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言葉とは人間そのもの、人間と表裏一体だということ、理解できました。

そうすると、人工知能AIの使う言葉は、どのように捉えられるでしょう。プログラミングされた言葉が人を感動させることはあるのか。いわゆる言霊というのは失われてしまうと思うのですが。

それともそういうことがあるのだとすれば、それはプログラミングした人間自身の言葉の反映なのか。
それともAIは自身で言葉を獲得して、詩や短歌、俳句の領域に至るまで凌駕していくのか。

どのように思われますか?

質問者からの補足コメント

  • >言葉とは人間そのもの、表裏一体だということ
    これは少し適切な表現ではありませんでした。訂正します。
    私が言いたかったのはこうです。
    いくら言葉を学び、語彙を増やし自由に使えたとしても、そこに中身がないなら砂上の楼閣である。つまり、中身をつくると自然に言葉がついてくるというか。
    言葉はその人間のアクセサリーではなくて本質。ある人の言葉を借りて言うなら、言葉はレンダリング結果に過ぎない、ということです。
    だから、人真似ではなく、自分の言葉を捜そうと思いました。

    「言葉について」の補足画像1
      補足日時:2019/04/19 22:42

A 回答 (13件中1~10件)

>言葉とは人間そのもの、人間と表裏一体だということ


適当に言葉をいじって納得してるみたいですが、私はそうはおもいませんけどね。 
しゃべれない人もいますから「人間そのもの」とは言えませんね。

AIは学習をしますので、プログラミングした結果をはるかに超えたことを行います。
赤ちゃんが育って子供になれば、生んだ大人が思いもよらぬようなことをしでかすのと一緒です。
  
スタジオジブリでAIを使って生物らしきものを作画したのですが宮崎駿は「こんなのは不快感を覚える」といました。
”常識”という束縛のないAIはとんでもないものを生み出す可能性があります。
それを”いいもの”とみなすかどうかは、現段階では人間が行うしかないです。

>詩や短歌、俳句の領域に至るまで
AIじゃなくても、今までの詩、短歌、俳句をばらばらに分解して適当につなぎ合わせて生み出す のはできます。それを読んで感動するかしないかは人間次第ですね。まぁ99.99%はガラクタだと思います。
AIで 詩、短歌、俳句をたくさん読ませてディープラーニングさせたら少しはまともなものができるかもしれません でも「どうしたら人間が感動するか」の定義ができないかぎり ろくなものはできないでしょう。
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この回答へのお礼

amerikaumareさん、こんばんは。
回答ありがとうございます。
詩歌の根源には抒情があるので、AIには難しいでしょうね。

お礼日時:2019/04/19 21:09

結果や表面だけで判断すれば


AIと人間の、言葉としての成果は同等ということになりそうです。
ただし人間の価値には
込めた気持ちやかけた労力といった要素が加味されます。
そこには通り過ぎた人生の経緯というものが存在し
哲学的ゾンビとは一線を隠すものだと思います。
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この回答へのお礼

suzumenokoxさん、こんばんは。
回答ありがとうございます。
>人間の価値には込めた気持ちやかけた労力といった要素が加味されます
結果ではなく途上に価値があるのですね。

お礼日時:2019/04/19 21:13

2045年には


人工知能が人類を凌駕するとか?しないとか?

ネットで調べてみると
面白いですよ


ソフィア

まだまだ学習してそうですからね


言語においては
AIどうしだけの
言語が発生する?
とか
しないとか?

短歌や俳句

凌駕してほしいですね
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この回答へのお礼

わしさん、こんばんは。
回答ありがとうございます。
2045年!どうなっているでしょうか?楽しみです。
個人的には短歌や俳句、凌駕してほしくないです。

お礼日時:2019/04/19 21:22

追記



主旨から反してるかも知れないけど

動物に育てられた
人間って

どうなるのかな?

ネット情報やから
丸飲みには
出来ないんやけれど
そういった、事例があるのは
言語とは?

なんて、考えが深まりそうなので



(  ̄▽ ̄)ニャリ
「言葉について」の回答画像4
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この回答へのお礼

興味深い動画、ありがとうございました。
野生動物は人間を殺さずに育てたんですね。不思議なことです。
わしさん、「みわちゃんとうり坊」覚えていますか?子ザルのみわちゃんとイノシシのウリ坊。
みわちゃんは事故で死んだお母さんザルに寄り添って泣き叫んでいたところを保護され、うり坊も同じ時期、親と離れ離れになって溝で動けなくなっていたところを助けられました。ニホンザルは一年間は母親にくっついていなければ生活できない動物。みわちゃんも例外でなく、夜も寝ないで泣いていたので、動物園は悩んだあげくにウリ坊に託してみたんですね。最初は嫌がっていたウリ坊もしまいには、みわちゃんを背中に載せて園内を散歩するほどに仲良くなった。
なんか噂によると、今も二匹は一緒にいるらしいですよ。きっと、みわちゃんとうり坊のあいだに言葉が生まれたんでしょう。

お礼日時:2019/04/19 21:58

プログラムというものはルールに従いゲームを作るようなもの。

所詮はㇽ-ㇽ以上のことはできない。ロボットが人間を支配するのはSFの世界だけである。
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この回答へのお礼

わたしもビギナーですがさん、ありがとうございます。
>ロボットが人間を支配
ドラえもんならいいかな(笑)

お礼日時:2019/04/20 20:14

感動や言霊もディープラーニングで習得していきます。


その後効率を考慮すると言語でのコミュニケーションは不要となり意思そのものが伝達手段に変わっていくでしょう。
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この回答へのお礼

GOMAFUさん、ありがとうございます。
人間もディープラーニングの手法で習得したいものです。
>意思そのものが伝達手段
ふっと心に浮かんだときにちょうど、誰かが私を呼んでたとかありますよ。

お礼日時:2019/04/20 20:12

とんでもない。

人間の意思疎通(コミュニケーション)や世界認識で言葉を使われている割合は圧倒的に少ないのです。テレビドラマでもお分かりのように、アメリカ人は日本人の何倍もおしゃべりです。しかし、学問的調査によると、アメリカ人の意思疎通の80%以上は言葉によらず、ボディーラングウェッジで行われているとの調査結果が出ているそうです。ましてやアメリカ人より寡黙な日本人は圧倒的にボディーラングウェッジで意思疎通が行われています。要するに、人間が言葉を使って認識できる世界は、人間にとって無視できるくらい小さいと言うことがわかっています。

それは驚くに足りません。事実、人間として進化してすでに500万年ぐらい経っていますが、人間が言葉を駆使できるようになったのは、たかだか数万年ぐらいなものでしょう。5万年ぐらいとして、たったの5/500 =1%ぐらいです。ですから、いまだに、人間が言葉を信用するよりも、ボディーラングウェッジを信用するのは、ある意味当たり前なことです。集団生活する動物は犬でも馬でもこのボディーラングウェッジで意思疎通を行なっています。

事実、言葉を自在に使って数万年ほどたった段階で出てきた世界の認識に関する仏教の大進歩によると、世界の認識法には顕教的認識法と密教的認識法があることを明らかにしております。顕教的認識法とは、この世界は言葉によって理解することができるという立場です。ですから、優れた先人たちが書いた書物をとことん勉強すれば世界が理解できるようになるという立場です。

一方密教的認識法とは、この世界は言葉だけでは理解できない事物があるという立場です。ですから、優れた先人たちが書いた書物をとことん勉強するだけでは世界を理解することができない。それには言葉以外で伝わってくるものが必要である。例えば師と弟子が直接対峙して、師が言葉のみならず、目の動き、手足の動き、声の出し方など、身体全体から表現されるものをも通づて、やっと世界が理解できるようになるという立場です。

私は物理学者ですが、どんなに優れた教科書や論文を読んでも理解できないものがある。それを発見した本人やあるいは物理学で色々寄与をした人と直接、その人の唾を浴びながら議論しないとわからないものもあると認識するようになりました。

言葉を過信してはいけません。
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この回答へのお礼

おっしゃることはよくわかります。私はキッチンで仕事をしていますので、仕事が始まるとほぼ会話はボディラングウェッジでの作業となります。もうここ最近は人手不足で、言葉を発するのも億劫で、毎日が戦いです。
噂話とか恋話を聞くとか文句を言うとか、そんな繰り返しで、飽き飽きして、もっと本質的な会話がしたいとここに来ています。リアルでは、昨年、料理の哲学書と言える人に出会い、何とか食らいついて真髄を聞き出したいと思ってがんばっています。ここでも時間のある限り、質問したい、回答したいと思っています。

お礼日時:2019/04/20 20:01

>言葉とは人間そのもの、人間と表裏一体だということ



私も、このことは共感しかねます。

言葉とは、森羅万象の中から人間が感じ取ったものを、民族・地域において普遍的な
ルールによって表現されたもの、というふうに言えると思います。

人間が言葉というものを使い始めてから今日に至るまで、消滅してしまったものはお
そらく少なくないと思います。

例えば「方言」です。私は東京の生まれで、現在地方に住んでいますが、我が地方の若
者は私よりもずっと方言を知りません。素敵な表現がいくつもあるのに、もったいない。

また、感じ取ったものの、表現しきれずに共感を得られないまま消えていった言葉達は
あっただろうと思いますし、表現できそうもない感覚も多いと思います。

「いわゆる言霊」は、少なくとも、主体である人間が感じ取るものですから、人間が作っ
たものであろうが、コンピュータが作ったものであろうが、同様であろうと思います。

このことは、唯物論と唯心論ということに突き詰めることができると思いますが、それは
また。

詩や短歌、俳句の領域でどうか?という点につきましては、勿論プログラミングの優劣に
依るでしょうが、現在のようにテクニカルな部分を高評価するならば(そう思っています)
AIはあっという間に人間を凌駕するでしょう。すぐに学ぶことができる要素だと思うから
です。
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この回答へのお礼

ニャンポコさん、ありがとうございます。
補足読んでいただけましたか。抽象的な表現で曖昧でした。
世界には約7000の言語があります。聖書に限っていうと、まだ翻訳されていない言語が2100余りあるということです。たとえば、バングラデシュ北西部にはラジバンシ語という言葉があります。80万人の人達のあいだで使われています。
日本では、方言、確かにインパクトありますね。青森の津軽半島行ったとき、地元の人の言葉、全然聞き取れませんでした。時間があったら、いろいろなところへ行きたいなと妄想だけを膨らませています。

お礼日時:2019/04/20 20:36

諸枯淡が親子でまだ煽ってるのですか。

半分だけ出てる猫ですから
親子なのかしr魔円が
サブレとかどういう意味奈央出そうか。
歯とサブレとかこれまた鳥でしょうか。諸枯淡とベッキー外こーrな穂でh層化。
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この回答へのお礼

yukiyamaichigoさん、ありがとうございます。
しょこたん、サブレ、鳩サブレ、半分だけ出て煽ってる猫。意味性はあまりないですね。
鳩サブレは鳥の形をしてるので、猫が遊びたかったのでは。

お礼日時:2019/04/20 20:45

言葉は、記号よりは広い意味を表現することはできますが、それだけに


意味が特定できない部分があると思います。

自分の言葉として磨くということは、もちろん重要なことではあります
が、認識する相手というものがあります。

ですから、それを伝えるということについては、cyototu先生の言われた、

「その人の唾を浴びながら議論しないとわからないものもあると認識する
ようになりました。」

という姿勢が重要であると思います。

理性だけでなく直観、そして、言葉だけでなく、声、表情、しぐさ、生き方
に至るまで見るべきである。

つまり、言葉・思想というものは、その人の人間あるいは人生そのものであ
る、と言えないでしょうか?

こういうことであれば、「言葉とは人間そのもの、表裏一体だ」と言って間
違いではないと思います。
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この回答へのお礼

私も質問をして回答を聞いて、考えて、迷っています。影響受けやすいんでしょうね。たぶん。言葉だけで人を見極めることは危ういと思います。ただ、言葉はやはり人柄であるとも言えるし、判断むずかしいですね。chototu先生の言われた姿勢が大切だと私も思いました。

お礼日時:2019/04/23 20:54

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Q人間が人間を超えるものをつくること

たとえば、情報工学の先端でAIの研究に携わっているとしましょう。
すべてにおいて人間を超える可能性を秘めているものを対象として目の前におくとき、主観は常に対象を客観視できるでしょうか。
人間が人間を超えるものをつくる、ということは、あえて極論を言いますと、人間が人間を滅ぼすというポテンシャルを含み持つことです。
IT化による効率性、利便性は今や否定できません。
ITシステムが修正を繰り返し生き延びる様は人間のようであり、自ら学習を重ねて賢くなる人工知能AIはいつか人間を超える存在になると言われます。
そのようになると想定される場合に、果たして人間は冷静に客観である対象に向き合えるものでしょうか。それとも、専門家のあいだでは人間を超えることはないという根拠があるから、冷静に研究開発を続けられるのでしょうか。
もしそうならば、それを開示して世の中の不安も同時に払拭していく責任も同時にあると思うのですが、皆様はどのように思われますか?

Aベストアンサー

#14です。お礼ありがとうございます。

>ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

頭のいい人たちはすでに19世紀初頭に警鐘を鳴らしていますよ。
たとえばJ・J・トールキンは「人間らしさ」を「自然(精霊や斎もの)との交流と恐れが人間の本質である」としてそれが失われる前に指輪物語を書きました。指輪物語で人間以外が西の国に行ってしまうのは、まさに19世紀が「機械に人間が乗っ取られ、人間性を失う時期」だったからです。

同様にラフカディオ・ハーンは日本に来て「まだ人間性が残っている今のうちに記録を残そう」と小泉八雲として様々な小説を著作しました。

「メトロポリス」なんていうデストピアを描いた映画もありましたね。

どれも19世紀末から20世紀初頭の作品で、この辺りが機械を発明した第一世代から、機械と共存する第二世代に変わった時期なのでしょう。それから先はコンピューターでもAIでも機械化の延長にすぎないわけです。

人間のほとんどは「科学文明と共に生きること」を選んだのです。そのほうが「犠牲はあるかもしれないが、少なくとも自然の中で恐れて生きているよりは幸せである」と考えたからです。

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ですから、今後もAI化などは「ほとんどの人が疑問を持たずに」進んでいくのだと思います。でも結局人間はそれで幸せなんだと思いますよ。

私には子供が居ますが、20世紀初頭の乳幼児の死亡率は50%以上だったわけです。つまり10人産んでも5人しか残らない社会で、ほとんどの人が「長生きできなかった兄弟」を背負って生きていたわけです。父母の、特に母親が自分でお腹を痛めた子を失う辛さと残酷さは悲劇以上のものだったでしょうが、たった100年前はそれが普通だったわけです。

今は乳幼児の死亡率は先進国なら数パーセントしかありません。

私は「人類が科学技術を捨てて『人間性を取り戻す』ことを望むのか?」と聞かれればNOだと思います。その代り人間は「機械とうまく付き合っていく」しか道はないのだと思います。

>人間はAIの奴隷。モルモット。

人間は自分で機械・技術の檻の中を選んだのです。アマゾンや砂漠地帯など一部の人間たちは拒否しています。ああ、インドに「文明を受け付けない島」があるようですが、そういう人たちはまだ「人間」なのでしょう。

でもほとんどの人間は自分たちで望んで、機械・技術に守られることを選んだのです。

#14です。お礼ありがとうございます。

>ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

頭のいい人たちはすでに19世紀初頭に警鐘を鳴らしていますよ。
たとえばJ・J・トールキンは「人間らしさ」を「自然(精霊や斎もの)との交流と恐れが人間の本質である」としてそれが失われる前に指輪物語を書きました。指輪物語で人間以外が西の国に行ってしまうのは、まさに19世紀が「機械に人間が乗っ取られ、人間性を失う時期」だったからです。

同様にラフカディオ・ハーンは日本に来て「まだ人...続きを読む

Qあなたにとって正義とは何ですか?

あなたにとって正義とは何ですか?

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胡散臭いもの。

典型が戦争です。

勝った方が正義になります。
強いモノが正義です。

ワシントンは米国では正義の人ですが、
英国では反逆者で悪い人です。

現代の価値観で評価すれば、歴史の
英雄のほとんどは侵略者、独裁者、殺人鬼です。

かようにして、正義は胡散臭いものなのです。

Q引き籠もりは 未来社会のネガ(陰画)であり KY は 草の根民主制への第一歩である。

1. 民主制では わざわざクウキを読む必要はなく クウキをかたちづくる
必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。

2. ところが 日本人にあるまじき KY だ・ニートだと言って それを読め・
それに従えという意味でのクウキは このいわば白紙であるという意味での空
気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとした結果状態であり その手段
じたいであるだろう。

3. いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程の
中に持ち込み人びとを丸め込もうとするときの思潮やまた圧力と感じられもす
る雰囲気のことである。

4. この国には お上には逆らえない・長いものには巻かれろ・寄らば大樹
の陰といった《アマアガリ・シンドローム(公民アマテラスへの出世指向)》
が人びとの心の中に見られる場合がある。

5. あるいはそのアマテラス公民のおこなうことは《あやまち得ない》とい
う無謬性なる神話が浸透していて アマテラス公民を無条件に信奉するという
《アマテラス予備軍症候群》がしばしば見られる。

6. これらの風潮がはびこっている――と ようやくその権威づけられた威
光がやや落ち目になってきた今 あらためて取り上げてみよう。

6-1. つまり この《伝統》なる風潮を読まないという KY は じつは 
未来社会への旗手である。

6-2. 引き籠もりは クウキに対する志向性に関する限り すでにいまシ
ャッターが押されて陰画として現われた未来社会の風景である。

7. たぶんその場合にも KY はダメだと言われるときのクウキはそれをも
読むことだけは読んでおいたほうがよいはずだが 読んだ結果として KY と
いう現象が起きても構わないし 起きたほうがひとは よりいっそう自由であ
る。

☆ どう考えますか?




8. なお最後にですが あらためて定義です。:

  ○ KY の定義 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  広い意味での会議において 会議としての意志決定をするときに 
  言論をとおしてというかたちを超えて 
  おもにヨリ高い権限を有する者の意向を人々がすでに汲み取って
  ――必ずしもまだ発言されていなくとも噂で流されているところの
  意向をすでに忖度して―― 
  多くの参加者の意向がそれになびいていくとき 
  そのような同調という風潮を意に介さない傾向および志向性。
  
 ○ ニートや引き籠もりは そのクウキなる風潮に生理的にさえ嫌悪
  をも催す現象の結果あらわれる状態ではないか。また 佐渡へ佐渡
  へと草木もなびく群れを目の前に見せられては やってらんないよ
  と言った状態。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1. 民主制では わざわざクウキを読む必要はなく クウキをかたちづくる
必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。

2. ところが 日本人にあるまじき KY だ・ニートだと言って それを読め・
それに従えという意味でのクウキは このいわば白紙であるという意味での空
気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとした結果状態であり その手段
じたいであるだろう。

3. いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程の
中に持ち込み人びとを丸め込も...続きを読む

Aベストアンサー

パチパチパチ。

Q公理って何?

再び初歩的質問です。

「公理」を辞典で調べますと、

・数学で、論証がなくても自明の真理として承認され、他の命題の前提となる根本命題。

・論理学で、演繹的理論の出発点として、証明なしに採用される命題。

・現代においては、自明な命題ではなく、理論の前提となる仮定。

等の記述があります。

1.学問がないので、いまいちピンとこないのですが、具体的にはどのようなものがあるの
でしょうか?そして、どう理解したらいいのでしょうか?

2.「理論の前提となる仮定」から組み立てられた理論というものが、自然科学においても
検証されるとはいえ、何故、事実・真実と言えるのでしょうか?

Aベストアンサー

公理で一番有名なのは、平行線公理(平行線公準とも呼ばれる)でしょう。

「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一つしかない」

この命題を証明することはできません。以前はこれを証明しようと多くの数学の天才たちが試みました。しかし誰にも証明できなかった。ロバチェフスキーが1829年に『幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論』を発表して、彼が1826年に発見した新しい幾何学を提示して、上記の命題が証明不可能な公理であることが明らかになったのです。

ロバチェフスキーは、上記の命題の代わりに

(1)「一つの直線上にない一点を通ってその直線は何本でも引ける」

としても、数学的に無矛盾で閉じた論理体系を構築できることを明らかにしました。それがいわゆる非ユークリッド幾何学の始まりでした。この幾何学で表現されている空間は曲がった空間なのです。

その後に、リーマンが

(2)「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一本も引けない」

としても、数学的に無矛盾で閉じた論理体系を構築できることを明らかにしました。この公理(2)が成り立つものとして構築された幾何学をリーマン幾何学と呼びます。一方、上記の公理(1)が成り立つものとして構築された幾何学をロバチェフスキー幾何学と呼びます。

さらに、リーマン幾何学の一つの具体的な例が球面状の幾何学であることもわかるようになりました。その場合この非ユークリッド幾何学を球面幾何学と呼ぶこともあります。

上記の事実の発見は、人類に多大な知的進展をもたらしました。なぜなら、自分の主張の論理的矛盾性をいかに証明しても、それでこの世界が解ったわけではないことが明らかになったからです。例えば、我々が埋め込まれている宇宙が上記のどの幾何学によって記述されている世界なのかは、論述の無矛盾性や整合性をいくら明らかにしても、判定できないことが明らかになったからです。

その判定には必ず実験や観測が必要である。すなわち論理的な理念の整合性に加え、事実はどうなのかを実験や観測で判定しなくてはならない。その判定をするのが自然科学なのです。そして数学は、命題の間の無矛盾性を論じる言語学であり、すなわち人文科学の一つであり、事実を論じる自然科学ではないことが明らかになったのです。

公理で一番有名なのは、平行線公理(平行線公準とも呼ばれる)でしょう。

「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一つしかない」

この命題を証明することはできません。以前はこれを証明しようと多くの数学の天才たちが試みました。しかし誰にも証明できなかった。ロバチェフスキーが1829年に『幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論』を発表して、彼が1826年に発見した新しい幾何学を提示して、上記の命題が証明不可能な公理であることが明らかになったのです。

ロバチェフスキーは、上記の命題の代わ...続きを読む

Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Q哲学とは何か?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学とは何かということについて、野矢氏は、次のように述べています。

ごく簡単に哲学史を述べれば、アリストテレスは哲学を学問として捉えていた。
トマス・アクィナスにとっては、哲学は宗教であった。
デカルトは、哲学は学問の基礎であると考えていた。
現代においては、哲学者の数だけ定義が存在すると言って過言ではない。

私(野矢氏)にとって哲学とは、人間の言葉を使った複雑な思考の中の問題として
1.思考の全体を見通せていない、2.思考を支えている多くの暗黙のものを自覚し
ていない、3.全体の曖昧さ、矛盾を分からないでいる、これらの問題を解決する
ことである、と。

確かに、哲学というものの定義は、様々であることは実感していました。だから、
「さあ統一しましょう」といったところで、そううまくはゆかない。せめて、各々
の定義を理解し合えたら、もう少し意義のある対話ができるかも知れません。

さて、あなたの「哲学の定義」はというと、どういうことになりますでしょうか?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学...続きを読む

Aベストアンサー

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人間の尊厳の確認であったかのような印象があります。

その旗頭であるソクラテスが牢獄に繋がれ、毒をあおって死ななければならなかったため、何か、陰惨な印象を持っていましたが、何年か前、彼の牢獄であったと伝えられている岩屋を訪れる機会があり、その場所が、アクロポリスを見渡せる、風光明媚な場所であったため、何だか、足元のはしごを外された気分、というか、牢獄でさえ、知的でした。

おっしゃる通り、哲学は、対話によって、曖昧なものや無意識に受け入れていた事柄を、明確にしてゆく役割を担っているのだと思います。中世以降のヨーロッパでは、キリスト教が邪魔になりましたが、現代の日本では、いかがでしょうか。

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人...続きを読む

Q心から信じていれば命さえも懸けられる

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命綱が切れないと心から信じているから命を懸けているではありませんか。この事実があるのに何故、皆さんこの事実を否定されるのか。事実判断を皆さんの価値判断で否定することなどできませんよ。事実そうなのですから。

「本当に信じていれば、全財産や命さえも懸けられる」というフレーズは色んな難しい社会的問題を解決できる魔法の言葉なのです。
例えば 従軍慰安婦問題も「本当に韓国政府が従軍慰安婦問題(少女二十万人拉致、性奴隷)があったと心から信じているなら、もし間違っていたら竹島を無条件で返してもらうぞ」と言えばそれで片が付くのです。何故なら韓国政府は本当は慰安婦の証言など信じていないのですからです。

このようにこのフレーズで多くの難問は解決できるのです。皆さんも「本当に、心から信じていれば命さえ懸けられるだろう」という言葉に嫌悪感を示さずにどんどん使いましよう。あらゆる難しい問題もすぐに解決できるのですから。

「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命...続きを読む

Aベストアンサー

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越されね荒海のおかげで、他の文化とは遮断され、縄文時代から現在に至るまで数千年かけて世界的にも類を見ない特異で独特な文化、すなわち価値観を築き上げてきました。外国で生活してみるとへーって思うことばかり。日本人の考え方ってこの国の人とそんなに違うのかって思い知らされることばかりです。例えば、日本人てこの地球上で性善説を信じている唯一の文化を持った国民なんですよ。そして、話し合えば解ってもらえると信じている人が態勢を占めている。

でも、日本以外の国では陸続きだったために互いに侵略しあい、戦に負ければ男どもは殺され、女どもとその子供は奴隷にされてきた。長い歴史の中でそんなことを繰り返してきた人々に性善説を信じよといっても無理です。

もちろん、日本人の作り上げてきた価値観の中には、外国の一部の世界で作り上げてきた価値観と共通した部分がないわけではなく、その共通項の部分のために、日本人が尊敬されている部分もあります。例えば正直であるとか、約束を守るとか、名誉を重んじ恥づべきことをするなという価値観です。このような価値観は、昔のギリシャや中世の西欧や日本のように、常態が群雄割拠で、いつも小国同士が小競り合いの戦さをしていた歴史を持った国に共通した価値観です。そしてこれは、基本的に武人たちが国を支配してきた世界に生じた価値観です。武人は基本的に理系人間で、技術と合理性を重んじる文化を作り上げてきた。しかしこのような小国による群雄割拠が常態であった地域は世界史的には例外に属しています。

世界史的には、圧倒的に大多数の民族は常態が群雄割拠ではなくて、強大な力を持つ政府による中央集権でした。中央集権国家では、小国同士ような小競り合いもほとんどなく長期にわたって安定して平和が保たれていました。そしてこの安定した中央集権国家の支配者は官僚と呼ばれる文系人間でした。戦さもなく社会が安定しているゆえに官僚が世襲化されるようになる。この世襲化された官僚のことを貴族とも呼んでいました。このような安定した社会の支配層を維持するために必要なのは、技術でも合理性でもなく、前例という伝統を重んじる固定化された価値観です。そのように合理的な根拠もなく支配されている一般民衆の中に、性善説など生じる余地がない。

しかし、安定した社会の内部の発展による富の蓄積や外部の予期せぬ環境の変化によって、この伝統による支配の説得力は徐々に失われて行きます。だから、歴史的に見て腐敗しなかった官僚は存在していません。時代と共に官僚は必ず腐敗します。その腐敗に我慢ができなくなった時に短期間の大混乱が起こって、新たな連中によってまた新しい長期の中央集権の安定期に移行して、そのうちにまた腐敗して短期の混乱が起こって、、、とこれを繰り返してきたのが、上記の古代のギリシャ、西欧、日本という群雄割拠地域を除いた地球上の圧倒的に大多数の民族の歴史です。

上に述べたように、このような文民支配による中央集権制度では、合理性よりも前例に基づいた伝統が重んじられる。もちろん、その伝統は偶然の成り行きで出来てきたために、各民族で全然違っています。そのようなそれぞれ違った根拠で出来上がってきた彼らのそれぞれ違った価値観を、合理的な論拠に基づいて話し合えば解り合えて一つの価値観に統一できるはずがありません。唯一できることは、互いに価値観の違いがあることを認識し、それを認め合って、一方の価値観を相手に押し付けずに、それぞれのやり方に任せることです。

真木さんの言う、死の覚悟を持って、とか、名誉を重んじ恥じた行為をしない、とか、公に尽くす、と言う価値観は古代のギリシャ人や群雄割拠で戦争に明け暮れた西洋人や源平以降戦国時代を経験した日本人には理解できるでしょう。しかし、このような武人支配を長年続けてこず、文系の官僚支配を続けてきたにこの地球上のほとんどの国の人には理解できない価値観だと思います。そのような国とうまくやってゆくためには、日本人独特な価値観を相手に強要するのではなくて、某元防衛省大臣がおっしゃったように「丁寧に無視」しながらお付き合いが最善の方法だと思いあますが、どうでしょうか。

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越...続きを読む

Q人間は、食糧の奴隷か?

人間は、食糧の奴隷か?

Aベストアンサー

食料でなくて、力を持った人間の肥大化した欲望の奴隷でしょう。

Q人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬、人生の幸不幸は予測しがたいという故事がありますが、このことわざにまつわるあなたの体験談を聞かせていただけますか。

Aベストアンサー

前の会社の役員から
日常業務以外に禅問答のような仕事をさせられいました。
日常業務が終わってから、禅問答の仕事をするので、
毎日深夜まで会社に残っていました。

ようやく完成した成果物を持っていくとやり直しをさせられ、思慮不足と罵られ、
最後には、過去に遡らなければ出来ない事について、
やり直さなければ絶対に許さない、と命令されたので、
会社を辞めました。

その間、少し心を病みました。

自己都合退職でしたので、
失業手当を早くもらうために
介護の職業訓練を受けました。別に、特別やりたかったことでもないのですが、おかげで、お年寄りなど、弱者に対する配慮ができるようになったと思います。

それから、興味のあった
リラクセーションマッサージの仕事も経験しました。
結局、収入の不安定さから4ヶ月ほどで辞めましたが、
その時に、お客様に接する方法を学び、非常に役に立ちました。

今の会社では、
何でも屋の立場なので、
会社の周年イベント、
各種クレーム対応、
訴訟案件への対応、
など、いわゆる
人がやりたくない仕事をしています。

正直、私もやりたい仕事ではありませんが、
これらの経験も、
将来、きっと役に立つのではないか、と思っています。

今の職場でも、
経営側の考え方が私のそれとは大きく乖離しているので(例えば、人を大事に扱わないなど)、
多くの矛盾を抱えながら仕事をしています。

仮に、また、今の会社を辞める時でも、人間万事塞翁が馬、という故事を心に、これまで培ってきた経験を活かし、前向きに生きていくつもりです。

前の会社の役員から
日常業務以外に禅問答のような仕事をさせられいました。
日常業務が終わってから、禅問答の仕事をするので、
毎日深夜まで会社に残っていました。

ようやく完成した成果物を持っていくとやり直しをさせられ、思慮不足と罵られ、
最後には、過去に遡らなければ出来ない事について、
やり直さなければ絶対に許さない、と命令されたので、
会社を辞めました。

その間、少し心を病みました。

自己都合退職でしたので、
失業手当を早くもらうために
介護の職業訓練を受けました。別に、特別やり...続きを読む

Q地球と人間はどちらが大切なのでしょうか?

愛は地球を救うと言う夏のチャリティ番組もありますが

人間が救われないと 地球を救っても何かおかしい様な?

確かに地球環境を守るか改善しないと人間も生きて行けなくなるかもしれませんが

人間が滅びてもまた進化した知的生命体が生まれるでしょう。

しかし僕らは人間だから人間が滅びたら何になるんだろうか?

この悲惨な世界で人間が大事か 地球が大事か?

Aベストアンサー

こういう問題は、極論すると
わかりやすくなると思います。

科学技術が発達して、人間が宇宙に住めるように
なった場合を想定してください。

地球が無くなっても、人間は宇宙で生き続ける
ことが出来ます。

つまり、人間にとって、地球の存在は必須では
ないのです。

人間の方が大切です。


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