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一概には言えないかもしれないのですが、トルストイとか昔の文豪の小説を読んでいると、ストーリーとは関係のない会話が煩わしく感じられるのは、一体何故なのでしょうか?私の問題ですか?それとも、作家や時代の問題?

A 回答 (5件)

欧米文学の特徴のように思えます。



本筋とは無関係なことを、延々と何ページにも
渡って展開する、というのは欧米の小説に
よく見られる手法です。

人物描写にしても、物語の展開の過程で
紹介すればよさそうなものを、
これまた数ページにわたって、こういう性格
なんだ、人物なんだ、と紹介しているのは
うんざりします。

一説には、ページが多くなればなるほど、
作家も出版社も儲かるからだそうです。
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この回答へのお礼

そうなんですか!?

お礼日時:2019/02/26 17:05

外国文学で、意味が通らないのは、翻訳が間違っているからだ、というふうに、英語科にいた時分、教えられたことがあります。



もう一つは、特に会話の部分は、地の文と違って、感情を乗せてゆかなくてはいけないし、脈絡のない、突拍子のないこともあり、訳者も読者も一緒に戸惑ってしまっている。

時代が違うということについては、私にとっては、バルザックの作品が、どうしても共感が寄せられない。読むのが苦痛です。名作に必要な、時代の壁を超えることができなかった印象ですが、私の読み方が、違うのかもしれません。
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この回答へのお礼

有り難うございます。

お礼日時:2019/02/26 14:11

リアルな人物像を追求した結果。

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この回答へのお礼

なるほど。

お礼日時:2019/02/26 14:11

貴方の問題です。

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この回答へのお礼

そうですか…

お礼日時:2019/02/26 14:11

あらすじを


追っているだけでは?

小説家は
根本的には
「ストーリー・テラー」
では無い。

と思います。
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この回答へのお礼

うーむ…。痛い所を突かれました。

お礼日時:2019/02/26 04:04

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精神をあまり病まず自殺も犯罪もしない人は、どのように分かれるのか?ですが。

やはり、文学とか漫画以外にも色々と多趣味、多才であったりと、
時々、運動、スポーツや武道、筋トレをしたりで身体も鍛えたり、
偏らずに様々な分野の本を読んだり、
仲が良い友人や知り合いと遊びに出掛けたり、でしょうか?
サルトルなら政治活動とかもしていましたね。

因みに、私も私の友人S氏も、社会人(会社員)11年目で、S氏は作家志望ではありますが、普段は人の書いた色々な本を読んだり映画やドラマをDVDで観たり、身体を鍛えたり、書道やデトックスヨガや自力整体とかを習っていたりと、多趣味に色々と楽しむ日々で、このところ、自分でパソコンにより執筆や投稿はなかなかせず、
某アプリには毎日のように随筆や色々なポエムを書いたりはしているみたいです。

また身体も鍛えてますから、身体を鍛える事の楽しさや喜びについても書いたりしているみたいで私は感心します。
また、どうしても作家になれないならなれないで、それもまた良い、と、作家はなれても尚且つ自分で何とかしていかないといけない仕事が作家とかだから、経験とか知識とか叡知とか蓄えも必要だから遅咲きでも良い、とは言っています。

因みに、S氏が読むのは今でなら、ドストエフスキーやガルシアマルケス、安部公房や川端康成、夏目漱石、サルトルやゲーテやトルストイ等、なかなか深い内容の物が多く、他には色々、心理学や倫理学や自己啓発本を読んだりしているみたいです。

絶対、なろうと考えながら、しかし、なれない場合でも仕方が無いと考えるのがS氏だそうですが、私はそれで良いとは思っています。
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作家や漫画家や文学者でも、精神を病んだりして最悪で自殺に至る人と、
精神をあまり病まず自殺も犯罪もしない人は、どのように分かれるのか?ですが。

やはり、文学とか漫画以外にも色々と多趣味、多才であったりと、
時々、運動、スポーツや武道、筋トレをしたりで身体も鍛えたり、
偏らずに様々な分野の本を読んだり、
仲が良い友人や知り合いと遊びに出掛けたり、でしょうか?
サルトルなら政治活動とかもしていましたね。

因みに、私も私の友人S氏も、社会人(会社員)11年目で、S氏は作家志望ではありますが...続きを読む

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他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
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>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

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>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
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出来れば自殺や犯罪をせずに一生を終えるのが正常な人間ではありますが。

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しかし、医師や医学博士や宇宙飛行士は、理数系以外にドイツ語とかの言語力も必要で、体力もかなり必要で、
身体の事に詳しいなら、人によっては趣味としてスポーツや武道もする人もいますから、その人達を専門馬鹿とか言うのは、ただ暇潰しか嫉妬による中傷に過ぎないですよね?

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若者はタコ足のように何にでも興味を持っている。それに対して、歳を取るということは、その足を一本一本断ち切って来ることです。

だから、貴方の言っていることは、優秀な人とそうでない人との比較の話でなく、精神的に若い人と精神的に歳を取ってしまった人の話ですね。

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Q<雨がふります 雨がふる>は、前が丁寧文であり、後は普通文ですね。なぜ、丁寧文と普通文が連なっている

北原白秋の作詞の童謡「あめ」は、親しまれていますね。
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ところで、このフレーズは同じような内容で、前が丁寧文であり、後は普通文ですね。
質問は、なぜ、丁寧文と普通文が連なっているのでしょうか?
(調子の良い七五調になっていますが)

Aベストアンサー

質問者の方が既にお気づきのように、歌全体を通して調子の良い七五調になるように、
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丁寧な言い方と普通の言い方の組み合わせも、初めは違和感を覚えるかもしれませんが、
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Q心から信じていれば命さえも懸けられる

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命綱が切れないと心から信じているから命を懸けているではありませんか。この事実があるのに何故、皆さんこの事実を否定されるのか。事実判断を皆さんの価値判断で否定することなどできませんよ。事実そうなのですから。

「本当に信じていれば、全財産や命さえも懸けられる」というフレーズは色んな難しい社会的問題を解決できる魔法の言葉なのです。
例えば 従軍慰安婦問題も「本当に韓国政府が従軍慰安婦問題(少女二十万人拉致、性奴隷)があったと心から信じているなら、もし間違っていたら竹島を無条件で返してもらうぞ」と言えばそれで片が付くのです。何故なら韓国政府は本当は慰安婦の証言など信じていないのですからです。

このようにこのフレーズで多くの難問は解決できるのです。皆さんも「本当に、心から信じていれば命さえ懸けられるだろう」という言葉に嫌悪感を示さずにどんどん使いましよう。あらゆる難しい問題もすぐに解決できるのですから。

「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命...続きを読む

Aベストアンサー

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越されね荒海のおかげで、他の文化とは遮断され、縄文時代から現在に至るまで数千年かけて世界的にも類を見ない特異で独特な文化、すなわち価値観を築き上げてきました。外国で生活してみるとへーって思うことばかり。日本人の考え方ってこの国の人とそんなに違うのかって思い知らされることばかりです。例えば、日本人てこの地球上で性善説を信じている唯一の文化を持った国民なんですよ。そして、話し合えば解ってもらえると信じている人が態勢を占めている。

でも、日本以外の国では陸続きだったために互いに侵略しあい、戦に負ければ男どもは殺され、女どもとその子供は奴隷にされてきた。長い歴史の中でそんなことを繰り返してきた人々に性善説を信じよといっても無理です。

もちろん、日本人の作り上げてきた価値観の中には、外国の一部の世界で作り上げてきた価値観と共通した部分がないわけではなく、その共通項の部分のために、日本人が尊敬されている部分もあります。例えば正直であるとか、約束を守るとか、名誉を重んじ恥づべきことをするなという価値観です。このような価値観は、昔のギリシャや中世の西欧や日本のように、常態が群雄割拠で、いつも小国同士が小競り合いの戦さをしていた歴史を持った国に共通した価値観です。そしてこれは、基本的に武人たちが国を支配してきた世界に生じた価値観です。武人は基本的に理系人間で、技術と合理性を重んじる文化を作り上げてきた。しかしこのような小国による群雄割拠が常態であった地域は世界史的には例外に属しています。

世界史的には、圧倒的に大多数の民族は常態が群雄割拠ではなくて、強大な力を持つ政府による中央集権でした。中央集権国家では、小国同士ような小競り合いもほとんどなく長期にわたって安定して平和が保たれていました。そしてこの安定した中央集権国家の支配者は官僚と呼ばれる文系人間でした。戦さもなく社会が安定しているゆえに官僚が世襲化されるようになる。この世襲化された官僚のことを貴族とも呼んでいました。このような安定した社会の支配層を維持するために必要なのは、技術でも合理性でもなく、前例という伝統を重んじる固定化された価値観です。そのように合理的な根拠もなく支配されている一般民衆の中に、性善説など生じる余地がない。

しかし、安定した社会の内部の発展による富の蓄積や外部の予期せぬ環境の変化によって、この伝統による支配の説得力は徐々に失われて行きます。だから、歴史的に見て腐敗しなかった官僚は存在していません。時代と共に官僚は必ず腐敗します。その腐敗に我慢ができなくなった時に短期間の大混乱が起こって、新たな連中によってまた新しい長期の中央集権の安定期に移行して、そのうちにまた腐敗して短期の混乱が起こって、、、とこれを繰り返してきたのが、上記の古代のギリシャ、西欧、日本という群雄割拠地域を除いた地球上の圧倒的に大多数の民族の歴史です。

上に述べたように、このような文民支配による中央集権制度では、合理性よりも前例に基づいた伝統が重んじられる。もちろん、その伝統は偶然の成り行きで出来てきたために、各民族で全然違っています。そのようなそれぞれ違った根拠で出来上がってきた彼らのそれぞれ違った価値観を、合理的な論拠に基づいて話し合えば解り合えて一つの価値観に統一できるはずがありません。唯一できることは、互いに価値観の違いがあることを認識し、それを認め合って、一方の価値観を相手に押し付けずに、それぞれのやり方に任せることです。

真木さんの言う、死の覚悟を持って、とか、名誉を重んじ恥じた行為をしない、とか、公に尽くす、と言う価値観は古代のギリシャ人や群雄割拠で戦争に明け暮れた西洋人や源平以降戦国時代を経験した日本人には理解できるでしょう。しかし、このような武人支配を長年続けてこず、文系の官僚支配を続けてきたにこの地球上のほとんどの国の人には理解できない価値観だと思います。そのような国とうまくやってゆくためには、日本人独特な価値観を相手に強要するのではなくて、某元防衛省大臣がおっしゃったように「丁寧に無視」しながらお付き合いが最善の方法だと思いあますが、どうでしょうか。

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越...続きを読む


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