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《真理がすべてにおいてすべてである》人間はいるか?

1. いない。または いる必要がない。
――これを論証して ゴータマ・ブッダのさとりが まやかしであったという
結論を得たい。

2. 《ブッダなるさとり》論に終止符を打ちたい。不毛であると。


 
3. ここで《真理》とは 変わることのない真実を言う。

4. 《真実》とは 主観真実ということなので 《変わらざる》という条件づ
けは マチガヒなのであるが それを超えて 真理を想定する。

5. 真実とは 事実認識とそれについての主観の価値判断を言う。

6. 《事実認識》は どの主観が見ても同じ内容であるという認識行為の理念
型を想定する。

7. 主観には価値判断のほかに いわゆる心あるいはまた存在全体としての境
地が含まれる。

8. 主観真実の動態 これが 《人間》である。その真実には マチガヒやウ
ソ・イツハリも負の真実として含まれる。

11. 人間の生きる動態における《変わらざる真実》が 時空間のすべてにお
いてすべてである――そのようなひとりの人間はいるか?

12. いるかどうかよりも そのように想定される人格(?)の人間は いる
必要がない。のではないか?

13. さて 《ブッダなるさとり》とは 何か? まぼろしではないか? 人び
とは まぼろしを追い続けているのではないか。

A 回答 (3件)

真理というものを詰めていくと


利他と利己が梵我一如的に合致するもの
なんだろうと思っています。
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この回答へのお礼

そうですね。――ご回答をありがとうございます。

厳格に捉えてみますと:
★ 真理というものを詰めていくと
☆ というのは 真理が絶対性のことならば 人知におよぶものではないわけ
ですから つき詰めるという操作も 無理だというのが まづ形式論理です。

絶対性なる神について人間は 分かるか分からないかが分からないナゾである
ゆえ じつは 忖度することがあり得ます。

忖度として――推理として――のかぎりで 個人の神観〔とそれに一般性を付
与した神学〕そしてあるいは経験合理性にもとづき問い求め整理した哲学とし
ての神論が 持たれるようになります。

絶対性を擬人化して 絶対者なる像(概念)を持ち そこから創造主なるイメ
ージを得て これは 宇宙論や倫理規範をさぐる物語になっています。



さて:
★ 利他と利己が梵我一如的に合致するもの
なんだろうと思っています。
☆ なお厳密に考えるなら:
★ 利己と利他
☆ は 経験的なものごとにかかわる経験思想であり
★ 梵我一如
☆ は なかば経験世界を超えたところ――つまり 信仰――におけるその内
実の推理(ヒラメキ)による分析です。


つまり 信仰は 非思考です。

思考に非ざる信仰におけるあたかもウゴキのごとく 思考(また感性)にもと
づく倫理行為が 成る。ということ。
――このように解釈し得ると思います。

要するに 善悪の彼岸があこがれのごとくに目指されるように 利己と利他と
も それらを超えつつ その高い場において一体性として捉えられている。で
しょうか。



このご見解を 次の見方に当てはめてみると:
☆☆ 2. 《ブッダなるさとり》論に終止符を打ちたい。不毛であると。
☆ 《不毛》ではないとまづ思います。そうして その見解をもって いわゆ
るブッダのさとり論には 終止符が打てる。こう思いますが いかがでしょう?

ゴータマ・ブッダの思想には 未練がおありでしょうか?

お礼日時:2019/03/02 11:32

たぶん、ですが。



《真理》=《真実》として。
いわゆる人の主観と云うものは、真理を捉えるには能力不足ですね。
あの釈尊だって、出家して修行しなければ真理にたどり着けなかったのですから。

唯我独尊なんて産まれたばかりの赤子が云う訳は有りません。そんな事を本気で受け止めて、思考の根拠にしているから、ブラジュロンヌ哲学は普及しないのです。

《真理》を知ろうと修行するのは、己の不完全な心を真ったくする為です。

釈尊の『教え』は宇宙の真理を説いた“般若心経”と人の心理と生き方を説いた“四諦・八正道”だけで良いと思います。

ほかの経典は、人を迷わすばかりの枝葉の事柄。

☆ 視点がモンダイですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ いわゆる人の主観と云うものは、真理を捉えるには能力不足ですね。
☆ 変わらざる真実としての真理は 人知の及ばないものですね。

なのに どうして次のように想定するのでしょう?
★ 《真理》=《真実》として。


★ あの釈尊だって、出家して修行しなければ真理にたどり着けなかっ
たのですから。
☆ この命題(判断)は 何の根拠も理由もありませんよ。



★ 唯我独尊なんて産まれたばかりの赤子が云う訳は有りません。そん
な事を本気で受け止めて、思考の根拠にしているから、ブラジュロンヌ
哲学は普及しないのです。
☆ 非は 自己表現した側にあります。あんなものは うわさであり伝
説でしかないとひと言 言っておけばよかったということです。


★ 《真理》を知ろうと修行するのは、己の不完全な心を真ったくする
為です。
☆ まったく=全く ですか。

いいですか 《人知の及ばない真理》は 修行する・しないとはまった
く関係ありません。

人間の真実――相対的で有限である――については 誰でも或る程度
人生を生きればそのぶん分かるようになります。



★ 釈尊の『教え』は宇宙の真理を説いた“般若心経”と人の心理と生き
方を説いた“四諦・八正道”だけで良いと思います。
☆ そんなことは 誰でも知っています。

★ ほかの経典は、人を迷わすばかりの枝葉の事柄。
▲ (アハンカーラ論(?))~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 《わがもの》という観念を離れ 自我意識を離れたものなるものは
 存在しない。《わがもの》という観念を離れ 自我意識を離れたも
 のなるものを見る者は 〔実は〕見ないのである。
 (ナーガルジュナ:『中論』第十八章 アートマンの考察 第三詩)

という。これは驚異的な発言である。われわれは平生は我欲に悩まされ
ているから 我欲を離れた境地に到達したいと思う。ところが我欲を離
れた境地というものが別にあると思う人は 実は真理を見ていないので
ある。
   
     (中村元『龍樹』2002 pp.225-226)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★☆  視点がモンダイですね。

お礼日時:2019/02/23 18:14

まあ、人間を設計したのは人間ではありませんので、思考で全てを解決することは出来ないでしょう。



この世に生まれる前は存在せず、死んだ後も存在しない人間に、森羅万象の全てを理解するというのはとてつもなく壮大過ぎるテーマでしょうから。

私は悟りとかよくわかりませんが、悟ったと思っても、実際「悟れているか」は検証が出来ません。

ま、出来なくても良いんですけど

気がついたら人間として生まれていて、腹が減ったから食べる、自分の親もそうやって誕生した。その時代の価値観で教育され、共通言語で意思疎通する。人類はずーっとどの繰り返しでしたから。

実はこの世は分からない事が全てでしょう?それが科学、物理など学問が発達して、色んな事のカラクリが分かって来た、といってもほんのごくわずか。

ブッダが説いているのは、日々悩まずに生きるための心の有り様だと思っています。何も超人になるわけじゃない。

でも、何か超絶した存在に依存したい人達向けに、神、とか言って崇拝させるためにイエスとかブッダの名前や教えを利用したりするんでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ まあ、人間を設計したのは人間ではありませんので、思考で全てを
解決することは出来ないでしょう。
☆ 思考で解決できるものは そうしましょう。


★ この世に生まれる前は存在せず、死んだ後も存在しない人間に、森
羅万象の全てを理解するというのはとてつもなく壮大過ぎるテーマでし
ょうから。
☆ 森羅万象を――この経験世界を――超えてみればよいのです。そう
いう想像力と思考力を人間は 持ち合わせています。

★ 私は悟りとかよくわかりませんが、悟ったと思っても、実際「悟れ
ているか」は検証が出来ません。
☆ 他人(ひと)より一段としゃれた知恵を出すことができれば その
ぶんさとりを得ていると言えましょう。

★ ま、出来なくても良いんですけど
☆ 部分的に出来ることがあり あとは――出来なくても――全体観と
して世界が分かっているなら 或る程度のさとりであると言えましょう。

この見方は 次のふたつの命題についても寄せることができると思いま
す。:
★ 気がついたら人間として生まれていて、腹が減ったから食べる、自
分の親もそうやって誕生した。その時代の価値観で教育され、共通言語
で意思疎通する。人類はずーっとどの繰り返しでしたから。

★ 実はこの世は分からない事が全てでしょう?それが科学、物理など
学問が発達して、色んな事のカラクリが分かって来た、といってもほん
のごくわずか。




★ ブッダが説いているのは、日々悩まずに生きるための心の有り様だ
と思っています。何も超人になるわけじゃない。
☆ 唯我独尊と自称しています。


★ でも、何か超絶した存在に依存したい人達向けに、神、とか言って
崇拝させるためにイエスとかブッダの名前や教えを利用したりするんで
しょう。
☆ そこは 神論として基本的な理論立てを必要とするところでしょう。

お礼日時:2019/02/23 13:15

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