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教えて下さい。
「世界にひとつだけ」と「唯一無二」は同じような意味なのでしょうか?
回答お願いします(><)

A 回答 (4件)

>「唯一無二」


速さにかけては唯一無二。
素晴らしさは唯一無二。
速さにかけては、世界にひとつだけ、こんな表現は見たことありません。
素晴らしさは世界に一つだけ、とは言いません、素晴らしさは世界一
唯一無二 → 一個、一匹、一人・・・・等の数詞がついていません。
ひとつ → 一つ、一顧・・・・・「つ」も数詞のうち。
数詞がつくと、なにがしかの個体(物)を連想します。
速さ、素晴らしさ、は個体(物)ではありませんね。
範囲(場所)、対象(もの)にこだわった表現が、世界に一つだけ。
範囲、対象について全く限定せず、他に同じものがない。
したがって、未知の世界を探しても同じものはないと推測(未知の世界だから当然断定は不可能)される。これがとびぬけての意味・・・につながります。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
こちらの方もまた詳しく回答していただき、どうもありがとうございます。
わかりやすいです!

お礼日時:2019/01/30 20:30

基本はさほど変わらないかと思いますが、日本語の文脈、使い方から察するに…



「世界にひとつだけ」は、現存する世界と限定し、複数の存在を否定する言葉でよく使われます。「物質的には、コレひとつ」。

「唯一無二」は、規模を世界とも限定していないため、この世に現存する意味合いが強く、場合によっては、現存しない当時の様を表すことが出来、さらに2つとない唯一の…であるため、「物質的なひとつ」ではありますが、それが他よりも秀でている、より強調して表現されます。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
とてもわかりやすい回答です。
どうもありがとうございました!

お礼日時:2019/01/30 20:29

似たような意味ですが、


「世界」とはどの範囲を言うのか、
どの範囲で「唯一無二」なのか、
と言うように、範囲が同じであれば、同じ意味になります。
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この回答へのお礼

なるほど‥。
回答していただき、どうもありがとうございます!

お礼日時:2019/01/29 16:33

同じような意味です。

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この回答へのお礼

同じような意味なのですね。
回答していただき、どうもありがとうございます!

お礼日時:2019/01/29 16:20

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出来れば例を挙げて説明していただきたいです

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上の文は辞書や文法書には書いてありますが、実際にはもう使われないでしょう。
もっとも、古い昔の本を読む外国人もいるから、説明はしておかなければならないのが、日本語教師のつらいところ。



「~『に』は(モノ)があります」ならいい。
・彼には才能がある。
・私には時間だけはたっぷりある。
・両国間にはつながりがある。
・その意見には問題がある。

この場合、「に」はなくてもいいかもしれない。
・彼は才能がある。
・私は時間だけはたっぷりある。
・両国間はつながりがある。
・その意見は問題がある。

ただし、体の部分は難しい。というか、無理だろう。
・私には高い鼻がある。
・象には長い鼻がある。



「約5人の親友」という言い方にもびっくりですけどね。
「約100人の友達」ならともかく。

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https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/menu7_folder/symposium/pdf/8/10.pdf
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こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやすく、私も勉強になりました。(私は、意味がほぼ同じで活用などが同じなら、品詞をごちゃごちゃ議論することもないだろう、という怠惰な考えだったので、あまりまじめに考えたことがありませんでした。要は、同じ語形が「多少」違った使い方をされるだけで、「基本的な」ところは一緒だろう、と思っているのです。)

皆さんが触れられていない点で、私が重要だと思うのは、「です」にも2種類ある、という考え方です。
これは、たぶん私の学生時代(ン十年前です)から言語学のほうではそうだったと思うのですが、確証はありません。私はずっとそう考えてきました。
今回、改めて国語辞書の記述を見、辞書の付録の「助動詞活用表」などを見て、「です」が一つしかない(「丁寧な断定」という用法)ことにちょっと驚いたくらいです。まあ、国文法の分析が言語学(少し前の「日本語学」)と違うのはよくあることですが。

かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

上に書いたとおり、「です(1)」のほうは、「だ」の丁寧な形、です。「断定」(この用語は好きではありませんが)の助動詞で、丁寧さによって形が分化します。
   学生 だ/です   まじめ だ/です

それに対して、「です(2)」のほうは、「だ」とは対立しません。
   美しいです (×美しいだ)
この「です(2)」は、「断定」の機能を持たず、「美しい」という、すでに「断定」の機能を持った言い切りの形に「丁寧さ」を加えているだけです。つまり、「断定」の助動詞ではなく、「丁寧」の助動詞です。(動詞文の「ます」に対応します)

また、「です(1)」は活用を持ち、「でした/でしたら」という形になります。
   学生でした   紅葉の名所でしたら、例えば、、、
(「でしょう」を活用形とは考えません。「だろう/でしょう」は一語の助動詞と考えます。)

それに対して、「です(2)」は活用を持ちません。
   ×美しいでした (美しかったです)  ×美しいでしたら (美しかったら)

(ここで、「美しいなら」の「なら」を、「だ」の活用と見るか、という問題も関係するかもしれませんが、まあ、これは「なら」をどう考えるかという、もっと複雑な問題になります。私は、「だ」と「なら」は、少なくとも現代語では、別物と考えます。)

ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。

ちょっと話の流れを変えます。
日本語の文の分析法として、文を「命題+モダリティ」という形で考えるということがあり、かなり一般的になっています。(国語学では「叙述+陳述」という、似た考え方が昔からあります。)

これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。
これは、用言のいわゆる「活用形」や助動詞によって表されるわけです。「ね」や「よ」などの終助詞もモダリティを表すとされます。

ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。
前からの呼び方では「文体」の一つの要素なのでしょうが、それは文を文として成り立たせる必須の要素、つまり「文法」の一部なのか。

で、私の考えでは、「形容詞+です」の不安定さは、この、「丁寧さ」が文を終結させるためのモダリティとしては不十分だ、というところにあるのではないか、となります。

「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」は、「断定の助動詞」に丁寧さが加わったもので、立派な(文を終結させる「力」を持った)モダリティですが、
   学生/まじめ です(断定+丁寧)
「形容詞+です」の「です(2)」のほうは、「丁寧さ」だけの機能しかないので、
   美しい(断定?)+です(丁寧)
という形が、文の終わり方としてどうも安定しない、と感じられるのではないか。

「美しいです」が不自然だという人も、「美しいですか/ね/よ」などにすると安定するように感じる、というのはなぜか。これに対するうまい説明は今のところないように思うのですが、どうでしょうか。(単に私が知らないだけかも)
終助詞「か/ね/よ」が文終結のモダリティとしての機能を持つからだ、と考えるとうまく説明できます。
   美しい+です(丁寧)+ね/よ/か(確認/主張/質問など)
もちろん、「でしょう」をつけても、「でしょう」の持つ「推量(あるいは確認)」というモダリティによって文として安定します。
   (たぶん)美しいでしょう。
   (どうですか?)美しいでしょう?

これは、世代が違ってもあまり変わらないようで、今の若い人も「形容詞+です」には何らかの不安定さを感じるようですが、どうでしょうか。
「「ね」や「よ」をつければ自然だから、変じゃないよ」というのは、上に述べたように「形容詞+です」の弁護にはなりません。

以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。
(さらに、「文が終わる」とはどういうことなのか、「文成立の要件」となると、もう、根本的な議論になり、わけがわからなくなります。「文とは何か」ですから。)

この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。

   「どうですか?」「いやあ、なかなかがんばってますねえ。面白いです!」

などと、ある種の強調を込めた言い方をすると、それなりに自然な文として成り立つように(私には)思われます。
(語調が(文終結の)モダリティの機能を肩代わりする? 語調が文の意味を変えることは、「ある。」「ある?」など、ごくふつうのことです。単に「歩く。」と言うと描写あるいは意志に過ぎませんが、「(さっさと)歩く!」とある語調で言うと「命令」になります。)

なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。

「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
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Qじ と ぢ の発音

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10916160.html

に関連して、じ と ぢ の発音は区別されていたのでしょうか。例えば万葉仮名では異なる文字が割り当てられていたとか。

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区別されていたようです。割り当てた漢字が異なります。
じ 自士仕慈盡貳兒爾珥耳茸餌時
ぢ 遲治地膩尼泥
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=375

Q「ややこしい」という日本語の使い方について

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使うシチュエーションとしては、会社のビルの入館時に、パスポートを受付に見せて入館カードを配布してくれるシステムとなっております。私が階下へ迎えにいった時にそのルールを出張者の方に説明したときに使いました。その手続きのことを言う時に、「複雑ですね」、「面倒ですね」、「煩雑ですね」のような言葉のほうがきれいでしょうか。正直に言って「ややこしい」という日本語はどのような時に使うものなのかまだよく把握できておりません。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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失礼とか品が無いというのではなく、単にネガティヴな評価の意味があるので、使うには注意が必要だと思います。例えば「嫌い」「イヤ」「駄目」といった言葉は否定的な評価なので、乱用すると他人は聞いていてあまり気持ちいいものではありません。また、いい大人はあまり親しくない相手の前でこういった言葉は避けます。それと同じです。
日本では会話において根本的にそういう意識があります。

「ややこしい」「面倒臭い」「わかりにくい」といった表現は直接的過ぎるダメ出しになってしまうので、「ちょっと難しい」とかおっしゃるような「複雑」といった言葉を使うといいですが、ただ、目上や特に丁寧に扱わなくてはならない相手の前では、こういった「物事を否定する」発言自体を避けた方がいいということもあります。(目上が「難しいね」等と言った場合に同調するなら可。)
それと、どうしても否定的な評価をしなければならない時に「ちょっと」「あんまり」「そんなに」といった言葉を頭に置くのも、よくやる表現です。例えば「ちょっと違う」「あんまり良くない」「そんなに美味しくない」など。否定的にも見える表現には大抵こういった言葉を置いて意味を和らげるのが定番です。

失礼とか品が無いというのではなく、単にネガティヴな評価の意味があるので、使うには注意が必要だと思います。例えば「嫌い」「イヤ」「駄目」といった言葉は否定的な評価なので、乱用すると他人は聞いていてあまり気持ちいいものではありません。また、いい大人はあまり親しくない相手の前でこういった言葉は避けます。それと同じです。
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Q繰り上げ?繰り下げ?

日本語教師をしています。上級者生徒さんと日本経済新聞の電子版記事を読んでいて以下の表現がありました。



 「厚生労働省は公的年金の受給開始年齢を75歳まで繰り下げられるようにする検討に入っ
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この記事では、受給開始年齢がいまの70歳上限から75歳になる(する)という話が書かれているのですが、70から75歳になるのは、私の日本語の感覚だと「繰り上げ」に思えるのですが、この時期では一貫して 「繰り下げ」と表現されています。どうして、「繰り下げ」になるのか、日本語として解説していただける方がいたらよろしくお願いします。

Aベストアンサー

数字の切り上げ・切り下げと混同されていないでしょうか?
繰り上げ・繰り下げは序列、あるいは時間軸です。

繰り上げ:
序列・順位付け等で下位から上位に上げること、日時を予定より時間を早めること。
繰り下げ:
上位から下位に順をさげること、日時を予定より遅くすること。

駅伝で襷が届かなくても時間を決めて走り始めることを繰り上げスタートなどと言いますよね。
それと同じで受給年齢を早めるのが繰り上げ、遅くするのが繰り下げです。

(専門家ではないので細かな間違いはご容赦ください。)

Q周りに濁点は知ってても半濁点をしらない人が多いです。 というかほぼ知らない人ばっかです。 皆さんは半

周りに濁点は知ってても半濁点をしらない人が多いです。
というかほぼ知らない人ばっかです。
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小学校低学年(たぶん1学年)で「半濁点の付く仮名」は教わったはずですか、呼び名は「まる」だったと思います。

半濁点という「呼び名」をいつ教わったか記憶にありません。教わっても忘れただけかもしれません。
呼び名を教わったとすれば、たぶん「濁音」「半濁音」という言葉が出てきたときでしょう。「なんで半分?」と思った記憶があります。

「゛」 濁点(ダクテン、てんてん)、VOICED SOUND MARK
「゜」 半濁点(ハンダクテン、まる)、SEMI-VOICED SOUND MARK

濁音(だくおん):がぎぐげござじずぜぞだぢづでどばびぶべぼ
半濁音(はんだくおん):ぱぴぷぺぽ
鼻濁音(びだくおん):か゜き゜く゜け゜こ゜


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