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哲学の論文で日本の地下鉄サリン事件をあげたのですが、それとは別に加害者が死刑にされなかったテロ事件のことを書きたいのですがなにかありますか?
海外で起きた事件でもいいです。

おしえてください。

A 回答 (2件)

加害者が死刑にされなかったテロ事件の例はEU諸国では幾らでもあります。

EU諸国は死刑廃止国なので、テロ事件が起こった時には加害者を裁判にかけずにその場で射殺するのが原則です。

2014年〜2018年にEU諸国が加害者を裁判が死刑にされずに、その場で射殺された例(https://blogos.com/article/242867/からの抜粋+1件):

・14年12月、フランス中部トゥール市郊外の警察署でISに傾倒する男がナイフで警察官3人を刺して負傷させ、射殺される
・15年1月、2人組の男がパリの風刺週刊誌シャルリー・エブドを襲撃、警察官や編集長ら12人を殺害。女性警察官を射殺したIS戦闘員がユダヤ食品店に立てこもり、人質4人を殺害。テロリスト3人を射殺
・15年2月、コペンハーゲンで銃撃事件が3件立て続けに起こり、2人死亡。ISに忠誠を誓う実行犯の男を射殺
・15年9月、ベルリンで女性警察官の首を刺したイラク人テロリストを射殺
・15年11月、130人の犠牲者を出したパリ同時多発テロでIS戦闘員の2人を射殺。7人は自爆
・16年1月、パリの警察署で偽の自爆ベストを着用、ナイフを振り回す男を射殺
・16年6月、仏北部マニャンヴィルで警察官カップル2人を刺殺したISシンパの男を射殺
・16年7月、仏南部ニースでトラックが暴走、86人死亡。運転手の男を射殺。ISが犯行声明
・16年7月、難民申請していたアフガニスタン人の青年がドイツ中部ヴュルツブルクでISの指示に従って列車の乗客を斧とナイフで襲い、射殺される
・16年7月、偽物の自爆ベストを着け、ナイフを振り回すイスラム過激派2人組が仏北部ノルマンディーのカトリック教会で神父を殺害。2人組は射殺される
・16年8月、ベルギー南部シャルルロワで女性警察官2人がISシンパの男に山刀で襲われる。ISシンパを射殺
・16年12月、ベルリンのクリスマス市でトラック暴走、12人死亡。ISシンパの男をミラノで発見、射殺
・17年3月、パリ郊外のオルリー空港で警戒中の兵士から銃を奪おうとした男を射殺。男はその前に車を止めようとした女性警察官に空気銃を発射
・17年3月、ウェストミンスター橋を暴走、4人をはね殺した車を運転していた男がイギリス議会の敷地に入り込み、警察官を刺殺。居合わせた国防相のボディガードが男を射殺。テロ発生から82秒という早業だった
・17年4月、パリ中心部シャンゼリゼ通りの凱旋門付近でテロリストが自動小銃で警察官を襲撃、1人死亡、2人負傷。テロリストを射殺
・17年6月、ロンドン橋を暴走して通行人をはね飛ばしたバンの3人組がナイフで観光客を刺し計8人を殺害。3人組は射殺される
・17年6月、ベルギーのブリュッセル中央駅で即席爆発装置を爆発させた男を射殺
・18年12月、フランス東部ストラスブール市で11日に起きた銃撃テロで、逃走していたシェリフ・シェカット容疑者(29)を射殺。ISは系列メディアを通じて犯行への関与を主張した。

因みに、日本では戦後約70年間で警察官による射殺された人の数がは昨年の段階で、計12人です。ここ10年の射殺は1件だけです。

極端な例として、「戦時下の軍部の重大犯罪以外は死刑廃止」の国、すなわち一般人に対する死刑廃止国であるブラジルでは警察による現場での一般人射殺件数は2017年の1年間で5,012人です。
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今日はピンクで観億な感じでしょうか。


しまうのは失敗してるようですが。ファーストクラスとか謎ですが。
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Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Qキリスト教や仏教やイスラム教やヒンドゥー教等は 何とか統一できないものか?

宗教が統一できれば世界的に平和にも近づくのではないでしょうか

どうやるのかは分かりませんが 統一教会はキリスト教の神霊を統一しようとして失敗した

キリスト教に拘らず 全ての人に 無宗教の人にも納得の行く教えを練り出せないものか?

まずはそれらの宗教の代表が会議してる様なので もっと危機感を持って

自分から変わる意識を持って 緊張感を持って月に一度でも2週に一度でも会議を2,3日

かけても何とかして宗教が協力して進化する様な宗教哲学を活性化出来ないものでしょうか?

Aベストアンサー

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調することを目的とする
等が挙げられます、

柳沼正広氏による第2章「キリスト教と諸宗教 宗教の神学」では、
キリスト教が他の諸宗教をどのように考えてきたかが述べられています。
諸宗教に対する考え方として、
排他主義、包括主義、多元主義、多元主義への批判を取り上げています。
他宗教を理解する努力のなかで、
自身の宗教への理解や反省が深められていく
宗教間対話の持つ重要性について論じています。

中国における中心的な思想である儒教に対して、
外来宗教である仏教と、儒教より後に成立した道教が
、自らの立場を主張しつつ、互いに交流と対話を
行ってきた歴史を辿っています

統合、に必要なものは「信」です
「不信」が統合を不可能にしています
宗教間の争いを無くすには
信頼関係を結び、友好、交流活動の継続しかありません

信は  結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調...続きを読む

Q天皇を見たら 目がつぶれるか? そのうわさは いまどう変わったのか?

去る四月十日  天皇陛下即位30年奉祝感謝の集いで北野武が述べた祝辞
の中に 次のようなくだりがありました。

▲ (北野武、笑いと感謝込めた天皇皇后両陛下への祝辞全文 「日本とい
う国に生を受けたことを幸せに思います」) ~~~~~~~~~~~~
https://www.huffingtonpost.jp/entry/takeshi-kitano_jp_5cae98ade4b09a1eabf7855a

私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて、日
の丸の旗を持つ大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声
が聞こえ、旗が振られ、おふたりが乗った馬車が近づいてくるのが分かりま
した。

母は私の頭を押さえ、「頭を下げろ!決して上げるんじゃない」と、ポコポ
コ殴りながら「バチが当たるぞ」と言いました。

私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。

そうしないと、バチが当たって、急におじいさんになっていたり、石になっ
てしまうのではないかと思ったからです。

そういうわけで、お姿を拝見することは叶いませんでしたが、おふたりが目
の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ この種のうわさの内容は いまどう変わったのでしょうか?

① ただ世間の空気として流れていただけだから 世の中の変化とともに 
うやむやになった。それでよいのだ。・・・といったことでしょうか?

② いかに哲学と言えども そういうことは――お二階のそのまた雲の上の
ことは―― 万機公論に決する対象ではないのだ。このバカ! ・・・とい
うことになっているんでしょうか?

③ 例の《人間宣言》というものも ただの世間のうわさに過ぎない。つま
り そういった雰囲気を醸し出すような声明があったというだけで 決して
それが公式のものだとは思えない者の疑問です。《人間宣言》とは どこに
も書かれていないはずです。

去る四月十日  天皇陛下即位30年奉祝感謝の集いで北野武が述べた祝辞
の中に 次のようなくだりがありました。

▲ (北野武、笑いと感謝込めた天皇皇后両陛下への祝辞全文 「日本とい
う国に生を受けたことを幸せに思います」) ~~~~~~~~~~~~
https://www.huffingtonpost.jp/entry/takeshi-kitano_jp_5cae98ade4b09a1eabf7855a

私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて、日
の丸の旗を持つ大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声
が聞こえ、...続きを読む

Aベストアンサー

爺ちゃんの母親は、天皇陛下は、ウンチやオシッコをしないと固く信じていました。爺ちゃんは18歳の時に、天皇陛下に1メータくらいの距離でお目にかかれ、視線を合わしながらのお言葉も頂戴しました。同時に皇居に招かれた仲間は、「天ちゃん、バンザーイ!」と言うと放言していましたが、陛下が5メータくらいに近づかれ時より、最敬礼の御辞儀で、お顔を拝見することもなしで、通過後、嬉しさの余りに涙を流していました。

回答としては①です。ゴチャゴチャ言うな!です。

Q公理って何?

再び初歩的質問です。

「公理」を辞典で調べますと、

・数学で、論証がなくても自明の真理として承認され、他の命題の前提となる根本命題。

・論理学で、演繹的理論の出発点として、証明なしに採用される命題。

・現代においては、自明な命題ではなく、理論の前提となる仮定。

等の記述があります。

1.学問がないので、いまいちピンとこないのですが、具体的にはどのようなものがあるの
でしょうか?そして、どう理解したらいいのでしょうか?

2.「理論の前提となる仮定」から組み立てられた理論というものが、自然科学においても
検証されるとはいえ、何故、事実・真実と言えるのでしょうか?

Aベストアンサー

公理で一番有名なのは、平行線公理(平行線公準とも呼ばれる)でしょう。

「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一つしかない」

この命題を証明することはできません。以前はこれを証明しようと多くの数学の天才たちが試みました。しかし誰にも証明できなかった。ロバチェフスキーが1829年に『幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論』を発表して、彼が1826年に発見した新しい幾何学を提示して、上記の命題が証明不可能な公理であることが明らかになったのです。

ロバチェフスキーは、上記の命題の代わりに

(1)「一つの直線上にない一点を通ってその直線は何本でも引ける」

としても、数学的に無矛盾で閉じた論理体系を構築できることを明らかにしました。それがいわゆる非ユークリッド幾何学の始まりでした。この幾何学で表現されている空間は曲がった空間なのです。

その後に、リーマンが

(2)「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一本も引けない」

としても、数学的に無矛盾で閉じた論理体系を構築できることを明らかにしました。この公理(2)が成り立つものとして構築された幾何学をリーマン幾何学と呼びます。一方、上記の公理(1)が成り立つものとして構築された幾何学をロバチェフスキー幾何学と呼びます。

さらに、リーマン幾何学の一つの具体的な例が球面状の幾何学であることもわかるようになりました。その場合この非ユークリッド幾何学を球面幾何学と呼ぶこともあります。

上記の事実の発見は、人類に多大な知的進展をもたらしました。なぜなら、自分の主張の論理的矛盾性をいかに証明しても、それでこの世界が解ったわけではないことが明らかになったからです。例えば、我々が埋め込まれている宇宙が上記のどの幾何学によって記述されている世界なのかは、論述の無矛盾性や整合性をいくら明らかにしても、判定できないことが明らかになったからです。

その判定には必ず実験や観測が必要である。すなわち論理的な理念の整合性に加え、事実はどうなのかを実験や観測で判定しなくてはならない。その判定をするのが自然科学なのです。そして数学は、命題の間の無矛盾性を論じる言語学であり、すなわち人文科学の一つであり、事実を論じる自然科学ではないことが明らかになったのです。

公理で一番有名なのは、平行線公理(平行線公準とも呼ばれる)でしょう。

「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一つしかない」

この命題を証明することはできません。以前はこれを証明しようと多くの数学の天才たちが試みました。しかし誰にも証明できなかった。ロバチェフスキーが1829年に『幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論』を発表して、彼が1826年に発見した新しい幾何学を提示して、上記の命題が証明不可能な公理であることが明らかになったのです。

ロバチェフスキーは、上記の命題の代わ...続きを読む

Qあなたが人生を生きる意味を教えて下さい。 あなたが人生を生きる必要を教えて下さい お願いします。。

あなたが人生を生きる意味を教えて下さい。
あなたが人生を生きる必要を教えて下さい
お願いします。。

Aベストアンサー

美味しいものを食べて、
綺麗な音楽を聴いて、
美しいものを見るためかな。

Q私は悟りました 随分前に悟りました つもりです。分かる事があれば答えます。

何か分からない事があったら素朴な疑問でもお聞かせ下さい

専門的な問題は知らない事が多いので知らない言葉は分かりませんが

何か分からない事はありませんか?

Aベストアンサー

1,悟りとは何ですか。

2,ハルさんが悟ったことが、悟りと言える
 客観的な根拠は何でしょう。
 自分でそう信じるだけなら、宗教と同じです。
 客観的な根拠が必要だと思います。

3,悟ることにより、何がどう変わりますか。

Q次の文のA・B・Cの主語などを教えて下さい。

このカテの質問を読んでみましたが、私は日本語が未熟であるので、主語などがわからず、冒頭だけ挫折してしました。
次の文のA・B・Cの主語などを教えて下さい。
A(主語などは)<見解の異なるアドヴァイスは いっさい受けつけないという段階を超えている。>
B(主語などは)<すでに みづからの見解がないのである。>  C(主語などは)<ほとばしるのは・・・。>

Aベストアンサー

次のようです。

☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【表題:】ほとばしる痴性 あふれる痴呆――ああ 不動明王!


【1. 表題に示した命題(そういう判断)についてですが なぜそのように
考えるのかと言えば 以下のようです。】

A 《【質問者が自分とは】見解の異なるアドヴァイス【を回答として受け取
ったとき そのアドヴァイス】は 【見解が異なるゆえ】いっさい受けつけな
い》という【ことが考えられるが いま問題とする場合は その痴呆ぶりがそ
のような】段階を 超えている。
【だから 痴性だと結論づける】。

B 【すなわち いやしくも自分自身に何らかの見解があるというのではなく 
そうではなく】すでに みづからの見解がないのである。
【ゆえに 痴性だと結論づけます】。

C 【つまり その質問において趣旨説明について見ても そこに】ほとばし
るのは・・・【痴性であると結論づけます】。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Q言葉について

言葉とは人間そのもの、人間と表裏一体だということ、理解できました。

そうすると、人工知能AIの使う言葉は、どのように捉えられるでしょう。プログラミングされた言葉が人を感動させることはあるのか。いわゆる言霊というのは失われてしまうと思うのですが。

それともそういうことがあるのだとすれば、それはプログラミングした人間自身の言葉の反映なのか。
それともAIは自身で言葉を獲得して、詩や短歌、俳句の領域に至るまで凌駕していくのか。

どのように思われますか?

Aベストアンサー

ことばを《ロゴス》として広く捉えた場合 次のように分類できるのではないか
と考えます。

☆☆ ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
【Q:ヒラメキとは 人に起きるいかなる現象か】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10598115.html

〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層 
つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか) 


 [非思考の庭]
  スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のナゾなる非思考の庭):神
                   ↓
 ----【天使(α’):ロゴス(α)の使い】--------------
                   ↓
 [思考の緑野]            ↓
  インスピレーション=ロゴス(β):異言
       :中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ
                   ↓
  インスピレーション=ロゴス(γ):預言
       :本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間による言葉化
       :概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい?
                   ↓
  ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考〔の緑野〕
       :経験合理性にもとづこうとする論理


   *(註) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   ・ロゴス:ことば

   ・スピリトゥス:霊。聖霊

   ・クレド( credo = I believe. 我れは信じる)

   ・異言(シャリバリ):意味の分からないことば

   ・預言:解釈。経験思考で分かるように表現する。

    〔もともとは 予言= pro-phetia(予‐言)として成ったことば〕

   ・ラチオ( ratio ):理性

    〔 = reason 。《 re-or =思う・考える・数える》から〕

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ロボットや人工知能は インスピレーション=ロゴスつまり ヒラメキとし
ての言葉を受け取ることがあるのか? といったことが気に成ります。

ことばを《ロゴス》として広く捉えた場合 次のように分類できるのではないか
と考えます。

☆☆ ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
【Q:ヒラメキとは 人に起きるいかなる現象か】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10598115.html

〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層 
つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか) 


 [非思考の庭]
  スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のナゾなる非思考...続きを読む

Q人間の目的って 存在、存続する事じゃないでしょうか?

存在しない事には話にもなりません。

人間の目的は存在する事、そして存続・進化する事ではないでしょうか?

Aベストアンサー

木造100年さんの目的は何でしょうか?

東日本大震災の後、木造高層建築物で300世帯単位の集合住宅を作り、三世代大家族も、老人単身世帯も皆一緒に暮らして、コンパクトシティで行政コストを減らし、高齢化と過疎限界集落の問題と、日本の森林荒廃問題の三つを一気位解決することや。

でもな、若者が見捨てるような昔の街をそのまま復活させたい地元の頑固有力者と、コンクリート建造物で稼ぎたい大手ゼネコンの力には勝てず、巨大な国費を投じながら、再び若者が見捨てる独居老人の過疎の街を作って、コンパクトシティが出来ずに、地位方行政や地方医療は過疎に伴う交通、移動コストに潰されそうになっているんじゃ。

敗軍の将、兵を語らず。
目標が達成できなかった老人はただ去るのみ。

Q科学

超初歩的な質問です。

「サイエンスする」とはどういうことでしょうか?

哲学は科学の範疇には入らない、という考え方が多いようですが、そうだとすると
それは、何故ですか?

Aベストアンサー

基本的には、科学が形而上学でないと言う事が違いなんだと思います。(これに関しては、量子力学の「解釈」は、その実体を観察できない以上「形而上学」に過ぎないと言う批判はあるでしょう)
あらゆる形而上的な概念を排除しようとした、マッハなどは、その立場としては、科学的でしょうが、それを思想的な衝動とした時点では、哲学的と言えるでしょう。
20世紀初頭は、現代の科学的な方法論は、ほぼ確立していましたが、現象の解釈と言う点では、まだ自然哲学から抜け出ていなかったと言えるでしょう。
実際問題としては、「科学」、狭義には「自然科学」の厳密性を担保するのは、「現象」そのものです。(現象以外は、基本的に検証の対象にならないと言えるでしょう)
「哲学」は、その性質上、形而上の存在も対象としなければいけません。 したがって、その厳密性の担保は、哲学が方法そのものから、生み出す必要があります。(これが、「哲学」が一筋縄では行かない所以です)
厳密性が一定の範囲で、確実に担保できるのは、形式科学としての「数学」ですね。(むしろ、厳密性が担保できる「形式」を見つけるのが、「数学」なのかもしれません)
宗教もある意味、「数学」に似ています。 それは、宗教の信仰者からは、そのようなものでは無いと言われるかもしれませんが、何らかの信仰対象に対して、信仰者がある形式で、その信仰を行う活動と言えなくも無いわけです。(その形式の分析は、宗教では無く、「宗教学」と呼ばれるでしょう)
古代ギリシャにおいては、これらは、全て「哲学」の領域にあったと言えるでしょう。(「数学」、「自然学」、「形而上学」は、「哲学」の中で混然一体として議論されていたわけです)
ヨーロッパにおいては、ローマ帝国によるキリスト教の国教化に伴い、しばらくは、(キリスト教)「神学」は、自然哲学や「形而上学」としての、プラトニズムと混然一体として、「哲学」としても、蜜月を迎えましたが、16世紀以降は、暗黒時代を経て、「哲学」からは、それぞれ「神学」、「自然科学」として、分科していきました。
分科した理由はさまざまでしょうが、基本的に「哲学的」な厳密性では、上手くゆかなくなったのが、一番の理由でしょう。
(キリスト教)「神学」は、その宗教的理由から、教義にかかわるような議論を嫌ったわけでしょうし、「自然科学」は、原因を追究するより、現象の法則の科学的解明の方が重要だったと言う事です。
「数学」も、論理実証主義により、その厳密性を確立する事を目指しましたが、ヘーゲルなどにより、その基盤が確実で無い事が証明されてしまいました。(したがって、一定の形式における論理的整合性の検証に特化したわけです)
これらは、「Why(何故)」から、「How(どのように?)」への転換と言えます。
「哲学」が追求するのは、「Why」でしょう。
「科学」は、「How」であり、一部の解釈は、「Why」となります。(ただし、解釈は、あくまで解釈であり、実証は成されていないでしょう)
これが、「哲学」と「科学」を分ける境界なんでしょう。

基本的には、科学が形而上学でないと言う事が違いなんだと思います。(これに関しては、量子力学の「解釈」は、その実体を観察できない以上「形而上学」に過ぎないと言う批判はあるでしょう)
あらゆる形而上的な概念を排除しようとした、マッハなどは、その立場としては、科学的でしょうが、それを思想的な衝動とした時点では、哲学的と言えるでしょう。
20世紀初頭は、現代の科学的な方法論は、ほぼ確立していましたが、現象の解釈と言う点では、まだ自然哲学から抜け出ていなかったと言えるでしょう。
実際問題...続きを読む


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