1. ▲ (J.-J.ルウソ:エミール・冒頭)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1-1. 万物をつくる者の手をはなれるときすべては よいものであるが 人間の手
にうつるとすべてが悪くなる。
Tout est bien sortant des mains de l'Auteur des choses, tout dégénère entre les
mains de l'homme.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1-2. ☆ ほんとかしらと思うけれど まぁ そういう想定なのでしょう。
しかし 良し悪しの隔たりが 大きすぎる感じではある。
2. ▲ (同上・第一編 今野一雄訳 岩波文庫 p.31 ) ~~~~~~~~~~~
2-1. 自然の秩序のもとでは 人間はみな平等であって その共通の天職は人間で
あることだ。
2-2. ・・・両親の身分にふさわしいことをするまえに 人間としての生活をする
ように自然は命じている。
2-3. 生きること それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2-4. ☆ 《互いに平等である人間という務め》という規定において《自然人》を
保った。世間との折り合いの第一だ。
3. ▲ (同上 p.28 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3-1. 社会状態にあって自然の感情の優越性をもちつづけようとする人は なにを
望んでいいかわからない。
3-2. たえず矛盾した気持ちをいだいて いつも自分の好みと義務とのあいだを動
揺して けっして人間(☆ または市民)にも市民(☆ または公民)にもなれない。
3-3. 自分にとってもほかの人にとっても役にたつ人間になれない。それが現代の
人間 フランス人 イギリス人 ブルジョワだ。そんなものはなににもなれない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3-4. ☆ これは 必ずしも だからダメだと批判しているのではないようだ。
引用が長くなっていますが もう少し つなぎましょうか。
4. ▲ ( pp.28-29 承前) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
4-1. なにものかになるためには 自分自身になるためには そしてつねに一個の
人間であるためには 語ることと行なうことを一致させなければならない。
4-2. その人は人間(☆ 自然人=市民)か 市民(☆ 社会人≒公民)か あるい
は人間であるとともに市民であろうとしてどんなふうに行動するかを知るために そう
いうすばらしい人間をだれか示してくれるのをわたしは待っている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
4-3. ☆ とは言うものの 次のような処方箋を書いている。
5. ▲ ( p.30 )~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5-1. もし 人がめざす〔☆ 自然と文化(社会)という〕二重の目的が一つにむ
すびつけられるなら 人間の矛盾をとりのぞくことによって その幸福の大きな障害を
とりのぞくことになる。
5-2. そういう人間を知るためには すっかりできあがったその人間を見ることが
必要だろう。その人の傾向を観察し 進歩をながめ その道程をたどっておくことが必
要だろう。
5-3. 一言でいえば 《自然人》を知らなければならない。この書物を読めば そ
の研究においていくらか前進したことになるだろうとわたしは信じている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5-4. ☆ 出発点に戻ってしまって 処方箋どころか 狐につままれた思いになる。
けれども (2)でつけた折り合いにおいては 主旨がすでに明らかにされているとも
見られる。
5-5. ルウソの〔その後〕示すこたえによるにしろ・よらないにしろ みなさんは
どう考えるか? ただちに問いをみなさんにふってみたいと思います。どうですか?
5-6. つまりたとえば 《人間であるということなる天職》が 樅の木であれば
あとはいかにシガラミのごとくくっついて来ているにせよ そのツリーのカザリは わ
れの引き受けた務めであって 屁でもない。――といった生き方なのだろうか?
A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
こんばんは。
上記のルソーの言葉について、思ったことを(例によって「回答」ではない)記させていただきます。
1-1. 万物をつくる者の手をはなれるときすべては よいものであるが 人間の手にうつるとすべてが悪くなる。
「万物を造る者」とは具体的には「神」のことでしょうか?
「そのときすべては よいものであるが」──そうは思いません
「人間の手にうつるとすべてが悪くなる。」──基本的にはそう思います。つまり人間は美しいものを創り出すこともこともあるが、それを遥かに上回る大きさで、世界を悪く醜くさせる、と。
2-1. 自然の秩序のもとでは 人間はみな平等であって その共通の天職は人間であることだ。
2-2. ・・・両親の身分にふさわしいことをするまえに人間としての生活をするように自然は命じている。
「人間」の定義が不明。
2-3. 生きること それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。
「生きること」の定義が「曖昧」
3-1. 社会状態にあって自然の感情の優越性をもちつづけようとする人は なにを望んでいいかわからない。
「それが本来の状態だと思う。」
3-2. たえず矛盾した気持ちをいだいて いつも自分の好みと義務とのあいだを動揺して けっして人間(☆ または市民)にも市民(☆ または公民)にもなれない。
「これこそが本来の人間の姿であると思う」
3-3. 自分にとってもほかの人にとっても役にたつ人間になれない。それが現代の人間 フランス人 イギリス人 ブルジョワだ。そんなものはなににもなれない。
「役に立つ人間とは何か?」
4-1. なにものかになるためには 自分自身になるためには そしてつねに一個の
人間であるためには 語ることと行なうことを一致させなければならない。
「一個の人間あること」と「何者かであること」とは同じではない。乞食であっても「一個の人間」に他ならないのだから。
また「何者かになること」と「自分自身であること」とは背馳すると思う。
5-1. もし 人がめざす〔☆ 自然と文化(社会)という〕二重の目的が一つにむ
すびつけられるなら 人間の矛盾をとりのぞくことによって その幸福の大きな障害を
とりのぞくことになる。
「「自然」と「社会」が結びつくことはあり得ない。人間は自然を支配することができるだけ。」
5-2. そういう人間を知るためには すっかりできあがったその人間を見ることが
必要だろう。その人の傾向を観察し 進歩をながめ その道程をたどっておくことが必
要だろう。
「神のことを言っているのか?」
5-6. つまりたとえば 《人間であるということなる天職》が 樅の木であれば
あとはいかにシガラミのごとくくっついて来ているにせよ そのツリーのカザリは わ
れの引き受けた務めであって 屁でもない。――といった生き方なのだろうか?
よくわからない。
「人間である」ということは「天職」ではなく、寧ろ「運命」
ご回答をありがとうございます。
ルウソ自身の趣旨をおもんぱかることは №3を中心として neutraling
さんとのやり取りでいくらかおこないました。
質問者の問い求めの姿勢に重心を移してお応えしてまいります。
★ 2-2. 「人間」の定義が不明。
★ 2-3. 「生きること」の定義が「曖昧」
☆ については なお定義をためらっていますが お話は通じているか
と思います。
★ 3-1./ 3-2. 「これこそが本来の人間の姿であると思う」
☆ というふうに《人間》という言葉を使っておられる。いまは これ
でじゅうぶんかと思います。
★ 5-6. 「人間である」ということは「天職」ではなく、寧ろ
「運命」
☆ こちらの命題は かなり重みを帯びた思想を明らかになさった。と
感じます。
選択の余地がないという意味を強引に共通の要素だと採れば 天職と運
命とは 重なりますね? そしてこれが 《なにものかになる》ことで
もあると見ます。
そしてこの解釈にもとづき 次のご指摘は 基本としてあたらないとも
見ます。
★ 4-1. 「一個の人間あること」と「何者かであること」とは同
じではない。乞食であっても「一個の人間」に他ならないのだから。
また「何者かになること」と「自分自身であること」とは背馳すると思
う。
そのあと たとえば:
★ 3-3. 「役に立つ人間とは何か?」
☆ という課題を持って 社会人で〔も〕あることという応用編に入り
ます。
★ 1-1. 「人間の手にうつるとすべてが悪くなる。」──基本的
にはそう思います。つまり人間は美しいものを創り出すこともこともあ
るが、それを遥かに上回る大きさで、世界を悪く醜くさせる、と。
☆ といった・善悪や美醜が相対的なあり方を成す世界――広く人間の
世界――の問題です。
その世界で《役に立つ人間》とは どういうことか? あるいは 《役
に立つ》必要があるのか?
つづく
No.4
- 回答日時:
コーヒーブレイク。
わたしの大好きな詩です。
新川和江 わたしを束ねないで
___________
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
___________
中学校の国語の教科書で読んでから大好きです。
この「わたし」も「自然人」の部分を
大切にしたい人なのではないかしら。
ご回答をありがとうございます。
まづ№3からのつづきです。
☆☆> 障害と共存しつつこれを突き抜けるといった志向性でしょうか?
★: そうすることを彼ら彼女らは選ぶのだと思います。
☆ そのことも 《なにものかになる》の内容だと見ます。
★ それでも世間からは常識(?)通りになれと言われることがあるよ
うです。そうなると彼ら彼女らは「命を削って生きる思い」をして生き
ることになるのだと思います。
☆ この事態は 応用編なのだと見ます。
応用編は おのおのつねに起こり得ますね。:
★ わたしの娘は保育園および小学生時代、スカートとロングヘアが大
嫌いでしたから、ずっとズボンとショートカットで過ごしました。中学
校に入学して初めて制服であるスカートを穿きましたが、今は納得して
スカートを穿いているようです。
▲> それが現代の人間 フランス人 イギリス人 ブルジョワだ。
★: これは何の象徴なのですか、あるいは何の比喩ですか。
☆ 自然人である部分がつよい場合の人間一般を言っていると見てよい
と思います。
▲> そういうすばらしい人間
★: これはすでに「なにものかになった人間」のことですか。
☆ だと思います。
☆☆ 自然人は どのように折り合いをつけて 社会人と共存するか?
★: どのように折り合いをつけるか、に関してはまだわたしからは意
見が出ません。そのそも自然人は社会人にフィットしたいのかどうかも
分かりません。でも自然人も「ひとり」では人間として生きていられな
いでしょうから、何かしら社会人(あるいは他の自然人)との接点は求
めているのでしょうね。
☆ と思います。《フィットしない》で社会人で〔も〕あることを模索
するかも分かりません。
*
詩について 出しゃばってコメントします。
◆ (末尾) ~~~
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
~~~
☆ 《終わりのない文章》と聞いて そのあと《一行の詩》とあるので
ちょっととまどったのですが こう解しました。
つまり 《一行の詩》たるわたしは 《川》であり その内部で流れを
も持ち《旅を推し進めている。つねに あたらしい場所をも経巡ってい
る。果てしなく》と。
新川和江は 名前は知っています。
No.3
- 回答日時:
こんにちは、ぶらじゅろ~ぬさん。
もうひとつ分からないことがあります。「なにものかになる」というのはどういう意味なのでしょう。何か地位や肩書を持ったり、何かの集団(例えば地球人だとか日本人だとか会社員だとか学校の児童だとか)に所属することとは少し違うようですね。妻だとか母になるというのとも違うのでしょうね。それはたぶん「役割」のひとつに過ぎないでせうから。
自分にぴったりフィットする「何か」や「枠」を持ってゐるということですか。
自分がどのように生きてきたかを分かり、これからどう生きるかという地図や企画書を持ってゐるということですか。自分の文体として完成しているということですか。
社会的文脈に組み込まれるということですか?
いきなり質問だらけで申し訳ないのですが、これが分からないと「なにものにもなれない」の意味が分からないので。1番の回答で、わたしが間違って解釈しているかもしれないので。
>3-1. 社会状態にあって自然の感情の優越性をもちつづけようとする人は なにを望んでいいかわからない。
:社会人デビューとして、「保育園への入園」というのがあります。それまで「家庭」という社会だけで生きてきた3歳児たちが「保育園」という社会の中で集団生活を始めます。それこそしばらく「なにを望んでいいかわからない」ので、登園した瞬間、母親の姿が見えなくなるまで泣きわめきます。これは、社会人(保育士さんや他の園児)に対しての「求め方」や「甘え方」を知らないからという別の理由もあると思います。
保育園に入ると、お昼ご飯は「みんなと同じ給食」という決まりになります。好き嫌いの激しい幼児は、しばらく給食のほとんどに手を付けないのだそうで、保育士さんは、だいたい何でも食べられるようになると安心するのだそうです。保育園という社会に馴染んだのだなあ、と。もちろん例外もいるそうです。
>たえず矛盾した気持ちをいだいて いつも自分の好みと義務とのあいだを動揺して
:好き嫌いの問題ではないのですが、わたしはトランスジェンダーの方たちを思い浮かべました。自分は男だと感じているのに、女の身体を持って生まれた場合、なにを望んだらよいか分からないどころか、女の形をしている自分の身体に「望むことは何ひとつない」のではないかしら。
>障害と共存しつつこれを突き抜けるといった志向性でしょうか?
:そうすることを彼ら彼女らは選ぶのだと思います。それでも世間からは常識(?)通りになれと言われることがあるようです。そうなると彼ら彼女らは「命を削って生きる思い」をして生きることになるのだと思います。
わたしの娘は保育園および小学生時代、スカートとロングヘアが大嫌いでしたから、ずっとズボンとショートカットで過ごしました。中学校に入学して初めて制服であるスカートを穿きましたが、今は納得してスカートを穿いているようです。
>それが現代の人間 フランス人 イギリス人 ブルジョワだ。
:これは何の象徴なのですか、あるいは何の比喩ですか。
>そういうすばらしい人間
:これはすでに「なにものかになった人間」のことですか。
___________
>
自然人は どのように折り合いをつけて 社会人と共存するか?
:どのように折り合いをつけるか、に関してはまだわたしからは意見が出ません。そのそも自然人は社会人にフィットしたいのかどうかも分かりません。でも自然人も「ひとり」では人間として生きていられないでしょうから、何かしら社会人(あるいは他の自然人)との接点は求めているのでしょうね。
ご回答をありがとうございます。
★ 「なにものかになる」というのはどういう意味なのでしょう。
▲ 3-3. 自分にとってもほかの人にとっても役にたつ人間
☆ ここが 分かりやすいのではないでしょうか。
次も ルウソ自身の説明ですね。:
▲ 4-1. なにものかになるためには 《自分自身になる》ためには
そして《つねに一個の人間である》ためには 語ることと行なうことを一致
させなければならない。
☆ この(4-1)は 次のような捉え方において 理論としての基本なの
でしょう。
▲ 2-1. 自然の秩序のもとでは 人間はみな平等であって その共通
の天職は《人間であること》だ。
☆ (3-3)は その応用として社会人であるという観点を加味している
と思います。
理論としても応用としても 《なにものかになる》とは:
★ 自分の文体として完成しているということで
☆ しょうね。
応用編の場面として:
★ 自分にぴったりフィットする「何か」や「枠」を持ってゐるということ
★ 自分がどのように生きてきたかを分かり、これからどう生きるかという
地図や企画書を持ってゐるということですか。自分の文体として完成してい
るということ
ただし 次は微妙です。:
★ 社会的文脈に組み込まれるということですか?
☆ ふつう《組み込まれる》と言った場合には 《主体的に・よく》という
意味はないかも知れません。
でも 情況や世の中全体と《一体である》ときにこそ チカラをよく発揮で
きるということかも分かりません。
3-1.
★: 社会人デビューとして、「保育園への入園」というのがあります。
☆ たしか《公園デビュー》もありますね。
★ それこそしばらく「なにを望んでいいかわからない」ので
☆ いえ これは《慣れ》の問題なのでは?
★ 保育園という社会に馴染んだのだなあ、と。
☆ 園児の場合は まだ思想や文体が成り立っていませんので 別では
ないかと。
★: わたしはトランスジェンダーの方たちを思い浮かべました。
☆ この《T》という場合は 詳しく知らないのですが もし:
★ 自分は男だと感じているのに、女の身体を持って生まれた場合
☆ だとしたら そのように全体としておのれを捉えて その自分が
《なにものかになる》ことに努めればよいと思います。
つづく
No.2
- 回答日時:
なんか大量に話し忘れてゐる気がするのですが、今日は疲れたのでこれで終わります。
【自然人】の定義を、ぶらじゅろ~ぬさんの言葉でもっと明確にしてもらえると助かります
№1お礼欄のお応えは ちょっと端折り過ぎたかも分かりません。
まづ そのつづきです。
★(№1) :そもそも幸福には障害がつきものなのだから、それを人為的に取
り払ってはいけないのではないかしら。
☆ 首ひとつだけは水の上に出ているといった幸福ではないかと。《取り払う》
と言っていますが 障害と共存しつつこれを突き抜けるといった志向性でしょう
か?
5-2
★ :すっかりできあがった人間というのも想像するのが困難です。・・・
☆ 世間とは そういうことなんでしょうけれど。
★ 帰り道でオオイヌノフグリの花を見つけた細かい喜びの他、怒りとか嫌悪と
か淋しさとか悲しさとか、全部われの引き受けた務めであって、屁でもないのだ
と思いますし、その感情のためのゴミ処理場も不要なのだと思ひます。
☆ なるほど。ゴミ処理というのは 実際に心の中で処理することがあるかとは
思うんですが。
*
そうですね。《自然人》の問題ですが。・・・
文化(言葉化)は――人間関係が出来て 社会化のことになるわけですが――
反・自然であるという見方が まづあるのでしょう。つまり (1-1)です。
社会人というのは ふつう一般に《自然(自然児?)と反自然たる文化》とが
入りまじった《身と心から成る》人格として生きるのだと思われます。
ルウソは 自然人をことのほかおもんじています。何とかこれを――社会人に
なった場合にも――保持したい。という志向性がつよいのではないでしょうか?
▲ 3-1. 社会状態にあって自然の感情の優越性をもちつづけようとする
人は なにを望んでいいかわからない。
☆ といった状態に落ち入るのだと。――そこらあたりの・人間性の問題をあ
つかっているのだと思います。
▲ 5-1. もし 人がめざす〔☆ 自然と文化(社会)という〕二重の目
的が一つにむすびつけられるなら 人間の矛盾をとりのぞくことによって そ
の幸福の大きな障害をとりのぞくことになる。
☆ つまりここで 《矛盾を・あるいは障害を〈とりのぞく〉》と言っていま
すが これは 表現がまづいのでしょうね。
《自然と文化という両方の側面を活かす》こと。そのために 調整するといっ
た方向と内容なのだと思います 言いたいことは。
自然人は どのように折り合いをつけて 社会人と共存するか?
No.1
- 回答日時:
こんにちは、ぶらじゅろ~ぬさん。
わたしにとっては質問がむづかしすぎるので、例によって破片的な感想になります。
1-1.
>人間の手にうつるとすべてが悪くなる。
:いきなり納得できません。そもそも人間の手によってしかヒトは人間になれないのと違いますか。人間になる過程あるいは人間になった結果の、「(社会から期待される)出来の良し悪し」だとか「商品価値としての良し」悪しを問わず。
1-2.
>そういう想定なのでしょう。
>しかし 良し悪しの隔たりが 大きすぎる感じではある。
:というのは、それぞれの個人にとっての「事実」、ということなら同意します。
2. 同意。
「なにものかにならなくてはならない」という呪縛から解放されているのは、悪いことではないと思います。
2-4. 同意。
3. 省略。なにものかにならなくてはいけないわけではないと、上に書きましたので。
>自分の好みと義務とのあいだを動揺して
:教育とか労働とか納税とかは普通に義務ですが、実は人間の「義務」というのはものすごく少ないし、人間に「できること」もものすごく少ないのぢゃないかしら。という能天気さがあるのとないのとでは生きづらさに違いが出てくると思ひます。たとへば「空気を読む」のが「義務」の一部になっているやうですが、「そんなものは義務ではない!」と主張する人が増えることをわたしは期待しています。「義務」の姿をしてはいるけれど、実は「こうした方がラクだよ」という囁きのような、名ばかりの「義務」も多く、直感で(?)見分けて取り込んだり捨てたりする必要があると思ひます。
少し話が逸れますが、最近、お金関係の本をよく読んでゐます。お金ももともと「信用しなくてはならない」という義務があるものではありませんが、お金は交換の手段として使えるし、価値を測る尺度としても使えるし、価値を貯めることにもつかうことができ、お金が大嫌いな人はあまりいないと思います。数ヶ月前に出版された本たちを読んでいると、「スマホ決済」「電子マネー」「クレジットカード」「プリペイドカード」「デビットカード」「仮想通貨」「キャッシュレス」などの便利さが強調して書かれています。便利さが協調されていますが、今のところわたしにとっては「必要不可欠なもの」「義務」とは感じておらず(といいますかむしろ嫌いなので)、支払いはもっぱら現金で!を貫いています。
5-1.
>人間の矛盾をとりのぞくことによって
:人間にとって「矛盾の無い状態」というのを想像することができません。
>その幸福の大きな障害をとりのぞくことになる。
:こちらもよく分かりません。そもそも幸福には障害がつきものなのだから、それを人為的に取り払ってはいけないのではないかしら。
5-2
>すっかりできあがったその人間を見ることが必要だろう。
:すっかりできあがった人間というのも想像するのが困難です。人は神ではありませんから、みんな凸凹しています。Aさんの凸は好きだけど凹は苦手、という場合、A凸の部分をありがたく吸収し、Aさんの凹の部分についてはBさんやCさんが凸な部分に視線を移せばよいのでは?
>そのツリーのカザリは われの引き受けた務めであって 屁でもない。
:わたしの感情は、他でもなくわたしのものですから、その感情に付き合うのはわたしの務めでしょうね。帰り道でオオイヌノフグリの花を見つけた細かい喜びの他、怒りとか嫌悪とか淋しさとか悲しさとか、全部われの引き受けた務めであって、屁でもないのだと思いますし、その感情のためのゴミ処理場も不要なのだと思ひます。
質問の趣旨からズレていたら澄みません。
ご回答をありがとうございます。
1-1.
★ :いきなり納得できません。そもそも人間の手によってしかヒトは人間にな
れないのと違いますか。・・・
☆ 難しいんですが ルウソに沿って受け取るならば おそらく《善と悪を知る
木から採って食べた》といった含みを持たせているのでしょうか?
いちいち人間の知識と判断をとおして――つまりは かんばしからぬことを思い
の中にしのばせて――生きることになったと。
1-2.
★ :というのは、それぞれの個人にとっての「事実」、ということなら同意し
ます。
☆ わたしの意味合いは 良し悪しの白か黒かが 全か無かのかたちに成ってい
るので どうかな・・・と単純なものです。
2.
★ 同意。「なにものかにならなくてはならない」という呪縛から解放されてい
るのは、悪いことではないと思います。
☆ 社会の中にいつつ 人間の知性〔および霊性?〕で何がしか世の中の水嵩を
超えている・・・《蓮》のごとく?
3.
★ :教育とか労働とか納税とかは普通に義務ですが、実は人間の「義務」とい
うのはものすごく少ないし、人間に「できること」もものすごく少ないのぢゃな
いかしら。・・・
☆ 快不快の原則だとか好悪の原則があると言われます。
先ほどの蓮のごとく水面から首を出しているというのは 善悪の彼岸を見据えて
いるんでしょうか?
★ 最近、お金関係の本をよく読んでゐます。お金ももともと「信用しなくては
ならない」という義務が・・・
☆ そのひとつの存在理由としては 等価交換のシルシに成ることかと。
ただし ルウソの観想(霊性?)は そのような人間が〔社会関係的に〕判定す
る価値にしても それがたとえ等価交換だとしても どうも《人間の手に渡り切
っている》なら かんばしくない・・・と思うのでしょう。相対性の世界の中で
ただあっちへ行ったりこっちへ来たりしてあたかも撞球の球のようでしかないと
でも受け取っているのでしょう。自然人だとすると。
5-1.
★ :人間にとって「矛盾の無い状態」というのを想像することができません。
☆ それは そうなんですがね。つまり 自然人の霊性のごとき感性が 繊細な
んでしょう。
№2お礼欄につづきます。
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すなわち:
▲ 3-2. たえず矛盾した気持ちをいだいて いつも自分の好みと
義務とのあいだを動揺して けっして人間(☆ または市民)にも市民
(☆ または公民)にもなれない。
☆ という問題――《運命》とも《天職》とも言える《人間の置かれた
天与の条件》――のもとに問い求められて行きます。難儀が予想されま
す。
すなわち たとえば:
★ 5-1. 「「自然」と「社会」が結びつくことはあり得ない。人
間は自然を支配することができるだけ。」
☆ という見解が 社会全体の中でどう捉えられているのか?
質問者の見解は (5-6)に述べました。《自然と社会とが第二次の
さだめとしてのごとく結びついたかたちを 自然人たる人間は たずさ
えて生きることを 〈多くの場合には〉余儀なくされる。屁でもない》。
このような出で立ちではないかと思います。