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これまで数千人の命を救ってきた天才外科医1人の命となんの取り柄もないニート50人の命。どっちが大事ですか?

A 回答 (10件)

政治や経済、そして社会の利益から考えれば、天才外科医1人の命のほうが大事です。



でも、人道的にはどちらも大事、と云うしかありません。

宗教的には、ニート50人の命のほうが大事です。
本質的には、数は関係ありませんが、あえて選択するならと云う事です。
なぜかと云えば、天才はニートよりは理性という点において、数段神に近いという立場を確保しているからです。

だから神は、神にとっての遠い存在である“弱者”への想いが強いのです。
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この問題は天才外科医1人が乗った船とニート50人が乗った船が同時に沈没している。

しかし一つの船しか助けることはできない。さあ、皆さんどちらを助けますか? 

またはこの問題はトロッコ問題と同じと考えてもいい。どちらを救うのか、さあ、皆さんどうしますか?
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そもそも比較できるはずがない。

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命の尊さは同じです。



また、寿命はその尊さとは関係ありません。
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質問の意味がわからん笑

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まずはそんなことを比較しなければならない事態にならないようにすることが大切です。


つまり限界を越えさせようとしあうことからの悪循環の改善。
エントロピー増大の地滑りに対して
減少のくさびとして機能することの大切さ。
ということになると思います。
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哲学から離れて、


日本の法律の場合は、50人を殺せば死刑で、一人を殺しただけなら有期刑になる可能性が高いです。
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比べようがありません。


肉と魚とどちらが美味しいか
空と海と山、どこが一番美しいか
本と映画とどっちが面白いか
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哲学に関係なく、「人による」

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その選択は個人の自由です。

哲学ではね。
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Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Q国家とは?

国家とは?

Aベストアンサー

二階建ての構造に成っていると捉えるとよいでしょう。

《一階:スサノヲ市民社会 ‐ 二階:アマテラス公民圏》連関として。

・ アマテラス公民圏:アマテラス公務員+アマテラシテ(元首)

・ アマテラシテ(元首):国王・象徴・大統領

・ 主権在民にもとづき 二階の権力は やがて一階に大政奉還す
るようになるでしょう。

・ 一階である世界のムラ・ムラ(市町村)が互いに連帯して 第
二階としての・狭義の国家を主導する世界的な共同自治のシステム
に移って行くことでしょう。
(インタナショナルなインタムライズムと言います)。

Q人間が人間を超えるものをつくること

たとえば、情報工学の先端でAIの研究に携わっているとしましょう。
すべてにおいて人間を超える可能性を秘めているものを対象として目の前におくとき、主観は常に対象を客観視できるでしょうか。
人間が人間を超えるものをつくる、ということは、あえて極論を言いますと、人間が人間を滅ぼすというポテンシャルを含み持つことです。
IT化による効率性、利便性は今や否定できません。
ITシステムが修正を繰り返し生き延びる様は人間のようであり、自ら学習を重ねて賢くなる人工知能AIはいつか人間を超える存在になると言われます。
そのようになると想定される場合に、果たして人間は冷静に客観である対象に向き合えるものでしょうか。それとも、専門家のあいだでは人間を超えることはないという根拠があるから、冷静に研究開発を続けられるのでしょうか。
もしそうならば、それを開示して世の中の不安も同時に払拭していく責任も同時にあると思うのですが、皆様はどのように思われますか?

Aベストアンサー

#14です。お礼ありがとうございます。

>ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

頭のいい人たちはすでに19世紀初頭に警鐘を鳴らしていますよ。
たとえばJ・J・トールキンは「人間らしさ」を「自然(精霊や斎もの)との交流と恐れが人間の本質である」としてそれが失われる前に指輪物語を書きました。指輪物語で人間以外が西の国に行ってしまうのは、まさに19世紀が「機械に人間が乗っ取られ、人間性を失う時期」だったからです。

同様にラフカディオ・ハーンは日本に来て「まだ人間性が残っている今のうちに記録を残そう」と小泉八雲として様々な小説を著作しました。

「メトロポリス」なんていうデストピアを描いた映画もありましたね。

どれも19世紀末から20世紀初頭の作品で、この辺りが機械を発明した第一世代から、機械と共存する第二世代に変わった時期なのでしょう。それから先はコンピューターでもAIでも機械化の延長にすぎないわけです。

人間のほとんどは「科学文明と共に生きること」を選んだのです。そのほうが「犠牲はあるかもしれないが、少なくとも自然の中で恐れて生きているよりは幸せである」と考えたからです。

実際、20世紀の科学進歩はすさまじく、それ以前の不治の病とされた天然痘は撲滅、ペストなどは激減、結核は治るようになり、飛行機を使えば1日で世界一周できるようになりました。機械を使うことによる犠牲者はあるものの、全体で見れば「機械のおかげで人は死ななくなった」のです。

ですから、今後もAI化などは「ほとんどの人が疑問を持たずに」進んでいくのだと思います。でも結局人間はそれで幸せなんだと思いますよ。

私には子供が居ますが、20世紀初頭の乳幼児の死亡率は50%以上だったわけです。つまり10人産んでも5人しか残らない社会で、ほとんどの人が「長生きできなかった兄弟」を背負って生きていたわけです。父母の、特に母親が自分でお腹を痛めた子を失う辛さと残酷さは悲劇以上のものだったでしょうが、たった100年前はそれが普通だったわけです。

今は乳幼児の死亡率は先進国なら数パーセントしかありません。

私は「人類が科学技術を捨てて『人間性を取り戻す』ことを望むのか?」と聞かれればNOだと思います。その代り人間は「機械とうまく付き合っていく」しか道はないのだと思います。

>人間はAIの奴隷。モルモット。

人間は自分で機械・技術の檻の中を選んだのです。アマゾンや砂漠地帯など一部の人間たちは拒否しています。ああ、インドに「文明を受け付けない島」があるようですが、そういう人たちはまだ「人間」なのでしょう。

でもほとんどの人間は自分たちで望んで、機械・技術に守られることを選んだのです。

#14です。お礼ありがとうございます。

>ああ、私たちはいつになったら悟るのだろう
人間を失ったことを

頭のいい人たちはすでに19世紀初頭に警鐘を鳴らしていますよ。
たとえばJ・J・トールキンは「人間らしさ」を「自然(精霊や斎もの)との交流と恐れが人間の本質である」としてそれが失われる前に指輪物語を書きました。指輪物語で人間以外が西の国に行ってしまうのは、まさに19世紀が「機械に人間が乗っ取られ、人間性を失う時期」だったからです。

同様にラフカディオ・ハーンは日本に来て「まだ人...続きを読む

Q玉ねぎの哲学

玉ねぎはふしぎな野菜。どこにでもころがっているありふれた野菜だが、切ろうとして包丁を入れると、泣けてくる。それはもう、パブロフの犬みたいに。

だから、みじん切りにするときは、冷蔵庫で思いっきり冷やしてやる。すると、幾分おとなしくなる。

ときどき、根を自分の中に張り巡らそうとしている玉ねぎを発見することがある。
外部に養分を求めるべきなのに、これは自己矛盾といえる。
自分をむさぼることで生存を図ろうとする。ようにも思える。

ともあれ、玉ねぎは万能野菜。料理の味をまとめてくれるすぐれものでもある。
皆さんは、どんな玉ねぎ料理が好きですか?

Aベストアンサー

飽和水蒸気爆弾(edible onion)を食べたいです

Q生まれた時にもらったのは、いつか訪れる死である?

私達が生まれた時に貰ったのは
いつか死ぬということ

ソクラテスは

死は
人間の持っているすべての恵みの中でも
最高のものである

と言いました

それは
死がなければ
生きることが生きることではなくなるからでしょうか?


ソクラテスの言葉をどう解釈されますか?

Aベストアンサー

ソクラテスの言葉、

「死は
人間の持っているすべての恵みの中でも
最高のものである」

に付いて、わたし流の気付きが有りました。

もしかするとソクラテスは、釈尊が云うところの「生とは苦である」と見ていたのではないかと。釈尊は人の楽しむ姿さえも、苦であると観た様ですが、ソクラテスがそこまで見たかどうかは分かりません。

No.6さんの意見と同じ、でしょうか。
グッド!は別の人に付けましたが。

ただ、文章の脈絡が明らかになれば違った解釈になるかも知れません。

Q「陰謀と戦略、沈黙の兵器」とは

あなたが考える「陰謀と戦略、沈黙の兵器」とは、何でしょうか。
自由な発想でご回答ください。

Aベストアンサー

スイス政府が一般家庭に配った『民間防衛』という小冊子によると「武力を使わない情報戦争」は次の手順で行われるとのことです。  

《第1段階》工作員を政府中枢に送り込む。

《第2段階》宣伝工作。メディアを掌握し、大衆の意識を操作する。

《第3段階》教育現場に入り込み、国民の「国家意識」を破壊する。

《第4段階》抵抗意志を徐々に破壊し、「平和」や「人類愛」をプロパガンダに利用する。

《第5段階》テレビなどの宣伝メディアを利用し、「自分で考える力」を国民から奪ってゆく。

《最終段階》ターゲット国の民衆が無抵抗で腑抜けになったとき、大量植民で国を乗っ取る。

Qキリスト教や仏教やイスラム教やヒンドゥー教等は 何とか統一できないものか?

宗教が統一できれば世界的に平和にも近づくのではないでしょうか

どうやるのかは分かりませんが 統一教会はキリスト教の神霊を統一しようとして失敗した

キリスト教に拘らず 全ての人に 無宗教の人にも納得の行く教えを練り出せないものか?

まずはそれらの宗教の代表が会議してる様なので もっと危機感を持って

自分から変わる意識を持って 緊張感を持って月に一度でも2週に一度でも会議を2,3日

かけても何とかして宗教が協力して進化する様な宗教哲学を活性化出来ないものでしょうか?

Aベストアンサー

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調することを目的とする
等が挙げられます、

柳沼正広氏による第2章「キリスト教と諸宗教 宗教の神学」では、
キリスト教が他の諸宗教をどのように考えてきたかが述べられています。
諸宗教に対する考え方として、
排他主義、包括主義、多元主義、多元主義への批判を取り上げています。
他宗教を理解する努力のなかで、
自身の宗教への理解や反省が深められていく
宗教間対話の持つ重要性について論じています。

中国における中心的な思想である儒教に対して、
外来宗教である仏教と、儒教より後に成立した道教が
、自らの立場を主張しつつ、互いに交流と対話を
行ってきた歴史を辿っています

統合、に必要なものは「信」です
「不信」が統合を不可能にしています
宗教間の争いを無くすには
信頼関係を結び、友好、交流活動の継続しかありません

信は  結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調...続きを読む

Q人の強さとは何ですか?

人の強さとは何ですか?

Aベストアンサー

人の強さとは、いざという時に小異を捨てて大同に付けること。

過去の歴史を振り返ると、どうやら民族にはそれができる民族と、いざという時に内部で喧嘩が始まり、足の引っ張り合いを始めてしまう民族があるようです。

例えばアメリカを見ていると、平時には内部で喧嘩ばかりしている。ところが、いざという国難に会うと、彼らは一気に纏まるんですね。これがアメリカの強さなんだと思いました。そういえば、前回の東京オリンピックの時にあれって思ったのは、普段政府の邪魔ばかりしていた当時の野党の旧社会党が、オリンピックが開催されると決まったら、挙国一致で政府に協力し始めた。なるほど、これが日本の底力の強さなんだと思いました。

それと対照的だったのが、ソウルオリンピックの前夜でした。彼らはオリンピックの開催が決まると、これ幸いと野党勢力が外国に向かって国の与党の非をまくし立てていました。オリンピックが近づいてくると、本当に開催できるのか、世界中の人々をやきもきさせていたのを覚えています。

中国もしかり、平時の時は威勢が良くて一見まとまっているように見えるのですが、いざという時には人々は国を信用せずに、纏まらずにてんでバラバラに逃げ惑って、張子の虎と揶揄されてきた歴史があります。

なるほど、民族の中には指導者的な地位につける民族と、いつまでたってもそのような地位につけない民族があるのだと思いました。

明治維新前夜、日本の存亡の危機に晒されたとき、勝海舟と西郷隆盛の合意で、国が分裂することなく一気に纏まった。これが日本を欧米の列強から救いましたね。

私がかつて疑問に思っていたことは、江戸末期に桜田門外の変の時まであれだけ歴史の前面に出ていた水戸藩が、その後パタッと歴史から姿を消してしまったことでした。後に山川菊栄の『武家の女性』を読んで知ったのですが、この日本の存亡が掛かっている大事なときに、水戸藩は内部分裂をして、諸生党と天狗党に別れて殺し合いの死闘を繰り広げていたのでした。なるほどこれじゃあ水戸藩が指導的立場に立って日本を救うことなんてできないと思いました。

危機に際して纏まることが出来る、これが人の強さなんですね。

さて、日本に今後いざという時が来たら、かつての日本人のように、日本は纏まることができるのでしょうか、それとも、内部で足に引っ張り合いが始まるのでしょうか。

人の強さとは、いざという時に小異を捨てて大同に付けること。

過去の歴史を振り返ると、どうやら民族にはそれができる民族と、いざという時に内部で喧嘩が始まり、足の引っ張り合いを始めてしまう民族があるようです。

例えばアメリカを見ていると、平時には内部で喧嘩ばかりしている。ところが、いざという国難に会うと、彼らは一気に纏まるんですね。これがアメリカの強さなんだと思いました。そういえば、前回の東京オリンピックの時にあれって思ったのは、普段政府の邪魔ばかりしていた当時の野党の旧社会...続きを読む

Q引き籠もりは 未来社会のネガ(陰画)であり KY は 草の根民主制への第一歩である。

1. 民主制では わざわざクウキを読む必要はなく クウキをかたちづくる
必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。

2. ところが 日本人にあるまじき KY だ・ニートだと言って それを読め・
それに従えという意味でのクウキは このいわば白紙であるという意味での空
気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとした結果状態であり その手段
じたいであるだろう。

3. いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程の
中に持ち込み人びとを丸め込もうとするときの思潮やまた圧力と感じられもす
る雰囲気のことである。

4. この国には お上には逆らえない・長いものには巻かれろ・寄らば大樹
の陰といった《アマアガリ・シンドローム(公民アマテラスへの出世指向)》
が人びとの心の中に見られる場合がある。

5. あるいはそのアマテラス公民のおこなうことは《あやまち得ない》とい
う無謬性なる神話が浸透していて アマテラス公民を無条件に信奉するという
《アマテラス予備軍症候群》がしばしば見られる。

6. これらの風潮がはびこっている――と ようやくその権威づけられた威
光がやや落ち目になってきた今 あらためて取り上げてみよう。

6-1. つまり この《伝統》なる風潮を読まないという KY は じつは 
未来社会への旗手である。

6-2. 引き籠もりは クウキに対する志向性に関する限り すでにいまシ
ャッターが押されて陰画として現われた未来社会の風景である。

7. たぶんその場合にも KY はダメだと言われるときのクウキはそれをも
読むことだけは読んでおいたほうがよいはずだが 読んだ結果として KY と
いう現象が起きても構わないし 起きたほうがひとは よりいっそう自由であ
る。

☆ どう考えますか?




8. なお最後にですが あらためて定義です。:

  ○ KY の定義 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  広い意味での会議において 会議としての意志決定をするときに 
  言論をとおしてというかたちを超えて 
  おもにヨリ高い権限を有する者の意向を人々がすでに汲み取って
  ――必ずしもまだ発言されていなくとも噂で流されているところの
  意向をすでに忖度して―― 
  多くの参加者の意向がそれになびいていくとき 
  そのような同調という風潮を意に介さない傾向および志向性。
  
 ○ ニートや引き籠もりは そのクウキなる風潮に生理的にさえ嫌悪
  をも催す現象の結果あらわれる状態ではないか。また 佐渡へ佐渡
  へと草木もなびく群れを目の前に見せられては やってらんないよ
  と言った状態。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1. 民主制では わざわざクウキを読む必要はなく クウキをかたちづくる
必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。

2. ところが 日本人にあるまじき KY だ・ニートだと言って それを読め・
それに従えという意味でのクウキは このいわば白紙であるという意味での空
気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとした結果状態であり その手段
じたいであるだろう。

3. いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程の
中に持ち込み人びとを丸め込も...続きを読む

Aベストアンサー

パチパチパチ。

Q天皇を見たら 目がつぶれるか? そのうわさは いまどう変わったのか?

去る四月十日  天皇陛下即位30年奉祝感謝の集いで北野武が述べた祝辞
の中に 次のようなくだりがありました。

▲ (北野武、笑いと感謝込めた天皇皇后両陛下への祝辞全文 「日本とい
う国に生を受けたことを幸せに思います」) ~~~~~~~~~~~~
https://www.huffingtonpost.jp/entry/takeshi-kitano_jp_5cae98ade4b09a1eabf7855a

私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて、日
の丸の旗を持つ大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声
が聞こえ、旗が振られ、おふたりが乗った馬車が近づいてくるのが分かりま
した。

母は私の頭を押さえ、「頭を下げろ!決して上げるんじゃない」と、ポコポ
コ殴りながら「バチが当たるぞ」と言いました。

私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。

そうしないと、バチが当たって、急におじいさんになっていたり、石になっ
てしまうのではないかと思ったからです。

そういうわけで、お姿を拝見することは叶いませんでしたが、おふたりが目
の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ この種のうわさの内容は いまどう変わったのでしょうか?

① ただ世間の空気として流れていただけだから 世の中の変化とともに 
うやむやになった。それでよいのだ。・・・といったことでしょうか?

② いかに哲学と言えども そういうことは――お二階のそのまた雲の上の
ことは―― 万機公論に決する対象ではないのだ。このバカ! ・・・とい
うことになっているんでしょうか?

③ 例の《人間宣言》というものも ただの世間のうわさに過ぎない。つま
り そういった雰囲気を醸し出すような声明があったというだけで 決して
それが公式のものだとは思えない者の疑問です。《人間宣言》とは どこに
も書かれていないはずです。

去る四月十日  天皇陛下即位30年奉祝感謝の集いで北野武が述べた祝辞
の中に 次のようなくだりがありました。

▲ (北野武、笑いと感謝込めた天皇皇后両陛下への祝辞全文 「日本とい
う国に生を受けたことを幸せに思います」) ~~~~~~~~~~~~
https://www.huffingtonpost.jp/entry/takeshi-kitano_jp_5cae98ade4b09a1eabf7855a

私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて、日
の丸の旗を持つ大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声
が聞こえ、...続きを読む

Aベストアンサー

爺ちゃんの母親は、天皇陛下は、ウンチやオシッコをしないと固く信じていました。爺ちゃんは18歳の時に、天皇陛下に1メータくらいの距離でお目にかかれ、視線を合わしながらのお言葉も頂戴しました。同時に皇居に招かれた仲間は、「天ちゃん、バンザーイ!」と言うと放言していましたが、陛下が5メータくらいに近づかれ時より、最敬礼の御辞儀で、お顔を拝見することもなしで、通過後、嬉しさの余りに涙を流していました。

回答としては①です。ゴチャゴチャ言うな!です。


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