのである。日本高官向けの李完用らの讒言にもかかわらず、高宗は、朝鮮の朝野(ちょうや)になお多少の信望を有していた。それが歴史のコンテクストである。だからこそ、高宗の退位をきっかけに、また、その死をきっかけに、朝鮮で抗日闘争が燃え上がったのだった。
仮に、ネの引用したチェリーピッキング史料通りに、高宗がまったく信望を失っていたならば、退位しても「やっと辞めたか」てなもんで朝鮮は平静だったはずだ。しかし、歴史事実はそうではなかった。老獪な伊藤も、その辺の機微(退位させたら日本にとって逆効果かも知れない)に気付いていたと思われ、高宗に圧力をかけつつも、慎重さも見せていたことは前回の回答で述べた。

以上のような歴史のコンテクストを踏まえて、教科書は記述されている。まあ私は教科書執筆者と全然関係ないけど。史料批判も無しに史料の引用を羅列するような者に、歴史を語る資格はない。
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この回答へのお礼

有り難うございます。
過去の史実を元にその時々の双方の判断で、現在が有るのが現実です。
その判断を今判断して間違っているとか、反故にするとかと韓国政府が言っているので、どこにどういう問題があったのかを知りたかったのです。

考え方はいろいろあるかも知れませんが、合意及び条約等に沿って双方が国内調整をする。
それが出来ないのが、韓国政府だと思いましたので、どこにそれがあるのかを知りたかった。

仮に当時の合意に問題があったとしても、政府間の合意であれば遵守するのが当たり前だと思いますが・・。
それを司法は別だという、国を代表して交渉している政府に国内法の知識がなかったというのか?

それでは、相手国として困るから国内法を勉強してから交渉しましょう、と言うことになる。

無知な人間が国を代表して、無知を振りかざしているようにしか私には思えないです。

*失礼ですが、
コメント者への批判は控えた方が良いのではないでしょうか?
批判したところで、あなたのコメントの評価が上がるわけでもありません。

お礼日時:2019/01/13 20:03

お礼、拝見しました。


この時代に詳しくない方には判りにくかったと反省します。

本当は書契問題からの征韓論や江華島事件、壬午軍乱、
済物浦条約や甲申政変などなどたくさんあるのですが、
詳述すると長いので簡単に。

1895年 日清戦争の結果、下関条約(4月)
     日本が朝鮮を清から独立させることを決めさせる
    三国干渉(4月)の結果。朝鮮における日本の影響力が低下
     王妃閔妃を中心とした勢力がロシアに急接近
    乙未事変(10月)
     閔妃が暗殺される
1897年 大韓帝国成立
1904年 日露戦争開戦(2月)
    第一次日韓協約(8月)
     日本が韓国の内政と外交に干渉できることになる
1905年 高宗が第一次日韓協約に抗議する密書をロシアに送付(3月)
     実は高宗には前科がありました。当たり前ですが日露戦争中です。
    日露戦争の結果、ポーツマス条約(9月)
     ロシアが朝鮮に干渉することを諦めさせる
     今回は省略するけど、ハーグ密使事件はロシアが関与しています
    第二次日韓協約(11月)
     日本が韓国の外交権を掌握
1907年 高宗が第二次日韓協約に抗議する密使を万国平和会議に送る(6月)
     これが「ハーグ密使事件」(ちなみに密使の書簡の日付は4月20日)
    「来電122号」(7月2日、後述します)
      当然、日本にばれました
    「来電57号」(7月7日)
      伊藤が高宗を「恫喝?」
    「来電141号」(7月12日、後述します)
    高宗が純宗に譲位(7月20日)
    第三次日韓協約(7月24日)
     日本が韓国の内政に深く関与することになる
     韓国軍は事実上の解散(本当は一部を残しています)
    義兵運動の活発化
     クビになった軍人が反日活動に加わりました
     翌年にはピークを迎えますが、その後は急激に縮小していきます
1910年 日韓併合

当初のご質問にあった印章の問題は純宗のお話なので、
本当は回答としてはかなり離れたお話なのですが、
当時の朝鮮がどんな状況か、「往電秘第64号」だけが
根拠だと思って(他にも挙げているのに…)
専門学校卒と勘違いされている方にも判るように、
いくつか挙げておきます。
個人的にはどんな反論かワクワクしていましたが
ものすごくがっかりなので、その点も少し触れます。
本当はここまで書くつもりはなかったので、
一部省略していたことも挙げておきますので、
かなり長いけど、当時の状況を知ってもらえれば幸いです。


・「来電141号」(7月12日)

西園寺総理大臣より。

 外務大臣宛第57号貴電の件に関しては、元老諸公及閣僚とも
 愼重熟議の末、左の方針を決定し、本日御裁可を受けたり。
 即ち帝国政府は現下の機会を逸せず、韓国内政に関する
 全権を掌握せんことを希望す。其の実行に就きては、
 実地の状況を参酌するの必要あるに依り、之を統監に一任すること。

実は省略していましたが、当初の日本側は韓国内政の
全権掌握を希望していました。その方法は伊藤統監に一任
ということになっていました。
以前に提示した「今日は否」とかの書かれていたのは
その後の討議の結果で、「来電164号」(7月22日)で
伊藤の意向で併合や譲位の方針を決めてよいことになりました。
なので、高宗の譲位について日本が干渉するというより
日本も対応を検討中ということになります。
この時併合しなかったのは面倒が増えるから。

ちなみに、いまさらですが「来電57号」から
 韓国政府に於ても事態の重大なることは具さに諒し居り、
 内密に本官に告ぐる所によれば、
 事此処に至りては国家と国民とを保持せば足れり。
 皇帝身上の事に至りては顧るに暇なしと、
 蓋し譲位を意味するものに似たり。
 之に対し本官は、尚熟慮すべしと答へ置けり。
内密に政府から、「国家と国民を守るには譲位を検討中」
というお話が合ったけど、伊藤は「よく考えてね」と答えています。
高宗一人の責任と言ったのは(他にもあるけど)このようなわけで
矛盾でも何でもありません。
(伊藤が恫喝した?ところしか読んでいないのかな?)



・ハーグ密使事件

では、ハーグでどのような主張をしたのでしょうか。
「来電122号」(1907年7月2日)に書かれています。

 「ウヰリアム、ステツド」が、当地にて発行の
 「クウリエイ・ド・ラ・コンフエランス」は、
 本日の紙上にて、韓国前副総理大臣外2名が、
 27日附にて平和会議委員に送付せりと称する書面を掲載せり。
 該書面には先づ、右韓人を平和会議委員として
 韓国皇帝より派遣されたる者なることを記し、
 続て日本が韓国皇帝の意に反し、兵力を用ひ
 且韓国の法規慣例を蹂躙し、韓国の外交権を奪取せること。
 其の結果、同人等が韓皇帝派遣の委員たるに拘はらず、
 平和会議に参与する能はざるを遺憾とすること。
 本書面には、日本の非行の概略を記したる文書を添附せること。
 各国委員にして、尚詳細の事項を知らんことを欲し、
 又は韓皇帝の附与せられたる全権を確かめんと欲せらるれば、
 其需に応ずべきこと等を述べ、同人等をして平和会議に参与し、
 日本の行為を暴露するを得せしむる為め、助力を与へんことを求めたり。

「日本が韓国において武力で強制して法規を蹂躙しているから
 外国の皆さんの力で日本をやっつけてください」(意訳)
こんなことを言っていたので、
「宣戦布告されてもおかしくない」
と言われていたのです。

全く関係ありませんが、この万国平和会議は2回目。
1回目に決められたのがハーグ陸戦協定。
3回目は第一次世界大戦で無期延期です。



・「韓国施政改善ニ関スル協議会」

さて、高宗が専断的・専制的かどうかなど、
よくわからないで推測されておられるようなので、
その一面をご紹介しておきます。
今回取り上げるのは第9回(1906年7月23日)

 宮内府に於て、啓字の御印を濫用せらるるの弊害、
 実に甚しきものあり。
 此の問題に関しては、既に宮内大臣にも注意し置きたる所なるが、
 今や弊害其の極に逹し、啓字の御印を捺したるものを
 売買するものあるに至り、尚此の儘に棄て置かんには、
 終には全く其の真偽を判別すること能はざるに至らん。

高宗は国家の印章を個人的に使ってそれを販売して
私腹を肥やしていました。
この会議は韓国の閣僚と日本の統監の会議なのですが、
この後は勝手な行動をした皇帝の擁護する閣僚を
「もっとまじめにしろ」という伊藤との会話が続きます。
この様に、韓国の閣僚もほとほと困っていました。
この結果がどうなったかというと第13回(1907年4月5日)

 特許の如きは、政府も之を許し、皇室も亦之を許すが如き
 不始末にて、其の紊乱、実に名状すべからざるものあり
 加之宮内府に於ける啓字判の濫用の如き、
 外人に対する特許売買貸借の証書に、之を押捺交付するに至り、
 先方は、歴然たる証拠書類あるに拘はらず、宮内府には写もなく、
 原議もなきが如き状態なり。

外国との許認可を政府と皇室が濫用したうえ、
副本の保存もしていなかったそうです。

 啓字判を押したる証書を以て、上海の仏国実業家より借り入れたる
 二万円の返済方に関し、仏国総領事より統監府に交渉あり。

最終的に、諸外国の方々はハンコがある書類を証拠に
日本に請求書を廻してきている状態です。
(これを「高宗の精いっぱいの抵抗」と考える方もおられます)



・韓国の財政状況

正直、こちらを指摘されると思ったのですが、以前に提示した
韓国の歳入749万円は1906年(光武10年)のおはなし。
1907年には臨時歳入も含め1646万円ありました。
「韓国財政概況」(9画像目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/799648
(国立国会図書館デジタルコレクション)
 注 普段あまり使わないから見えなかったらごめんなさい
   その時は「韓国財政状況」で検索してみてください
では、韓国軍を解散しないで済んだかというとそんなことはなく、
1907年に行われた国債報償運動の目標である日本からの借金が
約1300万円です。
つまり、日本からの借金だけでも国家予算規模でした。

ちなみに、この国債報償運動は日本から借金を国民の力で返済しようと
民間で寄付を募ったもので、当時は日本に反発する勢力が強くて
毎日、新聞に寄付額が載るなどそれなりに集まりつつありました。 が、
1907年6月をピークに激減します。
(この時(1907年7月)に何があったかは上の方の記載から考えてみてね)
そして主催者は翌年寄付金の横領で逮捕されるという
(寄付金はほとんど残っていなかったそうです)
実に朝鮮らしい結末を迎えました。
(現在でも韓国はこの逮捕が原因で運動が潰えたから
 悪辣な日帝の妨害が無ければうまくいったと思っています)


「往電秘第64号」だけが根拠と思っておられる方に
これくらい史料を挙げれば十分でしょうか。
(ちなみに残念ながら史学専攻ではなく理系だけど大卒ですよ)
こんな状態だから高宗は譲位して韓国は日本に併合したという考えです。
正直、専門家でも専門科で履修したわけでもないから
反論があるなら勉強になるので楽しみにしています。
(でも、もう書き込みはしないと思います)
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この回答へのお礼

有り難うございます。
何度か読み返してお礼が遅くなりました。
(それでもまだ理解十分ではありませんが)

事件発生年毎に概略が書かれており素人にはわかりやすいと思いました。
18951年より前50年くらいはどんな助教だったのでしょうね?

日本との関わりが韓国の文明化へのスタートであり、当初より裏切りを常々行って世渡りをしていた民族だと感じました。

歴史の両国関係者の調整で曲がりなりにも、国として進展した。
しかし、いつになっても自分中心で他者を踏み台にする人種かな?
と紹介された歴史を見ると感じますね。

当時の時の政府間で合意、条約を結んだらそれで進むのが責任だと・・
過去に戦争は世界中で有った事で、それを現在の思考で言えば、敗者がすべて対等になってしまう。
領地もそうで、遡れば・・・互いの主張が噛み合うはずもなくどこかで線を引くしかない。

中国は今でも、侵略を繰り返し民族浄化を繰り返している。
(今回の質問とは関係ありませんが)

それを現在の思考で、被害者になり合意、条約は無効だという思考が異常ですね。
それともの事の終わりの管理が全く出来ないという事なんでしょうか?
感情的な人種だとは認識していますが、思い出してはちゃぶ台返しを平然と行い、思い出したように追加を要求してくる。

韓国が歴史をしっかりと認識し、時代時代の自国の生き方を反省し今後に活かすなら解るが、現在において賠償しろとか言うことではないし、合意、条約を無効だとかと言うことでもない。

嘆くのは、そういう自国の力にない時代があって苦労したというのは反省すれば良いことで、それをネタに日本を食い物にしている。
それも、雨宿りで軒先を貸したら母屋を取らそうだと・・・。

長文で・・・まとまりが悪いですが、
韓国人の本質の問題はどうしようもないと言うことかな?
関わらないで済むなら、それが一番だと。
無理であれば、必要以上には近寄らない。
手を差し伸べたすべてが、徒になって返ってきている。

お礼日時:2019/01/13 08:16

屁理屈を並べるよりも事実を見ればいいんですよ。



朝鮮をロシアの侵略から守るため多大な犠牲をはらい防いだ。
日本が日露戦争で敗れていれば朝鮮民族は間違いなくツンドラを彷徨うジプシー民族でプサン港はロシアの軍港になって日本を脅かす存在になっていた。
李王朝にロシアと戦う力はない。

侵略統治した国に莫大な投資をしてインフラを整備、学校を作り教育を施した。
植民地支配するならば併合などする必要はなく植民地の民族に教育は最も危険な事、貧富の差なく教育を実施し大学まで作り日本に多くの留学生を受け入れた。

日本人と同じ姓まで名乗ることを許し軍隊まではいれた
戦えない民族、領土を守れない民族を滅亡から救った事実を冷静に見ることです
事実だけを分析すれば植民地という発想はできないはず

以上のことに事実と違うところがあれば教えてほしい
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この回答へのお礼

有り難うございます。
侵略した国が植民地として扱う場合、必要以上のお金は使わない。
私もそう思います。

西ヨーロッパの植民地政策を見ると、植民地化されたところの発展はほとんどないですよね。

韓国の歴史は1948年の独立したときからが韓国の歴史なんだろうか(^^)
1900以前は中国の属国で、1945年頃までは日本に併合されて、日本の敗戦で1948年に米国から独立したと。

権利の主張しかせず、義務を全くしないというか歴史を認識できないのは
当時の記録が漢文(?)でハングルではないため?
それとも、自国のふがいない歴史を恥じているのか?
そういう時代があったから今があるとは考えない民族ですよね。

お礼日時:2019/01/10 07:33

〔前回からの続き〕



(2) 大学に行ってないように見える

今どき猫も杓子も大学へ行く時代であり、行ったからとて、どうと言うこともないのだが、やはり専門学校卒などとは違いがあるかもしれない。例えばゼミの討論などを経験できる。
統監から外務次官宛ての電報なんぞを引用して、教科書は間違ってると結論付ける異常な論法をゼミで発表すれば、たちどころに先輩ゼミ生などからツッコミが入るだろう。なぜ外務大臣宛ての報告を引用しないのかと。それを差し置いて次官宛てを引用するのは、筋が悪すぎないかと。チェリーピッキングではないかと。
史料の読解力まで云々(うんぬん)なさっているが、どこからそんな自信がわいてくるのか、不思議でしょうがない。史料の扱い方(史料の価値の吟味など)を習ったことがあるようには見えない。まあ匿名の赤の他人の学歴など知らないが、要するに私が申したいのは、「教科書をこきおろす人は教科書以上の知識があるわけではなく、(高校)教科書を理解するにも足らないほどの頭のおかげで、自分の浅見が教科書より上等と錯覚しているに過ぎない」ということである。

さて話を戻して、7月7日付け外務大臣宛て報告であるが、伊藤は密使派遣事件に関して、「本官は皇帝に対し其の責任全く陛下一人に帰するものなることを宣言し」たと述べている。これこそまさに、ハーグ密使事件をきっかけに、日本が高宗一人の責任問題と決めつけて、難詰し、退位に追い込んだことを裏付けている。ただし、一直線に退位まで追い込んだのではなく、日本側に慎重さもあったことは、前回の回答で述べた。よく言えば慎重、悪く言えば老獪だった。

(3) 伊藤博文の矛盾

仮に、事件の責任が皇帝一人に帰するほどに、皇帝が専断的・専制的であったならば、そのあと臣下がクーデターでも起こさぬ限り、皇帝を退位させることはできなかったはずだ。しかし、実際はクーデターもなしに短時日のうちに皇帝は退位まで追い込まれた。これは、従来から皇帝がかなり実権を失っていたことを示している。
それなのに、伊藤は密使事件の責任を皇帝一人に帰するものとした。これは矛盾である。密使事件を一人でやらかすほどの権力は、皇帝にはなかったと考えられる。逆に「臣下が勝手にやったこと」という皇帝の言い訳も、これまた極端で信用できないが。事実はその中間状態だったであろう。
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この回答へのお礼

有り難うございます。
気になったのは学歴が必要だという指摘ところです。

ご指摘のように、教えられる学校教育は大学からなのかも知れませんが
教えられる環境にない人間にも解るような回答をお願いしたい。

頂いた回答に問題があると言っているのではありません、誤解のないように。

前の回答にも書かせて頂きましたが、
李朝と日本の関係の年表があり問題点(?)が見える資料があると、
それに対しての見解の相違なんかが議論できるのではないでしょうか?

少なくともテロ、反政府分子等は脇に置いて・・・。

お礼日時:2019/01/07 18:58

貴重な反論があったので、少し追記しておきます



今回のFCレーダー照射に例えると、
レーダー照射(ハーグ密使事件)を起こした側に対して
反撃して撃沈もあり得る(宣戦の権利がある)というのが
恫喝で日本が悪いと言うご意見のようです。

では、この時までに何もなかったのでしょうか。
『1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告
(國分書記官通訳并筆記)』

 附言
 翌10日、李学相は統監代理を訪問し、先づ政界の現状を
 述べたる上、伊藤統監再度来韓何れかして陛下の性格を矯め、
 国政改善の事をして奏効せしめんと熱心に盡力せられたるも、
 終に最後に陛下の性格を充分了解せられ、
 終局救済すべからざるものと認められたるに相違なしと信ず。
 予等も、多年君臣の情誼として種々其手段を執り、
 聖意を飜すに努めたりと雖、到底無益なることを曉れり。
 就ては、此の上の手段は、当国の歴史に其実例を見る所の
 廃立の挙に出づる外なしと信ず。
 乍去、此事たる表面日本側に相談し其同意を得たりとせば、
 事態甚だ面到なるに付、予等三、四同志の間に断行し、
 累を日本に及ぼさざること肝要なり。

これは1906年12月10日で、ここでの李学相とは李完用のこと。
この頃から「廃位の挙に出るしかない」と言われていますね。
1907年7月のハーグ密使事件を起こす前からこんな状態でした。
これに対して長谷川統監代理の回答が

 宮中府中の別を明かにすることに付、陛下は一々之を嘉納し、
 且つ之を励行せんことを仰せありたるに依り、
 其質言を空ふせざらんが為、予は一つの詔勅を参政大臣に対し
 煥発せらるる様致さん考なり。
 (中略)
 猶ほ毫も其効果なきに於ては、貴大臣の抱かるる意見を
 実行せらるるも万止むを得ざるべし。

9日(前日)の謁見で詔勅が出るから様子見してはどうか。
まさかそれでも効果が無かったら仕方ないという考えです。
で、様子見した結果が皇帝の独断によるハーグ密使事件です。


こんな話はいろいろあるけど、長いから省略しただけ。
朝鮮初の鉄道である京仁線の建設で、敷設権を理由に借款して、
お金を受け取った直後に敷設権をアメリカ人に売却するなどなど、
日本を愚弄するような姿勢に対して日本が反対した時の
都合がいい発言だけ取り上げているだけで、
それまでの高宗の行いを全く見ないで「日本が悪い」
という認識がはびこっているようなので苦言を呈したまで。
ちなみに来電第57号は当然知っていますが、
これは協約違反を強い姿勢で咎めたもの。
ここだけを抽出すると恫喝に見えるけど、
それまでの『韓国施政改善ニ関スル協議会』とか見ていると
高宗はこれくらい言われても仕方ないくらいいい加減。
この様な下地があったから譲位したと考えますが、
いかがですか?


それと、外務大臣が退位のめどがたったから訪韓したとのことですが、
前回の史料「往電秘第64号」の全文を見たことがありますか?

 左の通、西園寺総理大臣に伝えられたし。
 内閣大臣等は、海牙派遣の密使一件大に日本の与論を激昻せしめ、
 且林外務大臣渡韓の報を聞き、事頗る重大なるを予想し、
 此の時に当たりて政府は自ら進て何等かの措置を執らざるべからずと認め、
 連日内閣会議を開きたる結果、其の宿題たる皇帝の譲位を決行するを以て、
 最も能く事宜に適するものと為し、且之を行ふに、
 務めて本官の助力若くは同意を求むるを避け、彼等が自力断行を期し、
 一昨昨夜、先づ李総理大臣参内の上時局困難を訴へ、
 讓位の止むを得ざる所以を奏聞したるも採納を得ず。

外務大臣が来韓するのはハーグ密使事件が公になったから。
外務大臣まで来ると聞いたから韓国の内閣が重大事件として
譲位を決断する結果となったということ。
読解力が無いと言われていますが、このことだけを見ても、
どちらが読解力が無いかよくわかると思います。

それと、ネトウヨを連呼するのはかっこ悪いから
おやめになった方がいいですよ。
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この回答へのお礼

有り難うございます。
私のレベルでは年表のように箇条書きに表現しないとつながりが見えにくいですね。

韓国が侵略されたと言っていることに対して、法的な見解で整理するしかないように思います。

韓国人は感情が左右する思考のようですので、世界に通用するのは条約であり、合意であり、認められた国家というのは意味を持たないのかも知れない。

お礼日時:2019/01/07 18:51

(1) ネトウヨレベルの頭で教科書に勝てるわけがない



ネトウヨは史料を見ても、読めていないようだ。そもそも「伊藤統監から珍田捨巳外務次官に宛てられた」について、変だ(異例だ)と気付かないのは、頭がにぶすぎるだろう。その程度の知能で、教科書編纂者の「偉い先生」に勝とうとする蛮勇には、恐れ入るしかない。
統監は親任官だよ。一方、中央省庁次官は勅任官である。その電報の内容は報告の類であるが、親任官が勅任官に報告をするだろうか? 目下の者が目上の者に報告して、目上が目下に訓令するんだよ。普通、統監が報告する相手は、親任官たる外務大臣だろう。
ネトウヨは官庁や大企業の世界を知らないのかも知れない。エリートさんは肩書や序列にこだわるのだ。

ということで、この電報の前か後に、同じ件で伊藤統監から外務大臣に宛てた電報があるはずだと、すぐ気付く。そっちの方が本当の報告であって、こっちの次官宛ては(にせものとは言わないが)例外的・補完的な報告だろうと見当が付くってもんだ。
本当の報告は、外務省の公式サイトで簡単に見つかる。「日本外交文書デジタルアーカイブ 40巻第1冊(明治40年/1907年)」の「12 日韓協約締結一件(韓帝譲位一件)」をクリックしてください(https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo …)。それの「七月七日 伊藤韓国統監ヨリ林外務大臣宛」の電報である(閲覧にはDjvuビューアー(プラグイン)のインストールが必要)。

読めば分かるように、伊藤は高宗に対し、密使派遣の件を難詰して「其の行為は日本に対し公然敵意を発表し」「故(ゆえ)に日本は韓国に対し宣戦の権利あるものなる」とまで言った。これは韓国に対する最高レベルの脅迫に他ならない。旧字・片仮名を新字・ひらがなに改めました。
ただし、老獪な伊藤は国際的な反響を顧慮して、直ちに皇帝を引きずり下ろすのではなく、いわば詰め腹を切らせるところまで追い込んでいった(いわばであって、切腹はしていない)。また、相手は皇帝であるから面と向かって難詰したのではなく、韓国首相を介して皇帝に告げせしめた。

ちなみに、冒頭の「珍田捨巳外務次官に宛てられた」件であるが、このとき林外相はソウルに行って伊藤のそばにいたのである。次官が東京の本省を預かっていた。7月7日から19日までの間に、高宗に対する伊藤の圧力が昂進し、皇帝退位のめどが付いたので、日本の外相が乗り込んできたわけだ。
以上の経緯を簡潔にまとめると、「日本は、この事件をきっかけに韓国皇帝高宗を退位させ」となる。教科書の記述はまったくもって正しい。

〔(2)に続くかも……〕
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この回答へのお礼

有り難うございます。
内容が深部に入り、私のレベルでは難しいですね。

出来れば、批判と受け取れるようなコメントを引けて頂けるとありがたいです。

お礼日時:2019/01/07 18:26

御礼、拝見しました。


韓国併合時の手続き上のお話かと思って回答しましたが、
日本の韓国併合そのものについての疑問のようなので、
かなり長くなりますが回答しておきます。



・日本が朝鮮を侵略したとする意見につて

日本は先の大戦で敗北し、ポツダム宣言を受諾しました。
その中には
 8 カイロ宣言の条項は履行されるべき
とあります。このカイロ宣言には
 日本国は又暴力及貧慾に依り日本国の略取したる
 他の一切地域より駆逐せらるべし
 前記三大国は朝鮮の人民の奴隷状態に留意し
 やがて朝鮮を自由且独立のものたらしむる
このことにより、政府としての見解は、
日本が朝鮮を侵略して朝鮮人を奴隷にしたと
認めさせられたことになります。
ただし、これはあくまでも強制された歴史です。


・教科書の中の日韓併合

長いですが、高校の教科書から引用します。
 ・日露戦争後の国際関係
 日露戦争後の日本は、戦勝で得た大陸進出拠点の
 確保につとめた。(中略)
 日本は同年(1905年)中に第二次日韓協約を結んで
 韓国の外交権をうばい、漢城に韓国の外交を統轄する
 統監府をおいて伊藤博文が初代の統監となった。
 これに対し韓国工程高宗は。1907(明治40)年に
 オランダのハーグでひらかれた第二回万国平和会議に
 密使をおくって講義したが、列国に無視された。
 日本は、この事件をきっかけに韓国皇帝高宗を退位させ
 ついで第三次日韓協約を結んで韓国の内政権を
 その手におさめ、さらに韓国軍を解散させた。
(詳説日本史 山川出版 P273)

左派系に偏向していると言われる山川出版を挙げましたが
そのほかの教科書もほぼ似たような認識です。
ここでは、よく言われる説として
 日本は大陸に進出する拠点として朝鮮を侵略した
 第一次~第三次日韓協約で徐々に韓国の実権を握った
 反対する皇帝を強制的に退位させた
 (目障りな)韓国軍を解散させた
などが挙げられています。
この一部を史料を基に検証してみます。


・皇帝の退位について

まずは史料を見てみましょう。
「韓国二於テ第二回万国平和会議へ密使派遣並二
 同国皇帝ノ譲位及日韓協約締結一件」
(アジア歴史資料センター 
 レファレンスコード:B06150550500)
いろいろ討議内容が(91・92画像)が記載されていますが、
結果は93画像。
             山縣   寺内   多数
 1韓皇日本皇帝に譲位 今日は否 今日は否  否
 2韓皇皇太子に譲位  今日は否 今日は実行 否
 3関白設置(統監)   可     可   可
討議の結果は高宗の退位を否定しています。

伊藤統監から珍田捨巳外務次官に宛てられた
1907年(昭和40年)7月19日付の『往電秘第64号』
 侍従卿李道宰を本官の許に派し、諮問の要件あるに付、
 明日午後4時、本官に参内を求めらるる旨を伝え、
 并に公文を以て同様の通牒に接せり。本官以謂らく、
 陛下は例に由て海牙(ハーグ)密使問題の弁疏を
 以てせらるるものなるべしと。(中略)
 陛下は海牙密使の件を一応弁疏し、且内閣大臣等の
 奏請に由る譲位の件を下問せられたるに付、此の如き
 貴皇室に関する重大の件に関しては、陛下の臣僚に
 非ざる本官が是非の奉答を敢てし、或は又之に干与すべき
 筋合に非ずとて断じて之を辞退し、尚又本件に関し、
 当局大臣等より何等相談を受けたること更に無之旨を附加へ、
 奏聞し置きたり。
簡単に言うと高宗は「ハーグ密使事件は何かの間違いなのに
みんな譲位しろって言うから、伊藤君助けて」と言い、
伊藤は「私は陛下の臣下じゃないから干渉できないよ」
と答えています。
偉い先生は、これでも日本が強制したと思うのでしょうか。


・韓国軍の解散について

長くなったので簡単にいうと、お金がなかったから。
日本が関与する以前の1906年当時の韓国の歳入は約750万円。
このうち、韓国軍の予算が125万円。
しかし、韓国軍は日本の浪士が関与した乙未事件で皇后が
暗殺されるなど、軍としての体裁が無く非効率でした。
そこで、安全保障を日本に委ね、軍は一度解散して
将来は徴兵制にする準備をしていました。
このことは韓国軍解散詔勅でも述べられています。
 朕惟ふに、国事多難なる時に値り、極めて冗費を節略し、
 利用厚生の業に応用するは今日の急務なり。
 窃に惟ふに、我現在軍隊は傭兵を以て組織せるが故に、
 未だ以て上下一致、国家完全の防衛と為すに足らず。
 (後略)
ちなみに、この時は皇太子である純宗の結婚があったので、
その予算が約120万円。同時期の大正天皇が皇太子のころの
婚礼費が約35万円に比べると、何を考えているのか。
このような皇室の浪費が国を傾けたのです。

挙げればきりがありませんが、当時の大韓帝国はお金がなく
行き詰っていました。だから日本に併合して助けてもらう
という道を選びました。
日本はいい加減な態度をとる大韓帝国を叱りましたが
積極的に併合を望んだ訳ではありません。


ところで、あえて苦言を呈しますが日本が併合するとき
よく一進会が挙げられます。
日本の朝鮮併合の閣議決定が1909年7月6日、
伊藤の暗殺は1909年10月26日
一進会の上奏は1909年12月4日
つまり、伊藤の暗殺も一進会の上奏も併合の方針が決まってから。

当時の日本側が一進会をどう見ていたかの史料を挙げます。
「1.政況/14 韓国地方政況ノ概要」
(アジア歴史資料センター 
 レファレンスコード:B03041514200)
 一進会の状況に就ては既報と異なるところなく、
 地方会員中無頼徒食は常に一進会の威勢を発し、
 不正行為を敢てし、非違を遂ぐる者其後を絶たず。
(13画像目)
一進会は日本威勢を借りて利益を得ようとした団体。
日本と合邦すれば自分たちが権勢を誇れると思い
日本との併合を画策しました。
もともとは日清戦争の原因となった天道教が分裂したもの
しかし、結局は彼らの思い通りにいかず、それを逆恨みして
多くの勢力が天道教と再度合流して31独立運動に至ります。

他の方の意見をみても、日清戦争の開戦直後に日本が宮廷を
一時占拠しましたが、あくまでも一時的なもの。
乙未事件では岡本柳之助や杉村濬が積極関与していますので、
日本の関与が無かったとはとても言えません。
などなど、どちらの意見にも一言いいたいところがあります。
もし、興味があれば教科書などの現代の本や知識人の対談ではなく
当時の史料を読むことをお勧めします。
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この回答へのお礼

有り難うございます。
詳細説明を頂き、ポツダム宣言で史実と違うことを飲まされて侵略という事になったと解りました。
また教育が史実に沿っていない事も解りました。

>日本が朝鮮を侵略して朝鮮人を奴隷にしたと・・・。
事実と違うことが敗戦で条文化され、歪められた歴史になったと言うことですね。
仮にこれを元に韓国政府が主張するなら、何故日本政府は韓国と友好を持つ必要があったのか?・・・事情があったにせよ70年も。
信頼できない国だとはっきりと主張しているにもかかわらず・・

>韓国の外交権をうばい、漢城に韓国の外交を統轄する
経済的に国の体を成していないことから、日本が手を差し伸べた。
と言うような表現が望ましいのでは無いでしょうか。

>左派系に偏向していると言われる山川出版・・
経営者が韓国系であれば、史実はどうでも良く日本を貶める思考しか無いと・・

> 1韓皇日本皇帝に譲位 今日は否 今日は否  否
「今日は否」とは現在の思考では、と言うことでしょうか?
仮にそうだとすると、どういう目的で現代思考で考えなければならないのでしょうか。

>当時の大韓帝国はお金がなく行き詰っていました。だから日本に併合して助けてもらうという道を選びました。
当時の韓国政府がディフォルトに陥る状況にあった事が、教科書に何も表現されていないようですね。
(教科書は知りませんので、頂いた情報での判断です)

東京裁判も今思えば勝者側の思惑を中心にした、おかしな裁判であった。
だから、やり直せとは言いませんが、韓国政府はやり直せと今も言っている。

だからどうだと言うことではないのですが、歴史を反省するには正確な認識が必要であり、教育するべきだろうと思います。

国会議員、教育関係、弁護士、教員、メディアに韓国系が大勢いて、彼らの嘘と捏造で、思惑どおりに情報を流しているように思うのは私だけ?

過去日本が韓国と関わった事例を総括しているのでしょうか?
何が原因で手のひら返しを繰り返されているのか?
約束が履行されないのは何故なのか?
韓国政府の主張は受け入れられるほど筋が通っているのか?
過去を現在法で裁く国に、民間企業を送り込む日本政府も注意喚起は必要だろう。

等、日本国民として日本政府は反省していなく、同じ事を繰り返しているようにさえ思う。
それは、韓国系議員が大勢いるから?

お礼日時:2019/01/05 07:55

こんにちは!



>やはり問題は、日本人が日本の近代の歴史を知らないと言うことになりますね。
 その歴史の裏には敗戦国日本へのアメリカの関わりと韓国人が切り離せない。

やはり、GHQが日本に自虐史観を植え付けた影響が大きいですね…。韓国は、その自虐史観を利用して、日本に対して強請り集りのやりたい放題でした。

いいかげん日本も目覚めて、自国の近現代史に誇りを持てるような歴史教育をして欲しいと願います。

>第一歩として日本が「通名廃止」に取り組むべきである。

これは、同意見です。日本の凶悪犯罪の大部分は、通名を使っている在日が多いので、早く通名廃止にして欲しいですね。それと「ビザなし渡航も廃止」!

本音としては、「国交断絶」まで、やって欲しい気分です!(^▽^;)
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この回答へのお礼

有り難うございます。
何故いつまでも、偽名が許されるのでしょうか?
(通名は本名では無いと認識しています)

国交断絶前にやることがあると思います。
一つ一つの条約、合意、貸し借りを整理するべき。
身ぎれいにして、出来ない事は諦め・・・。

信頼の無い国と、姉妹都市を提携している日本の都市はおかしくないでしょうか?

それと、日本の有権者が無責任すぎるというのも、今日を形成している。
いかがわしい組織票を駆逐するには、投票率が70%以上は必要でしょう。

お礼日時:2019/01/05 08:00

こんにちは!



お礼ありがとうございます!

米国は、GHQを通して日本の弱体化を強力に推し進めていたので、在日も利用されていた。それに、日本に帰化した反日日本人も多く含まれています。

>日本政府は、韓国の主張に対して毅然とした対応が何故とれないのか?

自民党の中にも親韓派の議員が多くいて、足並みが揃わないという現実があります。例えば、石破茂とか…。

なぜ、在日が日本に居座るようになったのか?その在日特権とは何か?を語っている村田春樹先生のビデオを添付したので、ご覧ください!

https://www.youtube.com/watch?v=jeoyIZWTKLM


参考になれば、幸いです!(^-^)
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この回答へのお礼

有り難うございます。
興味深く見させて頂きました。

会話ですので、感情の部分もありますが参考になりました。

やはり問題は、日本人が日本の近代の歴史を知らないと言うことになりますね。
その歴史の裏には敗戦国日本へのアメリカの関わりと韓国人が切り離せない。

そういうときを経て現在があるわけですが、今の韓国を好意を持って見ることはとても出来ない。
敵国条項として韓国で国民に知らしめられている以上、日本も事実を国民に知らしめない国と国交が有る事が受け入れられない。

第一歩として日本が「通名廃止」に取り組むべきである。
通名者すべてに問題があるとは言わないが、根底には日本より韓国という思考がある。
そういう人種に参政権などもってのほかだし、特権も廃止するべきでしょう。
日本人にも恵まれない人は多い、日本国民を守るのが政府の役割でもある。
言い出せば切りが無くなる・・・

お礼日時:2019/01/04 09:12

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Aベストアンサー

でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 ↑
勿論おりましたよ。
でも、そうした意見はマスコミが取り上げず
表にでることはありませんでした。
ネットがあれば出たでしょうが。




日本が負けてから政治もメディアも教育も、GHQの統制下にあることは
国民も知っていたはずです。
だからメディアがいくら「日本の軍部はこんなに悪かった!アメリカの民主主義は
素晴らしい!」みたいなことを言っても、
「今のメディアはアメリカに都合の良いことしか言えないよう統制されている。
これは占領政策の一環で、国民を洗脳するための陰謀だ。」
と疑ってかかるのが普通だと思います。
なぜ当時の人は疑わずに180度違う価値観を受け入れてしまったのでしょうか。
 ↑
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いたのです。

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だった社会主義者を使ったので、彼らが
マスコミなどの要職に就き、
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でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 ↑
勿論おりましたよ。
でも、そうした意見はマスコミが取り上げず
表にでることはありませんでした。
ネットがあれば出たでしょうが。




日本が負けてから政治もメディアも教育も、GHQの統制下にあることは
国民も知っていたはずです。
だからメディアがいくら「日本の軍部はこんなに悪かった!アメリカの民主主義は
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「今のメディアはアメリカに都合の良いことしか言えないよう統制されている。
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