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説明できることですか?

質問者からの補足コメント

  • 散逸構造の理論は 人文・社会科学の分野としては ケ・セラ・セラと
    〔安心して言えると〕言っていますか?

    単純に運命のさだめのごとく決まった単一方向にのみすすむかたちで 
    ほろびることはないと。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/17 08:50
  • ★ 人文科学は以前の主張を修正しながら発展してきましたが、自然科学
    は以前の主張を拡張しながら発展してきた。・・・

    ☆ ニュートンを――まるきり否定してではなくそれを――超えてアイン
    シュタインが出て来たという話は 承知していたのですが。

    ★ 自然科学の発展は以前の理論が間違っていたことを示すことではなく、
    以前の理論を内包するように拡張してきたところにあります。
    ☆ という事態の一般性について 認識不足でした。おそわりました。

    ★ ですから、今後自然科学がどんなに発展しても、以前に論じらていた
    理論の適用限界内の現象は、その説明が間違っていたということにはなら
    ないように、自然科学は発展して行くのです。

    ☆ デカルトとやらが 精神と身体との分裂をつなぐ松果腺がどうのこう
    のという説を発表したというのは 理論ではなくまだ仮説の段階であった
    という捉え方をするということですね。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/17 13:53
  • №19つづき

    ★ だから、ケ・セラ・セラで出来てくる複雑な構造という最も本質的な部分
    を強調して「散逸構造」って名付けられたんだ。ここでの会話の成り行きだっ
    たら、「ケ・セラ・セラ構造」って呼んでも良いね。

    ☆ たぶん哲学としては 《成るように成る / 成るべくして成る》構造〔過程〕
    に棹を差しつつ しかもその同じ流れを 人間として・人間のチカラで演出する
    ことが出来るか? という問題に究極としては行き着くでしょうね。


    なにせ:
    ▲ わたしは 命を捨てることもできるし ふたたび命を得ることもできる。
    ☆ なんて言った人間がいたのですから。

    とんでもない飛躍ですが。

    散逸を統合する主体・・・といったイメージですかね。

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/18 23:14

A 回答 (28件中1~10件)

定義というか与える条件です。

人が滅びることは、客観的には死以外にはあり得ない。
死をいやと思うのは概念を伝えたまでで程度について言及していません。
他者の死を受け入れる事ができなければ自分の死を受け入れることもできないはずです。しかし、他者の死を受け入れる方法を誤っていた場合、自分の死を受け入れることはまずできないでしょう。それは個人の哲学に依存します。絶対的な悪いことがあるとすればそれは、時間が経過しても絶対的な方法で人の死を受け入れられていない場合です。もちろん、人の死は悪いことで、それは嫌と思うからです。その感情が必ずしも正しくないと思えたとき、それが世の中で起こりうる他の悪いことと全く同じ相対的な悪いこととして人の中で解釈(変換)されます。つまり、起きたばかりは絶望するので、死が絶対的な悪でないというのは確かに微妙な問題ではあります。ですが、それによって自らの意志までもがないがしろにされある程度の時間が解決しない場合、その人の思考体系に問題があると思われます。
人間性と言った時点で芸術です。真善美は実は相容れないのです。引きこもりの人も、麻薬中毒者も、殺人鬼も皆実存的には一人の人として成立しているはずです。もし、そこに何らかの価値(+,-)を見出すのであれば、それは他の一人の好き嫌いに他なりません。こう生きた方がいい(好き嫌い)という形はない訳ではないが、それは例えばあなたと私でも異なるはずで、人類全体の意思として総括することは誤りに繋がります。また、根本的に私が考えているのは、滅びた のではなく、その人の生き方で生きているだけだというだけで、自殺間際の人でも滅びかけなだけで滅びてないと思います。
サイコパスが滅びていないという個別の事例に対して議論することが哲学だとは思っていません。つまり、どのような場合にも対応できる言葉が哲学では。
滅びるという言葉の響き、音がどうしても絶対的なイメージを連想させるため、必ずしも多数決が絶対とも思っていない私は、この意味でその言葉を使いたくはありません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 定義というか与える条件です。
☆ 十分条件をも満たしていれば ひとまづ定義は成っているかも分かり
ません。

★ 人が滅びることは、客観的には死以外にはあり得ない。
☆ という一つの見解なのだと見ます。それで サイコパスを例に出しま
したが コミュニケーション不能であれば あたかも《ほろびている》と
言えるという見解もあるのではないかと。

★ 死をいやと思うのは概念を伝えたまでで程度について言及していませ
ん。他者の死を受け入れる事ができなければ・・・
☆ ご見解の復唱を省略しましたが。そうですね。《死=ほろびる》とい
う見解の場合は はっきりしています。話が早いです。そのものずばりを
答えとすれがよいわけです。

そして それとして誰もが受け留めることになります。

ということは ここでは ほかに別の見解はないか? と実際には問うて
いることになります。どうでしょう?

つまり 別の見解はない。あっても これこれの理由でそれは間違いだと
示してくれるなら ありがたいわけです。

あるいはつまり 別の見解としては 死は自分のも他人のも難なく受け容
れるが ほろびることは いやだ・成りたくないという場合もあるかも知
れない。


★ 死が絶対的な悪でないというのは確かに微妙な問題ではあります。
☆ たぶん そうではなく 死んだなら もう意志の錯乱としてのほろび
は 治すことができなくなる。――という単純な事態を言ったまでです。


★ 人間性と言った時点で芸術です。真善美は実は相容れないのです。引
きこもりの人も、麻薬中毒者も、殺人鬼も・・・
☆ ですから 死≠ほろびる という見解の場合は 話し合いが成り立た
ないということをもって その立ち場に立つわけです。真善美の議論など
とは別だと見ているわけです。

★ サイコパスが滅びていないという個別の事例に対して議論することが
哲学だとは思っていません。
☆ こちらにとっての問題点は はっきりしています。《話し合いが成り
立つ》かどうかです。これを問題とするなら ほろびるについての別の見
解がみとめられるかも知れないと。

そして そのような意思疎通の不能というのが 不可抗力によって生じた
のではなく あたかも自分からそうなった――という場合に ほろびたと
言えるかも知れないと。

お礼日時:2019/02/22 10:47

サイコパスはもう人が滅びているかもしれない


それは説明不足でしょう。通常、人が滅びると言えば死を連想するでしょう。
人の死が絶対的に悪いことではないのは、つまり、もちろん相対的には悪いことであって、それは産まれながらにして我々人間が備えている いやだな と思う感情に起因します。因みに、なぜそれがいやと思うかは考えても無駄です。それを許してしまうと、無限のなぜが生まれるので、人間の短い一生の内でそれらの答えに辿り着くことは不可能だからです。しかし、これらの悪いことは人はなんとかして受け入れることができます。対して、絶対的な悪いことは人は受け入れることができません。これは観測者としての神が、人間を宇宙という檻に閉じ込めている(と考える)ならばです。
あなたは 人が滅びる という言葉を、人の本来の性質がそこなわれるということの意味で使っているということですが、それはあなたに人の本質はこうあるべきという思想があるからではないでしょうか。もし、全人類が犯罪の思想に満ちていたらならば、それが人間の真実なだけではないでしょうか。全ての人間の行う全ての正のフィードバックも負のフィードバックも、言うなれば全て人間の本来の姿ではなかったのですか。私は、この場合、滅びるという言葉の定義があいまいか、誤解を与えるのではないかと思います。なぜなら、私は、サイコパスはまだ人として滅びていないと思っているからです。私が思う適切な表現は、少数派であるということです。周りの全ての人がある人を滅びてるね君と言ったとして、本人がまだわい滅びてないよと言ったら、誰がその人が滅びてることを証明しますか。もちろん、本人が自分のことを滅びていると言った場合に本当に何か精神的に侵されていたりしたならば、それはこの意味での滅びていると言うに相応しいと思いますが、それはおそらく当人にしかわからないことです。そして、そうであるならばそれは必ず悪いことであり得ます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ サイコパスはもう人が滅びているかもしれない
それは説明不足でしょう。通常、人が滅びると言えば死を連想するでしょう。
☆ つまり 《死ぬ》とは別の《ほろびる》の事例として まったく安易に
出してみただけです。


★ 人の死が絶対的に悪いことではないのは・・・
☆ 意志や心や気持ちが完全にないがしろにされるのは ほとんど死です。
そして 存在じたいが消えることは 意志の死をふたたびよみがえらせる
機会すらが 奪われます。

つまり ひとの一生がすでに無になります。だったら 人の死は その一
生まるまるにとって絶対的だという意味を持ちます。


★ 産まれながらにして我々人間が備えている いやだな と思う感情
☆ どころの話ではないと思われます。

★ しかし、これらの悪いことは人はなんとかして受け入れることができま
す。
☆ 一生が消えてなくなっていても ですか?

存在の無化は:
★ 観測者としての神が、人間を宇宙という檻に閉じ込めている(と考える)
☆ どころですらないはずです。


★ あなたは 人が滅びる という言葉を、人の本来の性質がそこなわれると
いうことの意味で使っているということですが、
☆ それは あるでしょうね。

★ それはあなたに人の本質はこうあるべきという思想があるからではない
でしょうか。
☆ いや。述べて来ているように 生きてゆけず人間性を活かすことができ
なくなるのを 惜しむのです。

★ もし、全人類が犯罪の思想に満ちていたらならば、それが人間の真実な
だけではないでしょうか。
☆ その仮想は 起きてみなければ分かりません。


★ この場合、滅びるという言葉の定義があいまい
☆ ですよ。そうですよ。まだ定義を得ていないのです。事例や必要条件を
考えたまでです。

★ 私は、サイコパスはまだ人として滅びていないと思っている
☆ あっ それでしたら その話をお聞かせください。

★ 本人が自分のことを滅びていると言った場合に本当に何か精神的に侵さ
れていたりしたならば、
☆ ううーん。サイコパスを例に出しましたが まだこれでは 何とも・・
ですね。

★ そして、そうであるならばそれは必ず悪いことであり得ます。
☆ 良い悪いよりも コミュニケーションの不能とか要因を出して欲しいで
すね。

お礼日時:2019/02/22 03:16

人が滅びる=人類が絶滅する。


もし、説明が不充分というのなら、人が滅びることがこの宇宙の中で何か特別なことであるとでも言うのでしょうか。つまり、人の精神がその言葉とどう対峙しているか、していくべきかというところに踏み込んだ質問なのでしょうか。そうであれば、それは個人の思想や哲学に依存すると思います。私自身は究極には人がこうあるべきとも思ってないですし、こうあるべき人は個々の人間が作り上げていくものだと思っているので、例えばあなたが犯罪を犯そうが私自身はそれを史実として受け入れることができます。もっというと、一匹の犬が死んだことと2人の少女が亡くなったことは、どちらも単なる死として認識できます。ですが、例えば犬は事故で死んで、少女2人はある男に銃殺されたとすると、ここでその少女たちの外部に犬の時とは何か別の感情を見出したくなると思います。もちろん、少女たちも犯罪によって“滅び”たので、そういう意味では犬の死と同じ死として認識することはできますが、思考実験として、もし2人の人間ではなく、70億の人間が犠牲になっていたとしたら、これは我々が普段経験し許容可能な確率の上に成り立つ事象、いわゆる自然の現象からは大きくかけ離れることになる、このことが一瞬間私の我々の脳裏に過るのです。したがって、一口に人が滅びると言ってみても、それが隕石によって絶滅したのか、核戦争によって滅びたのかというところで、若干ですが私の人が滅びるに至っての感情は異なります。しかし、その場合にもそれらの死は、多くの生命体と近しい者の死として抽象化されて私の記憶の一部になり、宗教などそこから逃れる術を模索するようなことはないでしょう。究極の実存であり、絶対的な悪いこととして認識することはおそらくありません。私のこの哲学の奥にある心理学的要因は、おそらく、宇宙がほとんど際限なく続いているのでこの世の終わりというにはかなり些細な現象だからだと思います。つまり、私は無心論者を名乗っていながら、無意識のうちに宇宙全体を信仰していたということです。ただ、私が汎神論者ではないことは明らかです。その理由は単純で、私は人が自分意外の何者に動かされている訳でもないと信じているし、この宇宙が神の意志で成り立っている必要性を感じないからです。また、宇宙の消滅の方法が自然ならばそれを受け入れることができます。と今は思っています。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 人が滅びる=人類が絶滅する。
もし、説明が不充分というのなら、人が滅びることがこの宇宙の中で何か
特別なことであるとでも言うのでしょうか。
☆ はい。つまり いわゆる《死ぬ》と同じかどうか。これが 知りたい
ところです。同じではないとすれば それは どういうことか? です。


★ つまり、人の精神がその言葉とどう対峙しているか、していくべきか
というところに踏み込んだ質問なのでしょうか。
☆ あっ。そういう捉え方もありますか。でもそれは いちおう《死ぬ=
ほろびる》という前提は 同じですよね。

乱暴な言い方をすれば 《サイコパス》は もう《ひとがほろびている》
かも知れない。というような感じです。

★ 少女2人はある男に銃殺された・・・もちろん、少女たちも犯罪によ
って“滅び”た
☆ 間違いとは言わないでしょうが でもふつうは言いませんよね。《ほ
ろびた》とは。

犯罪者どうしが 殺し合って《ほろびた》とは言うかも知れません。


★ 一口に人が滅びると言ってみても、それが隕石によって絶滅したのか、
核戦争によって滅びたのかというところで、若干ですが私の人が滅びるに
至っての感情は異なります。
☆ そういった事例も ほろびるにはありますね。


★ しかし、その場合にもそれらの死は、多くの生命体と近しい者の死と
して抽象化されて私の記憶の一部になり
☆ ですか。表現として 死ぬことが ほろびるとも言い表わされること
がある。という程度ですかね。

★ 究極の実存であり、絶対的な悪いこととして認識することはおそらく
ありません。
☆ ん? ということは ほろびるには 何がしか《よくないこと》と結
び付けられている。のですかね。


★ 私は人が自分意外の何者に動かされている訳でもないと信じているし、
この宇宙が神の意志で成り立っている必要性を感じない
☆ というように 《神》にかかわって《ほろびる》という概念があるか
も知れないってことですかね。 ハドスン夫人さんは そうではないと。死
を神にからめて捉えることをしないからと。

お礼日時:2019/02/21 22:12

ShowMeHowさんのおっしゃっていることは、系が開放系でなく、すなわち孤立しており、かつ熱平衡状態に近い状況で非線形効果が効いてこない場合には、正しいことですね。



でも、この地球はShowMeHowさんのおっしゃっている状態にはない。事実、地球は太陽から熱をもらっているから開放系です。さらに、太陽に向かった地球の面は常に温められ、反対側は常に冷やされているので、その熱の出入りで、熱平衡状態から十分に離れた非平衡状態に保たれている。そして百億年のオーダーの時間スケールで地球は非平衡定常状態でいられる。そんな状態が保たれている限り、地球の上で生成されたエントロピーは地球外にどんどん放出されていき、地球全体ではエントロピーが増大せずに、その反対に低エントロピー状態に進化しているのです。

その太陽からの熱の流れの結果として、大海にはカリフォルニアの沖で南下し日本沖で北上する巨大な海流が現れ、さらに、深海と海面付近の間でも地球規模の巨大な対流が流れている。地球はとても熱平衡状態に近い状態だと言えない状態に保たれているのです。要するに地球は非平衡熱力学で言う散逸構造系の典型的な事例なのです。

そもそも、地球がShowMeHowさんのおっしゃっているような孤立系で、さらに熱平衡状態に近かったら、この地球上では生命現象すら創出されず、ShowMeHowさん自身がこの地球上に出現できなかったのです。

ですから、太陽が今の状態に保たれていて、あと数十億年後にその太陽が赤色巨星になる最終段階に至ってこの地球が太陽に飲み込まれてしまうまで、この地球は均一化されず、その反対に益々非均一化され、多様化されて進化していきます。

人間社会一つとっても、一見エントロピー増大の法則と矛盾していると勘違いしてしまうように、初めは単純で原始的な社会構造をしていたものが、複雑で多様性を内包した非均一な社会になり、だから、エントロピーが減少して方向た進化してきましたね。しかしこの現象は決してエントロピー増大の法則と矛盾している訳ではありません。上に述べたように地球が開放系であり、エントロピー増大の法則に従って増大したエントロピーを地球外部に放出することによって、地球という部分系でエントロピーを低い状態に保っているのです。

でも、その放出されたエントロピーで宇宙全体のエントロピーが差し引きで増加してしまうので、結局宇宙全体は均質化に向かって滅びてしまうんのではないかとの反論が出てくるかもしれません。しかし、この反論は熱力学の成り立つ根拠を理解していない人から出てくる反論です。

熱力学の成り立つための最も基本的な条件は、その系の大きさを大きくすると、その系全体のエネルギーもその系の大きさに比例して大きくなるようにその系ができている条件を満たしていることです。そして重力を除いた残りのすべての力によってその系の内部が支配されている限りには、その条件は満たされていることが知られています。しかし、重力だけはその例外で、重力が物理学の専門用語で「長距離力」と呼ばれる特殊な力であることから、上記の熱力学の成り立つための最も基本的な条件を満たすことができないのです。

だから、重力の役割が無視できるほど小さい、例えば太陽の周りの恒星間の距離の数倍程度の限られた領域では熱力学の法則が成り立っていますが、恒星間の距離の数十倍とか数百倍というもっと大局的領域で、星雲ができるようになってくる大きさのスケールでは、最早熱力学の主張が成り立たなくなってきます。ましてや宇宙全体のスケールでは熱力学の法則が成り立っていません。

実際、エントロピー増大の法則の力学的根拠を与えているボルツマン方程式と呼ばれている方程式は、短距離力と呼ばれている力で相互作用をしている通常の気体系では成り立っていますが、重力の相互作用を通して多大な恒星の集団に出来上がってくる星雲に対しては、このボルツマン方程式は成り立たないことが知られています。

だからエントロピー増大の法則は、重力のおかげで宇宙全体としては成り立たなくなるっているのです。いわば、重力が宇宙の大局な領域が熱平衡状態に行こうとするのを妨げているのです。ですから、時々物理の教科書に書かれているような、この宇宙は大局的に見て時間とともに均一化されて行く、という主張は間違いです。この宇宙は大局的に見て均一化されて行くのではありません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

ShowMeHowさんは 自由にやり取りされましょう。




とんでも話ですが:
重さは 意志。心のヱクトルがはたらくところ 顔無しのような
のっぺらぼうにはならない。????

お礼日時:2019/02/19 21:31

「ほろび」とは「いのち」の終焉


「いのち」とは情報の集約でエントロピーを低下させる

人の遺伝子も意識も継承されるが
時間とともに均一化され、「ほろび」に至る
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

○ エントロピーを低下させる・いのちの遺伝子が それとして
継承されつつも 均一化されることによって いのちは終焉をむ
かえる。

☆ ってことですか。

なぜ《均一化》するのですか? 
そうなるしかないということですか?

お礼日時:2019/02/19 10:43

すべてが均一化したとき


人は完全にほろびる
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この回答へのお礼

ふうーむ。

★ すべてが均一化したとき
☆ のっぺらぼうが社会の隅々にまでわたって流行るということ
ですかね。

顔無しになる。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/02/19 10:04

ブラさんにはプラチナの勝ちがあるってことですよ♡

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この回答へのお礼

HEHEHEHEHEHEHE・・・



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/02/19 10:02

このスレッドの価値は猪突さんが主成分です。


ブラさんは触媒。
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この回答へのお礼

HAHAHAHAHA・・・



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/02/19 08:48

序でに言っておくと、共産主義やソ連の社会主義の計画経済のやり方は、いわゆる「賢人」たちが世の中のあり方の目標を定めて設計図を作り、そのその設計図に従って、経済活動に携わってる本人じゃなくて、その外部からああせいこうせいと命令を出して行くやり方だ。

それは丁度、人間の活動も精密な時計仕掛けのようなものだという考え方だ。しかし、そんな形で出来上がってきた構造は、外部の状況の変化や、その計画経済の成果として富が蓄積してきてその内部の状況が変わってくると、それに耐えられなくなって自己崩壊してしまう。

それに対して、自由主義経済のやり方は、別に目標など立てずに、その社会の膨大な構成員のバラバラな考え方に任せて、ケ・セラ・セラで成り行きに任せちまおうってやり方だ。そんなやり方で自発的に創出された構造は、前回に説明したように、外部内部の状況の変化に対して頑強な抵抗力がある。それどころだ、その状況が変化したら、またそれに合わせて収まるところに収まるように変化して行く仕掛けが内部にある。

だから、計画経済の下で一時期一見眼を見張る発展を遂げているように見えても、所詮、その本質的な脆さのゆえに、そんな構造は長続きしない。最近の中国では、部分的に自由主義経済のやり方を取り入れたお陰で、ソ連よりも効率良く経済を発展させたように見えるけれども、所詮「賢人」の指導者たちが、ああせいこうせいとその経済活動に制限をつけながらやっているので、近いうち内部崩壊してくるのが見え始めている。

このように、なぜ計画経済が自由主義経済よりも脆ろかったのかという歴史的事実は、散逸構造の理論の一つの応用例として理解することができる。

もちろん、自由経済にも欠点はある。なんせ、目的も設計図もないんだから、なんとなく行き先はわかっているんだが、その行き先にいくつもの選択肢があって、その選択が成り行きに任せて決まってくるので、そのどの選択肢が選ばれるのか前もって何もわからない。だから、経験の未熟な若い連中にとっては、理詰めで選択されたバラ色の行き先を前もって提示してくれている計画経済の方がわかり易くて、ついそちらに流れていってしまう傾向がある。

しかし、人間の今までの痛い経験では、賢者に任せた計画経済の失敗続きで、結局、先は良く見えないけど、人々を信用して、その近視眼的な欲望の成就と長期的な自己コントロールの知恵に任せて、好きなように経済活動をやらせてきた自由主義経済の方が、大局的に見てより多くの人々を満足ことが実証されてきた。

要するに、「人間はどうあらねばならぬ」という理念的な問題提起よりも、「実際の人間はどうあるのか」という科学的な問題の提起の方が、より生産的に人々を満足させてきたっちゅうのが我々の経験で知ったことだね。

事実、科学の進歩で一番重要な寄与は、世の中を便利にしたり、より多くの人々に富を享受できるようにしてくれたことではない。そうではなくて、どんな僻地に住み、どんな貧しい家に生まれて来ても、その人々に教育の機会を与えることを可能にしてくれたところにある。その結果、幸運にもごく限られた権力者や裕福な家に生まれて、教育を受ける権利を独占してきた少数の人間が「人間はどうあらねばならぬ」なんて言いながら、残りの大多数の連中の生き様のあり方を決定していた状態から人々を解放してくれるようになった。そして、その残りの大多数の人々にもこれから来る社会のありように関して、その意志決定に参加できるようにしてくれたのが、科学の一番の功績だ。

だから、科学の発達は、多くの人たちに自分の人生を自分で決められるようにしてくれたんだ。これって、「人間はどうあらねばなぬ」という理念ではなくて、「実際の人間はどうあるのか」という事実を問い続けてきた科学の結果得られた成果なんだよね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ソ連の社会主義の計画経済のやり方は、いわゆる「賢人」たちが
世の中のあり方の目標を定めて設計図を作り、そのその設計図に従っ
て、経済活動に携わってる本人じゃなくて、その外部からああせいこ
うせいと命令を出して行くやり方だ。それは丁度、人間の活動も精密
な時計仕掛けのようなものだという考え方だ。・・・
☆ 時計仕掛けという切り口は 新鮮で分かりやすいですね。

コミュニズムは 別の一面を持っています。ソ連のソウシャリズムは 
共産主義社会への段階の飛び越しによって出来たという弁明です。

キャピタリズムによってじゅうぶん産業が発達し 生産物=消費財に
ゆとりが出来た段階から ソウシャリズムそしてコミュニズムに入っ
て行くと。

そのときには――そのアカツキにはという常套文句ですが―― 社会
の誰もが自由で主体性をもって 経済活動をもおこなう。という議論
としての反論を持っているでしょう。

言いかえると 話を端折りますが コミュニズム理論は あたかも散
逸構造の理論の出来損ないのようなものかも知れません。バラ色の未
来を人びとに見せました。

そんな感じでしょうか。


あとは このスレッドをおとづれる方たちの閲覧におまかせするとし
ましょう。






屁理屈によるへんなおまけの議論をしますと:

★ 「実際の人間はどうあるのか」
☆ の探究とその成果によれば:
★ 「人間はどうあらねばならぬ」という理念的な問題提起
☆ をおこなわないか?

つまり 《人間はそして社会は どうあってはならぬ》といった提
案をするのか。しないのか?


中国共産党の独裁制とその覇権主義なる路線。
王道ではなく 覇道以外の何ものでもない思想。

これを観察する・・・に――むろん抵抗はしつつ――とどめるのか? 
それとも たとえば《開放系》であれ! と叱責し譴責するのか?

ケ・セラ・セラなる道には 他者へのハタラキカケという行動は 
視野に入っているのか・いないのか?

われわれの外部で・また外部から 制御不可能なほどの困ったこと
が起こっているし 起こされている。

いま 当面している問題には 散逸構造の理論は どんな回答を繰
り出すか?

お礼日時:2019/02/19 05:02

>ケ・セラ・セラと言っていてよい確率は ふつうの人間のけんかだとか社


会的対立の場合に 50%を超えるのですか? それとも もっと少ない
のですか?
あるいは ケースバイケースの多様性があり過ぎますか?

質問の意味が、もう一つしっくりと判らないんだけど、ケ・セラ・セラ(What will be, will be、なるようになる)から来る、私の反応を書いておきます。

我々が複雑な構造と言うときにその言葉で表されているものに、その出現の根拠が全く違った2種類のものがある。その一つは、精密で巨大な振り子時計や昔のゼンマイ仕掛けの腕時計(ルビーの石が入っていて、何ルビーの腕時計なんて言ってたあの懐かしい腕時計)の内部や、からくり人形の内部のような複雑な機械の構造。もう一つは、生物の体の内部の複雑な構造だ。

この二つの間の決定的な違いは、時計など前者の構造の出現には、まずそれが何故作られたかの目的が前もって与えられており、さらにその目的を追考するために、その機械の外部にある者が目的や設計図に沿って作り出された複雑な構造であるのに対して、後者には、そんな目的もそれを作る外部の者も、そして前もって与えられたシナリオもなく、外界のと成り行きに任せて、擦った揉んだしながら、すなわちケ・セラ・セラってな具合に自発的に発生した複雑な構造だ。この成り行き任せで自発的に創出された複雑な構造のことを物理学では「散逸構造」って呼んでいる。

前者と後者の際立った違いは、前者は外部からのいろいろな障害や状況の変化に大変脆いのに対して、後者はそれらに対して頑強な抵抗力があることだ。何故なら、後者は外部との予期せぬ(従って確率的に起こる制御不可能な)いろいろな状況との相互作用で、成り行きに任せながらケ・セラ・セラてな具合に収まるところに収まるようにして、自発的に出来上がってくる。ケ・セラ・セラとその状態に留まっているのが(少なくとも局所的に)一番安定していることが理由で出来上がってきた構造だから、その状態を外部の者が無理やりズラしてしまっても、再びその安定状態に自発的に戻ってしまう。すなわち、自己修復の機構を持っているんだ。さらに、元々その構造が何のためにそこにあったのかなんてな目的が始めから無いんで、なんとなくそんな目的でも有ったつもりでいたのに、状況が変わって、その目的がなんだかわからなくなってしまっても意に介せずに存在し続けられる。ところが、前者には自己修復の機構もなく、また状況が変わって目的がなくなったら存在している意味すらなくなってしまうから、外部からのいろいろな障害や状況の変化に対して大変脆いんだ。

んで、さらに制御不可能な環境から、どのような仕掛けでそんな複雑で無目的な構造が自発的に創出できるのか、その条件は何かってな問題が当然浮かび上がってくる。それには3つあって、1)開放系であること、2)非線形効果が無視できなくなってしまうぐらい熱平衡状態から十分離れている「非平衡状態」にいること、3)一旦偶然に出来上がった構造を破壊するように制御不可能な形で外部から飛び込んできた要素をいつまでも覚えているんじゃなくて、その要素を「散逸」させて忘れさせてしあう仕掛けがあること、この3つだ。

あたしゃ、この文脈で「非平衡」って言葉使っているんで、ブラブラさんのこの言葉の用法とは違っているいみたいだね。

この3つの条件の中で数学的に一番面白いのは2)の非線形性だ。でも、物理的にもっと面白いのは3)だ。情報の散逸が起こるということは時間の向きの対称性が破れているってことだ。さらにその現象を数学的な方程式で書く場合、決定論的な微分方程式ではなくて、確率変数の従う非決定論的確率論的微分方程式になってしまう。だから、この宇宙って決定論的にできているのか、それとも非決定論的にできているのかという、物理学の最も基本的な問題に絡むからだ。

要するにケ・セラ・セラってえのは、神様がいるのかいないのかってな問題に絡み出す。だから、ケ・セラ・セラで出来てくる複雑な構造という最も本質的な部分を強調して「散逸構造」って名付けられたんだ。ここでの会話の成り行きだったら、「ケ・セラ・セラ構造」って呼んでも良いね。

今回は、ブラブラさんが、あたしの得意なケ・セラ・セラってな言葉を的を射て使ってたんで、今回はあんたを揶揄うのをやめて、あたしからぬ真面目な反応をしたんだ。いつもと違って、気持ち悪かっただろう。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

まづかんたんなところから:
☆☆ 非平衡
☆ と言ったのは わたしが自然科学の素養が 専門家からは言うにおよばず
理系の人たちからも――遺憾ながら―― 埋めがたいへだたりがあるという意
味です。

★ 今回は、ブラブラさんが、あたしの得意なケ・セラ・セラってな言葉を的
を射て使ってたんで、今回はあんたを揶揄うのをやめて、あたしからぬ真面目
な反応をしたんだ。いつもと違って、気持ち悪かっただろう。
☆ わたしは 自分で言うのもなんですが 接触面でいろんな驚きや怒りをも
見せますが その本体は 動揺していません。今回 特に違った受け留めはな
かったですね。むしろ つづくかどうか。どこまで続けて行けるかに関心があ
りました。

たぶん ほかの《読者――フォロワーですか――》が どんな印象を受けたか
を聞いてみたい感じですね。



★ 生物の体の内部の複雑な構造だ。

★ この成り行き任せで自発的に創出された複雑な構造のことを物理学では
「散逸構造」って呼んでいる。

★ 条件は・・・3つあって、
1) 開放系であること、
2) 非線形効果が無視できなくなってしまうぐらい熱平衡状態から十分離れ
ている「非平衡状態」にいること、
3) 一旦偶然に出来上がった構造を破壊するように制御不可能な形で外部か
ら飛び込んできた要素をいつまでも覚えているんじゃなくて、その要素を「散
逸」させて忘れさせてしあう仕掛けがあること


★ 数学的に一番面白いのは2)の非線形性だ。でも、物理的にもっと面白い
のは3)だ。

★ 情報の散逸が起こるということは時間の向きの対称性が破れているってこ
とだ。
☆ これは 素人ながら おもしろそう。時間が逆流してしまう?

★ この宇宙って決定論的にできているのか、それとも非決定論的にできてい
るのかという、物理学の最も基本的な問題

★ 要するにケ・セラ・セラってえのは、神様がいるのかいないのかってな問
題に絡み出す。
☆ ふむふむ。

つづく

お礼日時:2019/02/18 23:05

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