出産前後の痔にはご注意!

宗教は、一神教と多神教に分けられますね。
私は、各地で、古くは多神教あったが、次第に一紳教に変わった(征服された)ような気がします。
ところで、昔は一神教であったが、多神教に変わった、という国(民族)は、ありますか?

A 回答 (6件)

インドです。


ムガール帝国の時代はイスラム教が信じられていましたが、現在はヒンドウゥー教を信仰する国となっています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
<インド>なのですね。
イスラム教は、あくまでも宗教上では、最強無敵と思っていましたが、駆逐されることもあるのですね。

お礼日時:2019/01/23 10:44

聖書を読めばおおよそ検討はつきますが、一神教だの、多神教だの、分けはじめたのは白人です。


白人らの得意技は、分別し内乱をおこさせ、私たち(黄色人種)が自滅することを目的にしているのですよ。

しかし、

あなたは、宗教の根幹をしりませんよね?

宗教、宗派を分けて互いに憎み殺し合え

とは一切かいてませんし、教えにありませんよ。

私たち、黄色人種の祖先は宗教や宗派を確かに作りました
しかし、戦争しろとはかいてませんよ?

白人の欲に騙されないで下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。
<一神教だの、多神教だの、分けはじめたのは白人>なのですね。
<白人らの得意技は、分別し内乱をおこさせ、私たち(黄色人種)が自滅することを目的にしている>のですね。
初めて知りました。

お礼日時:2019/01/29 07:27

お礼をいただきまして、ありがとうございます。



>イスラム教は、あくまでも宗教上では、最強無敵と思っていましたが、駆逐されることもあるのですね。
イスラムに限らず、一神教の弱点は経典などのシンボル、信徒が集まる場所、信徒に経典の意味を解説する指導者兼教育者がなければ、信仰を維持できないことです。だから、かつて江戸幕府がキリシタンに行ったように、経典や十字架といったシンボルを取り上げ、信徒が集まる場所を禁じ、指導者兼教育者を捕まえ、処刑すれば、信仰は変遷し崩壊します。実際、カトリック教徒は幕府の弾圧によって最終的にはカクレキリシタンのような多神教へ変容しました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご解答ありがとうございます
<一神教の弱点は経典などのシンボル、信徒が集まる場所、信徒に経典の意味を解説する指導者兼教育者がなければ、信仰を維持できないことです。>なのですね。
多神教は、一般の人たちの自然発生的な信仰で、ゆるい結束・統制なので、仮に弾圧されても、一括して全滅することがないのでしょうね。

お礼日時:2019/01/24 07:19

昔はキリスト教は一神教だったんだが、アメリカに渡って、二神教に変わった。

アメリカ人に統計を取ったところ、悪魔の存在を信じているアメリカ人の数の方が、神の存在を信じているアメリカ人の数よりも多いとの結果が出ているそうだ。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
<アメリカ>ですね。当初は、キリスト教の善神しかいなかったが、悪神の<悪魔>も信じるようになったのですね。(善神だけでは納得できない状況・世界に陥った、と考えるようになったのでしょうね)

お礼日時:2019/01/23 08:38

知られている限りでは、ないと思います。



理由は単純で、
一神教は布教に熱心だったが、
多神教はほとんどしなかった
ということです。

あと、もっと重大な問題は、
一神教と多神教の違いは、
「価値観の統一」にあるか「多様な価値観を併存させる」ことにあるか、
ということです。
関ヶ原で徳川が勝利したことによって日本人の民族性が一本化したように、
そしてその民族性が現在まで強固に続いているように、
いったん固定化され明確になった価値観を崩すのはとても難しいことです。
たいていは「空気を読めない奴」「非国民」となってしまいます。


仏教には神はいないので、この区分けからは逃れます。
念のため。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
<知られている限りでは、ないと思います。>ですね。
<いったん固定化され明確になった価値観を崩すのはとても難しいことです。>ですね。<たいていは「空気を読めない奴」「非国民」となってしまいます。>
一神教が<「価値観の統一」>してしまうと、もう、<多神教の「多様な価値観を併存させる」>ことはできなくなるのですね。
もう一つの理由は、<一神教は布教に熱心だったが、多神教はほとんどしなかった>なのですね。

お礼日時:2019/01/23 08:26

とりあえずゾロアスター教だっけ?あれは一神教から多神教になって、また一神教に戻ってましたよね。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうござました。
<ゾロアスター教>は、そんな変遷があったのですか?
右往左往、否、真剣な対応だったのですね。

お礼日時:2019/01/23 08:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「シャーマン」についてです。 本日、学校の授業で「シャーマン」というのを取り扱いました。病気を治した

「シャーマン」についてです。

本日、学校の授業で「シャーマン」というのを取り扱いました。病気を治したり未来を見たり、死者と会話したりすると習いました。

そこで質問なんですが、
科学、医療などが発展した現代で
そういった「シャーマン」というのは
どのような意味を持つのでしょうか?

ご意見をお聞かせください

Aベストアンサー

「シャーマン」というのは
巫女みたいな存在ですよね
宗教と深く関わっている…

おっしゃる通り
宗教もシャーマン的存在がなくても
医療や科学で、あれこれの問題が、解決できるようになりました
また、既成の宗教では、なかなか現代人の悩みを解決できてない、という側面もあります

でも、だけど

既成の宗教が勢いを失っていっても
スピリチュアルやら占いやら風水などなら信じるという人はわりといますし
振興宗教などは新しいものが出来たり
信者を増やしたりもしてます

当たり前のことなんですが
科学が解決できないことはたくさんあります
(何もかも科学で解決できるんなら、もう科学者はいらないですもんね)
「科学でまだ解決できないこと、わからないこと」を
科学者たちは、毎日研究してるんですけど
「まだ解決できないこと」があるから
そこに直面した時に
人は何かに頼りたくなるのだと思うのです

そういう時に
シャーマン的な存在が必要になる場合があるんじゃないかと

Qキリスト教について

キリスト教のカトリックの人たちはいつも十字架のネックレスをしているイメージがありますが、福音の人たちも十字架のネックレスを肌身離さずしていますか?
それと、クリスチャンは自慰をしてはいけないと聞いたことがあるのですが本当ですか?

Aベストアンサー

回答つかないですか。

カトリックの持つ十字架は、「ロザリオ」と呼ばれ、
カトリックの定める祈祷のために用いる道具のようですが、
宗派の違うプロテスタントにはそうした様式の祈祷はないはずで、
原則的には持たないか、持っていたにしても教義とは関係のない、
個人的な趣味としての域を出ないのではないでしょうか。
そもそも、マリア信仰には距離を置くプロテスタントが、
好んで「アベ・マリア」を唱えるとは思えない。

Q仏教にも、キリスト教にも、イスラムにも、おみくじはありませんが、なぜ、神道には、おみくじがあるのでし

仏教にも、キリスト教にも、イスラムにも、おみくじはありませんが、
なぜ、神道には、おみくじがあるのでしょうか?

Aベストアンサー

他の宗教では、たいてい代表取締役的なリーダーは1人ですが、神道は、八百万の神という言葉にあるように数多くのリーダーが存在します。

他の宗教ではリーダーが明確なため、お願いごとをリーダーに届けるのが比較的容易ですが、八百万の神々にお願いしたところで、その願いが叶うか否かは不確定です。

不確定なことなので、願いが叶うか否かを判断する占いのような仕組みが発達したのだろうと推測されます。

神道では、願いが叶うか否かはわからない。でも叶うか否かを知りたい。そんな方々のために、おみくじがあるのでしょう。

Q日本は、岩石信仰が諸外国に比較して、強い方ですか?

岩石を信仰している神社が、ところどころにありますね。
その岩石は、石神・磐座・磐境・奇岩・巨石ですね。
諸外国でも、岩石を信仰している、と思います。
ところで、日本は、岩石信仰が諸外国に比較して、強い方ですか?

Aベストアンサー

諸外国では岩石を信仰の対象にする文化はすでにほとんどありません。

強いて上げるとすれば、エアーズロックが原住民にはウルルとよばれる聖地であり、来年2019年10月に外国人の立入や登山が禁止になる、ぐらいでここは今でも先住民が儀式などを行っているようです。
それ以外だと、インドネシアの部族とかアマゾンの部族など世界宗教ではない地域で残っている可能性はありますが、世界的にみてキリスト教・イスラム教・仏教では巨石信仰は行われていません。その中で例外なのはキリスト教の聖墳墓教会(ゴルゴダの丘とされる岩石の丘)とイスラム教のメッカにある黒石ぐらいでしょう。

日本は2000年以上前から存在する古代の精霊信仰が世界宗教(キリスト・イスラム・仏教)によって変革されなかったほぼ唯一の文明であり、巨石がいまでも信仰対象とされています。

他の国や文化は世界宗教を受容した時点で変化し、元の文化であった古代宗教の名残はあるもの、巨石のような自然物は既に信仰の対象から外されている、といえます。

各宗教における古代宗教の名残としては、たとえばキリスト教に変わったイタリアの道祖神(ローマ街道に置かれた旅行の無事を祈る道祖神がキリストの聖職者の名前をもらい同化したもの)や精霊(ドルイド教には精霊信仰があり、キリスト教受容時に「霊力のあるモノ」を精霊としたこと)などがあります。イスラムも文化的にはかなり多様で、アフリカのイスラム教徒とインドネシアのイスラム教徒の生活様式はかなり異なるといえます。

ただ、仏教も含めて「神(仏)がなにかをする」と言う時点で、自然界にあるものは「神が作り人間に与えたモノ」と言う解釈が成り立つようになり、ただの自然物になってしまうため、岩石や自然そのものに意味を見出すアミニズム的要素を失ってしまうのです。

ですから、日本のアミニズムと同様に「自然物に意味を見出す」巨石信仰はすでに世界中で見られなくなっていて、日本は国家の単位ではほぼ唯一「巨石信仰を含む、自然信仰を現在も持っている国」だといえます。

諸外国では岩石を信仰の対象にする文化はすでにほとんどありません。

強いて上げるとすれば、エアーズロックが原住民にはウルルとよばれる聖地であり、来年2019年10月に外国人の立入や登山が禁止になる、ぐらいでここは今でも先住民が儀式などを行っているようです。
それ以外だと、インドネシアの部族とかアマゾンの部族など世界宗教ではない地域で残っている可能性はありますが、世界的にみてキリスト教・イスラム教・仏教では巨石信仰は行われていません。その中で例外なのはキリスト教の聖墳墓教会(ゴルゴダ...続きを読む

Q神様のいる神道・仏様のいる仏教ばかりではなく、ご先祖様がいるご先祖教が(組織化されていませんが)存在

昔、祖父母の家へ行った際に、悪さをすると、祖父母に「ご先祖様に申訳けない」とか「ご先祖様に顔向けができない」「ご先祖様は我々を見守っているのだよ」「ご先祖様はよく見ているのだよ」などと度々諭されました。
彼らは、神様や仏様を取り上げた記憶がありません。ただし、神棚や仏壇は備わっていたような気がします。昔は、ご先祖様と言うこと言葉が、会話でよく交わされていたような気がします(今は少なくなったようですが)

ところで、日本には(外国のことは分りませんが)、神様のいる神道・仏様のいる仏教ばかりではなく、ご先祖様がいるご先祖教が(組織化されてはいませんが)存在している、と思い始めました。

質問は、ご先祖教は存在している、と考えてよいでしょうか?

Aベストアンサー

日本のご先祖教は儒教を基礎とするものです。お隣の韓国はもっと厳密に先祖教があり、中国も日本にくらべて強く社会システムの基礎になっているぐらいです。

儒教というのは親に対する孝と主君に対する忠を中心とする道徳概念と思われていますが、大陸では「ほぼ宗教」と言っていいぐらいの体系を持ちます。
日本は、古代から儒教的な社会システムではなかったのに、仏教とほぼ同時に律令制を取り入れたことによって、儒教も道徳として取り入れました。鎌倉時代以降は武士が「忠」の概念を発展させて武士集団の忠誠を強化し、その際に日本的な道徳の基礎が出来たとされます。

日本でご先祖教がなぜ取り入れらたのかというと、墾田永年私財法ができたからです。墾田し田畑は子々孫々まで自分のもの、という法律ですが、これがのちに武士階級を産むことにつながり、また子孫からみれば「先祖様が苦労して田畑を開墾したから、今の自分たちが生きられる」という感謝につながったわけです。

だから「ご先祖様に申訳けない」とか「ご先祖様に顔向けができない」という言葉になるわけで、さらに戒めとして「ご先祖様はよく見ているのだよ」という言葉になるわけです。

日本は神道・仏教・先祖崇拝がミックスした宗教をもっていて、それは一神教の教義や信仰とは全く違うものです。

ちなみに中国や韓国ではもっと厳密に「先祖崇拝」があって、それが元で「結婚しても氏名を変えない」のです。族譜という家系図も古くから中国・韓国・ベトナムなどに有って、中国の孔子世家譜は現代では200万人もの末裔がとうろくされているそうです。

日本は元々「近隣の親戚で結婚しあう」ことが通例な民族だったので、儒教的な「同じ苗字の人と結婚できない」ということにはなりませんでした。ただ、田畑の相続は必要だったので、その部分を「本家だけの相続」にしてさらに墓も「先祖代々の墓」にし、苗字も「結婚したら変える(数は少なくても、婿なら男が変える)」というやり方で落ち着いたのです。

日本のご先祖教は儒教を基礎とするものです。お隣の韓国はもっと厳密に先祖教があり、中国も日本にくらべて強く社会システムの基礎になっているぐらいです。

儒教というのは親に対する孝と主君に対する忠を中心とする道徳概念と思われていますが、大陸では「ほぼ宗教」と言っていいぐらいの体系を持ちます。
日本は、古代から儒教的な社会システムではなかったのに、仏教とほぼ同時に律令制を取り入れたことによって、儒教も道徳として取り入れました。鎌倉時代以降は武士が「忠」の概念を発展させて武士集団の忠...続きを読む

Q「マウンティング」をする人は「自信家」ではないか。

先の質問で、最後の回答をくださった方が、記事中のいくつかのキーワードを添えて以下のリンクを教えてくれました。

その時の回答をそのまま引用します


<またまたズレているかもしれませんが、おもしろい記事を見つけたので貼っておきます。
https://president.jp/articles/-/26637#cxrecs_s

マウンティング サル 優位に立ちたい 自信が無いから 
デジタル人間 感情の欠落 生きづらい
悪いのはあいつだ わたしには関係ない>

わたしはTVを視ませんし、新聞を読まない、インターネットでは、主にわたし同様、心の病を持った人のブログを読む。それ以外は専ら海外のアート・サイトを渉猟するだけで、WEBニュースもまとめサイトも覗くことはありません。ですから、最近の言葉はほとんど知りません。
「マウンティング」という言葉も初めて知りました。

以下リンクの記事より

「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。そのため、自分よりも格下の人間をつくりだすことで、集団内での序列を少しでも高めて、上位にいるという安心感を得ようとします。」

わたしはブログを通して、自分同様に自己肯定感の極めて低い人たちを知っています。
けれども、わたしの知っている「自信のない人たち」は決して、決して「自分より格下の人間を作り出し」たり「人より優位に立ちたい」などとは露ほども思っていません。ただひたすら自己の無価値を嘆くだけです。わたしもまた同様です。

「マウンティング」とやらいう行動をとる人は、寧ろ、自己顕示欲の強い自信家であり野心家ではないのでしょうか?

「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。」
この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?

先の質問で、最後の回答をくださった方が、記事中のいくつかのキーワードを添えて以下のリンクを教えてくれました。

その時の回答をそのまま引用します


<またまたズレているかもしれませんが、おもしろい記事を見つけたので貼っておきます。
https://president.jp/articles/-/26637#cxrecs_s

マウンティング サル 優位に立ちたい 自信が無いから 
デジタル人間 感情の欠落 生きづらい
悪いのはあいつだ わたしには関係ない>

わたしはTVを視ませんし、新聞を読まない、インターネット...続きを読む

Aベストアンサー

そうなんですよ!

私も自信のない人、好きです
自信がない、って謙虚であることでもありますもんね
また、丁寧に物事を考えていけば
自信満々にはならないですもん

質問者さまが無力無能とは思いませんが、まあそれは置いておくとして
ある精神科医が
「自分はうつ病の患者さんが好きだし
精神科医は、みんなそうだと思う
うつ病の患者さんは優しいし礼儀正しい人が多い
元気になってくると医者にお礼を言ってくれる」

この言葉を知り
何かあった時に他人のせいにはしないで
自分が悪かったと自分を責めるような人が
うつ病になるのではと思いました

おそらく
「下をつくって、でも上に怯える」ような人が
自慢話で武装するのではないでしょうか?

「上とか下とかでなく
私は私でしかない」
と思える人が「本当の自信」がある人なのかもしれないですよ

Q儒教のどんなところがだめなのか。

儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 を読んでみたが、日本人の好きな孔子の論語はそこから発して作られたものだといわれるが、儒教のどんなところがだめなのか。昔 抑圧されたとも聞いているが。

Aベストアンサー

過去に遡れば遡るほど良い、とするところ
がダメなのです。
こんな考え方では発展は望めないからです。


また、喪に3年も服する、なんてところも
ダメです。
これでは現代社会のスピードについて
行けません。


年寄りの言う通りにせよ、というのもダメな
ところです。
これではイノベーションなど起こりようが
ありません。



親や一族を大切にせよ、というのは一見すると
良いようにも思えますが、実際の社会に当てはめると
公よりも私を優先する汚職まみれになってしまいます。

中国、韓国などの儒教圏が汚職ばかりだったのは
儒教が影響しています。

どんなに素晴らしい思想でも、現実の社会に適合
させて良い結果が出ない思想はダメなのです。

Qこのカテでをよく目にする ”世俗(世俗的)”という言葉の反対は何でしょうか?

このカテで ”世俗(世俗的)”という言葉をよく目にします。
この言葉は、私にはよくわかりません。
ところで、この ”世俗” の反対の言葉は何でしょうか?

Aベストアンサー

世間一般、普通という意味ですから
>ところで、この ”世俗” の反対の言葉は何でしょうか?
その意味から考えたら「高踏」が対義語としては適切かもしれません。

Q思考と言語

思考に言語を使うことのデメリットを挙げて下さい

Aベストアンサー

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を捉え、それに従ってそれなりに合理的に思索し合理的に振舞っています。それが空間的論理です。この場合、自分の置かれた環境や状況や事象を瞬時に全体として捉え、物事が収まるべきところに収まっているかどうかで、その全体の整合性を認識します。事実、絵画にも立派な論理があり、思索が表現されているのですが、それは決して、山が木立や東屋を導き、その木立が月を導き、、、というようには把握されず、そてぞれの各点が収まるよころに収まっているかどうかでその合理性の深みを理解しようとします。また、人間も多くの動物も言語以外に、ボディー・ラングエッジでも意思疎通をしていますが、これはどちらかというと空間的論理の把握と言えるでしょう。

その点、音楽にある合理性は時系列としての合理性であり、言語による合理性の把握に親和性があります。ただし、音楽や言語やその一種である数学が時系列的であるとは言っても、決してその流れは一方的だけではありません。我々は、現在目の前にある音や単語ばかりでなく、その音や単語より以前に出た音や単語との関連、すなわち時間相関を思い描きながらその作品を観賞し、また、この先の未来に出てくるであろう音や単語を、過去の時間相関を参考にしながら予測して、ある意味時間を超えた同時発生的な把握でその作品を観賞しています。そしてこの時系列的な相関の距離が長いほど、我々は思考が深まったと考えているようです。

もちろん空間的論理の把握にも、空間における各点をバラバラに捉えているのではなくて、各点の間の空間的相関を認識し、その空間相関の距離が長いほど、その空間的論理の合理性に深みがあると考えているようです。

この時系列的思索と空間的思索の存在は古代から認識されており、例えばそれが仏教における顕教と密教の違いとして認識されております。すなわち、顕教の本質は、この世の真理なるものを文章に顕に書き下すことができる。すなわち、時系列的な論理だけで表現が可能であるという立場です。だから、先人たちの名著をとことん読んで咀嚼すれば、この世の真理が解るようになるという主張です。ところが、密教では、この世の真理なるものには言葉という時系列的な論理では表現しきれないものもある。そして、それを掌握するためには、それを掌握した師の唾を浴び、迫力やオーラを浴びなくてはならないという立場です。さらに密教では曼荼羅を重視しますが、これもこの世界を掌握するには時系列的な言語だけでは不完全で、絵画的空間的論理による認識も必要であるという主張です。私は物理学者ですが、自分の師と巡り会うまでは、物理学も顕教の世界だと思っておりました。しかし、その師の唾を浴びているうちに、物理学の多大な部分が密教の世界であることに気づかされました。

さらに、テレビドラマでもわかるように日本人の数倍もおしゃべりなアメリカ人の意思疎通の内の90%ほどが、言葉でなく、先ほど触れたボディー・ラングエッジによっている、という研究結果が出ているそうです。考えてみればそれは驚くことではありません。実際、人間が言葉を使い出す前の数百万年もの間、人間はボディー・ラングエッジだけで意思疎通をしてきたのですから。例えば、馬も集団生活をしており、馬の間のボディー・ラングエッジが高度に発達しています。私の住むテキサスで小さな牧場を持っているある日本女性がこの馬のボディー・ラングエッジの重要性に気づき、それを人間の母子間に取り入れて、頭でっかちでない自然な子育てに使う運動を起こし、そこで訓練を受けた多くの母親が育っています。

このように、我々が世界を認識するとき時系列的でなく、空間的な掌握法が圧倒的に巨大な領域を占めているのです。ところが、言葉だけで論じられている哲学を学んでいる連中では、時系列的な論理だけが合理的な論理であると誤解して、世界の圧倒的な部分を認識できなくなっているようです。これが思考に言語を使うことの最大の欠点でしょう。この連中はこの巨大な世界を認識できないので、ある意味可哀想な連中です。

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を...続きを読む

Q「とうもろこし」にまつわる世界観

「とうもろこし」と聞くと、焼きとうもろこしやコーンスープを思い浮かべる方が多いと思います。しかし、今やアメリカでは、45000種類の食品のうち1/4以上の食品にとうもろこしが使われていることをご存知でしょうか。日本も例外ではありません。

コーンスターチ(トウモロコシの澱粉)コーンフラワー(とうもろこし粉)に加工され、コーン油も搾油されていますが、食品の原材料表示の中の、ブドウ糖果糖液糖、加工デンプン、デキストリン、キサンタンガム、アスコルビン酸、カラメル色素など。とうもろこしから作られる添加物は何百種類に及ぶといわれます。
ドライミルと呼ばれる製粉所に対して、ウェットミル(湿式工場)があります。
ここは複雑なパイプや機械部品からなる怪獣みたいなもので、毎日大量のとうもろこしを飲み込み、反対側についている蛇口から、さまざまな製品、糖類、デンプン、アルコールや酸、乳化剤や安定剤を流し出す。そのほとんどが食品添加物として、シリアルやスナック菓子、調味料やドレッシング、チキンナゲットや冷凍食品、ありとあらゆるものに使われています。

この中で「ブドウ糖果糖液糖」これは1960年代に日本で開発されたとうもろこしを原料とする甘味料で、安価で甘味が強いので、砂糖に変わるものとして、清涼飲料水、調味料、菓子類、加工食品全般に大量に使われていて、血糖値が上昇しやすくなるという危険性があります。
また、最近よく耳にする「難消化性デキストリン」
これは消化されないデンプン。食べても消化されないので、胃も腸も通り抜けてしまう。つまりカロリーのない究極のダイエット食品。「栄養にはなりません」なんて宣伝したら逆効果ではないか、と考える人もいましたが、昨今のダイエットブームが追い風になりました。これでカロリーを考えずに安心して食べられる。ダイエットに救世主とも言える存在になったのです。いわば、栄養もなくただ人の中を通りすぎるだけという、一見役に立たないことで勢力をさらに拡大しようとしています。

人間の食料だけでなく、牛、豚、鶏の飼料として加工されます。ほとんどがアメリカ産牛肉一億頭分の飼料。
ここで思い出すのが、ケーキを作っていたときのこと。使用していた卵は海藻、青菜、木酢、かき殻、米ぬか、オリゴ糖、パプリカ、にんにくなど20種類以上を配合したえさを食べている鶏で、濃厚で味わいのある卵だったのですが、あるとき、飼料のベースを輸入とうもろこしに変えるということになって受け入れざるを得ませんでしたが、結果はやはりケーキの食味が変わり、業者を替えることになりました。

人間と同じように、食べ物にも個性があって、どんなに栄養のある良いものでも、一種類の食べ物だけを食べて生きる事はできません。主食副食バランスよく食べてはじめて、健康が支えられるように人間はできていると思います。
皆さんはどのように思われますか?

「とうもろこし」と聞くと、焼きとうもろこしやコーンスープを思い浮かべる方が多いと思います。しかし、今やアメリカでは、45000種類の食品のうち1/4以上の食品にとうもろこしが使われていることをご存知でしょうか。日本も例外ではありません。

コーンスターチ(トウモロコシの澱粉)コーンフラワー(とうもろこし粉)に加工され、コーン油も搾油されていますが、食品の原材料表示の中の、ブドウ糖果糖液糖、加工デンプン、デキストリン、キサンタンガム、アスコルビン酸、カラメル色素など。とうもろこしか...続きを読む

Aベストアンサー

米国在住です。

十五年ほど前、ご質問にある、米国人のトウモロコシの食べ過ぎの件について、長女が高校で習ってきまして、それ以来、彼女はトウモロコシを食べることを拒否しています。理由としては、取り立てて料理をして食べなくても、”箱入りの食べ物”には、必ずトウモロコシが使われていて、私達の体内は、トウモロコシだらけだからだということででした。

その後、私の家族の”食事セオリー”はどんどんと発展を続け、現在では、肉食をやめ、一週間に二度のオリーブオイルで調理した鮭・マスがたんぱく源となり、酪農製品も摂らず、ピーナッツバターやアーモンドバターを、全粉のパンに塗り、お茶も、ビーツや生姜の薄切りを煮だしたものを飲んでいます。

何が体にいいのかよくわからないのですが、キノアやケールやビーツなど、あまりおいしくない食材も、出すと喜ばれるので、頑張って調理しています。あとは、季節の野菜を、組み合わせを考えて、蒸したり、茹でたり、いためたりして、”味付けをしないで”、そのまま食卓に出しています。サラダには、ライムジュースを振りかけるだけです。

基本的に、出来合いのものを使わず、食料品店で、丸のままの食材を買ってきて、それを調理する、というやり方です。体には良いのかもしれませんが、手がかかるし、そして、食費も普通の倍以上はかかります。

これが、行き過ぎた健康志向、アメリカの意識高い系の食事の実態です。もはや、バランスが取れればよい、などという問題ではないところに来ています。

一方、80パーセント以上のアメリカ人は、現在でも、漂白された白いパンを食べ、チーズバーガーをほおばり、ビールにバーベキュー、タコスに山のようなチーズ、トウモロコシだらけのシリアルを毎日食べているような状況です。

私も、食事はバランスさえ取れていて、おいしければ、それが、ベストだろうと考えていましたが、私の家族を見る限り、何が何だか、判らなくなっている現状です。私事で恐縮ですが、お知らせまで。

米国在住です。

十五年ほど前、ご質問にある、米国人のトウモロコシの食べ過ぎの件について、長女が高校で習ってきまして、それ以来、彼女はトウモロコシを食べることを拒否しています。理由としては、取り立てて料理をして食べなくても、”箱入りの食べ物”には、必ずトウモロコシが使われていて、私達の体内は、トウモロコシだらけだからだということででした。

その後、私の家族の”食事セオリー”はどんどんと発展を続け、現在では、肉食をやめ、一週間に二度のオリーブオイルで調理した鮭・マスがたんぱく源と...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング