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太平洋戦争において原爆の投下は正当な判断だったのでしょうか。

例えば、
・結果的にそれで日本が克服して戦争が終わっから原爆落として正解
・戦争は終わってよかったけど2つ落とすのは良くない
・被害が大きすぎるから反対
など、理由を含めて意見を教えてください
出来ればいろんな視点(日本だけではなく、アメリカ、etc…)から考えて貰えるとありがたいです。

A 回答 (28件中1~10件)

はるか昔のことを、いろいろ言っても仕方がない。

韓国と同じになってしまう。
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原爆投下はアメリカが後付けで戦争を早く終わらせるためとかふざけたことを言ってますがそれなら原爆を使わなくても可能だったはずです。

アメリカが原爆を使ったのはソ連に対しアメリカの力を見せつけるためです。
あと、太平洋戦争ではなく大東亜戦争と言ってもらいたいです。太平洋戦争はアメリカ名であって日本名じゃないですし。大東亜戦争での日本の主戦場はその名の通り大東亜です。アメリカにとっては太平洋だけですけど。日本はオーストラリア、イギリス、アメリカと太平洋で戦いました。ただ、中華民国国民党、イギリス、フランスとは東亜で戦いました。
なんなら第二次世界大戦でも構いません。
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正当性は必ずしも必要というわけではありません。


終戦まで日数を早め、ソ連を牽制する目的で使った、ただそれだけです。
結果的にそうなったのですから判断は「間違っていない」
原爆投下に正当性があるとすればそれは結果的に目的を達成できたこと、この一点のみです。
ただ、原爆投下はどんな理由があっても許せるものではないと思っています。
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ルーズベルト、とくにトルーマンはユダヤ人の立場から日本人をゴイム=家畜と呼び、実験として原爆投下案を実行した。

これをあなたがどう考えるか、お任せします。
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>原爆の投下は正当な判断だったのでしょうか。


 いいえ。
 日本が「原爆を投下して戴いたお蔭で早く終戦に出来ました」なんてことは無いし、
 4月の時点で敗戦が濃厚となり、日本政府は終戦に向けて外交交渉を行っていたから。

 トルーマン大統領が「無条件降伏/国体(天皇制)の廃止」など
 日本が受け入れがたい提示をして引き伸ばしをし、
 アイゼンハワーの提言を無視して、軍の都合で投下に踏み切ったに過ぎない愚策。

 戦後日本の方向性につながる最重要事項につき
 単に降伏するだけでは済まなかったから時間を要するのは致し方ないが、
 ソ連に終戦の仲介を相談したのも長引いた要因。

 原爆投下は「一般市民を標的にした戦争犯罪/テロ行為」に過ぎない。
「熱でグチャグチャに溶けた幼児の弁当箱」などが多数展示品に含まれていたため
 エノラゲイの式典も中止になった。
 何の罪もない、幼児子ども、年寄りまで一気に殺害した原爆を
 正当化する根拠が存在しないことを自認したため。

アメリカによる理由は後付け
 投下の記録映像を撮影するために天候はとても重要。
 広島が曇りであったら、神戸、大阪、京都などに投下されることになっていた。
 文化遺産を守るため?! などは後付けのウソでしかない。
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まぁ、中国人北朝鮮韓国人はそういう考えだろうね。

「太平洋戦争において原爆の投下は正当な判断」の回答画像23
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No13です。


前回の補足をさせていただきます。

私は無知には正当を論じたり公平さや正義を語る資格はないと思っています。


日本も原爆があったら使っただろうからアメリカを責められないという意見があるようですが、
その理屈だと、車を買えない貧乏人しか事故を起こした者を責められない事になります。
前回の回答から、民間人を無差別に殺戮するとも思えません。

日本もいずれ開発していたという意見がありますが、
当時の日本は国内のウラン鉱山を発見していません。
その為に大陸やドイツから原料を入手しましたが、精製に難航している上に、研究施設は1945年の四月に爆撃で破壊されています。
以上から、戦争中に開発に成功したとは思えません。


仮に開発できたとしても、アメリカ本土への投下はできないと思います。
まず、空母の艦載機では原爆は運べません。
地上から爆撃機を飛ばすにしても、飛行場や基地として使えるのはハワイしかありません。
(ハワイが軍事的に重要なのはその為です)
更にハワイを確保しても、当時の世界にはハワイとアメリカ本土を往復できる爆撃機はありません。



A:>気づくのが遅れていたらと考えたらゾッとしますね。(No19様へのお礼)

そもそも、気が付いてなどいません。
質問者様のお花畑ぶりにはゾッとしましたが。
実戦での原爆の威力を知った中国とソ連は「こんな凄い兵器なら我が国も欲しい」と思いました。
核開発はアメリカ以外もしており、彼らは他国がしている事も知っていました。
なので私はアメリカが使わなくても、核による冷戦は起きていたと思います。



B:>確かにそうですよね。(No16様へのお礼)

相変わらず「正当性」の定義をしないで、その場その場で言葉を弄り回しているようですね。
現在のアメリカと関係を保つために、過去の戦争のアメリカの正義(=日本の「過ち」)を認める必要はありません。

Bであなたが認める正当性とはどのようなものでしょうか。
(日本は国として、アメリカの正当性を認めていません)
野蛮な日本人を教育する為に空襲や原爆をして頂いたことを有り難がる事でしょうか。
あなたはそれが国際法違反であることは知っている筈です。
その上で、尚正当であると思わなければならない理由は何でしょうか。

あなたのような人を見ていると、改めてWGIPの深刻さを痛感するとともに、パル判事や東京裁判で日本を弁護してくれたアメリカ人に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。




【ブレイクニー弁護人の発言】
「原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認した者がいる。その人達が(東京裁判を)裁いている。」
「日本はその非法なる原爆投下に対して報復する権利を持つ。報復の権利は国際法の認めるところである」

【東京裁判名場面】(動画)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=308& …



パール博士の言葉

「日本の外務省は、わざわざごていねいに英文パンフレットまで出して、日本の《罪悪》を謝罪し、極東軍事裁判(東京裁判)の御礼まで述べている。
東洋的謙譲の美徳もここまでくると情けなくなる。なぜ正しいことは正しいといえないのか、間違っていることをどうして間違っていると指摘できないのか」


「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。
東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。
歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である」



【原爆慰霊碑の『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』へのパル判事の言葉】

「この"過ちは繰返さぬ"という過ちは誰の行為をさしているのか。
もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。
落した者が責任の所在を明らかにして"二度と再びこの過ちは犯さぬ"というならうなずける。
この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。
その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。
アメリカこそ開戦の責任者である。

「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」

「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ。」



あなたは自分達(日本)が我慢したり犠牲になれば上手くいくと思っているのかもしれませんが、
尊い犠牲者や生贄を気取って自己憐憫に酔うのは、私の最も嫌いな思い上がりです。
「太平洋戦争において原爆の投下は正当な判断」の回答画像22
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正当ではないです。


ソ連の対日参戦期日は、ヤルタ協定で決まっていました。アメリカはソ連の参戦で日本がすぐ降伏することは何ヶ月も前に分かっていたのです。日本は原爆投下を受けてポツダム宣言受諾を決めたのではなく、ソ連の対日参戦を知って降伏したのです。
連合国が発したポツダム宣言は、原爆投下の準備時間を稼ぐ為と原爆投下を正当化する口実にする為のものでありました。原爆投下の前にもし日本が降伏してしまえば、もう二度とそのチャンスはなくなってしまう。だから日本に降伏させない為にポツダム宣言を発したのです。アメリカはソ連の対日参戦期日に間に合うように突貫工事で原爆投下の準備をススメていました。遅れたら日本が降伏してしまうからです。

これが原爆投下の真相です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そのような事実があったのですね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/13 07:27

アメリカは原爆を投下しなくても勝てたのに科学者のエゴで投下して殺戮して不要な死人を発生させた‼️日米共に悪い‼️

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2019/02/12 23:19

もし日本に被害がなくても、いずれどこかで必ず、原爆は落とされますよ。

そう考えると、原爆の被害に遭われた方々には本当に心苦しい意見になりますが…落とされた国が日本でよかったと思います。普通このような非人道的な行為をされると、911のテロのように必ず報復されるのですよ。宗教上の理由でという都合のいい理由をつけて、神の名のもとに報復をするのです。日本にはそのような宗教はない(正確にはカルトっぽいのは蔓延してますけど)報復をする程の原動力はありませんからね。
そもそも戦争自体に正しいとかありませんからね。原爆で人を殺そうが、絨毯爆撃で人を殺そうが、銃で殺そうが自滅に追い込もうが…、自国を守るために特攻隊として未来ある優秀な若者を殺そうが、全て同じ人殺しです。人殺しは正しい事ではないですよ。戦争はしてはいけません。よって抑止力として原爆を保有するまでは許せても、実際に使用することは人のする事ではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そのような考え方もあるのですね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/12 23:15

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Aベストアンサー

でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 ↑
勿論おりましたよ。
でも、そうした意見はマスコミが取り上げず
表にでることはありませんでした。
ネットがあれば出たでしょうが。




日本が負けてから政治もメディアも教育も、GHQの統制下にあることは
国民も知っていたはずです。
だからメディアがいくら「日本の軍部はこんなに悪かった!アメリカの民主主義は
素晴らしい!」みたいなことを言っても、
「今のメディアはアメリカに都合の良いことしか言えないよう統制されている。
これは占領政策の一環で、国民を洗脳するための陰謀だ。」
と疑ってかかるのが普通だと思います。
なぜ当時の人は疑わずに180度違う価値観を受け入れてしまったのでしょうか。
 ↑
それを受け入れたのが、日本の支配層であり、
指導層だったからです。
多くの国民は、日本は負けたから悪者にされた、なんて
ことは百も承知でした。
そういう意見は総て封殺されたのです。

では、どうして指導層、支配層は受け入れた
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でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 ↑
勿論おりましたよ。
でも、そうした意見はマスコミが取り上げず
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ネットがあれば出たでしょうが。




日本が負けてから政治もメディアも教育も、GHQの統制下にあることは
国民も知っていたはずです。
だからメディアがいくら「日本の軍部はこんなに悪かった!アメリカの民主主義は
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Aベストアンサー

朝鮮は中国の冊封体制に組み込まれた属国の一つで、
独立国のように見えますが、冊封国と言われるものです。
つまり、すっかり取り込まれていたのです。



華夷思想において、中央は高貴なものとされたのに対し、
周辺の地域は東夷・西戎・南蛮・北狄といわれ、
辺境の蛮族扱いされていました。
このような辺境は直接統治より冊封による間接統治が
効率的と考えられていました。
辺境の国家は冊封されないと国として認められないので
多くは交易もできない状況でした。
冊封国は基本的に中国から内政・外交の干渉は受けませんが、
子分になって中国の強い影響下にあることを認めたものです。
詳しくは冊封(国)で調べてみてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81

朝鮮の始祖である太祖李成桂は高麗から王位を簒奪した時に
明に報告すると「王朝が交代したなら国号を改めよ」といわれ、
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選んでもらいました。
朝鮮の国号からしてこのような状況です。
また、朝鮮は国王の交代があっても中国の事前承認を重視しました。
拒否した実例はありませんが、中国の許可なく王になれなかったのです。
これは朝鮮だけで、冊封国には越南(ベトナム)や琉球も含まれますが、
他の冊封国は自分たちで国王を決めてからの事後承諾でした。
近年では朝鮮最後の皇帝(注:独立後大韓帝国を名乗りました)である
純宗が立太子の時(皇太子への就任)認めてもらうために
清との交渉が行われました。

冊封国にも序列があり、王の服の色や描かれた竜の数などで表され、
朝鮮の序列は低くはありませんでした。
しかし、東北の金(後金)を下位にみていたため
明が衰え金の勢力が強くなっても明の庇護を頼りに
強気で臨んだため丁卯胡乱と丙子胡乱で完敗し、
三田渡の盟約で清の属国であると認めさせられ、
皇帝ではない清からの勅使に対しても
(朝鮮)王が三跪九叩頭の礼により迎えました。
ちなみに、三跪九叩頭は1度ひざまずいて3回土下座を3セット
都合9回土下座をするもので、清の皇帝が臣下にさせた儀礼です。
余談ですが台湾出兵の後始末で日本の使者が皇帝に対するとき
皇帝への儀礼として要求されましたが拒否しています。

朝鮮が清の冊封から脱したのは日清戦争の結果で、
下関条約の第1条は清からの独立を認めさせるもの。
一般の方にも読める「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)には
この時に無理やり独立することで清の庇護下から解放させられて
ガクブルの高宗の様子が書かれています。(P319~P341 )

現在の韓国では、属国ではなく「兄弟国」という表現が多いのですが、
実際には壬午軍乱(1882年)の後始末で真に結ばされた
「中朝商民水陸貿易章程」でも属国であることが確認されました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9C%9D%E5%95%86%E6%B0%91%E6%B0%B4%E9%99%B8%E8%B2%BF%E6%98%93%E7%AB%A0%E7%A8%8B

朝鮮が冊封国を維持できたのは、清による虎の威を借りたから。
現在の韓国の国旗である太極旗の原型(諸説あります)は、
1882年に訪日使節団が使ったものです。
そこには日本になめられないように「大清国属」と書かれ、
清の支配下にあることを自称していたことがわかります。



現在の中国がチベットなどを侵略するのは
現代において価値があるから。
紛争で注目される尖閣諸島も、1970年代に国連の調査で
海底資源が指摘されるまで無関心どころか
国の機関紙に日本領と書いていたくらいです。
価値があって与しやすいと思われれば侵略されます。

朝鮮は中国の冊封体制に組み込まれた属国の一つで、
独立国のように見えますが、冊封国と言われるものです。
つまり、すっかり取り込まれていたのです。



華夷思想において、中央は高貴なものとされたのに対し、
周辺の地域は東夷・西戎・南蛮・北狄といわれ、
辺境の蛮族扱いされていました。
このような辺境は直接統治より冊封による間接統治が
効率的と考えられていました。
辺境の国家は冊封されないと国として認められないので
多くは交易もできない状況でした。
冊封国は基本的に中国から内政・外交の干渉...続きを読む

Q1950年代の日本ってもうかなり普通の暮らししてましたか?

1950年代の日本ってもうかなり普通の暮らししてましたか?

Aベストアンサー

東日本大震災から8年、いまだにこの様です。
戦争が終わったのが1945年、日本中が震災に合ったようなものでしょう。「もはや戦後ではない」と言われたのが1956年、10年かかって戦争の後処理がようやく終わった感じだったのではないでしょうか。

Q戦国時代のドラマを見てると軍議の席で武将達がやたら声を張り上げて意見交換してる場面があります。 実際

戦国時代のドラマを見てると軍議の席で武将達がやたら声を張り上げて意見交換してる場面があります。
実際の軍議もあんな大きめの声を出してたと思いますか?
当時の武将達も声が小さめの人や、言葉を噛む人とかいたと思うのですが…
普通の声のトーンで話さなかったのですかね?

Aベストアンサー

実際の軍議もあんな大きめの声を出してたと思いますか?
 ↑
そういう人が多かったと思います。
1,軍議は自己アピールの場でもあります。
 声が大きい方が目立つし、意見も通りやすいのは
 今も同じです。
2,戦国時代の武将の声はとてつもなく大きかった
 と言われています。
 広い戦場で自分の名前をCMするのですから
 大きいことが要求されたのです。



当時の武将達も声が小さめの人や、言葉を噛む人とかいたと思うのですが…
  ↑
そりゃいたでしょうね。



普通の声のトーンで話さなかったのですかね?
  ↑
徳川家康は、部下の自由なディスカッションに任せ
それろじっと聞いていて、最後は自分で決める、
そういう軍議をしていたという話があります。
声がでかくないと、主君の耳に入りません。

Q豊臣秀吉は朝鮮半島南部くらいなら支配できたのではないですか?

豊臣秀吉の朝鮮出兵ですが、朝鮮の首都(漢城)はすぐに陥落し、次に明軍との戦争になり、明・朝鮮連合軍との戦争になって最終的に撤退することになります。

でも、いくら秀吉軍が強いといっても、さすがに明を征服できる力があったようには思えません。

明との衝突を避け、目的を朝鮮半島南部の支配に限定すれば、目的が達成できた可能性が高いと思いますが、どうでしょうか。
そして、毛利や島津、徳川といった、後で逆らってきそうな大大名を朝鮮南部に配置すれば、邪魔者を追い出せますし、一挙両得のように思います。

Aベストアンサー

文禄慶長の役は征明嚮導とか仮道入明と言われたように、
朝鮮は通り道で秀吉は朝鮮を支配する意志がほぼ無いので
秀吉が朝鮮南部だけ統治するということはまずありません。
ただし、思考実験としての可能性を述べてみます。



文禄・慶長の役で、日本が明の参戦で苦戦に陥って
不利になったのは事実と言えなくはないですが、
文禄の役では碧蹄館の戦いをはじめ、第一次・二次平壌城の戦い
慶長の役では第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い等々
ほとんどの戦いで明(と朝鮮連合軍)には戦術的に勝っています。
ちなみに、文禄の役の時に碧蹄館の戦いで大損害を出した明は、
以後は朝鮮の意向を無視して講和に方針転換しています。
さらに慶長の役が終わった後、明史では

  (前略)喪師數十萬,糜餉數百萬,
  中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息
 (明史 朝鮮伝(320巻)26年11月)

  10万の兵を失い、100万の糧食を浪費したけど
  中朝(中国)と属国(朝鮮)には勝算が無かった。
  関白(秀吉)が死んだから終わってくれた。

と書かれていたくらいです。
このように、明とはそれなりの勝負はできているので、
本格的に準備をすればいい勝負はしたと思います。

余談ですが、南原城の戦いで見ても判るように
明は朝鮮南部まで軍を進めています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8E%9F%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
講和がうまくいった場合など、状況にもよりますが、
朝鮮南部だから明が来ないというわけではありません。


日本が勝てなかった理由は兵站が続かなかったから。
(慶長の役を含めるなら秀吉が死んだから)
当時、兵糧はある程度を現地調達するのが常でしたが、
朝鮮はそもそも春窮という言葉があるくらい貧しく、
耕作に適する土地が少ないので収穫は期待できません。
戦時には日本・朝鮮・明がそれぞれ徴発したから
ますます何もなくなりました。
たとえ朝鮮南部に限定して支配しても、
長大な国境線を長期にわたって維持するのは
(明側が意図しなくても)焦土戦術となって
かなりの負担で益は無いと思われます。


ちなみに、今の韓国の歴史認識に惑わされて
朝鮮人は果敢に抵抗した事を憂慮する方が多いようです。
確かに住民の反乱はそれなりにてこずりましたが、
日本が漢城に到着した時、国王は逃走し、町は既に焼かれていて
王子二名を捕虜にしたのは朝鮮人の働きなのは有名な話。
碧蹄館の戦いに先立つ第三次平壌城の戦いで
「日本側の戦死者を調べるとほとんど朝鮮人でした」
というオチが朝鮮王朝実録に書いてあるくらい。
  是日天兵當陣斬獲一千二百八十五級、生擒二名、
  竝擄浙江人張大膳、奪馬二千九百八十五匹、
  救出本國被擄男婦一千二百二十五名。
  (中略)
  李如松 平壤之役、所斬首級、半皆朝鮮之民、
  焚溺萬餘、盡皆朝鮮之民
政策さえ誤らなければ統治できなくはないと思います。

文禄慶長の役は征明嚮導とか仮道入明と言われたように、
朝鮮は通り道で秀吉は朝鮮を支配する意志がほぼ無いので
秀吉が朝鮮南部だけ統治するということはまずありません。
ただし、思考実験としての可能性を述べてみます。



文禄・慶長の役で、日本が明の参戦で苦戦に陥って
不利になったのは事実と言えなくはないですが、
文禄の役では碧蹄館の戦いをはじめ、第一次・二次平壌城の戦い
慶長の役では第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い等々
ほとんどの戦いで明(と朝鮮連合軍)には戦術的に勝っていま...続きを読む

Qなぜ、アフリカには、アジアのモンゴル帝国・ヨーロッパのローマ帝国のような巨大な帝国が、現れなかったの

アジアを、モンゴル帝国が制しました。
ヨーロッパをローマ帝国が。
しかし、アフリカを支配する帝国は現れていません。
なぜ、アフリカを統治する巨大な帝国が登場しなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

・アジアやヨーローッパは東西に大陸が伸びていたが、アフリカ大陸は南北方向に伸びているので大陸内でも気候帯が変わり、人が移住し難く伝播もし難い。
・労働量に比してカロリーの高い作物を得られなかった。
・熱帯地方特有の病気。
・乾燥地帯或いは熱帯ジャングルが占める割合が多く、また南北の交通も分断されていた。
上記の理由による巨大な帝国に必要な人口の不足と人口の集中が不足したからです。

Q東京大空襲(3/10 2号作戦)とB-29 パス・ファインダー機(投下誘導機)について

この作戦は、超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だったとされています。
この作戦に参加している、B-29 パス・ファインダー機の詳細(配置と機数、目的など)何処かに資料がないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

合衆国公文書館か空軍歴史調査局あたりでしょう。
https://www.archives.gov/research/military/air-force
https://www.afhra.af.mil/

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専門学校生の女です。

最近、大韓民国の理不尽な問題で日本の首相や大臣は何かの制裁をするわけでもなく「遺憾」しか言わないのは何故だと思いますか?

歯痒いです(泣)

Aベストアンサー

歯がゆいのは分かりますが、日韓どちらも相手のことを忖度しなくなったら、待っているのは戦争しかありません。全面戦争にならなくても、イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争とか「言動の応酬がエスカレートした結果」軍事行動になったことはいくらでもあるのです。

日本にとって韓国という国は「旧ソ連・中国という共産国またはアメリカの覇権に挑戦しようとする国=レッドチーム」と薄い壁1枚で隔てているような場所です。薄い壁が韓国で、ここに米軍や国連軍が常駐し、在日米軍もこれらのバックアップをしているから、北朝鮮もまたは北朝鮮を焚きつける中国やロシアも簡単には手を出せないのです。

韓国は文政権になってから「北朝鮮への融和姿勢」が明確になってきています。韓国には親米の保守派と親北の革新派があって、ロウソク革命とよばれる国内紛争で革新派が有利になり文政権が誕生しました。

質問者様もロウソク革命の映像を見たことがあると思いますが、あれほどの規模の人を動員し、ロウソクを配り大きなスピーカーで扇動するには相当なお金がかかるはずで、その費用を北朝鮮が裏から支援していても私は驚きません。

つまり文政権が反日の言動を繰り返すのは「北朝鮮の思惑がある」という認識を持つべきなのです。この点で核兵器をもつ北朝鮮は依然と違って非常に強気になっています。(だから行き着く先は戦争なのです)

日本もアメリカも「どうすれば韓国をこちら側に引き寄せておけるか」を考えています。もしかしたらCIAなどは反ロウソク革命を目指して、資金提供や工作を行っているかもしれません。文大統領の失策が目にみえ市民の不満が高まったところでまた弾劾裁判を行い、親米路線に戻す工作を行っていても不思議はないのです。

ただ、その場合今日本と韓国が言葉の応酬を行い、経済制裁などを行ってしまうと親米(そして親日)の政権になっても日本との間にわだかまりが残ります。親米・親日政権ができる可能性があるなら、今日本はあまり過激な言動をすべきではないのです。

それは結局日本自体の安全保障に関わるからです。

しかし、日本もだんだん過激な言葉使いをし、今年に入ってからは首相や官房長官などの「政府首脳」と呼ばれる人たちが韓国を批難することを躊躇しなくなりました。

これはアメリカ自体が「韓国がレッドチームに入り、北朝鮮主導で朝鮮統一される可能性が強くなり、米軍は半島から撤退する可能性」を探っているからだと言われています。

もし米軍が韓半島を撤退すれば確実に北朝鮮手動で統一されるでしょうし、そうなれば壁がなくなってレッドチームと日米の対立軸は日本海が中心になるわけです。

だから安倍首相はF-35を104機も買おうとしているし、イージス・アショアも導入しようとしてます。

今の日韓関係は単に「日韓の応酬」ではなく「戦後唯一残った冷戦構造の最終解決が侵攻している現場」なのです。
歯がゆいのは理解しますが、戦争にならないように、なっても日本が勝てるようにするには、簡単に兆発にのるべきではないのです。

歯がゆいのは分かりますが、日韓どちらも相手のことを忖度しなくなったら、待っているのは戦争しかありません。全面戦争にならなくても、イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争とか「言動の応酬がエスカレートした結果」軍事行動になったことはいくらでもあるのです。

日本にとって韓国という国は「旧ソ連・中国という共産国またはアメリカの覇権に挑戦しようとする国=レッドチーム」と薄い壁1枚で隔てているような場所です。薄い壁が韓国で、ここに米軍や国連軍が常駐し、在日米軍もこれらのバックアップ...続きを読む

Q徳川家康や秀忠は明を征服しようと思わなかったのですか?

魏忠賢などの悪臣の専横によって乱れきった明朝の末期は徳川家康・秀忠が将軍だった頃であり、鎖国も行っていませんでした。
結果的に明は女真族という辺境の弱小民族によって征服されてしまうわけですが、徳川幕府がその気になれば明を征服するのは容易だったはずなのに、家康や秀忠は明を征服しようと思わなかったのでしょうか?

秀吉の朝鮮出兵の頃は、明もまだ弱体化が進んでいない頃でしたが、その頃とは比較にならないほど弱体化が進んでいたので。

Aベストアンサー

そんなこと、これっぽっちも考えていないと思います。
理由は簡単です。秀吉の朝鮮侵略の悲惨な結果を知っているからです。

日本の戦国時代を代表する武将の中で秀吉だけは異質ですが、それは彼が商人、現代風に言えば経済人の感覚を持っていたからです。当時の日本の経済発展のためには領土の拡大が欠かせなかったと思います。
まあ、しかし、他国への侵略という点においては、身の程を知らないというか、世界を知らないというかバカですね。先進的な欧州の植民地化の手法と比較すると幼稚極まりないと思います。
そういえば、そんなバカが過去にもいました。それは、日出る国の聖徳太子です。この時に現地で中国側と交渉した人物は秀吉の時と全く同じことをしています。現地で先進的な大国の実状を知って、日本側のトップの顔をつぶさないようにして、二枚舌で収拾するという方法です。

徳川家康は、豊臣秀吉の朝鮮侵略の失敗を教訓として300年続く日本の平和な時代の仕組みを作ります。限られた領土で平和を維持するために、大名の取り潰しや、参勤交代などの仕組みをつくりますが、政治的なシステム以外に庶民が作り上げたシステムもあります。それは、徳川300年の間に人口が全く増加していない事実から導かれます。

家康と秀忠は秀吉と同時代に生きていたので、二度とアホなことはしませんでしたが、その教訓を忘れてしまった平和ボケの人々は、明治に入って中国侵略を開始しますが、秀吉の朝鮮侵略から得られた軍事的な反省をなにひとつしていなかったため、最後は悲惨な結果になっています。
日清日露戦争は短期間の戦争であり、当時の日本は、欧米の先進的な兵器に関する各種技術を導入していたため、時代遅れの兵器相手に勝てるのは当然ですが、先進的な欧米諸国ではすでに確立していた兵站システムが全く構築されていなかったことが、日本の決定的な弱点と言うか特性なのだろうと思います。

そんなこと、これっぽっちも考えていないと思います。
理由は簡単です。秀吉の朝鮮侵略の悲惨な結果を知っているからです。

日本の戦国時代を代表する武将の中で秀吉だけは異質ですが、それは彼が商人、現代風に言えば経済人の感覚を持っていたからです。当時の日本の経済発展のためには領土の拡大が欠かせなかったと思います。
まあ、しかし、他国への侵略という点においては、身の程を知らないというか、世界を知らないというかバカですね。先進的な欧州の植民地化の手法と比較すると幼稚極まりないと思います...続きを読む

Q日本の国旗って韓国の国旗を真似したんでしょうか?

日本の国旗って韓国の国旗を真似したんでしょうか?

Aベストアンサー

太極旗は、李氏朝鮮(高宗)時代の1883年が最初
日の丸は、1870年制定


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