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たとえば、情報工学の先端でAIの研究に携わっているとしましょう。
すべてにおいて人間を超える可能性を秘めているものを対象として目の前におくとき、主観は常に対象を客観視できるでしょうか。
人間が人間を超えるものをつくる、ということは、あえて極論を言いますと、人間が人間を滅ぼすというポテンシャルを含み持つことです。
IT化による効率性、利便性は今や否定できません。
ITシステムが修正を繰り返し生き延びる様は人間のようであり、自ら学習を重ねて賢くなる人工知能AIはいつか人間を超える存在になると言われます。
そのようになると想定される場合に、果たして人間は冷静に客観である対象に向き合えるものでしょうか。それとも、専門家のあいだでは人間を超えることはないという根拠があるから、冷静に研究開発を続けられるのでしょうか。
もしそうならば、それを開示して世の中の不安も同時に払拭していく責任も同時にあると思うのですが、皆様はどのように思われますか?

A 回答 (18件中1~10件)

#14です。

お礼ありがとうございます。

>ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

頭のいい人たちはすでに19世紀初頭に警鐘を鳴らしていますよ。
たとえばJ・J・トールキンは「人間らしさ」を「自然(精霊や斎もの)との交流と恐れが人間の本質である」としてそれが失われる前に指輪物語を書きました。指輪物語で人間以外が西の国に行ってしまうのは、まさに19世紀が「機械に人間が乗っ取られ、人間性を失う時期」だったからです。

同様にラフカディオ・ハーンは日本に来て「まだ人間性が残っている今のうちに記録を残そう」と小泉八雲として様々な小説を著作しました。

「メトロポリス」なんていうデストピアを描いた映画もありましたね。

どれも19世紀末から20世紀初頭の作品で、この辺りが機械を発明した第一世代から、機械と共存する第二世代に変わった時期なのでしょう。それから先はコンピューターでもAIでも機械化の延長にすぎないわけです。

人間のほとんどは「科学文明と共に生きること」を選んだのです。そのほうが「犠牲はあるかもしれないが、少なくとも自然の中で恐れて生きているよりは幸せである」と考えたからです。

実際、20世紀の科学進歩はすさまじく、それ以前の不治の病とされた天然痘は撲滅、ペストなどは激減、結核は治るようになり、飛行機を使えば1日で世界一周できるようになりました。機械を使うことによる犠牲者はあるものの、全体で見れば「機械のおかげで人は死ななくなった」のです。

ですから、今後もAI化などは「ほとんどの人が疑問を持たずに」進んでいくのだと思います。でも結局人間はそれで幸せなんだと思いますよ。

私には子供が居ますが、20世紀初頭の乳幼児の死亡率は50%以上だったわけです。つまり10人産んでも5人しか残らない社会で、ほとんどの人が「長生きできなかった兄弟」を背負って生きていたわけです。父母の、特に母親が自分でお腹を痛めた子を失う辛さと残酷さは悲劇以上のものだったでしょうが、たった100年前はそれが普通だったわけです。

今は乳幼児の死亡率は先進国なら数パーセントしかありません。

私は「人類が科学技術を捨てて『人間性を取り戻す』ことを望むのか?」と聞かれればNOだと思います。その代り人間は「機械とうまく付き合っていく」しか道はないのだと思います。

>人間はAIの奴隷。モルモット。

人間は自分で機械・技術の檻の中を選んだのです。アマゾンや砂漠地帯など一部の人間たちは拒否しています。ああ、インドに「文明を受け付けない島」があるようですが、そういう人たちはまだ「人間」なのでしょう。

でもほとんどの人間は自分たちで望んで、機械・技術に守られることを選んだのです。
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この回答へのお礼

このことに関しては、一庶民である私は祈ることしか方法がないと思っています。
科学技術を放棄してしまうことはできないので、専門家が正しい判断をしつつ、今後も技術開発を続けながら、人間の本質を見失うことがないように。人間以外にこの地球にはたくさんの生命が存在し共存しているのだということを忘れないように。
そして、できればまた継続して議論を深めていけたらいいと思います。
今回は思いがけず、たくさんのことを教えていただき感謝でした。良いことも悪いことも受け止めて、今後に生かしていきたいと思っています。

お礼日時:2019/04/18 21:35

no8のお礼に関して



>ところでどうしたら語彙は増えますか?

質問本題から逸れますのであまり掛けませんが、
語彙を増やすためにキャラさんがやっていることを列挙してくれれば、これにコメントを述べることは出来ると思います。
別カテで新規質問して下されば。

音像、字面、意味像
sonic image, composition of strokes, what it tells
これは一見英語に見える何かです(笑)
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この回答へのお礼

わかりました。ちょっと待ってね。
日本語カテで質問します。

お礼日時:2019/04/18 20:24

今の人間だって、頭の良い人間に支配されていますので、AIが支配しようが構いません。


逆に、無能な人間が支配していると、数々の失敗があり、その犠牲を負うのがやはり人間です。

そうすると、頭の良いAIが政治経済や社会のルールを計算して作りだした方が、失敗率が減ります。

食料をも計算して作り出すと、もう現代社会の「お金や労働」の世界が変わり、
全てAIにお任せ、上手く事が運ぶようにAIが計算通りにやってくれる世の中になります。
食の心配も老後の心配も無くなる、お金も労働も不要になる、損得もなくなる。そう、争いがなくなります。
そこまでは人間がやらなければいけません。その後はAIがAIを作り出します。
そうすると、前回答者さんのベーシックインカムじゃないですが、平等で平和な世の中にもなるのです。

例えるなら、今のペット(猫ちゃん)のように、人間も自由な生活が出来るのです。

ただし、
その前の段階で、全てを独り占めしようとする人間が居たなら(きっと出てくるでしょう)、人間が淘汰されてしまうでしょう・・・
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この回答へのお礼

人間のペット化ですか?
そんな考え方もあるんですかね。
人間の尊厳も地に落ちましたね。
回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/04/17 21:41

30年後のコンピュータが、IQ10,000なら、60年後は100,000かも知れない。


どっちにしろ、どういう知力かは私には分かりません。

AIが何を思いつくかわからないと思う。一方、宇宙には人類がまだ知らない、
どんな法則があるかわからないと思います。

ある一つの目的についてのAIの判断が、その知られざる法則に触れないとも限
らない。それは、人間の想像力が生んだSFを超えているかも知れません。

また、孫正義氏は、「この流れは止められない」とし、ベーシックインカムに
ついて言及しています。
現実的な判断と言うことはできましょう。

この流れを止めることを考えるためには、まず、人間は何故ここまで進歩をし
ようとするのか?あるいは、そうしようとする人間の本質というものを演繹的に
知ろうとする流れを強めること、と言えると思います。それは、哲学というジャ
ンルにこだわることもないと考えています。
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この回答へのお礼

>この流れを止めることを考えるためには、まず、人間は何故ここまで進歩をしようとするのか?あるいは、そうしようとする人間の本質というものを演繹的に知ろうとする流れを強めること、と言えると思います。それは、哲学というジャンルにこだわることもないと考えています。
大いに賛成です。私も、ない頭をふりしぼって考えますよ。
情報工学の専門家であるS氏が詠んだ歌を思い出しました。
 水槽の亀のピカソがその主の進歩史観をしづかに笑ふ
第一線に立ち続けるための厳しい研究の日々の中で、飼っている水槽の亀が、飼い主の進歩史観を静かに笑っているように思われたというのです。亀の愚直で着実な歩みをもちだして、われの性急な進歩への希求を風刺しています。

お礼日時:2019/04/17 21:30

#13です。

お礼ありがとうございます。

>ちょっとサイエンスフィクションみたいになってきましたね。

実は今までもサイエンスフィクションから生まれた科学技術の利用方法や、科学技術に対する哲学と言うのは案外多くて、アシモフの例もそうですが、通信衛星の概念を考えたのもSF作家です。この辺りは有名な例でしょう。

SF作家は科学知識が豊富な人が多く、自由な発想で考えられるからこそ、未来の問題点を見つけるわけです。

(ちなみにAIが人類を殺すか否か、というテーマそのもののSF小説もあって「未来の二つの顔」1979年などは有名です)

>亡国のAIはともかく、そんなに危険性があるのなら、AIをネットに接続しなければよいのではありませんか?
嫌すでにAIはネットに接続されています。いわゆるホームスピーカーにつながっている「アレクサ」などの人工知能です。他にもAIとは銘打っていませんが、AIを活用したネットのシステムはすでにかなりあるのです。

ですから私たちはAI導入の第一世代ではなく、すでに第二世代なのです。
でもほとんどの人がAIがすでにかなり導入されていて、活用されているのを知らないでしょ。もちろん今のAIは人間の制御ができるレベルではありますが、これを「AIが危険な判断をするようになったからネットから切り離す」なんてことはすでにできなくなりつつあるのです。

そこが問題の一番の本質なのです。

>AIに殺されるのだけはやめてもらいたいです。専門家の判断にゆだねる以外にありませんが、世論も高めていくなど、伏線的にできることはないのでしょうか。

先ほど紹介した「未来の二つの顔」の最初のシーンはAIの暴走から始まります。しかもそれは「悪意」ではなく「最適化」の結果なのです。

その中出てくるシーンとしては「月基地での鉱物採掘と輸送をAIに任せた結果、様々な情報を総合した結果、採掘器のアームを振って月基地まで飛ばすのがコストが安く時間も費用もかからない方法だと結論付けた」というものがあります。

その結果、人間がいる月基地に鉱物資源が大砲のように降ってくることになり、AI危険論が一気に巻き起こる、というのが話の発端なのです。

AIの話をすると、みんなターミネーターのように「人間を殺す結論で滅ぼされる」と考えてしまいがちですが、実際にはそのような可能性はかなり低いです。なぜならロボット三原則を守ればそれは防げるからです。

しかし、AIが最初のプログラムで「作業を効率化せよ」と指示され、自己学習の結果「自分が使える手段を可能な限り使った結果、人間に不都合が起こる」可能性がある、というのが1960年代からSF作家が示した問題点であり、現在最新の科学者はそれをどう扱うのか、を研究している最中なのです。

で、残念な話ですが「AI(というかコンピューター)に殺される」と言う点でいえば、すでに人は死んでいるのです。

つい最近ボーイング787MAXが2機立て続けに墜落しましたが、あれは「自動失速装置が誤作動したこと」と「誤作動した装置の切り方をパイロットが知らなかったこと」で起きました。2機合わせて300人ほどの人々が犠牲になっています。

ここには二つ問題点があります。
・プラグラムは正常でも、それが認識する各種のセンサーやデバイスに不具合があれば人間の命を奪うこと
・人間が関与するとしても「関与の仕方をしっている」状態でないと関与できないこと
です。

飛行機のコックピットを想像してもらうと分かるでしょうが、ものすごい計器類にスイッチがあります。過去には「間違えて隣のスイッチを触ったために墜落した」という事故もあるわけで、これは100%人間のミスです。

AIなどの人工知能は今のところ「人間のミスをフォローするために導入している」のですが、そのAIが誤作動して人を死に至らしめる事例はすでに起きているのです。かといってAIを使わなければこれほどの高度な科学文明を維持できないのもまた事実なのです。

残念な話ですが、そして書きたくなかったですが「AIがほんとうに使えるものになるまでには、まだまだ人間は犠牲になる」のです。それは産業革命で機械化した時から宿命つけられた事実なのです。
(初期の機械には緊急停止ボタンは無かったのですが、事故が相次いで付けられるになったのも人間の犠牲があったからなのです)

科学者はもちろんその事実を知っています。だから「なるべくそういうことが起こらないように想定」するのですが、想定外は常に起きるわけで、それをつぶしていくためには人間の犠牲が避けられない、のです。

それが厳然とした現実です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
人間はAIの奴隷。モルモット。
頭の中がGoogleです。いや、ぐーるぐるです。

足もとに火がついていること、私たちは知りません
忙しくて立ち止まること、できません。
足の指、くるぶし、すね、そして両膝が
焼け焦げきっと歩けなくなる
ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

お礼日時:2019/04/17 20:55

#5です。

お礼ありがとうございます。

>私が興味深く思ったのが、AIは「死ぬ」ことがない。消耗することもないのかということです。
ならば増え続けて、いつかはレミングの行進のように集団で地球外に出ていくのでしょうか。

実をいうと今のところAIは「人間を超えるもの」にはなりません。なぜなら判断はAIがするにしても、その判断内容とその力が及ぶ領域は人間が管理しているからです。

たとえばAIを使った自動運転車ができたとしても、それが「暴走して人を轢く」という問題点はあるにしても、空を飛ぶようにはならないし、人間が「人や車にぶつからずに目的地まで届けること」という条件を逸脱するほどの知識や判断力が与えられるわけでもないからです。

怖いのはAIがネットに接続され、あらゆる判断をAIが担うようになったとき、またはAIで自律的に動く手足をもったロボットが出来た時です。

そうなるとAIは人間同様「何か作る」ことができるようになるので、映画ターミネーターのように自分で兵器を量産し(そのために鉱物資源を自分たちロボットが掘り出すことも含む)人間を殺し始めるかもしれないし、自分の頭脳が乗った宇宙船を作って、宇宙に飛び出していくかもしれません。

その点について、専門家たちも「どうすればそうならないようにできるのか?」「いや、その前にそんなことが実際に起こり得るのか?」で議論が分かれているのがいまの現状であるのです。
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この回答へのお礼

ちょっとサイエンスフィクションみたいになってきましたね。
亡国のAIはともかく、そんなに危険性があるのなら、AIをネットに接続しなければよいのではありませんか?
AIに殺されるのだけはやめてもらいたいです。専門家の判断にゆだねる以外にありませんが、世論も高めていくなど、伏線的にできることはないのでしょうか。

お礼日時:2019/04/16 23:41

>そんな時代になってからでは手遅れです。


>この流れをせき止める考え方や思想はほんとうに現れないんでしょうか。
でしたら、状況把握です。
僕は、その前に事故った原発を辞めない日本が心配です。

仕事の誕生はほぼない、ベーシックインカムの時代が来ます。
森永卓郎が予想~「年収300万円時代」を予言して15年、
今後は年収いくらになる?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181118-0001 …
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この回答へのお礼

ベーシックインカムは初めて聞きました。
いわば、最後の生き残り戦略、砦、ということですね。
何とかそんなことになる前に、この奔流が止められるように願います。

お礼日時:2019/04/16 23:27

難しい事は解りません。



「将棋ソフト」「囲碁ソフト」と言うのがあるらしく、プロが負けたりしています。
AIの分野では、既に、人間を凌駕しているのかも知れません。

しかし、世の中から、将棋や囲碁が無くなるのか、と言えば、しばらくは大丈夫でしょう。

将棋や囲碁は、人間を相手にするゲームで、「失敗をする。」から面白いのです。
AIは、失敗出来ないので、ただ強いだけで、ゲームそれ自体を崩壊させることは出来ません。
結局、AIは、ゲームに於いては、常に「強くなるための道具」以上の存在には、
なれないのではないか?

人間は失敗する動物です。
一方、AIは、経験に学ぶソフトで、失敗することが「出来ない。」

しかし、失敗する事で、人間は違う次元に飛躍できる能力があります。
そういう意味では、人間にとって、結局は、「道具の域」を出ないだろうと思います。

面倒くさい事は、AIにヤラせておけばいい。

人間は、せっせと、失敗を重ねればいい。
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この回答へのお礼

>失敗する事で、人間は違う次元に飛躍できる能力があります
失敗をターニングポイントと考えると、失敗を恐れる必要はありませんね。
AIの致命的な欠陥が失敗しないというロジックは実に面白いです。

お礼日時:2019/04/16 23:19

鈴木健『なめらかな社会とその敵』(勁草書房)

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
はい。読んでみます。

お礼日時:2019/04/16 22:11

猿の惑星や機械が人間を支配する世界の話ですか。

便利になるのはいいが、最後に滅びが来るのは怖いですね。核戦争の恐怖。ゴジラも反戦映画と聞く。
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この回答へのお礼

私たちは便利だということに騙されています。
不自由なことが結局人間を救うことになることを忘れています。
たとえば、現代人は忙しく何でも時短で料理をすることを覚えてしまいました。
加工品を買うことがあたりまえになり、調味料も自分で作ることもありません。
1時間も2時間も根気よく鍋を火にかけながら、混ぜ続けるといった料理の仕方は、もうマクロビの世界でしか通用しなくなりました。しかし、体は正直です。食べ物は「人に良い物」と書く、本来、薬なのです。
>便利になるのはいいが、最後に滅びが来るのは怖いですね
肝に銘じるべきだと思います。

お礼日時:2019/04/16 22:03

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Qあなたにとって正義とは何ですか?

あなたにとって正義とは何ですか?

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胡散臭いもの。

典型が戦争です。

勝った方が正義になります。
強いモノが正義です。

ワシントンは米国では正義の人ですが、
英国では反逆者で悪い人です。

現代の価値観で評価すれば、歴史の
英雄のほとんどは侵略者、独裁者、殺人鬼です。

かようにして、正義は胡散臭いものなのです。

Q言葉について

言葉とは人間そのもの、人間と表裏一体だということ、理解できました。

そうすると、人工知能AIの使う言葉は、どのように捉えられるでしょう。プログラミングされた言葉が人を感動させることはあるのか。いわゆる言霊というのは失われてしまうと思うのですが。

それともそういうことがあるのだとすれば、それはプログラミングした人間自身の言葉の反映なのか。
それともAIは自身で言葉を獲得して、詩や短歌、俳句の領域に至るまで凌駕していくのか。

どのように思われますか?

Aベストアンサー

ことばを《ロゴス》として広く捉えた場合 次のように分類できるのではないか
と考えます。

☆☆ ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
【Q:ヒラメキとは 人に起きるいかなる現象か】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10598115.html

〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層 
つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか) 


 [非思考の庭]
  スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のナゾなる非思考の庭):神
                   ↓
 ----【天使(α’):ロゴス(α)の使い】--------------
                   ↓
 [思考の緑野]            ↓
  インスピレーション=ロゴス(β):異言
       :中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ
                   ↓
  インスピレーション=ロゴス(γ):預言
       :本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間による言葉化
       :概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい?
                   ↓
  ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考〔の緑野〕
       :経験合理性にもとづこうとする論理


   *(註) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   ・ロゴス:ことば

   ・スピリトゥス:霊。聖霊

   ・クレド( credo = I believe. 我れは信じる)

   ・異言(シャリバリ):意味の分からないことば

   ・預言:解釈。経験思考で分かるように表現する。

    〔もともとは 予言= pro-phetia(予‐言)として成ったことば〕

   ・ラチオ( ratio ):理性

    〔 = reason 。《 re-or =思う・考える・数える》から〕

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ロボットや人工知能は インスピレーション=ロゴスつまり ヒラメキとし
ての言葉を受け取ることがあるのか? といったことが気に成ります。

ことばを《ロゴス》として広く捉えた場合 次のように分類できるのではないか
と考えます。

☆☆ ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
【Q:ヒラメキとは 人に起きるいかなる現象か】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10598115.html

〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層 
つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか) 


 [非思考の庭]
  スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のナゾなる非思考...続きを読む

Qやはり、知恵のある人間はいても、 全ての面で100%賢い人間、全知全能な人間はいませんし、 また、男

やはり、知恵のある人間はいても、
全ての面で100%賢い人間、全知全能な人間はいませんし、

また、男らしい人間、しっかりした人間はいても、
100%強い人間や完全無欠な人間はいませんね。


どんなに知識や知恵があって優秀な人に遭遇していても、
全知全能でない他人の事を何でもかんでも「まだ知恵が足りない」とか、「君、本当に賢いのかあ?」
とか謗ったり、

また、完全無欠でない他人の事を、何でもかんでも「男らしくない」だの「情けない」だの「男のくせに」だのと謗ったりするのは、相変わらず流行っているんですかね?

なら本当、困ったものですよね?

Aベストアンサー

「完全無欠な人」はいない。「完全無欠でないことは当たり前」。

だから、「完全無欠でないことは当たり前なので、人を欠点をわざわざ指摘して謗ったりするのはおかしい」ということでしょうか?

最初の回答者の方と同様の意見ですが、論理展開がおかしいかなーと感じます。

誰も「完璧であれ」なんて言ってません。
「男らしくしろ」「もっと賢くなれ」というのは、あなたの言う「完全無欠」のこととは別問題な気がします。

Q絶対善はあるのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を優先すること」と言われても何か分からないでしょう。ですから分かり易く言えば愛や思いやりや慈悲心などですと説明しています。これはキリストが説いた愛です、孔子が説いた仁、つまり思いやりです、そして釈迦が説いた慈悲の心です。そしてこれらに内包、共通しているのが「私より公を優先する心、行為」です。

「私より公を優先する」とは分かり易く言えば「私欲という自分の思いを少し抑えて公の為とみんなで考え行うこと」です。自分の私欲の心を少し抑えて、一人一人がみんなの為と考えることです。これは民主主義を示しています。そして「みんなの為」と考えるということは皆さん一人一人がリーダー、その群れのトップの立場に立って考えると言うことです。それは強い責任感をもって考えると言うことです。そのような心を一人一人みんながもって、みんなで考えれば最も正しい答えに辿り着ける確率が高くなるよ、ということです。これ以上に優れた方法が何かありますか? これが私の言う絶対善なのです。

その群れ社会にとって絶対的に正しいことは社会の安寧秩序であり、そのために最も優れた方法が「私より公を優先する事、つまり愛や思いやりや慈悲心」なのです。もちろんこれは最高の方法を示しているので一般的にはなかなかできないことです。しかしそれを目指す事こそが最もより良い社会が創れるのだ、と言う事なのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

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Aベストアンサー

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式組の人がいっぱいいます。そうした方々は、言葉の使用法の形式の方に興味が優先してしまい、たとへそこで使われている言葉が不完全でもそこで言っていることの内容や実態をなんとか理解しようという方向に興味を向けない傾向にあります。

「あんたの言いたことはなんとなく判るんだが、そのような言葉の用法はその内容と矛盾しており、間違っている」

などと言って、言葉の使い方が間違っているから、あなたの言う内容も間違いだ、などと考えてしまう人もいくらでもいます。だから、芯木さんが言いたいことの本質を論じようとするのではなくて、絶対の意味などの言葉の使い方がこだわった回答が多くなっているのです。

そのような人たちは、左を指差しながら、「右、右」と言っている人の心を察することができず、その間違いを言いつのる傾向があります。この場合、常識的に見て、指を差している方向をその発信者が言いたいのは明らかですのに。

物事を論じるためには、その内容も、その言葉の使い方も、両方とも重要です。しかし、その両方を同時に論じることにどれだけの生産性があるか、自明ではありません。大論文でもない限り、それを意識せずに両方とも同時に論じてしまうと誤解を招き、混乱さえ起こしかねません。ですから、何かを論じる場合には、内容か、形式か、そのどちらにより重点を置いているのか、文面から明確にわかるように書いておく方が、生産的な議論のやり取りができます。

ここでの主題は「公に対する奉仕」なのだと思いますが、例えば、「公」という言葉一つとっても、人によってその意味がだいぶ違い、芯木さんが言いたい意味では受け取ってくれない場合が散見されます。いわんや、「絶対」などという、一神教の影響を受けた西洋文化大好連中が好んで使う言葉は、哲学好みの人たちには刺激的すぎて芯木さんの言いたい内容よりも、その刺激的な言葉に拘ってしまう人がいくらでもいます。

出来るだけ刺激的な言葉を避けてご自分で言いたいことを表現することを工夫すると、芯木さんのご主張に賛同する方も増えるのではないでしょうか。また、どうしても「絶対」と言う言葉を使いたいならば、論述を始める前に、ここでのこの言葉は、、、、を意味するものとして特殊な使い方をしている、などと一言を入れておくと、読者もそのつもりで読んでくださると思います。

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式...続きを読む

Aベストアンサー

>ケ・セラ・セラと言っていてよい確率は ふつうの人間のけんかだとか社
会的対立の場合に 50%を超えるのですか? それとも もっと少ない
のですか?
あるいは ケースバイケースの多様性があり過ぎますか?

質問の意味が、もう一つしっくりと判らないんだけど、ケ・セラ・セラ(What will be, will be、なるようになる)から来る、私の反応を書いておきます。

我々が複雑な構造と言うときにその言葉で表されているものに、その出現の根拠が全く違った2種類のものがある。その一つは、精密で巨大な振り子時計や昔のゼンマイ仕掛けの腕時計(ルビーの石が入っていて、何ルビーの腕時計なんて言ってたあの懐かしい腕時計)の内部や、からくり人形の内部のような複雑な機械の構造。もう一つは、生物の体の内部の複雑な構造だ。

この二つの間の決定的な違いは、時計など前者の構造の出現には、まずそれが何故作られたかの目的が前もって与えられており、さらにその目的を追考するために、その機械の外部にある者が目的や設計図に沿って作り出された複雑な構造であるのに対して、後者には、そんな目的もそれを作る外部の者も、そして前もって与えられたシナリオもなく、外界のと成り行きに任せて、擦った揉んだしながら、すなわちケ・セラ・セラってな具合に自発的に発生した複雑な構造だ。この成り行き任せで自発的に創出された複雑な構造のことを物理学では「散逸構造」って呼んでいる。

前者と後者の際立った違いは、前者は外部からのいろいろな障害や状況の変化に大変脆いのに対して、後者はそれらに対して頑強な抵抗力があることだ。何故なら、後者は外部との予期せぬ(従って確率的に起こる制御不可能な)いろいろな状況との相互作用で、成り行きに任せながらケ・セラ・セラてな具合に収まるところに収まるようにして、自発的に出来上がってくる。ケ・セラ・セラとその状態に留まっているのが(少なくとも局所的に)一番安定していることが理由で出来上がってきた構造だから、その状態を外部の者が無理やりズラしてしまっても、再びその安定状態に自発的に戻ってしまう。すなわち、自己修復の機構を持っているんだ。さらに、元々その構造が何のためにそこにあったのかなんてな目的が始めから無いんで、なんとなくそんな目的でも有ったつもりでいたのに、状況が変わって、その目的がなんだかわからなくなってしまっても意に介せずに存在し続けられる。ところが、前者には自己修復の機構もなく、また状況が変わって目的がなくなったら存在している意味すらなくなってしまうから、外部からのいろいろな障害や状況の変化に対して大変脆いんだ。

んで、さらに制御不可能な環境から、どのような仕掛けでそんな複雑で無目的な構造が自発的に創出できるのか、その条件は何かってな問題が当然浮かび上がってくる。それには3つあって、1)開放系であること、2)非線形効果が無視できなくなってしまうぐらい熱平衡状態から十分離れている「非平衡状態」にいること、3)一旦偶然に出来上がった構造を破壊するように制御不可能な形で外部から飛び込んできた要素をいつまでも覚えているんじゃなくて、その要素を「散逸」させて忘れさせてしあう仕掛けがあること、この3つだ。

あたしゃ、この文脈で「非平衡」って言葉使っているんで、ブラブラさんのこの言葉の用法とは違っているいみたいだね。

この3つの条件の中で数学的に一番面白いのは2)の非線形性だ。でも、物理的にもっと面白いのは3)だ。情報の散逸が起こるということは時間の向きの対称性が破れているってことだ。さらにその現象を数学的な方程式で書く場合、決定論的な微分方程式ではなくて、確率変数の従う非決定論的確率論的微分方程式になってしまう。だから、この宇宙って決定論的にできているのか、それとも非決定論的にできているのかという、物理学の最も基本的な問題に絡むからだ。

要するにケ・セラ・セラってえのは、神様がいるのかいないのかってな問題に絡み出す。だから、ケ・セラ・セラで出来てくる複雑な構造という最も本質的な部分を強調して「散逸構造」って名付けられたんだ。ここでの会話の成り行きだったら、「ケ・セラ・セラ構造」って呼んでも良いね。

今回は、ブラブラさんが、あたしの得意なケ・セラ・セラってな言葉を的を射て使ってたんで、今回はあんたを揶揄うのをやめて、あたしからぬ真面目な反応をしたんだ。いつもと違って、気持ち悪かっただろう。

>ケ・セラ・セラと言っていてよい確率は ふつうの人間のけんかだとか社
会的対立の場合に 50%を超えるのですか? それとも もっと少ない
のですか?
あるいは ケースバイケースの多様性があり過ぎますか?

質問の意味が、もう一つしっくりと判らないんだけど、ケ・セラ・セラ(What will be, will be、なるようになる)から来る、私の反応を書いておきます。

我々が複雑な構造と言うときにその言葉で表されているものに、その出現の根拠が全く違った2種類のものがある。その一つは、精密で巨大な振り...続きを読む

Q難癖をつけて論破しようとする人 ある主張に対して、根拠を提示して論理的に説明をしても、その根拠に信憑

難癖をつけて論破しようとする人

ある主張に対して、根拠を提示して論理的に説明をしても、その根拠に信憑性がないと言って否定します。

例えば、日本の人口が1億2000万人程度だとする根拠を、国勢調査や各種統計で示しても、その根拠が正しいとする理由を聞いてくるのです。

国の統計や学術的な統計であっても、
『なぜ国の統計なら正しいのか?』
『どうしてその学者の言うことは正しいのか?』
と言ってきて、最終的に答えられないと、非論理的で君は間違っていると言われてしまいます。


どうやら彼は、100%正しいとする根拠や証明ができないと、曖昧なものは全て否定するようです。

なので、統計も実数ではないからダメ。
学術論文も、一学者の主張だからダメ。

このように主張すると何も言えなくなるのですが、どうしたら論理的に説明ができるようになるのでしょうか?

Aベストアンサー

どのみち、結論を出す現実の必要がない、という意味でクダラン話をしているんでしょうな。

 論証の根拠として使う命題すべてをリストアップして、それらをA, B, C, … とします。そして「A, B, C, … が正しいと仮定すると、」というマクラコトバをつけて結論Rを論証なさいませ。以上をまとめれば、
「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」
という命題を述べたことになる。「どうしてAが事実なんだ?根拠は?」というツッコミは意味をなしませんし、「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」という命題の論証に対して「そんな論証は説得力がない」とは言わせない。だから、せいぜい「そんな結論Rは説得力がない」と文句をつけるしかできない。
「そりゃ、A, B, C, … が正しいと仮定すると、という議論ですから、説得力はこれらの仮定に依存しますよ」
「そんなことを言うのなら、A, B, C, … のどれかが正しくないと仮定すれば、別の結論が出るじゃないか!」
「そうですね」
「では、君は何も言っていないのと同じだ」
「へえ、そう思うのですか?」
てな調子で、口喧嘩はいくらでも続きますがね。

 形式論理は、仮定に最初から陰に(あるいは陽に)含意されている命題を取り出してみせる以外には何もできません。なので、論理的に完璧な論証とは、現実に関する断定を一切含まない論証だということです。(数学もそうですけど)形式論理は現実世界とは断絶しています。現実に関する命題については、あくまでも過去の経験(観測した情報)だけが根拠ですから、「絶対に間違わない」ということは不可能です。物理学や化学の「法則」も過去の経験だけに基づいていますから、覆る可能性が常にある。(逆に、(形而上学や信仰など)覆る可能性がない命題は科学の(つまり現実に関する)命題ではない。たとえば
  この世は10分前に神によって創造された。
というような信念は、(もちろん、記憶や痕跡全部を含めて創造された、という主張ですから)反証しようがない。)
 というわけで、「現実に関する命題を証明する」ということはもともと不可能で、できるのは「論証」だけです。その論証の「説得力」は、仮定A, B, C, …を何度も検証するという経験を積み重ね、あるいはうっかり持ち込んでしまった思い込み(リストにない仮定)がないかを何度も確認する、というプロセスによって磨かれていくものの、疑いが完全になくなることはない。

 なお、以上の話はただのナンセンスではない。「どんな仮定のもとでの議論か」ということを明示するのは論文においても重要で、ここを手抜きすると「見落とし」「無反省」「無自覚な思い込み」などと突っ込まれることになります。

どのみち、結論を出す現実の必要がない、という意味でクダラン話をしているんでしょうな。

 論証の根拠として使う命題すべてをリストアップして、それらをA, B, C, … とします。そして「A, B, C, … が正しいと仮定すると、」というマクラコトバをつけて結論Rを論証なさいませ。以上をまとめれば、
「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」
という命題を述べたことになる。「どうしてAが事実なんだ?根拠は?」というツッコミは意味をなしませんし、「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」という命題の論証...続きを読む

Qこれまで数千人の命を救ってきた天才外科医1人の命となんの取り柄もないニート50人の命。どっちが大事で

これまで数千人の命を救ってきた天才外科医1人の命となんの取り柄もないニート50人の命。どっちが大事ですか?

Aベストアンサー

政治や経済、そして社会の利益から考えれば、天才外科医1人の命のほうが大事です。

でも、人道的にはどちらも大事、と云うしかありません。

宗教的には、ニート50人の命のほうが大事です。
本質的には、数は関係ありませんが、あえて選択するならと云う事です。
なぜかと云えば、天才はニートよりは理性という点において、数段神に近いという立場を確保しているからです。

だから神は、神にとっての遠い存在である“弱者”への想いが強いのです。

Q天皇を見たら 目がつぶれるか? そのうわさは いまどう変わったのか?

去る四月十日  天皇陛下即位30年奉祝感謝の集いで北野武が述べた祝辞
の中に 次のようなくだりがありました。

▲ (北野武、笑いと感謝込めた天皇皇后両陛下への祝辞全文 「日本とい
う国に生を受けたことを幸せに思います」) ~~~~~~~~~~~~
https://www.huffingtonpost.jp/entry/takeshi-kitano_jp_5cae98ade4b09a1eabf7855a

私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて、日
の丸の旗を持つ大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声
が聞こえ、旗が振られ、おふたりが乗った馬車が近づいてくるのが分かりま
した。

母は私の頭を押さえ、「頭を下げろ!決して上げるんじゃない」と、ポコポ
コ殴りながら「バチが当たるぞ」と言いました。

私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。

そうしないと、バチが当たって、急におじいさんになっていたり、石になっ
てしまうのではないかと思ったからです。

そういうわけで、お姿を拝見することは叶いませんでしたが、おふたりが目
の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ この種のうわさの内容は いまどう変わったのでしょうか?

① ただ世間の空気として流れていただけだから 世の中の変化とともに 
うやむやになった。それでよいのだ。・・・といったことでしょうか?

② いかに哲学と言えども そういうことは――お二階のそのまた雲の上の
ことは―― 万機公論に決する対象ではないのだ。このバカ! ・・・とい
うことになっているんでしょうか?

③ 例の《人間宣言》というものも ただの世間のうわさに過ぎない。つま
り そういった雰囲気を醸し出すような声明があったというだけで 決して
それが公式のものだとは思えない者の疑問です。《人間宣言》とは どこに
も書かれていないはずです。

去る四月十日  天皇陛下即位30年奉祝感謝の集いで北野武が述べた祝辞
の中に 次のようなくだりがありました。

▲ (北野武、笑いと感謝込めた天皇皇后両陛下への祝辞全文 「日本とい
う国に生を受けたことを幸せに思います」) ~~~~~~~~~~~~
https://www.huffingtonpost.jp/entry/takeshi-kitano_jp_5cae98ade4b09a1eabf7855a

私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて、日
の丸の旗を持つ大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声
が聞こえ、...続きを読む

Aベストアンサー

爺ちゃんの母親は、天皇陛下は、ウンチやオシッコをしないと固く信じていました。爺ちゃんは18歳の時に、天皇陛下に1メータくらいの距離でお目にかかれ、視線を合わしながらのお言葉も頂戴しました。同時に皇居に招かれた仲間は、「天ちゃん、バンザーイ!」と言うと放言していましたが、陛下が5メータくらいに近づかれ時より、最敬礼の御辞儀で、お顔を拝見することもなしで、通過後、嬉しさの余りに涙を流していました。

回答としては①です。ゴチャゴチャ言うな!です。

Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Q<大衆は 絶対的に愚かか?>などの投稿をされた常連さんは、今後、この愚かな大衆を相手にして投稿をされ

先日、このカテである常連さんが<大衆は 絶対的に愚かか?>などの投稿をされていらしゃいました。そのことについては、私にはわかりません。
ところで、この常連さんは、今後、このような愚かな大衆を相手にして投稿をされることはない、と思われますか?

Aベストアンサー

ありますよ。
釣り堀りの住人が一生懸命撒き餌していると思えば良いです。

<大衆は 絶対的に愚かか?>
こういう質問の仕方が撒き餌効果アリと考えている。
で、エサを撒いている限り自分のほうが魚より賢いのは確かだと悦に入っているわけです。
他人を貶めることでしか自分の価値を確認できない憐れな輩です。
ま、逆切れして実社会に迷惑かけても困りますし、暇な人が相手してやれば良いかと。
無駄・無意味・不毛につき、賢人は寄り付きません。


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