プロが教えるわが家の防犯対策術!

質問(悩み事)に対する回答を拝見して、批判的な回答を目にした時に、初めに思った事は「お前に、何が分かる!」でした。

時間を置いて、質問した回答を思い出されるのは、批判的な回答でした。
心に残ってるのも、批判です。

その時は、批判としか受け止められない事が、本当は図星であった為です。

最近、電車に乗っていると女性の集団にダサいと言われました。
受け止められませんでしたが、図星なのでしょう。

もしかしてですが、批判的な事を言われる方が、自分が最終的に時間を置いて気付く場合、肯定的よりも実は自分の為になるのでしょうか?
どっちが、心に響きますか。

質問者からの補足コメント

  • 皆さん、ありがとうございます。
    回答して頂けてホントに嬉しいです。

    休憩中に、皆さんの回答を読んでいますけど、なんか感動して泣きそうです(笑)

      補足日時:2019/03/12 14:31

A 回答 (13件中1~10件)

そうですね・・・



同じ事を延々と繰り返しても答えは変わりません
答えを変えようと思ったら自分自身の既成概念を崩す為に一見批判とも思える自分と異なる意見を(全てとは言いませんが)取り入れる必要があるように思います
まずは自分の答えを考え、その後別視線の話しを聞き新しい答えを見出す
変わる事は恥ではありません
その場に踏みとどまる方が恥なのです
聞くのは誰にでもできますが、それらを糧にする「聞く耳を持つ」って簡単のようで難しく重要かと思います

50年以上生きてきてそのように感じました
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他人には


何も判りませんよ。
解るはずも有りませんよね。

単なるアドバイスでしか
有りません、
それ位は判るよね、

其れで解決為るかも知れない
ですし、深みにはまる嵌まる事も
有りますから。

〉女性の集団にダサいと言われました
其れは本当?
他人にそんなこと言う人居る?

多分気にしすぎで何でも批判に
聞こえるのては。
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頑張りや〜、なんにしたってあなたを思っての言葉だし。

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批判的な事も肯定的な事も自分がどう捉えるかだけです。

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批判が自分のためになるか?


批判にもいろいろありますから、一概には言えないでしょう。
電車の件は程度の低い集団の手っ取り早いコミュニケーションツールにされただけかもしれないし、
単なる相手の憂さ晴らしの場合もあるし。

ただその批判がその後も頭から離れずグルグル考えてしまう。(何かやけに引っかかる)
または同じような批判を受ける機会が何度も重なる。(悩みからずっと抜けられない)
そういう場合は『ここ大事!』『テストに出ます』マークがついてると思われます。

今までも大事だとは薄々感じてたけど、避けて見て見ぬふりしてきたこと。
絶対自分が正しい!と思ってきたことが実はそうではないこと。
ずっと手離せないこだわりからそろそろ自分を解放した方がいいこと。
自分は考えもしなかった異なる捉え方を知って受け入れるべきこと。

他にもいろいろあるだろうけど、「自分が変わる」必要性がある時に
批判とか否定という形で「気付きのきっかけ」として自分に起きる気はする。
最初はすごくムキになって反発したくなるのも、
それだけ「自分を変える」って難しくて大変なことだからだと思う。

そういう批判とわかったら、
感情で捉える段階から理性で捉える段階に上げてじっくり時間をかけて考えて、
自分を変える必要性に気が付いたらできる方法から実行に移す。
そうするといつの間にか晴れてテストに合格できてて、
気が付くと一級上の自分に進んでてこれまでより良い方向への展開が広がってる。
そんな仕組みになっているという気がしますね。
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批判は、心が傷つくので印象としては、大きいですね。


でも、相手はあなたのことを本気で考えていない場合が多い。
思ったことをただ書くことはできますが、
相手の事なんて考えていない。
どんなに相手が傷つくなんか考えていない。
あなたは傷ついた分だけ、衝撃も大きい。
でも、それがあなたのためになるかは別問題。
まともな人は、そんなひどい言い方をしない。
相手のことを考えれば、言い方も考える。
下手をすると、相手をもっと悩ませることになる。
そんな危険性のあるようなことを選ばない。
ただし、それをいいことにして、あなた自身が
悩み事があるのに、何も行動しないための口実とされてしまうなら、
あなたのためにならない。
大事なのは、あなた自身の決意。人の優しさが
心に響かなないようなら、
それはあなたに問題があるのかも。
他人が何を言おうが、自分を変えられるのは、自分しかいないのですから。
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何に対してダサいといったのかは不明ですが、姿格好に対してなら、それは言った人の主観的な問題です。

 言った人に他意がなかった場合、ダサいと思う人がいる、という事実は存在します。
主観的問題だから、そんなことは気にしないのも勝手ですし、その主観とあなたの主観のどっちが社会的標準により近い方を選択し、大衆迎合して生きていくのもひとつのやりかたです。
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心に響くかどうかは衝撃の大きさだから 大事に味わいはしても 見極めは別にすべきと思う。



人は自分が本当に求めているものが わからない時がある。
例えば「ダサくなくなるにはどうしたら良いですか」などと質問しても 本当に聞きたいのは「みんなに褒められて楽しく生きるにはどうしたら良いですか」だったりする。
本質から目を背けたり 弱みを隠したり 自分を偽ったりする。
だから 多くの貴重な富を 一度はその手に持ちながら 指の間から落としてしまう。

批判的なものを上位に上げる必要はないが それを認められない自分を 客観的に観察する必要はある。
心に響くかどうかをバロメーターにするのも悪くはない が 妄信的に思い込みたい自分の心の弱さかもしれない。
「もしかして◯◯なのだろうか」と一息あけて考えると良いと思う。

そして最終的には 自分として選択をするのであるから 多くの意見を踏まえて 自分の考えとして示すべき。
全ての者が納得する選択はできないのだから 「自分はここに重きをおいて選択する」という指針 信念が大切だろう。
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相手のアドバイスを肯定的と思うのも批判的と思うのも


自分の解釈です。
同じことを言われても、好きな人に言われるのと嫌いな人に
言われるのとでは、印象が違ってきます

たとえば、生徒が先生に叱られたとしましょう。
同じように叱られても、反省して向上する子、先生を嫌いになる子、
落ち込んでしまう子、叱られたことをすぐ忘れてしまう子。さまざまです。

どんな回答が役立つかではなく、それをどう受けとるかがすべてです。
世界は自分が作ったイメージなんです
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批判的な回答を、例えばアンチと呼ぶなら


時にアンチは、まともなことを言うからね(もちろん全部じゃないが)

囲いは、相手を堕落させ
自分はイイ人に思われたいコメしかしない部分もある

見極めるのは君だ
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