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1. 民主制では わざわざクウキを読む必要はなく クウキをかたちづくる
必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。

2. ところが 日本人にあるまじき KY だ・ニートだと言って それを読め・
それに従えという意味でのクウキは このいわば白紙であるという意味での空
気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとした結果状態であり その手段
じたいであるだろう。

3. いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程の
中に持ち込み人びとを丸め込もうとするときの思潮やまた圧力と感じられもす
る雰囲気のことである。

4. この国には お上には逆らえない・長いものには巻かれろ・寄らば大樹
の陰といった《アマアガリ・シンドローム(公民アマテラスへの出世指向)》
が人びとの心の中に見られる場合がある。

5. あるいはそのアマテラス公民のおこなうことは《あやまち得ない》とい
う無謬性なる神話が浸透していて アマテラス公民を無条件に信奉するという
《アマテラス予備軍症候群》がしばしば見られる。

6. これらの風潮がはびこっている――と ようやくその権威づけられた威
光がやや落ち目になってきた今 あらためて取り上げてみよう。

6-1. つまり この《伝統》なる風潮を読まないという KY は じつは 
未来社会への旗手である。

6-2. 引き籠もりは クウキに対する志向性に関する限り すでにいまシ
ャッターが押されて陰画として現われた未来社会の風景である。

7. たぶんその場合にも KY はダメだと言われるときのクウキはそれをも
読むことだけは読んでおいたほうがよいはずだが 読んだ結果として KY と
いう現象が起きても構わないし 起きたほうがひとは よりいっそう自由であ
る。

☆ どう考えますか?




8. なお最後にですが あらためて定義です。:

  ○ KY の定義 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  広い意味での会議において 会議としての意志決定をするときに 
  言論をとおしてというかたちを超えて 
  おもにヨリ高い権限を有する者の意向を人々がすでに汲み取って
  ――必ずしもまだ発言されていなくとも噂で流されているところの
  意向をすでに忖度して―― 
  多くの参加者の意向がそれになびいていくとき 
  そのような同調という風潮を意に介さない傾向および志向性。
  
 ○ ニートや引き籠もりは そのクウキなる風潮に生理的にさえ嫌悪
  をも催す現象の結果あらわれる状態ではないか。また 佐渡へ佐渡
  へと草木もなびく群れを目の前に見せられては やってらんないよ
  と言った状態。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

質問者からの補足コメント

  • BAと言ったのは 茶化したかも知れません。

    よかったですか? そうだとすれば それはよかった。
    と思います。


    注文などありましたら おしえてください。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/04/12 23:17

A 回答 (8件)

パチパチパチ。

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ベストアンサーだね。

お礼日時:2019/04/12 22:24

いいえ、そこではなく


「引き籠もりが未来社会のネガであり、それがそのままポジになる」これは完全に喩の表現ですよね。

比喩という表現の方法は、直喩と隠喩とを問わず、それによって比喩される言葉の機能に新しい生命を与え、新しい任務を付与するとも言えます。比喩する言葉の思いがけない提出によって比喩される言葉の習慣的な意味のシンボルを破壊し、その衝撃によって、隠されていた言葉本来の意味や態度を、読む人の感覚の前に新しく引き出してくれます。
隠喩には、隠喩によってしか把握されない微妙な事物の関係やニュアンス、または啓示的な照応があり、単なる説明をもってしてはなかなか言い尽くせないものがあります。
主観的断定と呼ばれる性格も隠喩のひとつの特性です。たとえば

渡らねば明日へは行けぬ暗緑のこの河深きかなしみの河

この場合、「かなしみの河」が隠喩。言葉(かなしみ)とその具体化のイメージ(河)が直接つながっていて、隔たりがない。「河のようなかなしみ」ということもできるが、「かなしみの河」とすることで、悲しみがそのまま河となって存在するという、より強い効果を得ることができる。

満員の介護施設と一両の汽車すれ違う時のはざまを

これは私が作った歌です。全体が喩になっています。一瞬の間にイメージが沸いたので、自分でも何を言っているのかわからないのですが、喩にはこういう性質があると思います。

「引き籠もりがネガであり」ここでネガは、いったいどのような状態を指して言われているのか。
「そのままポジになる」とは、真逆の状態になるということ。
確か以前に「アース役はつらいよ」でしたっけ。で、その解消が表明されていたと思いますが。
ネガでありポジになる。とは、ちょっと考えただけではとても難しいことだと思うのですが。
そこに超自然的な関与があるということでしたよね。少し飛躍があると思いました。
「引き籠もりは 未来社会のネガ(陰画)であ」の回答画像8
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 比喩という表現の方法
☆ の問題は おおよそおっしゃるとおりでしょう。復唱しません。

なかで敢えて言うとすれば:
★ ~~~~
満員の介護施設と一両の汽車すれ違う時のはざまを

これは私が作った歌です。全体が喩になっています。一瞬の間にイメージ
が沸いたので、自分でも何を言っているのかわからないのですが、喩には
こういう性質があると思います。
~~~~
☆ こういった場合は――馬場あき子の歌集のときのように―― 連作に
よるとか 前書きを添えるとか あるいは解説で補うとかしないと 詠み
手の主観として 或る種の達成感があるでしょうが 聴き手には 分かり
づらいと思います。







★ 「引き籠もりがネガであり」ここでネガは、いったいどのような状態
☆ か? と言えば いまはまだポジ(陽画)に成っていない状態だとい
うことです。でも すでにその光景は まさにネガとして現実であるとも
言っています。

その本人のささやかな意志と心がその実現に向けて動き出しています。

同調圧力としてのクウキに――ほとんど意識せずになのかも分かりません
が―― 抵抗しているその姿は 兆しとしてだけでも 貴重だと。



★ 確か以前に「アース役はつらいよ」でしたっけ。で、その解消が表明
されていたと思いますが。
☆ いえ。ガミガミ役との役割りが逆転するというのではなく そうでは
なくガミガミ役からのガミガミ電波(いろんなハラスメント)が――その
ガミガミ氏の自省と自己還帰をとおして―― 消えてなくなる。という意
味です。

この場合は ネガとポジの関係とは別です。ガミガミもアースも ネガで
はありません。



★ そこに超自然的な関与があるということでしたよね。少し飛躍がある
と思いました。
☆ 人間の能力と努力とだけでは 基本として言えば人間の成すことの何
ごとも成就しない。
――という《飛躍した》見方をも ふつうの哲学の見解に盛り込んでいる
というかたちです。

お礼日時:2019/04/15 08:27

確かにそうですね。


私たちは、他人との共同のあり方に没入し、知らない間に他人の支配を受けています。そして自分自身を見失っているのが、悲しいことに日常茶飯事です。
しかし、この他人の支配というのですが、特定の他人ではない。「ひと」「世間」と言えると思います。
新聞やテレビなどのマスコミが伝達する場合の相手は特定の誰でもなく、しかも誰でもがそれであるような他人、私がその一人であるような他人であり、しかも世論とか視聴率とかで、この伝達を支配するのもこの他人「ひと」です。
その他、交通などの公共機関、政治経済などの諸機構などを支配するのも「ひと」。
日常生活の中で、私たちはいつも他人と自分を比較してはいないでしょうか。負けないように、また優位に立とうと躍起になることがあると思います。私たちはいつも、他人との差異に関心を持ち、そのことによって不安にされています。この差異によって起こってくる感覚が、他人によって支配されていることを示すものです。

しかし、ネガとなっているが、やがてそのままポジになるとは。そこらへんがちと難解だわ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ しかし、ネガとなっているが、やがてそのままポジになるとは。
そこらへんがちと難解だわ。
☆ いまはもう写真は DPEなんてことないんですかね?

現像したら ネガ(陰画)になって出て来ます。白黒などが逆になって
いる。焼き付けすると ポジ(陽画)つまり ふつうの色で写真になり
ます。

ですから いまはまだ兆しが出て来たという意味で ネガの状態ではな
いかと。


☆ あとの社会の分析は そのとおりだと思います。

世の中は一般に なんらかのクウキがただよって かなりその雰囲気が
優勢な風潮をかたちづくっていて その方向へとわれわれはみちびかれ
ることがあります。

最近では LGBTなどというかなり変な風潮がある程度支配的になって
いると思います。何らかのいぢめを受けているのをひっくり返そうとす
るウゴキでもありますが これを逆転させようとして 別の支配的なク
ウキをつくろうとしているかに思われる部分があると思います。

お礼日時:2019/04/14 23:26

そうですか。

自我が強ければ聖霊が働く余地がないとも思うのですが、その点はどうなんでしょうか。
「自我」とは他人と違う自分。しかし「我執としての自我」とは、頑ななニュアンスがあるように思いますが。
肝心の質問の、引きこもりは未来社会の陰画、KYは草の根民主制への第一歩である、という文脈についてははっきりわかりません。もう少し、わかりやすく説明してください。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ そうですか。自我が強ければ聖霊が働く余地がないとも思うのですが・・・
☆ ヒラメキや良心のハタラキ(=すなわち ヤマシサ反応もしくは恥ぢ意識 )
が 人間たるわたしの意志にも先んじて 例外なく起きます。

自我は 我執として――あるいは一点特定しようと思えば 《神のごとくいかな
る者の下にも立つまいと堅く誓った》人間のその生存欲また支配欲として――は
たらくわたしの・むしろ理性です。

良心がはたらいている。けれど そのよからぬ理性が 良心に逆らい聖霊の呼び
かけをも乗り越えて行こうとします。

出来心や衝動による不法行為の場合は 何らかのかたちで自我=我執にかかわる
とは見られるものの 良心のハタラキを容易に取り戻します。


★ 「自我」とは他人と違う自分。
☆ 自我とは 《 das Ich ( the 'I' ; わたしであること)》です。意味が広がり
自我が強いと言えば 押しが強いことであり 時に我執のことであり 自我を確
立するというのは おのれの意志また存在が 相手のそれらとひとしくとうとい
と知ることです。

同じたぐい(存在)であると同時に 自由意志の自由さが互いに異なるというこ
と。つまり ひと・人間・わたしと言うのと違わないでしょう。

自我という訳語が 混乱をもたらしています。



★ 肝心の質問の、引きこもりは未来社会の陰画、KYは草の根民主制への第一歩
である、という文脈についてははっきりわかりません。もう少し、わかりやすく
説明してください。
☆ 《神のごとく如何なる者の下にも立つまいと堅く誓った》人間は 支配欲に
よってむしろ支配されていて 押しがつよい。自分はゆづりません。あるいは自
分が勝つために 一たんゆづることをします。

そうして 世の中のクウキを利用します。アマアガリ・シンドロームに罹った人
間と呼んでいますが 言わばガミガミ役のことです。これに対して受動的な立ち
場は アース役になります。

アース役になることが 不当なことだと思えば KY に成ります。さらにガミガ
ミ役とそれに支配された世の中の情況では やってらんないよと――無意識の内
にも――宣言したのが 引きこもりやニートだと見ます。

かれらは いまネガ(陰画)となっている。やがてそのままポジ(陽画)になり
ましょう。

お礼日時:2019/04/14 20:52

弱さの中にある力は、聖書に語られていますーコリントⅡ12:9-10


「わたしの力は弱いところに完全に現れる」強いところには現れません。なぜか。強さと強さが反発するのではないでしょうか。人間が本来持っている性格は頑固でかたくなで、神はそれを打ち砕かなければなりませんでした。自我が壊されたところに新しい実存ができる。私たちは存在の語りかけに応答し、その要求に従うことが大切。
「実存とは、自己を脱し我執を捨てて存在の明るみの中に立ちいでることである」というハイデッガーの主義主張ですね。

「ゆづる」という行為は確かにそのような見えない力も、働いていると思います。
相手から威圧的な力を受けた時、自分を守るために「ゆづってしまう」ということが起きてくるからです。
それは日常的には、「すみません」「ありがとうございます」という声かけにも表れていますよ。
「すみません」は詫びるとき、「ありがとうございます」は感謝、でも、今は何か面倒なことを回避したいときも、しばしば発せられる言葉となりました。初めにこれを付け加えてから発話すると、会話がスムーズに運び、相手の心証も壊さずに済みます。ハラスメントの多い世の中になってしまいました。
「引き籠もりは 未来社会のネガ(陰画)であ」の回答画像5
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 弱さの中にある力は、聖書に語られていますーコリントⅡ12:9-10
★ 人間が本来持っている性格は頑固でかたくなで、神はそれを打ち砕
かなければなりませんでした。
☆ ここまで分かります。

★ 自我が壊されたところに新しい実存ができる。
☆ これも 言わんとするところは分かります。かたくななところを砕
くという意味において。

ただ 《自我》は そもそも初めから無い――なぜならそれはただ《わ
たし〔なること〕》を言うのみだから――と言いたいですし またある
いは別様にもし《我執やこだわり》のことであってそこから離れること
を言おうとしているとすれば それも どこか違うと思っています。

離れるのではないと思います。我執としての自我をなくすことが よい
人格だというのは うそです。

自然本性としてのわたしを無くすことなど出来っこありませんし そこ
につくられたへそ曲がりだとか自己チューだとかを直すというのも ど
こかウソくさいです。そんな考えを持っています。


早い話としては 自己満足なり自己顕示欲なりの余計な部分としてのわ
たしについては それらをよく利活用すればよいわけです。そのために
自然本性のよき部分があります。神の宮であるという――想定じょうの
――部分。

しかもそのチカラは わたしの弱いときに・わたしの弱さの中から現わ
れて来ると言います。

わざわざ強い子になって 人格を作り上げることはない・・・のではな
いか?


★ 私たちは存在の語りかけに応答し、その要求に従うことが大切。
☆ これは 基本として自然本性のふつうの要求でしょうね。ですが:
★ 「実存とは、自己を脱し我執を捨てて存在の明るみの中に立ちいで
ることである」というハイデッガー
☆ これは ウソっぽい。《自己が自己を脱する》のですか? よわい
わたしが我執を捨てるのですか?

といったことを思います。自然本性に余計な手をかけることが 特には
ブディズムのオシヘをつうじて これまでには大きく叫ばれて来たので
はないでしょうか?



また そういう意味でも《ゆづる》という手がひとつに考えられるかも
分かりません。もう少ししっかりといろんな情況や《ゆづる》ことの可
能性を考えて見なければならないかとは思います。


草々にて。

お礼日時:2019/04/13 14:32

働きかける力というのには、相手に配慮して相手の気持ちを汲み取ることが大きな鍵になります。

単に話好きなだけでは、双方向のコミュニケーションとならないので、意思疎通が成り立ちません。
働きかけられる力というのは、そうですね、守ろうとする力を引き出す力、かなと思います。つまり、弱さの中にある力と言えるでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 働きかける力というのには、相手に配慮して相手の気持ちを汲み取る
ことが大きな鍵になります。
☆ なるほど。能動的なチカラとその作用にうったえるときすでに 相手
の受け身として示す反応を予期し予想するという。

しかもそれは 打算のためではなく 相手の思想や置かれた情況に配慮し
て 互いに心をかよわせたコミュニケーションのためであると。


★ 単に話好きなだけでは、双方向のコミュニケーションとならないので、
意思疎通が成り立ちません。
☆ ううーん。すでに初めの段階で 双方向というのはじつは 互いに向
き合うかたちで それぞれ・ともに《はたらきを受けるチカラ》の発揮と
いうことを織り込んでいるのだということのようですね。



★ 働きかけられる力というのは、そうですね、守ろうとする力を引き出
す力、かなと思います。つまり、弱さの中にある力と言えるでしょうか。
☆ 《よわさの中にあるチカラ》とは 神崎の論文には触れられていなか
ったかと思うのですが まさにパウロ的ですね。



コミュニケーション論で 進展があったかも分かりません。




あっ。《ゆづる》というのは 相手からすでに不当な行動に出られている
とき・あるいは理不尽な要求を突き付けられたときの《受け身のチカラ》
の発揮のひとつとして 考えられるのかも知れません。

お礼日時:2019/04/13 11:48

皆さんに誤解されないように、 KYの重要な定義をWikiから引用しておきます。



「朝日新聞珊瑚記事捏造事件(あさひしんぶんさんごきじねつぞうじけん)とは、1989年(平成元年)に沖縄県西表島において、朝日新聞社のカメラマン・本田嘉郎が自作自演で珊瑚に落書きによる傷をつけ、その写真をもとに新聞記事を捏造した虚報事件である[1]。落書きの文言「K・Y」を取って、KY事件とも呼ばれる。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5 …
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


▲ (ヰキぺ:朝日新聞珊瑚記事捏造事件) ~~~
§ 2 事件の背景
・・・西表島に偶然『K・Y』というイニシャルの有名ダイバーがいて、彼が
憤慨して調査を始めたことが捏造が発覚するきっかけであったとされる。
~~~~~~~

☆ これが 事実だとすれば そのようにひとりの人間の心と社会的生命と
を踏みにじろうとするという朝日新聞記者の心が 分からない。



まさか 朝日新聞系からの回し者ではないでしょうね。まだまだ 朝日は権
威を持っているんだ そのクウキを読みたまえ・・・という投稿内容ではな
いですよね?

お礼日時:2019/04/13 08:47

核心をついてると思います。


うちは100人ぐらいの職場ですが、10年前は比較的働きやすいと思っていたのに、人手不足やら経費削減やらで、人間関係もぎすぎすしてきたり、すべてのおいてロボット化してきたと思います。業務命令に逆らうことはゆるされないというか。私なんかは会議では言いたいことを言いますよ。そんな雰囲気がいやだから。人手不足だから、辞めさせられないのはわかっているからね。ブラジュさんが言ってること正解。やはり世の中自体変わった。だから、どこでもその流れを受けざるを得ない。流されながら抵抗してるようなもんだわ。まったく。非力だなと思う。みんなその流れを感じて黙ってるのよ。どうしたらいいんだろうね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ やはり世の中自体変わった。
☆ 変化はしている・・・のですね。《クウキが希薄化したか》は まだ分か
らないとしてもですね。かすかに《落ち目》の徴候はありましょうか。
☆☆(趣旨説明欄) ~~~~
6. これらの風潮がはびこっている――と ようやくその権威づけられた威
光がやや落ち目になってきた今 あらためて取り上げてみよう。
~~~~


★ 私なんかは会議では言いたいことを言いますよ。そんな雰囲気がいやだか
ら。人手不足だから、辞めさせられないのはわかっているからね。
☆ たのもしいとともに 時代の流れに即応しているのですね。



けれども・ただし むろん問題ものこっている。:
★ 流されながら抵抗してるようなもんだわ。まったく。非力だなと思う。み
んなその流れを感じて黙ってるのよ。どうしたらいいんだろうね。
☆ わたしは 《♪ あぁ アース役はつらいよ》の大合唱を提唱しています。

こんな考え方を取り上げたことがあります。どうぞ。
【Q:《ゆづりあひ》のいきほひは 《力への意志》を凌駕するか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10923549.html

お礼日時:2019/04/13 08:32

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そうすると、人工知能AIの使う言葉は、どのように捉えられるでしょう。プログラミングされた言葉が人を感動させることはあるのか。いわゆる言霊というのは失われてしまうと思うのですが。

それともそういうことがあるのだとすれば、それはプログラミングした人間自身の言葉の反映なのか。
それともAIは自身で言葉を獲得して、詩や短歌、俳句の領域に至るまで凌駕していくのか。

どのように思われますか?

Aベストアンサー

ことばを《ロゴス》として広く捉えた場合 次のように分類できるのではないか
と考えます。

☆☆ ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
【Q:ヒラメキとは 人に起きるいかなる現象か】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10598115.html

〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層 
つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか) 


 [非思考の庭]
  スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のナゾなる非思考の庭):神
                   ↓
 ----【天使(α’):ロゴス(α)の使い】--------------
                   ↓
 [思考の緑野]            ↓
  インスピレーション=ロゴス(β):異言
       :中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ
                   ↓
  インスピレーション=ロゴス(γ):預言
       :本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間による言葉化
       :概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい?
                   ↓
  ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考〔の緑野〕
       :経験合理性にもとづこうとする論理


   *(註) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   ・ロゴス:ことば

   ・スピリトゥス:霊。聖霊

   ・クレド( credo = I believe. 我れは信じる)

   ・異言(シャリバリ):意味の分からないことば

   ・預言:解釈。経験思考で分かるように表現する。

    〔もともとは 予言= pro-phetia(予‐言)として成ったことば〕

   ・ラチオ( ratio ):理性

    〔 = reason 。《 re-or =思う・考える・数える》から〕

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ロボットや人工知能は インスピレーション=ロゴスつまり ヒラメキとし
ての言葉を受け取ることがあるのか? といったことが気に成ります。

ことばを《ロゴス》として広く捉えた場合 次のように分類できるのではないか
と考えます。

☆☆ ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
【Q:ヒラメキとは 人に起きるいかなる現象か】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10598115.html

〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層 
つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか) 


 [非思考の庭]
  スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のナゾなる非思考...続きを読む

Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
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>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
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Q人間が人間を超えるものをつくること

たとえば、情報工学の先端でAIの研究に携わっているとしましょう。
すべてにおいて人間を超える可能性を秘めているものを対象として目の前におくとき、主観は常に対象を客観視できるでしょうか。
人間が人間を超えるものをつくる、ということは、あえて極論を言いますと、人間が人間を滅ぼすというポテンシャルを含み持つことです。
IT化による効率性、利便性は今や否定できません。
ITシステムが修正を繰り返し生き延びる様は人間のようであり、自ら学習を重ねて賢くなる人工知能AIはいつか人間を超える存在になると言われます。
そのようになると想定される場合に、果たして人間は冷静に客観である対象に向き合えるものでしょうか。それとも、専門家のあいだでは人間を超えることはないという根拠があるから、冷静に研究開発を続けられるのでしょうか。
もしそうならば、それを開示して世の中の不安も同時に払拭していく責任も同時にあると思うのですが、皆様はどのように思われますか?

Aベストアンサー

#14です。お礼ありがとうございます。

>ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

頭のいい人たちはすでに19世紀初頭に警鐘を鳴らしていますよ。
たとえばJ・J・トールキンは「人間らしさ」を「自然(精霊や斎もの)との交流と恐れが人間の本質である」としてそれが失われる前に指輪物語を書きました。指輪物語で人間以外が西の国に行ってしまうのは、まさに19世紀が「機械に人間が乗っ取られ、人間性を失う時期」だったからです。

同様にラフカディオ・ハーンは日本に来て「まだ人間性が残っている今のうちに記録を残そう」と小泉八雲として様々な小説を著作しました。

「メトロポリス」なんていうデストピアを描いた映画もありましたね。

どれも19世紀末から20世紀初頭の作品で、この辺りが機械を発明した第一世代から、機械と共存する第二世代に変わった時期なのでしょう。それから先はコンピューターでもAIでも機械化の延長にすぎないわけです。

人間のほとんどは「科学文明と共に生きること」を選んだのです。そのほうが「犠牲はあるかもしれないが、少なくとも自然の中で恐れて生きているよりは幸せである」と考えたからです。

実際、20世紀の科学進歩はすさまじく、それ以前の不治の病とされた天然痘は撲滅、ペストなどは激減、結核は治るようになり、飛行機を使えば1日で世界一周できるようになりました。機械を使うことによる犠牲者はあるものの、全体で見れば「機械のおかげで人は死ななくなった」のです。

ですから、今後もAI化などは「ほとんどの人が疑問を持たずに」進んでいくのだと思います。でも結局人間はそれで幸せなんだと思いますよ。

私には子供が居ますが、20世紀初頭の乳幼児の死亡率は50%以上だったわけです。つまり10人産んでも5人しか残らない社会で、ほとんどの人が「長生きできなかった兄弟」を背負って生きていたわけです。父母の、特に母親が自分でお腹を痛めた子を失う辛さと残酷さは悲劇以上のものだったでしょうが、たった100年前はそれが普通だったわけです。

今は乳幼児の死亡率は先進国なら数パーセントしかありません。

私は「人類が科学技術を捨てて『人間性を取り戻す』ことを望むのか?」と聞かれればNOだと思います。その代り人間は「機械とうまく付き合っていく」しか道はないのだと思います。

>人間はAIの奴隷。モルモット。

人間は自分で機械・技術の檻の中を選んだのです。アマゾンや砂漠地帯など一部の人間たちは拒否しています。ああ、インドに「文明を受け付けない島」があるようですが、そういう人たちはまだ「人間」なのでしょう。

でもほとんどの人間は自分たちで望んで、機械・技術に守られることを選んだのです。

#14です。お礼ありがとうございます。

>ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

頭のいい人たちはすでに19世紀初頭に警鐘を鳴らしていますよ。
たとえばJ・J・トールキンは「人間らしさ」を「自然(精霊や斎もの)との交流と恐れが人間の本質である」としてそれが失われる前に指輪物語を書きました。指輪物語で人間以外が西の国に行ってしまうのは、まさに19世紀が「機械に人間が乗っ取られ、人間性を失う時期」だったからです。

同様にラフカディオ・ハーンは日本に来て「まだ人...続きを読む

Q世界の和解へ向けて 三点セットです。

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど推し進める。

5. いくらでも色んなよいアイディアを出し合ってこれを実行して行く。

6. 経済は それぞれのムラがインタナショナルなインタムライズムの場(市
場)へと企業それぞれを巻き込む必要がある。(連携でしょうが)。




B 《普遍神》論によって宗教という宗教の揚棄を!

7. 宗教にかんして オシへは二の次であって 個人の《わがこころの固有の
時》なる信仰について それを一般論として知っておく。神は 普遍神だという
ことだ。
  
8. すなわち わが固有の時に憩う《わが非思考の庭》なる信仰は類型として
だれにとっても 同じひとつであるということ。梵我一如ないし霊霊一如。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:シューニャター(空)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(超自然およびその依り代としての自然)
   霊:われ(自然本性+α)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

9. このあたかも霊のつるぎなる理論によって世界をリセットしよう。




C やっぱし《アース役はつらいよ》の全国的・世界的大合唱で もろもろのハ
ラスメントについてハラッサー本人に自省させるのがよいはずだ。

10. 何気なく ♪あぁ アース役はつらいよ♪ とつぶやけばよい。

11. パワハラ・セクハラ・あるいはイヂメに際して みんなで合唱へと持
って行くとよい。

12. 半分は 減るのではないか?
    半分は あたまも気持ちもすっきりするのではないか?
    世界へも広げよう。

13. 無理をせずに 生産性が上がるのでは?
    社会保障費が省けて 財政再建に寄与するのでは?
    つまり 健康年齢が上がるのでは?

14. その情況にあって いま横になっている人たちの半分は やおら起き
上がって来るはずだ。


☆ コメントをどうぞ。

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど...続きを読む

Aベストアンサー

>A 村際連合

人の交流は、偏見をなくすためにいいですね。

>B 《普遍神》論によって宗教という宗教の揚棄を!

すばらしい。異なった宗教の共通性の認識も、非常に大切です。

>C やっぱし《アース役はつらいよ》の全国的・世界的大合唱

わかりませんでした。アース役とは何でしょうか、、、

Qあなたにとって正義とは何ですか?

あなたにとって正義とは何ですか?

Aベストアンサー

胡散臭いもの。

典型が戦争です。

勝った方が正義になります。
強いモノが正義です。

ワシントンは米国では正義の人ですが、
英国では反逆者で悪い人です。

現代の価値観で評価すれば、歴史の
英雄のほとんどは侵略者、独裁者、殺人鬼です。

かようにして、正義は胡散臭いものなのです。

Q難癖をつけて論破しようとする人 ある主張に対して、根拠を提示して論理的に説明をしても、その根拠に信憑

難癖をつけて論破しようとする人

ある主張に対して、根拠を提示して論理的に説明をしても、その根拠に信憑性がないと言って否定します。

例えば、日本の人口が1億2000万人程度だとする根拠を、国勢調査や各種統計で示しても、その根拠が正しいとする理由を聞いてくるのです。

国の統計や学術的な統計であっても、
『なぜ国の統計なら正しいのか?』
『どうしてその学者の言うことは正しいのか?』
と言ってきて、最終的に答えられないと、非論理的で君は間違っていると言われてしまいます。


どうやら彼は、100%正しいとする根拠や証明ができないと、曖昧なものは全て否定するようです。

なので、統計も実数ではないからダメ。
学術論文も、一学者の主張だからダメ。

このように主張すると何も言えなくなるのですが、どうしたら論理的に説明ができるようになるのでしょうか?

Aベストアンサー

どのみち、結論を出す現実の必要がない、という意味でクダラン話をしているんでしょうな。

 論証の根拠として使う命題すべてをリストアップして、それらをA, B, C, … とします。そして「A, B, C, … が正しいと仮定すると、」というマクラコトバをつけて結論Rを論証なさいませ。以上をまとめれば、
「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」
という命題を述べたことになる。「どうしてAが事実なんだ?根拠は?」というツッコミは意味をなしませんし、「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」という命題の論証に対して「そんな論証は説得力がない」とは言わせない。だから、せいぜい「そんな結論Rは説得力がない」と文句をつけるしかできない。
「そりゃ、A, B, C, … が正しいと仮定すると、という議論ですから、説得力はこれらの仮定に依存しますよ」
「そんなことを言うのなら、A, B, C, … のどれかが正しくないと仮定すれば、別の結論が出るじゃないか!」
「そうですね」
「では、君は何も言っていないのと同じだ」
「へえ、そう思うのですか?」
てな調子で、口喧嘩はいくらでも続きますがね。

 形式論理は、仮定に最初から陰に(あるいは陽に)含意されている命題を取り出してみせる以外には何もできません。なので、論理的に完璧な論証とは、現実に関する断定を一切含まない論証だということです。(数学もそうですけど)形式論理は現実世界とは断絶しています。現実に関する命題については、あくまでも過去の経験(観測した情報)だけが根拠ですから、「絶対に間違わない」ということは不可能です。物理学や化学の「法則」も過去の経験だけに基づいていますから、覆る可能性が常にある。(逆に、(形而上学や信仰など)覆る可能性がない命題は科学の(つまり現実に関する)命題ではない。たとえば
  この世は10分前に神によって創造された。
というような信念は、(もちろん、記憶や痕跡全部を含めて創造された、という主張ですから)反証しようがない。)
 というわけで、「現実に関する命題を証明する」ということはもともと不可能で、できるのは「論証」だけです。その論証の「説得力」は、仮定A, B, C, …を何度も検証するという経験を積み重ね、あるいはうっかり持ち込んでしまった思い込み(リストにない仮定)がないかを何度も確認する、というプロセスによって磨かれていくものの、疑いが完全になくなることはない。

 なお、以上の話はただのナンセンスではない。「どんな仮定のもとでの議論か」ということを明示するのは論文においても重要で、ここを手抜きすると「見落とし」「無反省」「無自覚な思い込み」などと突っ込まれることになります。

どのみち、結論を出す現実の必要がない、という意味でクダラン話をしているんでしょうな。

 論証の根拠として使う命題すべてをリストアップして、それらをA, B, C, … とします。そして「A, B, C, … が正しいと仮定すると、」というマクラコトバをつけて結論Rを論証なさいませ。以上をまとめれば、
「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」
という命題を述べたことになる。「どうしてAが事実なんだ?根拠は?」というツッコミは意味をなしませんし、「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」という命題の論証...続きを読む

Qこれまで数千人の命を救ってきた天才外科医1人の命となんの取り柄もないニート50人の命。どっちが大事で

これまで数千人の命を救ってきた天才外科医1人の命となんの取り柄もないニート50人の命。どっちが大事ですか?

Aベストアンサー

政治や経済、そして社会の利益から考えれば、天才外科医1人の命のほうが大事です。

でも、人道的にはどちらも大事、と云うしかありません。

宗教的には、ニート50人の命のほうが大事です。
本質的には、数は関係ありませんが、あえて選択するならと云う事です。
なぜかと云えば、天才はニートよりは理性という点において、数段神に近いという立場を確保しているからです。

だから神は、神にとっての遠い存在である“弱者”への想いが強いのです。

Qキリスト教や仏教やイスラム教やヒンドゥー教等は 何とか統一できないものか?

宗教が統一できれば世界的に平和にも近づくのではないでしょうか

どうやるのかは分かりませんが 統一教会はキリスト教の神霊を統一しようとして失敗した

キリスト教に拘らず 全ての人に 無宗教の人にも納得の行く教えを練り出せないものか?

まずはそれらの宗教の代表が会議してる様なので もっと危機感を持って

自分から変わる意識を持って 緊張感を持って月に一度でも2週に一度でも会議を2,3日

かけても何とかして宗教が協力して進化する様な宗教哲学を活性化出来ないものでしょうか?

Aベストアンサー

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調することを目的とする
等が挙げられます、

柳沼正広氏による第2章「キリスト教と諸宗教 宗教の神学」では、
キリスト教が他の諸宗教をどのように考えてきたかが述べられています。
諸宗教に対する考え方として、
排他主義、包括主義、多元主義、多元主義への批判を取り上げています。
他宗教を理解する努力のなかで、
自身の宗教への理解や反省が深められていく
宗教間対話の持つ重要性について論じています。

中国における中心的な思想である儒教に対して、
外来宗教である仏教と、儒教より後に成立した道教が
、自らの立場を主張しつつ、互いに交流と対話を
行ってきた歴史を辿っています

統合、に必要なものは「信」です
「不信」が統合を不可能にしています
宗教間の争いを無くすには
信頼関係を結び、友好、交流活動の継続しかありません

信は  結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調...続きを読む

Q哲学とは何か?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学とは何かということについて、野矢氏は、次のように述べています。

ごく簡単に哲学史を述べれば、アリストテレスは哲学を学問として捉えていた。
トマス・アクィナスにとっては、哲学は宗教であった。
デカルトは、哲学は学問の基礎であると考えていた。
現代においては、哲学者の数だけ定義が存在すると言って過言ではない。

私(野矢氏)にとって哲学とは、人間の言葉を使った複雑な思考の中の問題として
1.思考の全体を見通せていない、2.思考を支えている多くの暗黙のものを自覚し
ていない、3.全体の曖昧さ、矛盾を分からないでいる、これらの問題を解決する
ことである、と。

確かに、哲学というものの定義は、様々であることは実感していました。だから、
「さあ統一しましょう」といったところで、そううまくはゆかない。せめて、各々
の定義を理解し合えたら、もう少し意義のある対話ができるかも知れません。

さて、あなたの「哲学の定義」はというと、どういうことになりますでしょうか?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学...続きを読む

Aベストアンサー

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人間の尊厳の確認であったかのような印象があります。

その旗頭であるソクラテスが牢獄に繋がれ、毒をあおって死ななければならなかったため、何か、陰惨な印象を持っていましたが、何年か前、彼の牢獄であったと伝えられている岩屋を訪れる機会があり、その場所が、アクロポリスを見渡せる、風光明媚な場所であったため、何だか、足元のはしごを外された気分、というか、牢獄でさえ、知的でした。

おっしゃる通り、哲学は、対話によって、曖昧なものや無意識に受け入れていた事柄を、明確にしてゆく役割を担っているのだと思います。中世以降のヨーロッパでは、キリスト教が邪魔になりましたが、現代の日本では、いかがでしょうか。

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人...続きを読む

Q人の強さとは何ですか?

人の強さとは何ですか?

Aベストアンサー

人の強さとは、いざという時に小異を捨てて大同に付けること。

過去の歴史を振り返ると、どうやら民族にはそれができる民族と、いざという時に内部で喧嘩が始まり、足の引っ張り合いを始めてしまう民族があるようです。

例えばアメリカを見ていると、平時には内部で喧嘩ばかりしている。ところが、いざという国難に会うと、彼らは一気に纏まるんですね。これがアメリカの強さなんだと思いました。そういえば、前回の東京オリンピックの時にあれって思ったのは、普段政府の邪魔ばかりしていた当時の野党の旧社会党が、オリンピックが開催されると決まったら、挙国一致で政府に協力し始めた。なるほど、これが日本の底力の強さなんだと思いました。

それと対照的だったのが、ソウルオリンピックの前夜でした。彼らはオリンピックの開催が決まると、これ幸いと野党勢力が外国に向かって国の与党の非をまくし立てていました。オリンピックが近づいてくると、本当に開催できるのか、世界中の人々をやきもきさせていたのを覚えています。

中国もしかり、平時の時は威勢が良くて一見まとまっているように見えるのですが、いざという時には人々は国を信用せずに、纏まらずにてんでバラバラに逃げ惑って、張子の虎と揶揄されてきた歴史があります。

なるほど、民族の中には指導者的な地位につける民族と、いつまでたってもそのような地位につけない民族があるのだと思いました。

明治維新前夜、日本の存亡の危機に晒されたとき、勝海舟と西郷隆盛の合意で、国が分裂することなく一気に纏まった。これが日本を欧米の列強から救いましたね。

私がかつて疑問に思っていたことは、江戸末期に桜田門外の変の時まであれだけ歴史の前面に出ていた水戸藩が、その後パタッと歴史から姿を消してしまったことでした。後に山川菊栄の『武家の女性』を読んで知ったのですが、この日本の存亡が掛かっている大事なときに、水戸藩は内部分裂をして、諸生党と天狗党に別れて殺し合いの死闘を繰り広げていたのでした。なるほどこれじゃあ水戸藩が指導的立場に立って日本を救うことなんてできないと思いました。

危機に際して纏まることが出来る、これが人の強さなんですね。

さて、日本に今後いざという時が来たら、かつての日本人のように、日本は纏まることができるのでしょうか、それとも、内部で足に引っ張り合いが始まるのでしょうか。

人の強さとは、いざという時に小異を捨てて大同に付けること。

過去の歴史を振り返ると、どうやら民族にはそれができる民族と、いざという時に内部で喧嘩が始まり、足の引っ張り合いを始めてしまう民族があるようです。

例えばアメリカを見ていると、平時には内部で喧嘩ばかりしている。ところが、いざという国難に会うと、彼らは一気に纏まるんですね。これがアメリカの強さなんだと思いました。そういえば、前回の東京オリンピックの時にあれって思ったのは、普段政府の邪魔ばかりしていた当時の野党の旧社会...続きを読む


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