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なんで老人に優しくしないといけないといけないのですか?席をゆずったり…

A 回答 (36件中1~10件)

先に死ぬから。

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皆等しく年を取るからサ!



こういう質問をしてる貴殿も加齢と言う呪縛から抜けることはできません

無知無教養は人類の敵です、教養を重ねる事で閃く想像力は必要です
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老人に限らず、人に優しくです。

優しくされたほうがいいでしょう。
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あなた病気になったことありますか?



わたしも妊婦にって体に不備がでらようになって余計わかるようきなったけど、年取ると腰が痛かったり、疲れやすくなったりするわけよ。年取ることって平等にしおこるし、じゃぁ外出するなっていわれる筋合いもないし、みんな通る道だからさ、優しくしてあげてよ。席も譲ってあげよ。自分がわからないだけで、そのおじさんは抗がん剤治療中かもしれないし、(でもタクシーにも治療費が高くて乗れないとか事情がある) 健康に見えて持病があるかもしれない。年寄りにかかわらずだけど、とりあえずあなたが健康で目の前におじいさんおばあさんいたら席とか譲ってあげよう。五分でも座れたら楽だと思う。
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情けは人の為ならず。



子供怒るな来た道だ、年より笑うな行く道だ。

など、当たり前の道徳観念。
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下の 雪山さん。

老兵ですか、おもしろい概念のみ方ですね♪


つまり、こうも言えます。

皆税金を払い、それ以外にも国を支えるために、一生懸命努力してくれたはず!

人それぞれ十人十色ではある。

しかし、だけどもだからこそ、
今の素晴らしい?
生活を自分が行えるのだと!

と考えられたら若者卒業、かなぁ。とね

立派な大人でしょう!

世話になった人すべて
一人に感謝するでなく、
その連綿たる歴史的背景と呼ばれる名もなき人々にも感謝できる。


まぁ、斜めに見てる俺っちのような傾奇者には、

少し窮屈ですがね。

老兵は労り、そして、年金で良い持ちを食べさせましょう。

キ 持ち 良い!
若者と!

すると老害のように怒りだすこともない。

貴方は?どのように老人と接すればよいか、この文見て考えれましたか?


まぁ、親のスネかじってようと、少しくらい気骨 反発、
モテるほうが
頼りになる若者さ

まだ、話は終わらねぇぜ!みんな!



なんてそれは次回別の回答デー。ー
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そうしようとする、自分の心が自分を動かしている感じがします。

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いずれ自分も老人になるからです。


お年寄りに限らず弱者に手を差し伸べる社会にしていかないと、後々必ず自分が困ることになります。
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首をつるべさんだったかips山中先生とゼネラルとじぇねっらル乃発音の違いを和田インし荒れていて、落語家は英語とマッカーサー長居でスネ。

それあkら写真が血行意味深dねスネ。の違いが気になるのだろうかとか

老兵だからでしょうか。
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弱者だから、ということになります。



山歩きしたり女性に席ゆずれって絡んだりする元気があってもそういうことになるんです。
真夜中でも大声やら騒音やらまき散らし朝になってからグースカ寝てられるような悠々自適の年金暮らしでも、そいつのせいで満足に眠れなかったとしても働きに行かねばならない現役労働者である私よりも弱者とされるからです。


納得いかねええええええええええええええええ!!!!!!!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/04/26 11:41
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Qあなたにとって正義とは何ですか?

あなたにとって正義とは何ですか?

Aベストアンサー

胡散臭いもの。

典型が戦争です。

勝った方が正義になります。
強いモノが正義です。

ワシントンは米国では正義の人ですが、
英国では反逆者で悪い人です。

現代の価値観で評価すれば、歴史の
英雄のほとんどは侵略者、独裁者、殺人鬼です。

かようにして、正義は胡散臭いものなのです。

Q難癖をつけて論破しようとする人 ある主張に対して、根拠を提示して論理的に説明をしても、その根拠に信憑

難癖をつけて論破しようとする人

ある主張に対して、根拠を提示して論理的に説明をしても、その根拠に信憑性がないと言って否定します。

例えば、日本の人口が1億2000万人程度だとする根拠を、国勢調査や各種統計で示しても、その根拠が正しいとする理由を聞いてくるのです。

国の統計や学術的な統計であっても、
『なぜ国の統計なら正しいのか?』
『どうしてその学者の言うことは正しいのか?』
と言ってきて、最終的に答えられないと、非論理的で君は間違っていると言われてしまいます。


どうやら彼は、100%正しいとする根拠や証明ができないと、曖昧なものは全て否定するようです。

なので、統計も実数ではないからダメ。
学術論文も、一学者の主張だからダメ。

このように主張すると何も言えなくなるのですが、どうしたら論理的に説明ができるようになるのでしょうか?

Aベストアンサー

どのみち、結論を出す現実の必要がない、という意味でクダラン話をしているんでしょうな。

 論証の根拠として使う命題すべてをリストアップして、それらをA, B, C, … とします。そして「A, B, C, … が正しいと仮定すると、」というマクラコトバをつけて結論Rを論証なさいませ。以上をまとめれば、
「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」
という命題を述べたことになる。「どうしてAが事実なんだ?根拠は?」というツッコミは意味をなしませんし、「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」という命題の論証に対して「そんな論証は説得力がない」とは言わせない。だから、せいぜい「そんな結論Rは説得力がない」と文句をつけるしかできない。
「そりゃ、A, B, C, … が正しいと仮定すると、という議論ですから、説得力はこれらの仮定に依存しますよ」
「そんなことを言うのなら、A, B, C, … のどれかが正しくないと仮定すれば、別の結論が出るじゃないか!」
「そうですね」
「では、君は何も言っていないのと同じだ」
「へえ、そう思うのですか?」
てな調子で、口喧嘩はいくらでも続きますがね。

 形式論理は、仮定に最初から陰に(あるいは陽に)含意されている命題を取り出してみせる以外には何もできません。なので、論理的に完璧な論証とは、現実に関する断定を一切含まない論証だということです。(数学もそうですけど)形式論理は現実世界とは断絶しています。現実に関する命題については、あくまでも過去の経験(観測した情報)だけが根拠ですから、「絶対に間違わない」ということは不可能です。物理学や化学の「法則」も過去の経験だけに基づいていますから、覆る可能性が常にある。(逆に、(形而上学や信仰など)覆る可能性がない命題は科学の(つまり現実に関する)命題ではない。たとえば
  この世は10分前に神によって創造された。
というような信念は、(もちろん、記憶や痕跡全部を含めて創造された、という主張ですから)反証しようがない。)
 というわけで、「現実に関する命題を証明する」ということはもともと不可能で、できるのは「論証」だけです。その論証の「説得力」は、仮定A, B, C, …を何度も検証するという経験を積み重ね、あるいはうっかり持ち込んでしまった思い込み(リストにない仮定)がないかを何度も確認する、というプロセスによって磨かれていくものの、疑いが完全になくなることはない。

 なお、以上の話はただのナンセンスではない。「どんな仮定のもとでの議論か」ということを明示するのは論文においても重要で、ここを手抜きすると「見落とし」「無反省」「無自覚な思い込み」などと突っ込まれることになります。

どのみち、結論を出す現実の必要がない、という意味でクダラン話をしているんでしょうな。

 論証の根拠として使う命題すべてをリストアップして、それらをA, B, C, … とします。そして「A, B, C, … が正しいと仮定すると、」というマクラコトバをつけて結論Rを論証なさいませ。以上をまとめれば、
「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」
という命題を述べたことになる。「どうしてAが事実なんだ?根拠は?」というツッコミは意味をなしませんし、「もしA, B, C, … が正しいなら、Rである」という命題の論証...続きを読む

Q心から信じていれば命さえも懸けられる

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命綱が切れないと心から信じているから命を懸けているではありませんか。この事実があるのに何故、皆さんこの事実を否定されるのか。事実判断を皆さんの価値判断で否定することなどできませんよ。事実そうなのですから。

「本当に信じていれば、全財産や命さえも懸けられる」というフレーズは色んな難しい社会的問題を解決できる魔法の言葉なのです。
例えば 従軍慰安婦問題も「本当に韓国政府が従軍慰安婦問題(少女二十万人拉致、性奴隷)があったと心から信じているなら、もし間違っていたら竹島を無条件で返してもらうぞ」と言えばそれで片が付くのです。何故なら韓国政府は本当は慰安婦の証言など信じていないのですからです。

このようにこのフレーズで多くの難問は解決できるのです。皆さんも「本当に、心から信じていれば命さえ懸けられるだろう」という言葉に嫌悪感を示さずにどんどん使いましよう。あらゆる難しい問題もすぐに解決できるのですから。

「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命...続きを読む

Aベストアンサー

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越されね荒海のおかげで、他の文化とは遮断され、縄文時代から現在に至るまで数千年かけて世界的にも類を見ない特異で独特な文化、すなわち価値観を築き上げてきました。外国で生活してみるとへーって思うことばかり。日本人の考え方ってこの国の人とそんなに違うのかって思い知らされることばかりです。例えば、日本人てこの地球上で性善説を信じている唯一の文化を持った国民なんですよ。そして、話し合えば解ってもらえると信じている人が態勢を占めている。

でも、日本以外の国では陸続きだったために互いに侵略しあい、戦に負ければ男どもは殺され、女どもとその子供は奴隷にされてきた。長い歴史の中でそんなことを繰り返してきた人々に性善説を信じよといっても無理です。

もちろん、日本人の作り上げてきた価値観の中には、外国の一部の世界で作り上げてきた価値観と共通した部分がないわけではなく、その共通項の部分のために、日本人が尊敬されている部分もあります。例えば正直であるとか、約束を守るとか、名誉を重んじ恥づべきことをするなという価値観です。このような価値観は、昔のギリシャや中世の西欧や日本のように、常態が群雄割拠で、いつも小国同士が小競り合いの戦さをしていた歴史を持った国に共通した価値観です。そしてこれは、基本的に武人たちが国を支配してきた世界に生じた価値観です。武人は基本的に理系人間で、技術と合理性を重んじる文化を作り上げてきた。しかしこのような小国による群雄割拠が常態であった地域は世界史的には例外に属しています。

世界史的には、圧倒的に大多数の民族は常態が群雄割拠ではなくて、強大な力を持つ政府による中央集権でした。中央集権国家では、小国同士ような小競り合いもほとんどなく長期にわたって安定して平和が保たれていました。そしてこの安定した中央集権国家の支配者は官僚と呼ばれる文系人間でした。戦さもなく社会が安定しているゆえに官僚が世襲化されるようになる。この世襲化された官僚のことを貴族とも呼んでいました。このような安定した社会の支配層を維持するために必要なのは、技術でも合理性でもなく、前例という伝統を重んじる固定化された価値観です。そのように合理的な根拠もなく支配されている一般民衆の中に、性善説など生じる余地がない。

しかし、安定した社会の内部の発展による富の蓄積や外部の予期せぬ環境の変化によって、この伝統による支配の説得力は徐々に失われて行きます。だから、歴史的に見て腐敗しなかった官僚は存在していません。時代と共に官僚は必ず腐敗します。その腐敗に我慢ができなくなった時に短期間の大混乱が起こって、新たな連中によってまた新しい長期の中央集権の安定期に移行して、そのうちにまた腐敗して短期の混乱が起こって、、、とこれを繰り返してきたのが、上記の古代のギリシャ、西欧、日本という群雄割拠地域を除いた地球上の圧倒的に大多数の民族の歴史です。

上に述べたように、このような文民支配による中央集権制度では、合理性よりも前例に基づいた伝統が重んじられる。もちろん、その伝統は偶然の成り行きで出来てきたために、各民族で全然違っています。そのようなそれぞれ違った根拠で出来上がってきた彼らのそれぞれ違った価値観を、合理的な論拠に基づいて話し合えば解り合えて一つの価値観に統一できるはずがありません。唯一できることは、互いに価値観の違いがあることを認識し、それを認め合って、一方の価値観を相手に押し付けずに、それぞれのやり方に任せることです。

真木さんの言う、死の覚悟を持って、とか、名誉を重んじ恥じた行為をしない、とか、公に尽くす、と言う価値観は古代のギリシャ人や群雄割拠で戦争に明け暮れた西洋人や源平以降戦国時代を経験した日本人には理解できるでしょう。しかし、このような武人支配を長年続けてこず、文系の官僚支配を続けてきたにこの地球上のほとんどの国の人には理解できない価値観だと思います。そのような国とうまくやってゆくためには、日本人独特な価値観を相手に強要するのではなくて、某元防衛省大臣がおっしゃったように「丁寧に無視」しながらお付き合いが最善の方法だと思いあますが、どうでしょうか。

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越...続きを読む

Qキリスト教や仏教やイスラム教やヒンドゥー教等は 何とか統一できないものか?

宗教が統一できれば世界的に平和にも近づくのではないでしょうか

どうやるのかは分かりませんが 統一教会はキリスト教の神霊を統一しようとして失敗した

キリスト教に拘らず 全ての人に 無宗教の人にも納得の行く教えを練り出せないものか?

まずはそれらの宗教の代表が会議してる様なので もっと危機感を持って

自分から変わる意識を持って 緊張感を持って月に一度でも2週に一度でも会議を2,3日

かけても何とかして宗教が協力して進化する様な宗教哲学を活性化出来ないものでしょうか?

Aベストアンサー

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調することを目的とする
等が挙げられます、

柳沼正広氏による第2章「キリスト教と諸宗教 宗教の神学」では、
キリスト教が他の諸宗教をどのように考えてきたかが述べられています。
諸宗教に対する考え方として、
排他主義、包括主義、多元主義、多元主義への批判を取り上げています。
他宗教を理解する努力のなかで、
自身の宗教への理解や反省が深められていく
宗教間対話の持つ重要性について論じています。

中国における中心的な思想である儒教に対して、
外来宗教である仏教と、儒教より後に成立した道教が
、自らの立場を主張しつつ、互いに交流と対話を
行ってきた歴史を辿っています

統合、に必要なものは「信」です
「不信」が統合を不可能にしています
宗教間の争いを無くすには
信頼関係を結び、友好、交流活動の継続しかありません

信は  結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調...続きを読む

Q何の為に生きてるのですか?それとも分からないまま死を迎えるのですか?

あなたは何の為に生きているのですか?

子供の為とか奥さんの為とかそういう気持ちで生きているのですか?

或いは生きて何かしたい事が在るのですか?

それとももう悟りきって不動の心で生きていますか?

悟ったと思うは悟らないなり 悟らぬと思うは悟れるなり?

人生観のヒントになる事があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

命がある限り、もー限界、お迎えが来るまで頑張ります。自分の為です、人の為に働いていても、身体は自分のものです

Q絶対善はあるのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を優先すること」と言われても何か分からないでしょう。ですから分かり易く言えば愛や思いやりや慈悲心などですと説明しています。これはキリストが説いた愛です、孔子が説いた仁、つまり思いやりです、そして釈迦が説いた慈悲の心です。そしてこれらに内包、共通しているのが「私より公を優先する心、行為」です。

「私より公を優先する」とは分かり易く言えば「私欲という自分の思いを少し抑えて公の為とみんなで考え行うこと」です。自分の私欲の心を少し抑えて、一人一人がみんなの為と考えることです。これは民主主義を示しています。そして「みんなの為」と考えるということは皆さん一人一人がリーダー、その群れのトップの立場に立って考えると言うことです。それは強い責任感をもって考えると言うことです。そのような心を一人一人みんながもって、みんなで考えれば最も正しい答えに辿り着ける確率が高くなるよ、ということです。これ以上に優れた方法が何かありますか? これが私の言う絶対善なのです。

その群れ社会にとって絶対的に正しいことは社会の安寧秩序であり、そのために最も優れた方法が「私より公を優先する事、つまり愛や思いやりや慈悲心」なのです。もちろんこれは最高の方法を示しているので一般的にはなかなかできないことです。しかしそれを目指す事こそが最もより良い社会が創れるのだ、と言う事なのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を...続きを読む

Aベストアンサー

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式組の人がいっぱいいます。そうした方々は、言葉の使用法の形式の方に興味が優先してしまい、たとへそこで使われている言葉が不完全でもそこで言っていることの内容や実態をなんとか理解しようという方向に興味を向けない傾向にあります。

「あんたの言いたことはなんとなく判るんだが、そのような言葉の用法はその内容と矛盾しており、間違っている」

などと言って、言葉の使い方が間違っているから、あなたの言う内容も間違いだ、などと考えてしまう人もいくらでもいます。だから、芯木さんが言いたいことの本質を論じようとするのではなくて、絶対の意味などの言葉の使い方がこだわった回答が多くなっているのです。

そのような人たちは、左を指差しながら、「右、右」と言っている人の心を察することができず、その間違いを言いつのる傾向があります。この場合、常識的に見て、指を差している方向をその発信者が言いたいのは明らかですのに。

物事を論じるためには、その内容も、その言葉の使い方も、両方とも重要です。しかし、その両方を同時に論じることにどれだけの生産性があるか、自明ではありません。大論文でもない限り、それを意識せずに両方とも同時に論じてしまうと誤解を招き、混乱さえ起こしかねません。ですから、何かを論じる場合には、内容か、形式か、そのどちらにより重点を置いているのか、文面から明確にわかるように書いておく方が、生産的な議論のやり取りができます。

ここでの主題は「公に対する奉仕」なのだと思いますが、例えば、「公」という言葉一つとっても、人によってその意味がだいぶ違い、芯木さんが言いたい意味では受け取ってくれない場合が散見されます。いわんや、「絶対」などという、一神教の影響を受けた西洋文化大好連中が好んで使う言葉は、哲学好みの人たちには刺激的すぎて芯木さんの言いたい内容よりも、その刺激的な言葉に拘ってしまう人がいくらでもいます。

出来るだけ刺激的な言葉を避けてご自分で言いたいことを表現することを工夫すると、芯木さんのご主張に賛同する方も増えるのではないでしょうか。また、どうしても「絶対」と言う言葉を使いたいならば、論述を始める前に、ここでのこの言葉は、、、、を意味するものとして特殊な使い方をしている、などと一言を入れておくと、読者もそのつもりで読んでくださると思います。

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式...続きを読む

Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Q<テロ事件が起こった時には加害者を裁判にかけずにその場で射殺するのが原則です。>はどう感じられますか

先日このカテで、chototu様が、次のような事項をご紹介されました。
<EU諸国は死刑廃止国なので、テロ事件が起こった時には加害者を裁判にかけずにその場で射殺するのが原則です。>
この射殺について、先達の皆様はどう感じられますか?
(私は、喝采の気持ちがありますが、やりすぎだな、とも感じています)

Aベストアンサー

そんな原則はありません。

むしろ警察当局としては「生きた状態で逮捕して、組織的な関与や資金援助などの後ろに潜む組織の存在などを知りたい」と思っているからです。

ただし「テロの犠牲になる罪のない一般人の命の重さを考えると、射殺しか手段が無ければ躊躇しない」だけです。
そしてその方針は正しいです。

日本もかつてテロ事件が多発した時期があります。日本赤軍などがテロを多数行った1970年代前後の時期で、1970年(昭和45年)3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした「よど号ハイジャック事件」は有名であり、その後の多数のテロ事件の引き金になっています。

この事件の時、ハイジャックされたJALのよど号は犯人グループの「北朝鮮へ向かえ」と言う要求に対して「燃料が足りない」と説得し、国内の板付空港(現福岡空港)に着陸しましたが、警察は突入の判断をすることが出来ずに北朝鮮に出発することを許してしまいました。実際にはソウルの金浦に一度降りたのですが、ここでも日本政府は政治的な判断ができず韓国警察または軍の突入ができなかったのです。

そのためテロは北朝鮮に着陸に成功し「日本政府は弱腰で、テロは成功する」というイメージを当時多数在った共産過激派グループに持たせてしまったのです。そのため70年代は共産主義者によるテロが多発し、1974年のシンガポール事件と在クウェート日本大使館占拠事件やハーグ事件・1975年のクアラルンプール事件・1977年のダッカ日航機ハイジャック事件などの「超法規的措置」につながっていったのです。

ハーグ事件はフランス政府も「超法規的措置」の判断をしていますが、これらに対してフランス国内では大きな批判が起き、またテロ組織に対して同様の措置を繰り返す日本政府に対しても批判が強く起きるようになりました。

結局これらのテロ事件とその対応から各国政府が学んだのは「テロ犯に譲歩しても得るものは少なく、次の犯行その次の犯行とかえって犠牲者が多くなる」ということで、だからこそ「テロが起きたら断固たる処置をする」という現在の方針になったのです。

この方針からいえば「(テロが起きないようにするのはもちろんのこと)起きてしまったテロに対しては人質を犠牲にしてもテロ犯の要求はのまず、犯人を殺すしか犯行を中止する手段がない場合は躊躇せず射殺する」という方針になっていったのです。テロが中途半端に成功すると、次のテロが起き結局犠牲者がどんどん増える結果になるからです。

ですから「テロ犯を射殺する」のは「次の犯行と犠牲者を未然に防ぐ」と言う点で「合法」だといえます。ただし「本当にそれしか方法が無かったのか」という検証は常に必要であり、近年はテロ対策実行時の録画などをきちんとするようになってきています。

そんな原則はありません。

むしろ警察当局としては「生きた状態で逮捕して、組織的な関与や資金援助などの後ろに潜む組織の存在などを知りたい」と思っているからです。

ただし「テロの犠牲になる罪のない一般人の命の重さを考えると、射殺しか手段が無ければ躊躇しない」だけです。
そしてその方針は正しいです。

日本もかつてテロ事件が多発した時期があります。日本赤軍などがテロを多数行った1970年代前後の時期で、1970年(昭和45年)3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした「よど号ハイジャック事件」...続きを読む

Qあなたは幸せですか?

人間お金を沢山持ってても幸せと思わない人も居ます

宝くじで1等を引いた人の95%の人は不幸になるそうです

人生を幸せと思うかは個人個人それぞれで お金はなくても幸せと思う人も居ます。

ずばり あなたは幸せですか?

Aベストアンサー

お金がないと言っても、「全然ない」「あまりない」「普通にない」
「商売で資金が足りない」…色々あると思いますが、要は「必要」ということ、
を基準に考えています。

消費はキリがない部分がありますし、所有欲も同じでしょう。

プーチン氏は200兆円の資産があるそうです。
ジンギスカンは人類で唯一「京」の単位の資産を持っていたという説があります。

昔の知り合いで「超ドケチ」の金持ちがいましたが、それって貧乏と同じかなと思
いました。

自分のやりたいことに使う金を「必要」と考えます。そのために「稼ぐ」ことは大
いに結構で、しかし、それで終わってしまっては、やはり、貧しいと言えると思い
ます。

mokuzoさんが若い時に頑張って、今お金が使えるというのは、立派なことです。

金を使えるのも、「アクティブ」さの一つで、幸せである状態だと思います。その
点私は、まだまだで、これから今の30倍はできると思う。

Qもし、日本にキリスト教がもっと普及していたら?

アメリカでは、人口の70%がキリスト教徒だそうです。
日本では、キリスト教徒は人口の1%です。その割には、クリスマス、バレンタイン、ハロウィンなどキリスト教の行事が盛んですが。
それはさておき、
もし、日本に、キリスト教が、もっと普及していたら、日本は変わっていたと思いますか?日本の社会や国民性は変わっていたと思いますか?もしそうなら、どのように変わっていたと思いますか?

Aベストアンサー

日本は「宣教師の墓場」といわれていたくらいで、西洋では知識階層の宣教師の論法が日本の農民に論破されるくらいですから、普及することはあり得ないと思いますよ。ザビエルが日本を撤退するとき、「ほとほと疲れた」と書いています。

インドが200年イギリスに支配されてもキリスト教が布教できなかったり、中国にも景教以外のキリスト教はほとんど入っていません。アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など)に対抗できる精神的風土を持つ国にはキリスト教は進入できませんでした。持っていなかった韓国のキリスト教はカトリックやプロテスタントではなく、カルト教会が大部分で、代表が統一神霊協会です。


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