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四段活用にはカ行、サ行、バ行の3つ以外にありますか?

A 回答 (3件)

四段活用と呼ぶ以上、古典文法のことですね。


ア行 - なし
カ行 書(か)く   か -き -く -く -け -け
ガ行 泳(およ)ぐ  が -ぎ -ぐ -ぐ -げ -げ
サ行 探(さが)す  さ -し -す -す -せ -せ
ザ行 - なし
タ行 勝(か)つ   た -ち -つ -つ -て -て
ダ行 - なし
ナ行 死(し)ぬ※  な -に -ぬ -ぬ -ね -ね
ハ行 笑(わら)ふ  は -ひ -ふ -ふ -へ -へ
バ行 遊(あそ)ぶ  ば -び -ぶ -ぶ -べ -べ
マ行 読(よ)む   ま -み -む -む -め -め
ヤ行 - なし
ラ行 切(き)る   ら -り -る -る -れ -れ
ワ行 - なし
 ナ行(死ぬ)は本来「ナ行変格活用」でした。
          な-に-ぬ-ぬる-ぬれ-ねよ
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daaa-さんへ


「ナ行変格活用」の命令形へのご指摘有り難うございました。(ナ変のことは言わずもがなでしたね)
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余計なことですが、ナ変は命令形に注意です。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E8%A1%8C …
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Q【が】についての質問です。 外国人の友人からこのような質問があり、答えられずに悩んでおります。 ☆質

【が】についての質問です。
外国人の友人からこのような質問があり、答えられずに悩んでおります。

☆質問
1.〔答えは、100円ですよ〕と〔100円が、答えですよ〕とは言えますが〔答えが、100円ですよ〕とは言えま…すか?
〔もし、次の標的が自分だったらどうしよう〕とかは言えますが、何ででしょう…?
【が】が使える理由についてご教示ください。

〔答えが100円ですよ〕
〔明日の天気が雨だったらどうしよう〕

Aベストアンサー

■1■
「〇〇が△△」は、△△という述部の主格が〇〇であることを示している。
つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。
「直接的な関係」なので、

【「〇〇が△△」は、あるひとつの状態を表したいとき に使う】

と定義することができる。

A.
〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何(円)が答えですか?
という設問に対応している。

B.
〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに使う。
・100円は何ですか?
という設問に対応している。

A と B はどちらもあり得るシチュエーションなので、どちらも間違ってはいません。
ただ、B のように「100円は何ですか?」と問われるようなシチュエーションは稀であるため不自然に感じられるだけです。
稀なシチュエーションとは、たとえば、
・100円を私にくれると言ったのですか?
・いえ違いますよ。〔答えが、100円ですよ〕と言ったのです。
といった会話の場合など。

■2■
「は」の基本的用法は「主題提示」です。
「〇〇は△△」は、〇〇という主題を提示した上で、それに関して△△であると述べている。
「〇〇についてコメントを述べる」という構造なので、

【「〇〇は△△」は、〇〇について△△という コメントを表明したいとき に使う】

C.
〔答えは、100円ですよ〕は、答えについて「それは100円だ、というコメント」を表明したいときに使う。
・「答え」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか?
という設問に対応している。

■3■
〔明日の天気が雨だったらどうしよう〕
〔明日の天気が雨〕(+条件)という構文。

「明日の天気が雨という状態であること」を表わしている。
・いつ(何日)が雨ですか?
という設問に対応している。

■4■
以下の比較がわかりやすいかも。

[ 桜がきれいだ ]
「桜がきれいという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何がきれいですか?
という設問に対応している。

[ 桜はきれいだ ]
桜について「それはきれいだ、というコメント」を表明したいときに使う。
・「桜」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか?
という設問に対応している。

因みに、以上で申し上げてきた「設問」は「暗黙的な設問」の場合も多い。
特に聞かれなくても、そういう設問があったという前提で答える形になる場合も多い、という意味です。
あくまで、構造をわかりやすくするために想定された「設問」、というふうに捉えていただければ。

■1■
「〇〇が△△」は、△△という述部の主格が〇〇であることを示している。
つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。
「直接的な関係」なので、

【「〇〇が△△」は、あるひとつの状態を表したいとき に使う】

と定義することができる。

A.
〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何(円)が答えですか?
という設問に対応している。

B.
〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに...続きを読む

Q敬語で人を罵倒することについて

日本語を勉強中の中国人です。昨日このサイトから敬語で人を罵倒することもできるようと知りました。ちょっとよく理解できないのですが、会話の例文を見せていただけないでしょうか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたらそれも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

何をおっしゃっているかわかりかねます

というのは敬語の侮蔑

Q高を「こー」ではなく「こ・う」と発音する人・場合は有りますか?

韓国に住んでいます。道を歩いていたら、ある看板が見えました。「日本こうち県・・・」とハングルで書いてありました(漢字無し)。日本に「こうち」県というのがあったけと瞬間思いましたが、「高知」ですね。もちろん、ハングルの「코우(こう)」は本当に「こ・う」と読んで「こー」と読むことは無いです。それで思ったんですが、日本語で「高(こう)」を「こー」ではなく本当に「こう」という場合はありますか? わざと一字一字をいうために「こ」「う」という場合ではなく、本当に話すときに「こう」というのはありますか?

例えば、「先生」とかは普通は「せんせー」というと思いますが、歌などではよく「せんせい」という場合もよくありますし、アニメーションでの会話では「せんせい」という人もいたと覚えています。しかし、歌でも漢字の「こう」を「こう」というのは聞いたことが無い気がしまして。

Aベストアンサー

高はすべて「こー」で「こ・う」はありません。そもそも「こ・う」と発音する日本語は次の2つだけです。
動詞:恋う:乞う・請う、いずれも古い日本語で、これも多くの場合「こー」と発音する場合があり、かつ現代では滅多に使いません。

なぜ「ー」のような長音記号を使わないかについては、一応約束事があるからです。詳細については下記を参照ください。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/gendaikana/index.html

Q「一人」は訓読みで「ひとり」 「二人」は訓読みで「ふたり」 では「三人」やそれ以降は訓読みでなんと言

「一人」は訓読みで「ひとり」
「二人」は訓読みで「ふたり」
では「三人」やそれ以降は訓読みでなんと言うのでしょうか?やはり「みひと」?
平安時代どの様に人を数えていたのか知りたいです。

Aベストアンサー

>では「三人」やそれ以降は訓読みでなんと言うのでしょうか?
みたり、よたり、いつたり、むたり、ななたり、やたり、ここのたり

Q国文法の助動詞と日本語教育文法の接辞と語尾について

国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)とされています。
ナ形容詞(国文法の形容動詞)の場合はいずれにしても語尾(スフィックス)ですが、
イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、語尾でしょうか。

Aベストアンサー

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

  丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思うのですが、日本語文法
  では何に位置付けられているのかを知りたいのです。

というところで、「丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思う」とありますが、ここも「繋辞ではなく」なのでしょうか。

大事な用語が違っていては、何が何だかわからなくなります。

ああ、もっと後の「コメント」で、

  この形容詞(イ形容詞)に用いられる「です」は形容詞(イ形容詞)の語尾(sufix,
  суффикс)なのか、繋辞(copulă, связка)なのかという質問です。

とありますね。「語尾(sufix」ということは、「語尾=接辞(suffix)」ですね。これではっきりしました。
しかし、この「です」はどう見ても、二つの名詞を「繋いで」はいないので、「繋辞」ではありえないでしょう。

井口厚夫の説明がわかりやすくていいですね。コピュラでなく、活用語尾とも言えない。形容詞普通体の、独立できる形にくっついているだけですから。
しいて分類するなら「接辞」でしょうか。

それにしても、

  いろいろな考え方のご紹介は結構ですので、「赤いです。」の「です」を助動詞
  という用語を使わずに外国人にどう教えるのかについてだけご存知の方のご説明
  をお願いします。

という最後のコメントは強烈ですね。

「どう教えるか」という観点から言えば、この「です」の品詞論・形態論的位置づけをごちゃごちゃ考える必要はない、でいいんじゃないですか。そんなことを学生に言う必要もないし、教師も悩む必要はない。
「形容詞の後について「丁寧」の意味を加える」、と言えば終わりです。

日本語学としてこの辺の形態論を教えるなら、何か適当なことを言わなければなりませんが、「日本語文法」での定説・通説などないし、例外的な用法なので例外として扱うのがいいでしょう。

そう言えば、初めの「日本語(教育)文法」とは何を指しているのか、という問いへのお答えはないのですね。まあ、いいですけど。

saburoo

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

...続きを読む

Q繋がる の可能形

繋がる の可能形は何ですか。繋がられるですか。

Aベストアンサー

何だかいろいろ錯綜していますね。

まず、可能形(可能動詞・可能構文)というのは、すべての動詞についてあるわけではありません。

   可能構文は意志的な行為について述べるため、通常、主語は有情物であり、
   動詞は意志動詞に限られる。
                『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

例えば、自然現象である「雨が降る」「雷が鳴る」は、
   ×雨が降れる  ×雷が鳴れる
とは言えません。

人間の非意志的な動作、例えば「財布を忘れる」も、
   ×財布を忘れられる
で、可能形は使えませんが、「嫌なことを忘れる」なら、「忘れよう」と努力して、
    嫌なことを忘れられた/忘れられない
のように可能形が使えます。

「つながる」も、
    この路線は地下鉄につながっている
では非意志ですが、
    世界の人とつながろう!
のような用法なら意志動詞です。

「意志動詞」というのもよく分からないところがありますが、ある動詞が意志動詞かどうかというよりも、用法ごとに考えるべきでしょう。

さて、「つながる」の「可能形」ですが、ひらがな単位でやるよりも、形態論の分析はローマ字を使ったほうがいいでしょう。

   可能構文の述語動詞は、動詞の語幹に可能の接辞をつけて作られる。可能構文は、
   動詞の語幹に接辞「-e-ru」(I型動詞の場合)や「-rare-ru」(Ⅱ型動詞、「来る」
   の場合)が付加した派生動詞によって表される。
           『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

「つながる」は五段動詞(I型動詞)ですので、
   tunagar -u → tunagar -eru つながれる (「つながられる」は受身形)
です。
  例 世界の人々とネットでつながれると思ったのだが、なかなかうまくつながれない。

「可能動詞」という言い方は、五段動詞の場合、助動詞「れる・られる」の付加による
   よむ → よまれる
の形ではなく、普通は「よめる」が可能を表す形として使われるので、それを「よむ」とは別の独立した動詞として名付けたものでしょう。(すみません。この辺の事情はよく知りません。)

この「よめる」という形は、ひらがな単位での分析では「よむ」から作ろうとすると無理があるので、可能形とは呼びたくないのでしょう。

上の、ローマ字を使った(つまりは音素表記?)なら、語幹に「れる」ではなく「-e-ru」をつければいいわけです。

なお、大辞林などが「可能動詞」を付記していないのは、「つながる」の多くの用法が非意志的なものだからではないでしょうか。上に書いたように、ある動詞の用法全体が意志的(つまり可能動詞がありうる)あるいは非意志的であるとは言えないので、その動詞の「可能動詞」が[ある/ない]とどちらかに決めることは難しいのです。

以下は補足的なことです。

「つなぐ」「つなげる」の可能形は、
   tunag -u → tunag -e-ru (可能動詞)  (「つながれる」は受身形)
tunage -ru → tunage -rare-ru (元が一段動詞なので「可能動詞」はない)
です。
この二つの「つなげる」は、上は「つなぐ」の可能形(可能動詞)で、「~できる」の意味を持ち、
下は単なる他動詞です。
   恥ずかしくて手をつなげない。(つなぐことができない)
   コードとコードをつなげる。(結びつける・延長する)

可能の「れる・られる」について、いまだに国語辞典などが「五段動詞は未然形に「れる」がつく」としているのはちょっと驚きでした。
   読まれる 書かれる 泳がれる 死なれる 解かれる 持たれる 言われる 切られる
などを可能の意味で使われると、誤解が生じるのではないでしょうか。(もちろん、普通「読める・泳げる」が使われる、とは注記してありますが。)

saburoo

何だかいろいろ錯綜していますね。

まず、可能形(可能動詞・可能構文)というのは、すべての動詞についてあるわけではありません。

   可能構文は意志的な行為について述べるため、通常、主語は有情物であり、
   動詞は意志動詞に限られる。
                『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

例えば、自然現象である「雨が降る」「雷が鳴る」は、
   ×雨が降れる  ×雷が鳴れる
とは言えません。

人間の非意志的な動作、例えば「財布を忘れる」も、
   ×財布を忘れ...続きを読む

Q大音声という言葉は、人の声以外の音に対しても使って良いのでしょうか?

大音声という言葉は、人の声以外の音に対しても使って良いのでしょうか?

Aベストアンサー

「大音声(だいおんじょう)」
ネット辞書(コトバンク)では見解が分かれているようです。

〇大辞泉:大きな声。おおごえ。

〇大辞林:大きな声。大声。大音。

〇精選版 日本国語大辞典:大きな音声(おんじょう)。大音。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%9F%B3%E5%A3%B0-556462#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88
『人の声以外の音』に全く使えないわけではなさそうですが、「おんじょう」という読みの場合、基本的には人の声だけに使うほうが良いかと。
それ以外の場合は、

大音量
または
大音響

とするのが無難でしょう。

Q米国の大学生はとてもよく勉強するのに……という言説はハーバード大学やコロンビア大学の公共政策大学院を

米国の大学生はとてもよく勉強するのに……という言説はハーバード大学やコロンビア大学の公共政策大学院をはじめとする米国のトップスクールへ留学した教育政策関係者が見た米国大学教育に過ぎない。

筆者がいるミシガン州立大学のような圧倒的多数の大学生を収容する州立の2番手以降の大学などのそれは完全に無視されたものであり、留学帰りの歓迎会の話のネタなら笑って済ませられるが、教育政策議論として語られるべきものではない。

→ 「ミシガン州立大学のような圧倒的多数の大学生を収容する州立の2番手以降の大学などのそれは完全に無視されたものであり、留学帰りの歓迎会の話のネタなら笑って済ませられる」っていうところの意味がわかりません。どなたか教えてくれませんか?

Aベストアンサー

> 言説?

間違いです。



① 巷では、米国の大学生はよく勉強するのに、(日本の大学生は全く勉強しない)という言説が流布している。
② その言説は、ハーバードやコロンビアなどの米国のトップスクールには当てはまる。
③ しかし州立の2番手以降の大学のそれ(≒学生の勉強量)は完全に無視されている。2番手以降の大学の学生は、たいして勉強していない。
④ 留学帰りの歓迎会のネタとして『米国の大学は勉強しているのに』なんて言うレベルなら笑って聞き流せるが、教育政策議論として語るならば、思い込みでテキトーな事ばっか言ってないで、もっと実態をきちんと調査してから言えよ!! 反論したくなる。

というのが筆者の言いたい事です。


ちなみに個人的な体感としては、米国の2番手くらいの大学なら、日本のアホ大学生より、はるかに勉強してます。
3番手くらいになると、もうアホのまま入学してアホのまま卒業します。

Qこの写真の「令」は間違いでは?

写真の「令」の縦棒の最後が、どう見てもハネ上がっているように見えますが、止めるのではなかったでしょうか。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

新聞には、「縦棒」の最後は「止め」でも「ハネ」でも良いと書いてありましたよ。

Q『教会の時計台が見える。』という文、主語は『時計台が』らしいのですが何故でしょうか。 『私は教会の時

『教会の時計台が見える。』という文、主語は『時計台が』らしいのですが何故でしょうか。

『私は教会の時計台が見える』のように、『見える』のは『私』などの人?であって、時計台は見られる方なのでは?と思ってしまいます。

中学2年生レベルで解説お願いします。

Aベストアンサー

学校の国文法では、
『教会の時計台が見える』の主語は『教会の時計台』
と教えられます。
ちなみに『私は教会の時計台が見える』は間違いで『私には教会の時計台が見える』が正しい文です。『私には』は『見える』の修飾語であり、主語ではありません。


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