ウォッチ漫画『酒男子』新連載開始!

下記の質問の続きです。
【「何年もの間」の「もの」の説明】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10927329.html

 質問に対する説明は、daaa-さんのベストアンサーのとおりでしょう。
 関連する疑問が出てきました。

1)「10年の間、二人はそれを不思議に思っていました」
2)「10年もの間、二人はそれを不思議に思っていました」
3)「10年間も、二人はそれを不思議に思っていました」

 多少意味がかわる気もしますが、そこは無視して、どれも成立すると思います。
 ところが、下記だと4)は×でしょう。
4)「何年の間、二人はそれを不思議に思っていました」×
5)「何年もの間、二人はそれを不思議に思っていました」
6)「何年間も、二人はそれを不思議に思っていました」

 これが下記になると、7)が自然で、8)9)はちょっと不自然に感じます。ただし、これも「何年」を「10年」にすれば3つとも自然に感じます。
7)「何年の間、二人はそれを不思議に思っていたのですか?」
8)「何年もの間、二人はそれを不思議に思っていたのですか?」
9)「何年間も、二人はそれを不思議に思っていたのですか?」

 具体的な「10年」と「何年」でこういう違いが出るのは、どういう理由なのでしょう。

A 回答 (12件中1~10件)

>>「認識」は使わないでほしい、と前々からお願いしているのに



言語が話者の認識の表現であることは、言語、文法を論じる場合の基本的な前提であり、事実です。したがって、この事実を避け言語、文法を論じることはできません。

それを避け理解出来るという誤った、形式主義、機能主義的な発想の基に問題を提起し、理解しようとするため混迷を招き、形式的に同じ疑問を繰り返していることを正しく自覚すべきです。

それなしに、単に形式としての文を羅列しても、問題の解決にも、理解の深化にもなりません。

正しい方法を持たないのに、「事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、学問の邪道」(時枝誠記『国語学への道』)だという警告も、この際思い出してもらいたいものです。■
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この回答へのお礼

>言語が話者の認識の表現であることは、言語、文法を論じる場合の基本的な前提であり、事実です。したがって、この事実を避け言語、文法を論じることはできません。
>正しい方法を持たないのに、「事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、学問の邪道」(時枝誠記『国語学への道』)だという警告も、この際思い出してもらいたいものです。

 せっかくのご高説ですが、当方は関わりたくありません。何度も何度も質問と無関係のコメントはお控えください。迷惑です。日本語が通じないのでしょうか。
 そういう話が好きな人とどうぞ。

 素朴な疑問なんですが〈言語、文法を論じる場合の基本的な前提〉なら、わざわざ書くまでもないのでは。
「このコメントは日本で書いています」とわざわざ書く人がいたら、ホニャララですよね。
 えーと。これ以上の返信もコメントは不要です。もうゲンナリも通り過ぎています。

お礼日時:2019/01/25 21:38

NO.7 です。


比較の問題ですから、数日くらいのものかと思っていたものが 1週間だったら 1週間も と も がつくし、何日くらいのものかと思っていたものが何週間だった場合でも も がついても違和感はないという意味です。
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この回答へのお礼

えーと……。
「も」が強調になるのは、前問のdaaa-さんのベストアンサーのとおりだと思います。
 そこを否定する気はありません。
 当方の疑問は別のところにあります。 

 おそらく、不定の期間を表わす「何年」と、具体的な期間を表わす「10年」の違いではないか、という気がしてきました。
 その意味では何のかたの回答が近いのかもしれない、とも思います。
 ただ、あの書き方ではほとんど理解できないので、非常に悔しい気持ちです。

お礼日時:2019/01/23 22:35

日本語の「何」は、疑問と不定指示の2つの用法がある。

「疑問」は、「何ですか」「いくつですか」と質問するものである。「不定指示」は漠然と数量を指示するものであり、質問してはいない。例えば英語だったら、疑問は what や how など、不定は some などだろう。しかし日本語の「何」は両方に使える。
「何の事故です『か』」ならば疑問だが、「何『か』の事故で渋滞していて遅れました」ならば不定指示である。「か」の付く場所次第で、意味が変わってくるわけだ。付く場所次第と申したが、文法的には前者の「か」は終助詞、後者の「か」は副助詞である。しかし、そんな文法用語を知らなくても、私たちは「何」を目にしたら、「『か』はどこだ」などと敏感にならざるを得ない。そのようなところに、ご質問文の例文4)のような「か」無しの、いわば「裸の『何』」が放り込まれれば、なるほど違和感をおぼえるだろう。うまい例文だと思う。

さて、ご質問は「何年も」なのに、さっきから私は「何か」と書いている。「も」ではなく「か」を付けて頓珍漢なようだが、これは日本語が「膠着語」であることを示すものとも言える。付属語(助詞など)が糊(のり)の働きをして、どんどん他の自立語を貼り付けるようにして文ができあがる。いろんなものが様々なくっつき方をするわけだ。
前述したように、「何」の直後に「か」が付けば不定指示であるし、同様に「何年も」も不定指示である。「も」が付くことで、「これは質問しているのではなく、数は分からないが多いという意味」と察せられるわけだ。「も」自体は「強調」の意味だが、それが膠着した結果として、「何」の不定指示を導き出している。
さらに言うと、「何年も」の「何」は代名詞(自立語の一種)ではなく、接頭辞(付属語というか形態素の一種)である。接頭辞などの付着によって大いに文法機能が果たされるという、これまた「膠着語」の特徴に他ならない。

というわけで、裸の「何」にいろいろな付属語がさまざまに付くことで、「何」の文法機能(疑問か不定指示か)が決まる。以下に挙げるのは、いずれも不定指示の用例である。ご質問者に申し上げるが、ご自分の頭の中で例文をこしらえ、自分でマルバツを付けることを繰り返しても、日本語の理解は進まない。自分の語感を信じ過ぎのように思う(さきほどは「うまい例文」とほめたが)。広く文章家の用例を収集し、いわば文法現象を観察することから始めたほうがよい。

何年の間殆ど寧日なき戰ひを續けて來て、何時となく痩せ且つ疲れた予の身體と心とは、今安らかに眞白な寢臺の上に載つてゐる。(石川啄木『郁雨に與ふ』)
某国は武力で脅しをかけてくる。どうするべきか,国家にとっては震撼の何日問である。(西村寿行『白骨樹林』)
……いわば裸の「何年の間」「何日間」が、不定指示として使われている。これは、一般人の書いた文章にはときどき出てくるのだが、文章家の用例は珍しいようだ。

私は過去十何年の間、ほとんど毎週のように金曜日には、深川の某研究所に通って来た。(寺田寅彦『時事雑感』)
この老婦人にとつては、これは又、何十年の間、見、聞き、教へられ、さうして信じて來た、宗教に對するやうな强い信心でさへあつた。(外村繁『中井商店の身上』)
……「十何」「何十」など、ゆるやかでも範囲を示す語が付けば、「も」はなくてよいことが分かる。流麗な言葉遣いで「不定指示」が表されている。ご質問者のように「10年」と限定する例文は、さらさら必要ない。

そこがあまりおり心が好かったので、何年の間という長い独棲生活(ひとりぐらし)に飽いていた私は、(近松秋江『黒髪』)
……「という」が付けば「も」は要らない、と分かる。「おり心」は「居心地(いごこち)」と同じような意味。「居心がいい」などと用いる。
結論として、「も」でも「ゆるやかでも範囲を示す語」でも「という」でも、「何」とともに膠着することによって、不定指示を表わしていると言える。一方、別様の膠着によって「疑問」が表される。裸の「何」は、不定指示か疑問かがすぐに分からず、文脈から判断する羽目になって好まれないようだ。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 ただ、もう少しやさしく書いていただけませんか。

>日本語の「何」は、疑問と不定指示の2つの用法がある。
 というのはなんとなくわかる気がします。
 しまし「何」と「か」の関係性がわかりません。

「膠着語」ウンヌンはこのテの質問サイトで繰り返される念仏コメントのキーワードのひとつで、目にするだけでゲンナリします。できればそういう話をせずに解説していただけませんか。

>「も」自体は「強調」の意味だが、それが膠着した結果として、「何」の不定指示を導き出している
 このあたりもよくわかりません。

>「何年も」の「何」は代名詞(自立語の一種)ではなく、接頭辞(付属語というか形態素の一種)である
 そうなんでしょうか。

 青空文庫などで探したて例文は、よほどうまく処理しないと、解説がいたずらにむずかしくなる気がしています。
 当方には難解です。

お礼日時:2019/01/23 22:41

>>どう見分けるのでしょうか。



>不定のものを「も」で強調し、疑問とするのは論理的ではありません

「どれも素晴らしい」「どれでも良い」の場合は不定称でも個別の実体を対象にしており、その中のどれかを「も」で強調しているため具体的な対象があります。しかし、「何年もの間、二人はそれを不思議に思っていたのですか?」は、副詞の「何年も」は大きな期間を意味し、疑問の意味が理解できますが、不定称の疑問の場合はその期間自体を問うことになり、不定な期間を強調するという矛盾を感じることになります。

>副詞としての意義もあり、この意味で使用すればNO.1の回答のように「7)8)9)はいずれも成立します。」ということになります。

これを説明するためには、話者と聞き手の認識に触れざるを得ません。「何年」の「何」が代名詞と副詞という多義であるため、話者はどちらかの意義で使用します。この質問の場合は、質問者はその意義の相違を明確に意識しないまま、他の文との形式的な比較の認識から作文したため、受け手は独自に判断するしかなく、代名詞ととれば矛盾を感じ、副詞と受けとれば何とか意味を理解できることになります。
文は話者の認識の表現であるため、この点を正しく認識しなければなりません。

判り易いのが、次のような例です。
助詞「う」は意志、推量、勧誘の意義を持っています。この「う」による次の文を考えてみましょう。

「明日は学校へ行こう。」

これは、引き籠りの子供の家庭での発言の場合、親が子供に話す場合には、勧誘になり、親が他人に話す場合は推量であり、子供自身の発言であれば、意志の表現になります。このように、多義の意義を持つ語の意味は話者の認識により決まります。■
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この回答へのお礼

当方は「どう見分けるのでしょうか」と質問しました。
 答えはないのですね。

 例によって後半は「認識」の話ですか。必要性が感じられない「認識」は使わないでほしい、と前々からお願いしているのに……言葉が通じないのでしょうか。
 ということで、後半はまともに読んでません。
 どうも、そうむずかしくないことを書いている気がします。それなのに、なぜこんなにむずかしく書くのでしょうか。理解できないのは当方だけではないようです。
 残念ですが、お引き取りください。

お礼日時:2019/01/21 23:02

NO2さんの説明は私にも十分理解できません。


不定称の指示代名詞と説明がありますね、不定ながらも指示(本来は特定必要→相手?の特定を受けて行動する場合)。
指示代名詞として使う場合、例えば、おい、何を持ってきてくれ→言葉の表現は不定ですが、内容としては特定と同様に通じる場合にしか使えませんね、(まったく初対面、赤の他人には通用しません、文法的にはありえても、内容としては隠語の類?で例外と考えたほうが?)。
何をあげようか、→どれをあげようか、は複数の候補があれば。候補なしのままなら、何を・・・・となりますね。
疑問形で使用可能、相手の特定待ち、ということになります。
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この回答へのお礼

「不定称の指示代名詞」という言葉がどこまで一般的なのかはわかりません。
 ただ、「何年」の類いと「10年」の類いでは性質が少し違うのかなぁ、とは思います。
 あの説明では何がなんだかわかりません。残念な話です。
 どうしてあそこまでわかりにくく書けるのか不思議です。
 当方の理解力の問題ではないことがわかり、安心しました。

お礼日時:2019/01/22 22:01

前の回答で間違いがあったので再掲します。



も はそれが長期間だったことを強調するために使われています。

10年は長期間だとわかりますが、何年では長期間かどうか分からないという疑問も生じます。しかし、数日とか数か月でなく、数年だったということを強調するために使われていると考えれば、8)、9) も別に違和感はありません。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 別に「10年」でなくて「1年」でも同じ気がします。
「1週間」でもokの気がします。
 7)8)9)にしぼって書きかえます。

7)’「1週間の間、二人はそれを不思議に思っていたのですか?」
8)’「1週間もの間、二人はそれを不思議に思っていたのですか?」
9)’「1週間も、二人はそれを不思議に思っていたのですか?」

 どれも自然に感じます。おそらく1)〜6)もokでしょう。

お礼日時:2019/01/21 23:08

も はそれが長期間だったことを強調するために使われています。


10年は長期間だとわかりますが、数年では長期間かどうか分からないという疑問も生じます。しかし、数日とか数か月でなく、数年だったということを強調するために使われていると考えれば、8)、9) も別に違和感はありません。
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何年というのはふつう疑問文の中で使う言葉だからです。


何年もの、が例外なだけです。

「何年」を「数年」に置き換えれば、万事解決するはずです。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>何年というのはふつう疑問文の中で使う言葉だから
「だから」なんなのでしょう。

>何年もの、が例外なだけ
「例外」だからなんなのでしょう。

>「何年」を「数年」に置き換えれば、万事解決する
「10年」はダメで「数年」なのでしょうか。

お礼日時:2019/01/19 22:39

7)は年数を質問する内容


8)、9)は「不思議に思っていた」のかどうかの質問。
7)も10年の間・・・・とすれば、「不思議に思っていた」のかどうかの質問になります。
不定称の使い方。
これ、いいですね!、どれ、いいですね→なんのこっちゃ。
あれ、欲しいです、 どれ、欲しいです、文章表現では表現できませんが、どれ、欲しいですか(疑問形ならあり得ますね)。
「どれ」単独では不定のため、特定不可能、特定不可能のまま、どうする、こうするなんて不可能ですね。
「どれ」を特定しますか、→実際は、どれにしますか?。
どれも、いいですね→AもBもCも・・いずれを特定しても評価は「いいですね」。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>7)は年数を質問する内容
>8)、9)は「不思議に思っていた」のかどうかの質問。
 そうかもしれませんね。
 No.2のかたのコメントと食い違う気がして、混乱しています。

お礼日時:2019/01/19 22:36

こういう違い>それは簡単で、10年目に事件が起きなければ後の3件のまま続く事になるからです。

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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

「事件」??
「後の3件」??

お礼日時:2019/01/19 22:36

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と定義することができる。

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もっとも、古い昔の本を読む外国人もいるから、説明はしておかなければならないのが、日本語教師のつらいところ。



「~『に』は(モノ)があります」ならいい。
・彼には才能がある。
・私には時間だけはたっぷりある。
・両国間にはつながりがある。
・その意見には問題がある。

この場合、「に」はなくてもいいかもしれない。
・彼は才能がある。
・私は時間だけはたっぷりある。
・両国間はつながりがある。
・その意見は問題がある。

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#6です。

誠に申し訳ありません。
辞書記述をすっかり読んでいなかったため、誤った回答をしてしまいました。(大辞林でも、「歌わない です」の形を認めています)
お詫び申し上げると共に、全面的に訂正させていただきます。


「です」は、昭和初期ぐらいまでは、名詞・体言に接続するのが基本だという考え方から、「歌わないです」ではなく「歌わないものです」のような表現が一般的だったようです。
「歌わないでした」と過去形にすることができないことなどから、「用言+です」の形は不安定だという認識があったらしい。
ただ、「です」が丁寧語であることから、「ません」よりも丁寧な表現になると思われ、特に若者の話し言葉として浸透していったとのこと。
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https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/menu7_folder/symposium/pdf/8/10.pdf
因みに、わたしは(若くはありませんが)書き言葉でも使っています。
とはいえ、子供の頃は使っていなかったように記憶している。

#6です。

誠に申し訳ありません。
辞書記述をすっかり読んでいなかったため、誤った回答をしてしまいました。(大辞林でも、「歌わない です」の形を認めています)
お詫び申し上げると共に、全面的に訂正させていただきます。


「です」は、昭和初期ぐらいまでは、名詞・体言に接続するのが基本だという考え方から、「歌わないです」ではなく「歌わないものです」のような表現が一般的だったようです。
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Q「を」か「が」

すみません、これを教えていただけますでしょうか。

下記の文章について「を」を使った方がいいですか。「が」を使った方がいいですか。

1)日本語の新聞が読めます。
  日本語の新聞を読めます。

2)私は英語が少し話せます。
  私は英語を少し話せます。

それかどちらでも日本語的に大丈夫でしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>下記の文章について「を」を使った方がいいですか。「が」を使った方がいいですか。
 どちらも同じように使えます。どちらを使っても構いません。

>どちらでも日本語的に大丈夫でしょうか。
 大丈夫です。

 時々同じような問題があります。
 いろいろ違いを説明する人がいますが、多くの場合、微妙な違いしかありません(厳密に考えればほんの少し違う気もしますが、他者に押し付ける気はありません。無視してよい程度のことです)。
 個人的には、こういう可能を表わすときはガを使うようにしていますが、それは個人の趣味の問題です。他者に押し付ける気はありません。
 ただし、近くに同じ助詞がある場合は別です。
 この点は、No.7のかたのコメントに賛成です。

1)日本語の新聞ヲ読むことガできます。
2)私は英語ヲ少し話すことガできます。

 どちらも、すぐ後ろにガがあるので、ヲを使うほうがよいでしょう。
 下記の例でも同様です。

1)A(中国にあるこの喫茶店は)日本語の新聞ヲ読める点ガ セールスポイントです。
 すぐ後ろにガがあるので、ヲを使うほうがよいでしょう。
1)B(中国にあるこの喫茶店は)日本語の新聞ガ読めることヲ セールスポイントにしています。
 すぐ後ろにヲがあるので、ガを使うほうがよいでしょう。

 近くに同じ助詞がある場合は、避けるべきです。
 こういう書き分けができるのは、ヲとガが同じように使えるからです。仮に「ヲとガでは意味が違う」と考えるなら、こういう自由な書き分けができなくなります。

 詳しくは下記をご参照ください。同じ質問でよくわからないやり取りになったときに書いたものです。
【自動詞と他動詞〈6〉 ヲガ交替(←オイ!)〈1〉〈2〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12359746188.html

>下記の文章について「を」を使った方がいいですか。「が」を使った方がいいですか。
 どちらも同じように使えます。どちらを使っても構いません。

>どちらでも日本語的に大丈夫でしょうか。
 大丈夫です。

 時々同じような問題があります。
 いろいろ違いを説明する人がいますが、多くの場合、微妙な違いしかありません(厳密に考えればほんの少し違う気もしますが、他者に押し付ける気はありません。無視してよい程度のことです)。
 個人的には、こういう可能を表わすときはガを使うようにしています...続きを読む

Q「かわいい」と「かわいらしい」はどう違うのでしょうか

下記の質問から派生した質問です。
【かわいいです を丁寧に言うと】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10863559.html

「かわいい」と「かわいらしい」はどう違うのでしょうか。
 ネット検索すると多数ヒットしますが、何がなんだかわかりません。
【かわいらしい かわいい】の検索結果。
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E3%80%80%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%84&aq=-1&oq=&ai=QV1lajNkRXWy5ZWzaKTZ.A&ts=1680&ei=UTF-8&fr=appsfch2&x=wrt


 あと、下記の点に関してもご意見をうかがえれば幸いです。
「かわいい」と「かわいらしい」と同じような関係の言葉はほかに何がありますか。
 思いついたのは下記の2組です。
「憎い」と「憎らしい」
「汚(きたな)い」と「汚(きたな)らしい」

下記の質問から派生した質問です。
【かわいいです を丁寧に言うと】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10863559.html

「かわいい」と「かわいらしい」はどう違うのでしょうか。
 ネット検索すると多数ヒットしますが、何がなんだかわかりません。
【かわいらしい かわいい】の検索結果。
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E3%80%80%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%84&aq=-1&oq=&ai=QV1lajNkRXWy5ZWzaKTZ.A&ts=1680&ei=UTF-8&fr=appsfch2&x=...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

「かわいい:かわいらしい」については、前に国語辞書を引き比べてみたことがあります。その時は結局よくわかりませんでした。
次のところです。

http://niwasaburoo.hatenablog.com/entry/2016/05/22/065447

今回、「憎い:にくらしい」と「きたない:汚らしい」というペアも合わせて考えてみて、次のようなことが言えるのではないかと考えました。

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(新明解国語辞典は、「かわいい」の用法を3つに分け、「かわいらしい」はその「かわいい23」に対応すると言っています。つまり、「かわいい1」の用法はない、と。)

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4 「きたない」と「汚らしい」では、逆に、「きたない」のほうが対象の属性を表し、「汚らしい」が対象の属性を表すとともに、それに対する話し手の感情を含みとして表す。(「汚らしい」のほうが、忌避感がはっきり出るように思います。)

以上をまとめると、

   話し手の感情        両方        対象の属性

                かわいい  かわいらしい
     憎い         憎らしい
                  汚らしい     きたない

こんな風に位置づけられるかなあ、と。

saburoo

以下は蛇足です。

下のほうで何かめちゃくちゃなことを書いている人がいます。


   かわい→形容詞、かわいい、の連用形  [??]
   かわいかった 未然          [?]
   かわいい   終始          [これはご愛敬]
   かわいらしい→かわいいの未然形、「かわい」、なぜ未然形?。
           [「かわい」は連用形だったのでは??]
   きたな→形容詞の未然形        [??]


もうまったくめちゃくちゃです。
私の知識は怪しいので、形容詞の活用表を岩波国語辞典から写します。

   例  語幹  未然  連用1 連用2 終止 連体 仮定 命令

  寒い  さむ
  赤い  あか  かろ  く   かっ  い  い  けれ  ×
  大きい おおき
  正しい ただし
  
私は学校文法の活用はよくわかっていないのですが、上に引用したようなめちゃくちゃは、さすがにおかしいとすぐ思いました。(「かわい」「きたな」は「語幹」ですね。)

どうして何も知らない人が、「回答」するのでしょうか。

今回は、質問者のほうがよく分かっているような人だから、トンデモを書いても無視されるだけでしょうから、まだいいのですが、日本語学習者の質問にいい加減な「回答」を書かれては、学習者が混乱するだけですので、私は日本語教師としてやめてほしいと思います。

それから、回答の書き方として、思いついたことをただダラダラと並べるのではなく、よく考えてから、論理を整理して書いたほうがいいだろうと思います。質問に回答するとは、人に説明することで、相手にわかるように書かなければいけません。自分のメモではありません。
高校や大学で教えられる「レポートの書き方」の基本です。

以上、蛇足でした。

こんにちは。

「かわいい:かわいらしい」については、前に国語辞書を引き比べてみたことがあります。その時は結局よくわかりませんでした。
次のところです。

http://niwasaburoo.hatenablog.com/entry/2016/05/22/065447

今回、「憎い:にくらしい」と「きたない:汚らしい」というペアも合わせて考えてみて、次のようなことが言えるのではないかと考えました。

1 このような感情を表す形容詞には、「話し手側の感情」を表すとともに、「対象となるものの属性」を表す面もある。
 「かわいい」は、話し手...続きを読む

Q「かわいい」と「かわいらしい」はどう違うのでしょうか その2

下記の続きです。
【「かわいい」と「かわいらしい」はどう違うのでしょうか】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10877457.html

 ホニャララがヘニャララで収拾がつかなくなったので、仕切り直します。
 ↑にいただいたコメントなどを読んで、「かわいい」と「かわいらしい」の違いについてまとめてみました。
 みなさんのお考えをお聞かせください。

 例によって主観/客観にこだわると迷路に入るようです。
 おそらく……下記のようなことではないかと。

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「かわいい」と「かわいらしい」の違い。 
1)対象の外見などを表現する場合は「かわいい」と「かわいらしい」の両方が使える……傾向があるのかもしれない。
2)対象に対する感情を表現するときには「かわいい」しか使えない……傾向があるのかもしれない。

 客観、主観の話にからめるなら。
1)自分側のものなどを表現する場合は「かわいい」しか使えない……傾向があるのかもしれない。
2)相手側のものなどを表現する場合は「かわいい」と「かわいらしい」の両方が使える……傾向があるのかもしれない。

 少し具体例をあげよう。
 相手の子供に対しては、「かわいい」とも「かわいらしい」とも言える。これは主として外見への評価。
 自分の子供に対して、主として外見への評価なら「かわいい」とも「かわいらしい」とも言える。
 ところが、対象に対する感情を表現するときは「かわいい」が自然。
 初めての子供だから「かわいくてしかたがない」とは言えても「かわいらしくてしかたがない」だとちょっと不自然だろう。他人の子供が「かわいくてしょうがない」という保育士向きの人もいるかもしれないが、それは特殊な例。
 こういう話を「主観」「客観」で説明できるのだろうか。
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下記の続きです。
【「かわいい」と「かわいらしい」はどう違うのでしょうか】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10877457.html

 ホニャララがヘニャララで収拾がつかなくなったので、仕切り直します。
 ↑にいただいたコメントなどを読んで、「かわいい」と「かわいらしい」の違いについてまとめてみました。
 みなさんのお考えをお聞かせください。

 例によって主観/客観にこだわると迷路に入るようです。
 おそらく……下記のようなことではないかと。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「かわいい」と...続きを読む

Aベストアンサー

多分、その最後の結論でいいでしょう。
nwsaburooさんが既に明らかにされているように、
かわいい  感情・主観を示す「感情形容詞」
かわいらしい 属性を表す  「属性形容詞」(客観的)
 これでいいと思います。
 自分の子供は「かわい」と思うけれど、他人が見れば「かわいらしくない」(なぜあんな子をかわいがるんだろう。どちらかと言えば、(属性的には)「憎たらしい」
 一方、自分のものであっても、(雑巾のように)客観的に見られるものは「汚い」でも「汚らしい」でも通用する。感情移入しないから。と言うことは「汚い」「汚らしい」は属性形容詞。

Q同じ特徴を持つコトバを探しています。

色紙 国立 上手 額 黒子 十分 最中 仮名

これらの言葉と同じ特徴を持つ言葉を教えて下さい。

Aベストアンサー

追加です。

   相対 有様 一言 一期 一番 一目 一角 一寸 一筆 一方 出立 
  入会 後手 大勢 大手 上方 芥子 生地 日照 半身 物心 分別
  末期 明朝 目下 利益

送り仮名の問題があるものもありますが。

今回の分は、

 「読みの違いで意味のちがう言葉」『最新日本語活用辞典』
 (『現代用語の基礎知識1999』別冊付録)

という本の一節から、これまでにあげられた以外の語を拾ったものです。(見落としで
ダブったものがあるかもしれません。)

もう一つ、そのころ見た本で、三省堂だったか、「ことばの小百科」とか「日本語
小百科」とかいうような題名の小さめの辞典があったのですが、そこにもこのような
語が並べられていたと記憶しています。
立ち読みで見ただけなので、どんな語があったかは記憶していません。
そのころ、私もこういう語(同字異義語?)に興味があったので。
ご参考になれば。

saburoo

蛇足
「上下」には、「うえした・じょうげ・しょうか・じょうか・かみしも・かるめる(!)」
という読み方があるそうです。

Q国文法の助動詞と日本語教育文法の接辞と語尾について

国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)とされています。
ナ形容詞(国文法の形容動詞)の場合はいずれにしても語尾(スフィックス)ですが、
イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、語尾でしょうか。

Aベストアンサー

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

  丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思うのですが、日本語文法
  では何に位置付けられているのかを知りたいのです。

というところで、「丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思う」とありますが、ここも「繋辞ではなく」なのでしょうか。

大事な用語が違っていては、何が何だかわからなくなります。

ああ、もっと後の「コメント」で、

  この形容詞(イ形容詞)に用いられる「です」は形容詞(イ形容詞)の語尾(sufix,
  суффикс)なのか、繋辞(copulă, связка)なのかという質問です。

とありますね。「語尾(sufix」ということは、「語尾=接辞(suffix)」ですね。これではっきりしました。
しかし、この「です」はどう見ても、二つの名詞を「繋いで」はいないので、「繋辞」ではありえないでしょう。

井口厚夫の説明がわかりやすくていいですね。コピュラでなく、活用語尾とも言えない。形容詞普通体の、独立できる形にくっついているだけですから。
しいて分類するなら「接辞」でしょうか。

それにしても、

  いろいろな考え方のご紹介は結構ですので、「赤いです。」の「です」を助動詞
  という用語を使わずに外国人にどう教えるのかについてだけご存知の方のご説明
  をお願いします。

という最後のコメントは強烈ですね。

「どう教えるか」という観点から言えば、この「です」の品詞論・形態論的位置づけをごちゃごちゃ考える必要はない、でいいんじゃないですか。そんなことを学生に言う必要もないし、教師も悩む必要はない。
「形容詞の後について「丁寧」の意味を加える」、と言えば終わりです。

日本語学としてこの辺の形態論を教えるなら、何か適当なことを言わなければなりませんが、「日本語文法」での定説・通説などないし、例外的な用法なので例外として扱うのがいいでしょう。

そう言えば、初めの「日本語(教育)文法」とは何を指しているのか、という問いへのお答えはないのですね。まあ、いいですけど。

saburoo

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

...続きを読む

Q漢字をひらがなに改める問題文の意味がわからなくて困っています。

「傍線部の漢字を、ひらがなに改めなさい」という問題があるのですが、どう回答すればよいかわかりませんでした。
その為、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければと思います。

         ___
漢字を、ひらがなに改める

なお、私は下記の2つの解釈が考えられ、1かなと思いました。

1. 「改める」に傍線がひかれているものの、傍線部の漢字は「改」のみのため、回答は「あらた」。

2. 「改める」に傍線がひかれていることから、回答は「あらためる」。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「傍線部の漢字を、ひらがなに改めなさい」

この「の」は、
1ー㋒所在。…にある。…にいる。「大阪の友人」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/171157/meaning/m1u/%E3%81%AE/
という用法の格助詞と捉えて良いでしょう。

「傍線部にある漢字を、ひらがなに改めなさい」

みなさんおっしゃるように「あらた」で良いと思います。


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