プロが教えるわが家の防犯対策術!

『新型うつ』を疑われている20代の社会人です。

ゆとり世代は、我慢が足りない、打たれ弱いと言われていますが、私は仕事のストレスで胃潰瘍、対人恐怖症になってしまったので、シャレにならないほど苦しんでいます。

しかし、我慢が足りない、打たれ弱いから病気になるのだとすると、私は人間として生きていく自信がないのですが、世の中ではどこまで我慢するのが普通なのでしょうか?

個人差はあるとは思いますが…。

A 回答 (4件)

ウマが合わない環境はあります。


とりあえず、転職してみて下さい。
3回転職して、似たような理由での退職が続いたら、自分が悪いのかなと疑ってみて下さい。
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「どこまでも我慢する」というのが答えなんですが、



「ゆとり」世代に限らず、

人間には、

「『もういいよ」と言ってくれないかなあ?」

と期待してしまう部分があります。

「そうなることを知っていれば良い」とし、

そういうときの自分は信用できないとして、決断や行動をしないというのが対応策です。


我慢が必要なとき、「辞める」という選択以外の「工夫する」と言う選択があります。

人間本来の力ですよね。

なので、社会人と言うのは圧力をかけると工夫をして対応します。

逆に工夫をさせたい場合は、圧力をかけます。

そうやって社会は進歩しています。

企業で言うと、企業努力ですね。

圧力に対して工夫で対応する人は、業績や貢献として評価されます。

そうでない人は我慢の限界が来て、自ら退場していく。

社会には、そういう自浄作用があるということです。


ではどう言う風に考えるか?

外に出ていて尿意や便意が襲ってくる事がありますよね?

これについてはどこまで我慢すれば良いのでしょうか?

人それぞれの意見があるでしょう。

「健康に悪いから、どうしようもない時は、そこでやっちゃいなさい。」

と言う助言があったとします。

しかし、いざ自分が当事者に成った時は、

「冗談じゃない。ダメな物はダメなんだよ。」

と頑張ります。

わたしも、かなり頑張った経験がありますよ。

頑張れなかったとしても、それを公に話したりしないでしょう。


私は、仕事で受けるストレスは、便意や尿意みたいなものだと感じています。

殆どの方は同じだと思いますよ。


便意や尿意について考えて見ます。

好きか嫌いかで言うと、嫌ですし、だけど仕方ないものですし、

一度耐えても、何度でも繰り返し襲ってきます。

生きている間中です。

とてつもないストレスですし、不条理じゃないでしょうか?


どうしても嫌だとして、人前で糞尿にまみれたうえに、

「どこが悪い? 動物として自然な姿だ。 これまで我慢しすぎてたんだ。」

と言って他人を説得しても良いです。

絶望して死を選ぶ事もできます。

しかし、そう言う人は滅多にいないと思いますし、

居たとしても、嫌なものを見たとして無視されるだけでしょう。


また、便意や尿意について他人に告げるには恥ずかしいものです。

自分でも汚いと思いますし、いやでしょう?

では、いつからそうなったんでしょうか?

子供時代は重要な話題であったはずです。


つまり、

仕方ないと諦めて対応するのが習慣となれば、ストレスじゃなくなるわけです。


トイレだって最初のほうは、親に歯向かってギャーギャーと抵抗していたと思います。

「この人は甘いから、頑張って抵抗したら許してくれるかもしれない。」

そういう気持ちが幼い自分にあったと思います。

親にとってトイレを教えるのは大変だったんじゃないでしょうか。

もしも、

「もう、トイレを教えてんだ。
 
 今度は勉強?

 手がかかりすぎるよ。

 じゃあ、義務や責任について教えるのはサボっても良いよね?

 子供の抵抗に付き合ってたら身が持たないよ。

 いいじゃん、自分の人生じゃないんだから。」

こういう論法が親や先生から出ますと国としては終わりでしょう。

「おいおい、それでも教育者か? 将来大変な事になるだろ?」

「じゃあ、あんたが代わりにやれよ。凄い抵抗だぞ。皆で嫌がるんだ。」

「え、まあ、俺はそういう死語じゃないし。やれと言われれば、嫌だ。

 まあ、だったらいいか。でも、大丈夫なんだろうか?」

「それは俺らが考える事じゃなくて、国とか親が考えればいいだろ。

 実際には将来本人が考える事になるんだろうけど。」

徐々にこんな事になっていたんではないでしょうか。


私の時代には根性論が主流でした。

ただし厳しく接する先生も、実際は本気じゃなかったです。

そういう雰囲気を察して、自分のためだと思って納得していたものです。

根性論を唱える本人だって、根性ないですし、人に強制するのは嫌なんです。

しかし、それを必要とするのが子供です。

栄養と同じで、誰か大人が教えてあげないといけません。

しかし、それを知ってて知らない不利(大変ですし面倒です)をした世代があったということです。

高度成長期を過ぎた頃から、大人も人生を楽しむべきだという風潮が生まれました。

大人なのに我慢しない大人が出てきて、これを幸福の証だともてはやしたんです。

そんなわけありませんよね。

本当に申し訳ない。


簡単に言えば、義務や責任、対人のストレスであっても、

トイレが出来た以上、嫌がりながら繰り返していけば、最後は慣れるんです。

一日に3回トイレに行く人は、1年で1,000回以上実施しています。

子供であっても、10年(=1万回)も実施すれば、出来て当然と感じるんです。

私たちはトイレのプロとして英才教育を受けていたと言う事ですね。

もしこれが芸術や技術であったならば、達人になっているはずです。

そこまで子供に強制するのが面倒であったと言うだけです。


そして、

社会に出てから受けるストレスは、動物がトイレを覚えるストレスより楽なはずです。

そのため、(暗黙のうちに)勉強ができない、技術がない、仕事の覚えが悪い、

人付き合いが苦手、対人でストレスを感じる、

と言う人は、真実、単なるサボりなんですよ。

「抵抗すれば逃げられるかもしれない」

と言う期待があって、1万回繰り返せなかったと言う事です。

全ての大人はトイレが出来ている以上、

抵抗しても無駄だと諦めた場合、人間ができる全てのことができます。

しかし他の人も出来ていないので、今回は責められないとズルイ事を考えてしまう。

単にそれだけなので、

「何々は苦手なので、自分には出来ません。」

と言うのは、恥ずかしい事になるんです。



例えば、昭和の世代では、「しごき」と言うのがありました。

まともに受けて、潰れてしまう人もいましたので、

先生が心配して「上手にやると言う事を覚えなさい」と助言をしたものです。

生徒が工夫をして楽をしようとすると、(それが教育なので)先生は見逃します。

ズルと工夫の違いを教える必要があったからです。

しかし、これらが分かっていない大人もいます。

そういう人を選別して重要なポジションからはずしていくわけです。


ズルとは、トイレが面倒なので、銭湯やプールで用を足してしまう子供みたいな工夫です。

繰り返し生じる訳ですから、今は良くても、次はどうなりますか?

そういう癖が自分についてしまいますよね。

ズルと工夫の違いは、繰り返し実施したとき損がたまるアイデアと、

収支が増えていくアイデアの違いですよね。


そのため工夫をするためには、

繰り返し実施する覚悟、繰り返し実施する事になるという諦め、

これが必要になります。

ズルをする人は、繰り返されるモノが苦手であり、大変嫌がります。

これに対しても、

「ああ、きたきた。いやだーって気持ちが来たぞ。

 よし、本日の練習一回めだな。

 呼吸置いて、ゆっくりやるか。休み休みでいい。」

と自分に言い聞かせて対応するわけです。

するとトイレと同じように耐性がつきます。


では昨今流行の「新型ウツ」または「ウツ」は新規のものなのでしょうか?

違いますよね。

昔からあったはずです。

日本では厄年と言ってごまかして、皆でサポートしていたんです。

体に異変がある(成長が止まる、老化が始まる)、

立場が変わる(教わる側から教える側)、そういう年齢にはつきものでして、

誰もが調子を崩します。

相当キツイですよ。簡単に言えば、発狂している状態です。

私にも覚えがあって、疲れが取れず、頭が何時も痛かったですね。

突然、不安や焦燥感が襲ってくる。

何とも言えない気分の悪さ。やる気の減退。すべてが面倒くさくなる。

「会社かいやだなあ、理由が無いのに、いやだと感じる。

 ああ、ダメなやつだ、ズルイ奴だと思われたくない。

 もし、あの車に少しかすって、怪我でもしてしまえば、

 誰にも責められず会社を休めるかもしれない。

 上手に当たれないものか?」

などと思った事があります。

すると、体がスッとそちらに吸い込まれるように動く。

自分でも怖かったです。

つまり、正常に見えても発狂しているのと変わりが無いんです。


しかしこれらにも夜明けがあります。

新しい感覚を手に入れるための試験の様なものです。

みんながそうやって生きてきたんです。


しかし、

他人の世話は面倒ですから、「新型ウツ」と診断して隔離してしまう手もあります。

もし本人が(「車にあたる」誘惑と同じように)シメタ!と思えば、そのままです。

誰も否定しません。

社会と言うのは「大丈夫だ」と説明するが面倒なので、

本人の希望通りにドロップアウトするのを放置しているだけです。


しかし、厄年かもしれないとかいって、何とか皆に顔を見せていれば、凌げるものです。

トイレができるんだから、耐性は自分の根っこにちゃんとありますよ。

1年頑張れれば、次の10年が楽です。

10年頑張れれば、トイレと同じようになっているでしょう。


最初が一番きついので、そこであきらめない事ですよ。

いつもの自分から新しい自分に変わる。

そう言う時期なので仕方がないですよ。驚かない事です。


以上、ご参考になれば。
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我慢は必要ありません。


打たれ弱いのではなく仕事スタイルが合わないだけなので、転職しましょう。
あなたはあなたで良いので、普通という言葉に惑わされないようにしましょう。
病気では無いので病院や薬は必要ありません。
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ハッキリと、不眠などの肉体的な症状が現れたら病院に行くべき。


あとストレス発散の場を仕事外で見つける必要はあると思います。スポーツなど。
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