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こんな質問はおそらく科学的には答えられないことであって、哲学の問題なのかもしれません。でも、哲学のカテゴリーで質問すると、あまり根拠のない私見しか得られなくなりそうなので、こちらで質問します。

なるべく科学的・実験的な根拠を基にした意見を下さい。もちろん、はっきりとした答えは求めてません。ある程度の根拠を基にしたうえであれば、自分の意見でかまいません。見識深い皆さんはどうお考えか教えてください。

ちなみに、私は・・・わかりません。でも、脳だって物質から出来ているのだから物理法則は免れないはずなので、自由意志なるものが介在しえるのかなぁと思います。

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A 回答 (8件)

こんにちは。


科学的にどうかということですが、一応現在では、「人間の自由意思は存在する」ということになっていると思います。そして、そのことを証明するために、「自由意思とはいったい何か」などといった問題を論ずる必要は一切ない、科学はそう述べています。

自然科学の分野では、恐らく18世紀頃からですが、かなり長い間、人間に自由意思というものはありませんでした。それは、この世のあらゆる運動の法則を司る、ニュートン力学に於ける「確定論」が自由意思の存在を否定していたからです。ですが、20世紀になって、量子力学に於ける「不確定性原理」なるものの発見により、人間の自由意思は、ようやくその存在が許されるということになった、というのが科学史上の出来事です。申し上げるまでもなく、「ハイゼンベルグの不確定性原理」は、「アインシュタインの相対性理論」と頭を並べる20世紀屈指の大発見ですよね。
「ニュートン力学の確定論」と「ハイゼンベルグの不確定性原理」、名前からして全く正反対の主張ですよね。そして、これがどういう意味で歴史を二分する哲学的対立になるのかということですが、要は一言で述べるならば、不確定原理の発見によって、量子力学は単なる電子工学に於ける基礎理論の変革に留まらず、それまで古典力学によってガッチリ支配されていた世界観を覆し、「自由意思の存在」という、人類に全く新しい人間原理をもたらしてしまった、ということになると思います。

ここでは、自由意思存在の正否は、「未来が確定している」か、はたまた「未来は不確定であるか」か、このふたつだけに依存しています。
未来が既に確定しているものであるならば、そこに人間の自由意思は存在しません。未来が確定しているのであれば、人生の全ての出来事は予め定められたレールの上で順番通りに出現する、単に時系列的な現象に過ぎません。そこに如何なる意思決定が成されようとも、全て決まっていたことなのですから、それを我々の意思と呼ぶことはできませんし、それによって何が起ころうと、それは自分の意思が反映した結果ではありません。
しかし、未来が未確定であるならば、自由意思の存在は許されます。未来が確定していないのであれば、我々の意思決定は来るべき未来の結果に反映します。
右に行くべきか左に行くべきか、そのとき自分がどのような判断を下したかによってもたらされた未来は、それがどのような動機であれ結果であろうとも、少なくとも自分の意思によって選ばれたものであるということになるわけです。

人間の意思決定によって未来の結果が変わるのは、未来とは未確定であると共に、それは「確率の集合」でしか記述することができないからです。量子力学では、未来とは、「出現し得る可能性のある、ありとあらゆる事象の確率の集合」です。「現在」に於ける我々の自由な意思決定は、その確率を変化させることによって未来の結果に影響を及ぼします。

ニュートン力学では、位相空間上の6次元座標によって全ての物体の運動を記述することができます。つまり、未来の結果を計算によって導き出すことができるわけですね。そして、ニュートン力学の絶対的な信望者であった数学者のラプラスは、「神の計算機があれば宇宙の未来を予言することができる」と主張しました。
未来が既に確定しているものであるならば、それは何らかの手段で予知できるはずです。もしも、現象を構成する物質の力学的な初期状態の全てを分子レベル、原子レベルで計算することのできる超ス―パ―・コンピューターがあれば、それで誰でも事前にサイコロの目を予知することができるということになりますよね。サイコロを構成する原子全数の運動量と、それに伴う温度・湿度・空気抵抗などとなれば、如何に神のコンピューターであろうともその手に余る膨大な計算になりますが、ラプラスの主張は、それが量的な問題である限り原理に反することはないということです。
しかしながら、未来を知ることができないのは、それがまだ未確定であるからです。20世紀になってから量子力学によって開拓された分子や原子などの超ミクロ空間は、そんな万能の運動法則・従来のニュートン力学が通用しない全く未知の世界でした。

不確定性原理を簡単に述べると、ミクロの世界では「観測」という行為そのものが物質の状態に影響を与えてしまうため、観測以前にその状態を決定することはできないということです。例えば、電子の運動量を決定しようと思えばその位置が決定できず、場所が分かれば運動量が分からなくなる。観測によって電子の位置を確定したとするならば、その時点でスピンが不確定になります。従って、そのスピンがそれまで右周りだったのか左周りだったのかは50%・50%の確率でしか示すことができなくなります。
余り正確な説明ではありませんが、要は、ミクロの世界では全ての運動量を決定することができないということであるならば、この時点で「確定論者・ラプラス」の主張は覆されたことになります。そして、未来とは、観測という行為によって初めて現在として確定されるものであり、それまでは出現可能な、無数の事象の確率の集合でしかないということなんです。
従って、未来を予知することはできません。同時に、未来は未確定であり、人間の自由意思は晴れてその存在を許されるということになりました。これが、量子力学が導き出した結論であり、科学史に於いては、これを、200年以上の長きに渡り人類を拘束し続けた「確定論の崩壊」と位置付けることができます。

未来は予知することはできませんが、予測することは誰にでもできます。それは、未来の可能性が押し並べて蓋然性を持っているからです。如何に未来が無数の可能性を秘めているとはいえ、確率の高い事象が高い確率で出現するのは我々の経験に反するものではありません。ですから、崩壊したとはいえ、21世紀のこんにちでも万有引力によってリンゴは下に落ちますし、現在でもニュートン力学を使って人工衛星の軌道計算ができるのは、通常の世界では当たり前のことなんですね。そして、「不確定な未来」によって自由意思は保証され、我々は行為の選択によってより可能性の高い未来を選択することができるわけです。
「現在」とは、観測によってひとつに決定された、未来の可能性です。これを、「観測による確率の収縮」と言います。

さて、最初に申し上げましたが、ここで興味深いのは、人間の自由意思が存在するか否かに就いて回答を求めるために、古典力学も量子力学も、共に「自由意思とは何か」ということに就いて一切論じていないということです。自由意思の存在は未来の確定・不確定に依存します。つまり、自由意思の存在に、その意義は全く関係がありません。まして、「人間の自由意思」という定義そのものが無意味なんです。

量子力学がミクロの世界の不確定性を論じたならば、それを拡張したのは「カオス理論」とうことになります。全ての現象には誤差が生じ、それが指数関数的に増大するという考え方は、未来の不確実さという概念を継承しているばかりではなく、現在を基に過去を逆算することもまた不可能であるとも述べています。
60兆の細胞を持つ人間のそのときの体調を分子レベルで測定し、投げたサイコロの初期運動量に反映させるのは、正に「ラプラスのパラドックス」に匹敵する神業です。ですから、その時々で人間の脳が判断を下す意思決定には常に膨大な誤差が発生しているということになります。
これは、中枢神経でも自律神経でも同じことですから、誤差と神経の反応は全ての動物の行動に共通です。例えば、昆虫のアリが巣穴を出て西に行くか東に行くかは、そのときのアリの気分しだいだと思います。そして、たまたま西へ行ったアリは餌にあり付くことができました。これは、アリが西に向かった時点で初めて収縮された事象であり、確率としては含まれていましたが、アリが巣穴を出る前には決まっていなかった未来です。
ではここで、未来が確定しているものであるとするのであれば、アリが西へ向かって餌を採るというのは既に決定されていた事象であり、アリはただ決められたレールの上を歩かされただけということになります。
ですが、未来が不確定であるならば、アリが西へ向かったという行動の選択が、餌の獲得という未来に反映したことになります。つまり、未来が不確定であるならば、アリの自由意思もまた立派に存在するということですね。
科学的な原理・検証というのはこういうものではないでしょうか。未来が不確定である限り、全ての生物に自由意思は保証されます。更に付け加えるならば、不確定な未来が自由意思の存在を保証するという帰結に基くならば、単に人間の思考が他の動物よりも複雑であるという理由で自由意思の構造的な問題に目を奪われる必要は全くありません。

脳の話が出ていますので、もうひとつ例を取ります。
人間の脳は大変複雑な神経ネット・ワークによって演算を行なっています。先にカオスの誤差という問題を取り上げましたが、これは「複雑系」に於ける「複雑さ」によって発生するものであり、人間の脳に限らず、生物の構造そのものが複雑系なのですから、それは膨大な誤差によって成り立っていると言っても嘘にはなりません。
さて、ここで人間の脳から誤差というものを全て取り除いてしまったらいったいどうなるでしょうか。
それは、膨大な思考力を持ち、一切の過ちを犯さない極めて正確な超巨大スーパー・コンピューターということになりますよね。これは物凄いことです。
ですが、この脳は絶対に間違いを犯しません。それがどういうことかと言いますと、計算の結果、即ち答えは常にひとつしか出て来ないということです。幾度計算しても必ず同じ結果しか出しません。
では、全く決まった答えしか出せない脳を持つ人間に自由意思があると言えるでしょうか。つまり、脳が間違いを犯さなければ人間に自由意思などないということになります。

さて、自由とは何でしょうか。
それは、拘束されないということですよね。
これまで長々と述べましたように、未来が既に決定していたり、脳の出す結論が予め決まっていたりするならば、そこに自由意思はありません。
自由意思というのは、自分の意思を外に反映させたり、コントロールできたりすることではありませんし、人間の知能が高等だからといってそこに宿るものでもありません。少なくとも、脳を自分でコントロールできないのであるならば、自由な意思決定であると言えないなどといった考え方は全くのナンセンスです。つまり、自由意思とは、拘束されないこと、即ち「不確定」であらねばならないということなんです。そして、量子力学は未来は未確定であるという結論を出しましたし、カオス理論に基くならば、間違いを犯さない脳はあり得ません。
ということですから、どちらかと言えば、我々はかなりいい加減な意思決定によって、常に偶然の未来を確率的に手に入れているということになるわけなのですが、決して定められたレールの上を歩かされているわけでもなく、答えの決まった結論を出しているわけでもありません。ですから、誰が何と言おうと我々は自由なんです。

他の回答者さんも書いておられましたが、このような量子力学に於ける人間原理は、現在「強い人間原理」といった考え方にも発展しています。
未来は観測によって収縮し、観測者の意思決定が反映されます。現在、宇宙の物理法則がかくあり、太陽系の構造が地球環境を生物の存在を可能にしているのは偶然ではなく、観測者である地球生命の存在によるものであるというものです。
私はこれに就いては詳しく説明できませんが、「強い人間原理」「ロバート・ディッケ」などのキーワードで検索すれば情報を集められると思います。
先に、未来は確率の集合であり、我々はより高い確率の未来に基づいて行動選択する術を知っていると述べました。これにより、誰でも自分の望む未来の確率を高めることもできます。また、観測者の意思決定が結果に反映し、あろうことか宇宙の物理法則まで決定してしまうというのであるのならば、未確定な未来は観測者の思うままということになります。
ですが、この問題を論ずるときに、私は最後に何時もこう付け加えるのですが、観測とは、少なくとも世界60億人の入れ子状態で行なわれていますし、仏教ではこれを「平等の境地」と定義し、一切の利己的な動機に基く観測、即ち煩悩を廃してこの世の全ての生物が成仏しなければならないと解いています。万人の望む未来は席に限りがありますし、それを手に入れようとすること事態が煩悩なのだそうです。
ですから、人生が欲してままならないのは、どうやらその為らしいです。

また、ついつい長くなってしまいました。
ごめんなさい。
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私も1の人のように、マーク・トウェインの


「人間とは何か」を読みました。
私なりに説明すると、人間がビー玉で、生まれた瞬間
にビー玉の形がきまり、時には別のビー玉にぶつかり、
転がる面に左右され、それぞれの転がっていく。
この時点でビー玉に意志はなく、ただ転がるのみ。
自由意志完全否定本です。

数学的には、思いっきり否定されましたが、
昔の数学者は、過去のデーターから、未来を予測できる。
(のちに、未来を予測すると不確定要素が増大し、結果、
未来は分からない。・・・たしかこんな感じの。)

で、私としては、自然界に完全にランダムなものは、
あるのかどうかは、疑問なので(計測できないものは
含まず)。

色々考えた結果。
私は、自由意志はない。(マーク・トウェインから)
が、自由意志らしいものはある。(不確定要素から)
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 人間に自由意志があるとして、その原因を量子力学に求めようとする考え方があります。

一般に知られているように、量子力学では、同じ条件のものを観測しても、違う結果が得られます。どの結果が得られるのかは、決定論的に求めることはできず、確率しか求めることはできません。どれになるのかは、事前には分からない、ということです。この部分を人間の意志決定に適用しようとする考え方です。脳の中で、このような量子力学の作用が働くような器官があり、そこで意思決定が行われるというものです。このような考え方を研究している人で有名なのは、ペンローズという人です。
 以上は、そういう考え方もあるという紹介です。以下は、私の個人的な見解です。
 私は、人間に自由意志はない、と考えています。まず、人間に自由意志があると思えるのはなぜか、を考えてみますと、こういうことだと思います。何かを選択しなければならない状況にあった場合、同じ条件であるのに、その都度、違うものを選択している、という経験があります。通常、同じ条件であれば同じ結果が得られると考えますから、同じ条件で違う選択をすれば、そこに自由意志が働いている、と考えたくなります。量子力学を応用しようとしている人は、まさに、そのような状況を量子力学的と考えている訳です。
 しかし、ここには人間の思い込みがあります。同じ条件というのは、決してありえないのです。前と同じ条件と思えても、時間が経っている以上、経験が増えています。同じ条件と思えても、体の微妙な違いはあるはずです。ほんのちょっとの違いでも、人間の意思決定に影響を及ぼすと考えられます。人間は、その時の記憶、身体的状況、環境によって、必然的な選択をしているのではないかと考えます。

参考URL:http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/ryous …
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> 脳だって物質から出来ているのだから物理法則は免れないはず



脳の記憶容量とか思考速度は物理的制限を受けると思いますが、考える内容には制限はかからないと思います。 「考えるということ自体が偶発的なことであって意志ではない」とするならば、それはそれでいいかとも思います。 「人間は知識が多いほど発想が豊かになる」,「人間は知識が多いほど発想に制限がかかる」という相反する命題に物理法則での答えはなく、「人それぞれ」というのが最適な答えに思えます。

脳の中にあるのは知識やアルゴリズム等のソフトウエアであり、ソフトウエアに制限を加えるには「逃れようのない完璧なルール」が必要になります。 「ボールを床に落とすと、弾んで転がって床の上に止まる」あたりまえのことですが、コンピュータの中で再現するとき、重力のルールを与えないとボールは落ちていかないし、物理的干渉(単に「ぶつかった」ということがどういうことかなんですが、すごく厄介)のルールを与えないとボールは床をすり抜けてしまう。 ハードウエアのデバッグは物理的に引っかかるので比較的容易ですが、ソフトウエアのデバッグはクリエーターが全てのルールチェックをおこなわなくてはならないのでかなり難しいです。

むしろソフトウエアの特性は「なんでもあり」なのではないかと思います。(「なんでもあり」といった時点で哲学からも外れてしまうか) マンガを描いていても読んでいても、現実に合わないことを許容できるのは大変便利なこと。 昔、「音楽は音程やテンポの範囲が制限されているので、20世紀中に手法は尽きて21世紀には新曲は存在しない」という予測がありましたが、テンポも音階も関係なく音程が「上がった」,「下がった」,「そのまま」を入力するだけで曲名を判別するデータベースもあるということで、はっきり限界を見極めるのはずっと先のことになるでしょう。(意志を持ったコンピュータが生まれ、人間との比較研究をおこなう時代も来るのかどうか・・・ コンピュータに「あなたの思考は全て予測可能です」といわれても、信じられるかどうかもあるけど)
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こういう問いを立てますと、たいていの場合、「自由意志とは何か」という質問となって戻ってきてしまいます。

この方向から考えることになると話が「哲学的」になってしまいますから、少し別の観点から考えてみましょう。

科学というものを簡略に定義して「対象のふるまいに対する法則を見出し、対象の観察や実験によってその法則の妥当性を検証するもの」とすれば、「人間に自由意志はあるか?」という問いは「人間の行動をなんらかの法則によって事前に予測できるか?」と置き換えることができます。

つまり、詳細な行動予想を(対象とされている本人には知られずに)事前に立てておき、実際の本人の行動と比較することによってその法則の妥当性を判定することができます。逆に言うとそのような予測が100%当たればその人間に自由意志はありません(少し譲歩して95%の予測率としても構いませんし、その数値は任意の妥当性で考えるべきでしょう)。さらに言えば、その予測自体を本人が知っていたとしても当てはまってしまうならば、これはもう完全に自由意志は存在しないと言えそうです。

では、現在の科学の中でそのような予測ができそうな学問は心理学のみであると思えますし、それにしても詳細な予測があたるとは思えません(これは私の独断であって私の知らないところで何らかの学問が挑戦しているかもしれません)。また、現在知られている物理法則を基として人間の行動予測が近い将来にできるようになるとも思えません。とするならば、現在の所では「人間には自由意志が存在する」として不都合はないと思います。

蛇足ながら、「将来において法則に基づいた人間の行動予測が可能であるかどうか」を問うことはもはや科学ではなく、現段階では占いや予言に近いものであると私は考えます。
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こういうことでしょうか.



神経回路は,ある入力に対して決まった出力をしている,
その入力と出力の関係を人間は(と言うより生物全般はかな?)変更できない,
自由意志と考えられているものは,この出力の瞬間,
または入力があった後出力前後に形成されて自覚されるもの.

その可能性は私はあると思います.

例えば,視覚や聴覚のみならず,本来感覚器官を持たないハズの電波や放射線なども
全て全てシャットアウトした閉鎖空間に誕生直後の生物を入れた場合,
どうなるか?・・・と言う思考実験など如何でしょう(食事はこの際考えず).
成長に伴う学習がひとつもないので,本能に基いた生存能力でのみ生きることになるのか,
はたまたあるときふっと,言語的ではない感覚で何かを感じるのか.

あとこれは上記とは別件ですが,人が何かをしようと思うときは,
そうしようとする神経回路に一定の閾値以上のパルスが入ると行動に移る,と
言う,子供向けの科学雑誌を読んだことがあります.名前失念しましたが.

こういうことを考えること,或いは科学(普遍的客観的考察)の対象に
加えることは結構嫌がられることかも知れませんが,
私もまた,非常に非常に興味があります.門外漢ですが.
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科学は苦手だ


哲学で答えますが許してね
まず根本からいきます
まず「自由」の指す意味は何でしょうか?
自分のしたい事をする事としましょう。
まずお金欲しい 強盗 殺害 そのお金でものを買って・・・
出来ます?
俺には例え法律がなくてもしたくない。
つまり自由意志はない
なら自由の意味が社会があってその上に成り立っている「自由」つまりは鎖に繋がれても動ける所を動き回る事を自由というのならそれをしたいという意思くらいはあるんじゃないかな?
となります。これは私の意見です
貴方はどう考えます 
自由の定義
自由は人間が考え作り出した言葉であり
象徴できるものはせいぜい鳩位なものです
実態には表れず答えはありません。
人それぞれ
この質問は貴方は何故生きているのですか?
科学的に証明しなさい
という事とほぼ同じであり理屈で考える問題ではありません。
貴方がどう感じるかどう考えるかそれが
答えです。
その考えは誰も答えられない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自由の定義といわれると難しいですが、少なくとも私が言っている「自由意志」は、「強盗・殺人を犯す自由」という意味ではありません。強盗・殺人を犯す自由という意味では、私にはその自由はあると思います。強盗・殺人だってしようと思えば出来ます。ただ、私がその行動をしない理由は、社会的・倫理的要請があるからです。でも、しようと思えばできるのだから、そこには自由意志があるといえると思います。

お礼日時:2004/11/24 23:35

 マーク・トウェインだったと思うのですが、


人間には個性的発想なんてほんとは無いんだと
言っていたと思います。つまり自由にものを
言っているようで、みな誰かの言葉をつぎはぎ
しているたけ。

>脳だって物質から出来ているのだから物理法則は免れないはずなので、

 科学と呼べるところまで発展していませんが、
「人間原理主義」といって、人間の意思が自然法則を
左右している可能性があるんです。
 人間がこの地球で繁栄できている要因を
いろいろ考えると、人間に都合のいいことが
多すぎるんです。
 例えば地球の軌道がもう少し太陽から
遠ければ、生物そのものが生まれなかった
かもしれない。

 地球が出来てから生まれた人間の意思が
過去の地球の軌道決定を左右できるはずは
ないのですが、それは今確立している物理学の
因果律という考えによるもので、結果が
原因を左右する可能性も完全には否定されて
いないんです。

 自然は、必ず原因があって結果があると
いう手順で進まない可能性がある
ということについては、シンクロニシティー
と呼ばれる現象などで、科学面と心理学の
両面から今でも研究されています。

 ということで、科学的には自然すら
都合のいいように変えてしまうことの
できる、人間の自由意志が存在して
いる可能性はあります。

 

参考URL:http://www.twain-jp.org/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
マーク・トゥエインってトムソーヤの作者ですよね?
そんな思想・哲学を持っている人だとは全く知りませんでした。参考になりました。

お礼日時:2004/11/24 23:32

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