マンガでよめる痔のこと・薬のこと

至急です!!
第一次世界大戦後でどのような変化があったか、欧米を中心に説明をお願いしますm(_ _)m

A 回答 (1件)

帝国主義間の集団的自衛権思想の破綻 


19世紀末から帝国主義諸国はイギリスの3C政策、ドイツの3B政策に見られる世界戦略を推し進め、アフリカ、中東、南アジア、中国、太平洋地域で世界分割に狂奔していた。バルカン半島ではロシアの南下政策とオーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合による対立がバルカン問題として深刻化していた。当時は、帝国主義国が軍事同盟を結んでバランスを取ることによって抑止されるというビスマルク外交以来の集団的自衛権を根拠とした国際理念が通用しており、世界戦争は回避あるいは抑止されるとみられていたが、それはサライェヴォの一発の銃弾でもろくも破綻したといえる。

戦火の拡大と総力戦化 
戦闘はほとんどヨーロッパのドイツの東西で東部戦線、西部戦線で展開されたが、他にトルコの周辺の西アジア、ドイツ勢力圏の及んだアフリカ、中国でのドイツ権益に対する日本の攻撃など、地球的規模で戦争が広がった。また、初期の想定に反して戦争は長期化し、各国とも戦闘力を維持する国内経済、産業、動員態勢の強化を迫られ、一部の専門的な職業軍人だけが戦う戦争ではなく、国家を挙げた総力戦とならざるをえなくなった。

大量殺戮兵器の出現 
また戦争の形態は高度に技術化され、飛行機、潜水艦、毒ガスなど新しい武器を出現させ、戦争は戦闘員のみならず、一般市民をまきこみ、広範な犠牲を人的、物的に及ぼす戦争となった。このような戦争形態の変化は約百年前のナポレオン戦争に萌芽があったが、第一次世界大戦で徴兵制度、国民動員、科学技術の戦争利用、秘密外交などの現代の戦争の要素がさらに鮮明となった。

アメリカの参戦とロシア革命 
戦争の長期化、戦線の拡大、国民生活への犠牲の増大は、次第に各国での厭戦気運を高めていったが、決定的な転換点となったのは、1917年5月のアメリカの参戦と11月のロシア革命(第2次)であった。アメリカの参戦は西部戦線におけるドイツの前進を阻み、ロシア革命は東部戦線での単独講和の可能性を生み出した。ドイツ国内でも兵士・労働者のドイツ革命が起こったことによって1918年11月に戦争は終結した。
集団安全保障の理念への転換 翌年パリ講和会議が始まり、1919年にヴェルサイユ条約として講和条約が締結され、新たな国際的平和維持機構として国際連盟を発足させ、集団安全保障を新たな国際理念とする世界に転換した。しかし、ヴェルサイユ体制と言われる戦後体制は様々な問題点をかかえ、大戦後のファシズムの台頭、アジアの民族主義の台頭という新たな試練に耐えなければならなくなり、20年後の1939年の第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできなかった。

民族独立の動き 
一言で言えば第一次世界大戦は帝国主義国家間の領土的野心の矛盾が修復できない飽和点に達して起こったのであるが、帝国主義の犠牲となっていた植民地・被抑圧民族にとっては自立の好機となった。民族自決の理念の下に、ヨーロッパの旧帝国の抑圧を受けていた諸民族(東欧諸国など)は自立したが、インド、中国などの民族運動はさらに抑圧が続いた。中東ではオスマン帝国の崩壊に乗じてイギリス・フランスによって新たな勢力圏分割が行われ、さらにユダヤ人国家の建設が具体化することによって、現在に続く中東問題の原因を作った。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2019/04/23 17:09

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本の国旗って韓国の国旗を真似したんでしょうか?

日本の国旗って韓国の国旗を真似したんでしょうか?

Aベストアンサー

太極旗は、李氏朝鮮(高宗)時代の1883年が最初
日の丸は、1870年制定

Q平成、30年間の教訓を教えてください。 日本人は30年間で何を学びましたか?

平成、30年間の教訓を教えてください。

日本人は30年間で何を学びましたか?

Aベストアンサー

政治家、官僚達の無能さ。

失われた20年。
未だに続く長い不況。

同じバブルを経験したドイツはとっくに
立ち直っているのに、日本は相変わらずズタズタです。

これは少し景気が上向くや利率を上げてきた
日銀の政策が原因です。

安倍内閣も、消費税を増税したり、社会保障費を
上げたりして、似たような政策をとっています。


少子高齢化にしても、あんなのは半世紀以上も前から
指摘されていたことです。
政治家、官僚は何もしてきませんでした。
そのツケが、平成になって表れたのです。




平成、30年間の教訓を教えてください。
日本人は30年間で何を学びましたか?
 ↑
国など頼りにならない、という教訓を得ました。
自分でなんとかするしかない、ということを
学びました。

Q第二次大戦時、ドイツは武器調達用の資金はどこから来ましたか?

ドイツは第一次大戦で敗戦国となり、その賠償金もめちゃくちゃ高額な額だったと思うのですが第二次大戦では相当高度な武器を短期間で調達できています。こんな資金はどこから来たのでしょうか?

Aベストアンサー

> こんな資金はどこから来たのでしょうか?

一言でいうと、お金は後払い約束から来ていました。実際にはお金がなかったわけです。具体的には国債や手形を駆使しました。実質的にナチスは後払い約束を踏み倒しました。

まず、普通の税収ではばく大な軍事支出をまかなえなかったので、国債発行でもお金を得て、軍需企業に支払います。すなわち、軍需企業に対しては後払いではありませんが、国債は後で償還(返済)しなければならないので、結局は後払い約束によって資金を得ていたことになります。しかも、償還期限が来ても借換債を発行すれば、実質返済せずに借り続けられるのです。
さらに、それでも足りずに、メフォ手形というのを発行しました。手形とは、まさに後払い約束(の証文)ですが、メフォ手形は異常なものでした。軍需企業としては損害がない(ライヒスバンクが割り引いて買い取ってくれた)のですが、その買い取った手形については、支払期日が来るたびに延長手形が振り出されました。前述の借換債と同様、結局は償還せずに借り続ける状態ということです。しかもライヒスバンクはドイツの中央銀行(日本で言えば日銀)ですから、国家ぐるみの手形詐欺のようなものでした。

以上から、ネトウヨ歴史学の不備も分かってきます。
まず、「国債ではなく手形を使った」というのは変で、実際は軍事費をまかなうのに国債も手形も使われました。いわば、ナチスはドイツを二重抵当に入れて二通りの借金をしたわけです。
「軍備目的の資金を彼らが出すとも思えませんし」もまた誤りで、英米の資本もドイツの再軍備を助けていました。これは歴史の皮肉というものでしょう。
「手形では通貨の流通量は増えない」も誤りでしょう。通貨の定義は複数ありますが、手形も通貨に含まれることが多いので、手形で通貨の流通量は増えることになります。ただし、手形は、物資やサービスの価格を超えてまでの信用創造はおこないません。一方、インフレになるのは、世に存在する物資やサービスの総合計に見合わない、それを超えた通貨が発行される(創造される)場合です。手形は、生産された物資やサービスに見合う分だけの通貨を増やすのであって、超えては増やさないわけです。
「支払い前は」なんて書いてますが、紙幣や硬貨だけが通貨と思っているのでしょうか。

> こんな資金はどこから来たのでしょうか?

一言でいうと、お金は後払い約束から来ていました。実際にはお金がなかったわけです。具体的には国債や手形を駆使しました。実質的にナチスは後払い約束を踏み倒しました。

まず、普通の税収ではばく大な軍事支出をまかなえなかったので、国債発行でもお金を得て、軍需企業に支払います。すなわち、軍需企業に対しては後払いではありませんが、国債は後で償還(返済)しなければならないので、結局は後払い約束によって資金を得ていたことになります。しかも、償還期...続きを読む

Q豊臣秀吉が人身売買を許せないとしたことについて

織田信長はキリスト教の布教を認め日本各地にキリスト教が広まりました。その後を継いだ豊臣秀吉は、キリスト教布教に対し見せしめのためにバテレンを始め幼いキリスト教信者まで死罪にするなど強い弾圧を行いました。その理由のひとつに、秀吉は婦女の人身売買に宣教師が関わっていたことを知りキリスト教に怒りを持ったという説を何かで知りました。
この説は真実なのでしょうか。

Aベストアンサー

真実です。ほとんどの人が知りませんが、戦国時代には日本人の考える「人身売買」と西洋の「人身売買」は全く異なるものだったからです。

西洋の人身売買、奴隷制度、というものは「人間の形をした家畜」「元々死んでいてもいいものを拾って使う」というところから来ています。
 それは古代の民族戦争で勝った方が「勝者の権利」で、負けた民族を皆殺しにしていたところを、奴隷商人などがお金で買い取って「人間の姿をした家畜」として方々に売ったところから始まっているからです。古代では「民族が違い、宗教がちがうなら人間ではない」のが普通だったからです。

日本も大和朝廷が成立する以前の「生口」などは同じ考えでした。豪族ごとに「自分のたちのコミュニティ」があり、それ以外の人は「同じ人間ではない」状態だったからです。これを変えたのが大和朝廷の成立でこれにより「朝廷に参加する豪族とその身内はすべて同じ人間」になったのです。

そのため奈良から平安期にかけて、人間を家畜として扱う奴隷制度は消えて行きました。鎌倉時代や室町時代など大きな騒乱があると奴隷制が復活するのですが、幕府は何度もそれを違法として取り締まっていきます。残ったのは「年季奉公」という概念だけ、つまり「人生の20年ぐらいを買い、その分の働きをしたら解放される」というものだけだったのです。(実際には女郎屋などは、化粧代や部屋代などを取って、なかなか年季が明けないようにしていました)

ですから、当時の日本人としては「家畜のように人が売買されて、一生奴隷として暮らす」と言うこと自体に拒否感があり、非常に野蛮なことだと考えられていたのです。当然、秀吉にもそういう感覚はあったでしょう。

宣教師は日本に来て非常に喜んだのは「日本では他の国の相場の1/3で奴隷が買える」ということです。当たり前でしょう。日本は20年(人生の1/3ぐらい)分の報酬で人身売買されていて、奴隷は一生なのですから値段が同じなわけないのです。

そのため宣教師は多数の日本人を口入屋から買い入れて外国に連れて行っていました。ところが何年経っても年季が明けず「お前は一生奴隷として買い入れた」と知った日本人が「騙された」と思って逃げてきたのを秀吉が知ったので激怒したのです。
 
 ちょうどその頃秀吉は関白職になり、関白は「天皇に変わって日本の運営に責任を持つ」役割だったため「大和民族が融和して奴隷制を廃止したのになんて野蛮なことをするのか!」と怒ったわけです。

結局それが原因になって、宣教師と軍事力の関係性などがだんだん明るみになり、南蛮の侵略方法が明らかになったので、のちの鎖国につながっていく、ということになるわけです。

真実です。ほとんどの人が知りませんが、戦国時代には日本人の考える「人身売買」と西洋の「人身売買」は全く異なるものだったからです。

西洋の人身売買、奴隷制度、というものは「人間の形をした家畜」「元々死んでいてもいいものを拾って使う」というところから来ています。
 それは古代の民族戦争で勝った方が「勝者の権利」で、負けた民族を皆殺しにしていたところを、奴隷商人などがお金で買い取って「人間の姿をした家畜」として方々に売ったところから始まっているからです。古代では「民族が違い、宗教...続きを読む

Q歴史についての質問なのですが、三国協商の加盟国を答える問題でロシア帝国と答えたらバツにされました。そ

歴史についての質問なのですが、三国協商の加盟国を答える問題でロシア帝国と答えたらバツにされました。それで、何故かと質問したらロシア帝国は存在しないみたいな事を言われました。どういう意味ですか?

Aベストアンサー

おかしいですね。

三国協商とはドイツ帝国の勃興に対抗して。イギリス・フランス・ロシア帝国の各国の間で締結された、
露仏同盟・英露協商・英仏協商によって作られた三国の協調関係を指した言葉とされていますよ。

ロシアは第一次世界大戦中にロシア革命がおこりますが、それまでは帝国です。

三国協商(ウィキ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8D%94%E5%95%86

Q天皇制は将来的になくなるのですか?

未だに歴史系の定番で平積みもみかける網野義彦による「日本の歴史をよみなおす」を久しぶりに読み返したら序盤でタイトルのような事が書いてありました。

この本自体は何年も売れている「歴史好きな人の入り口」の一つみたいな存在で、お世話になった人も多いかと思います。
その分色んな方の眼にもとまってると思いますが、この文章が批判されているところは今のところ私にはありません。
これも不思議です。

そこで質問ですが、タイトルについていかがでしょうか?

Aベストアンサー

この文章が批判されているところは今のところ私にはありません。
これも不思議です。
 ↑
保守的な人からは批判されていますが。




そこで質問ですが、タイトルについていかがでしょうか?
  ↑
氏はマルクス史観に基づいて、天皇制がなくなる
と主張している節があります。
そして、マルクス史観は過去のモノでしょう。

マルクス史観ではなく、他の理由でなくなる
可能性はあると思います。

例えば皇族男子がいなくなるとかですね。
共産党が与党になったとか、
中国辺りに征服されるとか。

天皇というのは必要があって維持されてきた
制度です。
簡単にいえば、数千万、億もいる人民を統治する
ツールとして有用だから、現在も残っているわけです。

従って、その必要性、有用性が無くなれば、天皇制も
なくなるかもしれません。

Qよく人は、酒に酔って覚えてない。 これってほんとだったらとっくの昔に外の道路で轢き殺されてますよね?

よく人は、酒に酔って覚えてない。

これってほんとだったらとっくの昔に外の道路で轢き殺されてますよね?

私、いくら酒飲んでも何もかも覚えてるけど。

体はふらつくけど頭は確か。

あり得ないわ。

こんなことで刑事事件が緩和されたら
たまったもんじゃない

Aベストアンサー

>ようは、その瞬間は記憶してるけどすぐさまその記憶が飛んじゃうっていうわけですか?
まあそんな感じですね。
海馬は短期記憶を司っているのですが、機能不全を起こして側頭葉の長期記憶に書き込む前にすっ飛んじゃうって感じらしいです。

Q世の中って時が経つほど当たり前のように技術が進歩するのでしょうか?

世の中って時が経つほど当たり前のように技術が進歩するのでしょうか?

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

反例を挙げてみたいと思います。


古代ローマ帝国は上下水道を完備してましたが、近代ヨーロッパになると、し尿を直接川に流したりして伝染病を蔓延させていました。


また2000年以上前の、ギリシャの賢人たちは地球が丸い事も地球が太陽の周りを回ってる事も知っていましたが、17世紀頃のヨーロッパでは聖書が幅を利かせて天動説がまかり通っていました。

Aベストアンサー

世の中って時が経つほど当たり前のように技術が進歩するのでしょうか?
 ↑
そんなことはありません。
石器時代の何万年の間は、技術など
ほとんど進歩しませんでした。
技術が急速に進歩し始めたのは、ここ数百年の
間です。

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

古代ローマ帝国は上下水道を完備してましたが、近代ヨーロッパになると、
し尿を直接川に流したりして伝染病を蔓延させていました。
また2000年以上前の、ギリシャの賢人たちは地球が丸い事も地球が太陽の周りを
回ってる事も知っていましたが、
17世紀頃のヨーロッパでは聖書が幅を利かせて天動説がまかり通っていました。
  ↑
技術の進歩は直線的でないこともありますよ。
ジグザグで進むこともあります。
しかし、長期的にみれば進歩しています。

Q歴史の質問です。 日中戦争によって日本が対立を深めるアメリカ、イギリス、オランダ、フランスに共通する

歴史の質問です。

日中戦争によって日本が対立を深めるアメリカ、イギリス、オランダ、フランスに共通することはなんですか?

Aベストアンサー

当時、東南アジアに植民地を持っていたということでしょうね。。アメリカはフィリピン、イギリスはマレーシア、ミャンマー、シンガポール、香港、オランダはインドネシア、フランスはベトナム、カンボジア、ラオスなど。

Q清の康熙帝・雍正帝・乾隆帝が日本侵略を考えなかったのはなぜですか?

清の最盛期は長く、康熙・雍正・乾隆帝の全盛期は130年以上に及び、モンゴル帝国に次ぐ広大な領土を支配しました。
日本ではちょうど江戸時代にあたりますが、その当時の日本が清を恐れていたような記録はなく、清も日本を侵攻しようとは考えなかったようです。

意図していたわけではないと思いますが、相互不可侵の紳士協定が結ばれていたような感じです。
あれだけ領土拡大意欲の強かった清が、日本に対しては一切手を出さず、朝貢を求めるような素振りもなかったのはなぜでしょうか?

Aベストアンサー

小規模な貿易は行われていたようですが、秀吉や倭寇影響か、あまり良い国交関係とは言い難かったようですね。

前王朝の時、倭寇対策が大変だった。
江戸時代になって、おとなしくなったので、あえてちょっかいを出す必要はなかったのでは?

さらに言うと、そのためもあって、清王朝でも海上交通に制限をかけていた。
そして朝貢貿易以外、むしろ鎖国に近い政策だったことも要因の一つではないでしょうか。


人気Q&Aランキング