これからの季節に親子でハイキング! >>

単に、「性格が根暗な人」と、

「思慮深くて、文武両道で優秀な人」

は、やはり別物でしょうか?

または、何だかんだで、イコールでしょうか?

A 回答 (1件)

人を簡単に判別する事は危険です


人を見る目を養いましょう
表面で判断すると過ちます

人は境涯を見て判断するのです
境涯の低い人とは、かかわりになってはいけません
分かり易く言うと
コップの中の話しか出来ない人、とかです

詐欺師は話上手で人当たりが良い
悪人は皆、怖い顔をしているとは限らない
職人はプライドが高く、無口で暗い人が多い
飲み屋のママはゴマを擦りまくる
何事にも動じない人と
何も考えてない人と、同じに見える

思慮深く、熱弁を振るう人の話を
一日中聞いていても、何も有益な事はない

道理や正義を語る人が、裏で、有能な人のデマを流す


ちょっと長いが
人を見る目について
武田信玄,についても参考

武田信玄は、戦国時代にあって傑出した英雄であり、大武将でした。
かの越後・上杉謙信と12年間の5回にわたると言われる川中島の戦いを行いつつ信濃をほぼ平定し
最終的には信玄が勝利をおさめたといわれています。

江戸時代から近現代にかけて『甲陽軍鑑』に描かれる伝説的な人物像が広く浸透し、風林火山の軍旗を用い、
甲斐の虎と呼ばれ、強大な武田軍を率い上杉謙信の好敵手としてのイメージが形成されています。

天下を取った徳川家康や、かの織田信長も、信玄を恐れ、一目も二目もおいていました。
また、徳川家康は、作戦でも、政治面でも、信玄の戦略、政策の影響を多くうけたとされています。
とくに今年の戦国武将ブームで、人気を集めている戦国武将の一人です。

●万人を生かす慈悲心
大将の条件の一つとして「慈悲を忘れぬことが肝要である」と教えたことは特筆すべきこと。
優れた大将はというものは、武道に優れていることは言うまでもないが、学芸についてもたしなみがあり
慈悲が深い。礼儀をわきまえ、普段はおだやかであるが、いったん怒ると殿中はもちろん、
国中の泣く子も泣きやむほど威厳がある。

信玄は、平素から領民を慈しみ、規律を正し、領民から信頼されるように努めた。
慈悲の名君・信玄を慕って、甲斐の領民は食事の際には必ず、「館君」と称えたほどである。
また、信玄は「万事小さいことより、次第次第に組み立てていって
、後に大事が成るのである」との信念を持っていた。

ものごとの理をきちんと弁えて、鋭い人間洞察のうえから「小事が大事」ととらえたのである。
こうした信玄の生き方は、今日の社会にあって相通ずる原理を含んでいるように思う。

●適材適所で人材を生かす
多様な「人材」と「人材」を、どう的確に結びつけ、最大限の力出させていくか。
それは指導者の器量と、適材適所の配置いかんにかかっている。この点においても信玄は類まれな人物であった。
信玄は、同じような性格の侍を好んだり、似たような態度、行動のものばかりを大事に召し使うことを嫌った。
こうして信玄のもとには、山本勘助をなどの武田二十四将をはじめ、実に多彩な人材がしゅうけつしている。

●過ちなき人物の見方
沈着と愚鈍は、大変な違い。
何の思慮もなく口出しする人のことを信玄は“口たたき”と呼び、さばけた人と見誤ってはいけないと戒めている。

そういう“口たたき”に限って、立派な武士に対して、憎く思えば悪口を言いふらし
反対に自分に物をくれて機嫌を取る人を快く思い、自分と仲が良ければ悪い人間でもほめるものだ、
と信玄は指摘している。

信念のない人は、自分の知りもしないこと作りごとを言い、意外と強情なものである。

●賢将は「五分」の勝利を上とす
五分の勝利は励みを生じ、七分は怠りをもたらす。十分の勝利はおごりを生む。
上杉謙信が、信玄にかなわなかったのは、この一点にあるといわれている。


更に、人を動かす組織について参考
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage7.html
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Q絶対善はあるのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を優先すること」と言われても何か分からないでしょう。ですから分かり易く言えば愛や思いやりや慈悲心などですと説明しています。これはキリストが説いた愛です、孔子が説いた仁、つまり思いやりです、そして釈迦が説いた慈悲の心です。そしてこれらに内包、共通しているのが「私より公を優先する心、行為」です。

「私より公を優先する」とは分かり易く言えば「私欲という自分の思いを少し抑えて公の為とみんなで考え行うこと」です。自分の私欲の心を少し抑えて、一人一人がみんなの為と考えることです。これは民主主義を示しています。そして「みんなの為」と考えるということは皆さん一人一人がリーダー、その群れのトップの立場に立って考えると言うことです。それは強い責任感をもって考えると言うことです。そのような心を一人一人みんながもって、みんなで考えれば最も正しい答えに辿り着ける確率が高くなるよ、ということです。これ以上に優れた方法が何かありますか? これが私の言う絶対善なのです。

その群れ社会にとって絶対的に正しいことは社会の安寧秩序であり、そのために最も優れた方法が「私より公を優先する事、つまり愛や思いやりや慈悲心」なのです。もちろんこれは最高の方法を示しているので一般的にはなかなかできないことです。しかしそれを目指す事こそが最もより良い社会が創れるのだ、と言う事なのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

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Aベストアンサー

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式組の人がいっぱいいます。そうした方々は、言葉の使用法の形式の方に興味が優先してしまい、たとへそこで使われている言葉が不完全でもそこで言っていることの内容や実態をなんとか理解しようという方向に興味を向けない傾向にあります。

「あんたの言いたことはなんとなく判るんだが、そのような言葉の用法はその内容と矛盾しており、間違っている」

などと言って、言葉の使い方が間違っているから、あなたの言う内容も間違いだ、などと考えてしまう人もいくらでもいます。だから、芯木さんが言いたいことの本質を論じようとするのではなくて、絶対の意味などの言葉の使い方がこだわった回答が多くなっているのです。

そのような人たちは、左を指差しながら、「右、右」と言っている人の心を察することができず、その間違いを言いつのる傾向があります。この場合、常識的に見て、指を差している方向をその発信者が言いたいのは明らかですのに。

物事を論じるためには、その内容も、その言葉の使い方も、両方とも重要です。しかし、その両方を同時に論じることにどれだけの生産性があるか、自明ではありません。大論文でもない限り、それを意識せずに両方とも同時に論じてしまうと誤解を招き、混乱さえ起こしかねません。ですから、何かを論じる場合には、内容か、形式か、そのどちらにより重点を置いているのか、文面から明確にわかるように書いておく方が、生産的な議論のやり取りができます。

ここでの主題は「公に対する奉仕」なのだと思いますが、例えば、「公」という言葉一つとっても、人によってその意味がだいぶ違い、芯木さんが言いたい意味では受け取ってくれない場合が散見されます。いわんや、「絶対」などという、一神教の影響を受けた西洋文化大好連中が好んで使う言葉は、哲学好みの人たちには刺激的すぎて芯木さんの言いたい内容よりも、その刺激的な言葉に拘ってしまう人がいくらでもいます。

出来るだけ刺激的な言葉を避けてご自分で言いたいことを表現することを工夫すると、芯木さんのご主張に賛同する方も増えるのではないでしょうか。また、どうしても「絶対」と言う言葉を使いたいならば、論述を始める前に、ここでのこの言葉は、、、、を意味するものとして特殊な使い方をしている、などと一言を入れておくと、読者もそのつもりで読んでくださると思います。

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

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Q<テロ事件が起こった時には加害者を裁判にかけずにその場で射殺するのが原則です。>はどう感じられますか

先日このカテで、chototu様が、次のような事項をご紹介されました。
<EU諸国は死刑廃止国なので、テロ事件が起こった時には加害者を裁判にかけずにその場で射殺するのが原則です。>
この射殺について、先達の皆様はどう感じられますか?
(私は、喝采の気持ちがありますが、やりすぎだな、とも感じています)

Aベストアンサー

そんな原則はありません。

むしろ警察当局としては「生きた状態で逮捕して、組織的な関与や資金援助などの後ろに潜む組織の存在などを知りたい」と思っているからです。

ただし「テロの犠牲になる罪のない一般人の命の重さを考えると、射殺しか手段が無ければ躊躇しない」だけです。
そしてその方針は正しいです。

日本もかつてテロ事件が多発した時期があります。日本赤軍などがテロを多数行った1970年代前後の時期で、1970年(昭和45年)3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした「よど号ハイジャック事件」は有名であり、その後の多数のテロ事件の引き金になっています。

この事件の時、ハイジャックされたJALのよど号は犯人グループの「北朝鮮へ向かえ」と言う要求に対して「燃料が足りない」と説得し、国内の板付空港(現福岡空港)に着陸しましたが、警察は突入の判断をすることが出来ずに北朝鮮に出発することを許してしまいました。実際にはソウルの金浦に一度降りたのですが、ここでも日本政府は政治的な判断ができず韓国警察または軍の突入ができなかったのです。

そのためテロは北朝鮮に着陸に成功し「日本政府は弱腰で、テロは成功する」というイメージを当時多数在った共産過激派グループに持たせてしまったのです。そのため70年代は共産主義者によるテロが多発し、1974年のシンガポール事件と在クウェート日本大使館占拠事件やハーグ事件・1975年のクアラルンプール事件・1977年のダッカ日航機ハイジャック事件などの「超法規的措置」につながっていったのです。

ハーグ事件はフランス政府も「超法規的措置」の判断をしていますが、これらに対してフランス国内では大きな批判が起き、またテロ組織に対して同様の措置を繰り返す日本政府に対しても批判が強く起きるようになりました。

結局これらのテロ事件とその対応から各国政府が学んだのは「テロ犯に譲歩しても得るものは少なく、次の犯行その次の犯行とかえって犠牲者が多くなる」ということで、だからこそ「テロが起きたら断固たる処置をする」という現在の方針になったのです。

この方針からいえば「(テロが起きないようにするのはもちろんのこと)起きてしまったテロに対しては人質を犠牲にしてもテロ犯の要求はのまず、犯人を殺すしか犯行を中止する手段がない場合は躊躇せず射殺する」という方針になっていったのです。テロが中途半端に成功すると、次のテロが起き結局犠牲者がどんどん増える結果になるからです。

ですから「テロ犯を射殺する」のは「次の犯行と犠牲者を未然に防ぐ」と言う点で「合法」だといえます。ただし「本当にそれしか方法が無かったのか」という検証は常に必要であり、近年はテロ対策実行時の録画などをきちんとするようになってきています。

そんな原則はありません。

むしろ警察当局としては「生きた状態で逮捕して、組織的な関与や資金援助などの後ろに潜む組織の存在などを知りたい」と思っているからです。

ただし「テロの犠牲になる罪のない一般人の命の重さを考えると、射殺しか手段が無ければ躊躇しない」だけです。
そしてその方針は正しいです。

日本もかつてテロ事件が多発した時期があります。日本赤軍などがテロを多数行った1970年代前後の時期で、1970年(昭和45年)3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした「よど号ハイジャック事件」...続きを読む

Q絶対的に正しいことを定義してみました。

絶対的に正しいことを演繹的に定義してみました。

私たちは「大切なものを守ることは正しい」と感じます。(うん、そりゃみんなそう思うね)
では「最も何よりも大切なものを守ることは最も何よりも正しいとなる(まあ、当然そうなるな)

では「群れにとって最も何よりも抜群に大切なものは群れの命でしょう」(まあ、そりゃ~、そうだろうな)
それでは「最も何よりも大切な群れの命を守ることは最も何よりも正しい」となります。(そうなるね)
逆から言えば「何よりも抜群に最高に正しいことは群れの命を守ることである」となる。(そりゃ~そうだろう)

つまりその群れにとって、「絶対的に、何よりも最高に正しいことは群れの保存、存続である」と言うことが導かれる。
結論、その群れにとって、何よりも、絶対的に、最高に正しいことは群れの存続、群れ社会の安寧秩序を守ることである、となった。

私は哲学は素人なもので、どこか間違っていないでしょうか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>詳しくは下記のリンクを覗いてください。絶対善を定義していますから。読まれましたら、コメントください。

読みました。

例えばイギリス人が、物事の正しさを問う時は、「何が正しいかは、歴史に答えがある。」として、歴史の知見で正しさを考えます。(半分ステレオタイプです。)

例えばムスリムが、物事の正しさを問う時は、「何が正しいかは、コーランやハディースに答えがある。」として、コーランやハディースを出典にして正しさを考えます。(意外とステレオタイプではありません。)



私がミスリードしたのかもしれませんが、あなたの文章は、「僕の考えた絶対に正しい事」を主張しているだけにしか思えませんでした。また、「絶対」と言う言葉は、他人からは胡散臭く聞こえるので私はあまり使いません。

Q諸問題の解決方法を見つけました。

私は一つの発見をしました。それは「社会的問題は国民みんなの為にある」と言うことです。例えば憲法改正問題は賛成である、反対であると議論されています。しかし何故賛成、反対なのか、その根拠、理由は何でしょうか?それはやはり国民みんなの為なのです。憲法改正すればみんなの為にならないから改正は反対である。また憲法改正はみんなの為になるから賛成なのです。

つまりどちら側の意見もその根拠はみんなの為なのです。消費税問題も同じです。増税しなければ国民が困るから増税賛成であり、逆に増税すれば国民が困るから増税反対なのです。これもどちらもやはり国民みんなの為が根拠、理由なのです。いじめ問題も体罰問題も不正問題などなどもすべて国民みんなの為に解決しようとしているのです。つまり社会的問題の根拠、理由は全て「国民みんなの為」なのです。

そんなことは当たり前ではないかと言われそうですが、そうではありません。このことが良く分かってない、または良く認識されていないから、いろんな問題がなかなか解決できないのだと思います。この発見はいろんな問題の解決の大きな糸口になるのではないでしょうか。

それでは一番「国民みんなの為」になることは何でしょうか。それは社会が平穏であり、秩序が保たれていることです。つまり社会の安寧秩序です。一歩家を出れば暴漢に襲われたり、作物を作ればすぐに盗まれたりすれば、これはもう社会は成り立ちません。やはり国民の為になる一番大切なもの、最高のものは「社会の安寧秩序」なのです。

また正しい、正しくないは問題があるから必要なのです。問題が何もないなら「正しい」なんて必要ありません。つまり社会的問題を解くには「正しい」が必要になります。では正しいとは何でしょうか。正しいを辞書で引けば「あるべき姿があり、それと合致している様」と書いてあります。それでは「あるべき姿」とは何でしょうか。それは正しい根拠、理由です。みんなが正しいと思っている根拠、理由に自分の考えが合致するから「自分の考えは正しい」と言えるのです。

ですから自分が正しいと言うためには正しい根拠、理由がなければならないのです。そしてあらゆる社会的問題の根拠、理由は上記で示したように「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」なのです。
ですから正しいとは、あるべき姿である「社会の安寧秩序の為」に自分の考えが合致していることなのです。つまりこれはあらゆる社会的問題を解決するためのひとつの「方程式」が出来たと言うことなのです。何故なら「社会の安寧秩序」に合致していれば正しいと言えるのですから。

私たちは「正しいとは何ですか?」と聞かれてもなかなか答えることが出来ません。私も多くの人に聞いてみましたが誰も「正しいとはこうである」と答えた人はいませんでした。しかし社会的問題に対する「正しいとは何か?」が分かったのです。それは「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」です。正しいとは何か?それは「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」に道理的、論理的に合致していることが正しいと言うことなのです。

ですから死刑問題なども人権に反するから死刑は廃止すべきであると言うのではなく、また凶悪犯は死刑にすべきであると決めつけるのではなく社会的問題を解く方程式である「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」に合致する方が正しいと考えればいいのである。これにどちらが道理的、論理的に合致しているかと議論すれば、長らく議論されてきてもなかなか結論が出なかった死刑問題もやがて解決に向かうのではないでしょうか。
いろんな社会的問題もすべて正しい根拠、理由である「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」に合致するように考えていけば正しい結論に辿り着けると思います。

どうでしょうか。私の見つけた問題解決の方程式は間違いありませんか?

私は一つの発見をしました。それは「社会的問題は国民みんなの為にある」と言うことです。例えば憲法改正問題は賛成である、反対であると議論されています。しかし何故賛成、反対なのか、その根拠、理由は何でしょうか?それはやはり国民みんなの為なのです。憲法改正すればみんなの為にならないから改正は反対である。また憲法改正はみんなの為になるから賛成なのです。

つまりどちら側の意見もその根拠はみんなの為なのです。消費税問題も同じです。増税しなければ国民が困るから増税賛成であり、逆に増税す...続きを読む

Aベストアンサー

#8です。

>綺麗ごととは「とてもできないようなことを言っている」という意味です。

了解しました。

>あなたはNo6 で「現段階の人類は未だ本能の占める領域が広すぎて、本能の言いなりになる部分の多い自我同士がぶつかりあっている状態」と書いていますが、悪をやるのは理性です。理性のない動物だけの世界に悪は在りません。

はい、おっしゃっていることは非常によくわかります。
おっしゃるところの『理性』は、「本能の言いなりになる部分の多い自我」とお考えいただいてよろしいかと。
本来の理性と、理性と思い込んでいるものとは別物だということなのかもしれませんね。
動物の場合も、単に性欲・食欲以外の自我的本能みたいなものもあったりするらしいです。プライドとか仲間外れとか嫉妬とか、なかなか複雑とのこと。

精神分析の岸田秀だったと思いますが、昔、人間は本能の壊れた動物である、みたいなことを言っていました。
人間が人間である以上、純粋本能にのみ従って、それこそ純粋に生きることは難しいという宿命を背負っているのかもしれません。
理性というか、超自我性をどこまで組み込んでいけるか、といったことになるのでしょうね。

>私たちは人を殺すことはいけないと感じます。このように本能は人を殺すことは悪いことであると知っているのです。
私たちは「善いな~」と感じることがあります。それは本能が快いフェロモンを出しているのです。私たちは本能的に善を感知しているのです、それが正しいの基となっているのです。私たちはすでに本能的に善を感知して生きているのです。

それを妨げているものは何か、ということになりそうですね。
たとえば自分の「善いな~」と他者の「善いな~」がバッティングする場合など。

#8です。

>綺麗ごととは「とてもできないようなことを言っている」という意味です。

了解しました。

>あなたはNo6 で「現段階の人類は未だ本能の占める領域が広すぎて、本能の言いなりになる部分の多い自我同士がぶつかりあっている状態」と書いていますが、悪をやるのは理性です。理性のない動物だけの世界に悪は在りません。

はい、おっしゃっていることは非常によくわかります。
おっしゃるところの『理性』は、「本能の言いなりになる部分の多い自我」とお考えいただいてよろしいかと。
本来の...続きを読む

Q心から信じていれば命さえも懸けられる

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命綱が切れないと心から信じているから命を懸けているではありませんか。この事実があるのに何故、皆さんこの事実を否定されるのか。事実判断を皆さんの価値判断で否定することなどできませんよ。事実そうなのですから。

「本当に信じていれば、全財産や命さえも懸けられる」というフレーズは色んな難しい社会的問題を解決できる魔法の言葉なのです。
例えば 従軍慰安婦問題も「本当に韓国政府が従軍慰安婦問題(少女二十万人拉致、性奴隷)があったと心から信じているなら、もし間違っていたら竹島を無条件で返してもらうぞ」と言えばそれで片が付くのです。何故なら韓国政府は本当は慰安婦の証言など信じていないのですからです。

このようにこのフレーズで多くの難問は解決できるのです。皆さんも「本当に、心から信じていれば命さえ懸けられるだろう」という言葉に嫌悪感を示さずにどんどん使いましよう。あらゆる難しい問題もすぐに解決できるのですから。

「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命...続きを読む

Aベストアンサー

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越されね荒海のおかげで、他の文化とは遮断され、縄文時代から現在に至るまで数千年かけて世界的にも類を見ない特異で独特な文化、すなわち価値観を築き上げてきました。外国で生活してみるとへーって思うことばかり。日本人の考え方ってこの国の人とそんなに違うのかって思い知らされることばかりです。例えば、日本人てこの地球上で性善説を信じている唯一の文化を持った国民なんですよ。そして、話し合えば解ってもらえると信じている人が態勢を占めている。

でも、日本以外の国では陸続きだったために互いに侵略しあい、戦に負ければ男どもは殺され、女どもとその子供は奴隷にされてきた。長い歴史の中でそんなことを繰り返してきた人々に性善説を信じよといっても無理です。

もちろん、日本人の作り上げてきた価値観の中には、外国の一部の世界で作り上げてきた価値観と共通した部分がないわけではなく、その共通項の部分のために、日本人が尊敬されている部分もあります。例えば正直であるとか、約束を守るとか、名誉を重んじ恥づべきことをするなという価値観です。このような価値観は、昔のギリシャや中世の西欧や日本のように、常態が群雄割拠で、いつも小国同士が小競り合いの戦さをしていた歴史を持った国に共通した価値観です。そしてこれは、基本的に武人たちが国を支配してきた世界に生じた価値観です。武人は基本的に理系人間で、技術と合理性を重んじる文化を作り上げてきた。しかしこのような小国による群雄割拠が常態であった地域は世界史的には例外に属しています。

世界史的には、圧倒的に大多数の民族は常態が群雄割拠ではなくて、強大な力を持つ政府による中央集権でした。中央集権国家では、小国同士ような小競り合いもほとんどなく長期にわたって安定して平和が保たれていました。そしてこの安定した中央集権国家の支配者は官僚と呼ばれる文系人間でした。戦さもなく社会が安定しているゆえに官僚が世襲化されるようになる。この世襲化された官僚のことを貴族とも呼んでいました。このような安定した社会の支配層を維持するために必要なのは、技術でも合理性でもなく、前例という伝統を重んじる固定化された価値観です。そのように合理的な根拠もなく支配されている一般民衆の中に、性善説など生じる余地がない。

しかし、安定した社会の内部の発展による富の蓄積や外部の予期せぬ環境の変化によって、この伝統による支配の説得力は徐々に失われて行きます。だから、歴史的に見て腐敗しなかった官僚は存在していません。時代と共に官僚は必ず腐敗します。その腐敗に我慢ができなくなった時に短期間の大混乱が起こって、新たな連中によってまた新しい長期の中央集権の安定期に移行して、そのうちにまた腐敗して短期の混乱が起こって、、、とこれを繰り返してきたのが、上記の古代のギリシャ、西欧、日本という群雄割拠地域を除いた地球上の圧倒的に大多数の民族の歴史です。

上に述べたように、このような文民支配による中央集権制度では、合理性よりも前例に基づいた伝統が重んじられる。もちろん、その伝統は偶然の成り行きで出来てきたために、各民族で全然違っています。そのようなそれぞれ違った根拠で出来上がってきた彼らのそれぞれ違った価値観を、合理的な論拠に基づいて話し合えば解り合えて一つの価値観に統一できるはずがありません。唯一できることは、互いに価値観の違いがあることを認識し、それを認め合って、一方の価値観を相手に押し付けずに、それぞれのやり方に任せることです。

真木さんの言う、死の覚悟を持って、とか、名誉を重んじ恥じた行為をしない、とか、公に尽くす、と言う価値観は古代のギリシャ人や群雄割拠で戦争に明け暮れた西洋人や源平以降戦国時代を経験した日本人には理解できるでしょう。しかし、このような武人支配を長年続けてこず、文系の官僚支配を続けてきたにこの地球上のほとんどの国の人には理解できない価値観だと思います。そのような国とうまくやってゆくためには、日本人独特な価値観を相手に強要するのではなくて、某元防衛省大臣がおっしゃったように「丁寧に無視」しながらお付き合いが最善の方法だと思いあますが、どうでしょうか。

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越...続きを読む

Qキリスト教や仏教やイスラム教やヒンドゥー教等は 何とか統一できないものか?

宗教が統一できれば世界的に平和にも近づくのではないでしょうか

どうやるのかは分かりませんが 統一教会はキリスト教の神霊を統一しようとして失敗した

キリスト教に拘らず 全ての人に 無宗教の人にも納得の行く教えを練り出せないものか?

まずはそれらの宗教の代表が会議してる様なので もっと危機感を持って

自分から変わる意識を持って 緊張感を持って月に一度でも2週に一度でも会議を2,3日

かけても何とかして宗教が協力して進化する様な宗教哲学を活性化出来ないものでしょうか?

Aベストアンサー

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調することを目的とする
等が挙げられます、

柳沼正広氏による第2章「キリスト教と諸宗教 宗教の神学」では、
キリスト教が他の諸宗教をどのように考えてきたかが述べられています。
諸宗教に対する考え方として、
排他主義、包括主義、多元主義、多元主義への批判を取り上げています。
他宗教を理解する努力のなかで、
自身の宗教への理解や反省が深められていく
宗教間対話の持つ重要性について論じています。

中国における中心的な思想である儒教に対して、
外来宗教である仏教と、儒教より後に成立した道教が
、自らの立場を主張しつつ、互いに交流と対話を
行ってきた歴史を辿っています

統合、に必要なものは「信」です
「不信」が統合を不可能にしています
宗教間の争いを無くすには
信頼関係を結び、友好、交流活動の継続しかありません

信は  結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調...続きを読む

Q哲学とは何か?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学とは何かということについて、野矢氏は、次のように述べています。

ごく簡単に哲学史を述べれば、アリストテレスは哲学を学問として捉えていた。
トマス・アクィナスにとっては、哲学は宗教であった。
デカルトは、哲学は学問の基礎であると考えていた。
現代においては、哲学者の数だけ定義が存在すると言って過言ではない。

私(野矢氏)にとって哲学とは、人間の言葉を使った複雑な思考の中の問題として
1.思考の全体を見通せていない、2.思考を支えている多くの暗黙のものを自覚し
ていない、3.全体の曖昧さ、矛盾を分からないでいる、これらの問題を解決する
ことである、と。

確かに、哲学というものの定義は、様々であることは実感していました。だから、
「さあ統一しましょう」といったところで、そううまくはゆかない。せめて、各々
の定義を理解し合えたら、もう少し意義のある対話ができるかも知れません。

さて、あなたの「哲学の定義」はというと、どういうことになりますでしょうか?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学...続きを読む

Aベストアンサー

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人間の尊厳の確認であったかのような印象があります。

その旗頭であるソクラテスが牢獄に繋がれ、毒をあおって死ななければならなかったため、何か、陰惨な印象を持っていましたが、何年か前、彼の牢獄であったと伝えられている岩屋を訪れる機会があり、その場所が、アクロポリスを見渡せる、風光明媚な場所であったため、何だか、足元のはしごを外された気分、というか、牢獄でさえ、知的でした。

おっしゃる通り、哲学は、対話によって、曖昧なものや無意識に受け入れていた事柄を、明確にしてゆく役割を担っているのだと思います。中世以降のヨーロッパでは、キリスト教が邪魔になりましたが、現代の日本では、いかがでしょうか。

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人...続きを読む

Qやはり、知恵のある人間はいても、 全ての面で100%賢い人間、全知全能な人間はいませんし、 また、男

やはり、知恵のある人間はいても、
全ての面で100%賢い人間、全知全能な人間はいませんし、

また、男らしい人間、しっかりした人間はいても、
100%強い人間や完全無欠な人間はいませんね。


どんなに知識や知恵があって優秀な人に遭遇していても、
全知全能でない他人の事を何でもかんでも「まだ知恵が足りない」とか、「君、本当に賢いのかあ?」
とか謗ったり、

また、完全無欠でない他人の事を、何でもかんでも「男らしくない」だの「情けない」だの「男のくせに」だのと謗ったりするのは、相変わらず流行っているんですかね?

なら本当、困ったものですよね?

Aベストアンサー

「完全無欠な人」はいない。「完全無欠でないことは当たり前」。

だから、「完全無欠でないことは当たり前なので、人を欠点をわざわざ指摘して謗ったりするのはおかしい」ということでしょうか?

最初の回答者の方と同様の意見ですが、論理展開がおかしいかなーと感じます。

誰も「完璧であれ」なんて言ってません。
「男らしくしろ」「もっと賢くなれ」というのは、あなたの言う「完全無欠」のこととは別問題な気がします。

Q人間が人間を超えるものをつくること

たとえば、情報工学の先端でAIの研究に携わっているとしましょう。
すべてにおいて人間を超える可能性を秘めているものを対象として目の前におくとき、主観は常に対象を客観視できるでしょうか。
人間が人間を超えるものをつくる、ということは、あえて極論を言いますと、人間が人間を滅ぼすというポテンシャルを含み持つことです。
IT化による効率性、利便性は今や否定できません。
ITシステムが修正を繰り返し生き延びる様は人間のようであり、自ら学習を重ねて賢くなる人工知能AIはいつか人間を超える存在になると言われます。
そのようになると想定される場合に、果たして人間は冷静に客観である対象に向き合えるものでしょうか。それとも、専門家のあいだでは人間を超えることはないという根拠があるから、冷静に研究開発を続けられるのでしょうか。
もしそうならば、それを開示して世の中の不安も同時に払拭していく責任も同時にあると思うのですが、皆様はどのように思われますか?

Aベストアンサー

#14です。お礼ありがとうございます。

>ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

頭のいい人たちはすでに19世紀初頭に警鐘を鳴らしていますよ。
たとえばJ・J・トールキンは「人間らしさ」を「自然(精霊や斎もの)との交流と恐れが人間の本質である」としてそれが失われる前に指輪物語を書きました。指輪物語で人間以外が西の国に行ってしまうのは、まさに19世紀が「機械に人間が乗っ取られ、人間性を失う時期」だったからです。

同様にラフカディオ・ハーンは日本に来て「まだ人間性が残っている今のうちに記録を残そう」と小泉八雲として様々な小説を著作しました。

「メトロポリス」なんていうデストピアを描いた映画もありましたね。

どれも19世紀末から20世紀初頭の作品で、この辺りが機械を発明した第一世代から、機械と共存する第二世代に変わった時期なのでしょう。それから先はコンピューターでもAIでも機械化の延長にすぎないわけです。

人間のほとんどは「科学文明と共に生きること」を選んだのです。そのほうが「犠牲はあるかもしれないが、少なくとも自然の中で恐れて生きているよりは幸せである」と考えたからです。

実際、20世紀の科学進歩はすさまじく、それ以前の不治の病とされた天然痘は撲滅、ペストなどは激減、結核は治るようになり、飛行機を使えば1日で世界一周できるようになりました。機械を使うことによる犠牲者はあるものの、全体で見れば「機械のおかげで人は死ななくなった」のです。

ですから、今後もAI化などは「ほとんどの人が疑問を持たずに」進んでいくのだと思います。でも結局人間はそれで幸せなんだと思いますよ。

私には子供が居ますが、20世紀初頭の乳幼児の死亡率は50%以上だったわけです。つまり10人産んでも5人しか残らない社会で、ほとんどの人が「長生きできなかった兄弟」を背負って生きていたわけです。父母の、特に母親が自分でお腹を痛めた子を失う辛さと残酷さは悲劇以上のものだったでしょうが、たった100年前はそれが普通だったわけです。

今は乳幼児の死亡率は先進国なら数パーセントしかありません。

私は「人類が科学技術を捨てて『人間性を取り戻す』ことを望むのか?」と聞かれればNOだと思います。その代り人間は「機械とうまく付き合っていく」しか道はないのだと思います。

>人間はAIの奴隷。モルモット。

人間は自分で機械・技術の檻の中を選んだのです。アマゾンや砂漠地帯など一部の人間たちは拒否しています。ああ、インドに「文明を受け付けない島」があるようですが、そういう人たちはまだ「人間」なのでしょう。

でもほとんどの人間は自分たちで望んで、機械・技術に守られることを選んだのです。

#14です。お礼ありがとうございます。

>ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

頭のいい人たちはすでに19世紀初頭に警鐘を鳴らしていますよ。
たとえばJ・J・トールキンは「人間らしさ」を「自然(精霊や斎もの)との交流と恐れが人間の本質である」としてそれが失われる前に指輪物語を書きました。指輪物語で人間以外が西の国に行ってしまうのは、まさに19世紀が「機械に人間が乗っ取られ、人間性を失う時期」だったからです。

同様にラフカディオ・ハーンは日本に来て「まだ人...続きを読む

Q本当に本当に大事なものほどお金がかからない、と思いませんか?

本当に本当に大事なものほどお金がかからない、と思いませんか?
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例えば空気とか。

Aベストアンサー

空気というか、酸素を作りだしている
のは植物でしょう。

植物の維持管理には、かなりのお金が
かかっています。


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