グッドデザイン賞を受賞したウォーターサーバー >>

今回の著察権法改正をめぐっては、竹宮惠子さんらの漫画家こ一部からも批判や疑問が出た。ネット上の自由な資料利用が創作活動を支え、読者のすそ野も広げて、日本の漫画の強さの源泉になってきたとの指摘だ。多面的に物事を見るこうした姿勢こそが、文化を生み、育てる。ー2月10日朝日新聞社説より

元々の裾野の意味は山の麓という意味ですが、
ここではどのような意味でしょうか?

A 回答 (1件)

ネットが使えるのだから、GooにもYahooにもある辞書を利用しない手はない。



大辞林 第三版
すその【裾野】
① 山麓さんろくの広くゆるやかな傾斜面。
② ある物事の周辺部分。 「学問の-を広げる」


岩波国語辞典 第七版
山のふもとが、ゆるやかに広がった野原。
▷比喩的に、物事が広い範囲にわたるさまに言う。「自動車産業は―が広い」


新明解国語辞典第七版
すその【裾野】
火山などのふもとに広がる、ゆるく傾斜した野原。
富士の-
-の広い〔=広い範囲にわたる〕協力関係
文化の-を広げる



デジタル大辞泉はちょっと解釈が違う。
すそ‐の【裾野】
1 山麓の緩やかな傾斜地。
2 上部にあるものを支える基礎になるもの。「科学教育の裾野」
    • good
    • 2
この回答へのお礼

▷比喩的に、物事が広い範囲にわかるさまに言う。が、今回の答えですね。丁寧にお答えして頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2019/02/12 21:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「一人」は訓読みで「ひとり」 「二人」は訓読みで「ふたり」 では「三人」やそれ以降は訓読みでなんと言

「一人」は訓読みで「ひとり」
「二人」は訓読みで「ふたり」
では「三人」やそれ以降は訓読みでなんと言うのでしょうか?やはり「みひと」?
平安時代どの様に人を数えていたのか知りたいです。

Aベストアンサー

>では「三人」やそれ以降は訓読みでなんと言うのでしょうか?
みたり、よたり、いつたり、むたり、ななたり、やたり、ここのたり

Q「ライブ演奏」、あるいは「ライヴ演奏」?

アンケートカテゴリーがなくなったので、こちらで質問させていただきます。

【質問】書き物をするときに、皆さんはどちらの表記を使われますか?

1a ライブ演奏
1b ライヴ演奏

2a ボーカル
2b ヴォーカル

3a ビビッド
3b ヴィヴィッド
( vivid の意味です)

私は書き方にいつも迷うので質問しました。なお、これについて持論をお持ちの方は教えていただくと助かります。

Aベストアンサー

ライブ演奏
ボーカル
ビビッド

を使います。
出版社の下請けのような仕事(原稿作成)をしているのですが、外来語については表記のゆれを防ぐために「記者ハンドブック 新聞用字用語集」のルールに従って書いています。
この本によれば、基本的には「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ、ヴュ」を使わず「バ、ビ、ブ、ベ、ボ、ビュ」で表す、とのこと。
個人的な文章なら好みでカタカナを選んでいいと思いますが、なにか拠りどころが必要ならこういったガイドブックをお勧めします。

Q『教会の時計台が見える。』という文、主語は『時計台が』らしいのですが何故でしょうか。 『私は教会の時

『教会の時計台が見える。』という文、主語は『時計台が』らしいのですが何故でしょうか。

『私は教会の時計台が見える』のように、『見える』のは『私』などの人?であって、時計台は見られる方なのでは?と思ってしまいます。

中学2年生レベルで解説お願いします。

Aベストアンサー

学校の国文法では、
『教会の時計台が見える』の主語は『教会の時計台』
と教えられます。
ちなみに『私は教会の時計台が見える』は間違いで『私には教会の時計台が見える』が正しい文です。『私には』は『見える』の修飾語であり、主語ではありません。

Q日本語について聞きたい。 ①1月30日に、ある正社員は、何回無断欠勤したため、会社に解雇処理された。

日本語について聞きたい。

①1月30日に、ある正社員は、何回無断欠勤したため、会社に解雇処理された。それでも、この人はどうしても会社へ退職手続きをしに来ない。電話にも出ないし、メールの返事もしない。


②1月30日に、ある正社員が、何回無断欠勤したため、会社に解雇処理された。それでも、この人はどうしても会社へ退職手続きをしに来ない。電話にも出ないし、メールの返事もしない。


①と②はどっちのほうがよい⁉️

Aベストアンサー

①「ある正社員がいるのですが、その人がどんなことをしているのかお話しします」という意図の場合⇒ある正社員は~。
・ある正社員について話してみれば・・・、というニュアンス。

②「ある正社員がいて、どうしても会社へ退職手続きをしに来ない。電話にも出ないし、メールの返事もしない。という状態です」という意図の場合。⇒ある正社員が~。
・「どうしても会社へ退職手続きをしに来ない。電話にも出ないし、メールの返事もしない。」という正社員がいます、というニュアンス。


1月30日、ある正社員 [ は / が ]、何回も無断欠勤したという理由で、会社に解雇された。それでも、この人はどうしても会社へ退職手続きをしに来ない。電話にも出ないし、メールの返事もない。

Q重複はジュウフクと読むけど、慎重はシンジュウと読まない。なぜ?

ほんの思い付きの疑問です。

重複は「じゅうふく」という読みがほとんどOKになり、辞書にも載っています。
しかし、慎重を「しんじゅう」と読むのはほとんど聞いたことがありません。
誤字変換が多いIMEの漢字変換でも出て来ません。

「リストに重複がないかどうか、慎重にチェックしてください」を「ジュウフクがないか、シンジュウにチェックして」と言ったら、「シンジュウ?」と聞き返されるかもしれませんが、ジュウフクはおそらく見逃されます。

同じ「重」の読みなのに、なぜ変わるものと変わらないものがあるのか?と疑問に思いました。

ジュウフクは「重はジュウと読む」という固定観念からジュウフクに変わったのだと思います。
ならば、なぜ、慎重はシンジュウと読み間違えられないのか?

時の流れによって変わる言葉と、変わらない言葉は何がちがうのでしょうか?
それとも、慎重も、20年後にはシンジュウになっているのでしょうか?

Aベストアンサー

>学校のテストで、重複をジュウフクと書いても×にならなくなったのはいつ頃からでしょう?

良く分かりませんが、平成13年版の辞書には「ジュウフク」でも OK になっていますね。
私が学校で習った当時は「重箱読み(ジュウバコヨミ)」と云って、NG の代表とされていました。

本来の 日本語は、
「重(ジュウ)」は、主に「おもさ」を表す言葉に使います。
「重(チョウ)」は、主に「かさなる」の意味に使います。

普段使う言葉で「重」を「チョウ」と読むのは、「慎重」の他に
「重宝」「丁重」等がありますね。
尚、「自重」は、「ジジュウ」と「ジチョウ」では 意味が違いますね。

Qこの写真の「令」は間違いでは?

写真の「令」の縦棒の最後が、どう見てもハネ上がっているように見えますが、止めるのではなかったでしょうか。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

新聞には、「縦棒」の最後は「止め」でも「ハネ」でも良いと書いてありましたよ。

Q「良かったです」「素晴らしいです」はもう世の中に認められたのでしょうか。

「歌わないです」について、間違った文だという質問が出ています。
(回答しようとしたらこの人からブロックされています。どうしてブロックされたか全く心当たりがありません。仕方なく、質問の形で話に加わります)

 形容詞「素晴らしい」に「です」をつける言い方は、一部の人にあり得ないと判断されています。これは本来、「素晴らしゅうございました」といったものです。ところが「ございます」を使う人があまりいなくなって、「形容詞」を丁寧形で表現することが出来なくなりました。そこで登場したのが「素晴らしいです」です。ところがこれに対する賛成者は<少ないです>。
そして、それに加えて「過去形」までもが加わってきました。「素晴らしっかったです」「よかったです」「楽しかったです」。否定的な人々には、一層違和感が加わりました。ではどう言えばいいのか。「素晴らしゅうございました」「楽しゅうございました」
 いくら何でも、そんな古めかしい言い方に戻れるものかという否定派は今もあります。ところがここでまた、「素晴らしかったです」「よかったです」を、「素晴らしかったでしょう」「良かったでしょう」と、「う」をつければスラスラ通じてしまいます。こんな話がこのサイトでも続けられてきました。
 さて、今度の質問は「歌わないです」が間違っているという話。これが、「美しくないです」だったらどうなるのでしょう。「歌わない」の「ない」は打消の助動詞。「美しくない」の「ない」は形容詞。「形容詞」+「です」は間違いという人がいても不思議ではありませんが、「助動詞(ない)」+「です」はあっても、また不思議ではない。(「ません」が普通ですが)
 皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。

「歌わないです」について、間違った文だという質問が出ています。
(回答しようとしたらこの人からブロックされています。どうしてブロックされたか全く心当たりがありません。仕方なく、質問の形で話に加わります)

 形容詞「素晴らしい」に「です」をつける言い方は、一部の人にあり得ないと判断されています。これは本来、「素晴らしゅうございました」といったものです。ところが「ございます」を使う人があまりいなくなって、「形容詞」を丁寧形で表現することが出来なくなりました。そこで登場したの...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやすく、私も勉強になりました。(私は、意味がほぼ同じで活用などが同じなら、品詞をごちゃごちゃ議論することもないだろう、という怠惰な考えだったので、あまりまじめに考えたことがありませんでした。要は、同じ語形が「多少」違った使い方をされるだけで、「基本的な」ところは一緒だろう、と思っているのです。)

皆さんが触れられていない点で、私が重要だと思うのは、「です」にも2種類ある、という考え方です。
これは、たぶん私の学生時代(ン十年前です)から言語学のほうではそうだったと思うのですが、確証はありません。私はずっとそう考えてきました。
今回、改めて国語辞書の記述を見、辞書の付録の「助動詞活用表」などを見て、「です」が一つしかない(「丁寧な断定」という用法)ことにちょっと驚いたくらいです。まあ、国文法の分析が言語学(少し前の「日本語学」)と違うのはよくあることですが。

かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

上に書いたとおり、「です(1)」のほうは、「だ」の丁寧な形、です。「断定」(この用語は好きではありませんが)の助動詞で、丁寧さによって形が分化します。
   学生 だ/です   まじめ だ/です

それに対して、「です(2)」のほうは、「だ」とは対立しません。
   美しいです (×美しいだ)
この「です(2)」は、「断定」の機能を持たず、「美しい」という、すでに「断定」の機能を持った言い切りの形に「丁寧さ」を加えているだけです。つまり、「断定」の助動詞ではなく、「丁寧」の助動詞です。(動詞文の「ます」に対応します)

また、「です(1)」は活用を持ち、「でした/でしたら」という形になります。
   学生でした   紅葉の名所でしたら、例えば、、、
(「でしょう」を活用形とは考えません。「だろう/でしょう」は一語の助動詞と考えます。)

それに対して、「です(2)」は活用を持ちません。
   ×美しいでした (美しかったです)  ×美しいでしたら (美しかったら)

(ここで、「美しいなら」の「なら」を、「だ」の活用と見るか、という問題も関係するかもしれませんが、まあ、これは「なら」をどう考えるかという、もっと複雑な問題になります。私は、「だ」と「なら」は、少なくとも現代語では、別物と考えます。)

ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。

ちょっと話の流れを変えます。
日本語の文の分析法として、文を「命題+モダリティ」という形で考えるということがあり、かなり一般的になっています。(国語学では「叙述+陳述」という、似た考え方が昔からあります。)

これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。
これは、用言のいわゆる「活用形」や助動詞によって表されるわけです。「ね」や「よ」などの終助詞もモダリティを表すとされます。

ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。
前からの呼び方では「文体」の一つの要素なのでしょうが、それは文を文として成り立たせる必須の要素、つまり「文法」の一部なのか。

で、私の考えでは、「形容詞+です」の不安定さは、この、「丁寧さ」が文を終結させるためのモダリティとしては不十分だ、というところにあるのではないか、となります。

「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」は、「断定の助動詞」に丁寧さが加わったもので、立派な(文を終結させる「力」を持った)モダリティですが、
   学生/まじめ です(断定+丁寧)
「形容詞+です」の「です(2)」のほうは、「丁寧さ」だけの機能しかないので、
   美しい(断定?)+です(丁寧)
という形が、文の終わり方としてどうも安定しない、と感じられるのではないか。

「美しいです」が不自然だという人も、「美しいですか/ね/よ」などにすると安定するように感じる、というのはなぜか。これに対するうまい説明は今のところないように思うのですが、どうでしょうか。(単に私が知らないだけかも)
終助詞「か/ね/よ」が文終結のモダリティとしての機能を持つからだ、と考えるとうまく説明できます。
   美しい+です(丁寧)+ね/よ/か(確認/主張/質問など)
もちろん、「でしょう」をつけても、「でしょう」の持つ「推量(あるいは確認)」というモダリティによって文として安定します。
   (たぶん)美しいでしょう。
   (どうですか?)美しいでしょう?

これは、世代が違ってもあまり変わらないようで、今の若い人も「形容詞+です」には何らかの不安定さを感じるようですが、どうでしょうか。
「「ね」や「よ」をつければ自然だから、変じゃないよ」というのは、上に述べたように「形容詞+です」の弁護にはなりません。

以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。
(さらに、「文が終わる」とはどういうことなのか、「文成立の要件」となると、もう、根本的な議論になり、わけがわからなくなります。「文とは何か」ですから。)

この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。

   「どうですか?」「いやあ、なかなかがんばってますねえ。面白いです!」

などと、ある種の強調を込めた言い方をすると、それなりに自然な文として成り立つように(私には)思われます。
(語調が(文終結の)モダリティの機能を肩代わりする? 語調が文の意味を変えることは、「ある。」「ある?」など、ごくふつうのことです。単に「歩く。」と言うと描写あるいは意志に過ぎませんが、「(さっさと)歩く!」とある語調で言うと「命令」になります。)

なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。

「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやす...続きを読む

Q「五月雨ですみません」という日本語について

日本語を勉強中の中国人です。「五月雨ですみません」という日本語についてお伺いいたします。この言葉はビジネスメールでよく使われるのでしょうか。ネットでも調べてみたのですが、正確は「五月雨式ですみません」となっているでしょうか。基本的には目上の方にも使える用語でしょうか。それとも同輩とそれ以下で使われるのでしょうか。

ある件について目上の方に何度もご連絡した場合、メールの冒頭に置くクッションの言葉としては、「五月雨ですみません」、「度々失礼いたします」、「何度もご連絡して申し訳ありません」などどれが好感を持つ言い方でしょうか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

(「さみだれ」が少しずつ繰り返し降ることから)継続しないで、繰り返す行動などについていう。「さみだれスト」
 さみだれ(五月雨)が降るかと思えば降らなかったり、降らないと思うと急に降ったり、気まぐれなことを、人間の行動にたとえたものです。見方によっては相手への嫌がらせです。
 結論としては印象の悪いことですから、注意して用いてください。こちらのやり方が相手にとってあまり好ましくないことを、冗談のように表現したものです。

Qこのカードはどこででも使えない

このカードはどこでも使える。
の否定は
このカードはどこででも使えない
でしょうか。

Aベストアンサー

No.9でコメントした者です。

 連投の形になりますが、まったく別の考え方が浮かんだもので……。
 詳しくは下記をご参照ください。
【どこでも どこででも 教えて!goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12442791113.html

 ことば会議室の識者がやり取してもよくわからないのだから相当のな難物、と諦めかけていたのだが、妙なことを思いついてしまったんでメモを残す。ツッコミはやさしくお願いします。

 まず、品詞分け(めったにしないんだけど)から考えるべきなのでは。
「どこでも使える」の「どこでも」は、2種類ある。ひとつは、「どこ+で+でも」の「で」が省略された形。もうひとつの「どこでも」は「どこ+で+も」という考え方をするべきでは。
 で、まず辞書で「でも」をひいておく。
(略)

⬛︎「どこ+で+でも」の「で」が省略された形
 まずはこちらから。
 説明の都合で「どこへでも行ける」「どこにでも貼れる」をあわせて考える。

1)どこででも使える → どこでも使える
2)どこへでも行ける → どこでも行ける
3)どこにでも貼れる → どこでも貼れる

 3つを比べてみるとわかるが、これは「同音脱落」ではない。「助詞の省略」だろう。
 助詞を省略することで意味やニュアンスがどうかわるのかを考える気はない。両方とも同じように使える、以上のことはお好きな人がどうぞ。あえていえば、省略したほうがカジュアルでな感じで話し言葉っぽい。それ以上はパス。
 個人的には、フォーマルな感じで書き言葉っぽいほうがいいと思うが、それもケースバイケースだろう。「どこへでもドア」だと相当おかしい(笑)。
「助詞の省略」に関して詳しくは下記をご参照ください。
【学者の言葉〈1〉──無助詞文あるいは助詞の省略】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2295.html
 簡略版は下記?
【日本語の無助詞の文についての質問です】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1091194150

⬛︎「どこ+で+も」
4)A店で(も)使える。B店で(も)使える……どこで(で)も使える
5)北海道へ(も)行ける。海外へ(も)行ける……どこへ(で)も行ける
6)金属に(も)貼れる。ガラス面に(も)貼れる……どこに(で)も貼れる
 ※右側のように(で)を入れると強意だろうか。(で)がなくても意味は通じるが、あるほうが語呂がいいかもしれない。
 
〈2)どこでも行ける〉と〈5)どこへも行ける〉を見比べれば、違いはすぐにわかる。
〈3)どこでも貼れる〉と〈5)どこにも貼れる〉を見比べれば、違いはすぐにわかる(当方の知識だと簡潔に説明するのはむずかしいが)。
 ところが、〈1)どこでも使える〉と〈5)どこでも使える〉は形が同じなので見分けがつかない。これが混乱のものだろう。
 まあ、「どこででも/どこでも」の場合はどちらも同じように使えることにかわりはないけど(泣)。

 ちなみに、1)〜6)を見比べていると、もうひとつ妙なことに気づく。
 下記のような使い方が自然なのでは。

 どこへも行けない  ……否定文
 どこ(へ)でも行ける……肯定文
 どこにも貼れない  ……否定文
 どこ(に)でも貼れる……肯定文 
 
 つまり、質問者が最初に考えた肯定/否定の考え方が復活している。あれ? 肯定/否定の関係が逆になってる?
 いずれにしても、「どこでも/どこででも」の場合は「で」が重複しているので、語感が働きにくいのでは。

 もうひとつちなみに、個人的な語感で書かせてもらうと……(たまにはいいよね)。
「どこ(で)でも使える」の否定は……。
 全否定なら「どこでも使えない」になる。↑の肯定/否定の考え方をするなら、否定文で「どこででも」を使うのはおかしい気もするが、実際にはどちらももOKだろう。個人的には、こうは言わない。
「このカードは使えるところがない」くらいじゃないだろうか。
 部分否定なら「どこででも使えるわけではない」だろうか。個人的には、こうも言わない。
「すべての店で使えるわけではない」「使えないところもある」くらいじゃないだろうか。
 このあたりは個人的な語感の問題なので、強く主張する気はない。

No.9でコメントした者です。

 連投の形になりますが、まったく別の考え方が浮かんだもので……。
 詳しくは下記をご参照ください。
【どこでも どこででも 教えて!goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12442791113.html

 ことば会議室の識者がやり取してもよくわからないのだから相当のな難物、と諦めかけていたのだが、妙なことを思いついてしまったんでメモを残す。ツッコミはやさしくお願いします。

 まず、品詞分け(めったにしないんだけど)から考えるべきなのでは。
「どこでも使える」の「...続きを読む

Q引き続きの質問です。 「ふみ」と自分のスマホで入力したら予測変換で「道」が出てきたのですが、道という

引き続きの質問です。

「ふみ」と自分のスマホで入力したら予測変換で「道」が出てきたのですが、道という漢字はふみとは読まないんですか??

でも確かに、どこ調べても「道」は「ふみ」と読まないみたいで混乱しています。

シメジというキーボードアプリで「ふみ」と入力すると予測変換でずーーっと下の方に「道」が出てきました。

僕のスマホがおかしいのでしょうか?
それとも、「道」を「ふみ」と読める可能性があるのでしょうか?

Aベストアンサー

「道」は確かに歩く時、「踏む」ものですから、誰かがそう読み始めたら使う人があるかもしれません。今まで目立たなかっただけかもしれません。そう読んで不思議というものでもありません。


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング