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初めて質問をさせていただきます。
生死に対する興味についてです。
大変不謹慎かつ、この質問を見て不快な思いをする方もいるかもしれません。
失礼を承知の上質問させていただきます。

私は23歳の女です。大学を出て、社会人になりました。

私は死に対して興味(憧れのようなもの)を持っています。
今回質問したいのは以下二点です。
*私と同じように死ぬことに対して興味を持っているような方はいらっしゃいますか?(漠然とした死にたいという気持ち)
*死にたいと思いながらもどうやって生きておられますか?

私は幼い頃から希死念慮のようなものを持っており、ことあるごとに死にたいなと思いながら生きてきました。
元々生命力?のようなものが人よりも少ないです。

感受性は強めで、喜怒哀楽もしっかりしています。
そのため人の死に対してはとても悲しみ、他人や家族には心から生きていてほしいと思います。
ただ、自分は常に死にたいのです。何かに絶望したわけでも無く、ふと日常の中で死を考えるのです。
とても矛盾していて、ここまで育ててくれた家族に対してもとても失礼なことだと分かっています。
ただ、年々、死にたい思いが強くなるのです。
私が今生きている理由は私が死んだら私の親が悲しみのあまり自殺してしまうことを分かっているからです。
親を愛しているからそれだけは避けたい。
だから私は何かの間違いで衝動的に死んでしまわないように、気をつけて生きています。

生きていて楽しいと思うことも沢山あります。
私はよく笑うし、よく泣きます。心の許せる友達や家族もいます。だから病んでいるわけではありません。(おそらく…)
空を見て美しさに感動して涙したり、
映画を見ては泣き、友人にサプライズでプレゼントをもらっては泣き、人が悲しい思いをしたという話を聞けば私も共感してともに泣きます。
ニュースで虐待だったり殺されたりした人の話を聞くと、悲しみのあまり私も泣いてしまいます。
代わりに私が死んであげたかったと泣きます。

それなのに、ふと、次の日、死にたくなったりするんです。
死に対して憧れを抱いているのか、ただの興味なのか、自分でもよくわかりません。
感受性が豊かなあまり、小さな喜びでさえ大きな幸せに感じてしまう分、大したことないつらさや悲しみでさえ人よりも大きな悲しみに感じてしまうせいでしょうか。

死に対しての恐怖はありません。
(ただ死に伴う痛みに対しての恐れは持っています。)
死は安らかなもので、解放のようなものだと考えています。
たった23年間しか生きていないのだけど、
私はこの世界から解放されて死にたいのかな、と考えています。自分でもよくわからないのです。
この気持ちを誰からも理解してもらえない苦しみと今日まで引きずって生きています。
死にたい。けれど生きなければならない。
でもどうやって生きればいいのか、わからない。
周りの人のような生に対する執着心が欲しい。

こんな話を家族にすると、
きっと精神科に連れていかれるし、
友達にすると友達は驚いて怖がるだろうし、
誰からも理解してもらえないと思い
初めてこういう場で答えを求めました。

命は重いものだと分かっているのに、
自分の命のことは軽くみている。
そんな人間である自分を恥じています。

そんなに死にたいなら死ねばいい、とか、
生きたいと願いながら死んでいった人に失礼とか、
そう思う人もいるでしょう。
それでも死に対する興味や憧れを抑えて、私は少しでも長く生きることを頑張りたいと思っているのです。
失礼を承知の上での質問です。

アドバイスでもどんな気持ちの上での言葉でも構いません。言葉をください。

A 回答 (6件)

それなら生と死を行き来できればきっとこんなに悩まないのにと考えたりもします」←有限と無限が一つに重なると 有限が不要になる・・



無限世界だけでは 心を成長させる事や子孫を残す事が出来ないので 有限世界が必要になる・・

あなたに解かる筈は無い・・

歴史的有能な学者だって知らなかった事・・
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軽くいこう


体気をつけます、ありがとうございます!
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なにかに挫折やくじけて死にたいのですか?それともただ生きるのもだるいのですか?



親が悲しむ、わかってるから生きる、それでいいかも

自分がいなくなったら困る人が両親二人もいるのなら充分理由になると思います、死んじゃいけないんです

自分は死んでラクチンかもしれないけど残された者はたまりません
やめてほしいです

生きてりゃささいだけど嬉しいことや楽しいこと、たまにはあるでしょ
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この回答へのお礼

生きていると色々な感情を受け取ってしまい
心が疲れてしまうことが多く、
このような考え方の人間になってしまいました。

残されたものがどれだけ大変か、
実は経験しています。
私が大学生の頃、
近しい親族が自殺したことがあります。

だからあなたの言葉も痛いほど胸に響きます。

死ぬことだけはどうにか避けたい。
自分の中の理性がそうやって
私を生かしています。
どうにか、どうにか、私も生きてみるので、
あなたもお体に気をつけてどうか幸せに生きてください。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2019/02/13 16:01

こんにちは。



思うに、あなたは今まで「夢中になれることが少なかったので
はないか」と思うのです。

人間死にたく思うことなんてザラなのです。お父さんお母さん
と腹を割って話せば、きっとお父さんお母さんも今までに死に
たいと考えた事くらいあるはずです。小学生高学年くらいから
死にたいと思うことが出てきて、社会人なら考えた事の無い人
の方が珍しいに違いないと思います。

なら何故生きているのか。実際は死ぬことを恐れて行動にうつ
せないと思うのです。死に対する恐怖って、単純に死ぬ事だけ
ではなく、周囲、そして残される人が悲しむことも含まれると
思います。

私は単純に死ぬことに関してはそれほど恐れていません。せい
ぜい死んだらまだ続いてるネトゲや連載途中の漫画がどうなる
か気になるな程度です(あなたの倍くらい生きているので、痛
いのでさえ、出来れば痛くない方がいいなレベルです)、こん
な人ザラでしょう。しかしこちらもザラだと思うのですが、周
囲の人間、特に残される家族があるから、死ねないのです。

これは責任感からきていると思います。

頑張って生きたいというなら、夢中になれることを見つけるこ
と、そして、自分の周囲に対する影響力、責任感を身につける
ような考え方をもてばいいのではないでしょうか。

ペットを飼ったことがなければそれも手段かもしれません。あ
なたが面倒みなきゃ死ぬというものがいれば、自分が死ぬなん
てとんでもない、と思うようになるかもしれません。


>死は安らかなもので、解放のようなものだと考えています

そういう死は、寿命で死ぬ時だけだと思うのです。
自殺、あるいは病死・怪我などの寿命とは言えない死は、安ら
かなものというより、電池が切れたような、やり残したものも
放置となる、残された人間からみれば、中途半端で投げ出すだ
らしない終了となる、と個人的には思います。
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この回答へのお礼

はじめまして。

確かに、私は今まで心から何かに夢中になったことがないかもしれません。部活に明け暮れることも、趣味に没頭することもなかったかもしれません。
私の性格上どこか物事を冷めた目で見てしまうところがあります。
そんな私にもなにか夢中になれるものが見つかればいいのですが…。

親が悲しむという理由が死に対する恐怖に値すると考えたことはありませんでした。確かに言われてみるとそう考えられますね。それが今日生きる理由の1つでもいいかもしれません。いつかもっとポジティブな生きる理由が見つかるまでそれにすがって生きてもいいのかもしれません。

電池が切れるという言い回しに妙に納得してしまいました。私の今の生き方は間違いなく電池を消耗しているような生き方です。このままだといつか切れてしまいそう。私はきっと、電池を消耗するように生きるのではなく、命を燃やすようになにかに熱意を注ぎながら生きることを心のどこかで切望し
ているのでしょう。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2019/02/13 15:54

産まれた時点で 死ぬ事は決まってます・・



生死は同じ位置にある・・

死は 単に 有限な身体から 無限な身体に なるだけ・・

その為 見える身体と 見えない身体(心)が存在する
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この回答へのお礼

はじめまして。
生と死は表裏一体。わかる気がします。
それなら生と死を行き来できればきっとこんなに悩まないのにと考えたりもします。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2019/02/13 15:46

20歳女です、年下が失礼します。


私も似たような死生観を持っています。
生への執着が少ないというか。
ただ状況はちょっと違うかもしれません。私はバックに母親からの虐待があり
自ら死のう死のうとしていた時期があったのですが、虐待から解放された今でも
いつ死んでもいいと思っています。
何か計画を立てるときも、その時に生きているかわからないから直前まで決めないようにしていたりします。
死や生に対する考え方は人それぞれだし
誰かに強制されるものでもないし
他人からの指摘によって無理に変える、抑えるものでもないと思っています。
なので私はそういう人間なんだと受け入れそのまま生きています。
生への欲求、執着が少ないという点では動物の一個体としては劣っているのかもしれません。
だからなんだ?そんなのどうでもいい関係ないって思うくらいには開き直っています。考え込むと病むから。
そういう種類の人間なんです。
きっとこの世界に一定数はいます。
別に自ら死のうとしていないなら、
そこまで悩む必要はないと思います。
惰性で生きてりゃいいんですよ。
いつか必ず死ねますから。
いまいち回答になってなくてすみません。
思わず同じような方を見つけたので飛びついてしまいました。
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この回答へのお礼

はじめまして。
生きることへの関心がない自分を嫌悪しておりましたが、そういう考え方もあるのですね。
そういう考えをもって生まれた人間だと自分で自分を認めてあげることも大切だと思いました。
少しでも似た考えの方がいてくれて少し嬉しいです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2019/02/13 15:42

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