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戦国時代末期に小田氏治は佐竹氏に負け、お城をとられましたが、その時、小田家の家臣が佐竹家の家臣になり、そのまま屋敷を移動することなく小田城下に住み、所有してる田んぼも、とられることなかった人がいたみたいですが、負けた側の家臣は普通は、土地も没収で切腹ですよね?
お城をとられたら、負けた側の家臣は相手側の家臣になることは出来ず、また城下には住めないと思いますし

質問者からの補足コメント

  • 大名によって違いはあると思いますが、家臣として認めてくれることもあったのですね

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/04/05 18:08
gooドクター

A 回答 (3件)

お邪魔します。



伊達政宗の家臣である大内定綱は、初めは伊達の敵の蘆名氏の家臣であったのですが、伊達家の家臣となり多くのはたらきをした事が認められ、仙台藩の一族に取り立てられています。

この大内定綱の例の様に、もともと負けた側の家臣でも、勝った側の家臣となって功績が認められれば、重臣に取り立てられるという事も、戦国時代にはみられた様です。

以上、何かのお役になれれば幸いです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2019/04/05 18:03

真田幸村は、関ヶ原、大阪の陣の時、家康の敵でしたが、真田家そのものは、けっこういい形で存続しています。

どっちが勝ってもいいように、二股かけてる武将がおおかったようです。一族が二つに分かれて、双方に味方として参戦。勝った方についたのが、必死で負けた方の命乞い。。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2019/04/05 18:04

負けた側の家臣は奴隷として働かせるので、殺したりしません。

小田氏治一族は全員殺します。復讐されないためです。小田氏治一族が得ていた収入はそのまんま佐竹氏に入ります。
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