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戊辰戦争の頃の新政府軍(薩長軍)の装備について教えてください。とくに三角の帽子(陣笠?)、黒の軍服は何に由来するものなのでしょうか。また紅白の軍旗についても教えてください。

A 回答 (2件)

 No.1です。

再度答えさせてもらいます。

 黒ずくめの服装については、別に薩長の専売特許ではなく、天保11(1840)年には高島秋帆が考案した筒袖・裁付(たつつけ)袴に始まって、安政3(1856)年講武所調練で用いた服装、嘉永6(1853)年江川担庵が調練に用いた筒袖・裁付袴など和装ですが全身黒いです。

 慶応3(1867)年、幕府がフランスの教官を招いて編成した伝習隊が、洋服の軍服を初めて採用しています。これと前後して、幕末の筒袖・陣羽織の調練服に変わり、各藩にも改良服の軍服がう生まれました。幕末、幕府歩兵1連隊兵士も両腕に白線があることを除いて薩摩藩銃隊士と同じ黒い洋装の軍服です。

 薩摩藩銃隊士が被ってる3角の薩摩藩陣笠についてですが、戦国時代から足軽の陣笠は3角です(あまり尖っていませんが)
 前述の高島秋帆が考案したトンキヨ笠は、前につばが付いていることと横に耳当てが出ていることを除いて薩摩藩のものと似ています。

 絵についてご覧になりたい時は『ビジュアル版 史料日本歴史図録』/笹間良彦編著 (5800円)をどうぞ

この回答への補足

トンキョ笠などの三角の笠は、ずいぶん尖っているように見えたのですが、どんな利点があったのでしょうか。(黒の色は、フランスのマネという感じなのでしょうか)たびたび質問で、すみません。

補足日時:2004/11/26 21:34
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この回答へのお礼

ありがとうございました。よくわかりました。さっそく図録を探したいと思います。

お礼日時:2004/11/26 21:34

 薩長同盟の前、井上聞多(馨)、伊藤俊輔(博文)が薩摩藩士になりすまし、薩摩藩のために長崎の武器商人グラバーからゲーベル銃3000挺、ミニエー銃4300挺の買い付けに成功しています。

どちらもアメリカの南北戦争の終結によって不要になったセコハンの銃ですが日本にとっては、近代的な銃でこれが使われたのではないですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。戊辰戦争絵巻(鳥羽・伏見の戦い:鹿児島黎明館蔵)http://reimeikan.pref.kagoshima.jp/kgs04_s2_2.htmにある黒ずくめの新政府軍の服装について分かればよろしくお願いします。

お礼日時:2004/11/25 15:51

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Q幕末・官軍の服装について

 ずっと気になっていたことなのですが、幕末・官軍(記憶の中では恐らく薩摩藩だと思われます)の頭と思われる人たちが被っている、紅白のカツラのような被り物は何なのでしょうか?末兵が着けているのは見たことがなく、それなりの地位のある人物が着けるものなのかな…とは考えているんですが、そのもの自体の呼び名やどういう意味を持つものなのかが分かりません。そのため、自分で調べることも出来ず・・・。申し訳ないのですが、どなたか教えていただけないでしょうか?

Aベストアンサー

色によって官軍の藩を表し、白熊(はぐま)が長州、赤熊(しゃぐま)が土佐、黒熊(こぐま)が薩摩だっとされます。
しかし実際には、個人個人でばらばらだったという説もあります。俗説のようです。
これは江戸城の蔵に収納されていた「ヤクの毛」で製作されたものです。時代劇でも江戸開城のあとでなければ、官軍はこの服装はしていないはずです。

Q幕末の新政府軍の服装について

幕末の新政府軍の兵士はどんな服装をしていたのでしょうか?

Aベストアンサー

指揮官クラスの一部は薩摩藩が英国から購入した洋服の軍服を着て
いましたが、雑兵のほとんどはとりあえず着てこられるものを
そのまま着ていました。侍だけでなく、農民や町人で戦に参加して
いるものもいます。

幕軍の方も似たようなもので、欧州の軍艦引き取りなどに行った
榎本武揚などは洋装で戦っていますが、大抵の下級藩士はあり合わせの
服装や武具で戦っています。

永きの太平に渡る江戸時代の間に、先祖伝来の武具が(刀はともかくと
して)実用にはとても耐えるものではなくなっていたものが圧倒的に
多いといえるでしょう。鎧・兜等も欧州型の新式銃の前には重いだけ
でした。

Q幕末~明治初期の鎧兜について

今日映画「ラストサムライ」を観てふと疑問に思ったのですが、たぶんモデルとなった西南戦争時代の武士の戦闘服?ってどういうものだったのでしょう?
映画では戦国時代のような鎧兜を身につけて闘っていましたが、これはフィクションだと理解しています。
それとも本当に当時でも鎧兜を身にまとい戦っていたのでしょうか。
私の記憶では戊辰戦争の頃にはすでに鉄砲・洋装だったと思います。

※映画にケチをつけているわけではありません。
映画はフィクションですのであれはあれでいいのですが、単純な疑問です。

Aベストアンサー

こんばんは

アノ設定された時代(mole_mole さんの指摘している西南戦争時代頃)は、西洋よりの戦術、戦闘方式は日本に紹介され、熱心に学び教育した藩もあります。それらの藩は、やはり洋装が主で、火縄銃も西洋式に改装された銃を用いました。

一方、心得ある武士階級の人々は、戦国時代と同様の鎧兜を身に付けてもいました。
戦国時代同様の鎧兜は実戦に使用する実具として「働きの甲冑」と呼びますが、江戸の泰平期にはほとんど需要が無く、江戸期には、先祖の武功を称える伝来をつけた虚飾の多い飾って見栄えの良い鎧兜を主に作っています。
これは「飾り甲冑」とよび、現在の5月人形のような物です。当時の工芸の芸術品でも有ります。

で、幕末期に、にわかに世の中が騒がしくなると鎧兜の必要性が出てきましたが、残念ながら、虚飾の多い江戸期の鎧兜は実戦にはあまり向いていないので、戦国期から残っている物(先祖伝来とは少しニュアンスが違います。)を修理したり、勿論、働きの甲冑の先祖からの伝来品があれば、其れを着用して、戦に望みました。

ですから、アノ映画での鎧兜を着用しての戦闘シーンは、フィクションではないでしょう。むしろ、虚飾の少ない「働きの甲冑」を使用している事など、史実をよく分析していると思います。

余談ですが、幕末期の武士には鎧兜着用の心得の無い人も多く、袖を左右逆に付け着用法を間違っている武士の姿が写された写真が、現在に伝わっています。

少しでも参考になけば、幸いです。

こんばんは

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Q戊辰戦争で一体どれくらいの死者が出たかわかる人はいませんか?いたら教え

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高校の教科書で掲載されてる内容だと・・
全体:戊辰戦争の犠牲者数8420人、
その内、
・新政府側3550人
・旧幕府側4690人

さらにその内、
・薩摩藩514人、
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以上になります

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Aベストアンサー

「赤熊(しゃぐま)」「白熊(はぐま)」「黒熊(こぐま)」と言われる物ですね
戊辰戦争の時に新政府軍の指揮官が付けていた物で藩によって色が違います
詳細は長州や薩摩について調べるか「赤熊」等の名称で調べるとわかると思います


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