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社会の質問です。

日本は、なぜアメリカとイギリスに宣戦布告したのでしょうか。

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A 回答 (9件)

>日本は、なぜアメリカとイギリスに宣戦布告したのでしょうか。



回答:アメリカが日本を潰そうとして、宣戦布告をしないで戦争を仕掛けてきたからです。


アメリカはロシアを破った日本を警戒するようになりました。
アメリカでの日本人移民の勤勉さも恐れていました。
(大正までにカリフォルニアで開拓された農地の80%は日本人移民によるといわれています)
その為に、自国内で日本人移民への迫害政策をしたり、支那で反日を煽る工作をしています。
更に、世界で最後に残った支那の市場を狙っており、そこから日本を排除しようとしました。


1906年には、新聞はデマ(日本軍ハワイに上陸 日本がメキシコと同盟 日本がアメリカに最後通牒を送る等)を流しています
支那大陸で反日を煽っています。

1913年:第一次排日土地法 カリフォルニアの土地の日本人所有を禁止、借地期間を3ヵ年に制限。

1920年:第二次排日土地法 日本人の借地も禁止。移民の子供(アメリカ人)の土地所有も禁止。
この後、同じ法案が他の州でも成立

1924年:絶対的排日移民法 日本人はアメリカに帰化できなくなる。



そして、日中の紛争にはアメリカは国民党に支援をする一方で日本には経済制裁(資源の禁輸)をや、軍隊(フライングタイガース)の派遣を行っていました。

1938年 航空機の対日輸出を禁止
1939年 通商条約の半年後の失効を通告
1940年 多くの対日輸出に統制を行う
1941年 米国人が蒋介石の政治顧問になる。フライングタイガース派遣。
1941年7月26日 日本人の在米資産凍結。

1941年11月26日 ハルノート提示


このような行為は、国際法では戦争行為とみなされます。
(→真珠湾以前からアメリカは宣戦布告をしないで戦争を仕掛けていた)


上記のアメリカの行為について、ローガン弁護人(東京裁判の日本側弁護人)は、

「これらの経済制裁は武力による戦争行為とかわらず、むしろより激烈なものであり、対中・対日政策は、交戦状態にある他国に対する、中立国の行為として公平なものではない」

と述べています。

パール判事(東京裁判裁判官)も同様の事を語っています。

【「宣戦布告」をせずに戦争を仕掛けたのはアメリカだった フライング・タイガース】(動画)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm30717527
《1:05 「国際法の基本原則によれば、もし一国が武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出し禁止し、他の当事国に対して積み出しを、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、そのその紛争に軍事干渉することになるものであり、宣戦布告の有無にかかわらず、戦争の当事国になるものである。」
(東京裁判裁判官ラダ・ビノード・パール※国際法の世界的大家)》


東京裁判での日本のこれらの主張は連合国に無視され、戦争の全ての責任は日本に押し付けられました。

「社会の質問です。 日本は、なぜアメリカと」の回答画像9
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ドイツの勝ちに便乗するのが正解と、信じてた。

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外交がクソ下手だったから。


今でも変わってないけどね・・
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あなたが添付した画像に書いてありますように、ABCD包囲網ってのは経済制裁。

特に鉄鋼や石油など工業資源の大半をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとっては死活問題です。このまま経済制裁が続き、資源を入手でき、市場にもなる手段である大陸からも手を轢けと言われれば、早晩日本が経済的飢死に至るのは目に見えていました。
 それに1940年以降はアメリカ海軍の建艦計画によって続々と新型戦艦や空母が就役することがわかっていましたので、日程を伸ばせば戦力差は拡大する一報。手持ち燃料のあるタイミングがここだったということ。
 イギリスにも宣戦したのはアメリカと関係が深かったということと、中国大陸に次ぐ資源入手先である東南アジアを支配していたってことが理由ではないですかね。
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①アメリカは日本に「中国から手を引け」と迫っていた。


②日本は「それはできない」という立場だった。
③このままいけば経済制裁からさらに軍事衝突になることは目に見えていた。
④ところがアメリカと日本では国力が段違い。例えば鉄鋼生産量は日本の20倍~50倍。石油も自国でとれる。軍備拡充能力が段違いである。
⑤このまま時を稼がすとアメリカに手も足も出なくなる。やるならいまだ。という意見が大勢を占めるようになった。
⑥最終的にこれに海軍が同意し蔵相、外相も折れ、天皇も裁可、開戦が決定する。

⑦アメリカとイギリスは同根であり、アメリカを敵に回すということはイギリスをも敵に回すということであった。
 かつて日独伊三国軍事同盟の可否を巡って海軍が徹底的に反対したのは、
 ドイツと同盟を結べばその敵であるイギリスを敵に回し、ひいてはアメリカも敵になる、という理由からだった。
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そもそもですが、どうして明治維新が


興ったか。

高杉晋作等が、上海に出かけて、そこで
奴隷化されている中国人を目にして
危機感を抱いたのが、出発点です。

このままでは、日本もこうなる。

それ以降、日清日露戦争などは、
植民地にはされないぞ、という行動が
基本になっています。


当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」
また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。
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国際法に従ったからでしょう。

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何もしないと経済制裁で日本が死ぬから。



ハルノート
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB …
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大東亜共栄圏を確立させるためですね。

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