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こんなにも科学が発展してるのにキリスト教とかイスラム教とかヒンドゥー教とか宗教を信仰する人たちがいるんですか?
子供がサンタクロースの存在を信じてるのと同じ感覚ですか?

A 回答 (21件中1~10件)

これ、


信じる信じないの問題なので
信じないひとには
関係ないんですよ

関係ないから気にしなくていいんです

関係ないのにどうして気になるのか
そこが不思議です
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小学生かよ笑



明らかに逃げている、答えに窮すると逃げる、隠れる、避ける。
これを卑怯と言うのです

こういう連中は、裏で又又、勝手な事を吠えまくる
宗教のイロハも知らず
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この回答へのお礼

卑怯で無知な小学生がなんかゆーてるわ

お礼日時:2019/02/10 22:55

宗教と科学は無関係です。

あるいは科学は「因果律の宗教」と言っても構いません。
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この回答へのお礼

ふーん

お礼日時:2019/02/08 13:03

日本にいると宗教って何だろって思うことが多いです。

仏教徒で日本の神々を信じるなら、クリスマスもハロウィンも関係ないのにって思います。日本人は平気に「無神論者」だからと口にしますが、海外だと異端に思われるそうです。自分の都合の良いように神や仏を信じてるとは思いますね。
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この回答へのお礼

宗教=頭おかしい連中の集まり
って認識です

お礼日時:2019/02/08 13:04

無知ってすぐいう人は無知らしい、・・?



何時、誰が、何処でそう言ったの、
ことわざにもないぞ

無知は偏見を生み、偏見は差別を生む

認識せずして評価する事なかれ

学はひかり、無学は闇

無智亦無得以無所得故 - 般若心経

貴方が宗教を語るには
その教義より、世界史や、文学、地理、等を先に学んで下さい
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この回答へのお礼

小学生かよ笑

お礼日時:2019/02/08 13:04

科学ではご先祖様を尊ぶことは出来ませんよね?


科学では大自然を尊ぶことは出来ませんよね?
科学では人の全てを癒す、心の拠り所、精神安定剤にはなりませんよね?

人間は弱い生き物です。誰かのせいにしたがり精神が弱いです。
宗教があるから、
神様、宗教のせいにできるのです。
科学はそれらを癒せ、心の拠り所になれますか?
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この回答へのお礼

そもそも尊びませんが

お礼日時:2019/02/05 22:02

宇宙や地球以外の惑星は精神性主体なので


ある意味宗教を信望するのは当然です
寧ろ科学絶対主義の人こそおかしいのです。
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この回答へのお礼

でも神様は人間が作り出したもんですよ

お礼日時:2019/02/05 22:03

かなり勘違い、いや、無知ですね


科学者程、宗教を否定しないのです

その一部を紹介します
日本初のノーベル賞 湯川秀樹
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた」

ドイツのノーベル賞作家 ヘルマン・ヘッセ
仏陀は小指の動きに至るまで真実だった。

アインシュタインは、こうも語っています。
「科学的探求は特殊な宗教的感情をひき起こしますが、これは、
愚かな狂信的宗教感情とはまったく違ったものです」

二十世紀最大の哲学者 ハイデガー
もし、十年前に、こんな素晴しい聖者が東洋にあったことを 知ったなら、
私はギリシャ語や、ラテン語の勉強もしなかった。 だが、遅かった
……。 (晩年の日記)

若手の理論物理学者の間で盛んに仏典が読まれているのも、
「諸行無常」「諸法無我」の仏説が、現代科学と
少しも矛盾しないばかりか、科学のめざす真理を
先取りしている感すらあると、気づいているからです。

人工知能の研究で知られるマサチューセッツ工科大学でも、
やはり仏典が研究されていますが、
「人間の心のしくみを探るのに、仏教以上の教えはありません」
と、研究をリードするマーヴィン・ミンスキー教授は語っています。

量子論における量子の概念と仏教の不二の概念
天文の空間の概念と仏教の空の概念
物理の時空の概念と 久遠の概念 同じです
宇宙 物質 生命科学 等
はるかに 仏教の理論が優れています
深層心理学のユングやフロイト等 仏教の一部分を説いた
と言える程です

長くなるのでここの④を
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage1.html
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この回答へのお礼

無知ってすぐいう人は無知らしいですよ

お礼日時:2019/02/05 22:03

積極的に宗教を信じている人と、積極的ではないけど宗教的な規範から抜けられない人々がいます。



現代社会では「自分から進んで信仰を行っている」と言う人は欧米やイスラム教徒ですら多くはありません。なぜなら「科学的な視点」があり「神という考えに疑問がある」からです。

しかし「積極的ではないけど宗教的な規範から抜けられない」人々はたくさんいます。彼らが「信仰」を支えている大部分であり、彼らが居なくなれば熱心に信仰している人々は、カルトになってしまうわけです。

ではなぜみんな抜け出せないかと言うと「その国のメジャーな宗教は、その国の道徳と深く結びついているから」です。

たとえばキリスト教でもマリア信仰のあるイタリアは「男性にマザコンが多い」とされます。これには社会制度的な理由もあるのですが、宗教・道徳・社会制度が結びついている例です。逆に北欧のプロテスタントは男女平等が基本であり、これもプロテスタント的な宗教感と道徳が深く結びついているからです。

日本も同じです。質問者様はこのようなことはありませんか?
・飛行機に乗って出かける人に「落ちるよ」と声を掛けるのは否定的
・人形を捨てる時は人形供養をする(またはそのような人の気持ちが理解できる)
・悪いことをしている人に不幸があれば「バチが当たった」と考える
などです。

これらはすべて「日本の宗教」から行われているものであり、日本人は案外それにどっぷりとつかっているのです。
だから子供が悪いことをすると「そんなことをするとバチがあたるよ」なんて言ったりします。このような「積極的に信仰するわけではないけど、道徳的に宗教意識が刷り込まれている」というのはどの社会でもあるのです。

その結果、少しずつしみ出してくる人々の宗教意識があって、その国の宗教を支えているのです。

この部分を科学が解決することはできません。なぜなら科学には「道徳・倫理」がないからです。

たとえばロボットについて、日本はヒト型ロボットを作ることに抵抗がありません。日本にはキリスト教的な宗教観や倫理がないからです。キリスト教では「人は神が作ったもの」であり「人型のロボットを作るということは人間が神になること」と解釈されます。その恐れが積極的に信仰しているわけではない科学者や多くの人々の恐れを呼び覚ますので、欧米ではヒト型ロボットの研究にあまり熱心ではないのです。

逆に日本では代理母出産とか子供の臓器移植などがまだまだ認められていません。なぜなら日本では「体は神聖なもの」だからです。キリスト教では「体は神と共にある」ので「神が許すなら子供の臓器移植もOK」なのですが、日本は「子供が死んでからだを切り刻まれるのは、遺族が痛みを感じる」のでやらないのです。これも日本的な宗教観に根差した倫理です。

同様に日本では災害で行方不明になった人を可能な限り探し遺体を収容しますし、目で見ないことには死者に数えることはありませんが、欧米などでは「合理的に生存できる期間を過ぎて、回収できる期間を過ぎた」なら「神の元に行った」として捜索そのものを打ち切ります。

こういう一見社会制度に根差しているように見える価値基準・道徳・倫理はその国や文化の宗教観に裏打ちされていて、これらが宗教ではないほかのもの、に変わらない限り宗教がなくなることはありません。
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こんなにも科学が発展してるのにキリスト教とかイスラム教とか


ヒンドゥー教とか宗教を信仰する人たちがいるんですか?
 ↑
いますね。
人類全体からすれば、信仰する人の方が
多いです。

ヨーロッパではキリスト教離れが進んで
いますが、米国ではいまなお盛んです。
科学の最先端を走っている米国が盛ん、というのは
奇異に思えます。

それでも、最先端科学に従事している人ほど
神の神秘を感じるという人が多いのです。

アインシュタインも、宇宙には意思が感じられる
と述べていました。




子供がサンタクロースの存在を信じてるのと同じ感覚ですか?
  ↑
同じです。

人間は存在しないモノを、存在すると信じる
ことが出来る能力があるのです。
この能力があるので、国家を樹立でき、
貨幣制度などを作り上げることが出来たのです。

国家など実は存在しないのです。
存在するのは、我々の頭の中だけです。

貨幣などただの紙切れであり金属です。
それを価値あるものと信じることにより、
経済が発達し文明が築かれたのです。

宗教はその副産物とも言えるものです。
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Qもし、日本にキリスト教がもっと普及していたら?

アメリカでは、人口の70%がキリスト教徒だそうです。
日本では、キリスト教徒は人口の1%です。その割には、クリスマス、バレンタイン、ハロウィンなどキリスト教の行事が盛んですが。
それはさておき、
もし、日本に、キリスト教が、もっと普及していたら、日本は変わっていたと思いますか?日本の社会や国民性は変わっていたと思いますか?もしそうなら、どのように変わっていたと思いますか?

Aベストアンサー

日本は「宣教師の墓場」といわれていたくらいで、西洋では知識階層の宣教師の論法が日本の農民に論破されるくらいですから、普及することはあり得ないと思いますよ。ザビエルが日本を撤退するとき、「ほとほと疲れた」と書いています。

インドが200年イギリスに支配されてもキリスト教が布教できなかったり、中国にも景教以外のキリスト教はほとんど入っていません。アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など)に対抗できる精神的風土を持つ国にはキリスト教は進入できませんでした。持っていなかった韓国のキリスト教はカトリックやプロテスタントではなく、カルト教会が大部分で、代表が統一神霊協会です。

Qキリスト教や仏教やイスラム教やヒンドゥー教等は 何とか統一できないものか?

宗教が統一できれば世界的に平和にも近づくのではないでしょうか

どうやるのかは分かりませんが 統一教会はキリスト教の神霊を統一しようとして失敗した

キリスト教に拘らず 全ての人に 無宗教の人にも納得の行く教えを練り出せないものか?

まずはそれらの宗教の代表が会議してる様なので もっと危機感を持って

自分から変わる意識を持って 緊張感を持って月に一度でも2週に一度でも会議を2,3日

かけても何とかして宗教が協力して進化する様な宗教哲学を活性化出来ないものでしょうか?

Aベストアンサー

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調することを目的とする
等が挙げられます、

柳沼正広氏による第2章「キリスト教と諸宗教 宗教の神学」では、
キリスト教が他の諸宗教をどのように考えてきたかが述べられています。
諸宗教に対する考え方として、
排他主義、包括主義、多元主義、多元主義への批判を取り上げています。
他宗教を理解する努力のなかで、
自身の宗教への理解や反省が深められていく
宗教間対話の持つ重要性について論じています。

中国における中心的な思想である儒教に対して、
外来宗教である仏教と、儒教より後に成立した道教が
、自らの立場を主張しつつ、互いに交流と対話を
行ってきた歴史を辿っています

統合、に必要なものは「信」です
「不信」が統合を不可能にしています
宗教間の争いを無くすには
信頼関係を結び、友好、交流活動の継続しかありません

信は  結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調...続きを読む

Qクリスチャンではない日本人の意識について 私はクリスチャンではないのですが、よくさまざまな教会へ行き

クリスチャンではない日本人の意識について

私はクリスチャンではないのですが、よくさまざまな教会へ行きます。
教会によって違った特徴があるのでそれを目的に見に行っているといってもいいかもしれません。

今回は旅行先の沖縄で日曜礼拝に参加しました。
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沖縄は教会が多いイメージがあって、他の県より抵抗みたいなのが少ないと思っていたのですが、そんなことはなかったみたいです。

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私は沖縄県民ですがキリスト教だけが偏見があるのでは無く、布教活動のある宗教に良い印象が無いと思います
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Q私は悟りました 随分前に悟りました つもりです。分かる事があれば答えます。

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専門的な問題は知らない事が多いので知らない言葉は分かりませんが

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Q偶然の誕生

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#4です。

>「神と呼んでも構わないが、それのみが必然。」と言うことで、「なるようになった」と考えていいですか ?

この文に対するわたしの解釈が間違ってなければ、そうです。
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たとえば、『宇宙の誕生』自体は偶然だと私も思う。
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で、「宇宙が偶然誕生するように」させていたものがあるわけで、その存在自体は必然と呼ぶしかないだろう、ということ。
それが何かは、むろん不可知ですが。
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Q<テロ事件が起こった時には加害者を裁判にかけずにその場で射殺するのが原則です。>はどう感じられますか

先日このカテで、chototu様が、次のような事項をご紹介されました。
<EU諸国は死刑廃止国なので、テロ事件が起こった時には加害者を裁判にかけずにその場で射殺するのが原則です。>
この射殺について、先達の皆様はどう感じられますか?
(私は、喝采の気持ちがありますが、やりすぎだな、とも感じています)

Aベストアンサー

そんな原則はありません。

むしろ警察当局としては「生きた状態で逮捕して、組織的な関与や資金援助などの後ろに潜む組織の存在などを知りたい」と思っているからです。

ただし「テロの犠牲になる罪のない一般人の命の重さを考えると、射殺しか手段が無ければ躊躇しない」だけです。
そしてその方針は正しいです。

日本もかつてテロ事件が多発した時期があります。日本赤軍などがテロを多数行った1970年代前後の時期で、1970年(昭和45年)3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした「よど号ハイジャック事件」は有名であり、その後の多数のテロ事件の引き金になっています。

この事件の時、ハイジャックされたJALのよど号は犯人グループの「北朝鮮へ向かえ」と言う要求に対して「燃料が足りない」と説得し、国内の板付空港(現福岡空港)に着陸しましたが、警察は突入の判断をすることが出来ずに北朝鮮に出発することを許してしまいました。実際にはソウルの金浦に一度降りたのですが、ここでも日本政府は政治的な判断ができず韓国警察または軍の突入ができなかったのです。

そのためテロは北朝鮮に着陸に成功し「日本政府は弱腰で、テロは成功する」というイメージを当時多数在った共産過激派グループに持たせてしまったのです。そのため70年代は共産主義者によるテロが多発し、1974年のシンガポール事件と在クウェート日本大使館占拠事件やハーグ事件・1975年のクアラルンプール事件・1977年のダッカ日航機ハイジャック事件などの「超法規的措置」につながっていったのです。

ハーグ事件はフランス政府も「超法規的措置」の判断をしていますが、これらに対してフランス国内では大きな批判が起き、またテロ組織に対して同様の措置を繰り返す日本政府に対しても批判が強く起きるようになりました。

結局これらのテロ事件とその対応から各国政府が学んだのは「テロ犯に譲歩しても得るものは少なく、次の犯行その次の犯行とかえって犠牲者が多くなる」ということで、だからこそ「テロが起きたら断固たる処置をする」という現在の方針になったのです。

この方針からいえば「(テロが起きないようにするのはもちろんのこと)起きてしまったテロに対しては人質を犠牲にしてもテロ犯の要求はのまず、犯人を殺すしか犯行を中止する手段がない場合は躊躇せず射殺する」という方針になっていったのです。テロが中途半端に成功すると、次のテロが起き結局犠牲者がどんどん増える結果になるからです。

ですから「テロ犯を射殺する」のは「次の犯行と犠牲者を未然に防ぐ」と言う点で「合法」だといえます。ただし「本当にそれしか方法が無かったのか」という検証は常に必要であり、近年はテロ対策実行時の録画などをきちんとするようになってきています。

そんな原則はありません。

むしろ警察当局としては「生きた状態で逮捕して、組織的な関与や資金援助などの後ろに潜む組織の存在などを知りたい」と思っているからです。

ただし「テロの犠牲になる罪のない一般人の命の重さを考えると、射殺しか手段が無ければ躊躇しない」だけです。
そしてその方針は正しいです。

日本もかつてテロ事件が多発した時期があります。日本赤軍などがテロを多数行った1970年代前後の時期で、1970年(昭和45年)3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした「よど号ハイジャック事件」...続きを読む

Q「マウンティング」をする人は「自信家」ではないか。

先の質問で、最後の回答をくださった方が、記事中のいくつかのキーワードを添えて以下のリンクを教えてくれました。

その時の回答をそのまま引用します


<またまたズレているかもしれませんが、おもしろい記事を見つけたので貼っておきます。
https://president.jp/articles/-/26637#cxrecs_s

マウンティング サル 優位に立ちたい 自信が無いから 
デジタル人間 感情の欠落 生きづらい
悪いのはあいつだ わたしには関係ない>

わたしはTVを視ませんし、新聞を読まない、インターネットでは、主にわたし同様、心の病を持った人のブログを読む。それ以外は専ら海外のアート・サイトを渉猟するだけで、WEBニュースもまとめサイトも覗くことはありません。ですから、最近の言葉はほとんど知りません。
「マウンティング」という言葉も初めて知りました。

以下リンクの記事より

「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。そのため、自分よりも格下の人間をつくりだすことで、集団内での序列を少しでも高めて、上位にいるという安心感を得ようとします。」

わたしはブログを通して、自分同様に自己肯定感の極めて低い人たちを知っています。
けれども、わたしの知っている「自信のない人たち」は決して、決して「自分より格下の人間を作り出し」たり「人より優位に立ちたい」などとは露ほども思っていません。ただひたすら自己の無価値を嘆くだけです。わたしもまた同様です。

「マウンティング」とやらいう行動をとる人は、寧ろ、自己顕示欲の強い自信家であり野心家ではないのでしょうか?

「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。」
この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?

先の質問で、最後の回答をくださった方が、記事中のいくつかのキーワードを添えて以下のリンクを教えてくれました。

その時の回答をそのまま引用します


<またまたズレているかもしれませんが、おもしろい記事を見つけたので貼っておきます。
https://president.jp/articles/-/26637#cxrecs_s

マウンティング サル 優位に立ちたい 自信が無いから 
デジタル人間 感情の欠落 生きづらい
悪いのはあいつだ わたしには関係ない>

わたしはTVを視ませんし、新聞を読まない、インターネット...続きを読む

Aベストアンサー

そうなんですよ!

私も自信のない人、好きです
自信がない、って謙虚であることでもありますもんね
また、丁寧に物事を考えていけば
自信満々にはならないですもん

質問者さまが無力無能とは思いませんが、まあそれは置いておくとして
ある精神科医が
「自分はうつ病の患者さんが好きだし
精神科医は、みんなそうだと思う
うつ病の患者さんは優しいし礼儀正しい人が多い
元気になってくると医者にお礼を言ってくれる」

この言葉を知り
何かあった時に他人のせいにはしないで
自分が悪かったと自分を責めるような人が
うつ病になるのではと思いました

おそらく
「下をつくって、でも上に怯える」ような人が
自慢話で武装するのではないでしょうか?

「上とか下とかでなく
私は私でしかない」
と思える人が「本当の自信」がある人なのかもしれないですよ

Q泣く子と地頭には勝てぬ

泣く子と地頭には勝てぬとは、道理の通じない者や権力者にはどうやっても勝てないから、無理を言われても従うしかないということ。
http://kotowaza-allguide.com/na/nakukotojitou.html

時と場合によりけりでしょうが、どうでも良いことに関してなら妥当な諺だろうと思います。
「道理が通じない者」かどうか、みなさんは、どういった基準で判断しますか?

Aベストアンサー

1.信念というものを持たない人だと判断した時。

2.信念を持っているものの、それに対する全体観を持たず、点で理解している人だと判断した時。

3.私を軽く見ている人だと判断した時。(反撃はします)

4.私のことを憎み、ダメージを与えることしか頭にない人だと判断した時。(やはり反撃します)

5.自分の手柄が一番と考えている人だと判断した時。

6.価値観が著しく異なる人だと判断した時。


申し上げたいことがもう少しありました。

「泣く子」というものの本質は、人間として未熟であるため、無理を通すということに羞恥心
がないということだと思います。従って1.2がそれにあたると。

「地頭」というものの本質は、力を持っているため、人を軽く見て、自分のエゴを通そうとす
る、という点にあると思います。従って、3.4.5がそれにあたると考えます。

また、人間は複雑であるので、この二つがミックスされたケースが考えられます。
これを「泣く地頭」と今後呼びたいと思いますが、これは厄介です。

それから、価値観の相違ということの中に、信念・哲学を持たない(あるいは捨てた)、という
ことが紛れ込んできていると思っています。
その人(状況)では、詭弁もありますが、何か判断のつかない論理を使います。

これがミックスされると「泣く腹黒い地頭」となり、究極に厄介です。

1.信念というものを持たない人だと判断した時。

2.信念を持っているものの、それに対する全体観を持たず、点で理解している人だと判断した時。

3.私を軽く見ている人だと判断した時。(反撃はします)

4.私のことを憎み、ダメージを与えることしか頭にない人だと判断した時。(やはり反撃します)

5.自分の手柄が一番と考えている人だと判断した時。

6.価値観が著しく異なる人だと判断した時。


申し上げたいことがもう少しありました。

「泣く子」というものの本質は、人間として未熟であるため、無理を通すと...続きを読む

Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Q人生がうまくいく「求めない」法則

「人生がうまくいく「求めない」法則」 (扶桑社文庫)という本が売れているそうです。
2018年4月時点で460万部突破ですので、国内ではハリーポッターや、乙武さんの五体不満足並みですね。
それだけ、この考え方が共感を得ているということでしょう。

私はこの本は読んでいませんが、人生のいくつかの側面においては、諦めとは違って、いい意味で期待しすぎないこと、見返りを求めないことの重要性も感じておりました。
タモリさんも、自分にも人にも期待しすぎないことが人生哲学だそうです。

例えば、人に期待しすぎない方が、落胆もしないので、
価値観の違いを受け入れやすくなったり、
人付き合い・人間関係が楽になったりするそうです。
もちろんこういう事は程度問題もあるでしょうけど。。。

皆さんは、あえて、「求めない」、「期待しない」方がいいと思っていることはありますか?
(どんな小さな些細なことでも構いません)
例:
妻に料理上手は求めない。
教えてgooで回答しても、お礼は求めない。
等。

Aベストアンサー

日本人ですよ

わしもね
ついこの間まで
知らんかったけどね

戦後復興
マッカーサー元帥と昭和天皇の対談
昭和天皇の戦後の巡礼

マッカーサー元帥の聴聞会

教えられて無いことが
ネットでね
チラホラ流されてるんですよ

別に国粋主義じゃないけどね

日本の良いところを
なぜか、教えない!広めない
今の地上波では
反日思想や搾取目的の民営化

移民法や水道の民営化

現代日本人って?

思うところもあるけどね
( ̄▽ ̄;)わしのが偏りすぎてるね

ごちゃごちゃと書いてますが

gooだけにとどまらず
個人!個人の
価値観や感情が
ギスギスしてないかな?
なんて、思うときに
ハイジさんの質問を
拝見させてもらい
参加させてもらったんですよ

有意義な質問
議論の許可
解りやすい、反論

色々と感謝(*-ω人)いたします

ではでは
また、次の機会を
楽しみにしてますよ

追記
弁士はとかく狙われやすいので!お気をつけてくださいね


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