
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
ことばを《ロゴス》として広く捉えた場合 次のように分類できるのではないか
と考えます。
☆☆ ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
【Q:ヒラメキとは 人に起きるいかなる現象か】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10598115.html
〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層
つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか)
[非思考の庭]
スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のナゾなる非思考の庭):神
↓
----【天使(α’):ロゴス(α)の使い】--------------
↓
[思考の緑野] ↓
インスピレーション=ロゴス(β):異言
:中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ
↓
インスピレーション=ロゴス(γ):預言
:本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間による言葉化
:概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい?
↓
ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考〔の緑野〕
:経験合理性にもとづこうとする論理
*(註) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・ロゴス:ことば
・スピリトゥス:霊。聖霊
・クレド( credo = I believe. 我れは信じる)
・異言(シャリバリ):意味の分からないことば
・預言:解釈。経験思考で分かるように表現する。
〔もともとは 予言= pro-phetia(予‐言)として成ったことば〕
・ラチオ( ratio ):理性
〔 = reason 。《 re-or =思う・考える・数える》から〕
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ロボットや人工知能は インスピレーション=ロゴスつまり ヒラメキとし
ての言葉を受け取ることがあるのか? といったことが気に成ります。
キリストとしての神の本性が、ロゴスすなわち論理と解されたことによって、西ヨーロッパにおける哲学の一つの流れである、論理と思弁を重んじる風潮、さらには論理と言語によって神を把握しようとする積極神学の道が拓かれた。このような背景もあり、今日、哲学の分野で「ロゴス」と言われるときには、程度の差はあれ単なる構造としてではなく、「語られる力ある言」という人格的な、かつ神的なロゴス理解の影響があることが一般的である。というらしいですね。
ひどっち=ぶらじゅろんぬさんの定理は専門用語が渦巻いていますが、興味深いです。異言が現在もあるということについての見解はいかがでしょうか。
No.13
- 回答日時:
★(№11お礼欄) ひどっち=ぶらじゅろんぬさんの定理は専門用語
が渦巻いていますが、興味深いです。
☆ コメントをありがとうございます。
★ 異言が現在もあるということについての見解はいかがでしょうか。
☆ 自分には分かる(自分にしか分からない)ヒラメキあるいはイメー
ジなる直観として 一応あると捉えておいてよいのでは?
★ キリストとしての神の本性が、ロゴスすなわち論理と解されたこと
によって、
☆ 《論理》というのは 微妙ですね。つまり 形式論理として捉えら
れかねず その場合は はっきり言って違うわけです。
つまり 生命存在の全体を論理で表わすというのは あまりしないと思
うからです。
★ 西ヨーロッパにおける哲学の一つの流れである、論理と思弁を重ん
じる風潮、さらには論理と言語によって神を把握しようとする積極神学
の道が拓かれた。
☆ ただし 神学も神論としての哲学も 神ないしロゴスという正解を
問い求めるための補助線を引くことでしかないのですが。
★ このような背景もあり、今日、哲学の分野で「ロゴス」と言われる
ときには、程度の差はあれ単なる構造としてではなく、「語られる力あ
る言」という人格的な、かつ神的なロゴス理解の影響があることが一般
的である。というらしいですね。
☆ 上手に説明しているかと思いますが なお補助としての説明である
とは思います。
月を指し示すそのゆびであって 月そのものではないといったタトへが
あります。

No.10
- 回答日時:
言葉は、記号よりは広い意味を表現することはできますが、それだけに
意味が特定できない部分があると思います。
自分の言葉として磨くということは、もちろん重要なことではあります
が、認識する相手というものがあります。
ですから、それを伝えるということについては、cyototu先生の言われた、
「その人の唾を浴びながら議論しないとわからないものもあると認識する
ようになりました。」
という姿勢が重要であると思います。
理性だけでなく直観、そして、言葉だけでなく、声、表情、しぐさ、生き方
に至るまで見るべきである。
つまり、言葉・思想というものは、その人の人間あるいは人生そのものであ
る、と言えないでしょうか?
こういうことであれば、「言葉とは人間そのもの、表裏一体だ」と言って間
違いではないと思います。
私も質問をして回答を聞いて、考えて、迷っています。影響受けやすいんでしょうね。たぶん。言葉だけで人を見極めることは危ういと思います。ただ、言葉はやはり人柄であるとも言えるし、判断むずかしいですね。chototu先生の言われた姿勢が大切だと私も思いました。
No.9
- 回答日時:
諸枯淡が親子でまだ煽ってるのですか。
半分だけ出てる猫ですから親子なのかしr魔円が
サブレとかどういう意味奈央出そうか。
歯とサブレとかこれまた鳥でしょうか。諸枯淡とベッキー外こーrな穂でh層化。
yukiyamaichigoさん、ありがとうございます。
しょこたん、サブレ、鳩サブレ、半分だけ出て煽ってる猫。意味性はあまりないですね。
鳩サブレは鳥の形をしてるので、猫が遊びたかったのでは。

No.8
- 回答日時:
>言葉とは人間そのもの、人間と表裏一体だということ
私も、このことは共感しかねます。
言葉とは、森羅万象の中から人間が感じ取ったものを、民族・地域において普遍的な
ルールによって表現されたもの、というふうに言えると思います。
人間が言葉というものを使い始めてから今日に至るまで、消滅してしまったものはお
そらく少なくないと思います。
例えば「方言」です。私は東京の生まれで、現在地方に住んでいますが、我が地方の若
者は私よりもずっと方言を知りません。素敵な表現がいくつもあるのに、もったいない。
また、感じ取ったものの、表現しきれずに共感を得られないまま消えていった言葉達は
あっただろうと思いますし、表現できそうもない感覚も多いと思います。
「いわゆる言霊」は、少なくとも、主体である人間が感じ取るものですから、人間が作っ
たものであろうが、コンピュータが作ったものであろうが、同様であろうと思います。
このことは、唯物論と唯心論ということに突き詰めることができると思いますが、それは
また。
詩や短歌、俳句の領域でどうか?という点につきましては、勿論プログラミングの優劣に
依るでしょうが、現在のようにテクニカルな部分を高評価するならば(そう思っています)
AIはあっという間に人間を凌駕するでしょう。すぐに学ぶことができる要素だと思うから
です。
ニャンポコさん、ありがとうございます。
補足読んでいただけましたか。抽象的な表現で曖昧でした。
世界には約7000の言語があります。聖書に限っていうと、まだ翻訳されていない言語が2100余りあるということです。たとえば、バングラデシュ北西部にはラジバンシ語という言葉があります。80万人の人達のあいだで使われています。
日本では、方言、確かにインパクトありますね。青森の津軽半島行ったとき、地元の人の言葉、全然聞き取れませんでした。時間があったら、いろいろなところへ行きたいなと妄想だけを膨らませています。
No.7
- 回答日時:
とんでもない。
人間の意思疎通(コミュニケーション)や世界認識で言葉を使われている割合は圧倒的に少ないのです。テレビドラマでもお分かりのように、アメリカ人は日本人の何倍もおしゃべりです。しかし、学問的調査によると、アメリカ人の意思疎通の80%以上は言葉によらず、ボディーラングウェッジで行われているとの調査結果が出ているそうです。ましてやアメリカ人より寡黙な日本人は圧倒的にボディーラングウェッジで意思疎通が行われています。要するに、人間が言葉を使って認識できる世界は、人間にとって無視できるくらい小さいと言うことがわかっています。それは驚くに足りません。事実、人間として進化してすでに500万年ぐらい経っていますが、人間が言葉を駆使できるようになったのは、たかだか数万年ぐらいなものでしょう。5万年ぐらいとして、たったの5/500 =1%ぐらいです。ですから、いまだに、人間が言葉を信用するよりも、ボディーラングウェッジを信用するのは、ある意味当たり前なことです。集団生活する動物は犬でも馬でもこのボディーラングウェッジで意思疎通を行なっています。
事実、言葉を自在に使って数万年ほどたった段階で出てきた世界の認識に関する仏教の大進歩によると、世界の認識法には顕教的認識法と密教的認識法があることを明らかにしております。顕教的認識法とは、この世界は言葉によって理解することができるという立場です。ですから、優れた先人たちが書いた書物をとことん勉強すれば世界が理解できるようになるという立場です。
一方密教的認識法とは、この世界は言葉だけでは理解できない事物があるという立場です。ですから、優れた先人たちが書いた書物をとことん勉強するだけでは世界を理解することができない。それには言葉以外で伝わってくるものが必要である。例えば師と弟子が直接対峙して、師が言葉のみならず、目の動き、手足の動き、声の出し方など、身体全体から表現されるものをも通づて、やっと世界が理解できるようになるという立場です。
私は物理学者ですが、どんなに優れた教科書や論文を読んでも理解できないものがある。それを発見した本人やあるいは物理学で色々寄与をした人と直接、その人の唾を浴びながら議論しないとわからないものもあると認識するようになりました。
言葉を過信してはいけません。
おっしゃることはよくわかります。私はキッチンで仕事をしていますので、仕事が始まるとほぼ会話はボディラングウェッジでの作業となります。もうここ最近は人手不足で、言葉を発するのも億劫で、毎日が戦いです。
噂話とか恋話を聞くとか文句を言うとか、そんな繰り返しで、飽き飽きして、もっと本質的な会話がしたいとここに来ています。リアルでは、昨年、料理の哲学書と言える人に出会い、何とか食らいついて真髄を聞き出したいと思ってがんばっています。ここでも時間のある限り、質問したい、回答したいと思っています。

No.4
- 回答日時:
追記
主旨から反してるかも知れないけど
動物に育てられた
人間って
どうなるのかな?
ネット情報やから
丸飲みには
出来ないんやけれど
そういった、事例があるのは
言語とは?
なんて、考えが深まりそうなので
(  ̄▽ ̄)ニャリ

興味深い動画、ありがとうございました。
野生動物は人間を殺さずに育てたんですね。不思議なことです。
わしさん、「みわちゃんとうり坊」覚えていますか?子ザルのみわちゃんとイノシシのウリ坊。
みわちゃんは事故で死んだお母さんザルに寄り添って泣き叫んでいたところを保護され、うり坊も同じ時期、親と離れ離れになって溝で動けなくなっていたところを助けられました。ニホンザルは一年間は母親にくっついていなければ生活できない動物。みわちゃんも例外でなく、夜も寝ないで泣いていたので、動物園は悩んだあげくにウリ坊に託してみたんですね。最初は嫌がっていたウリ坊もしまいには、みわちゃんを背中に載せて園内を散歩するほどに仲良くなった。
なんか噂によると、今も二匹は一緒にいるらしいですよ。きっと、みわちゃんとうり坊のあいだに言葉が生まれたんでしょう。
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>言葉とは人間そのもの、表裏一体だということ
これは少し適切な表現ではありませんでした。訂正します。
私が言いたかったのはこうです。
いくら言葉を学び、語彙を増やし自由に使えたとしても、そこに中身がないなら砂上の楼閣である。つまり、中身をつくると自然に言葉がついてくるというか。
言葉はその人間のアクセサリーではなくて本質。ある人の言葉を借りて言うなら、言葉はレンダリング結果に過ぎない、ということです。
だから、人真似ではなく、自分の言葉を捜そうと思いました。