プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

脳の中が、意識がクリア、心が安定している。
慌てたり、焦ったり、怒ったりしない。
そんなあなた。

たとえ高齢孤立無業者で客観的にはもう人生見込みないという状況でも、心と意識はクリアで、明るく前向き。
そんなあなた。

意識の中で常に回しているものはありますか?
教えて下さい。

A 回答 (5件)

そうですねえ。

当たり前のことを考えて見ましょう。


周囲にいる全ての人、今生きている全ての人はいずれ死にます。

人生に見込みがあり、見込み通りに(他と比較して)幸福になった人がいたとして、

この人は死なないんでしょうか?


私たちが夢想する人間の頂点。

それが人類史上最高の栄達であっても・・・

その頂点と死は結ばれていますから、論理的には落下があるはずですよね。

栄達していくスピードと同等に落下していくはずです。

サクセスストーリーには必ず、衰退と言う転落ストーリーがなければ、可笑しいでしょう。

そうでなければ、急死となるはずです。

急死が幸せかどうかは置いておいて、

これだって誰もが避けたいという末路ではあります。


つまり、必ず誰もが4つのルートを通ります。

・栄達したが、突然の死を迎えて、何のためにここまで・・・と皆に惜しまれるか

・栄達したが、徐々に転落し誰からも興味をなくされて消えるか

・栄達せず、誰からも興味をもたれない状態で日々生きており、その上で急死をするか

・栄達せず、誰からも興味をもたれない状態で日々生きており、徐々に衰退し消えるか

です。


物語では頂点に昇る話が多く、間違いなく生じる落下については詳しく書かれていませんよね。

それも当たり前です。

作家自体がそれを経験する前であり、若輩なんです。

加えて言うのならば、栄達すらしてない人が書いています。

これを読んでサクセスに憬れると言うのは、愚かでしょ。


少女漫画で恋愛モノが多いのは、その後を語るほど作家が詳しくないからでしょう?

どうしても今の自分が知っている範疇で教えられるものになるでしょう。

10代でデビューをすれば、仕方がないです。

作家がそれしか書けないだけであり、

それが人間にとってもっとも大事なものではないですよね。

ところが子供たちは、

「それさえ叶えれば大丈夫なの?

 ええと、ほら、あの嫌なこと(=いずれは死ぬ)は回避できるのかな?」

こんな誤解をし、それに願いを託すわけです。


男の子向けには、強さを強調した漫画や小説が多いですよね。

それも当たり前であり、その先を知らない作家が作品をつくるからです。


優しさを主張する漫画を書いても同じです。

どれも(強く、仲良く)小学生低学年で親から教わる話です。

それだけで人間が満足するはずがありませんよ。

もし、

・強くなったし、仲良くしている、だけど心が晴れませんよ。ダメジャン?

・自分には何も良いことが無かった、弱いからですか? 力を得て見返したいです

と言う人がいたら、可哀想ですよね。

もともと、強さも、優しさもそれほど凄いものではないはずです。

例えば、

テストのときに「名前を書き忘れないように」と、先生から注意されますよね。

つまり、この程度のものです。

忘れれば0点ですが、出来たとしても、得点とは無関係です。

もし、

「いや、僕、テストはからきしだから。

 実際の問題を解くところは物語にいれられないです。

 なので、如何にして名前を書くか?

 ここに障害を作り、これをクリアするようなドラマを作ります。

 そのときの登場人物の心理を深堀りします。

 漫画なんて嘘なんですから、罪じゃないですよね?

 でも、名前を書き忘れたらオオゴトですから、あながち嘘じゃないです。」

と言う作家がいたらどうします?

子供だましですよね。

本気にすれば悲惨でしょう。

しかし、さすがにテストで痛い目を見ますから、この案は使えません。

では、題材を、友情、愛情、勇気、正義、栄達、家族、恋人、幸福・・・

大人でも答えを出し辛いものにしたら如何でしょうか?

騙せますよね?

どれくらい多くの成人が、この、ある種の汚染を受けているんでしょうか?

漫画やドラマ、TV意外で学んだ知識はどのくらいありますか?

自分が経験した事の無いモノを知っているように感じていないでしょうか?


以前、仕事の中でコンピュータプログラミングを教えたことがあります。

そのとき、

「いや、それ嘘だ。普通はそんな事しませんよ。」

と言われたことがありました。

私は30年以上やっていましたので、驚きました。

「え、経験者なの? どこで教えてもらった? どこがおかしい?」

「ええと、教えてもらった事はないですけど。普通そうしないと思ったんです。

 あれ? なんでだろう?」

結局は、ある漫画を読んで、イメージを膨らませていただけみたいです。


皆さんは自信をもって社会に生きていますが、実情はこのくらいなんですよ。

「いや、情報ソースを正確にして、想像で補えばかなり実体験に近くなるはず。

 それが大事なんだよ。」

と言って、上手にその場を凌ぐ人がいるかもしれません。

しかしその方々ですら、いずれは落下をするんですよ。

いずれは死ぬ人生なのに、

自分で経験したことのないものを、知ったような気持ちになっていいんでしょうか?

知ったかぶりを叱っているのではありません。

味が薄いのではないか? と心配をしています。

ましてや、魅力、権力、財力を使って命令することで他人にやってもらい、

自分の手では出来ないのに、自分ができた気持ちになって良いのでしょうか?

命令されて実施する他人の方が、濃い経験をしていると思いませんか?


そして、さらにこれら(架空の栄達や幸福)に囚われて、

自分を苦しめている人がいたら、哀しいと思いませんか?



ご質問にあるように、

「脳の中が、意識がクリア、心が安定している。
 慌てたり、焦ったり、怒ったりしない。」

という願いは私にもあります。

しかし、その苦痛(=願い)には個人差があり、軽い人(=マシな人)、

苦しいほど強い人(=可哀想な人)に別れるようです。


これには原因があると思いませんか?

例えば、人生を生きると言う事は、その過程で手に入れた全ての富や権力を、

最後は、社会に返すと言う事だと納得しているのでしょうか?

これをちゃんと理解してプレイをしていなかったんじゃないでしょうか。


道具だけではありません。

友人、恋人、家族、好きなアーティストすべてを還すことになります。

では自分の手に残るのは何か?

「脳の中が、意識がクリア、心が安定している。
 慌てたり、焦ったり、怒ったりしない。」

と言う自分だけ、ではないでしょうか?

こんな中で、自分の手で作れるもの、年を取っても上達するもの。

そういうものが残っていたら、大変幸せでしょう。

他の人と比べれば、相対的ではあっても喜びは強く、味も濃いはずです。


ご質問の中に人生に対しての見込みとありますが、

これらは漫画で得た知識から生じた間違った幸福像です。

自分で作り上げ、自分で実施する、味の濃い時間とは逆のイメージでしょう。

また、手に入れたモノをいずれ返還すると言う事を想定していないでしょう。


例えばRPGがあったとして、

クエストが終わったら返却する装備があったとします。

「これって貰って良いんだよね?」

と勝手に解釈し、プレイ時間に得る全報酬をその装備の強化に当てたとします。

そして、

そうした勘違いをしているプレイヤー同士が、装備の強化自慢をし、

「僕の装備は弱すぎ。強いクエストを受けれない。

 だから報酬で装備も強化できない。負のスパイラル。終わった・・・。」

「ひー、かわいそー。お前ら才能ないし、モッテナイし。頭悪いし。

 仲良しグループを作って甘えたこと言っているからだよ。」

そして、

両者は年を取り、装備を取り上げられて、恐慌に陥る。

前者は、

「チキショウ、これすら持っていくのか、お前らは、何にも良いことがなかった」と喚き、

「嘘だ。どうして自分が落ちないといけない、酷いよ。」と後者は喚く。

もともと返す物、他人のものを強化していた自分達が悪いのにです。


本当は、

自分自身の手で作れるものを増やし、脳のコンディションを整え続ける。

これしか出来ないんでは?

一生をかけてじっくりと長期戦で構えて、わずかでも手に入れば、それは成功なのでは?

自分の人生に見込みがないと嘆くほうが的外れなのでは?

それは漫画の中にある幸福像であり、作家も手に入れていないものでしょう?

それが真実なのに、何が不満なのか? 分からず悶絶する。

正常に悩むことが出来ない。

そんな自分の人生観。

こちらの方が問題なんです。

私が常に念頭においているのは、

「そんな自分のまま死んでしまうのだけは嫌だ」です。


今から自分の手で作れるものを増やすことは可能です。

出遅れているのならば、より邁進し、その他の余計なことに頭を使わないことです。

あせることはありません。

成功者に見えている人も、それ以外は返すんですから。

とくに、「報われた人生」と言う架空のものを追いかけるのは辞めましょう。

また、誰かを自分の思い通りに動かしたいと考えて、腹を立てるのも辞めましょう。

生きている時間、可能な限り自分で出来るものを増やし、怒りにより脳を劣化させないことです。

そう思っていれば、普通に心が安定しますよ。


以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

年越してしまいました。
いまも少しづつ読んでいます。
現在まだ途中。信じられないかもしれませんが。
涙。
空白を埋めるのは希望と自信。
読み切ったら新規質門の形で示したいと考えています。
謝。

お礼日時:2019/01/05 03:03

>たとえ高齢孤立無業者で客観的にはもう人生見込みないという状況でも、心と意識はクリアで、明るく前向き。


そんなあなた。

まさに、私は(そんなあなた)です。
特に意識はしていませんが、毎日やりたいことを、好きなようにやっています。
夏は、別荘に行き、果樹の手入れをしながら、猿と戯れています。
酒を飲みたいときは(毎日ですが)あっちこっち飲み歩きます。
旅行に行きたい時は、目標も決めずに、一人で気の向くまま、出かけます。

もういつ死んでも良い、と思っています。
いや、早くあっさりと、この世とおさらばしたいです。
いま、73歳で病気一つしないで、元気なじじいです。
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この回答へのお礼

なるほど
孤立無業者という用語は字面的には貧しいという意味はないですね。
暗黙には貧しいという事になりますが。

すばらしいですね権場さん。

以下コピペ

“七味(ななみ)”とは、次のとおりです。
うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、
いやみ、ひがみ、やっかみ
https://shunnan.exblog.jp/18592912/
===ここまで

七味に注意して生きてきます。
ありがとうございました

お礼日時:2018/12/30 17:14

生きとし生けるもの全てへの愛と救済及び世界の恒久平和

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この回答へのお礼

自分の幸せと他人の幸せを両立できるのは良いですね
ありがとうございました

お礼日時:2018/12/30 17:15

意識の中で常に回しているものはありますか?・・・・そりゃ、やり残した事、もしくは子供たちの明るい未来、そして、終焉の片付け、または、最後の趣味を心置きなく!!


ではいかがですか。
人生は一度ですが、先が無くても今は生きています。生きている実感は、そして、生ある間は社会的責任はあると思います。また、生かされている以上は、どこかに、自分に救いの手を差し出す人がいると信じて、生きる価値を見出したいですね。

たとえ若年で亡くなっても、それはその人が亡くなる事が、社会問題になれば、その人の意義はあったと信じます。人は全てに意義があり、それは一人に対してか、もしくは万人に対してかは、様々と思います。
コジキであっても、その人が場末で亡くなれば、新聞にも載るでしょう。それが時には社会問題にもなりますから、その人は亡くなる事で、社会問題を提起したのですから、価値はあると思います。

今は、PCや携帯の進化で、寝ながらでも世界へ発信出来ます。素晴らしい環境がありながら、孤独を愛するなら別ですが、そうでないなら、自己の経験と熟練を後世に残す為の、作業をしても良いですし、様々の形で自己を再評価すれば、生きる価値はおのずから見つかります。いかがですか???
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この回答へのお礼

相手のために自然と心と意識が動けば素晴らしいですね
ありがとうございました

お礼日時:2018/12/30 17:16

そういった偏見で人にモノを訊ねない事かな



もう少し具体的に書けばフラットな
意識で様々な意見を聞き
その問題の構造を把握するように
心がける事
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この回答へのお礼

意外と質問者自身の事かもしれませんよ

とはいえ偏った考えに陥らないよう
耳を広げます

問題そのものに落ちないように気をつけます
ありがとうございました

お礼日時:2018/12/30 17:17

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