出産前後の痔にはご注意!

If you were to live on the moon, 〜. If you should live on the moon, 〜.仮定法でこの2つではwere to 〜を使うようですがshouldは使えないのでしょうか?
使い方かよくわかりません

A 回答 (4件)

100%ないのが were to 50%位なら should 。

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should=「万が一~ならば」…実現の可能性が低い場合使う。

ただし、100%実現の可能性がない場合は使えない

以下のページの「未来の事を表す仮定法」でまとめているので、良かったらご覧ください。

http://makki-english.moo.jp/5subjunctive1.html
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問題 


文法的に適切なのはどちらの英文?

Even if the sun were to rise in the west, he wouldn't change his mind.
Even if the sun should rise in the west, he wouldn't change his mind.

答え↓

前者 were to

解説
If S were to doとIf S should doは、両方とも未来についての仮定で使います。
しかし、実はこの2つ、会話の目的によって使い分けが必要なのです。
まず、If S were to doですが、これは仮定の話を目的に仮定の話をするときに使われます。
「現実に起こりうるかどうかとは関係なしに、もしこういうことが起こったら・・・」を話すことってないですか?
純粋に知的作業・知的遊戯として、「もしこうだったら」を仮定して、想像に耽ったり、議論に熱を上げる。
こうしたときに使われるのが、このwere toを含む仮定法です。
結果的に「起こる可能性が0」の場合にもしばしば使われ、
「shouldを含む仮定法よりも実現度が低い仮定を表す」と説明されますが、
「実現度0%」というよりは「そもそも実現性を考えていない・尺度すらない」
いわば「仮定のための仮定」というのが、この表現の核心です。
「もし女優にデートに誘われたら、どうする?」などもwere to仮定法で表すことが出来ます。
これって、将来に渡って実現可能性が必ずしも0%ということではないですが、
その実現度を考えているわけでもありませんよね。
想像の世界で楽しんでいるだけです。
したがって、were to仮定法を使うわけです。

If an actress were to ask you out, what would you do?

対して、If S should doが使われるのは、「現実に起こる可能性も0ではないが、実現度が極めて低い未来の仮定」です。
こちらには実現性という尺度があるわけです。
たとえば、あなたが校舎裏でタバコをふかす不良だとします。笑。
教師が見回りに来たことはここ2年間一度もありません。
これを前提として「もし万が一教師に見つかったら、俺ら退学だな」と言いたければ、
このshouldを含んだ仮定法を使います。
この場合は想像の世界の話ではなく、現実世界での可能性について考えているからです。

If the teachers should see us doing it, we would be expelled.

さて、were to仮定法とshould仮定法のニュアンスの違いは理解できたでしょうか?
両者にはもう一つ、大きな違いがあります。帰結節の形です。
were to仮定法の帰結節には仮定法(S would do...)しか来れないのに対し、
should仮定法の帰結節は直接法(S will do...)・仮定法(S would do...)・命令法(Do...)のどれにでもなりうるのです。
・・なぜでしょうか?

If an actress were to ask you out, what would you do?

仮定法の核心は「現実との距離感・実現可能性の低さ」にあります。
仮定の世界を楽しむwere to仮定法は全体として仮定のお話なので、その条件も帰結も当然仮定法を使います。

If the teachers were to see us doing it, we would be expelled.
If Oliver should be late, we will start without him.
If anyone should come and see me, tell them I'm out.

しかし、shouldが表すのは「現実に起こる可能性も0ではないが、実現度が極めて低い未来の仮定」です。
要は半分仮想半分現実なわけですね。
したがって、この表現、仮想の部分が強く意識されると全体として仮定法となり、
現実の部分が意識されると帰結節が直接法・命令法となります。
その場合は、通常の条件文を前提として考え、条件節の可能性が低いバージョンと考えるといいでしょう。

When Oliver is late, we will start without him.
Oliverは遅刻すると思うけど、彼なしで始めよう。

If Oliver is late, we will start without him.
もしOliverが遅刻したら、彼なしで始める。

If Oliver should be late, we will start without him.
万が一Oliverが遅刻したら、彼なしで始める。

When anyone comes and see me, tell them I'm out.
誰かが訪ねて来ると思うが、外出してると伝えてくれ。

If anyone comes and see me, tell them I'm out.
もし誰かが訪ねて来たら、外出してると伝えてくれ。

If anyone should come and see me, tell them I'm out.
万が一誰かが訪ねて来たら、外出してると伝えてくれ。

それでは問題に戻ります。文法的に適切なのはどちらの英文?

Even if the sun were to rise in the west, he wouldn't change his mind.
Even if the sun should rise in the west, he wouldn't change his mind.

if節の中を見ただけでわかりますね。仮定のための仮定です。
現実的に太陽が西から昇ることはありえません。したがって、were toを使用している前者が正解となります。


類題
were to・shouldから正しいものを選び、[ ]を埋め、文法的に正しい英文を作りましょう。

If you [ ] need my help, don't hesitate to phone me.

答え↓

should 帰結節が命令法。


本日のまとめ
● if S were to doは非現実志向的な未来の仮定。帰結節は仮定法(S would do...)

● if S should doは現実志向的な低実現度の未来の仮定。
帰結節は直接法(S will do...)・仮定法(S would do...)・命令法(Do...)

http://seito-juku.com/ifsweretodoとifsshoulddoの違い/
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(現時点で)まずありえない話の場合は、wereを使います。

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http://makki-english.moo.jp/3comparison3example.html

Q※直訳に固執する必要はあるのか?

とある 直訳とスラッシュリーディングを基軸にした英語の学習法を金科玉条にしている 方のサイトからの引用です。


≪直訳すると、妙な日本語になるので、意訳だけをさせるという先生方がいます。また、参考書や文法書などにも、例文に直訳を付けずに意訳だけ付けているものも多いです。掲載可能な文字数に限りがあり仕方ないのかもしれませんが、私は、これが、日本人がいつまで経っても英語を話せない一因になっていると思います。


中学の教科書やテキストで、よく出てくる表現を例に挙げてみます。

例1:"I'm from China."と"I come from China."

これをどちらも、「私は中国の出身です。」と、訳していることが多いのが気になります。なぜなら、前置詞fromをしっかり直訳していないからです。be動詞のamと一般動詞のcomeの明確な違いも判りません。

直訳すれば、「私は中国からです。」と「私は中国から来ています。」になるはずです。とりあえず、このように訳しておけば、生徒は一つ一つの英単語の意味を、正確に把握できます。そこから「出身」の意味が出ると教える方が、生徒には理解しやすい思うのですが、いかがでしょう。

これらは中学1年の最初の頃に習う文法ですが、直訳を教えない学校が多いです。そして、生徒達は、直訳をしない習慣をつけてしまいます。fromの訳を「~から」と覚えている生徒は、"I practice baseball from four to six everyday."という文を初めて聞いても、理解が早いです。応用が利きます。一般の生徒は、帰国子女とは違うのです。頭の中で、しっかり英文を組み立てられる訓練にもつながる直訳は、とても重要であると思うのですが、いかがでしょう。≫



私は、そのサイト主の言うことも一理あるけど、少し疑問を感じます。
というのは、このサイト主さんも、批判されている授業法も、どちらも英語教育の方法として「文法訳読法」の範囲内にとどまっているにすぎないからです。

文法訳読法とは、文法規則を習い、その知識を元に学びたい言語を母語に訳して理解する(また、母語からその言語に訳す)という学習法です。これは伝統的に行われてきたのですが、これは学習言語と母語の置き換えはできるようになるものの、例えば「英語を英語で理解する」ことができるようにはなりません。

その文法訳読法の枠組みの中で「英語の原文が想起しにくいが日本語側が自然な和訳」と「日本語は不自然だが英語の原文が想起しやすい直訳」のどちらが効率的か、と言われても、そもそもの問題設定の背景が間違っているとしか言いようがありません。

このサイトの主張を拡大すると、Good morningを「よい朝」と訳すべきだということになるでしょう。それは言語の本質をとらえない学習法であり、将来的に「英語で表しきれない日本語の概念があり、日本語で表しきれない英語の概念がある」ことに気づけない学習者を量産するだけです。

現在、言語教育理論としては、文法訳読法は過去の遺物です。たとえば外国人向けの日本語教育では、直接法(日本語で日本語を教える)が多く採用され、文法項目ではなく「場面」ごとに応じた表現を学ぶ教科書が開発されていたり、能力評価も文法事項ではなくCanDoステートメントによるものに切り替わったりしています。それにより、日本語を日本語として読んだり聞いたりして理解し、日本語で書いたり話したりする表出作業をすることができるようになります。

ご指摘のサイトでは、英語を英語として理解するということは考えられていません。目標言語を学ぶ際、不十分な形の言語が頭の中に生成され、これを中間言語といいますが、不十分な英語だけでなく、英語寄りの不十分な日本語(どちらも中間言語)を用いて翻訳しようとするのは、機械翻訳ではいいかもしれませんが、語学修得という観点からは決して効率的とはいえないと思います。

もちろん、目的が英語力向上ではなく、決められた時間内でのテストの成績アップだけでいいというのなら、それでもいいのかもしれませんが、日本人が英語を「話せる」ようになるには、訳読法を離れ、英語で聞いて英語で考え、英語で答える訓練をするしかありません。日本語で考えて直訳日本語に置き換えて英語に置換する方法で話せるようになるわけはないのです。

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これ・それ・あれ も日本語には日本語の使い方があり、「あの店」は話し手と聞き手が共通して知っている店、「その店」は一方しか知らない店を指します。英語にはそんな区別はありません。

このように、日本語の考え方、英語の考え方があるので、置き換えて理解するのは限界があると思います。

そこで質問ですが、みなさんは 直訳に拘った英語の学習法について いかがお考えですか?

とある 直訳とスラッシュリーディングを基軸にした英語の学習法を金科玉条にしている 方のサイトからの引用です。


≪直訳すると、妙な日本語になるので、意訳だけをさせるという先生方がいます。また、参考書や文法書などにも、例文に直訳を付けずに意訳だけ付けているものも多いです。掲載可能な文字数に限りがあり仕方ないのかもしれませんが、私は、これが、日本人がいつまで経っても英語を話せない一因になっていると思います。


中学の教科書やテキストで、よく出てくる表現を例に挙げてみます。

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Aベストアンサー

おっしゃっていることに同意します。

直訳主義の背景にあるのは他言語(英語)に対する妙な特別意識、さらには、それに関わる人たちの権威主義が垣間見れます。

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英語を学習するために、日本語を歪めるなんて、ほんとに馬鹿馬鹿しいです。おっしゃっているように、英語は英語として理解していくべきです。

Q「青森は、たくさん雪が降ります。」を英語にするとき、 ・Aomori has a lot of sn

「青森は、たくさん雪が降ります。」を英語にするとき、
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どちらも使わない。
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地名を主語にすることは不可能ではないが、まれ。
したがって、
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は可能は可能。


・As for a lot of Aomori, it snows.
こちらは英語自体が間違い。
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あえて書き換えるなら、
As for Aomiri, it snows a lot.
これを使うとすれば、これは他の土地と比べている場面かな。

QAll of Tom's cooking is delicious. この文おかしくないですか?お願

All of Tom's cooking is delicious. この文おかしくないですか?お願いします

Aベストアンサー

all ofで言うなら、Tomの後ろの名詞は「料理」なので、dishesの方がいいです。
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関係代名詞を使って、
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この場合は「トムの料理するもの全て」を量として見たらis(単数)で受けます。5品や8品とか数のことだとしたら、are(複数)になります。それはその場の状況で変わるでしょう。

Qラ行のローマ字表記は「R」ではなく「L」の方がよいのでは?

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la、は「ぁ(小さいあ)」になってしまう、ということはありますが、「ぁ」はxaで表記すれば区別できます。

いまさら変えようもないことでしょうが、ラ行はなぜ「R」なのか、ローマ字表記について詳しい方からご意見を頂けると嬉しいです。

ローマ字表記を決める時、どうして「R」になったのかは知りません。
でも、日本人は英語の「R」と「L」の区別が苦手です。
(英語以外の言語ではどうなのか分からないので、とりあえず「英語」で説明します。)

特にRが苦手です。
ということは日本人が「らりるれろ」と言っても、英語圏の人には「rarirurero」とは聞こえない、ということです。

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なので「ヨーロッパ言語のLの発音と異なる揺れ幅がある以上、Rで表記するのが英語(ヨーロッパ言語)の感覚からして正しい」のです。

ローマ字というモノは日本だけじゃなく、海外にもあって、その起源の殆どが「大航海時代に生まれた物」なのです。つまり、航海に同行し、キリスト教の布教に務めた宣教師たちが「現地の言葉を知るために、ポルトガル語またはスペイン語(どちらも原型はラテン語)で現地語の発音を記した」のが最初のローマ字化なのです。

日本では戦国時代に宣教師がやってきて、ローマ字の原型を作りました。この時点でラ行は「R」で表記されています。
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教室に着いたとき、英語のテストはすでに始まっていた。
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