朝鮮半島を見ていて、いつも不思議に思うことがあります。それは、中国はどうして朝鮮半島を取り込もうとしなかったのか。逆に言えば、朝鮮はどうして独立を維持できたのかという事です。中国が帝国主義であることは紛れもなく、広大な国土に加え、今でも「台湾の独立は認めない」、「チベットの自治は認めない」と言っています。普通に考えれば、朝鮮半島は海に突き出ていて立地条件も良く、何としても手に入れたい土地だと思うのです。独立というのは口で言うほど簡単ではなく、国力がなければできません。力関係で言ったら、朝鮮は中国(清)にとても敵わなかったはずです。朝鮮半島は、かつては百済、新羅、高句麗と三つに分裂していました。なおさら取り込まれ易かったはずです。それを思うと不思議でなりません。よろしくお願いします。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
朝鮮は中国の冊封体制に組み込まれた属国の一つで、
独立国のように見えますが、冊封国と言われるものです。
つまり、すっかり取り込まれていたのです。
華夷思想において、中央は高貴なものとされたのに対し、
周辺の地域は東夷・西戎・南蛮・北狄といわれ、
辺境の蛮族扱いされていました。
このような辺境は直接統治より冊封による間接統治が
効率的と考えられていました。
辺境の国家は冊封されないと国として認められないので
多くは交易もできない状況でした。
冊封国は基本的に中国から内政・外交の干渉は受けませんが、
子分になって中国の強い影響下にあることを認めたものです。
詳しくは冊封(国)で調べてみてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81
朝鮮の始祖である太祖李成桂は高麗から王位を簒奪した時に
明に報告すると「王朝が交代したなら国号を改めよ」といわれ、
「朝鮮」と「和寧」のどちらが良いかを洪武帝(明の皇帝)に
選んでもらいました。
朝鮮の国号からしてこのような状況です。
また、朝鮮は国王の交代があっても中国の事前承認を重視しました。
拒否した実例はありませんが、中国の許可なく王になれなかったのです。
これは朝鮮だけで、冊封国には越南(ベトナム)や琉球も含まれますが、
他の冊封国は自分たちで国王を決めてからの事後承諾でした。
近年では朝鮮最後の皇帝(注:独立後大韓帝国を名乗りました)である
純宗が立太子の時(皇太子への就任)認めてもらうために
清との交渉が行われました。
冊封国にも序列があり、王の服の色や描かれた竜の数などで表され、
朝鮮の序列は低くはありませんでした。
しかし、東北の金(後金)を下位にみていたため
明が衰え金の勢力が強くなっても明の庇護を頼りに
強気で臨んだため丁卯胡乱と丙子胡乱で完敗し、
三田渡の盟約で清の属国であると認めさせられ、
皇帝ではない清からの勅使に対しても
(朝鮮)王が三跪九叩頭の礼により迎えました。
ちなみに、三跪九叩頭は1度ひざまずいて3回土下座を3セット
都合9回土下座をするもので、清の皇帝が臣下にさせた儀礼です。
余談ですが台湾出兵の後始末で日本の使者が皇帝に対するとき
皇帝への儀礼として要求されましたが拒否しています。
朝鮮が清の冊封から脱したのは日清戦争の結果で、
下関条約の第1条は清からの独立を認めさせるもの。
一般の方にも読める「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)には
この時に無理やり独立することで清の庇護下から解放させられて
ガクブルの高宗の様子が書かれています。(P319~P341 )
現在の韓国では、属国ではなく「兄弟国」という表現が多いのですが、
実際には壬午軍乱(1882年)の後始末で真に結ばされた
「中朝商民水陸貿易章程」でも属国であることが確認されました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9C%9D …
朝鮮が冊封国を維持できたのは、清による虎の威を借りたから。
現在の韓国の国旗である太極旗の原型(諸説あります)は、
1882年に訪日使節団が使ったものです。
そこには日本になめられないように「大清国属」と書かれ、
清の支配下にあることを自称していたことがわかります。
現在の中国がチベットなどを侵略するのは
現代において価値があるから。
紛争で注目される尖閣諸島も、1970年代に国連の調査で
海底資源が指摘されるまで無関心どころか
国の機関紙に日本領と書いていたくらいです。
価値があって与しやすいと思われれば侵略されます。
No.6
- 回答日時:
>中国はどうして朝鮮半島を取り込もうとしなかったのか。
終戦直後の中国は、国土は疲弊し、内戦もあり、とても外征どころではありませんでした。
アメリカから「沖縄を領土にしないか?」と持ちかけられて断ったというエピソードもあります。
海のはるかかなたの領土を維持する力がなかったからです。
それ以前については次からの項で。
>朝鮮半島は海に突き出ていて立地条件も良く
半島というのは陸からの孤島になりやすく(日本の半島を3つ4つ思い浮かべて見るとよい)、防禦に良くても発展性のある土地ではありません。
防御するため「だけ」に国力を費やして占領する国はあまりありません。
日本の場合、地理的に日本からいちばん行き来しやすい大陸という、もう一つの条件がありました。
だから橋頭堡としても防衛拠点としても意味があったわけです。
>独立というのは口で言うほど簡単ではなく、国力がなければできません。
占領の維持はそれ以上に力を使います。
民心の掌握、支配機構の維持、他勢力からの防衛、・・・
民心の掌握は、日本の失敗を見れば言わずもがな、
他勢力からの防衛とは、占領地のみならず、本国の防衛も差します。占領地に力を振り分ける分、本国の防衛まで弱体化してしまいます。
中国は広大な分守らなければならない国境線(防衛線)も長く、決して万全ではありませんでした。
現に騎馬民族からたびたび侵略を受けています。
さらに古代は中国の領域は狭く(中原と関中と江南くらい)、しかも中国自体がいくつかの国に分かれてたびたび内戦に陥りました。
その意味でも、やはり万全とは程遠く、よほどのことがない限り、魅力のない土地に勝手に侵略に行くことはできなかったのです。
No.5
- 回答日時:
古代の中国は近隣諸国と朝貢外交によって結ばれていました。
これは中国に比べて周辺国が弱かったためですが、逆に周辺国が中国の富を求めて侵入してこないようにするために「中国を上位国と認めて貢物をすれば、それ以上の贈り物を持たせて帰した」のです。このような方法をとれば軍事力を増強しなくても、周辺国は攻めてこないからです。これらのやり方をしているうちに、大陸で「中国」つまり「漢族の領域」がだんだんと固まっていきます。北は黄河・中央に長江、最も南は珠江、東には海があり、西はチベット高原につながる山岳地帯、もともと「漢族の土地=中原」とはこのような土地だったのです。
漢族は基本的に農耕民族であり、海岸線は東側だけだったので、古代には海洋航海術は殆ど発展しませんでした。海に出ても周辺は冊封を受けた朝貢ばかりなので貿易の利益がまったくなかったからです。
朝鮮半島につながる地域に行くためには、黄河を超えて朝鮮半島に行く必要があります。または黄海を渡るかです。
海を渡るのはリスクが高いし、海に慣れていない軍隊を送ることになるのでやらない、ということになります。
では黄河を超えて進軍すればいいと思うでしょうが、黄河の北側は「騎馬民族の土地」だったのです。黄河の北西の平原(つまり農業ができない地域)にはのちに元になるモンゴル人がいて、北東(満州・今の中国東北部)には女真族つまり満州族が住んでいました。このどちらも非常に強力な騎馬軍団をもっていて、歩兵が中心の漢民族では歯が立たなかったのです。
漢民族がこれらの騎馬民族と対抗できるようになったのは、中原全土を掌握した隋の時代になってからで、隋から唐になるとようやくモンゴルや満州を平定し支配下に置けるようになります。そしてここでようやく朝鮮に直接的な影響力を及ぼすことが出来るようになっていくのです。
この当時、朝鮮半島は高句麗という満州にルーツを持つと思われる国に圧されている一方で日本(当時は倭)の影響力がある百済などの国もありました。当時の朝鮮国(現在の韓国人につながる人々)としては一番大きい新羅は南北両側から圧迫を受けていました。
そこに援軍をだしたのが、高句麗に侵攻した唐で、唐は新羅を助けることで「高句麗を両側から挟み撃ちにできる」と考えたのです。
その結果、日本にも影響が出て、倭国は白村江の戦いで敗退し、朝鮮半島から撤退し、さらに「唐が海を渡って攻めてくる」とおびえて、国家の強国化を急ぎ「日本」が誕生することになります。
唐は新羅と同盟関係を結ぶことで、黄河方面から侵入してくる騎馬民族のうち女真族を抑え込むことに成功するわけです。
しかし唐はその後滅び、朝鮮半島まで影響力を及ぼすことができなくなります。中華平原は五代十国時代を経て宋で再度統一されますが、満州の異民族支配地域を超えて朝鮮半島まで勢力を伸ばす力は無かったのです。この間に朝鮮半島の中でも覇権争いが起こり、高麗が朝鮮半島の支配者になっていきます。
この状況が変わったのが元の時代です。ただし元はチンギスハンよるモンゴル系王朝で、中華平原だけでなくチベット高原を超えて巨大帝国を築きます。高麗も元に服従することで事実上元の支配を受け、その結果日本に元寇が行われることになるわけです。
元はモンゴルが元々の領地ですから、中原も朝鮮半島も同じく「征服意欲を満たす土地」であり、海の向こうの日本すら侵略するつもりだった国ですので、いわゆる漢民族の考えとは異なります。
次の明代になると、また朝鮮とは距離を置くようになります。一応明からは冊封をうけていましたが、明からすれば「騎馬民族(元の残党)を両側から挟み撃ちにできればよい」と言う考えだけで、明は朝鮮を属国化してコントロールすることで満足していたのです。
次の清は今度は朝鮮にとって敵である女真族の支配であり、清に対しても冊封を受けていましたが、清は朝鮮をかなり搾取したのです。
その朝鮮(当時は李氏朝鮮)を独立回復させたのは日清戦争に勝った日本、ということになります。
No.4
- 回答日時:
関心がなかった、欲しいと思わなかった、ってのが一番大きいと思います。
中国は中央の自分たちの国が一番豊かで、まわりは辺鄙なところだって考えです。まわりの辺鄙な遼東半島の更にその先に朝鮮半島があり、そんなところまで要らないってことです。それでも何度か征服されていますが、さらにその先の海を渡った地の果てのようなところは、要らな過ぎてずっと独立を保てていますw
No.3
- 回答日時:
中国が軍事的に強大化したのはごく最近のことに過ぎません。
中国は歴史的にはあり得ないぐらいの軍事的弱小国であり続けました。中国の歴史は、農耕民族の漢族が周辺の蛮族・騎馬遊牧民族の侵略に苦しみ抜いて、悪戦苦闘の末に独立を保ったというものなのです。軍事的に話にならないから、蛮族を文化的に同化して漢族に取り込んだ。軍事的に話にならないから、万里の長城を建設した。軍事的に話にならないから、異民族を皇帝にした。軍事的に話にならないから、朝貢の返礼に莫大な財宝を下賜して集団的安全保障体制をなした。朝鮮民族は一度も中国大陸には攻め込まなかったし、忠実な朝貢国だったので、取り込む必要などさらさらありませんでした。中国の歴史では軍人・武人が権力を握ったことがほとんどない。いつも悪辣・狡猾な事務官僚に利用されるばかりでありました。事務官僚が腐敗して国家予算規模の不正蓄財を為して無学文盲の農民を収奪するようになると、農民反乱が起きる。そういったことが中国の歴史であります。辺境の朝鮮になどかまっている余裕はありませんでした。No.2
- 回答日時:
中国が帝国主義であることは紛れもなく、広大な国土に加え、
今でも「台湾の独立は認めない」、
「チベットの自治は認めない」と言っています。
↑
それは現代中国の話しです。
中国は本来、外国との関係は大らかでした。
鄭和の大航海は御存知でしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E5%92%8C
15世紀の初めです。
鄭和の船団は東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカにまで航海し、
最も遠い地点ではアフリカ東海岸のマリンディ
(現ケニアのマリンディ)まで到達しました。
この時、コロンブスなどとは異なり、彼の航海は
非常に平和的なモノでした。
朝貢さえ約束すれば、それでOKでした。
朝鮮半島は海に突き出ていて立地条件も良く、
何としても手に入れたい土地だと思うのです。
↑
そうでは無かったと思います。
大陸の端っこですし、中国は大陸国家で
海にはあまり興味を持っていません。
日本を侵略したのだって、元寇の時ぐらいです。
独立というのは口で言うほど簡単ではなく、国力がなければできません。
力関係で言ったら、朝鮮は中国(清)にとても敵わなかったはずです。
↑
朝鮮は時には、へりくだり、隷属したり、
時には日本と組んで中国と対抗しました。
冊封体制にも入ったりしています。
そこら辺りは外交の巧みさもあったのだと
思います。
ワタシは日本の関与が大きかった、と
考えています。
日本としてみれば、目と鼻の先朝鮮半島が
中国領になったら安全保障上まずいわけです。
だから、ちょこちょこと、半島や大陸に
干渉してきたのです。
白村江の戦いなどもその一環でしょう。
日清日露戦争はまさに半島を巡る戦いでした。
No.1
- 回答日時:
歴史的にみて中国は「大陸国家」であって海岸線はそれほど必要としなかったし, 他国との関係でいっても「自分が上位であるという冊封関係を維持するなら極端な干渉はしない」という方針だったので, 基本的に
わざわざ朝鮮までいかんでも
という感覚だったんじゃないかなぁ....
とはいえ例えば前漢では楽浪郡などを設置して朝鮮半島の一部を支配していたし, 元にいたっては事実上朝鮮半島全域を押えていたともいえるわけで.
ああ, 「台湾の独立は認めない」、「チベットの自治は認めない」については清の影響があるはず.
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