アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

故人の映画監督や、俳優などの作品の最後にありがとう乗せる風習に違和感を覚えます。

私の記憶が正しければ、昔は冥福をお祈りします。と言った違う言い回しだったように思います

これなら分かるのですが、死んだ人の名前を出してありがとうと言われても、

そこまで熱心なファンでもないと、
痛いファンの陶酔を押し付けられたような違和感を覚えます

距離感がおかしいとおもうのですが、
これは、考えすぎでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • すみませんが、最後のテロップが変わった事を覚えているかどうかも教えてください。

      補足日時:2019/04/19 23:26
  • 冒頭に作者との関わりを紹介して、急遽組んだ上での、ありがとうでした。
    理解出来たので、これて締めたいと思います

      補足日時:2019/04/20 13:54

A 回答 (4件)

珍しいですよね。

ルパン三世だから少し変わったことをしたのかな?冥福か献げるか、違う言葉が一般的ですが。コナンたのしみにしてたので、少し悲しかったです。せめてコナンとルパンの劇場版にして欲しかった。ルパンファンなら喜んだかも知れませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

途中から見たので知りませんでしたが、
どうやら、冒頭でモンキーパンチさんとの関わりについて流していたそうです。
それを考えると、最後にありがとうと言うのも理解できました。ありがとうございます

お礼日時:2019/04/20 13:41

もともと少年漫画の言葉遣いに私は違和感を覚えるので、それもその一環のように感じるというか、私とは相いれないものであり、門外漢の私がどうこう言うことではないと思っているという感じです。



例えば、そもそも漫画家を頑なに「○○先生」と呼ぶこと自体に私は違和感をおぼえます。政治家だって小説家だって、こんなにも先生呼ばわりはされません。でも誌面などでは必ず「○○先生にお便りを書きましょう」のような表現を昔から見かけます。それも小学生相手の雑誌ばかりではなく、青年誌でも見かけます。

編集者が作家を「先生」と呼ぶのは当然です。しかし、そこに読者を巻き込むのは、例えば、自分の祖母でもない人を「おばあちゃん」と呼ぶのと似ていると感じてしまいます。おっしゃる画面は実際に観てみないとわかりませんが、ニュースなどで様子を知るにつけ、同じ類いの違和感を覚えます。それは製作者からその人への感謝の思いを綴っているように一見すると思えますが、少年漫画ワールドのファンたちを巻き込んで、みんなで親しみを持ってその人の、魂を鎮めるのではなく、その功績に対して前向きな気持ちを向けようとする気持ちが見え隠れしています。絵文字が多すぎるメールを見た時の違和感にも似ています。

それはそれでいいのですが、私はそこに巻き込まれたくはありません。私は遠くから、一人の作家でありアーティストであるその人に、私が慣れ親しんできた画風を世に送り続けてきたその人に、長年の感謝を個人的に贈りたいです。でも、とかくアニメ作品は観客との一体感をあおりたがるのでしょう。それは素晴らしいことです。そして私は残念ながら、その観客の仲間にはなりたくないのだと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。冒頭でモンキーパンチさんとの関わりを放送して、これも急遽放送したそうです。
これは受け手の事は考えてなく、ただ作り手が言いたかっただけなので、納得出来ました。ありがとうございます

お礼日時:2019/04/20 13:48

「ありがとう」っていうのは観たことがないですね。


撮影中は存命で公開前に亡くなった例などで
「○○に捧ぐ」なんてのは外国映画ではよく観ますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。私も今日放映された、ルパン三世ではじめてみました。

○○に捧ぐなら、納得出来ます。

お礼日時:2019/04/19 23:42

どうぞ違和感覚えといてください。


その違和感について正当性とか共感求めるようなことしなければどう感じても構いませんよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

テロップが変わったと知ってその発言なのか、知らないでその発言かで受け取り方が大分変わってくるんですけどね。。

お礼日時:2019/04/19 23:24

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!