痔になりやすい生活習慣とは?

太平洋戦争において原爆の投下は正当な判断だったのでしょうか。

例えば、
・結果的にそれで日本が克服して戦争が終わっから原爆落として正解
・戦争は終わってよかったけど2つ落とすのは良くない
・被害が大きすぎるから反対
など、理由を含めて意見を教えてください
出来ればいろんな視点(日本だけではなく、アメリカ、etc…)から考えて貰えるとありがたいです。

A 回答 (28件中11~20件)

(A)正当化すればするほど、原爆を落としたことがアメリカ人にとっての黒歴史になっていたことを裏付けています。

使わなければ70年後になってまでそんな胸糞悪い思いをしなくても良かった、という点ではアメリカにとっては正しくない判断だったといえるかもしれません。...たとえそのために何倍もの人間が死んだとしても、通常の戦争行為だから、知ったこっちゃないのです。
(B)ただ、太平洋戦争で使ったことでアメリカそして世界がその悲惨さに気づいたとも言えます。
気が付くのが遅くなって冷戦の最後の方で使ったら、今の世界そして地球はなかったかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
気づくのが遅れていたらと考えたらゾッとしますね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/12 21:54

難しいね、しかし、後1月遅れれば、日独で開発した、原爆が、米国で爆発したかもしれません。

ゆえに、米国は小型化に成功すると、即落としたので、彼らも判断はしていないでしょう。

そもそも、戦争自体が、問題なのです。破壊と殺戮しか有りませんからね。
まぁ、国民は、連日、竹切って竹槍で、突く練習に明け暮れていたので、案外それで、当時の岸信介(安倍晋三の爺さん)たちが、敗戦に踏み切ったのかも知れませんね。
軍部は、引き伸ばして、日独の原爆を使うつもりだったようですが。いかんせん、軍部の力が、配線色が強くなって、無くなっていったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
判断はしていない、ですか。
確かに戦争自体が問題ですよね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/12 21:49

歴史的、人道的に見て正当化できるわけありません。



しかし、日米間の政治的に現在の直近の戦争に関することですから、日本側からは正しかったこととして両国間の将来の友好を目指すべきです。政治的に過去のことに拘泥することの醜さは、お隣を見ていれば分かるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かにそうですよね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/12 21:44

戦争行為を


正解や間違えで
判断するには

どのような行為であっても
それなりの正義があったと
思うから
正しいとは思います

でも
市民の立場からしたら
たとえ、原爆が使われなくても
如何なる戦争行為は間違いだと、思います

間違いであるけど
否定ではないよ

(  ̄▽ ̄)ニッコリ
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど…正義ですか。参考になりました。

お礼日時:2019/02/12 21:42

正当とは言いませんが、結果の判断は難しいです。


当時、連合軍は日本本土上陸のダウンフォール作戦を用意していました。九州の制圧を目的としたオリンピック作戦と、その後、九州の占領地域の航空基地を起点として関東地方を制圧するコロネット作戦の二段構えです。ダウンフォールは「破滅、滅亡」を意味しており、上陸後は民間人も含め大量に殺戮し、日本御滅ぼす予定でした。
それに対し大本営も一億玉砕を唱え、総動員で戦うことを宣言しています。

実際、これが行われていたら、日本には抵抗能力が喪失していたわけで、どうなっていたかを考えると、原爆投下で終戦が早まったことがどうかというのは難しいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに判断は難しいですよね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/12 21:41

このような問題は過去に何度もでていますが、そこではアメリカの原爆使用への批判に対して、原爆は日本やドイツも開発していた事を出す方がいたように思います。



しかし、その方はアメリカが批判されている理由に「民間人への無差別な虐殺」が含まれている事を(故意に)無視していると思います。



私は日本が先に開発したとしても、アメリカのように使ったとは思えません。

戦争を終わらせるなら、洋上の艦隊に使用すれば目的は達成されます。
(→わざわざアメリカまで民間人を殺しに行く必要はない)
それどころか無人の海上実験を見せるだけで済むかもしれません。


自国内ですら人種差別をしていたアメリカについては理解できますが、真珠湾攻撃でも民間人の施設を攻撃せず、捕虜も人道的に扱っていた日本が、虐殺をするとは思えません。


(4:55 火から逃れ出ようとする老人や子供を、周囲の敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中に突き返す。かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばしては火の中に投げ込んでいる。
5:05 二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊を見つけ出し、両足を持って、真っ二つに引き裂いて火の中に投げ込んだ。)


【「アンブロークン」のイメージとかけ離れた捕虜の食糧事情】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=pDUzoFz8-Ik
(8:50 僕達は最近悪い食料は貰っていないし、なかなか良い。今の所はムール貝で忙しい。)

【「アンブロークン」の内容を一蹴した日本海軍の歴戦の搭乗員たち】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=9fcom989BpQ
(6:30 マレー沖海戦の時、海上に浮いていいた英兵に対し、日本機は全く攻撃を加えなかったとして、英国側から絶賛されているんです)



無知な方ほど、弱肉強食やらルール無用やらの今どきの中学生すら使わない言葉で戦争を語ったおつもりになっているように思います。
「太平洋戦争において原爆の投下は正当な判断」の回答画像13
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
敵兵が(敵兵に対して)敵国の人に対する扱いと日本人が捕虜に対する扱いはこんなに違うのですね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/11 22:48

正当かどうか、その回答自体は、適用できる判断基準の数が多すぎて、とても不可能。



ただ一つ確実に言えること。
「日本が先に開発しなおかつアメリカへの運搬手段を持ち合わせていれば、日本は確実に使っていた。」
それが戦争と言うものだ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
日本も同じ立場ならそうしていた、という考え方もあるのですね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/11 22:34

1:>・結果的にそれで日本が克服して戦争が終わっから原爆落として正解


→落とさなくても戦争は終わっています。(詳細な説明は後述)

2:>・戦争は終わってよかったけど2つ落とすのは良くない
→Aより一つでも良くない。

3:>・被害が大きすぎるから反対
→大軍隊で同様の被害を出すもダメなのでしょうか。
だとしたら、戦闘そのものがダメになると思います。




イ:>出来ればいろんな視点(日本だけではなく、アメリカ、etc…)から考えて貰えるとありがたいです。

ロ:>太平洋戦争において原爆の投下は正当な判断だったのでしょうか。


イ→いろんな視点以前に、質問者様は原爆が大量虐殺兵器である事や、戦時中であっても民間人の無差別な殺傷は「国際法違反」であることをご存じでしょうか。

アメリカ、etc…とは、その国の政府と国民のどちらでしょうか。
当時のアメリカは自国民に原爆はただの大きい爆弾程度の説明しかしていません。
なので、被害の実態(放射能や熱線等)の被害もアメリカ人は知りません。
その為に当時の彼らは原爆で悪の日本が降伏した。これ以上アメリカ人が死ななくて済んだとしか思っていません。
アメリカの学校でもそのようにしか教えていないので、今でも彼らの認識はその程度です。
教師や教科書が大喜びで生徒が日本が嫌いになる嘘を教えているのは日本(とドイツ)だけです。

以上から、アメリカ以外の連合国→戦争が終わったので良し。
日本が解放した欧米の植民地→原爆の事はよくわからないが、俺たちの戦いはこれからだ。



ロ→あなたの脳内の「正当」の定義が不明なので回答できません。
「あなたにとっての正当」は、以下の事からあなたが考えるべきことだとも思います。


当時の日本は原爆以前から条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもりでした。
しかし、アメリカは原爆を使用する準備の時間を稼ぐ為に、曖昧な降伏条件(国体の護持、天皇の地位への保証がない)を出すことで、日本が降伏できないようにしました。
(降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。)

ただ、これについてはいつまでも戦争を続けていると、ソ連が参戦してしまい、戦後処理についてソ連に発言力を与えるこになるので、タイミングが難しい作戦でした。(実際そうなりました)

日本は↑のような条件が不明な状態で降伏した場合、国が消滅する事もありえるので、安易に降伏はできませんでした。
更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民や軍部が激昂し、政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。
そのような内戦は、アメリカも望んではおらず、その場合中ソが介入する可能性もありました。
そうなると、日本が朝鮮やドイツのような分断国家になって、朝鮮半島ではなく日本が冷戦の最前線になるかもしれませんでした。
実際、アメリカ以外はそれ(日本の分割統治→領土化)を望んでいました。
しかし、アメリカはソ連が日本に進出する事を嫌っていました。

原爆投下後の降伏ですが、これ以上降伏しないままだと、第3第4の原爆が落とされる可能性があり、もう条件がどうこう言っていられなくなった為です。





アメリカが原爆を使いたがっていた目的は↓です。

A:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
B:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

Aについてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A1:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為に、広島への空襲を停止して建築物を保存し、人口を集中させました。

A2:警告無しの使用の決定
トルーマン大統領は、自分が設置した暫定委員会で、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと語り、そのように決定しています。
(開発に携わった科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。)

原爆使用の理由については、ここでも過去にも何度か質問されています。
連合軍は攻撃前にビラをまいて避難を呼びかけていたという意見があります。

しかし、それには 何 故 か 【広島】と【小倉】は入っていません。(画像参照)
(小倉は広島と同じ理由で選ばれていましたが、爆撃機が航路を誤って、長崎に落してしまいました。)

福山空襲は年8月8日
久留米空襲は8月11日
長野空襲は8月13日
(広島の原爆投下は8月6日、長崎は8月9日です)

長崎の投下地点の真上には、日本に始めて建設された「教会」がありました。
(アメリカはこの事を隠していますが)
「太平洋戦争において原爆の投下は正当な判断」の回答画像11
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
説明不足ですみません。詳しく書いてくださりありがとうございます。期末テストの論文のテーマについて皆様のご意見を聞かせていただきたくこの質問をしました。“ To what extent was Truman justified in dropping atomic bombs in Japan ? ”これがテーマです。“ Are you for or against of dropping atomic bomb ?”ということらしいです。私が質問した理由としてはそのテーマに対して多くの立場から見て結論を出したかったのです。
立場、視点というのは日本政府、日本国民、アメリカ政府、アメリカ国民、連合国側、また軍事的、政治的などからという意味です。その他でもいいのですが。イについては存じた上で質問させていただいております。失礼ながら質問者である私も正当の定義がはっきりしていません。皆様の「正当」の定義でそれぞれの意見を教えて欲しかったのです。正当の定義についてはっきりさせるつもりはありません。曖昧な質問ですみませんでした。長文になってしまいすみません。2度目ですが詳しく書いてくださりありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2019/02/11 22:30

1つ確実に言えることとして、戦争が終わった後にも影響が出続けるものは良くない、というのが世界的な共通認識になっています。


原爆だけでなく地雷や枯葉剤のようなもの(化学兵器)が、それにあたると言えます。

外国人でも日本人でも、この視点を忘れて、威力の強いだけの武器などという認識でしか語れない人が時々いたりしますが、それでは非常に程度の低い話でしかないと言えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
その考えを忘れてはいけませんよね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/11 21:18

2016年8月6日に放映されたNHKスペシャル「決断なき原爆投下 ~米大統領71年目の真実~」で、何故原爆が投下されたかが極めて明確に説明されました。

 原爆開発計画および投下作戦、いわゆる「マンハッタン計画」の責任者だったアメリカ陸軍のレスリー・グローヴス准将が、22億ドルもの開発費用を掛けた原爆を実際に使用して威力を示さなければ議会から厳しい追及を受けることを恐れ、時の大統領トルーマンに嘘の報告までして原爆を投下したと言うのが真実です。 それは、グローブス自身の証言や、いろいろな証拠によって裏づけされました。 グローヴスは計17発もの原爆投下を計画していましたが、広島・長崎の惨状を知ったトルーマン大統領は、さすがにそれ以上の原爆投下計画を停めさせました。 でも、原爆投下への国際世論の批判を恐れた米国は、原爆が戦争を早く終わらせ多くの人命を救ったと言う嘘をあとづけででっち上げました。 NHKスペシャルは見ごたえのあるものが多いですが、この番組は特に素晴らしい内容でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
そのような真実があったのですね。戦争を早く終わらせるためというのはあとづけだったのですね。参考になりました。

お礼日時:2019/02/11 21:01

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Aベストアンサー

でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 ↑
勿論おりましたよ。
でも、そうした意見はマスコミが取り上げず
表にでることはありませんでした。
ネットがあれば出たでしょうが。




日本が負けてから政治もメディアも教育も、GHQの統制下にあることは
国民も知っていたはずです。
だからメディアがいくら「日本の軍部はこんなに悪かった!アメリカの民主主義は
素晴らしい!」みたいなことを言っても、
「今のメディアはアメリカに都合の良いことしか言えないよう統制されている。
これは占領政策の一環で、国民を洗脳するための陰謀だ。」
と疑ってかかるのが普通だと思います。
なぜ当時の人は疑わずに180度違う価値観を受け入れてしまったのでしょうか。
 ↑
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指導層だったからです。
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ことは百も承知でした。
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でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 ↑
勿論おりましたよ。
でも、そうした意見はマスコミが取り上げず
表にでることはありませんでした。
ネットがあれば出たでしょうが。




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朝鮮半島を見ていて、いつも不思議に思うことがあります。それは、中国はどうして朝鮮半島を取り込もうとしなかったのか。逆に言えば、朝鮮はどうして独立を維持できたのかという事です。中国が帝国主義であることは紛れもなく、広大な国土に加え、今でも「台湾の独立は認めない」、「チベットの自治は認めない」と言っています。普通に考えれば、朝鮮半島は海に突き出ていて立地条件も良く、何としても手に入れたい土地だと思うのです。独立というのは口で言うほど簡単ではなく、国力がなければできません。力関係で言ったら、朝鮮は中国(清)にとても敵わなかったはずです。朝鮮半島は、かつては百済、新羅、高句麗と三つに分裂していました。なおさら取り込まれ易かったはずです。それを思うと不思議でなりません。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

朝鮮は中国の冊封体制に組み込まれた属国の一つで、
独立国のように見えますが、冊封国と言われるものです。
つまり、すっかり取り込まれていたのです。



華夷思想において、中央は高貴なものとされたのに対し、
周辺の地域は東夷・西戎・南蛮・北狄といわれ、
辺境の蛮族扱いされていました。
このような辺境は直接統治より冊封による間接統治が
効率的と考えられていました。
辺境の国家は冊封されないと国として認められないので
多くは交易もできない状況でした。
冊封国は基本的に中国から内政・外交の干渉は受けませんが、
子分になって中国の強い影響下にあることを認めたものです。
詳しくは冊封(国)で調べてみてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81

朝鮮の始祖である太祖李成桂は高麗から王位を簒奪した時に
明に報告すると「王朝が交代したなら国号を改めよ」といわれ、
「朝鮮」と「和寧」のどちらが良いかを洪武帝(明の皇帝)に
選んでもらいました。
朝鮮の国号からしてこのような状況です。
また、朝鮮は国王の交代があっても中国の事前承認を重視しました。
拒否した実例はありませんが、中国の許可なく王になれなかったのです。
これは朝鮮だけで、冊封国には越南(ベトナム)や琉球も含まれますが、
他の冊封国は自分たちで国王を決めてからの事後承諾でした。
近年では朝鮮最後の皇帝(注:独立後大韓帝国を名乗りました)である
純宗が立太子の時(皇太子への就任)認めてもらうために
清との交渉が行われました。

冊封国にも序列があり、王の服の色や描かれた竜の数などで表され、
朝鮮の序列は低くはありませんでした。
しかし、東北の金(後金)を下位にみていたため
明が衰え金の勢力が強くなっても明の庇護を頼りに
強気で臨んだため丁卯胡乱と丙子胡乱で完敗し、
三田渡の盟約で清の属国であると認めさせられ、
皇帝ではない清からの勅使に対しても
(朝鮮)王が三跪九叩頭の礼により迎えました。
ちなみに、三跪九叩頭は1度ひざまずいて3回土下座を3セット
都合9回土下座をするもので、清の皇帝が臣下にさせた儀礼です。
余談ですが台湾出兵の後始末で日本の使者が皇帝に対するとき
皇帝への儀礼として要求されましたが拒否しています。

朝鮮が清の冊封から脱したのは日清戦争の結果で、
下関条約の第1条は清からの独立を認めさせるもの。
一般の方にも読める「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)には
この時に無理やり独立することで清の庇護下から解放させられて
ガクブルの高宗の様子が書かれています。(P319~P341 )

現在の韓国では、属国ではなく「兄弟国」という表現が多いのですが、
実際には壬午軍乱(1882年)の後始末で真に結ばされた
「中朝商民水陸貿易章程」でも属国であることが確認されました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9C%9D%E5%95%86%E6%B0%91%E6%B0%B4%E9%99%B8%E8%B2%BF%E6%98%93%E7%AB%A0%E7%A8%8B

朝鮮が冊封国を維持できたのは、清による虎の威を借りたから。
現在の韓国の国旗である太極旗の原型(諸説あります)は、
1882年に訪日使節団が使ったものです。
そこには日本になめられないように「大清国属」と書かれ、
清の支配下にあることを自称していたことがわかります。



現在の中国がチベットなどを侵略するのは
現代において価値があるから。
紛争で注目される尖閣諸島も、1970年代に国連の調査で
海底資源が指摘されるまで無関心どころか
国の機関紙に日本領と書いていたくらいです。
価値があって与しやすいと思われれば侵略されます。

朝鮮は中国の冊封体制に組み込まれた属国の一つで、
独立国のように見えますが、冊封国と言われるものです。
つまり、すっかり取り込まれていたのです。



華夷思想において、中央は高貴なものとされたのに対し、
周辺の地域は東夷・西戎・南蛮・北狄といわれ、
辺境の蛮族扱いされていました。
このような辺境は直接統治より冊封による間接統治が
効率的と考えられていました。
辺境の国家は冊封されないと国として認められないので
多くは交易もできない状況でした。
冊封国は基本的に中国から内政・外交の干渉...続きを読む

Q1950年代の日本ってもうかなり普通の暮らししてましたか?

1950年代の日本ってもうかなり普通の暮らししてましたか?

Aベストアンサー

東日本大震災から8年、いまだにこの様です。
戦争が終わったのが1945年、日本中が震災に合ったようなものでしょう。「もはや戦後ではない」と言われたのが1956年、10年かかって戦争の後処理がようやく終わった感じだったのではないでしょうか。

Q戦国時代のドラマを見てると軍議の席で武将達がやたら声を張り上げて意見交換してる場面があります。 実際

戦国時代のドラマを見てると軍議の席で武将達がやたら声を張り上げて意見交換してる場面があります。
実際の軍議もあんな大きめの声を出してたと思いますか?
当時の武将達も声が小さめの人や、言葉を噛む人とかいたと思うのですが…
普通の声のトーンで話さなかったのですかね?

Aベストアンサー

実際の軍議もあんな大きめの声を出してたと思いますか?
 ↑
そういう人が多かったと思います。
1,軍議は自己アピールの場でもあります。
 声が大きい方が目立つし、意見も通りやすいのは
 今も同じです。
2,戦国時代の武将の声はとてつもなく大きかった
 と言われています。
 広い戦場で自分の名前をCMするのですから
 大きいことが要求されたのです。



当時の武将達も声が小さめの人や、言葉を噛む人とかいたと思うのですが…
  ↑
そりゃいたでしょうね。



普通の声のトーンで話さなかったのですかね?
  ↑
徳川家康は、部下の自由なディスカッションに任せ
それろじっと聞いていて、最後は自分で決める、
そういう軍議をしていたという話があります。
声がでかくないと、主君の耳に入りません。

Q豊臣秀吉は朝鮮半島南部くらいなら支配できたのではないですか?

豊臣秀吉の朝鮮出兵ですが、朝鮮の首都(漢城)はすぐに陥落し、次に明軍との戦争になり、明・朝鮮連合軍との戦争になって最終的に撤退することになります。

でも、いくら秀吉軍が強いといっても、さすがに明を征服できる力があったようには思えません。

明との衝突を避け、目的を朝鮮半島南部の支配に限定すれば、目的が達成できた可能性が高いと思いますが、どうでしょうか。
そして、毛利や島津、徳川といった、後で逆らってきそうな大大名を朝鮮南部に配置すれば、邪魔者を追い出せますし、一挙両得のように思います。

Aベストアンサー

文禄慶長の役は征明嚮導とか仮道入明と言われたように、
朝鮮は通り道で秀吉は朝鮮を支配する意志がほぼ無いので
秀吉が朝鮮南部だけ統治するということはまずありません。
ただし、思考実験としての可能性を述べてみます。



文禄・慶長の役で、日本が明の参戦で苦戦に陥って
不利になったのは事実と言えなくはないですが、
文禄の役では碧蹄館の戦いをはじめ、第一次・二次平壌城の戦い
慶長の役では第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い等々
ほとんどの戦いで明(と朝鮮連合軍)には戦術的に勝っています。
ちなみに、文禄の役の時に碧蹄館の戦いで大損害を出した明は、
以後は朝鮮の意向を無視して講和に方針転換しています。
さらに慶長の役が終わった後、明史では

  (前略)喪師數十萬,糜餉數百萬,
  中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息
 (明史 朝鮮伝(320巻)26年11月)

  10万の兵を失い、100万の糧食を浪費したけど
  中朝(中国)と属国(朝鮮)には勝算が無かった。
  関白(秀吉)が死んだから終わってくれた。

と書かれていたくらいです。
このように、明とはそれなりの勝負はできているので、
本格的に準備をすればいい勝負はしたと思います。

余談ですが、南原城の戦いで見ても判るように
明は朝鮮南部まで軍を進めています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8E%9F%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
講和がうまくいった場合など、状況にもよりますが、
朝鮮南部だから明が来ないというわけではありません。


日本が勝てなかった理由は兵站が続かなかったから。
(慶長の役を含めるなら秀吉が死んだから)
当時、兵糧はある程度を現地調達するのが常でしたが、
朝鮮はそもそも春窮という言葉があるくらい貧しく、
耕作に適する土地が少ないので収穫は期待できません。
戦時には日本・朝鮮・明がそれぞれ徴発したから
ますます何もなくなりました。
たとえ朝鮮南部に限定して支配しても、
長大な国境線を長期にわたって維持するのは
(明側が意図しなくても)焦土戦術となって
かなりの負担で益は無いと思われます。


ちなみに、今の韓国の歴史認識に惑わされて
朝鮮人は果敢に抵抗した事を憂慮する方が多いようです。
確かに住民の反乱はそれなりにてこずりましたが、
日本が漢城に到着した時、国王は逃走し、町は既に焼かれていて
王子二名を捕虜にしたのは朝鮮人の働きなのは有名な話。
碧蹄館の戦いに先立つ第三次平壌城の戦いで
「日本側の戦死者を調べるとほとんど朝鮮人でした」
というオチが朝鮮王朝実録に書いてあるくらい。
  是日天兵當陣斬獲一千二百八十五級、生擒二名、
  竝擄浙江人張大膳、奪馬二千九百八十五匹、
  救出本國被擄男婦一千二百二十五名。
  (中略)
  李如松 平壤之役、所斬首級、半皆朝鮮之民、
  焚溺萬餘、盡皆朝鮮之民
政策さえ誤らなければ統治できなくはないと思います。

文禄慶長の役は征明嚮導とか仮道入明と言われたように、
朝鮮は通り道で秀吉は朝鮮を支配する意志がほぼ無いので
秀吉が朝鮮南部だけ統治するということはまずありません。
ただし、思考実験としての可能性を述べてみます。



文禄・慶長の役で、日本が明の参戦で苦戦に陥って
不利になったのは事実と言えなくはないですが、
文禄の役では碧蹄館の戦いをはじめ、第一次・二次平壌城の戦い
慶長の役では第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い等々
ほとんどの戦いで明(と朝鮮連合軍)には戦術的に勝っていま...続きを読む

Qなぜ、アフリカには、アジアのモンゴル帝国・ヨーロッパのローマ帝国のような巨大な帝国が、現れなかったの

アジアを、モンゴル帝国が制しました。
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なぜ、アフリカを統治する巨大な帝国が登場しなかったのでしょうか?

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・アジアやヨーローッパは東西に大陸が伸びていたが、アフリカ大陸は南北方向に伸びているので大陸内でも気候帯が変わり、人が移住し難く伝播もし難い。
・労働量に比してカロリーの高い作物を得られなかった。
・熱帯地方特有の病気。
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上記の理由による巨大な帝国に必要な人口の不足と人口の集中が不足したからです。

Q東京大空襲(3/10 2号作戦)とB-29 パス・ファインダー機(投下誘導機)について

この作戦は、超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だったとされています。
この作戦に参加している、B-29 パス・ファインダー機の詳細(配置と機数、目的など)何処かに資料がないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

合衆国公文書館か空軍歴史調査局あたりでしょう。
https://www.archives.gov/research/military/air-force
https://www.afhra.af.mil/

Qなぜ日本は「遺憾」しか言わないのですか?

専門学校生の女です。

最近、大韓民国の理不尽な問題で日本の首相や大臣は何かの制裁をするわけでもなく「遺憾」しか言わないのは何故だと思いますか?

歯痒いです(泣)

Aベストアンサー

歯がゆいのは分かりますが、日韓どちらも相手のことを忖度しなくなったら、待っているのは戦争しかありません。全面戦争にならなくても、イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争とか「言動の応酬がエスカレートした結果」軍事行動になったことはいくらでもあるのです。

日本にとって韓国という国は「旧ソ連・中国という共産国またはアメリカの覇権に挑戦しようとする国=レッドチーム」と薄い壁1枚で隔てているような場所です。薄い壁が韓国で、ここに米軍や国連軍が常駐し、在日米軍もこれらのバックアップをしているから、北朝鮮もまたは北朝鮮を焚きつける中国やロシアも簡単には手を出せないのです。

韓国は文政権になってから「北朝鮮への融和姿勢」が明確になってきています。韓国には親米の保守派と親北の革新派があって、ロウソク革命とよばれる国内紛争で革新派が有利になり文政権が誕生しました。

質問者様もロウソク革命の映像を見たことがあると思いますが、あれほどの規模の人を動員し、ロウソクを配り大きなスピーカーで扇動するには相当なお金がかかるはずで、その費用を北朝鮮が裏から支援していても私は驚きません。

つまり文政権が反日の言動を繰り返すのは「北朝鮮の思惑がある」という認識を持つべきなのです。この点で核兵器をもつ北朝鮮は依然と違って非常に強気になっています。(だから行き着く先は戦争なのです)

日本もアメリカも「どうすれば韓国をこちら側に引き寄せておけるか」を考えています。もしかしたらCIAなどは反ロウソク革命を目指して、資金提供や工作を行っているかもしれません。文大統領の失策が目にみえ市民の不満が高まったところでまた弾劾裁判を行い、親米路線に戻す工作を行っていても不思議はないのです。

ただ、その場合今日本と韓国が言葉の応酬を行い、経済制裁などを行ってしまうと親米(そして親日)の政権になっても日本との間にわだかまりが残ります。親米・親日政権ができる可能性があるなら、今日本はあまり過激な言動をすべきではないのです。

それは結局日本自体の安全保障に関わるからです。

しかし、日本もだんだん過激な言葉使いをし、今年に入ってからは首相や官房長官などの「政府首脳」と呼ばれる人たちが韓国を批難することを躊躇しなくなりました。

これはアメリカ自体が「韓国がレッドチームに入り、北朝鮮主導で朝鮮統一される可能性が強くなり、米軍は半島から撤退する可能性」を探っているからだと言われています。

もし米軍が韓半島を撤退すれば確実に北朝鮮手動で統一されるでしょうし、そうなれば壁がなくなってレッドチームと日米の対立軸は日本海が中心になるわけです。

だから安倍首相はF-35を104機も買おうとしているし、イージス・アショアも導入しようとしてます。

今の日韓関係は単に「日韓の応酬」ではなく「戦後唯一残った冷戦構造の最終解決が侵攻している現場」なのです。
歯がゆいのは理解しますが、戦争にならないように、なっても日本が勝てるようにするには、簡単に兆発にのるべきではないのです。

歯がゆいのは分かりますが、日韓どちらも相手のことを忖度しなくなったら、待っているのは戦争しかありません。全面戦争にならなくても、イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争とか「言動の応酬がエスカレートした結果」軍事行動になったことはいくらでもあるのです。

日本にとって韓国という国は「旧ソ連・中国という共産国またはアメリカの覇権に挑戦しようとする国=レッドチーム」と薄い壁1枚で隔てているような場所です。薄い壁が韓国で、ここに米軍や国連軍が常駐し、在日米軍もこれらのバックアップ...続きを読む

Q徳川家康や秀忠は明を征服しようと思わなかったのですか?

魏忠賢などの悪臣の専横によって乱れきった明朝の末期は徳川家康・秀忠が将軍だった頃であり、鎖国も行っていませんでした。
結果的に明は女真族という辺境の弱小民族によって征服されてしまうわけですが、徳川幕府がその気になれば明を征服するのは容易だったはずなのに、家康や秀忠は明を征服しようと思わなかったのでしょうか?

秀吉の朝鮮出兵の頃は、明もまだ弱体化が進んでいない頃でしたが、その頃とは比較にならないほど弱体化が進んでいたので。

Aベストアンサー

そんなこと、これっぽっちも考えていないと思います。
理由は簡単です。秀吉の朝鮮侵略の悲惨な結果を知っているからです。

日本の戦国時代を代表する武将の中で秀吉だけは異質ですが、それは彼が商人、現代風に言えば経済人の感覚を持っていたからです。当時の日本の経済発展のためには領土の拡大が欠かせなかったと思います。
まあ、しかし、他国への侵略という点においては、身の程を知らないというか、世界を知らないというかバカですね。先進的な欧州の植民地化の手法と比較すると幼稚極まりないと思います。
そういえば、そんなバカが過去にもいました。それは、日出る国の聖徳太子です。この時に現地で中国側と交渉した人物は秀吉の時と全く同じことをしています。現地で先進的な大国の実状を知って、日本側のトップの顔をつぶさないようにして、二枚舌で収拾するという方法です。

徳川家康は、豊臣秀吉の朝鮮侵略の失敗を教訓として300年続く日本の平和な時代の仕組みを作ります。限られた領土で平和を維持するために、大名の取り潰しや、参勤交代などの仕組みをつくりますが、政治的なシステム以外に庶民が作り上げたシステムもあります。それは、徳川300年の間に人口が全く増加していない事実から導かれます。

家康と秀忠は秀吉と同時代に生きていたので、二度とアホなことはしませんでしたが、その教訓を忘れてしまった平和ボケの人々は、明治に入って中国侵略を開始しますが、秀吉の朝鮮侵略から得られた軍事的な反省をなにひとつしていなかったため、最後は悲惨な結果になっています。
日清日露戦争は短期間の戦争であり、当時の日本は、欧米の先進的な兵器に関する各種技術を導入していたため、時代遅れの兵器相手に勝てるのは当然ですが、先進的な欧米諸国ではすでに確立していた兵站システムが全く構築されていなかったことが、日本の決定的な弱点と言うか特性なのだろうと思います。

そんなこと、これっぽっちも考えていないと思います。
理由は簡単です。秀吉の朝鮮侵略の悲惨な結果を知っているからです。

日本の戦国時代を代表する武将の中で秀吉だけは異質ですが、それは彼が商人、現代風に言えば経済人の感覚を持っていたからです。当時の日本の経済発展のためには領土の拡大が欠かせなかったと思います。
まあ、しかし、他国への侵略という点においては、身の程を知らないというか、世界を知らないというかバカですね。先進的な欧州の植民地化の手法と比較すると幼稚極まりないと思います...続きを読む

Q日本の国旗って韓国の国旗を真似したんでしょうか?

日本の国旗って韓国の国旗を真似したんでしょうか?

Aベストアンサー

太極旗は、李氏朝鮮(高宗)時代の1883年が最初
日の丸は、1870年制定


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