A 回答 (12件中1~10件)
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No.11
- 回答日時:
強力な信念と揺るぎない信仰が、ここまで人を変え、強くするのだな、と思います。
ユダヤ人として申し分のない背景を持ち、ギリシャ語に通じ、生まれながらのローマ市民。更に、現在の大学教育に匹敵する付加的な教育を受け、最初はクリスチャン会衆を迫害し悪名をはせていた人が、それまでの態度と考えを一変させて、広く教えを宣べ伝えるようになったのですから。
No.10
- 回答日時:
№9です。
《義無きを以って義とす》なる命題は 別の解釈が出来ます。
義すなわち倫理規範としての文字を超えていること これが 義
である・・・という意味内容のことです。
倫理規範あるいは要するにもろもろのオシヘを心に受け容れるこ
とは――その倫理の問題やオシヘの内容を思考しているからには
―― 人知を超えた何ものかを信じていることには じつは な
らないのです。
きびしいように映るかも知れませんが 〔思考を超えた〕信仰と
〔思考において確信している〕信念とは 別だと考えます。
《文字はころし 霊は生かす》 この命題も 信仰という正解へ
とみちびく補助線でしかありません。
信仰は その先です。信仰を指さしている補助線としての命題
(オシヘ)ですから この《指》を見るのではなく 指の先を見
ることになって 信仰の道に入る。
――このように思っています。
No.9
- 回答日時:
コメントをありがとうございます。
★(№7お礼欄) 神は「ひとり満ち足りた方」というのは疑義があります。
☆ 《普遍神》という立ち場では――ただし イメージなのですが―― そ
うなるかと思います。疑義は消えると思います。
★ 神は人間に対して変わらず、今も不断の働きかけをしていると思います。
☆ ええ。《有る神》派の立ち場だと思います。
★ 教え、導き、癒し、大きな愛の手で守っていてくださる方です。
☆ という普遍神からのめぐみは じつは《無い神》派にあっても 起こり
得ます。《無根拠からのめぐみ》としてです。
《義無きを以って義とす》あるいは《無根拠を根拠とする》場合も 普遍神
とわれとのカカハリが あります。あえて勇み足で言ってしまえば そうい
う場合も 神の子です。普遍神を――《無い神》として――心に受け容れて
います。
熱くもなく冷たくもなく生温い場合にそれを吐き出すということが起きるの
かも分かりませんが 有る派と無い派とのいづれの場合(立ち場)をも 普
遍神は包容していると見ます。
さもなければ 無神論者は 人間ではないと認識しており そのことを証明
する責めを負います。
または 無神論という説を批判しきることが 必要です。
さらにあるいは いまこういう場合には 人間の中に出来損ないがいるんだ
と見ていることになります。良心的であるならば その新説――珍説?――
を立てて 証明しなければなりません。(創造のときに 造られたものがす
べてよしではなかったという新説です)。
生粋の無神論者、出会ったことあるかなあ。共産党員は確率的に無神論の人、多いですかね。
でも、まったく神を信じない人っているのかなあ。「信じない」って言いながら、占いに頼ったり神社に言ったりしてる人多いですよ。まあそれは日本特有の現状でしたね。
無神論に対する批判についてはよくわからないです。なんか自分の信仰がなくなりそうで怖いです。
No.8
- 回答日時:
《ひとり満ち足りている者》――これが 人格化して捉えた絶対性・
つまり神のイメージです。
《ひとり》を強調するところに――つまりは 人間がいかに嫌いそ
してののしろうが また好きだ好きだと言おうが それらを超えて
いるというところに―― 絶対性が位置します。
このように満ち足りている状態とは それこそ絶対のへだたりがあ
るけれど あたかもその超越性に似ている生き方が人間にもできる
・・・と言っているのだと思います。
時として 人間に実現しうる現実の人生なのではないのでしょうか。
執着から離れるのではなく 執着しつつ超えるのでしょうね。
知性をはたらかせているでしょうが プラス α が必要なのか どう
なのでしょう。
《さとり》として捉える場合は №7で考えてみました。
なお親鸞は 《義無きを以って 義とす》と言っています。
ご回答ありがとうございます。
「ひとり満ち足りる」ここまで来ると、逆に少し飛躍しすぎ。孤高というか超人的というか。迎合と対極にあると思います。そういう心の持ち方は必要な面も確かにありますね。いつも心をすり減らしているより、こんな心の使い方も身につけられたらいい?とは思いますが。
神は「ひとり満ち足りた方」というのは疑義があります。神は人間に対して変わらず、今も不断の働きかけをしていると思います。教え、導き、癒し、大きな愛の手で守っていてくださる方です。
No.7
- 回答日時:
《能天気》という言葉がいちばん意味が重なっていましょう。
道元は 能天気を次のように説明しています。
▼ (道元:現成公案) ~~~~~~~~~~~~
自己を運びて万法を修証するを迷とす。
万法進みて自己を修証するは悟りなり。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
親鸞では 自然法爾とも言いました。
▲ 〔親鸞:自然法爾(じねんほうに)章〕~~~~~~~~~
自然といふは
《自》はおのづからといふ。行者のはからひにあらず。
《然》といふは しからしむといふことばなり。
しからしむといふは行者のはからひにあらず
如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。
* 爾(に・じ):しかり。そうである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ご回答ありがとうございます。
「能天気」が意味が重なっているということですね。なるほど。予想外の回答でした。他人が思うよりずっと本人は、その状況を気にしていないということですか。どんな境遇にも処する秘訣は「能天気」。それも一理ありますね。貧しさ、飢える、乏しい。どれも一般には悪と言えるもので、避けたいもの。しかし、この中に宝があるようにも思えてきました。道元、親鸞の教えは私には難しいですが、また勉強します。
No.5
- 回答日時:
人間は適応せざるを得ないことには適応せざるを得ない。
その限界を肯定的にとらえるということだと思います。
ただしそこにも致死量という限界があります。
そこをつくようなレイズは
方向を見失った暴挙の上塗りとして
殺し合いにつながる争いからの地滑りを生み出す
諸悪の根源だといえます。
ご回答ありがとうございます。
人間には適応能力があるが、そのキャパシティを越えると、あらゆる暴挙につながるということですね。それはそのとおりだと思います。器は大きいに越したことがありませんが、万人がそうとは限らない。危険性のご指摘として受け止めたいと思います。
No.4
- 回答日時:
知性と強さを感じます。
貧しい時に、また飢えた時に、いたずらに貪らず、また、豊かで富んでいる時に、いたずらに
慢心を起こさず、そのことを見つめようという冷静な知性、そして、自分を見失わない強さを
持つべきと説いた哲学だと思います。
さて、その高い精神に至るには、強い自信と、夢・希望が心の中に育まれていなければならな
いと思います。
ご回答ありがとうございます。
知性と強さがないと、不可能に近いでしょうね。
たぶん、この人はさまざまな経験をしてきたと思います。意味を見いだせない苦しみはほんとうに辛いと思います。試練は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。そして希望は失望に終わることがありません。
この人の内側には、希望に裏打ちされた真実を求める心があったのだと思います。
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お礼の続きです。
>人間がいかに嫌い、そしてののしろうが、また好きだと言おうが、それらを超えているというところに絶対性が位置します<
この視点は、神の人間への働きかけ如何にかかわらず、神の不動の位置づけとして支持します。