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朝から報道番組を見ていると、全共闘、東大立て籠り、よど号、あさま山荘などの
学生運動が1968~1972年にあった様ですね。

現在で考えると、70~80歳の方々が大騒ぎしたんだろうと思います。

この運動は、成功した方が良かったんですか?
実際は成功しなかったんですから、愚かな運動だったんですか?

A 回答 (11件中1~10件)

中学、高校時代に教師が学生を煽ってましたよね、日教組って本当に碌なもんじゃなかった。


そこで捏造されたことを革命だとか言って煽りまくり、学生運動がさも良い事のようにマスコミが騒いだのもいけなかったのだから仕方のない結果です。
新聞社やマスコミにはGHQによる追及により大勢の真面な者たちが野に追いやられ、代わりに組合から訳の分らん共産主義者や社会主義者が取って代わった訳です。
現在の朝日や毎日がその系譜を踏んでいるのですから、進歩していないと言うか間抜けですね。
教科書問題でもその系列の知識人とか言っているアホどもが、教師と言う洗脳されたボケ共に捏造教科書を使わせたわけです。
私の場合は中学の時に教師が社会党の党章を売りつけていましたからね、それで様々な嘘を教えていました。
あの社会党って言うのは在日だらけで革命を起こせと学生を煽り何がしたかったのでしょう、その後学生運動が起こっていましたが空しい結果です。
何の結論も出ずに破壊行為ばかりしていて学校にも行かず、校舎の中で焚火などしていましたからね。
米軍の払い下げのジャンパーなんかを着ていて、ヘルメットに革命の革の字を〇で囲んだやつらが沢山いましたね。
まるでファッションのようなものでしょう、結局は何もならない犯罪者で時代に流されたと言うより洗脳されたバカ者です。
中国で三角尖がり帽子を被らせて行進していたあれと差して変わりません、誰が見ても愚か者です。
洗脳されるとチンパンジーにも劣る事を平気で遣るんです、それを団塊の世代の人は「俺も遣っていたなぁ」などと懐かしげに話すもんだから今日みたいな放送がある訳です。
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この回答へのお礼

有難うございます。
非常に解り易い解説ですね。

お礼日時:2019/01/19 14:29

一所懸命になれる彼らに憧れを抱いたかことがあるというのが、昭和36年生まれの私の古い記憶です。

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この回答へのお礼

有難うございます。短絡的ですね。

お礼日時:2019/01/26 07:19

私の少し上の世代がやっていたことです。

私の時代にも名残がありました。新左翼みたいな名残が、ね。是非は兎も角、彼らは一所懸命でした。いっ
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政治的な背景についてはぶっちゃけどうでもいい。


大声で喚いて学生たちの共有スペースを占拠したり暴れたりで非常に迷惑。
この点で、どんな小難しい理屈こねまわそうが正当性などありませんよ。
秩序のため、あんなの成功させてはいけません。

近代でもハタ迷惑な騒ぎ起こして世直ししようとする残念な人がいますが、あの人らの活動や、それをありがたがる手合いの影響があると思います。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2019/01/20 12:27

免疫不全



免疫(反抗)活動が、現代(現実)の環境で不全を起こした。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2019/01/19 18:58

「70~80歳の方々が大騒ぎしたんだろう」


全部じゃないですよ。私自身東大闘争の時に教養学部のノンセクトの学生からしきりにお誘いを受けましたが入っていきませんでした。念の為。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2019/01/19 18:58

あの当時の学生運動は一口に言えないほど色んな主義主張を持った運動です。


彼らの中には思想も行動もピンからキリまで。
成功しなかったから愚かだったとは言えないと思います。
当初は真面目な問題意識を持っていたようです。
問題意識も持たず時代に迎合する輩よりはマシだとは思いますが、
紛争が長期化するにつれ、体育会系の真面目に学問をしたい人間を中心に
学生運動に反発する集団が草の根のように芽生えてきました。
それが所謂草の根右翼というやつです。
この草の根右翼の中心人物が戦前から続く生長の家(現在は少し変化しているようですが)の熱心な信者で現在の日本会議につながっています。
現在のような超右翼を齎したという意味では失敗だったと言えますが、
一口に愚かだったとも言えないのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

有難うございます。
今から考えると間違っていた様な?

お礼日時:2019/01/19 14:56

中国の文化大革命の影響です。

毛沢東の唱える「造反有理」のキャッチフレーズに団塊の世代の自己顕示欲が刺激され、それを進歩的文化人が煽った結果、いろいろな激化事件が起こりました。どれも議会制民主主義を否定する若者たちの直接行動である点が共通点であります。暴れたのは一握りだけど、それでも団塊の世代なだけに人数が多い。統制の取れてない小集団がばらばらに好き勝手に暴れていただけなので成功することは有りえませんでした。結局は自壊して運動は下火になりました。
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この回答へのお礼

有難うございます。

お礼日時:2019/01/19 13:24

この原因は、一つ二つではありません


東大立て籠り、よど号、あさま山荘、
全然違います

東大立て籠り等、学生側が正義です、愚かとは思いません
あさま山荘、過激な共産主義が起こしました、愚かです
よど号、対応した日本政府のマヌケさを世界に示しました
どっちも愚かです
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この回答へのお礼

有難うございます。
具体的なご説明がないので?

お礼日時:2019/01/19 11:41

私も良く知らない世代なので、調べてみました。



当時は学校運営の透明性がなく、学校側が好き勝手にやっていたようです。

学生が利用する施設に投資せず、授業料を値上げしたりですね。

また、運営責任者に使途不明金などがあり、横領をしていたケースもあったようです。

しかし、学校と言うのはアンタッチャブル(不可侵)が当たり前であり、

「偉い先生がそんな事をするなんて疑う方が悪いよ。」

とするのが普通だったんでしょう。


現在では考えられませんが、これに対して社会全体が学校の味方になっていたようです。

「子供のくせに、大人達が色々考えて決めたことに反抗するのか?」

こんな風に思うのが当時の感覚だったんです。


今で言うパワハラ、セクハラ、モラハラ、差別、苛め、そうしたものが当たり前であり、

学生は黙って受けいれると言うのが常識。

今思うと、確かにあったなあとおもいますし、懐かしいですね。


若い世代が、昭和世代を「昭和」と言って馬鹿にしますが、「昭和」世代には確かに欠点があります。

「強いものには黙って従う」と言うものがその一つです。

そのため「昭和」の感覚では、強者が横暴をするのが当たり前で、

強者が少し手加減しただけで「良い人」と評価する傾向があります。

今で言うところのギャップ萌えでしょうか。


また、(時代的に)家庭からの教育投資が為されていませんでした。

当時の親は、良い大学を卒業すると、子供の生涯賃金が増えると信じていなかったんです。

そのため学費への過剰な投資は悪い事(馬鹿な親が行う無駄)とされていました。

資金の流入が少ないわけですから、学校には潤沢な予算がありません。

教育への情熱で誤魔化すしかありません。

今で言うところのブラック企業みたいになっていたわけです。

多くの学校は苦肉の策として、セルフサービスを導入していました。

つまり、本来はお客である学生が、学校の自治を行う仕組みです。

自分の面倒は自分達で見なさい、というわけです。

現在も「生徒会」「委員会」と言う制度が多くの学校でもあると思います。

これはその名残ですね。

しかし、進学率があがり、学校の数が増えていきます。

そうなりますと、小さな閉鎖的な社会ではなくなります。

学生が自分達のために自分達で組織を作り、学校と交渉する構図ができてしまったわけです。

未熟な子供が集団を作るとどうなるでしょう?

苛めが起きますよね。

同じように大人であっても、

組織が大きくなる過程で諍いが起きて、(組織が)崩壊するケースが良くおきます。

例えば、学生時代のサークル活動、仮想世界(ネットゲームなど)でのチームなどに

参加した人は経験があると思います。


人生経験の浅い人がトップに立てば、組織の運営などできるはずがありません。

ましてや給料を払えるわけじゃありませんから、学生運動の団体を維持するのは難しかったでしょう。

こういう状況になりますと、流れる方向は皆同じです。

戦う姿勢を見せて、自己の存在理由を際立たせるわけです。

今で言うところのテロリストですね。

最後のほうは暴れたい人が集まって、体制に八つ当たりをするようになったわけです。

組織内、組織間での勢力争い、組織内でのリンチ(私刑)などが横行し始め、

日本政府が本格的に断罪をはじめたと言う事です。


学生運動は後半のイメージが強いですよね。

私なんかもそう思っていました。

もとはまともな(生活面での改善や不正に対する抗議や運営の透明性)

主張だったようです。


この運動が成功したか失敗したか、

成功した方が良かったのかどうか?

今現在の皆さんの周囲をみていただき、自分としてどうか考えてみると良いかと思います。

日本の中に、強者の横暴を許さない、と言う姿勢が定着しています。

これは成功ではないでしょうか?

いまだ社会全体では玉石混合ですが、

政府や体制側が正当な理由も無く、強者の側に立つことが無くなりました。


一方で、

市民と言うステータスが強くなりすぎて、

市民のあいだ、学生のあいだで起きている見えない犯罪(苛めなど)を裁く力を失いました。

昔は仲裁と言う行為を誰もがやってました。

いまは、放置ですよね。

これは大きな後遺症です。


そうなりますと、

より優れた人達がグループを作り、平和で公平を享受する。

そうでない人達は這い上がれず、互いに争い、不当が生じても助けてもらえない。

そんな状態に移行します。


つまり昭和の時代は、体制側が悪役であり、底辺の集団は仲が良かったと言うことです。

そうでなければこんな運動が生じるわけありません。

現代は、自己責任による二極化が生じてしまっています。


学生運動が悪と断罪されたあとは、確かに苛めも増えていると思います。

学校側が強権で処断するのを避けています。

教団から教室を見渡したことがありますか?

学生が何をやっているのか丸見えですよね?

本当に、「苛めに気付かない先生」などいるわけがないです。

学生運動が原因となり、処罰をする根性が無くなってしまったと言う事です。

これも大きな後遺症でしょう。


強者の不正を断罪し、弱者を守るためには、別の強者が必要であり、

この強者に任務を課すため、

個人は道を譲り、ある一定の差別(社会での役割の差)を受けいれないといけません。

これを不当とすれば、

自力のガチ勝負が横行し、(自力の差という)公平性の中で苦しむ人が出てくるでしょう。

深刻な二極化や空洞化(人材が国外に流出する)を招くことになります。


「昭和」の様な封建的な思想ではなく、

「平成」の様な機能不全の公平でもなく、

「道徳」的な思想を活用して、中庸(良い塩梅のバランス)を目指す時代になって欲しいですね。


昭和は、唱和を是として、階級や権限と言う力で解決していました。

平成は、公平を唱えすぎて、階層を生み出してしまいました。



完全個人主義ではあっても、

力ではなく徳を磨き、

必要に応じて阿吽の呼吸で集まり、助け合う、

弥生時代以前の社会のような日本になって欲しいもんです。


以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます。
長い文章を読んでいると、富める人も貧乏な人も平等に幸福なりたい
願望の様な行動でしたか?
世の中にそんな事は不可能だと考えなかった学生が多かった?
社会主義国家を目指したい試行錯誤で間違った運動でしたね?

お礼日時:2019/01/19 11:33

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