今だけ人気マンガ100円レンタル特集♪

「大体」という言葉と、「淡々」もしくは「淡白」という言葉は、言葉の意味は違えど、ニュアンス的に何とく似ていませんか??

A 回答 (15件中1~10件)

一般的に考えると、先行コメントのとおり「まったく違う言葉」になる気がします。



 ただ、やや特殊な状況を想定すれば、質問者の言うニュアンスも少しわかる気がします。
 たとえば、上司が(割と近しい)部下に、次のように言います。もっとくだけて、友人同士のほうがいいかも。
「細かい部分にはこだわらなくていいから、この作業をザッと進めておいて」
 言われたAさんは、細かい部分にはこだわらずに、「大体の感じで」作業を進めました。
 言われたBさんは、細かい部分にはこだわらずに、「淡々と」作業を進めました。

 これなら、AさんとBさんの作業の進め方は似ているかもしれません。
 ちょっと強引ですかね(笑)。
    • good
    • 2

違います。

    • good
    • 0

大体はaboutで、「淡々」もしくは「淡白」という言葉とは全く異なり、ニュアンス的にも全く異なります。

    • good
    • 0

NO12さんの回答。


文章の中で使われる分には十分通用するのに、一部だけを取り出して質問したしまった。
というところでしょうか。
他のところでありました、最近1行質問が多いと・・・・。
文章全体としての読解力がないんですね。
    • good
    • 0

ニュアンス[カタカナ語]



[nuance〈仏〉]
(1)言葉などで表現できない微妙な意味合い・差異
(2)陰影.色合い.あや.
【imidas 2018】より

「ニュアンス」は、意味でなく、微妙な差異(違い)に重点が置かれます。
    • good
    • 0

「大体出来上がった。


「淡々と出来上がった。」

似ていますか?
    • good
    • 0

似ているのは日本語の単語である事くらいですね。



思うのは自由ですが、公表するのは無知、無教養を披瀝するだけですね。
    • good
    • 0

徹底していない



という要素が確かに共通していると言えなくもない。
    • good
    • 0

>ニュアンス的


「的」を床えば良いというものではありません、「的」には、この場合だと、ニュアンスではない、という意味も含みます。
例 詐欺師のことば「まあ、元本保証的なものです」、元本保証に似て非なるものです。
ニュアンスの意味が正確に理解できていないので、ごまかすための「的」です。
似て非なるものどころか、似ているところもありません。
    • good
    • 0

全然

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本語『◯◯そうです』について

『◯◯そうです』の用法のうち、物の見た目から推量する表現についてお伺いします。
外国語としての日本語の品詞で分類して例を書かせてください。

1.「この料理はおいしそうですね」   (い形容詞)
2.「あの人は楽しそうですね」     (い形容詞) 
3.「このシステム手帳は便利そうですね」(な形容詞)
4.「あの靴はぴったりそうですね」   (な形容詞)

4の「ぴったり+そう」はコーパスで検索しても0件でした。
場面としては、靴屋である靴を見かけました。それが自分の足のサイズに
「ぴったりな靴だろう」と思ったとき、「ぴったりそうです」と言えるでしょうか。

どなたか「ぴったりそう」が言えるかどうかと、その根拠をお示しくださいませんか。

なお、「ぴったり合いそうですね」は「動詞+そう」の用法に分類できるので除外させてください。

どうか皆様のお力を貸してください。

Aベストアンサー

ぴったり、の元を考えると「ぴたり」でしょうか。
がっくり<-がくり
ざっくり<-ざくり
語調を強めるために促音が挿入されます。品詞としてはもとは副詞だと思いますが形容動詞としても使用します。意味内容から「ひたひた」「そろそろ」などと同様擬態語由来の単語かと思います。
このような形容動詞の語幹に「そうです」が付くか、というご質問だと思います。下記では 19300件がヒットします。「ぴったりそう」は文語体ではなく口語体ですので、HTMLに埋め込む文体としては多用されないものと思いますが、それでもこれだけの用例が検索されるということは、現実には音声言語の世界では普通の言い回しに近いと思います。(一部に”ぴったり、そう”も含まれます。)
https://www.google.com/search?ei=9nm5XJP2OMeF8wXG2pUY&q=%22%E3%81%B4%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%9D%E3%81%86%22&oq=%22%E3%81%B4%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%9D%E3%81%86%22&gs_l=psy-ab.3...4866.11289..12408...0.0..0.101.370.3j1......0....1..gws-wiz.......35i39.-CtljoMNRxQ

そのうち「ふたりはねっとりそう」とか「じんわりそうな話」などがあっても楽しいと思います。

ぴったり、の元を考えると「ぴたり」でしょうか。
がっくり<-がくり
ざっくり<-ざくり
語調を強めるために促音が挿入されます。品詞としてはもとは副詞だと思いますが形容動詞としても使用します。意味内容から「ひたひた」「そろそろ」などと同様擬態語由来の単語かと思います。
このような形容動詞の語幹に「そうです」が付くか、というご質問だと思います。下記では 19300件がヒットします。「ぴったりそう」は文語体ではなく口語体ですので、HTMLに埋め込む文体としては多用されないものと思いますが、そ...続きを読む

Qちょっとお聞きしたいことがあるんですが、以下の問題に答えは何でしょうか、教えていただければありがたい

ちょっとお聞きしたいことがあるんですが、以下の問題に答えは何でしょうか、教えていただければありがたいです。
2.うちへ(   )、すぐシャワーを浴びます。
  A.帰れば B.帰って C.帰ると    D.帰ったら

Aベストアンサー

A.うちへ帰れば、すぐシャワーを浴びます。

うちへ帰れば、(当然のこととして)すぐシャワーを浴びます。
というニュアンス。
「A ば B 」⇒A という条件の場合、(当然のこととして)B である。
という必然の構図。

B.うちへ帰って、すぐシャワーを浴びます。

うちへ帰って(という動作に引き続いて、)すぐシャワーを浴びます。
というニュアンス。
「A て B 」⇒A に引き続いて B 。
という継起の構図。

C.うちへ帰ると、すぐシャワーを浴びます。

うちへ帰ると、(毎回のように)すぐシャワーを浴びます。
というニュアンス。
「A と B 」⇒A ならば [ 毎回のように / 常に ] B 。
という反復・必然の構図。

D.うちへ帰ったら、すぐシャワーを浴びます。

「A たら B ①」
⇒(帰るかどうかわかりませんが、もし)うちへ帰ったら、すぐシャワーを浴びます。
というニュアンス。
もし A ならば B 。
という仮定条件。(家へ帰るかどうか不明の場合)

「A たら B ②」
⇒(何時になるかわかりませんが、)うちへ帰ったら、すぐシャワーを浴びます。
というニュアンス。
A ならば B 。
という確定条件。(必ず家へ帰る場合)

A.うちへ帰れば、すぐシャワーを浴びます。

うちへ帰れば、(当然のこととして)すぐシャワーを浴びます。
というニュアンス。
「A ば B 」⇒A という条件の場合、(当然のこととして)B である。
という必然の構図。

B.うちへ帰って、すぐシャワーを浴びます。

うちへ帰って(という動作に引き続いて、)すぐシャワーを浴びます。
というニュアンス。
「A て B 」⇒A に引き続いて B 。
という継起の構図。

C.うちへ帰ると、すぐシャワーを浴びます。

うちへ帰ると、(毎回のように)すぐシャワーを浴び...続きを読む

Q※カタカナ言葉は本当に何とかしてほしいですね。

明治時代の日本人は西洋の文化を学んだときに、漢文の知識を活用して西洋の新しい概念を漢語にして翻訳しました。
現代は漢文の読み書きができる人がいないために安易にカタカナで外来語を増やしていますが、本当にやめてもらいたいですね。
中国語の文章を翻訳していたら“内容産業”という言葉が出てきたんですが、意味を検索したら「コンテンツ産業」でした。
外来語はなるべく使いたくないんですが、現代日本語にするためには使わざるを得ないことがあります。
カタカナ言葉は昔から溢れていましたが、IT時代に入って その勢いは増すばかりですが、
みなさんは 現代日本語のこんな風潮をどう思いますか?

Aベストアンサー

日本語で表見した方が言葉数も少なく且つ適切に伝わる言葉も多いのにカタカナ語をわざわざ使う理由が解りませんね。
カタカナ語の方が定着して居て日本語にすると固いと言う言葉もありますし、そこはカタカナ語でも良いとは思いますが、何でも
カタカナ語にしたがる。
特に国のお偉い人達が使いたがるし、今の行政のトップは最も使いたがる。
それが偉い賢いと思い込んで居るのでしょうが。
自ら国の文化を壊していると言うのに一方では文化を守るなどと何の説得力も無いし。
多様性に満ちていると言えば良いと言う風潮も有るみたいですが、それは多様性じゃ無く「かぶれ」だろうとツッコミを入れたくも
なりますが。(笑)

Qアドバイスの「ましょう」

外国人に教える日本語文法の質問です。
ダイエットについて、医者が「昼はたくさん、夜は少し食べましょう」と言う部分があります。この「ましょう」は勧誘のましょうでもなく、申し出のましょうでもありません。
アドバイスの「ましょう」という説明ではだめですか?文法的にどういう説明をしたらいいのでしょうか。

Aベストアンサー

以下の辞書([日本国語大辞典])よりの引用の(3)の用法 「勧誘・命令」の「う」の前に「ます」「です」などの「丁寧語」がついて「ましょう」「でしょう」になっただけで、「う」が勧誘・命令であることに変わりはありません。
「語誌」の(5)にあるように、「でしょう(です)」「ましょう(ます)」丁寧語に付いた形です。「日本語文法」では「勧誘」「命令」「申し出」などに細分化しているようですが、勧誘の発展と考えていいと想います。さらに「アドバイス」まで付け加えるのは好みかもしれませんが、そこまで話を面倒にする必要はないと思います。

う〔助動〕
(活用は「◯・◯・う・う・◯・◯」。助動詞「む」の変化したもの。古くは、「む」と同様、すべての活用語の未然形に付いたが、現代では五段活用の動詞、形容詞「…かろ」、形容動詞「…だろ」、助動詞「ます」「です」「た」「だ」の未然形に付く。⇔よう)

(1)話し手の意志、決意を表わす。…しよう。
(2)現在、または未来の事柄について、話し手の推量を表わす。…だろう。
(3)相手に対する勧誘、または命令的な意を表わす。…しよう。…しろ。       ←〇
(4)当然、適当の意を表わす。…のはずだ。…して当然だ。…のがよい。
(5)(連体修飾または準体法として)未来のこと、仮説について一種婉曲の心持ちを加える。
(6)(「…うか」の形で)疑問、質問、反語の意味を表わす。「こんなものが役に立つだろうか」
(7)(「…うとす(る)」の形で)動作、作用の行なわれる直前の状態であることを表わす。「会はもう終るだろう」
(8)条件を仮定し、それに逆接的な動作、作用が続く。「だれが何をいおうと私は行く」
(9)(「も…うに」「…うものを」などの形で)ほかの可能性も考えられるのに、とある事柄を非難する前置き的用法。「事もあろうに、教師が盗みを働くとは」


語誌
(1)(2)(3)→省略
(4)一八世紀の後半頃から、終止連体形に接続した「だろう」が推量表現に用いられるようになると、「う」「よう」は意志を表わす用法に偏るようになった。
(5)佐伯哲夫氏の国定国語読本(第一〜六期=明治三七〜昭和二四年)を対象とした調査によれば、おおむね期を追って推量の「う」「よう」は「だろう」「でしょう」等に交替している。ちなみに、天気予報の「晴れましょう」を「晴れるでしょう」に変えることを決めたのは、NHKでは、昭和三八年一二月の放送用語委員会であったという。

以下の辞書([日本国語大辞典])よりの引用の(3)の用法 「勧誘・命令」の「う」の前に「ます」「です」などの「丁寧語」がついて「ましょう」「でしょう」になっただけで、「う」が勧誘・命令であることに変わりはありません。
「語誌」の(5)にあるように、「でしょう(です)」「ましょう(ます)」丁寧語に付いた形です。「日本語文法」では「勧誘」「命令」「申し出」などに細分化しているようですが、勧誘の発展と考えていいと想います。さらに「アドバイス」まで付け加えるのは好みかもしれませんが、そこま...続きを読む

Q位相の意味を漢字から教えて下さい

位相の意味を漢字から教えて下さい

Aベストアンサー

「位」と「相」を漢和辞典で引くと意味が出てきますが、あまり役に立たないでしょう。
これが「位相」という形になった途端に難しくなります。一応引用しておきましょう。

日本大百科全書(ニッポニカ)

位相
数学と物理学の二義がある。
(1)数学用語 集合の点の間の遠近を表すのに、距離や近傍(きんぼう)などを用いるが、問題に応じてこれらの概念が定義されたとき、位相あるいはトポロジーtopologyが定義されたという。位相は、位相数学あるいはトポロジーとよばれる数学の新しい分野の略称としても用いられる。その発生は20世紀になってからである。二つの図形A、Bの間に1対1の対応があり、これが双方から連続なとき、AとBは同位相であるという。位相数学は同位相な図形に共通な性質や量を研究する学問であるといわれている。最近は代数学や解析学とも関連して、位相代数学、関数解析など新しい分野としても発展している。
[洲之内治男]

(2)物理学用語 単振動において、経過した時間に比例して増大する量で、時間が1周期だけ経過して同じ運動が繰り返されるたびに、振動の位相phaseは360度だけ増大する。x軸上で単振動する点の時刻tにおける位置xは、コサイン(余弦(よげん))関数を用いて、
  x=Acos(ωt+α)
と書ける。ここに、Aは振幅、右辺の括弧(かっこ)内の量ωt+αが振動の位相である。ωは角振動数で、360゜×振動数に等しい。αは時刻ゼロにおける位相である。x方向に進む平面波においては、波動を表す関数uの位置x、時刻tにおける値が、
  u=Acos(ωt-kx+α)
と書ける。右辺の括弧内の量ωt-kx+αが波動の位相である。kは波数で、360゜÷波長に等しい。この平面波では、x軸に垂直な平面上では位相の値が等しい。このような同一位相の曲面(波面)が速度=ω÷kで進行する。この速度は振動数×波長に等しく、位相速度とよばれる。
[飼沼芳郎]

位相幾何学について(余談)
 話としては面白いですが。例えば、軟式テニスのボールに小さな穴を空けて、そこから全部を引っ張りだすと、どうなるか。完全に裏返すことができるでしょうか?
 あるいは、人間の頭の毛をある程度短くすると、一カ所以上の「つむじ」が出来ます。バスケットボールの表面に、一面の毛が生えたと仮定して、その「つむじ」は幾つ出来るでしょうか。と言うようなことを真面目に考えるのも、位相幾何学のホンの一面です。

「位」と「相」を漢和辞典で引くと意味が出てきますが、あまり役に立たないでしょう。
これが「位相」という形になった途端に難しくなります。一応引用しておきましょう。

日本大百科全書(ニッポニカ)

位相
数学と物理学の二義がある。
(1)数学用語 集合の点の間の遠近を表すのに、距離や近傍(きんぼう)などを用いるが、問題に応じてこれらの概念が定義されたとき、位相あるいはトポロジーtopologyが定義されたという。位相は、位相数学あるいはトポロジーとよばれる数学の新しい分野の略称としても用いら...続きを読む

Q国文法の助動詞と日本語教育文法の接辞と語尾について

国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)とされています。
ナ形容詞(国文法の形容動詞)の場合はいずれにしても語尾(スフィックス)ですが、
イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、語尾でしょうか。

Aベストアンサー

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

  丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思うのですが、日本語文法
  では何に位置付けられているのかを知りたいのです。

というところで、「丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思う」とありますが、ここも「繋辞ではなく」なのでしょうか。

大事な用語が違っていては、何が何だかわからなくなります。

ああ、もっと後の「コメント」で、

  この形容詞(イ形容詞)に用いられる「です」は形容詞(イ形容詞)の語尾(sufix,
  суффикс)なのか、繋辞(copulă, связка)なのかという質問です。

とありますね。「語尾(sufix」ということは、「語尾=接辞(suffix)」ですね。これではっきりしました。
しかし、この「です」はどう見ても、二つの名詞を「繋いで」はいないので、「繋辞」ではありえないでしょう。

井口厚夫の説明がわかりやすくていいですね。コピュラでなく、活用語尾とも言えない。形容詞普通体の、独立できる形にくっついているだけですから。
しいて分類するなら「接辞」でしょうか。

それにしても、

  いろいろな考え方のご紹介は結構ですので、「赤いです。」の「です」を助動詞
  という用語を使わずに外国人にどう教えるのかについてだけご存知の方のご説明
  をお願いします。

という最後のコメントは強烈ですね。

「どう教えるか」という観点から言えば、この「です」の品詞論・形態論的位置づけをごちゃごちゃ考える必要はない、でいいんじゃないですか。そんなことを学生に言う必要もないし、教師も悩む必要はない。
「形容詞の後について「丁寧」の意味を加える」、と言えば終わりです。

日本語学としてこの辺の形態論を教えるなら、何か適当なことを言わなければなりませんが、「日本語文法」での定説・通説などないし、例外的な用法なので例外として扱うのがいいでしょう。

そう言えば、初めの「日本語(教育)文法」とは何を指しているのか、という問いへのお答えはないのですね。まあ、いいですけど。

saburoo

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

...続きを読む

Q「“におって”いただけますか」は、通常使う言葉ですか?

先日、テレビで、50代くらいの男性が、インタビューアに器の中の竹の微粉末を差し出して
「におっていただけますか」と声を掛けました。(もしかしたら、聞き間違いであるかもしれませんが)
この場面で、私なら、通常は「嗅いで頂けますか」とか「香り(匂い)を嗅いで頂けますか」と言う、と思います。
質問は「“におって”いただけますか」は、通常使う言葉ですか?

Aベストアンサー

方言
匂いをかぐ。《におう》京都府葛野郡631島根県725岡山県真庭郡747広島市785山口県729山口市791徳島県811高知県864熊本県天草郡936大分県941鹿児島県種子島054《にゆう》大分県大分郡・大分市941《におぐ》京都市621大阪市638

しかし、実は他動詞としての用法もあったわけです。
【二】〔他ハ四〕
(1)香りを発散させる。
*古今和歌集〔905〜914〕冬・三三五「花の色は雪にまじりて見えずともかをだににほへ人のしるべく〈小野篁〉」
(2)匂いをかぐ。かぎわける。   ←◎
*俳諧・続寒菊〔1780〕「徳利匂ふて酢を買にゆく〈芭蕉〉」
【三】〔他ハ下二〕
美しく染める。におわせる。
*万葉集〔8C後〕一六・三八〇一「住吉の岸野の榛(はり)に丹穂所経(ニホフれ)ど匂はぬ我や匂ひて居らむ〈作者未詳〉」

関西語は古い伝統を守り続けていて、それが現在では「方言」と見なされていることになります。

Q繋がる の可能形

繋がる の可能形は何ですか。繋がられるですか。

Aベストアンサー

何だかいろいろ錯綜していますね。

まず、可能形(可能動詞・可能構文)というのは、すべての動詞についてあるわけではありません。

   可能構文は意志的な行為について述べるため、通常、主語は有情物であり、
   動詞は意志動詞に限られる。
                『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

例えば、自然現象である「雨が降る」「雷が鳴る」は、
   ×雨が降れる  ×雷が鳴れる
とは言えません。

人間の非意志的な動作、例えば「財布を忘れる」も、
   ×財布を忘れられる
で、可能形は使えませんが、「嫌なことを忘れる」なら、「忘れよう」と努力して、
    嫌なことを忘れられた/忘れられない
のように可能形が使えます。

「つながる」も、
    この路線は地下鉄につながっている
では非意志ですが、
    世界の人とつながろう!
のような用法なら意志動詞です。

「意志動詞」というのもよく分からないところがありますが、ある動詞が意志動詞かどうかというよりも、用法ごとに考えるべきでしょう。

さて、「つながる」の「可能形」ですが、ひらがな単位でやるよりも、形態論の分析はローマ字を使ったほうがいいでしょう。

   可能構文の述語動詞は、動詞の語幹に可能の接辞をつけて作られる。可能構文は、
   動詞の語幹に接辞「-e-ru」(I型動詞の場合)や「-rare-ru」(Ⅱ型動詞、「来る」
   の場合)が付加した派生動詞によって表される。
           『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

「つながる」は五段動詞(I型動詞)ですので、
   tunagar -u → tunagar -eru つながれる (「つながられる」は受身形)
です。
  例 世界の人々とネットでつながれると思ったのだが、なかなかうまくつながれない。

「可能動詞」という言い方は、五段動詞の場合、助動詞「れる・られる」の付加による
   よむ → よまれる
の形ではなく、普通は「よめる」が可能を表す形として使われるので、それを「よむ」とは別の独立した動詞として名付けたものでしょう。(すみません。この辺の事情はよく知りません。)

この「よめる」という形は、ひらがな単位での分析では「よむ」から作ろうとすると無理があるので、可能形とは呼びたくないのでしょう。

上の、ローマ字を使った(つまりは音素表記?)なら、語幹に「れる」ではなく「-e-ru」をつければいいわけです。

なお、大辞林などが「可能動詞」を付記していないのは、「つながる」の多くの用法が非意志的なものだからではないでしょうか。上に書いたように、ある動詞の用法全体が意志的(つまり可能動詞がありうる)あるいは非意志的であるとは言えないので、その動詞の「可能動詞」が[ある/ない]とどちらかに決めることは難しいのです。

以下は補足的なことです。

「つなぐ」「つなげる」の可能形は、
   tunag -u → tunag -e-ru (可能動詞)  (「つながれる」は受身形)
tunage -ru → tunage -rare-ru (元が一段動詞なので「可能動詞」はない)
です。
この二つの「つなげる」は、上は「つなぐ」の可能形(可能動詞)で、「~できる」の意味を持ち、
下は単なる他動詞です。
   恥ずかしくて手をつなげない。(つなぐことができない)
   コードとコードをつなげる。(結びつける・延長する)

可能の「れる・られる」について、いまだに国語辞典などが「五段動詞は未然形に「れる」がつく」としているのはちょっと驚きでした。
   読まれる 書かれる 泳がれる 死なれる 解かれる 持たれる 言われる 切られる
などを可能の意味で使われると、誤解が生じるのではないでしょうか。(もちろん、普通「読める・泳げる」が使われる、とは注記してありますが。)

saburoo

何だかいろいろ錯綜していますね。

まず、可能形(可能動詞・可能構文)というのは、すべての動詞についてあるわけではありません。

   可能構文は意志的な行為について述べるため、通常、主語は有情物であり、
   動詞は意志動詞に限られる。
                『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

例えば、自然現象である「雨が降る」「雷が鳴る」は、
   ×雨が降れる  ×雷が鳴れる
とは言えません。

人間の非意志的な動作、例えば「財布を忘れる」も、
   ×財布を忘れ...続きを読む

Qだまされたと思って食べてみて?

どうして、こんな風に勧めるのでしょう?
そうまでしなくても、試しに食べてみるでしょうし
今さらですが、素朴な疑問です。

Aベストアンサー

食わず嫌い以外には意味なさそうですね。

Q令和について、なぜ日本の学者たちは積極的に取材に応じる姿を見せてくれないのでしょうか

日本語を勉強中の中国人です。日本の新年号はとうとう「令和」に決まったようです。日本のテレビ番組を見ているのですが、日本の学者たちは、たとえNHKの取材でも積極的に応じる姿を見せてくれないようです。背景などについてはあまり多くは語りたくないようで、なぜでしょうか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それもご教示いただければ幸いです。よろしくお願いいたします

Aベストアンサー

元号についてメディアが取材するという現象が起こったのは、実は今回が二回目であり、以前には民間人があれこれ言うことができない雰囲気の中で決定されました。お上から通達があっただけです。平成の場合は昭和天皇崩御直後のことであり、一種の自粛ムードの中でした。今回は天皇ご退位による元号制定は近代では初めてであり、一種のお祭り騒ぎ的な雰囲気があり、取材する側にも、あわよくばスクープをという意気込みもありました。それに対する厳重な備えも敷かれていたわけです。それが、取材される側の態勢を厳しくしたことになります。
 もう一つは、選ばれた元号が、予想外に批判されやすいところがあったことです。まず最初に声を上げたのが、記者クラブの外国人記者だったそうですが、「令」がどうして使われたのかと疑問の声をあげたそうです。「命令」の意味しか知らない人には当然の声だったのでしょう。しかし、「令」には「転注」によって生まれた「よい」の意味があり、「令嬢」「令息」のような使い方があることは、ちょっと漢字を知る人なら分かるわけです。だが、しかし漢語漢文学を知る人なら,逆に「令」が使役の意味であり、「仮令」と、仮定も使われるし、なによりも、「巧言令色鮮矣仁」は習ったばかりなら高校生でも知っている孔子の言葉です。これは既に学者たちから出ている批判です。
 こうなると、批判されるのは、この「令」を選んだ有識者の責任に帰されるわけです。箝口令が敷かれたのは、誰の主導でこの語が選ばれたのか、と言うことになりかねないからです。結局万葉集学者の中西氏が責任を取る格好になったようです。ちなみに、過去の元号240前後(北朝独自のものを含む)の中で使われた文字は重なりが多く、(「和」は18回使われた)多くの文字が重なっています。その中で「令」が使われたのは最初です。元号の文字は、言わば嘉祥であり、余りいい言い方ではないが、おめでたければいい。そこに一度も使われなかったと言うことは、あまりおめでたい意味はないとも言えます。

元号についてメディアが取材するという現象が起こったのは、実は今回が二回目であり、以前には民間人があれこれ言うことができない雰囲気の中で決定されました。お上から通達があっただけです。平成の場合は昭和天皇崩御直後のことであり、一種の自粛ムードの中でした。今回は天皇ご退位による元号制定は近代では初めてであり、一種のお祭り騒ぎ的な雰囲気があり、取材する側にも、あわよくばスクープをという意気込みもありました。それに対する厳重な備えも敷かれていたわけです。それが、取材される側の態勢を...続きを読む


人気Q&Aランキング