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妻の父方の家系は祖父が海軍兵学校卒で(他にも色々と理由を述べて)家柄が良かったと自慢していまして、当時の海軍兵学校は東京大学よりも入るのが難しかったとも話していました。特に学校の成績最上位の一般家庭の学生で、卒業してからすぐ安定した職業につく必要のある学生やその家の長男などは間違いなく東京大学よりも海軍兵学校への進学を希望した言っていたのが印象的でした。その当時は東京大学に進学する学生は、成績がある程度優秀で裕福な家庭に生まれ育ち、モラトリアムを楽しみたい、または純粋に学問が好きな学生が進学していたといっておりました。私には真偽のほどはわかりませんが、それほど優秀な人が海軍兵学校に進学していたのでしょうか?

A 回答 (1件)

東大に入るより兵学校に入る方が難しいとは、当時の常識でした。



第一に海軍唯一の正規兵科士官養成所であることです。
ここに入ればよほどのへまをしない限り海軍士官の道は約束されており、
それがたとえ大尉少佐で終わったとしても、やはり奏任官という高等官です。(大尉が六等、少佐は五等)
当時は小学校の校長がもう1ランク低い判任官という身分でした。
この地位の高さは当時の世相ではものすごい魅力です。

第二に採用数の少なさです。
海軍は少数精鋭主義を取っていたため、陸軍士官学校に比べてさえ採用数は数分の一でした。
特に平時はそうで、たとえば大正末期から昭和の初めまでの採用数は100~300名程度、ワシントン軍縮の折は60名程度まで減ります。
この枠に全国から立身出世を目指す天才秀才が殺到したわけです。

ただ、もちろん兵学校と東大では存在目的が違い、たとえば学究を志す人は兵学校などは目指しません。
単純比較には無理があります。
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この回答へのお礼

詳しく解説頂きまして有難うございます。当時は階級なども存在していたようで、兵学校を卒業するとそういった階級的な意味での保障もあったわけですね。大変興味深く拝読いたしました。また陸軍士官学校というのも海軍兵学校ほどではなくても相当な難関であったのかなと想像いたします。確か三島由紀夫の小説に書いてあったことを思い出したのですが、当時は学習院などから相当な人数が東大に推薦入学できたそうです。また東京のお金持ちの家庭では、子供がいくら優秀でも兵隊にとられてはこまるということで、海軍兵学校ではなく東大に進学するよう促していたそうです。逆に立身出世を求める地方の優秀な若者は海軍兵学校をめざしたということなんですね。当時の様子が少し想像でき、勉強になりました。

お礼日時:2019/03/09 18:20

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